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はてなキーワード: 一般社会とは

2024-04-22

anond:20240422111822

普通人間は「セックスくらいできるのが当然」なのが一般社会だぞ

からと言ってキモオタみたいな人間未満にセックスさせてやれとは思わんけど

人間未満が人間未満の扱い受けるのは当然なわけでそこは自覚的になった方がいいぞ

2024-04-19

anond:20240419091651

おもしろい。

さて、ここで適当検索して既存言論を調べてみる…

信頼(しんらい)とは、相手対象に対し自分の期待した通りの結果が帰ってくることが信じられること。どれだけ信じられるかの定量的度合いを信頼性信頼度という。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E9%A0%BCtitle=]

(wikipediaには信用の項目は無し)

イマイチ要領を得ない。社会心理学用語として載せられている。ここで調べる先を間違っていたことに気づく。

信頼(しんらい)

1. 信じて頼りにすること。

  • 彼は蝗を捉へるには、それに巧でない方の犬にくらべてもずつと下手であつた。それにも拘はらず、犬どもはそんな事にまで主人の優越を信じて、主人を信頼して居るらしかつた。

信頼 - ウィクショナリー日本語版

信用 (しんよう)

1. 信じて任用すること。

2. 相手言葉を間違いないと見込んで頼ること。

3. それまでの業績などから人や物に対して与えられる評価

4. 支払能力があることを土台にして成立っている、貸借関係

信用 - ウィクショナリー日本語版

wiktionary定義によれば、信頼は一種感情的ものでさえある。しかし信用は、例えば"信用取引"などという言葉があるように、感情ではなく、どちらかと言えば"合理的な期待"に類似することが分かる。

/* だが、信用と信頼を、意識して使い分けている人が、どれほどあるのか?あるいは、ごちゃまぜに認識している人も、いるのではないか?というのも、私もイマイチ意識していなかったために、こうして調べているのだから

例えば「そんな人のこと、信用しちゃダメだよ」この文がどちらの意味を(感情か、合理的な期待か)持って信用という語を使っているのか?それは発言及び人物の背景を見ないと分からないと感じる。

形而上の言葉というのはそういうものだろうか。(哲学初心者)*/

辞書から離れ、では市井の使い方を観察してみる。

信頼とは裏付け担保もなく相手を信じること。 これもアドラー言葉です。 信用というのは条件つきで相手を信じること。(引用元)

アドラー用語として。感情契約という対比がある。

「信用」と「信頼」では微妙意味が違う。前者は損得を計算した上で相手を信じる行為を指すが、後者は利害を超えて相手に身を委ねる気持ちがあらわれている。違いを意識した上で英語に訳すと、「信用」は「give credit to s.b.」、「信頼」は「rely on s.b.」というのが適当かと思う。

 藤田達蔵著「ガイドとの交信マニュアル」の第5章「交信のコツ」の「5自信を持つ」から以下抜粋する:

 一般社会においても、信用と信頼は別ものですね。

 「必ず期日までに返済するならお金を貸してやろう」というのが信用です。それに対して、「きっと返済してくれると信じているかお金を貸してあげよう。もしも返してくれなくてもそれはこちらの責任。君を信頼しているから貸すよ」というのが信頼です。

---

 村上春樹氏は、『村上さんのところ』に収められた読者への返事に自らの考えをまとめた:

 長嶋茂雄さんはかつて「選手は信頼するけれど、信用はしない」という名言を吐かれました。要するに配下選手に対して「基本的にはポジティブに受け入れるけれど、細部に関してはしっかりと疑いの目を向ける」ということなのでしょう。例によって「長嶋語」ですが、なんとなく感覚としてはわかりますよね。

「信用」と「信頼」、「信任」を使い分ける | Web Pages Japanese-English And English-Japanese Wiki | Fandom

やはり対比するときは信頼に感情的な側面がある。

木浦 幹雄 / KIURA Mikio @ANKR DESIGN

@kur

イベント配信を通して下記のような学びを得たので共有します。

https://x.com/kur/status/1780169101731852737

HDMIケーブルはモノだから、信頼は不適当

テツロー

@punpupuuuun

·

返信先:

@bombombomb2017

さん

事例あります(ドヤァ)で終わること多いですよね。。。なんで?って聞くと、信頼性コスト納期ぐらいしか皆さん言わないですし。。。

ただ当方メーカー業界にいるため、そういう形になることが他の業界と比べても多い気がします。

https://x.com/punpupuuuun/status/1781122882816655462

ここで"信頼性"という語を思い出す。これは「reliability」の訳語だろうか。統計やモノ、サービスがどれほど"そうである"という期待を持てるか、というところか。この概念信憑性、確実性とも言いかえられる。やや"信頼"からは離れた言葉のようだ。


話が逸れた。まあ、ここまでの感じを見ると、「聞いた話を元に株を買うことと、株を買うために金をそいつに預けること。」は、双方、信用した結果の行動というところか。

信頼は、信用に先立ち、其の者を信用する理由として働く概念

信用は、必ずしも信頼を必要とせず、例えば過去の実績や、業績などを理由に行うことができる。という感じだな。

で、これは人間法人/組織に対して使うとき用法

モノに使う場合は、"機能を発揮することの期待"(0/1)が信用で、"可用性、もしくは妥当性を期待すること"(1が継続すること、あるいは1が1であること)が信頼かもしれないが、調べたりないし、もう飽きたのでまたいつか。

今日も一つ勉強。君よ、機会を与えてくれてありがとう

2024-04-14

”力み”健康法

身体をゆるめるとか脱力健康法とかがよく言われてるけど

一般社会人はもっと全力で筋肉に力を入れることを定期的にやるべきだと思う

スポーツとか有酸素運動とかだと”効率的に”身体を動かす癖が付いてしまうんだけど

これだけだと身体全体の筋肉が衰えやすくなると思う

悟空スーパーサイヤ人になるかのごとく、全身の筋肉100%の力を込めるのを1日2,3回はやろう

裕福な女子が余裕を持って格上受験するから医学部合格率が低い

表題のことを書き残したい。

医学部入試男性のほうが合格率が高いのは差別の結果、というのは数年前よく見かけた。上野千鶴子2019年東大入学式"祝辞"でも冒頭で以下のように触れられている。

「全国医学部調査結果を公表した文科省担当者が、こんなコメントを述べています。『男子優位の学部学科は他に見当たらず、理工系文系女子が優位な場合が多い』。ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。」

しかし、慶応医学部医学科 ("祝辞"では”事件”のあった東京医科大や順天堂大と混ぜて紹介された)は、点数操作無しで合格率男女比1.37で、上野の母校である京大("祝辞"には登場しなかった)も1.27だ。こちももちろん点数操作は無い。根本的な原因が点数操作以外にあることは、文科省調査結果が出たときから明らかだった。

医学部と他学部合格率男女比が異なることへの私の説明表題の通りで、詳細に言うと以下になる。

受験者の全体平均と医学部など難関大学受験者に多い富裕層では、受験選択の傾向が異なる。富裕層女性偏差値的格上校を積極的受験するため、合格率は男性なみかそれより下になる。》

難関大学は、特に理系医学部以外でも男性のほうが合格率も高い(ことが多い)

2019年4月時点で、一般人でもweb複数年・多数の学部の男女合格率を拾えたのが早稲田 だ。

学部ごとに'13~’18年の6年間の一般入試合格率男女比平均値を出すと

政経0.92, 法学0.97, 文化構想0.94, 文学1.03, 教育1.02, 商学1.22, 社会科学1.22, 人間科学1.20, 基幹理工1.47, 創造理工1.17, 先端理工1.57

となる。文系は男女拮抗が多いが、理工系3学部男性のほうが合格率でもはっきりと高い。

女子枠創設が話題('24年春時点)の京大理系は、‘22年、’23年の合格率男女比が理学部で1.55、1.79、工学部で1.38、1.29となかなかの値だ。

'23年の教育学部(理)も合格率比0.45とすごい値だが、ここは約10名という定員数の影響が大きいだろう。

裕福な家庭の女子学生には余裕がある(?)

 

学部日本大学全体の平均を見ると文系理系女性のほうが合格率が高く (あるいは男女拮抗)、難関大学では男性合格率が高いなら、普通大学難関大学では合格率の男女比がはっきり違うことになる。

よく知られているように難関大学学生受験生の学力面以外での特徴は、経済的に余裕がある割合が高いこと。大学受験で難関大とフツーの大学で違う、はだいたい、リッチ受験生とフツーの受験生の行動が違う、になる。

リッチでそこそこ以上に成績が良い高校生が難関大を挑戦的受験するときは、都市部の中堅以上の私大を滑り止めにしていることが多い。

また、滑り止め大学受験・進学が容易な富裕層大都市居住者女性大学進学率が男性並みか、それ以上で、日本大学受験生の全体平均、ましてや就職コースを含む高校生の全国平均とは状況が大きく異なる。

富裕層女子学生でも進学についてのプレッシャーが強い、とも言えそうだが、"祝辞"では

女子学生浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります

と言ってこれが絶賛されたのだから、フツーは買えない余裕を高い家庭経済力で買っている、という認識が良いのだろう。

たぶん、都市から地方への進学がカギの一つになっている

逆転に至るさらなる要因として、都市から地方大への進学者数が男女で大きく異なることが挙げられる。例えば以下の調査結果

ttps://www.ipss.go.jp/publication/e/jinkomon/pdf/19823104.pdf

都市から地方公立大に進学する動機で大きいのは、一人暮らしをしたい・学費を低く抑えたい、だろう。男性理系との相性がいい。

女性が格上大学記念受験する傍らで男性都市部から地方に進学すると、男性の難関大合格率が相対的に上がる。

社会学徒的には初歩の初歩?

詳細な検討にはデータ (滑り止めと、進学実績水増しのための多数校受験区別とか) が足りない。

しかし書いていて、家庭経済力の差・都市地方における滑り止め確保のコスト差・男女の自主的な行動の違い、が組み合わさって自然難関大学では女性合格率が下がる、というのはむしろ社会学の知見としては当然の結果に思えた。

ただ、そう明記しているものを見つけられなかった。

難関大学における女性学生や志望者の少なさを問題視する論文はすぐ見つかるが、一般社会では数年前に問題視され、"祝辞”でも触れられるくらい話題になっていた合格率は、あまりアカデミック社会学では考察対象になっていないようだ。

かに、人気になれば下がる合格率にやっきになるほうがおかしい。しかし、余計な男女分断を避けるためにもそう言ってくれれば、文科省も何年も調査しなかっただろうとも思う。せっかくなので、ここに書き残しておく。

借金やきついバイトをさせないのは性差別” と上野千鶴子に言われたくない

あの"祝辞"は冒頭の後、こう続く。

2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。『息子は大学まで、娘は短大まで』でよいと考える親の性差別の結果です。」

原因がやはり家庭経済状況と、それへの対処の男女差に要因があることは明白だろう。例えば2014年に発表された調査では、奨学金借金している割合男性理系50%、女性理系46%、男性文系44%、女性文系41%だった。

学生数は男性が文:理 =約1:1、女性が同4:1なので、調査結果の数字を当てはめると借金率男女差は約5ポイントとなる。そして借金だけでなく、きついバイト貧乏生活、長距離通学など、大学進学の金銭面をどうにかするのは基本、男性のほうが適性がある。

借金などムチャをして進学できるのは男性有利な構造があるため、と主張はできる。ただ男性のムチャの動機は、自分より高所得パートナーを得るルートが無い、社会保障も届かない、という要素が強い。

エリート女の泣き所はエリートしか愛せないってこと、主夫 (ハウスハズバンド) を養うなんて現実的じゃない」

という上野本人の有名な言葉が、そしてこの発言をした上野がこの「祝辞」を述べる栄誉を与えられ、なおかつ今も権威として君臨している現実が、男性女性よりも進学や労働でムチャをする理由、ムチャせざるを得ない原因を端的に示している。
一方でそれらのムチャは、よく死ぬ(もちろん同じルート突入たからには男女問わず)、という副作用と、それでもそれがマシ、というつらい現実を伴っている。

上野の主張は、彼女ほど親の経済的援助(大学近くに住居を準備し、かつ博士課程修了までの学費生活費も支える)に恵まれていない子と、そこまではできない親の苦労と苦悩を無視している。また大学進学以外のキャリア視野に入っていない点でも同じ傾向で多様性を欠いている。

そして、大学進学率の低さを解決するために非エリート家庭への経済的支援模索するのではなく、エリート女性を含む女性全体に対する性差別解決せよと主張するのは、自らの指導地位を利用して非エリート女性被害者性を奪う行為だ。

他人の苦難に親身になるのは素晴らしいが、"彼女たちは苦労させられている" を "私たちは苦労させられている" に変換して他者非難し、自己権益を主張する行為を、私は当時も今も好きになれそうにない。

2024-04-05

スポーツ推薦で入学したけど失敗したな、という人と、その親御さんへ

【240407編集しました】

当初はベタ打ちの記事でしたが、あまりにも可読性が低いので見出し記法を用いました。

今見返すと修正したいところは多々あるのですが、明らかな誤記(退学届→退部届)の修正追記日付の補記を除き、情報陳腐化している箇所なども含め、そのままにしています


スポーツ推薦で高校に行く人がどれくらいいるか知らないが、行ったはいいけど馴染めない、中退して想定していたルートから脱落する、最悪の場合自ら命を絶ってしまうという人は(残念ながら)少なからずいる。

私もスポーツ推薦で高校に行った。

中学スカウトにきた顧問は、週に1日は休み練習も平日は2時間、勉学の時間大事にする、著名な大学にも推薦で行けると熱弁した。

私は技量はあったが体力がなく、すぐ高熱をだすようなひ弱な中学生だった。スポーツ推薦なんか到底無理と思っていたが、休みがあるなら、その先があるなら、三年間だけ頑張ってみようと決意した。

結局のところ、顧問説明は全て嘘で、三年間がんばった先輩たちは浪人就職で、推薦で大学に行くのは極めて少数、かつ、いずれも著名とは言い難いところだった。

それでも、しばらくは頑張った。もがいた。40度の熱を出しながら罰走を走らされ倒れた。水を被ってまた走った。自分決断と、それを支持した親の思いを無碍にしたくなかったからだ。

だが、夏頃に怪我で数日通院し、練習に出られなかったことをきっかけに上級生による苛烈イジメまで始まった。

大学に行きたかったので、高校は辞めるわけにいかない、と私は思っていたが、あの恐ろしい部室に行くと思うだけで、ボロボロと涙が溢れ始める。

夏休み明け、糸が切れたように不登校になった。

推薦で取った生徒の不登校というのは、顧問には痛手らしい。手をかけ品を変え、顧問から登校するよう連絡があった。それでも私が応じないと、両親揃って呼び出され、強い口調での退学勧奨を受けた。

子の不登校に加えて、顧問による叱責がよほど強いストレスだったのだろう。両親まで懇願するように、それが受け入れられないと怒鳴り声をあげて退学を求め始めた。この世に味方はいないのかと絶望した。

が、結局のところ、私は図々しくも高校卒業した。部活も半分以上ボイコットした。そして大学に通い、やりたかった仕事に就いた。

今思えば辞めても大検を取れば良いだけだったのだが、大人の不当な圧力に負けなかったという経験は、今でも自分を支えているように思う。

数は少ないかもしれないが、同じようにスポーツ推薦で進学するも、クラス部活に馴染めなかった方と、その親御さんのためになればと、私の経験を書き残しておく。

なお、なるべくなら普通に通学して部活やって卒業した方がいいに決まっている。

それができない我々のための話と思ってほしい。

大学には行きたいなら大検でもいい

大検はそんなに難しい試験ではないが、履歴書卒業高校が書けないのが嫌なら、なんとかして卒業を目指すことになる。

こだわりがないなら大検とって大学に行けばいい。

卒業したいなら単位はとる

卒業には単位必要で、単位取得には出席とテストでのスコア必要になる。

だが、毎日真面目に通う必要はない。

欠席、早退、遅刻の日数を管理しながら授業に出ればいい。

テストのほうは、まあ、頑張って取るしかない。こういう所を読むくらいの「ナード」なあなたなら、スポーツ学級向けの試験赤点回避するくらいはなんとかなると思うが、どうでしょう

クラスで浮いてしまうのは仕方ないと割り切るしかない。授業が始まれ別に気にする必要はないし、休み時間は寝ればいい。だって眠いでしょ?

単位はなんとかなる。では、部活はどうしたらいいのか?

「退部=退学」を信じない

行かなきゃいいのだ。授業に出て、終わったら帰る。

スポーツ推薦入学者は、部活を辞めることはイコール退学だとよく言われる。実際、そういう前提での退学勧奨が横行している。それに応じる人も多い。本人が納得できるなら、それも別に間違いではない。

でも、そんな約束はどんな書類にも書いていないはずだ。

あなたは正当に入学し、保護者学費を納めている。あなたの進路はあなたが決められる。退学勧奨はあるだろうが、応じる必要はない。

(もし、念書とかを書かされていたのならごめんなさい。でも、そんな念書有効なのかなぁ。)

そして、部活に行かないこと、やめたことを理由とする退学処分なんて、通常なら出しようがないはずだ。ナードあなた暴力を振るうことはないし、成績も悪くない。わざわざ制服タバコを吸うこともない。

生徒手帳を開いて校則を読もう。あなたならちゃんと読み取れる。なにか退学に値することをあなたはしているか?していないはずだ。

とはいえ、退部届を出すのはポイントオブノーリターンを超えてしまう。私は退部届けは出さず、部活に出ないに留めた。

時折顧問に呼び出されたが「いじめがあるなか部活には行けません。すみません。」ということを述べ続けた。

顧問はいじめがあること自体を認めたくないので解決に動くこともしない。なので、一生平行線だ。

あなた学校に行けない状態なら、少なから精神的にダメージがあるといえる。心療内科などで相談して、その結果を伝えるのも一考と思う。

もし、やりとりのなかで、あまりにも酷いことを言われたら日時とともに覚えておくこと。それはあなた自尊心を大きく傷つける表現かもしれないが、受け止める必要は一切ない。相手の不当性を立証する強力な武器になるのだから、内心喜んでもいい。

呼び出されたときに一番怖いのは密室での暴力だろう。

顧問はすぐに手を出す人間だったが、私は幸い暴力は受けなかった。ポイントは、表面上反抗しないこと。

無抵抗で頭を下げる人間一方的に殴っちゃまずい、という計算大人はしている。クソ野郎ほど損得計算した上で手を出しているのだ。

賢いあなたは内心、大人バカしまくっているだろうが、それは心の内にとどめておこう。

万が一、暴力を振るわれるようなことがあれば、それは警察に届け出ていい。仮にあなたの態度が反抗的であっても罪は罪だ。

引退

多くの部活は3年の夏頃には引退なので、そこまでいけば逃げ切り。あとは高校生活満喫してやろう。

暇なら部活と同じスポーツ部活以外でやってもいい。部活じゃないから声出しを強いられることも、ミス咎められてランニングさせられることもない。

個人的オススメ大学に行く準備をすること。

大学は相応の学力があれば入れる。内申点関係ない。顧問権力は全く届かない。

大学では、ちゃん勉強しておくとよい。案外、飯の種を拾えることがある。捻くれ人間あなたと馬の合う、もっと捻くれた人間がたくさんいる。楽しいですよ。

そんなんで人生大丈夫なのか?

もしあなた部活をサボれば、顧問は「そんなんでは社会でやっていけない」「人間失格」など言いたい放題いうだろう。言われ続けるとそんな気もしてくるかもしれない。

けど、大丈夫です。私はいま、普通に暮らしている。なんなら、十分恵まれ生活を送れているくらいだ。

正直、一部のブラック企業を除けば、イかれた高校部活のほうが「社会」よりよっぽど理不尽だ。認めたくはないが、部活地獄を見た分、多少のことには動じない。それは一つの強みになっている。

あなたも、実はすでに一般人の平均よりも理不尽耐性が育まれているし、一度は推薦を受けるだけの身体能力ないし学習能力があり、こんな長文も読みこなせるのだから世間からみれば優秀な人材だったりする。

あなた社会通用しないわけではない。むしろ活躍の機会があると思っていい。

それから、一度逃げたら逃げぐせがつく、みたいな言説もあるが、逃げぐせ、結構じゃないですか。私は激務で殺されかけたこともあったが、逃げぐせのおかげで死なずに済んだ。より良いポジションをとれた。適切なとき自分を守れるのは恥でもなんでもない。

一度死んで死にぐせがつくよりいいんじゃないですか。

最後

小学校中学高校とくると、高校世界のすべてのように感じるし、高校でうまくいかないと人生の全てがうまくいかないように感じる。私はそうだった。

でも、実際は高校なんて人生のごく一部にすぎない。思い出せば色々あるが、思い出すこと自体少ない。どうでもいいんですよ。

あなたが真っ当に部活に出なくなると、顧問をはじめ、高校側はあなたに対して色々言ってくる。でも、高校別にあなた人生責任を全うするために何かを言っているわけじゃない。向こうは向こうの都合があり、そのためにあなたを退学させたり登校させたりしたいだけなのだ

ならば、あなたあなたの都合で行動したっていい。

正直、イージーではない。同級生に蔑まれたり、恨まれたりすることもあるだろうし、親の協力も得られないかもしれない。

でも、騙されたとはいえ自分で選んじゃった道なので、まあうまくやるしかない。何度も言うけど、高校の知り合いなんか一生会わないこともできるから適当でもいい。

なんにせよ、スポーツ推薦が体に合わなかった人は、大変だけど、とにかく死なないことは徹底してほしい。

死ぬことに比べれば、一瞬しか関わりのない人間に嫌われるのなど無傷に等しい。常にいい人でいる必要はないんだから高校時代まるまる、いい人を封印したっていい。

あなたの善性はイかれた部室の中でではなく、将来出会う真っ当な環境で、真っ当な仲間に対して発揮すればいい。今は図々しくあれ。サバイブすることに全力を傾けていい。頼れそうなら親に頼れ。高校関係ない友達大事しろ

健闘を祈る。

親御さんへ

お子さんの状況に心を痛めているのではないかと思います。思うようにいかない毎日に強いストレスを感じていることでしょう。

私も今は二人の子父親です。親御さんのお気持ちも今となっては察することができているつもりです。

大変ななか心苦しいのですが、ひとつだけお願いがあります。お子さんの人格や将来を否定するような言葉だけは止めてください。

はいま、十分に幸せ生活を送っていますが、不登校時代高校を辞めさせたくなった父が絶叫した「お前の人生はもう終わってんだよ!」という言葉が忘れられません。

私が学校に行けず、さりとて辞めることもできなかったのは、私自身が人生をどう打開すべきか、悩み続けていたからです。

そんなことを知ってか知らず投げつけられたその言葉はかなりのショックでした。親に叱られることこそあれ、将来を否定されることなど想定もしていなかったからです。

私は全くの無意識に「いつか必ずお前を殺す」と口走りました。

から出た言葉が己の耳に入った瞬間、私は後悔しましたが、謝罪なり撤回なりの言葉を紡ぐ前に、父は「おう、そうしろよ!やってみろよ!もうとっくにお前は終わってんだよ!」と叫び続けました。

私のなかで父への信頼、敬愛が全く失われたことをよく覚えています

このやり取りを思い出すたび、未だに激しい怒りに身を任せそうになります

子供を連れて実家に帰るとき、父は人生が終わったはずの息子が連れてきた孫を心から歓迎して、膝に乗せておしゃべりをしています

父の心底幸せそうな顔を見ると、今この瞬間、父を殴りつけてあのやり取りを思い出させ、徹底的に謝らせて、痛めつけた挙句に殺めれば、いくらか救われるだろうと思う自分がいます

こんな頭のおかし妄想に浸りたくはありません。

しかし、父の笑顔を見るたびに、お前のいうとおりにしてやるよ、と告げたくなるのです。おそらく、私は父が死ぬまで、父を殺す機会をうかがい続けることでしょう。

父と会わなければよいわけでもないのです。

子供たちはしょうもない私に対して無償の愛を向けてくれます。この子達のように率直に父を愛せたのならどれだけ気楽だったのだろうと考えてしまます。そして、あの日の怒りを思い出してしまうのです。

ベビーベッド、バウンサー公園砂場保育園の帰り道、アイスを食べながら休むベンチ、初めてのランドセル幸せに満ちているはずの至る所に父への殺意が頭を顔を覗かせるのです。

そして、いずれ私自身が父のように、子供否定する日が来るのかもしれないと怯え続けています

結局のところ、私の傷は社会に受け入れられても癒えることがありませんでした。20年近く前の親の一言で、私の人生の一部は壊れてしまっているのです。

親も人である以上、感情衝動もあります

しかしながら、どうか、どうか、お子様の人格と将来を否定しないでください。

長文、乱筆失礼しました。

以下追記(240405)

(なんかうまくいかず、再投稿してしまっていたようです、ごめんなさい。こちらに改めて記載します。)

このような長文、悪文にも関わらず、想定を遥かに超える反応をいただき、驚いています。読んでくださった皆様、ありがとうございます

疑問点もあると思いますが、身バレはしたくないのでこれ以上の説明は避けます

スポーツ推薦で入ってもサボれば大丈夫

かいコメントや反応が多いことはとても嬉しいのですが、想定外でした。

ここまで好意的意見が多いと、私の手法がみんなに支持される、定石や必勝法のように思う人(特に危険なのは中学三年生)が出てくるのではないかと、少し不安になってきました。

その点について、もう少し書かせてください。

私の対応あくま緊急避難であって正攻法ではありません。私のパーソナリティ顧問間抜けさ、高校の意外な寛大さが合わさったという偶然の部分が大いにあります

また、同じようにスポーツ推薦で入学し、日々理不尽と闘う同級生、先輩後輩からすれば、私のような立ち回りをする奴は完全なクソです。皆さんが顧問に対して抱いてくださった反感と似たような感情をぶつけられる対象になるのが普通です。

必勝法でもなければ、周囲に褒められるやり方でもないのです。

「とりあえずスポーツで行って、ダメならサボればいいか」というのは絶対にやめたほうがいいです。実力で行ける高校に行きましょう。

もしあなたが極限状態にあるなら、私は何度でも自分本位と言われてもいいかサバイブしてね」と伝えます。これは全くの本音です。大人迷惑をかけてもいい。生きましょう。一般社会より厳しい世界あなたは知っている。あなたは人に優しくなれる。あなたの優しさを、まともな世界にまで運びましょう。

でも、あなたがまだ選択余地を残しているのであれば、最初からこんなことを狙っちゃダメだ。

父とのこと

ここで文章したことで、少し整理ができた部分があります

愚かで幼稚な父のために、私と子供達の幸せ犠牲になるなんて絶対おかしい。

高校時代出来事など、人生のうちの一瞬のことに過ぎない。俺自身、そう書いたではないか

許すことはできなくても、忘れること、思い出さないことは努力できるんじゃないか

というところです。話し合いは正直怖いんですよ。年老いた父は幼い孫たちには優しいですが、母や私のきょうだいにはますます頑迷になっていて、本当に手をかける結果になりかねない。

もう一度、最後

心配してくださったみなさん、労ってくれたみなさん、本当にありがとうございます

この文章が、必要とする人に届いて、悩む学生さん希望する進路へ進む契機や、良好な親子関係の構築の一助になれたとすれば、これに勝る喜びはありません。

2024-03-28

ルッキズムが辛い人、学会に行こう

ルッキズムが辛い人、学会に行ってみるのはどうだろう。宗教の方じゃなくて学術発表の方。

学会は云わばある学問分野のオタクの祭である。そこには容姿が優れた人なんてほとんどいない。外見に気を遣っている人も多くない。一般社会ではヤバい奴扱いされそうなタイプもそれなりにいる。

でも彼らの多くはそれぞれの専門分野で世界トップクラスで、だからこそ研究者をやれている。そこでは容姿にはなんの価値もない。重要なのは研究内容だ。外見がどうだって研究への熱意と成果があれば認められる。

外見に全く努力していない人達が、好きなことを楽しそうに語り合っている姿を見ることができるだろう。好きなものがあり、1つの研究を成したという自負があれば、外見なんて取るに足らないことになる。

こういう世界もあるということが分かれば、少しはルッキズムに苦しむ君の救いになるのではないだろうか。

彼らは賢いからだ、と思う人もいるかもしれない。勿論化け物のように賢い人もいる。だがそうでなくても良い研究はできる。より重要なのは熱意と地道な努力だ。あとは運。

どうやって学会に行くのか。学会にいる人はほぼみんなその分野の研究者学生だけど、一般人でも参加できる学会はたくさんある。

〇〇学って名前のものに会を付けて検索してみよう。あんまり大きい学会は参加費が高いかもしれない。大学講義名になっていそうな〇〇××学あたりが行きやすいかも。近くで開催されるものを探すのは少し大変かもしれないが、各県でなにかしらは開かれているはずだ。

学会を一つの例にしたが、つまり世界には容姿価値を持たない場もあるということだ。君の好きなもの容姿よりも価値あるもの、それがルッキズムから卒業を助けてくれると信じている。

2024-03-26

anond:20240326160347

人は学んだことしかできないからな

絵で一線級だろうと法律的なことは理解できてないのが当然なんだが

あいつら信者に何でもかんでも肯定されてきたせいで一般社会に無理が通ると思ってるフシがあるよな

いま生成AIの側に立ってAI擁護するときに「全然なにも事情を知らない一般人に対して先進技術マウントをとれる」「一般社会において弱い立場人間を叩ける大義名分が得られる」「資本持ってる方々がAI側にいる」のどれかが理由だろ

2024-03-20

時代実力主義へ変わってるよね

「楽して稼ぐ」「努力ダサい」「ノリと感覚が大切」「辛い事から逃げて自分らしく生きる」などの、ここ数年の価値観から形成される成果物が見向きもされなくなる日はもうすぐ来る、というか来ている。

演技の出来る役者、内容のしっかりした脚本、練られたカメラワーク映像ドラマが支持されている。

歌の上手い歌手ダンスの上手いアイドルクオリティの高い楽曲が取り上げられつつある。

ネタ面白い芸人が持て囃され、TVに出ている漫才師ほとんどがM1準決勝進出者だ。

お笑い芸人や、かつてのおバカキャラは、論理的思考戦略を表に出し、バラエティが巧妙なプロレスである事を認知させている。

これは、エンタメに限った事でなく、一般社会でも起こりつつある。

Twitter社は、技術スキルが高くないが、立ち回りが上手い人達を一挙に解雇した。

今後の企業追随するかもしれない。

中身は空っぽだが、キラキラ外装でコーティングされた物は使い捨てされる。

享楽的時代は終わるのだ。

技術知識経験資格思考力を努力で勝ち取らなくてはならない。

若さ愛嬌とノリで世渡りしてきた私は、恐々としている。

2024-03-09

anond:20170601132858

Geminiでまとめてもらった

先生の続編期待しています

 

あらすじ

オタク女子である主人公は、同じチームの先輩がもっさりしていることに嫌悪感を抱いていた。しかし、ある日、先輩が実は同じ趣味を持っていることを知り、ファッションメイクなどのアドバイスをすることになる。

主人公指導により、先輩は見違えるほど垢抜けていき、婚活アプリでもマッチングするようになる。しかし、主人公はそんな先輩を見るうちに、複雑な気持ちを抱き始める。

 

感想

この物語は、オタク女子である主人公葛藤を描いた作品です。主人公は、周囲にオタクであることがバレないように、常に身だしなみに気を配っていますしかし、同じ趣味を持つ先輩が、自分とは違う生き方をしていることに、戸惑いと嫉妬を感じてしまうのです。

主人公気持ちは、オタクである人なら共感できるのではないでしょうか。オタクは、一般社会から理解されにくい存在です。そのため、周囲にバレないように、自分らしさを抑えて生活している人も多いでしょう。

しかし、自分らしさを抑え続けることは、決して楽なことではありません。主人公のように、葛藤を抱えてしまうこともあるでしょう。

この物語は、オタクであることの生きづらさを、リアルに描き出しています。同時に、自分らしさを大切することの重要性も教えてくれます

 

考察

この物語重要なのは主人公が先輩の変化に嫉妬してしまうことです。主人公は、先輩が自分よりも美人であることを認めつつも、男にモテるようになることを快く思えないのです。

これは、主人公自分自身に自信を持っていないことの表れと言えるでしょう。主人公は、オタクである自分が、男に愛される価値がないと感じているのかもしれません。

しかし、オタクであることは決してマイナスではありません。むしろオタクであることで得られる喜びや充実感は、他では味わえないものです。

主人公は、自分自身の価値気づき、自信を持つことが大切です。そうすれば、周囲の目を気にすることなく、自分らしく生きることができるでしょう。

 

続編

この物語は、主人公自分自身の価値気づき、自信を持つことで、幸せを掴むという続編が期待されます

主人公は、先輩と協力して、オタクであることを隠さずに恋愛する道を選ぶかもしれません。あるいは、オタクであることを武器にして、新たな人生を切り開くかもしれません。

いずれにしても、主人公自分らしさを大切にして、幸せを掴んでいく姿を見たいものです。

2024-03-05

anond:20240305100914

一般社会ネットで女がどうこう書いてるような奴は会社から出会いの場からもつまみ出して欲しいと思ってるよ

2024-03-04

anond:20240304155010

一般社会じゃ1円も稼げない人間が2万も稼ぐって凄いことじゃん

配信辞めさせたところでその手の人間家事だの仕事だの始めんのかって言ったらほぼほぼないし「とりあえずネット環境破壊」の後の考えがいまいち見えてこなくて家族みんな不幸になる結末しか想像できない

anond:20240304115359

ABAにおけるmaskingってASD向けの話よね?

まりよく分かってなかったから改めて調べたけど

ASDに絞って書いたつもりはないんだよな


ASDというより、むしろ伝統政治家経営者にはADHDが多いと思うのよ

過集中・過学習によって一般社会常識から逸脱するような

逸脱しつつも、社会的インパクトを与えてはいるし同じコミュニティにおいては会話は通じる

けれど、今の社会がそれを全てオープンに、見える化を求めているために

ADHDにおいても特に大人含めてmaskingが必要になってきたのではって話がしたかった


発達障害全般に広くmaskingが必要って話が周回遅れならそれはワイの勉強不足や

2024-03-02

時代を経て許されなくなるもの


毎日新聞

政治 倫理審査会で総理説明 裏金問題解明されず

https://mainichi.jp/maisho/articles/20240302/kei/00s/00s/011000c

この自民党裏金問題って、昔は暗黙の了解だったものが、時代を経て許されなくなってしまった、ということだと思う。

自民党政治資金パーティーを開いていた人たちも、今の時代に許されなくなったことは理解してたかもしれないが、それでも慣例に従ってやり続けてしまった。そしてついにバレてしまい、こんな事態になってる。

かにも、こういうのがあるのだろうか。あなたが感じている例があれば是非教えていただきたい。

まり、昔だったら許されていたけれど、現代社会でマズい行いであり、告発されたら袋叩きにあってしまうような案件だ。

別に、今だったら許されてるけど、未来はいつか許されなくなるという話でもいい。

個人的に思いついたのはこんなところか。3つある。



(経歴調査

 結婚とか就職に際して、お金に余裕がある人や企業は、興信所とか使って相手の素性や家族関係とか調べたりする。今も許されなくなってきてるけど、将来はもっと許されなくなる気がする。興信所自体規制されるとか。

 ポリコレ活動にもみられるように、差別絶対許さんというか、人間一人当たりの価値(=人権)が時代を経てどんどん上がってきている。

職場でのモラハラ

 今の時代だと、職場の皆が納得できるだけの理由があれば、職場とかでキレたり怒鳴ったりしてもセーフだと思う。例えば、どうしようもない社員特に性格とか救いようのない奴に対しては、キレたり怒鳴ったりしても許される風潮が残ってる。

 シロクマ先生予測が正しければ、数十年後はカッとなってしまうだけで、会社員とか公務員でも社会から追い出されてしま可能性がある。今だって国会議員とか明石市長とかがブチ切れたりしてるのがリークされて、職を追われたりしてる。それが一般社会の人にも波及するのではと感じている。

仕手筋

 この人たちは、明らかに相場操縦とかネット掲示板特定株式風説の流布をしてるけど逮捕されない。今だと、東京証券取引所逮捕するグループとしないグループを、何らかの基準で選別してると思われる。もしくは偉い人が事前に仕手行為東証に届け出ているのかもしれない。

 ただ、何十年とか後になると、こういう問題が公になって騒動に発展する予感がする。先日SBI証券が、IPOとか新規上場株の関係で、太客に対して便宜を図っていたのがバレて行政処分を受けていたけど、今の時代は昔に比べて法令順守になってきてると感じる。

2024-02-24

何でこんなに発達障害が増えたの?

芸能人もそうだけど何かあれば「発達障害でした!」って公表する流ればっかり

一般社会でもそうだけど、何故こうも発達障害が増えたんだろう

元々そう言う人は居たけど、発達障害がそこまで認知されてなかったから居ない様にに感じただけ?

何でも発達障害って言えば許されると思ってるんだろうか?

2024-02-22

anond:20240222163628

結局一般社会の延長上の話なんだよねこ

家に残って家の仕事家事育児介護など)をしなければならない人がいる場合、家に残るのは女性役割とされる

そうなるとその女性は休めない

それが家族間で役割分担した上での話なら、その女性は外で働いている家族(大抵は男性)に養われているんだからお互い様だ、とはなるが

その場合ですら「その女性が休める日も作るべき」というのが現代の風潮

まして「外で働いている人」が近所に住んでいるだけの赤の他人で、その人に養われているわけでもない避難所女性

休みなし自由なし給料もなしで避難所の皆の生活の世話をずっと担わされているのはおかし

2024-02-21

anond:20240221113139

ただの一般社会じゃないか

 

まんべんなく普通の人がおると言うだけのこと。

2024-02-19

一般社会オタク

新潟在住なんだが、オラが県のCM広告には結構オタク絵、萌え絵が使われている。

全国的にどうだかはわからんが、これを見ると少なくともオラが県ではオタク絵が社会的一般化したと思える。

リベラル界隈からの苦情なんかも無さそうだから、そういう物として皆捉えているんだろうと思うんが、

実際全国的に見た場合、どうなんだろうか?という疑問がある。

新潟アニメまんがに力を入れている部分も多くて専門学校なんかもあるからなんだろうか?

それとも全国的地方広告オタク絵が多くなっているんだろうか?

2024-02-16

anond:20240216200846

7年間で変わってりゃ良いですけど、そんなことはしないみたいですよ

そもそも契約書すらロクに作らないとか 

漫画家契約の話(2017年6月14日 07:35) | 佐藤秀峰 
https://note.com/shuho_sato/n/nc58789fc1daf

 

必要契約書については、まず3つの契約書が基本になると思います

 

・1つ目は出版社アプリ会社)との契約書。

・2つ目は作画スタッフとの契約書。

・3つ目は原作者作画家など著作者複数存在する場合、両者間で結ぶ契約書。

 

それぞれ僕が普段使っている契約書のひな型を公開します。まず1つ目出版社(アプリ会社)と交わす契約書ですが、こちらは基本的に2種類必要です。

1つは執筆契約書。

もう1つは出版契約書。

 

まずは執筆契約書。

 

こちらは雑誌アプリ)連載時の原稿料の取り決めや、掲載責任を明記したものになります一般社会に暮らす方には想像できないかもしれませんが、漫画業界では「編集部漫画家原稿を描かせておいて雑誌掲載しない上に原稿料も払わない」というケースがままありまして、「ちゃんと払えよ、掲載しろよ、契約期間打ち切りもできねーからな」という契約書です。

 

こちらに関しては、現状、出版社からひな型を提示してくれることはありません。「依頼→見積もり契約発注」という社会常識は、出版にはないのです。作家から執筆契約を結んでほしい」と提案する必要があります

連載の話が持ち上がって「どのタイミング契約の話があるのかな?」と思っていると、普通にありませんので自分から提案してください。「そんな知恵をどこでつけたんだ!?」とギョッとされるでしょう。

 

(中略・リンク先のblog見てね)

 

要求自体はできますが、実際に出版社がそれを受け入れるかどうかは別問題です。出版斜陽産業なので、権利は渡したがりません。ならば、管理させてあげるから電子印税率を上げるように要求しても、それもなかなか通りません。その時は頑張ってください。

編集長編集長が出てきて言うことを聞くよう説得されます。それでも頑張ると「こんなことを言う新人は君以外いない」「君だけ例外は認められない」「連載したくないと言ってるとしか聞こえない」「ここまで編集部仕事をさせておいて、今更それを言うのは後出しだろう」などとやんわりと脅されます

その中で漫画業界が夢のある業界ではなく、パワーバランスに従った社会だということを学べるでしょう。それに組み敷かれることも自由です。

2024-02-15

anond:20240215003416

女性ITなどの理系能力が得意な人より 感性共感能力必要とする仕事を得意とする人が多い 」

言及記事主だけどこの部分だけは現代教育界では明確に否定の方向に向かってるのよ。OECDがやってる国際学調査TIMSSだと日本の男女は理系科目の成績差はあれど今の現状ほど女性理系職につかないほど明確に成績差はないんだわ。で、昨今の理系労働力不足の対応としていわゆる「リケジョ」の開拓高等教育界は必至なわけだ。

https://gendai.media/articles/-/88240?page=3

https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r01/zentai/html/honpen/b1_s00_02.html

まあ現代経団連会長が「夫婦別姓にして!」って要望するぐらい経営側は日本の優秀な中等教育の成果を活かして女性にも労働市場に出て欲しいけど、受け手一般社会は元記事のようなコンサバ結婚観とか女性理系が向いてないみたいな考え方がメインなんで上手くいってない印象かな?後ツリーにある「皆が稼げる職業にはつけない」はその通りだけどなぜそこに男女差がつくのかは「女性に働く気がない」だけで説明つくかな。そもそも一般社会が「女性は働かない」「みんなハムスター」って最初から仕事評価する気がないわけで、そこから仕事評価を得るのは大変よ。まあほとんどの一般的能力女性ハムスター化えらぶかもね。例外は「看護師」「介護士」みたいな伝統的に女性職業として確立された分野か、わいのいるITみたいな新興産業完全実力主義業界コード一発書けば男女関係なく評価えれる業界仕事する気ある女性流れるだろうなあ。評価えるの楽だもん。私は「ハムスター」って思われてる上司自分業務成果アピールするのはIT以外では自信ないわw。まあこれは卵が先か鶏が先かみたいな話だけど一般的能力女性が「女も家族の将来に責任を持つ、女も稼いで家族を養う、自分の機嫌は自分でとる」はしばらく先かなと思った次第。一般的な男女とも望んでないのよ。

2024-02-14

anond:20240214222113

特に最近ネットでお互いの文化に触れやすいので

知らず知らずのうちに影響しあって境界曖昧になってきてるよね

時には相手を見下しながらもしっかりと影響は受けるんだよな、ゲイ文化用語一般社会でも普通に流通したりとかね

2024-02-10

漫画編集者の端くれだったことがある


青年向け漫画編集者をしていた。といっても若い頃の話だ。都内にある編集プロダクションを辞めて田舎に帰ったのが36の時だから、おじさんの入り口に立った頃か。今では完全なるおじさんである

本日記は『セクシー田中さん』の件とは関係ありません。

働いていた会社というのは、講談社とか小学館とか秋田書店とか、そういう大手出版社ではない。あくま編集プロダクションである出版社編プロがどう違うのかって……ざっくり言うと元請け下請けだ。出版社出版事業(今回だと青少年向けの漫画作りや商業展開)の企画をして、漫画家が作品のものを作って、編プロ雑誌本体を作って、その制作過程印刷所やデザイン事務所といった専門集団関係することになる。

イマイチ説明になってしまった。一般社会の例で説明する。民法でいうところの委託(準委任契約)に当たる。公共建築の分野でいうと、公共機関の建築技師が新しい建築物のマンガ絵を作り、建築事務所が基本設計~詳細(実施)設計をして、出てきた成果物を元に大手建設会社施工監理し、地元にある中小事業者が実際の土木建築作業をする。

自分が勤めていたのは、この例でいうところの建築事務所だ。受益者(国民=漫画読者)の希望に応えたい組織があって、そこから依頼を受けて動いている関係会社ひとつ。そういうアナロジーだ。

出版社との役割分担は、そこまで分離しているわけでもない。漫画編集者といえば、昔の手塚治虫ほかの自伝みたいに、漫画家とアツいやり取りをしているイメージがある。ああいう、企画経営制作現場の間にあるような仕事は、出版社社員が直接することもあれば、編プロ出版社(編集部)のオフィスを間借りして行うこともある。

前者の例だと、マガジンサンデーチャンピオンなどだ。コンビニ書店にほぼ必ず置いてあるレベル漫画誌。大手出版社総合職コース入社した人が、(編集取材制作、資材、宣伝マーケティング、総務経理人事その他事務)といった多くの部門ひとつである漫画編集部に割り振られて其処に居る。

後者の例だと、大手出版社が出している漫画誌でも、あなたが聞いたことのないやつもけっこうあると思う。そういうのは、編プロ出版社(編集部)の仕事を丸ごと請けて実施していることが多い。自分は、そういう会社で働いていた。職場自体大手出版社の中にあるが、いわゆる委託先の社員だった。別の言い方をすると、親雑誌に対する子雑誌関係

ほかの長文増田記事を見るに、あまりたくさん書けない仕様のようである。何文字までかは知らないが、文字制限があると思う。本当は何万字でも書きたいのだが、あくま自分が書きたいだけであって、あなたが読みたいとは限らない。一万字以内になるよう心掛ける。以下に、自分が関わった漫画家を2人だけ紹介しよう。最後に所感を述べて終わりにする。

その2人(A先生とB先生。どちらも若手)と私は、分水嶺のような関係追記;わかりにくい表現ですいません。ブクマカのBuchicatさんコメントのとおりです)だった。ある日、私が担当していた漫画家のA先生が新作の企画提案に来ていて、同じタイミングで別の編集者のところに持ち込みをしたのがB先生だった。その別の編集者が不得手なジャンルだったこともあり、A先生との話が終わった後で、私も一緒にB先生作品を読んだ。

その後、編集部責任者を交えた会議で、私が引き続きA先生の新作の担当者に決まった。新人であるB先生担当になる可能性もあったが、そうならなかったのは、今の漫画界の一界隈にとって幸運なことだった。



A先生について

A先生は、雰囲気が暗めだった。人間性まで暗いというわけではなく、心を開くと明け透けになるタイプだった。モードに入ると饒舌になる。

弊誌では、読み切りを何度か掲載したことがあった。アシスタント経験あり。小さい賞を取ったことがある。ヒット作はないが、若き漫画家としてはキャリアがあった。

画力が抜群だった。小学校中学校で、学習ノートフシギダネの絵とかをソラでゲームパッケージそのまんまに描く子がいただろう。とにかく天賦の才を持っていた。最小限の画量で、それでいて迫力と感情に溢れた1枚1枚を描く。そういう人だった。

難点は、マジメすぎるところか。少し前にやっていたアニメだと、チェンソーマンに登場するアキくんか(少し前……?)。とにかくマジメだった。いや、やはり『直向き』に訂正する。

A先生は、少年誌に見合わない重たいテーマに挑むことがあった。今でもそうだ。彼のマンガには『緩さ』がない。それもいいところなのだが。私は好きだった。はっきりいって。が、読者の傾向に合っているか微妙だった。

子どもの頃から漫画が好きだったらしい。中学生の頃のイラストを見せてもらうと、俄然キャラクターへの愛に溢れる作画を見ることができた。中学生らしい、プロには程遠いクオリティなのだが、しかし見ていて違和感がないというか、自然にくっきり入ってくる。

私という人間は、具体例で物事説明する癖がある。上の「中学生らしいイラスト」を別の事例で表現すると……「うるせ~!!知らね~!!FINALFANT ASY」(短縮URLhttps://x.gd/L5cc4)だろうか。以前、いつぞやかのid=pptppc2さんのブックマークコメントきっかけで元ネタを知ることになった。

あの時のA先生イラストは、ベルセルクセルピコだったと思うが、力強い表現だったのを覚えている。セルピコファルネーゼを抱きかかえて、

申し訳ありません 道案内を頼まれまして 少し席を外していましたもので」

と言うシーンの模写だった。

さて、そんなA先生だったが、ある時これまた重量級のテーマで描きたいものがあるという。先ほどの、編集部での新企画提案の話だ。

その際、A先生からプロットをもらい、私のデスクで拝見させてもらったところ……うちの雑誌では持て余しそうだった。作品の質が低ければ普通に打ち切りになりそうで、作品の質が高くても――弊誌の売上規模だと会社グループ全体の機会損失になりそうだった。私の前でパイプ椅子にかけているA先生は、不安げな面持ちだった。

内部の話で悪いが、例えば「甲」という雑誌亜流「乙」という雑誌があるとする。ビッグコミック(オリジナルスピリッツスペリオール)みたいな感じだ。この時、甲と乙に明確な上下関係があった場合、乙誌に掲載された漫画が甲誌に引き抜かれることがある。その際、甲誌の編集部から言われるのが、

「なぜうちの編集部に見せなかった?」

という意見だ。これは、ストレートに言われる場合もあれば、暗に言われる場合もある。だが、事前に上流の雑誌に見せていたとして、多くの場合玉虫色の返事があるだけだったりする。

話を戻そう。この時の自分は、編集部自分デスクのあたりでA先生次回作を見せてもらっている。確か缶コーヒーを飲んでいた。

自分としては、A先生マンガを弊誌に載せたいと思っていたが、先ほど述べたとおり、後ろ髪を引かれる思いもあった。社会派少年漫画というのは扱いが難しい。その作品が「あしたのジョー」の影響を受けているのは明白だった。「A先生であれば、きっと面白い作品にしてくれるのだろうな」という期待はあった。

うーん、大いに悩むところだ。どうしよう。思いあぐねていたところで、別の編集者から声がかかった。要約するとこんなところか。

「持ち込みに来た人がいる。私の専門じゃないので判断が難しい。門前払いにするレベルではないので、あなた判断を仰ぎたい。上の人間は今出かけている」

要するに、自分の専門外なので判断できないよ、と言っている。ここも会社なので、編集者の上には当然上司がいる。その人達がいなければ同輩に相談するのが基本だ(余談だが私は後輩だった)。こういう原則一般会社と変わらない。

その『別の編集者』というのは、儚い感じの純文系が得意なタイプだった。一番わかりやすい喩えは……『はちみつクローバー』みたいなやつだ。ああいうのが得意な人だった。

その時は、A先生との話が終わったら行くと告げた。それで、しばらくそのまま話を続けた。

「この作品はい意味で重たいねちょっと考える時間がほしい」

と言って、その日は解散した。A先生は、「お願いします!」と言ってパイプ椅子を立ち、そのまま帰っていった。いつもだったら喫茶店ご飯をおごっている。

A先生は、『いい子』だった。あまり感情は出さないけれど、人間に対する愛を持っている。そういう子だった。私が当時、A先生ご飯を奢って、彼がおいしそうな表情で食べている時、私は幸せだった。A先生幸福だと、自分幸福だと思えた。A先生漫画という手段で自らを表現している時、まるで自分もそれに劣らぬような喜びを得ていた。

ヘンな表現かもしれないが、例えば読者がA先生を褒めている時、自分A先生との区別がなくなっているというか。彼のことが、自分ことみたいに嬉しかった。これは愛なのだろうか。



○ B先生について

持ち込み部屋に行くと、別の編集者と、持ち込みに来た子が対面で座っていた(ちょこんと挨拶をしてくれた)。自分が座る席には作品が置いてあった。綴じられていない原稿用紙がある。ページ数にして30枚ほどだった。もっと多かったかもしれない。記憶あやしい

実際、B先生作品面白かった。コテコテの学園ものかと思いきや、登場人物それぞれに適度な制約があって、キャラクターも立っていた。これまでのキャリアを聞き取ったところ、作品雑誌掲載されたことがあるようだ。アシスタント経験もある。

絵の方は、自分がこういうのも大変失礼だが、上手な方ではなかった。どちらかというと、脚本や設定、キャラ作りが得手のように映った。当人情熱を注いでいる箇所はすぐにわかる。キャラ絵が有名漫画家の影響を受けているとか、キャラクター台詞回しがハリウッド映画風とか、背景や小物を手を抜くことなく全部描いているとか、そんな具合に。

光るものがある作家だった。これを見抜けないようなのはモグリ――そんなレベルで輝いていた。

私は作品を読み終えた後で、「ちょっと待ってね」と自席に戻り、少し残っていた缶コーヒーを飲み干して、思案を重ねつつ持ち込み部屋に戻った(どうするのが最良かわからないケースだった……)。

それで、テーブルではこういうやりとりをした。

私「イイ作品だと思います特にセリフ回しにセンスを感じます掲載ができるとかここでは言えないけど、話は通してみますね」

B「ありがとうございます

私「それで、担当はね……縁なので。あなたがするのがいいのでは?」

編「私よりもほかの人がいいと思いますもっと才能を引き出せる人が……」※小さい声で

私「いや、でも恋愛描いてるよ。エンタメだけどいいんじゃない」(こいつ、作家の前でアホなこと抜かしよって)

編「難しいです」

私「でもこれ、縁だよ」(意識が低すぎる……)

編「ほかの作家さんも抱えてるので。いっぱいいっぱいです」

私「わかりました」(トラブル回避のため後で編集長に説明しとこう)

B「すいません。僕の作品はどうなるんですか?」

私「後日連絡しますね。必ずしまから、それまでは他誌への持ち込みは待っていただけますか」

B「あの、はい。できればですが、早めでお願いします。一週間くらいでなんとかなりますか」

私「なんとかしてみます

作品のものと、作家プロフィールと、付属資料コピーを取らせてもらって、彼には外で缶コーヒーを奢った。ビル入り口まで送ったところまではいい気分だったが、正直、身に余る事態だった。

持ち込み作家の才能がありすぎるのも考えものだ。嬉しい悲鳴というやつ。誰が担当に付くかで今後の雑誌の売り上げに影響がある。重大な意思決定ということになる。

最悪、『進撃の巨人』の時みたいに優れた作家を逃してしま可能性がある。あれも、実際は諌山先生門前払いではなく、週刊少年ジャンプ担当が付くか付かないか微妙ラインだったらしい。それで、誰が担当になるかを押し付けあっている間に諌山先生が他雑誌に持ち込んでしまった、という話が業界団体公的飲み会で囁かれていた。



○ その後~

B先生についてだが、一週間後に担当編集が決まった。「別の編集者」でもなく私でもない。当時、若手のひとりだった20代の子が任されることになった。編集部トップを交えてB先生原稿コピーを読んだのだが、「若い感性が光る。年齢が同じくらいの人と組ませる方がいいのでは?」という結論になった。

その20代の子は、上の組織からこっちに出向してきている子で、いわば武者修行の身だった。一流大学出で、本社プロパー社員。いわゆる総合職である

最初は、私に選択権があった。B先生担当になる道もあった。だが当時の私は多忙であり、月に何度も会社に寝泊まりするレベルだった。新人は抱えるべきではない。しかし、才能のある子だから迷いがある。

A先生のこともあった。彼のあの作品を世に出してやりたい。もっと有名にしてあげたい。そんな想いがあった。

私が悩んでいるうちに、例の20代の子が手を挙げたのだ。私としても、彼のやる気と知性と直向きさは買っている。諸手を上げて賛成した。

今思えば、正しい選択だった。もし私がB先生担当になっていたら、面白い恋愛エンタメを楽しめる読者の数は減っていただろう。これでよかったのだ。

以後のB先生は、例の持込漫画ブラッシュアップを続けた。翌年には、晴れて弊誌に第一話が掲載されることになった。さらに以後は、担当編集とともに二人三脚で躍進を続け、イケイドンドンの勢いを保ったまま、一度も息切れすることなスターダム上り詰めた。今では漫画家として世に知られている。

一方で、私が担当を続けたA先生は地道な努力を続けた。

上で挙げたA先生の意欲作は、読者層に合っていなかった。それでも、高い画力シナリオ構成の上手さがあったのだろう。その意欲作は、連載期間を積み重ねる度にファンの数が増えていった(業界的には、Amazon第一巻のレビュー数が人気の代替変数になることが知られている)。

今では、A先生は親雑誌で連載を勝ち取るまでになった。去年だったか。彼の作品コンビニ立ち読みする機会があったのだが、やはり突き抜けた画力だった。週刊連載であそこまでの画力というのはまずない。



2024年現在、私は東京を離れて田舎暮らしている。地元町役場Uターン就職して、実家農業を手伝いながらスローライフに近い生活を送っている。

実は、編集者だった当時、働きすぎて病気になった。ある日、下腹部の辺りに違和感を覚えて、血の塊のようなものが血管を這っている感覚があった。病院に行くと、「遅くても明日中に入院しなさい」という医者から指導があった。

それなりに重い病気にかかってしまった。一応は死亡リスクもある。数か月ほど入院した後、どうしようかと考えて、考えて、考えて……編集部に復帰後は、労働を最小限にしつつ転職活動スタートした。

A先生については、幸いだった。彼の意欲作とは最終回まで付き合うことができた。私が退院した後、無事完結を迎えることができた。あしたのジョーに比べればハッピーエンドだった。

入院中に、A先生とB先生がお見舞いに来てくれたのを覚えている。ほかの編集仲間も来てくれた。A先生は、テンションが低めで、何を考えているのかわからないこともあるのだが、人間への基本的な愛というか、思いやりがある人だった。

もう40才を過ぎている。はてなユーザーの中では平均的な年齢か。思えば齢を重ねたものだが、当時の日々は今でも夢の中に出てくる。

若いから編集者をやってきた。身体を壊さなければ続けていたのかというと、多分そうだろう。でも、今の生活も悪くないと感じている。自分語りはここまでにして、締めにしよう。

もしあなたが、Webでも紙媒体でもいい。気になる漫画作品を見つけたとする。面白いものを見つけたと感じたら、ひとまず買ってみるのがいい。Webだと1話単位で売っている。

ひとかどの漫画家というのは、自らが産み出すモノを本気で高めにいっている。あなたフィーリングが合ったのなら、ひとまず1巻だけでも読んでみる方がQOL高まると思う。ハズレを引くことはあるだろうが、アタリだってちゃんとある人生は運試しである

読書メーター見ると「良かった」とか「感動した」とか書いてあるんだけど設定把握しただけで2ページで読む気が無くなったんだが

高校中学くらいで読めれば浮気不倫大人世界とか言って憧れながら読めたのだろうか

というか普通浮気不倫の話って大人になってからのほうが面白く読めるんだろうか?

こういうのを創作として面白く読めないという自分感性が残念だな

邦画も大概重病難病を抱えた、あるいは許されぬ恋のヒロインヒーローの恋の話だしそういうのを面白いと感じられないと一般社会が認める「普通の人」の枠には入れないんだろうな

2024-02-08

anond:20240208203554

身内が漫画編集者だけど、作家マジで一般社会で生きていくのは無理な人間だらけだよ。

間違いなくわかった上でそのコメント出してると思う。

漫画編集者も若手は作家並みに社会性がアレな人いるけど流石にそれだと上には上がれず、管理職以上は一定社会性を備えてるように見える。

2024-02-05

anond:20240205131724

返信ありがとう

会話ができない、ただ痛みが苦しみがあるだけ、植物状態など、同意が取れないケースなどいくらでもあります

知的障害認知機能の低下によって自由意志の表明が困難な場合というのは難しい問題だが、たとえば自由意志を表明する能力がない人間には契約をする権利がないわけで、安楽死もそれに準じたものとして考えるほかないと思う。認知機能の低下によって意思表示が困難になった(けれど痛みだけは感じている)場合は、ブコメでも出ていたが、事前の意思表示尊重するというのも考えられてよいかもしれない(もちろん、その意思表示が「最後の瞬間まで治療しろ」であれば絶対安楽死させてはいけない)。

植物状態については、なぜ植物状態の人を安楽死させる必要があるのか? 以外の答えができない。俺の理解が間違っていたら申し訳ないが、植物状態というのは完全に意識がなく、したがって痛みや苦しみを一切感じない状態であるはずで、そうであるなら安楽死必要なんて存在しない。安楽死は避け得ない痛みや苦しみを終わらせるための制度であるべきで、植物状態患者には不要だ。

こういった場合延命治療拒否によって実質的安楽死が行われますが、延命治療拒否安楽死ではないのでしょうか?

人を助けないことと人を殺すことは等価ではない。たとえば、見ず知らずの他人が道で倒れていても(あなたが轢いたのでない限り)救命措置を行う義務はないし救急車を呼ばなくとも罪ではないが、その他人にとどめを刺すことは許されない。

そもそも受刑者を釈放するというのが分かりません。

仮釈放、というのは、受刑中の受刑者を「仮に」刑務所から出して一般社会生活させることを指す。当然、これはあくまで仮の釈放なので、たとえば仮釈放中に万引きをしたら刑務所に再収容される。この場合、たとえば移送先の所外の病院で「やっぱ安楽死は嫌だ」という意思表示がなされたら、仮釈放を取り消して医療刑務所に再収容すればよいのではないか

私はこういった終末のあり方は良くないと思いますし、日取りを決めて家族皆で見送ってあげる方が健全だと思います

どのような終末のありようが健全かというのを、国や社会押し付けるべきとは思えない。大事なのは積極的安楽死能動的に他人生命を奪う行為なのだから実装するとしたら本人の意思表示に基づくべきで、本人の自由意志に基づかない安楽死はただの殺人である、という点だ。ここは譲ることができない。

ついでに元記事ブコメにも反応しておく。

行為同意すらあったなかったでこんだけ揉めてるのに、安楽死同意なんて取り付けるのは無理だろう

行為同意でモメるのは、

からでしょ(恋人夫婦あいだでは、ムード大事にして言葉同意を取らずに身振りでOKを示すことはよくある、と風の噂に聞く)。公証人なり複数医師なりが同席して定められた手順に従って意思表示すりゃいいんだよ。

医者がやるとしてメンタルへの負担すごいだろ。慣れるものでもないし。意思尊重して欲しいか貴方には殺人者になって欲しい、って感覚もよく分からんのよな。

安楽死については応召義務例外とし、個々の医師による安楽死拒否を事前に明示しておいて、安楽死しません派の医師安楽死を拒んでも可(ただし土壇場で拒否するのは禁止)としたうえで、地域の基幹病院かに安楽死を受け入れる医師一定数確保することを義務づける、とかどうだろうか。

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