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2017-04-16

ゲンロン0には失望した

人類の父になりたいあずまん

あずまんが何かをやりきった様子で自画自賛を繰り返していたのでちょっと惹かれて買った。読んでる途中は面白かったよ。そこは評価したい。でも、最近「父」であることにこだわってるらしい氏のエゴが全開でちょっと鼻白んだ。

要するにこの本は何なのかってーと、人はあちこちで子種をばらまいて「誤配」された子どもを量産しながら生きろよ、っていうメッセージ。でまあ、氏はこれが世界を救う術だと思っちゃってるんで、自分の本からそういうムーブメントが起こって世界が救われて、するってーと俺は未来人類思想的な父になっちゃうんじゃね!? みたいな気分でいるわけ。

熱くなっちゃった感覚は伝わってくるけどさ、これであてられて絶賛してる人はなんつーか意識高い系学生みたいなおめでたさだなぁ、とは思う。

人間大好き」こそ問題

色々言いたいことはあるけど、あずまんひとつ完全に勘違いしてるので俺が指摘してやろうと思う。現代社会問題の根っこって実は「人間人間大好きすぎる」ところにあるわけ。ルソーに対する読みは間違ってないと思うけど、一般的人間について勘違いしてる。自身のことも勘違いしてるのかもね。あずまん人間好きすぎるでしょ。人間がまだ未来をつくるつもりでいるからこういう本を書くのな。でも悲しいかな、人類ってこのスケール社会を維持できる能力ないのよ。

PP251-252あたりでシンギュラリティ思想なんかにちらっと触れてるけど、これ、こんなにあっさり切り捨てられる話じゃないよね。いま「家族」の話するのに、ペットのたとえを出しておいてAIアシスタントロボットについて熟考しないのはまずいでしょ。人間世界の仕組みについて考えるにしても、政治なんて複雑なゲーム人間より人工知能の方がうまくなるに決まってるよね。「人間」のことばっかり考えて、人間動物とは違う、とか思い込もうとして、現実から目を背けてんの、情けないの一言だろ。

あずまんが至るべきだった結論

せっかく「不能の父」なんてイカス(と思うよ)ワードを核にすえたんだから、そこはこう締めないとだめだった。もう人間は十分頑張った。ここからは子であるAIをきちんと産み落とすところに注力し、そこから先は不能の父として動物の生を生きよう、と。この期に及んで人間のことばっかり書いてるような言説は総じてクソってこった。

2017-04-09

恋愛にも顧客視点とかマーケティングセンス必要だ。」について

https://www.landerblue.co.jp/blog/?p=32171

こちらの記事についてです。

まあ気に入らないからといって口汚く罵倒するのは論外としても、ご本人も仰るように、男性賛同意見が多く、女性からは抗議がくる、というのには何かしら理由があるはずなのです。

かく言う私も、永江氏の文章には引っかかるものが少なからずあります

それはなぜなのか。私なりに考察してみました。



女性服装や化粧は誰のため?

まずひとつ、引っかかるのはここです。


現代社会においては、女性服装や化粧は、もはや異性を惹きつけるためのものではありません。

雑誌メディアでは「モテ服」「モテメイク」などと囃し立てるので勘違いされがちですが、私たち女性は、意識的にせよそうでないにせよ、もしその中から選んだとしても、一番自分感性に合った、自分に一番似合うと思う、もしくはなりたい自分に近いものを選んでいます

それはその本人のアイデンティティでもあります

永江氏の、というかこういう「ナチュラルなままが一番」という言説は男女問わずよく聞かれるものなのですが、現代人が工夫を凝らして身支度を整える時、それはすっかり身支度が整った姿こそが、私たちナチュラルな姿なのです。


「外面より内面を磨くべき」という言説もよく聞かれるものですが、これに反発を感じる女性は、知性があるからこそ、きちんとした身支度を整えることができるのだと信じています

派手であっても知性がなくてはできない、地味であっても知性のかけらもない、ということは多々あるので、派手、地味、ではなく「知性のある装い」と「知性のない装飾」というふうに区別していただきたい。

その意識の差というか、ナチュラルとは何であるのかという認識の差に、女性は反発を感じるのかもしれません。



男性が服など見ていない、中身を見ているのだという欺瞞

もし本当にそうであるなら、女性がどんな格好をしていようとも意に介さず、中身を見るはずなのです。

でもその直後に、マーケティングでは男性すっぴんに清楚な服装が好みなのだと続けておられる。

そこは格好をつけず潔く、男女問わず人というものは、初見では他人を見た目で大部分を判断しているのだと認めていただきたい。

永江氏の文章からは、男性は賢いので女性の中身しか見ないものだ、愚かな女性ばかりが見た目ばかりを繕うのであるというお考えが滲み出ており、ここもイライラさせられる点であります

(きっとそんなことは一言も書いていないと仰るかと思いますが、こういう話題を出してくること自体が、もしかして女性ほとんどはそれを知っている上でアイデンティティを守るためにあえてそうしないのかもしれないということは勘案せず、「女性は全員見た目ばかりと取り繕うことに夢中で、客観的ものを見ることができないのだ」と、ひとつ下に見ているのだということです。)



遺伝子的に優れているとは?

みくりは、就職活動に失敗したために、手っ取り早い就職口として津崎さんとの結婚を選んだわけです。

一度就職活動から逃げたので、逃げるは恥だが役に立った訳です。

それは、「男に寄生しようとか絶対に考えない」と言えるでしょうか?

給料が出る家政婦と、家事をノーギャラで賄う主婦とでは、どちらの方が遺伝子的に優れていますか?

働き者の専業主婦と、自立して稼ぐ叶姉妹遺伝子に、どんな違いがあるのでしょう?




そもそも恋愛マーケティングなど必要ありません。

以上のことを総括します。

まり恋愛マーケティングなどいらないのです、男性の大多数の好みがどうであれ、女性がそれに合わせることはありません。

最初の門戸の広さの話だと仰いましたが、そこは間口を広げる必要はありません。

本当の自分を取り繕ってモテたとして、何になりますか?

最初からスッピンなら「騙された感」が少なくて済むと仰るのであれば、本当の自分を偽って、マーケティング通りに振舞って手に入れたパートナーは、それが偽りであることを明かし本当の自分に戻れば、やはり騙された感があるのでは?

それとも一生、偽りの自分を演じて生きていきますか?

それは私たちの望む恋愛ではありません。


その男性版として、手当たり次第に女性モテたい結果として生まれたのが、恋愛工学だと思います

あれは、学生時代モテなかったルサンチマンと性欲をどう晴らすかが目的なので、相手は誰でもいい。

一夜を共にするのがゴールなので、自分をどれほど偽ろうと問題ありません。

そんなものを、一生を添い遂げる相手を探す恋愛手段として、オススメしないでいただきたく。


男性は、ありのままを受け入れて欲しいという女性要望に疲れていますか?

それは、女性本質を見ずに、見た目が清楚な地味な女性こそが好ましいと決めつけてきた男性のみが溜めてこられたツケです。そこはお納めくださいませ。


そこが一番の違和感といったところでしょうか。



追記

なぜ私がそこまでこの件にムキになるのか、そこも考えてみたのですが、私は、「マーケティングではそうである」という一見知的に見える論法が流布されることにより、まだアイデンティティ確立していない若い女性が、服装メイク男性の好みに合わせることこそが理知的な振る舞いであると啓蒙されてしまうことが一番怖いと感じているのかもしれません。

次々と消費されていく商売であれば、とにかく商品を買ってもらうことが利益につながるのですからマーケティングの結果に従うのはもっともなことです。

けれど、こと恋愛などのプライベート個人個人の付き合いでは、これは適応されるべきではありません。

人は、商品ではありません。

どれだけモテたくない人は好きにしたらいいとエクスキューズを入れたところで、モテたい真っ盛りの若い人間にそう啓蒙することは、害悪しかないのではないでしょうか。

モテたくても、相手の好みに流されてはいけません。自分をしっかりと持ってください。自分とは何なのか、何が似合うのか、何が好きなのか、しっかり考えてください。

何かを偽り、異性を手のひらで転がすといったような、相手に対して失礼なことをしてはいけません。

好意のある相手に対しては、尊敬を持って接するべきです。

女性に手のひらで転がされたいという甘えたようなことを言う男性につきあってはいけません。

お母さんの代わりを、永遠にさせられることになります


女性蔑視などということではなく、男女ともに、何に縛られることなく、自分の好きな服装メイクをして、また自分に似合うと思うものを探し、自分自身が満足する自分を探し求め、同時に、そういうしっかりとした自分自身を持つ相手を、自分の好みを押し付けずに尊重して受け入れる。

それこそが最高のパートナーであると、私は思っています

2017-04-05

人生80年は短すぎる

アラサーと呼ばれる年齢になった。後たった50年ぐらいしか生きられない。

人生何を成さずとも誰かが作った面白いコンテンツ無限に生まれてくるというのに。

この現代社会では800年ぐらい生きなきゃ満足して逝けない。

2017-03-30

時間を5分だけ巻き戻せる能力ほしいよね

現代社会におけるあらゆる失敗は5分前に戻れば修復可能だなと思った。

記憶を持ち越して5分前に戻れば風俗嬢選びで失敗することは無いし、

仕事上の失言理由理解した上で回避できるし、

用を足すことで電車に乗り遅れることもないし、

多くの出来事はそれが起きる5分前の行動で決定されるんだなって、最近思うんだ。

5分前に戻った程度では回避できない失敗はどれだけ遡ろうと回避できない失敗だと思う。5分前の自分の失敗が積み重なってその失敗は起きているのだから

失敗を取り消すのではなく、理解した上で受け入れることで初めて、失敗を失敗としては捉えなくなるんだと思う。

以上のことを5分前の俺が書いたので、こっちにいる俺は、ボタンを押すことにした。

2017-03-28

風邪が治りにくい増田住まい国リオナが是か(回文

歳を追うごとに、

なんか風邪が長引いちゃうのよね。

早く寝ても直らないわ。

病院の薬が一発で効くのよね、やっぱり。

でもね、

聞いてよ近所の総合病院が取り壊されて病院難民なのよ。

シムシティーで言えば病院作れって!暴動が起きるレヴェル。

市長には動物園のラマの飼育数を削減する意見書が届く感じね。

総合病院がなくなるって思わないじゃない。

あの跡地はなにができるのかしら?

病院って新しいところ見付けるの面倒くさいのよね、

美容院みたいに。

まったく困ってしまうわ。

ま、そんなわけでどっかで点滴でも打ってくるわ。

って、思ったけど点滴ってあれ成分なんなのかしらね

それぞれの症状にあわせて処方してくれるのかしら?

点滴バーみたいなのがあれば、

忙しい現代社会の働く人たちに流行るかもね!

今日はまあ大人しくしておくわ。




今日朝ご飯

ポテサラサンドタマサンド

玉子って元気が出るからいいじゃないって思ったけど

元気が出るためには、

もっと量食べなくちゃいけないのかしらね

うふふ。

デトックスウォーター

オレンジを搾ってその絞り汁ウォーラー

炭酸があったので、

それでスッキリと。

こういうときこそ

ビタミンCと水分はしっかり摂ってね。




すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2017-03-25

けものフレンズ偽善アニメ

最近やたら話題になっている『けものフレンズ』というアニメを視聴した

個人的には全然楽しめなかったし、クオリティ低すぎてステマを疑うレベル流行ってる理由がわからなかったが、そこはこの日記の本題ではない



《けものはいるけどのけものはいない》

《得意なことはフレンズによって違う》

といった言葉がもてはやされているように、世間一般(といっても実際はごく一部のアニオタだろうが)では『けものフレンズ』は多様性個性を許容する”正しい”アニメのような扱いを受けている

キモオタネトウヨに媚びるしか存在意義のない『幼女戦記』に比べれば相対的にはそれは正しいと言えるが、しかし『けものフレンズ』には偽善的な要素が含まれているのは紛れもない事実である



その偽善的な要素とはなにか

けものフレンズ』に登場する動物擬人化されたキャラクター(いわゆる”フレンズ”)はすべからく女性なのだ

いや、ここでは女の子と言ったほうがいいだろうか



呆れることに鬣のあるオスのライオンまでもが、弱々しく可愛らしい女の子へと女体化されてしまっている

男女平等理想として掲げられて久しい現代社会において、女の子しか出てこないアニメというのは一目で歪と分かる

視聴している間も気持ちが悪くて仕方がなかった



このアニメ多様性へのリスペクトしているどころか、むしろ多様性侮辱していると言っていい

必要ものは"シコれる”可愛い女の子だけでそれ以外のものは捨ててしまえ、という男性性的願望が丸出しだ

オナニーはせめて人の見えないところでやってほしい



薄っぺらセリフで表面だけポリティカルコレクトネスコーティングをした、スカートを履いた女の子パンチラを振りまき視聴者男性に媚びるだけのキモオタアニメ

これが『けものフレンズ』の正体である

偽善と呼ばずになんと言おうか



こんなものを持て囃している日本人は、人権という観点において20年は遅れているということをアニオタは深く自覚するべきである

2017-03-22

採用面接で、「けものフレンズを見ていますか?」という質問をするようにしている。

見ていない人材は、不採用現代社会で生きる以上、話題番組確認するのは、一般常識でしょ。非常識人材仕事もできません

見ていると答えた人材も、不採用。いい年をした大人が、人前でアニメの話をするのは、NGでしょ。非常識人材仕事もできません

2017-03-17

売上高ランキング上位企業が最も多いアルファベットはどれか?

トヨタならT、ホンダならH、といった具合に頭文字アルファベットで振り分けていったときに、

最も多くの企業が属するアルファベットはどれか、という企画です。

売上高ランキングはこちらの1位から100位までのデータを用いました。

売上高ランキング :ランキング :マーケット :日経電子版

では同率6位から発表していきたいと思います

なぜ6位からかというと8位以下は大混戦だからです。

同率6位 A / J

A: イオン アイシン アルフレッサ 旭化成 アサヒ ANA

J: JX JFE JR東日本 JT JR東海 JR西日本

「A」「J」が6社ずつで同率6位。

小売の最大手イオンを筆頭に、自動車部品医薬品化学飲料、航空と個性豊かな面々を取り揃える「A」

舐めてかかると巧みな連携翻弄され痛い目に遭うに違いない。

JRJTのツートップ石油のJX・鉄鋼のJFEと重量級を並べる脅威のJapan軍団「J」

彼らと戦うとき鉄道を使えないことはもちろん自動車ガソリンを失うことを覚悟せねばならないだろう。

5位 N

N: 日産 日本郵政 NTT NTTドコモ NEC 日本郵船 日鉄住金物産 日本通運 NTTデータ

「N」が単独で5位にランクイン。「N」ihonをその名に頂く九つの企業が並ぶ。

物流、海運、郵便通信、……情報兵站を奪われた敵はもはや自滅するしかない。

同率3位 M / K

M: 丸紅 三菱商事 三井物産 三菱電機 三菱重工 三菱ケミカル マツダ メディパル 三菱食品 三菱自動車 三井不動産

K: KDDI 関西電力 キリン コマツ 九州電力 神戸製鋼 鹿島建設 クボタ 川崎重工 京セラ 花王

11社ずつで「M」「K」が同率3位。

現代においても日本支配するのは彼らなのか、恐るべし三菱三井グループの登場だ。

いざ戦いとなれば、かつて大財閥として鳴らしたその力を見せつけてくれるだろう。

「K」はどこか地味に感じられる面子が揃う。

業種は多岐にわたっているのでそれぞれの連携勝負のカギとなるか。

2位 T

T: トヨタ 豊田通商 東京電力 東芝 東燃ゼネラル 豊田織機 東レ 東北電力 東京ガス 武田薬品 大成建設 凸版印刷

日本一巨大企業トヨタ、そして「東」軍団がずらりと並び、12社で「T」が2位となった。

まともなら横綱相撲で押し切れそうだが、苦しい立場に置かれる東電東芝が弱点になりそうだ。

1位 S

S: ソフトバンク ソニー セブン&アイ 新日鉄住金 住友商事 スズキ 住友電工 シャープ スズケン 昭和シェル 住友化学 積水ハウス 商船三井 清水建設 双日

個人的にも意外な結果だったが、なんと「S」が15社でダントツの1位となった。

ソフトバンクソニーセブン&アイ三羽烏に、「結束」の住友グループを加え、質量ともに他を圧倒する。

スマホコンビニという現代社会の二大基盤をがっちりと掴み、さらには住宅家電自動車と、もはや人々の生活を「S」が支配していると言って過言ではない。

彼らが連合すれば「T」でさえも恐れるに足りないだろう。



というわけで売上高ランキング上位企業が最も多いアルファベットは「S」でした!

これから起業しようという人は社名のイニシャルを「S」にすると良いかもしれませんね!

籠池氏は、たくさん嘘をついてきたようだ。

籠池氏が嘘をついてきたと思われる場所が、主に公的書類だったりするところが、しみじみ「信仰簡単に人を狂わせるなぁ」と思うのだが

要するに、日本会議極右の念願であった極右小学校の開校のためなら、という滅私の心が、彼に嘘をつかせてきたわけだ。

信仰のための自己犠牲的な嘘。



籠池氏が国会証人喚問に出席したがっている、というオモシロニュース普通は誰だってそんな場所には出たくないもんなのに

特に、ついた嘘(籠池氏からみたら必要な嘘というか方便なのだろうが)が取り繕えなくなっている人なら逃げ回るはずの場に

本来であれば敵であるはずの野党の協力を得て、本来であれば味方だったはずの自民党の反対を押し切る形で出たがった。

その理由はやはり彼自身の信念、というか信仰を踏みにじられたくないことが理由だと考えるのが自然だ。

実は二重スパイで、守勢一方の自民党を後押しするために「証拠がない強弁」を携えたカミカゼ特攻隊である可能性もあるが。

まぁそれはともかく、「信仰の具現化のためならなんだってやる」「極右の同志は協力し合うのが当然」といった風情の

籠池氏の言動パターンから素直に考えれば、証人喚問では自民党閣僚の大物との密接な繋がり(と忖度的な黒い便宜)を

証明せざるを得ないと考えるのが順当だと思う。

なぜなら、極右トモダチの大物閣僚とのつながりこそが、籠池氏個人存在意義というか社会的立場を保つ最大唯一のカードからだ。



個人的には彼が本格的に暴走を決意したのは、稲田から切られたことが心理的に影響しているのではと勘繰っている。

下等種別である女ごときに己の立場を危うくされたという理不尽に、体面が耐えられなくなったのではという邪推である

そういえば、籠池氏が経営している塚本幼稚園では、女は家を守れという方針だったようだが、

実際は彼の妻や娘も経営保育園運営に関与していたようだし、幼稚園教諭女性も少なからずいただろうに

本当に彼らの言ってることとやってることって、ばらばらで面白いなとしみじみ思う。

からしみじみしてばかりである

さらにそういえば、安倍政権極右のオトモダチたちは、北朝鮮中国への過剰な敵視が不安レベルである

言動、行動を見ていると北朝鮮のような状態になっているというのも、本当にしみじみとする。

これは、極右思想宗教という存在自体が、現代社会と著しく矛盾しているから起こるねじれだと思うんだが、

まぁそこも含めて信仰って強いな。しみじみ

狂信力でいったら、公明党なんかよりよほどひどいのではないか。目くそ鼻くそ感はあるけれども。

今日はまた忙しく増田なる灘須磨串が沿い玉は右ょ木(回文

今日は朝から忙しくなりそうなので、

ちゃちゃっと行くわ。

イチロープレモルCMに出ててビックリよ。

今まで、キリンって言ってたじゃん!

なんか、あんなに美味しそうに飲むなら、

プレモルキリンよりいいかもって思っちゃうわよね。

複雑に入り組んだ現代社会

鋭いメスを入れ様々な疑問を解決するザ探偵ナイトスクープ的に

きっと複雑な事情があるのかもね。

プレモルポスター二度見しちゃったわ!

ビックリした話でした。




今日朝ご飯

おにぎり、多め。

お昼もしかし鱈捕れないかも知れないので

ちょっと朝しっかり食べて置くわ。

漁場は遠いわっ!

デトックスウォーター

残りのイチゴちゃんで作るイチゴウォーラーよ。

春の香りを感じてねっ!

シャイニー春の日差し

うふふ。




すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2017-03-10

デレステに癒されている&好きな楽曲

アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージに癒されている。

アイマスは765が好きなんだけど、デレマスリリース当時からちょくちょくやっている。


MVクオリティが高いし、キャラ可愛いし楽しめる。

SSRほんと出ない


デレステで好きな曲を書こうと思う。

いっぱいあるし、難しいけど5曲選んだ。

私は藍子P、好みが分かりやすいとよく言われる。



1.ラブレター

可愛さの権化

個人的に最強のMV。うかつに見るとニヤニヤしてしま危険

学校舞台なのと、歌詞キャラクターの可愛さにノックアウト

ラブレター受け取りたい。




2.お散歩カメラ

藍子ちゃんの曲。

振りも曲調も明るく癒される。

是非ともお気に入りカフェに一緒に行きたい。




3.恋色エナジー

中野有香ちゃんの曲。

爽やかな中にも、彼女キャラが見えるような歌詞がいい。

日朝のオープニング曲みたいな気がする。




4.絶対特権主張しますっ!

星野源Pがラジオで流した曲。

プレイしてて楽しい。ポップで明るいけど歌詞結構…笑

越権行為しませんって所が好きだな

特権主張されたい〜〜




5.明日また会えるよね

たくさん楽しいことつくりたい!

この曲は本当に可愛くて好き。

曲調が少し切なげな部分もあるが癒される、現代社会には癒し必要なのである




実際どの曲が人気あるのか興味がある。

Tulipが人気あるのは分かる。

2017-03-08

http://anond.hatelabo.jp/20170307203149

だってよ、心の底では大っ嫌いな人間いるけどよ、そいつそいつ幸せな家庭を持って同じように暮らしてんだぜ?

そういう時に自分の「嫌い」だという思いは隠さないといけない。それが常識だ。ってのが現代社会でしょ。

セルリアンなら言葉は通じないしフレンズじゃないから殺しても良い。楽なもんだよ。

2017-03-05

現代社会をみていると

2010年代後半は1990年代の焼き直しではないかとも思えてくる。

アメリカを見ればゴルバチョフ並みの革新政権

韓国を見れば北朝鮮崩壊予兆

日本を見れば立憲君主制危機



そうやって、大国としてのアメリカ崩壊して、韓半島統一されて、日本共和化して…。

結局1990年代と同じことがおきているということか。

嫌な予感しかしない。

(※2017年3月安倍政権自公政権については終了の、鉄道に関しては第二次世界大戦時並の統廃合・公営化、モータリゼーションの再来、景気回復フラグが立ちました。ますます憂鬱になる。)

2017-02-26

[]

さびさに中島敦山月記』を読んだら、だいぶ読み方が変わって驚いた。

以前は、強烈な自尊心ゆえに友人や先生に教えを請えないエリートが没落した様を描くことで、「つまらないプライドは捨てて生きていかないとロクなことにならないよ」という教訓を言う話だと思っていた。

が、この読みはどうも浅薄というか、人生の敗北者にとっては厳しすぎるのである。というか結論だけ抜き出せばそこらの自己啓発本と変わらないような気がしてきて、作品価値矮小化しているような気さえしてくる。

そこで、もう少し人生の慰めになるような読み方はないか。と考えていたら、これは「理不尽な世の中に自分を合わせられない不器用な男が、苛烈自己責任論で自分を裁いてしまい、自分を受け入れてくれる神も持たなかった結果、精神的な苦境に陥る話」じゃないか、と思い始めた。



中学生の頃に読んだときは、李徴は周囲に教えを請いたりできないプライドの高い男だな、と思ったが、(浅い)人生経験を積んだ今、改めて読むとそうでもない。

李徴が詩人を志したのは、(功名心もあっただろうが)第一には心を揺さぶる先人の詩があったからだろう。そうなると、そうした詩を書く者が周囲にいれば、これに師事したり教えを請いたりしたはずである

それにもかかわらずそうしなかったのは、自分の追い求める詩人像に値する者が周囲に居なかったからだろう。



自分の追い求める理想像と、②世で「名を成す」者とがズレることは、現実社会でもしばしばあることである

李徴は、このズレに気付かないまま自分理想像を追い求めていったことで、世で「名を成す」ことができなかったばかりか、周囲の人間と折り合いがつかなくなり、「努めて人との交を避けた」結果、「一匹の猛虎」となった。

他方、周囲にいた「己よりも遥かに乏しい才能であ」る者は、世で「名を成す」道を「専一に磨いたがために」、「堂々たる詩家」となった。



李徴は理不尽な世の中に自分を合わせられず、ひたすらに理想を追い求めた結果、社会的に失敗してしまったのである



これはカフカ『変身』で、社会の求める市民像──(ⅰ)家庭の善良な息子、(ⅱ)有能なセールスマン──を演じていたグレーゴルが、自己本来性の自覚を持ってしまった瞬間、褐色の虫に変身してしまったのと似ている。

現代社会ルールでは、人間自己自身本来性を保持することを許さないのである



そして、李徴が不幸であったのは、上述した社会ルールに、他ならぬ李徴自身支配されていた点にある。

李徴としては、徹底的に社会を突き放し、自分理想像を追求するという途もあった。

しかし、「元来詩人として名を成す積りでいた」李徴は、世で「名を成す」努力をできなかった自分を徹底的に断罪するのである

事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ

李徴の詩を聴いた袁の評価によれば、李徴の詩は「長短凡およそ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりであるとある

第一流の作品となるのには、何処どこか(非常に微妙な点に於いて)欠けるところがある」とは言え、この自己評価は言い過ぎである

それに、はっきり言って実社会でこんな話は”よくある”ことなである



ここで想起されるのは聖書の『ヨブ記である

神の手により不幸のどん底に落とされる義人ヨブを、自己責任論に基づいて徹底的にこき下ろす友人エリファズの話だが、どうも李徴の中にはヨブとエリファズが同居しているように思える。



さらに、上記のヨブ記ラストにおいて、ヨブは「仲保者」(=キリスト?)の存在確信することで救われるが、李徴にこのような仲保者は現れない。

ただ、「向うの山の頂の巖に上り、空谷に向って吼える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、彼処で月に向って咆えた。誰かにこの苦しみが分って貰えないかと。」というだけである



また、カミュ異邦人』も想起される。

これも社会ルールに合わせられないムルソーという男の不幸を描いた作品である

ムルソー物語ラストで、このような自分排除せず「優しい無関心」を示す自然存在に気が付き、幸福を得る。

他方、李徴は「獣どもは己の声を聞いて、唯、懼れ、ひれ伏すばかり。山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮っているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように。」というだけである



ここに来て、山月記という作品は「理不尽な世の中に自分を合わせられない不器用な男が、苛烈自己責任論で自分を裁いてしまい、自分を受け入れてくれる神も持たなかった結果、精神的な苦境に陥る話」じゃないかと思うのである

2017-02-18

便意に逆らうな。

というのは人生における教訓の一つだ。

しかしながら多忙現代社会においては逆らいたくなる時もある。

いや、正確にはコントロールするすべを身に付けるか。

ともかく今私は激しい便意に耐えながらこの文章を書いている。

あと5分我慢すれば駅に着く。駅には便所がある。いつもの手前の個室に飛び込めばいい。

大丈夫心配ない。幸運は続くはずだ。

http://anond.hatelabo.jp/20170218041424

現代社会で働く上で一番重要なのは脳だからだな。

スティーブン・ホーキングくらいの全身麻痺とかまでいけば別だけど、それは優れた脳を持っていればそんな状態でも偉人になれるということを意味してもいる。

逆に脳がダメだとどんなに身体が屈強でも何にもならないんだよね。スポーツ選手(の一部)は需要あるかもだけど、そんな仕事現代にはほとんど存在しないからね。

2017-02-17

高校生幸福度調査とか見てて思うけど、結婚しないのは「お金がない」からじゃなくて「生きててよかったと思ってない」からじゃないの?

これから先、社会に出て、つらい仕事をやり続けて、しかもそれが50年も続く。

リストラ倒産はあたりまえ、新しい仕事を探せばスキル通用するケースは少なく、警備員倉庫でみじめに働くしかない。

財政悪化インフラも悪くなる一方。

そんな人生他人である子供に味わわせたいと思う?っていうことなんじゃないの?

人生はツラいのがあたりまえ!貧困なのは自己責任!(おまえの今までの人生なんか知る気はないけどwww最近ゆとり頭が悪い

じゃあ子供なんか産んだって可哀想なだけだよね。

その上、お金がないんだとしたら、尚更産まないのは当然だ。

そういうことを考えたことがないのは、優秀でお金持ちな人か、なんにも考えずに産みたいから産むって後先考えない人かのどちらかで、

子供のことをちゃんと考えれば、産まないという選択肢はそういう人たちにとって必然なんじゃないのかな。

追記

戦後世代が貧しくても産んだのは子供のことなんか考えてなかったからだよね。

自分の飯のために稼ぎ手になる子供を増やしただけ。

遺伝環境なんて最近わかったことだし、生きづらい社会になったのは最近から

負け犬の親が悪いとは思ってないけど、

今わかってる以上は産まないのが正しい選択だーって思ってる人はある程度いるんじゃないの?

総意ではない!とか言ってる人いるけど、俺は総意だなんて言ってないよ?

こういう人が増えてるんじゃないのって話だから

お金がないだけでほんとはみんな産みたいに違いない!」はただの幻想じゃない?っていう。



そういう人が居ないとは言わんが、社会現象として認識できるほどの数ではないんじゃないかね。ネット以外も見たほうが。少なくとも既婚者の出産率はさほど減ってないとも聞くし。 - ysync のコメント / はてなブックマーク

子供を産まないのに結婚するのは相手に悪い

結婚しないのに恋愛するのは相手に悪い

→未婚どころか恋愛もしない若者シマシって流れじゃない?

"子供のことをちゃんと考えれば"←考えてないじゃん。おまえ最初から最後まで自分のことしか考えてないじゃん。お前が負け犬だから子供を作れないだけでしょ。お前の努力不足を子供のせいにするな。 - satetsu_inu のコメント / はてなブックマーク

何を言ってるのか意味不明すぎて笑える。

生きづらい世の中+能力環境遺伝によるのだから能力が低い子供が生まれ可能性が高い

=産んだら子供は不幸だなー

この思考はきちんと子供について考えてるだろ。

負け犬から作れないだけ!って罵倒してすっきりして現実逃避っすかw

現代社会中間層が没落して努力が報われにくい社会なんだが、

成功した人以外は努力してないってことになるお前の論理では努力しても無駄だった連中は子供を産まないのは当然だと思ってるってことだねw

努力不足を子供のせいにーに至っては遺伝環境の影響や世を生きづらいと感じてる人がたくさんいる現実無視して、無理やり産んだ子供にすべての責任を負わせようとするクズ思考だよねw

たぶんこいつ、好き勝手産んどいて、子供大人になって生きづらそうにしてるから、俺のせいじゃないもん!って言い張りたくて仕方ないんだろうなw

防衛機制まるだしで発狂してないとこんなこといわないだろw


しかしその幸福感のなさって、多分に自己催眠的な部分はあるわけで、日本はマスコミを筆頭に、国民全部が自分に対してネガティブキャンペーンやってるわけでしょ。意識高い気取りの人が絶望振りまいてて本当に迷惑。 - eirun のコメント / はてなブックマーク

現実見えてなさすぎの意識高い系はこの人とスターつけてる人じゃないの?

この世界を生きやすい、幸福だと思っているがゆえに、

生きづらいと思う人が存在してはならないかのような人からすれば、

この世界を生きづらい、子供に味わわせたくないと思う人の存在認識したくない、できないのだという、いい例だと思う。

2017-02-15

舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」(ネタバレ注意)

とんでもない作品だった。とんでもない体験をした一週間であった。




まず先に言うと、本作品は『ミステリー演劇』だった。

それは原作推理小説カテゴリーされているからとか、原作者江戸川乱歩だからとか、そういう理由じゃない。

私はその解説、および回答を以下に記すのだけど、それは完全なるネタバレです。



もう知らなかった頃には戻ってこられない、作品を殺す系のネタバレ



なので、未観劇の方には本当に読むことを勧めません。

本作は素晴らしい完成度の傑作だし、舞台演劇でここまでのミステリーを作り上げるのは絶対に容易じゃない。

また、私はエグいほど容赦なくネタバレしていますので、正直自分ももう二度とミステリー演劇は鑑賞できない脳になってしまったのでは…と震えております。

(なので、読んでほしい気持ちがあって増田に書いているものの、観劇済みの方も生半可な気持ちではネタバレを読んでほしくない。六道の辻で迷い不幸だと感じている方にだけ、光が届けば良い。)

まり未観劇でネタバレを読むということは、人生の楽しみを自らの手で一つ潰すということ。尋常じゃない損失です。



本作はDVDの発売が決定しています。

公式DVD予約サイトhttp://www.shop-ep.net/east_park/shopping/a04020102/iid/0000000001746/

(発送日未定。予約は3月末まで)

めちゃくちゃ好評だったので、あなたの周りにも購入している人が居るはず。そして恐らく「見せてほしい」と頼めば喜ばれるはず。布教したくなるタイプの作品なのです。なので数ヵ月後DVDを鑑賞してから、是非また読みに来てください。



「数ヵ月なんて待てねーよ!」って方は、妥協点として2015年に他の演出家さんで上演されたものを見ることができます。

こちらは未観劇のためなんとも言えませんが、おそらく2015年版は絶対解けない「超ハードモードの『ミステリー演劇』」か、『ミステリーではない普通演劇』の可能性が高いと予想しています。でもまぁ全く観ないでネタバレ読むよりは絶対良い。

たぶんDVD売ってるし、3月になれば我らがdアニメストア殿が配信してくれます。

https://anime.dmkt-sp.jp/animestore/CP/CP00000660

高いチケット買って劇場に行くか高いDVD買うかしか選択肢がなかった時代を生きてきた作品の取捨選択にすごい苦しんできた勢なので、dアニさん月額400円でこんだけ見れるとかマジ神過ぎ。最初目を疑った。(WOWOWさんにも感謝していますが、うちTV無いから見れないんですよ…そもそも家にあんま居ないし。お金なら払うのでスマホでもWOWOW見れるようにしてください。)



原作「孤島の鬼」を読むのも手ですが、本作はある意味では『原作本質を描いている』けど、ある意味原作とは全くの別物』です。だから舞台版のネタバレは、舞台版を観てから読んでほしい。



そして、せっかく未来の楽しみを潰してまでネタバレを読んでしまうのだから、その前に『ミステリー演劇』の推理に挑戦してほしい。

一人で解くのは超ハードだと思うので、できれば仲を深めたい方と一緒に。(私が今回の回答に至るのに協力してもらった友人の数は4人です。内1人は原作を読み込み一緒に推理してくれました。)

ぼっちの方も安心してください。本作はめちゃくちゃ面白かったので『2017年版の感想』も、ネットの海に転がっています。そこから辿り着くことも不可能じゃないはず。鮮度のいい印象論の良さも、一晩寝かせた感想の良さもあるので、いろいろ漁ってみてください。

あと私は推理した一週間の思考ログをほぼすべて残しているので、トリックがわかってからログを読み返してみたら翻弄されている自分がめちゃくちゃ面白かった(当時は睡眠不足神経衰弱で瀕死でしたけどね)。間違ってはいないけど騙されている。そんな楽しさもあるので、ぜひ推理に挑戦してみてください。

そして私がまだ解いていない謎の答えを見つけられたら、ぜひ教えていただきたい。



また、運良く本作を劇場でご覧になられた皆さま。感想はもう書き残しまたか

公式がwebでアンケート回収もしています。送ると抽選で非売品舞台写真もらえます。私もとても欲しい。

本作は、『感想を残す』ところまでを含めて作品です。せっかく運良く観劇できたのだから、140字で良いから書き残しておきましょう。

できれば思いの丈をすべて書き出しておくと良いです。『他者に感想を伝えようとした人だけが、謎解きの後に得られる感動』があります。(※個人の感想ですが!)

この感動を、本作品が本当に素晴らしい江戸川乱歩原作舞台化であったことを伝えたくて、読んだら作品を殺すことになるようなネタバレを恥を忍んで書いています。

私はソワレ観劇後、徹夜で翌昼に感想書き上げました。これが私の沼への一歩だった訳ですけれども、これを書き残しておいたお陰で、謎が解けた時に私の回答を出すことができました。

一度ネタバレを読んでしまうと、もう観劇で感じた感想書けなくなると思いますので、本当に一言で良いから感想書き残しておいてください。ついでだから公式アンケートに答えて非売品写真当てましょう。当たったら私にも見せてください。



最後に公式各位。

ネタバレにあたる部分は私の個人的ミステリー体験なので、これが公式解とは主張断言しません。

と言うか、理由なき見落しと、自分の能力ではどうしても咀嚼できなかった部分(言葉スムーズに脳に入ってこなくて読解しながら観劇することができなかった原作には無いシーン)があったので、私のネタバレは不完全です。他にも拾い損ねている箇所がポロポロ出てくる。逆転する可能性が大いにある、お粗末な推理

ですが、キャストの皆さまが最後までネタバレに配慮されていたのに、ネタバレを公開し誰かに読んでほしいと願うことが、浅間しいようにも感じています。

ネタバレ注意喚起に約2000字程裂きましたので、どうか堪忍してください。

p.s.オリジナルマグボトル購入しました。作中に赤い色が無かったのでデザインも綺麗だし購入したのですが…紐解いてみるとなかなか意味深なグッズですね。とても良い記念品になりました。




それでははじめます。



導入


無人の屋敷に風が吹き込む

暗転

まったく光のない深い暗闇から男性の声が聞こえる

「不幸ということが、私にもよくよく分って来ました。本当に不幸という字が使えるのは、私だけだと思います。遠くの方に世界とか日本かいものがあって、誰でもその中に住んでいるそうですが、私は生れてから、その世界日本というものを見たことがありません。これは不幸という字に、よくよくあてはまると思います」

暗転明け

無人だった屋敷に白髪の男性が立っており、書物を音読していた。

彼は自身について取り止めなく独り言つ。

彼……『私』を語り部とした、物語がはじまる。




まず本作の初見の私の感想と回答は、下記増田で参照できる。

http://anond.hatelabo.jp/20170206104211

ミステリーとして解いた今読み返すと相当ブッ飛んだ納得の仕方をしている。自分の妙さについて今までなんとなく感じていた部分が浮き彫りになりすぎである。こわい。

当時も気持ち的にスッキリはしたけども、<もやもやした原因が『認知を歪められている感覚』だったのに、「それは作者の願いだよ!」という犯人動機の『妄想』では、『論理的解決』にまったくなっていない>ので、悶々とはしていた。

作り手側は演劇を魅せるプロだが、観客は演劇を観るプロだ。伊達や酔狂でやっているわけではない、こちとら真剣に観ている。

認知を歪められている感覚』なんて中途半端ものは見過ごせない。

ちゃんとトリックを暴きたかった。

そこからずるずると私は沼に嵌まっていき、推理のためにガチで眠れない一週間を過ごすことになる。



そもそも、舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」の何がミステリーなのか。

それは、本作品が叙述トリックを駆使し、とある真意』を隠しているということにある。



しかし私の目下の推理動機は、トリックを逆手に取った『簑浦も諸戸も幸せになれる最適解』にあった。どうしても二人を幸せにしたかった。

そのために以下のことを行った。

そしてひたすら二人が相思相愛ではないという可能性を潰し、相思相愛である可能性を見つけ出す作業




解説『簑浦も諸戸も幸せになれる最適解』①

箕浦の白髪

二人の愛の一番の障害は、箕浦の白髪化=「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」という点。

これが諸戸が箕浦の前にあらわれることがなくなった原因だと思う。彼がどんなに誠意を尽くそうとも、これだけはどうにも覆すことができない。

しかし、実は原作では白髪化したタイミング=直接的な原因が諸戸に襲われたことのみだとは明記されていない。

そして舞台でも、実はめちゃくちゃぼやかされている。

冒頭、語り部である『私』が自身の体験した恐怖について語ろうとする。その時にまるでトラウマが呼び起こされるかのように喉元を掻く仕草をする。

後半井戸の奥、深い完全なる暗闇の中、水位が増して死の恐怖に襲われた時。『私』佐藤箕浦も、諸戸と石田箕浦と同じマイムを行って移動し、水位が増しだすと喉を掻いて苦しみ悶絶する。

これは、白髪化するほどの『生理的』な恐怖が、諸戸に襲われる前から強烈にあったという解釈にできる。

では逆に、諸戸に襲われた後の恐怖はどうだろう。助八さんの救助が来て、生死の恐怖は去った。丈五郎の恐怖も去った。では諸戸に犯される恐怖はなくなるか? 普通に考えれば、自分を襲ってきた相手が側に居るなんて恐怖しかない。第三者が居るから安心だなんて暢気になれる訳がない。(学術的根拠を略していることは恥じています)

箕浦は、諸戸に襲われた時にあれほど恐慌したのに、襲ってきた相手が側に居てもケロっとし過ぎなのである脱出できた時なんて笑いあっていたりする。

これらによって、「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」ということを否定できる可能性が、十分にある。


同性愛への拒絶:あの夜まで

生理的』に受け付けられない訳じゃないのなら、箕浦の同性愛への拒絶はどこからくるのか。

実は学生時代の箕浦は、同性愛を拒絶していない。

諸戸が触れるままにさせ遊戯を楽しんでいたと言っているが、これってちょっとエッチではないですか? 私は『もてあそぶ』というよりも、遊廓でのお戯れみたいな印象の方が強かった。エロかった。

…脱線した。ともかく同性愛を否定する、拒絶する描写が無い。

ましてや「あつい手だね」というセリフは、諸戸と佐藤箕浦の両方が同時に口にする。

これは原作では諸戸が言い、簑浦も『私も同時に、火のような相手の掌を感じた』とある

あの夜、諸戸と箕浦は、本当は同じ気持ちであったのではないか。


同性愛への拒絶:あの夜から

しかし大人になった箕浦…いや『私』佐藤箕浦は、頻繁に同性愛を拒否する。

そして井戸の中、「今こそ、僕の願いを容れて、僕の愛を受けて」と請い願う諸戸を「あさましい!」とはね退ける『私』佐藤箕浦。

実はこのセリフ原作には無い。そして学生時代のあの夜は諸戸の方が言っていたセリフなのだ

「君は浅間しいと思うだろうね」と。

箕浦に『同性愛を持つ者は異人種』だと一番最初に植え付けたのは、他ならぬ諸戸であった。

そしてあの夜、「『私』は諸戸との関係はこれで終わったと思った」。

もし、もし諸戸が、自分で自分の気持ちを否定してしまわなければ、二人が結ばれていた可能性もあるのではないか?


『箕浦』の存在

あの夜の後、箕浦が大人になりSK商会に勤める場面から「過去の『私』」石田箕浦が登場する。

大人になった『私』佐藤箕浦は同性愛嫌悪感情を見せるが、石田箕浦は同性愛嫌悪していない。

諸戸が自分に恋していることを頭では理解しているが、そもそも同性愛をわかっていない。だから諸戸からの熱視線性愛アピール)をまったく感知できないし、諸戸からの接触に応えること・握手を求められた手を握り返すことができる。

スポットライトが当たらないところでの石田箕浦と諸戸は、まさしく「諸戸と簑浦は何か変だ」状態熱視線を送ったり触れようとしたり羞恥の色を見せたりする諸戸に、石田箕浦はまったく気付かない。A.T.フィールド固すぎ)

絶望的に脈ナシな究極のノンケ

原作の簑浦とはかなり印象が違うそう(私は一度推理完了するまで未読を貫く主義のため世論であるが)。

簑浦と箕浦、原作とは名前漢字が異なるし別人か? いや、そうじゃない。無意味な改変は絶対に起こらない。「虚偽の事柄を事実として書くことはアンフェア」だからだ。印象が違うなら、『変えた理由』と『変えても原作の簑浦を成立できる理由』がある。

石田箕浦が登場する前。佐藤箕浦が諸戸との関係は終わったと思ったあの夜。諸戸が泣きながら請うた内容は以下だ。

「君は分っていてくれるだろうね。分ってさえいてくれればいいのだよ。それ以上望むのは僕の無理かもしれないのだから 。だが、どうか僕から逃げないでくれたまえ。僕の話し相手になってくれたまえ。そして僕の友情だけなりとも受け入れてくてたまえ。僕が独りで想っている。せめてもそれだけの自由を僕に許してくれないだろうか。ねえ、簑浦くん、せめてそれだけの……」

諸戸が願った内容、これまんま石田箕浦じゃん……

石田箕浦は諸戸を友人として深く信頼しているし、井戸の中でなんて一緒に死ぬことすら受け入れている。諸戸の願いを、字面通りに叶えている。

しかし周知の通り、諸戸が心の内で望んでいたのは、彼の『死にもの狂いの恋』を受け入れてもらうことだった。


諸戸の望みと願い

諸戸は自身について怖れている描写が多々あった。それは自分の素性と性愛対象が『普通と違う』ことでもあったし、『父に命じられたから行っていたはずの不気味な研究にいつしか諸戸自身不思議な魅力を感じはじめていた』ことも大きいと思う。

強い劣等感を抱えた自意識と、強い罪悪感をもたらす超自我

我と我身を醜いと卑下すればするほど、美しいものを強烈に求め、美しくあるべきだという観念に囚われる。

諸戸の心の内の葛藤が『手記の秀ちゃんと吉ちゃん』そのものに見えた。諸戸の望み(イド)と願い(超自我)は大きく解離している。

箕浦が写し取ってしまった『同性愛を持つ者は異人種』という価値観、『親友という姿』は、諸戸が持つ美意識刷り込みだった。箕浦にとって諸戸は、本当に「美しい青年」だったのだ。


『私』と『箕浦』

石田箕浦は本当にクセのない、まっすぐな好青年だった。諸戸の理想とする『普通』がそこにあるように見えた。そして原作の簑浦とは印象が異なる存在

これはつまり、簑浦のイドと超自我のようなものが、『私』佐藤箕浦と石田箕浦に分かれて表現されているのではないか。一人の人間を二人で演じ、二つの存在(語り部の『私』と、簑浦のイド)を一人が演じているのではないか。

彼らの箕浦の分担は、紀州の孤島に着いてから大きく変動し反転してゆく。

井戸の中で諸戸に襲われ、完全に石田箕浦から佐藤箕浦に替わったのは、諸戸が望んだ存在が友人ではなく恋愛対象としての箕浦だったこと、そして諸戸の手によって「諸戸の理想とする『普通』」が壊されてしまったこと…『私』になった石田箕浦にも諸戸の姿は獣のようだと評されている。学生時代のあの夜に諸戸が否定をしてしまったこと、それの繰り返しだった。


『私』の恋心

そして秀ちゃんへの恋心を諸戸に恥ずかしいものと責められる場面。実はあれは原作だと簑浦のモノローグによる言い訳タイムとなっている。諸戸はそもそも丈五郎に捕まって、島に到着して以降会っていないというのだ。正確にセリフを覚えていないが、原作未読の私でも、最初に秀ちゃんから手紙を受け取ったシーンに諸戸が居ることに強い違和感を感じた(そして友人が原作では諸戸が居ないことを確認してくれた)。

よくよく考えれば変なのである。箕浦に恋慕を寄せる諸戸に責められる筋合いはない。初代に操を立てるなら諸戸の恋に応えることも恥ずべきことだし、諸戸に気を遣う必要だって本質的には無いのだ。(まるで『アイドル恋愛しちゃいけない』理論だ。)

ではなぜ超自我ポジションである石田箕浦ではなく、諸戸が責め立てるのか。

箕浦の美意識は諸戸の影響を強く受けているから諸戸の姿をしていたとも捉えられるが、それ以上に、常識的な葛藤だという以上に、箕浦の心の中に諸戸を慕う側面も幾ばくかあったから、秀ちゃんに恋する自分と、諸戸を慕う自分で対立したことを表現していないか。

佐藤箕浦はもちろん初代にも秀ちゃんにも惹かれているが、彼が箕浦のイドのポジションであるならば、諸戸のことも結構好きだった。(イドでなく単なる『私』なのだとしても、諸戸を見つめる視線に愛憎のような熱が込もっていたし、)諸戸との会話に深山木が入ってきたとき「早くないですか!?」と驚くのは二人の箕浦で、石田箕浦一人だけが言うと単純に時間が早かっただけに聞こえるが、佐藤箕浦も合わせて言うことで「諸戸との会話に邪魔をされた(もっと諸戸と話したかった)」かのような邪推ができてしまう。

海岸で諸戸を見付けるのも石田箕浦ではなく佐藤箕浦だ。

そして諸戸が握手のために差し出した手を『箕浦が握り返さなかった』時。諸戸は驚愕の表情で『私』を見る。見つける。実は、物語の始まりを告げる運命が廻りだすような音楽が流れて以降(犯人だと疑って諸戸の家を訪ねて以降)、諸戸が『私』を初めて見たのが、この『箕浦が握り返さなかった』時。

握り返さないのは、握り返すことに意味が生じてしまうから石田箕浦は諸戸の恋をまったく感知しない。そんな石田箕浦が握り返さないわけがない(実際に、諸戸に見つかってしまった『私』が顔を背けた瞬間、石田箕浦は手を握り返す)。つまり学生時代のあの箕浦が、心の中にまだ居たということ。

諸戸にとってはそりゃあ嬉しいことだろう。彼はそれ以降箕浦に話しかける時、佐藤箕浦を見てから石田箕浦を見る。ここからどんどん、『箕浦』の行動を表現するのが佐藤箕浦へ移行してゆく。


すれ違う二人

一度は友人として、諸戸と共に死ぬことも受け入れた箕浦。

しかしその結末を自らの手で潰す諸戸。

逃げながら箕浦は吼える。「死んでたまるか!」と。箕浦は白髪化するほどの生死の恐怖を体験したばかりだ。

諸戸に襲われるも未遂に終わり、命が助かることに深く絶望する諸戸。

井戸を出た二人は笑いあう。諸戸は箕浦が白髪化するほど生理的同性愛を受け付けないのだと認識したように、箕浦の白髪を見て泣いているように笑う。

そして箕浦の前に現れなくなった諸戸は、気持ちを遺して逝くことで最期にまた箕浦へ大きな傷を残す。




解説叙述トリックを駆使し隠された真意

先述の通り、私の推理動機叙述トリックを逆手に取った二人が相思相愛であったことの証明にある。

からくりが解ってみると、どうってことない・ただ上演されているものそのままに過ぎないのだけど、ここに辿り着くまで本当に一週間ひたすら睡眠時間を削って悩んだ。二回目に観劇した時などは、とにかく正確に推理するためにありのまま最前列からガン見してきたのに、どうあがいても悲恋という現実に心が折れそうになった。マジで。実は二回目に最前列観測した時よりも、初見H列サイドから観劇した時の方がイイ線いってたよな(納得の仕方はブッ飛んでるけど)と思う。

で、共に推理していた友人が先に原作叙述トリックに気付き、簑浦と諸戸のBLは成立しているという解を出してくれたので、二回目の絶望した記憶で観劇を終えるのもなんだし推理はやめて初見のつもりで観劇しようと思って向かったのが三回目の観劇。最後尾辺りの補助席。

しかし驚くほど新たな発見がまたどんどん出てきたうえ、深山木のセリフによって私は舞台も叙述トリックを使ったミステリーなのだ確信してしまう。

これは原作にもあるセリフらしいのだが、深山木がトリックについて思わせ振りなことを言うシーン。そのセリフが完全に『叙述トリック説明』になっていたのだ。聞いた瞬間、震えが走った。

本作がミステリーであると気付けるように、最初から以下の違和感と解法が提示されていた。

さて。ここで疑問に思われることがあるだろう。なぜ叙述トリックを使用しているのか? 隠したいものは何なのか?

この件について私は非常に貴重な体験をする。

本作の大好評っぷりと、推理に明け暮れ神経衰弱している私を心配して、友人が本作を観劇してくれた。三回目観劇の日、偶然スケジュールが合って友人2人(友人Aと友人Bとする)と一緒に観ることができた。終演後、私はわくわくしながら二人に感想を求めた。

友人A「箕浦殴りたい……不快過ぎて体調悪くなってきた……」(※意訳)

当時、箕浦殴りたい勢は最大勢力に感じた。過激箕浦擁護派も0ではないが、大多数が箕浦(おそらく『私』のみ)に不快感情を持っていた。冗談ではなくガチで友人Aが苦しそうにしており、私も初見後は物凄くモヤモヤしていて苦しみがよくわかるので、少しでも気が晴れないかと友人Aと対話することになる。



不快感を分解していく。

友人Aは非常に言いに難そうに、しかし押しかかる不快感から助かるため、意を決して打ち明けてくれる。

友人Aも不快の対象は『私』にあり、その根源を追ってゆくと友人自身が「『拒絶』されるのが本当に無理」だから、諸戸を拒絶しているのに側に居た『私』を悪だとした。

増田「拒絶することを『悪』だとするなら、今『拒絶を拒絶』している友人Aも悪だということになるでしょ? 友人Aは悪なの?」

結局友人Aには私の初見感想を読んでもらい、加えて私の心の闇()もひっかかった話をしたことで、とりあえず翌日出社できるレベルには不快感が晴れたと言ってもらえた。良かった。

さて、私は友人Aと対話して思った。「もしかして江戸川乱歩のやりたかったことってこれでは?」



感想を書いた方ならわかると思うのだが、感じたことや思ったことの根拠を話そうとすると、自身についての話、しかも心の闇()の部分を語らないとどうにも説明できなくなってしまう。

私も推理ログ含め大量に書き残したが、心の闇()を除いても、暗闇マジ怖い体験とか、無意識下の生理的拒絶は実在するよ体験とか(思えばこいつが二人の恋の一番の障害だった)、とにかくネガティブ体験談バンバン出てくる。

共に推理原作解読した友人も、舞台の感想を書こうとしたら闇にぶち当たって、書くのを控えようとしていた。(Permalink | トラックバック(0) | 22:47

新興宗教

若いころはすっごい嫌悪感あったんだよ。新興宗教にはまってる人に。

でも年取ってちょっと考え方変わってきた。

この繋がりの希薄現代社会自分が繋がってるコミュニティがあるというだけでもすごく安心感があるのではないか

仕事を探すにしてもそのコネが使えるのではないか自分一人で広すぎる社会の中で有象無象相手に戦うより後ろ盾があるほうが楽に決まってる。

加えて悩みや辛いことがあったとき教祖様がこうしなさい、ああしなさいって言ってくれる。自分自身で考えなくてああしろこうしろって言ってもらえるのってすげー楽じゃん。

あと人生の目的にもなりやすいよな。この宗教のために生きる、みたいなさ。

それに対して相応のお金を払うだけ。コストパフォーマンス的にはどうなのかな。お金を払うことでも自分が救われるんだったらそれでもいいんじゃないかな。

そう考えると悪くないんじゃね?新興宗教

2017-02-14

http://anond.hatelabo.jp/20170213190140

読書に限らず、何か行動を起こしたいときには抵抗の順番に環境コントロールするとよい。

電車の中で読書捗るという人は、恐らく本を開くことよりスマートフォンを眺めることのほうが抵抗が強いのだろう。

人によっては本を持ち歩いて鞄から出して両手を塞ぎながら読むということのほうが抵抗が強い場合があるので、一概に電車なら捗るというものでもない。

テレビゲームなどの抵抗なくできるものが沢山ある自室内で読書選択することは、他にできるもの我慢するストレスと戦う必要があるので、よほど読みたい本でない限り無理だと言って良い。

人間は誘惑の奴隷だ。そして誘惑は満たしても満たしても次から次へと生み出されるものでもある。

その中で必要な行動を選び続けるには、誘惑との距離という制約を自らが能動的にコントロールする以外にない。

ただ、この原則理解できればかなりのものに応用することができる。

勉強筋肉トレーニング英会話ダイエット仕事宿題etc

いままで諦めてきたもの全ては、適切なタイミングを選べていないだけだったのだ。



まずは普段自分がどんな環境に身をおいているかを考える。

ベッドの上、トイレ、朝食中、通勤通学の徒歩、自転車バス電車の車内、学校職場デスク、昼食中、帰宅途中の寄り道、外食、夕食、お風呂タイム、就寝前

次に、それぞれにおいて、自分の周囲にどのような抵抗感が発生しているか、その中でどんな行動なら取りやすいかを突き詰める。

その中に自分必要な行動を適切に配置することで、無理をせずに行動をコントロールすることができるようになる。

ただし、スマートフォンというものがとにかく厄介で、ほぼすべての場面に抵抗なく潜り込んで来てしまう。

その場合は、持ち込み禁止や取り出し禁止の制約をかける、抵抗なく開いてしまアプリを削除する、身につけたい習慣に近いアプリホーム画面の目立つ場所に設置するなど、ちょっとしたテクニック必要だ。



以下、私自身が習慣にしているものタイミング、制約を列挙しておく。

・目覚めのベット上。ストレッチ・腹筋背筋。腰痛対策

・朝のトイレ読書タイムスマートフォン持ち込み禁止

・朝の通勤英会話リスニング音楽禁止

・始業前のデスクペン練習ブラウジング禁止

・始業から営業に出るまでの1時間増田執筆仕事禁止

・お昼休憩。ワイドショーにて流行チェック。スマホ禁止

就業中。ダイエット対策。間食にポテトチップス小麦粉菓子禁止ナッツチョコのみ。

・帰り道。自宅近くの公園3分筋トレ帰宅後すぐにシャワーを浴びるので汗をかくことに抵抗がない。

・夕食中。制約なし。音楽聞きながらネットブラウジングゲーム漫画映画を見る。

・翌日の朝食・夕食の仕込み。ダイエット対策明日食べるものお腹が満たされているうちに予め決めておくことで暴食を防ぐ。

・お風呂中。英会話シャドーイング。浴室内なので発音することに抵抗感がない。

・就寝前。読書タイムテレビスマートフォン禁止。夜更かし良くない。



実はほとんどが5分から10分程度の時間しか使えていない。しかし、総合すれば一日に1時間近く、何かしらの習得時間を割いていることになる。

30分、1時間といったまとまった時間がとれたほうがよいと思うかもしれないが、現代社会においてそれだけの固まった時間を捻出することは困難といっていいだろう。

かと言ってやらなければいつまでたっても身につかない。

大切なことは抵抗なく続けられる時間タイミングを見極めることだ。

1年も続けば、どれにおいてもある程度の結果が出せるようになるだろう。

出来ないことを嘆き続ける人生か、少しでもできることをコツコツと積み上げ続ける人生か、その選択ができる自由は、まだ人間にも残されている。

社会人として当然」

社会人として当然、やそれに類する言葉現代社会でよく使われている。

しかし、人間として当然ではなく社会人としてと条件が付されているからには、社会人以外には当然ではない場合も有りうるということを考えるべきではないか

中高生などを相手に「社会人としての常識」を偉そうに語って説教している人を見ると、そんな気分になる。

社会人なら出来て当然」のことが出来ていない学生は確かに多い。

とは言え、社会人じゃないんだから社会人として当然のことが出来ないこともあるというのは当たり前ではないか

大学生ならまだ、高卒就職した人は社会人なのだから、といえるかもしれない。

しかし、中学生相手社会人常識とやらの遵守を求めるのはかなり無理があろうし、

中卒で働く人がかなり少なくなったのが現代である

ゆえに、高校生社会人感覚を身に着けろと行ってもなかなか厳しいだろう。

年齢的に社会人である可能性が高い院生などでも、そもそも社会人としての責任義務を負う立場にない。

そのため、常識に一部欠落があるのは仕方ないのではないか

社会人として」を社会人以外に要求するというのは、正直言って大人げない行為にも見えるし、子供社会人ならできることができないという前提に立って

準備などをするべきというのは、それこそ「社会人ならできるべきこと」ではないのか。

相手にとって出来ない可能性が高いと常識的判断できることを、できると根拠なく勝手にみなして行動してしまうのは、それこそ

社会人として問題があると、個人的には思う。

2017-02-12

1度うつ病になってしまったら最後、この先の人生ほぼまともには生きられないと思った方がいい。



かねてからうつ病現代病と言われ続けた結果、数十年前よりも病気として認知されつつある。

病気として認知されてきた結果、国にはうつ病患者サポートする制度ができた。

うつ病患者を専門とする精神科医も多く出来た。うつに効く薬も年々良くなっている。

企業うつ病患者に対する休職制度復職体制も整えられつつある。

だが社会うつ病には厳しく出来ている。それが現実だ。

いくら世間認知されようが、いくら制度があろうが、結局建前でしかないのだ。



企業から見れば、うつ病に対する制度いくらあったところで、金を稼げない人間をずっと飼っておく余裕はあるだろうか?

たとえ復職できたとしても、休職前より金を稼げず、いつまた潰れるかわからない人間を世話していくほど体力はあるだろうか?

そういう人間休職前と同じだけの金を払い続けたいと、果たして企業は考えるだろうか?

結局企業は金が全てだ。置いておくだけで赤字になるような金にならない人間人情で構ってくれるほど企業は暇ではない。



制度医療に助けを求めるとしても、それらは本当に面倒を見続けてくれるという保障はあるのか?

確かに国の制度存在する。精神科医も増えている。

だがその手のものを利用できるのはある程度の金と立場必要だ。

そもそも立場が弱く金も無い人間にはそういう制度すら受けられない。

制度自体永遠に使える物ではない。制度を利用できる期限は決まっているし、制度自体打ち切りになる可能性もあり得る。

精神科医も金が払えなければそれまでだ。いくら助けて欲しかったとしても、金がなければ助けてくれない。

残念ながら社会はそうできている。



他の人間が助けてくれるかもしれない、そう考えるのは自由だが、果たしてそういう人間はいるだろうか?

家族なら話は多少は別だが、いつまでも無気力である人間を、人を信頼できなくなっている人間を、簡単に癇癪を起こす人間を、助けられているという意識だけで拒否感を起こす人間を、数ヶ月、数年、あるいは数十年単位で支えてくれる人間は本当にいるだろうか?

うつ病患者サポートしたい、そういう人情味にあふれた財力もある人間も中にはいるだろう。

ただそういう人間がどれぐらいいる?砂の中から針を探すようなものだ、そういう希望にすがるのはあきらめたほうがいい。



この現代社会においてうつ病になるということは、社会不適合者の烙印を押されるのと同義だ。

社会うつ病患者に対して寛容ではないようにできている。うつ病になったらその時点で負け組なのだ

残念ながらそれが現実だ。その現実を認めるしかないのだ。

もう2度とうつ病になる前のように仕事はできない。もう2度とうつ病になる前のように金は稼げない。それを認めろ。

どうあがいても世界はそうできている。



この文章を見て憤りを覚えた休職中の貴方、怒れる元気があるうちに転職先を探した方がいい。復職するよりそれが現実的だ。

この文章を見て絶望を覚えた休職中の貴方、その思いを抱えたまま今すぐ布団に潜れ。そして目が覚めたら世界が変わっていることを祈りながら寝ろ。

無職日記

 まず、スマホをやめることにした。仕事電話メールはもう来ないし、妻や恋人はおろか、親しい友人さえいないのだから、誰に気兼ねする必要があろう。思えば、朝は天気予報を調べ、通勤中はニュースを読み、昼はゲームに興じ、帰宅後は着信を知らせるランプを頻りに確認するのが、働いていた頃の日課となっていた。それに比べて、現在たいへん快適だ。さすがに貯金も心細くなりつつあるので、そろそろ職探しに本腰を入れるつもりだが、また働き出しても、できる限りスマホから離れた生活を送りたい。このご時世では中々難しいだろうが。

 次に、鏡を見ないことにした。現代社会には鏡に毒された人間が多い気がしてならない。なるほどメイクやらスキンケアやらで多忙女性が身だしなみに敏感になるのはある程度はやむを得ない。大体、鼻毛が飛び出ている女とのデートなんかお断りだ(無職とのデートなんかお断りよと聞こえてきそうだが)。しかし、自らの容姿を念入りに観察するような男には、どうも違和感を覚える。そんなに見惚れるほどでもないのに。そんな暇があったら中身を磨けばいいのに。と言っても、仕事中は何より外見を重んじていた私に、彼らを批判する資格があるかどうかも疑わしい。出勤前には寝癖のチェックが欠かせなかった。昼食におにぎりを食べたらお手洗いに行かねば気が済まなかった。或いはこれはビジネスマンとして当然の振る舞いなのかも知れない。ただ、私は少し疲れてしまった。誰とも会わない今なら、髪がボサボサだろうが歯にノリが付こうが一向に構わない。実に清々しい。

 そして、髭を伸ばすことにした。人生初の試みである。頭の隅に浮かんだのは、エイブラハム・リンカーンまさか彼みたいな美髯を目指すほど私も阿呆ではあるまい。単なる憧れだ。少年のころに図鑑の中で触れた、第16代アメリカ大統領の威容は、今なお私の脳裏に鮮やかに焼き付いている……と、ここまで書いて、我ながらちょっと呆気にとられてしまう。私は無職になって、悲しむどころか、むしろこの状況を楽しんでいるかのようだ。楽観主義も度が過ぎれば身を滅ぼす。けれども、信じられないかも知れぬが、私は実際、ほとんど常に悲観的であった。考えれば考えるほど思考は悪い方へ傾き、夢も希望も見出せず、自暴自棄に陥る。他人との比較が癖になり、酷い劣等感に悩む。「怠けた頭は悪魔仕事場」という外国の諺には、一つの真理が含まれるのではなかろうか。私は毎日悪魔暮らしているようなものだった。

 ある夜、都心の休憩所のベンチに腰掛けコンビニで買ったアメリカンドッグシュークリームを食べていた。妙な取り合わせだが、たった二百円でできる贅沢は他に無い。いや、正直に告白しよう。懐が寂しかったのだ。無収入生活がいつまで続くか見通せないため、財布も満足に使えなかった。林立するビルディングの明りの下を、仕事帰りのサラリーマンOLが、揃って足早に過ぎてゆく。車や電車の走る音がかまびすしい。デパートの買い物袋を提げた婦人たちの笑い声が耳を打つ。ふと、「どうしてこうなのか」、と思う。孤独を感じた。大都会の喧噪が却って私を独りにするようだった。周囲のベンチに座っているのは、単独の人が多いようだけれど、誰かとメッセージのやり取りでもするのだろう、彼らはスマホを熱心に操っている。私の存在に気付く人など何処にもいない。だが、ここで泣き出す訳にもいかない。

 その後も無為徒食の日々は変わらなかった。公園の木陰でぼーっとしたり、広場に群がるハトを眺めたり、日が暮れるまで彷徨したり、諸方の社を参詣したり。どこへ行っても充たされず、空腹は甚だしくなる一方で、足はいよいよ痛くなる。かといって、すぐに働く気も起きない。虚しかった。行き着いたショッピングモールトイレで用を足し、自らに課した戒律を破って鏡を見ると、生気に乏しく、いかにも自信のなさそうな、無精髭を生やした男が一人、救いを求めるような表情で立っている。そこにリンカーンの姿は無かった。足を休める場を求めて店内をさまよう。が、既に老人らが座を占め、熟睡しているらしい。安心しきった寝顔にみえる。帰りの難儀を憂えつつ、やむなく出入口へ引き返す。「いらっしゃいませー」「ただいま30%引きでございまーす」という若い店員のいきいきとした調子がなぜか辛い。女子学生愛嬌も、年配夫婦の微笑みも、母に抱かれた赤子の眼差しも、私には全てが辛かった。ようやく家に到着してテレビの電源を入れれば、アスリートの勇姿を目にするたび、怠惰自分を痛感し、アナウンサーの顔が映るたび、鏡の自分を想起する。私の居場所はいずこにありや。やがてテレビも見なくなった。

 さて、私はこの日記を「吾輩は無職である名前は言えない。」で始めようかと思った。己の憐れを笑い飛ばせるくらいの朗らかさが欲しかった。ところがこの通り、筆致はだんだん暗くなっていく。まあ無職から仕方ない。最後に、ついこの前、海へ行った話を綴って、明るい気持で筆を擱こう。それは、とてもよく晴れた、穏やかな日だった。太陽の光が海のおもてをきらきらと照らし、寄せてはかえす波の音がたえまなく響く。突堤で腕組みして獲物を待ち構える釣り人、のんびりとウォーキングを楽しむおばあさん、浅瀬に浮かぶカモの群れ、軽やかな足取りのミニチュア・ダックスフント、波打ち際できゃっきゃ言いながら貝殻を拾う女の子と、それを嬉しそうに見守るお父さんお母さん。おや、あそこの男の人は、どこか悟り澄ましたような目つきで大洋のかなたを遠望している。同志だろうか?(失礼)

 「明るい気持で筆を擱こう」と書いた。でも、このかぎりなく静かで、平和海岸に臨み、やわらかな潮風に身を任せていると、明るさも暗さも、楽観も悲観も、全部きれいに吹き払われて、どこかへ行ってしまう。不安や焦燥はしぜんに消え去り、自分無職であることさえ、いつしか忘れている。そこには何もない。あるのは広い海だけ――青空をのびのびと泳いでいるのは、カモメカップルだろうか。仲睦まじく羽を交わしている。幸せそうでちょっとむかつくけれど、もう人(鳥)と比べるのは止そう。カモメには、カモメカモメによるカモメのための鳥生があり、私には、私の私による私のための人生がある。お前らは、勝手にいちゃいちゃしてればいいのさ。

2017-02-10

配偶者ニュートラル呼び名

当事者間では夫・妻でいいんだと思うんだけど、他人から呼ぶ場合にどうすればいいのでしょう。

女性パートナーについて尋ねる時、

だと、言葉語源から上限関係あるし、

っていうと、理解されないし英語だし...旦那も元はサンスクリット語らしいけど。

男性パートナーについて尋ねる時、

  • 奥さんとか嫁さん

とかだと、別に奥にいねぇしみたいに言われて辛い

かと言って、連れ合いとかだとパートナー以上にサクッと通じないし、なんか現代社会になじむニュートラル呼び名ってないの。

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