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はてなキーワード: アドラーとは

2024-04-19

anond:20240419091651

おもしろい。

さて、ここで適当検索して既存言論を調べてみる…

信頼(しんらい)とは、相手対象に対し自分の期待した通りの結果が帰ってくることが信じられること。どれだけ信じられるかの定量的度合いを信頼性信頼度という。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E9%A0%BCtitle=]

(wikipediaには信用の項目は無し)

イマイチ要領を得ない。社会心理学用語として載せられている。ここで調べる先を間違っていたことに気づく。

信頼(しんらい)

1. 信じて頼りにすること。

  • 彼は蝗を捉へるには、それに巧でない方の犬にくらべてもずつと下手であつた。それにも拘はらず、犬どもはそんな事にまで主人の優越を信じて、主人を信頼して居るらしかつた。

信頼 - ウィクショナリー日本語版

信用 (しんよう)

1. 信じて任用すること。

2. 相手言葉を間違いないと見込んで頼ること。

3. それまでの業績などから人や物に対して与えられる評価

4. 支払能力があることを土台にして成立っている、貸借関係

信用 - ウィクショナリー日本語版

wiktionary定義によれば、信頼は一種感情的ものでさえある。しかし信用は、例えば"信用取引"などという言葉があるように、感情ではなく、どちらかと言えば"合理的な期待"に類似することが分かる。

/* だが、信用と信頼を、意識して使い分けている人が、どれほどあるのか?あるいは、ごちゃまぜに認識している人も、いるのではないか?というのも、私もイマイチ意識していなかったために、こうして調べているのだから

例えば「そんな人のこと、信用しちゃダメだよ」この文がどちらの意味を(感情か、合理的な期待か)持って信用という語を使っているのか?それは発言及び人物の背景を見ないと分からないと感じる。

形而上の言葉というのはそういうものだろうか。(哲学初心者)*/

辞書から離れ、では市井の使い方を観察してみる。

信頼とは裏付け担保もなく相手を信じること。 これもアドラー言葉です。 信用というのは条件つきで相手を信じること。(引用元)

アドラー用語として。感情契約という対比がある。

「信用」と「信頼」では微妙意味が違う。前者は損得を計算した上で相手を信じる行為を指すが、後者は利害を超えて相手に身を委ねる気持ちがあらわれている。違いを意識した上で英語に訳すと、「信用」は「give credit to s.b.」、「信頼」は「rely on s.b.」というのが適当かと思う。

 藤田達蔵著「ガイドとの交信マニュアル」の第5章「交信のコツ」の「5自信を持つ」から以下抜粋する:

 一般社会においても、信用と信頼は別ものですね。

 「必ず期日までに返済するならお金を貸してやろう」というのが信用です。それに対して、「きっと返済してくれると信じているかお金を貸してあげよう。もしも返してくれなくてもそれはこちらの責任。君を信頼しているから貸すよ」というのが信頼です。

---

 村上春樹氏は、『村上さんのところ』に収められた読者への返事に自らの考えをまとめた:

 長嶋茂雄さんはかつて「選手は信頼するけれど、信用はしない」という名言を吐かれました。要するに配下選手に対して「基本的にはポジティブに受け入れるけれど、細部に関してはしっかりと疑いの目を向ける」ということなのでしょう。例によって「長嶋語」ですが、なんとなく感覚としてはわかりますよね。

「信用」と「信頼」、「信任」を使い分ける | Web Pages Japanese-English And English-Japanese Wiki | Fandom

やはり対比するときは信頼に感情的な側面がある。

木浦 幹雄 / KIURA Mikio @ANKR DESIGN

@kur

イベント配信を通して下記のような学びを得たので共有します。

https://x.com/kur/status/1780169101731852737

HDMIケーブルはモノだから、信頼は不適当

テツロー

@punpupuuuun

·

返信先:

@bombombomb2017

さん

事例あります(ドヤァ)で終わること多いですよね。。。なんで?って聞くと、信頼性コスト納期ぐらいしか皆さん言わないですし。。。

ただ当方メーカー業界にいるため、そういう形になることが他の業界と比べても多い気がします。

https://x.com/punpupuuuun/status/1781122882816655462

ここで"信頼性"という語を思い出す。これは「reliability」の訳語だろうか。統計やモノ、サービスがどれほど"そうである"という期待を持てるか、というところか。この概念信憑性、確実性とも言いかえられる。やや"信頼"からは離れた言葉のようだ。


話が逸れた。まあ、ここまでの感じを見ると、「聞いた話を元に株を買うことと、株を買うために金をそいつに預けること。」は、双方、信用した結果の行動というところか。

信頼は、信用に先立ち、其の者を信用する理由として働く概念

信用は、必ずしも信頼を必要とせず、例えば過去の実績や、業績などを理由に行うことができる。という感じだな。

で、これは人間法人/組織に対して使うとき用法

モノに使う場合は、"機能を発揮することの期待"(0/1)が信用で、"可用性、もしくは妥当性を期待すること"(1が継続すること、あるいは1が1であること)が信頼かもしれないが、調べたりないし、もう飽きたのでまたいつか。

今日も一つ勉強。君よ、機会を与えてくれてありがとう

2024-03-22

anond:20240320104141

生理休暇、(将来的な)結婚退職、(将来な)育児休暇をちらすかせ、人事考査をのらりくらり。

生理休暇の場合の取り扱いについては人事に相談だと思うのだが、それ以外のところについては何の理由にもならないと思うんだけれど。

結婚退職や育休を考えているので難しい仕事を覚えたくないということならば、その選択自由なのでお互いにそのことを確認できる形で記録に残し、人事にも共有する所だな。

その場合は人事評価としてはその分低めになるし、難しい仕事ができないなら、上の職級にも上がれないという説明はするところかと。

タスク目的に対する進捗も良くないが、フィードバックの機会に言い訳三昧、女性特有の体調面などの不利な条件下で頑張ってる事をアピール

別に詰める必要もないのでは。

会社慈善団体ではないので、会社利益をもたらす人には会社として厚く遇するし、そうでない人には遇さないだけ。

上司人間個人としての評価、育成と会社としての評価は違って当然だよね。

個人としてはとことん人を信じるべきだし、頑張っているということも認める。不利な条件下でよく頑張ったねと話してもいいと思う。

でも、企業である以上、人事評価は一人一人の頑張りではなく実績に対して行うものだよね。

「もしアドラー上司だったら」の受け売りがそれなりにあるけどさ。

体調の問題があるなら、相応の休暇を取得してもらった方が実労働時間が測りやすくなるのでよいということをお話しして、労働時間成果で見るかな。

有給休暇全部使って、無給休暇まで使って、残りの体調がいい時に成果バンバン出すなら、それはそれで評価するべきだと思うし。

(まあ、その状況はその状況で人事に相談するべき状態だとは思うけれど)

2023-11-09

anond:20231109010637

アドラーとか根拠皆無のおっさん妄想話みたいな学問をわざわざYouTubeで学んでるやつがおるんか

目つけられて悩んでたが、アドラーの某本とか精神科医YouTube観てたら、このまま辞める羽目になってもくだらない理由で目をつけられたのでネタとしてウケるかもくらいになってきた。

2023-11-03

anond:20231103063449

何を言っているのかよく分からん(anond:20231103065759)

からないなら下記のどちらかじゃないですかね?

 

  • わかるまでAIに尋ねてみる

 → 一例)

 経済的成功を追求し、その後に他人サポートすることが一般的なのが、正しいのか疑問です。
 完璧になる前に明日死んで他人サポートすることな人生を終えるかもしれないし、経済的自由を持たない人が出来る範囲のことで誰かの命や希望を繋ぐことができるかもしれません。
 しかし、一方で、何かのプロジェクト成功させるには、スキルお金必要なのも事実です。
 また、自分自身を向上させ、課題解決することは、他人に対してより多くの支援提供できる基盤を築くことにつながることも事実ですし、それらが欠けている中で行われるボランティア活動子育て社会的問題になっていることも事実です。 
 生物進化学、アドラーサルトル哲学視点で考えると、どうでしょうか?

 

  • からないことは気にしない。何事もなるようにしかならない。でも『愛が無ければ何も始まらない』と『メンヘラ治療しよう』だけは覚えて帰る

[] 自分自身課題解決するよりも、他人課題解決する方が楽だからだぞ

上質な娯楽はたくさんあるのについつい基本無料ソシャゲをやったりSNS時間を浪費するのと同じく現実逃避

楽な方に流れているだけ

 

ただ、この問題怠惰だけで切り捨てられるような簡単な話では無いと思う

 

 

  • 自分自身のことに責任を持てるようになったら他人の手助けをする』っていつそうなれそうですか?
    → まぁ小さな手助けくらいならいつでもどこでもできるし、福祉社会の枠組みで考えるべきではあるものの、経済的自由を持たず滅私奉公で人々に尽くす人に丸投げでいいんですか?
    ホームレスや困難な状況にある人を見ると、自己効力感がゴリゴリ削られて、自分がとんでもなく無力で冷たい生き物のように思えて来て、単純に嫌になりませんか?

  

 

anond:20231103050107 

 

 

追記:わからない人はAIに下記のように尋ねてみる

 経済的成功を追求し、その後に他人サポートすることが一般的なのが、正しいのか疑問です。
 完璧になる前に明日死んで他人サポートすることな人生を終えるかもしれないし、経済的自由を持たない人が出来る範囲のことで誰かの命や希望を繋ぐことができるかもしれません。
 しかし、一方で、何かのプロジェクト成功させるには、スキルお金必要なのも事実です。
 また、自分自身を向上させ、課題解決することは、他人に対してより多くの支援提供できる基盤を築くことにつながることも事実ですし、それらが欠けている中で行われるボランティア活動子育て社会的な問題になっていることも事実です。 
 生物進化学、アドラーサルトル哲学視点で考えると、どうでしょうか?

 

2023-09-13

anond:20230913100303

アドラーサルトルは好きで増田でもよく推してけど、発狂された思い出しかない

 

まぁ能力主義傲慢ですよね

2023-08-22

anond:20230822145133

まあ判ってるだろうけど、相手の目を気にしてばかりいるからそうなる。

 

嫌われないようにする、とか、消極的とみせかけてめちゃくちゃ傲慢なのでその辺直したほうがいい。

相手の心を掌握しコントロールしようとしてたら、そりゃ疲れるわというもんよ。

これは別に恋人と別れたからって根本的に治らない、また別の人と同じことになるだけなんで

せいぜい今いる相手で上手くいくように頑張れ。

 

君の悩みは、まあ正直よく聞く話。

まり対策も割と広まっている話。

刺さるのが、アドラーかもしれんし、他の自己啓発系かもしれんが、なんかいろいろ学んでみろ。

考え方ひとつ心のもちよう一つの話だ恐らく

2023-05-22

anond:20230522134458

アドバイス受け入れてもらえなかった程度で癇癪を起すなってアドラーが言ってた

2023-04-26

でもお前が変わるしかないよって言ってやらねーとしゃーなくねーか。

いじめは悪いことなんだ!悪なんだ!って啓蒙し続けることも当然大事だけどさ。

現実問題として悪い奴なんかクソどこにでもいるわけじゃん。

 

仮にいじめられました、いじめっ子を排除しました。めでたしめでたしになったとするじゃん。

でもそいつ人生はそのコミュニティでは終わらんわけじゃん。

次のコミュニティに行く。次のコミュニティにも同じような悪人はいるかもしれないわけじゃん。

もしいじめられる原因がそいつあるんだとしたら、またいじめられるよ。

 

いい人だけがいるコミュニティガチャを引き続けるの?って話じゃん。

それってさ、結局いじめられる本人の道を狭めてるだけじゃん。

 

ガチャ引くしかないにしても、より可能性が高いガチャを引きたいじゃん。

そのためには、本人が変わるしかないじゃん。

アドラー他人を変えることはできないが自分を変えることはできるって言ってたじゃん。

 

もろちん、いじめってのが明確な原因があって始まるものじゃなくて

例えば単にそのコミュニティ総体の中で自分地位が低くなった結果ターゲットにされたとか、

すぐにはどうしようもないような身体的な原因でターゲットにされるとかいろいろあるのはわかるよ。

でも、そういった時にコミュニティ総体の中でちょっとでも上にいられるような能力や、

身体的な原因のマイナスを1ミリでもカバーできるような何かを身につけておくことで、

いじめられないガチャ排出確率を多少なりとも上げることはできるわけじゃん。

 

いじめっ子が悪いんだ、いじめられっ子は何も悪くないんだ、そのままでいいんだ!

って言ってやってる奴らがそいつのことを一生守ってやれるんならいいけどさ。

現実問題としていじめっ子はどこにでもいるじゃん。無理じゃん。

無責任じゃんって俺なら思うけどな。

2023-04-06

anond:20230406161200

まあ俺のもアドラーに言わせれば「腫れ物に触るように接してほしい」という目的があって陰鬱な気分をこしらえてるんだとなるんだろうな。

お互い頑張ろう

2023-03-27

この世界には『養分』が必要だよな


社会人になってはや数年。はてな匿名ダイアリーを読む頻度も減った。大学生の頃はけっこう読んでたんだけどな。今だと、はてなブログランキングの下にある増田部門をたまに見るくらいだ。

いい会社で働いてるわけじゃない。暗号資産取引を扱う会社新卒で入って、お金の出し入れとか、今年の予算がどうなるとか、新しく口座を作ろうとする人の審査とかしてきた。まあ、平社員仕事だ。GMOみたいな大企業じゃない。もっと小さいところだ。

こういう仕事をしてると、なんというか、この世界における『養分』だよな。そういう人間について考えることが多くなった。俺なんか、増田やってる人達と比べたら人生経験が薄いのでツッコミどころもあるかもしれんが、まあ聞いてほしい。



1.学校教育

 学校教育って、社会養分を育てるためにあるよな。学校における教師・生徒の上下関係とか、意味のない規則まで含めてルールを守らせるように躾けるところとか。今の俺には、社会規範に反する行動まで含めて社会の正しい姿なんだってわかる。未成年だった当時は、別になんとなく学校ルールに適合してたな。何も考えてなかった。

 ところで、今まで私立に通ったことはない。小中高と地元公立だったし、大学公立大学だ。設備ボロボロで、学生課の就職支援もないに等しかった。で、こんなクソ環境でも何かできることはないかと考えた結果、GMO仮想通貨取引の口座を開いてトレードにのめり込んだ。バイナンスでは100倍レバレッジに挑んでゼロカットを食らいまくった。懐かしい。

 当時は、社会から逸脱してみたかったんだよな。若気の至りだ。そんで仮想通貨トレードなんだが、飲食店アルバイトで稼いだ5万円で始めてボコボコにされて、「俺、弱いだろ!!」ということに気が付いた。実際、本当に弱かったのだ。鴨がネギと鍋をしょっているようなものだった。

 話が逸れた。それで、社会フツーに生きてる人とか見てると、なんだかんだで学校で習ったことを尊重しながら生きてる。真っ赤な嘘はつかないし、接客では新人研修で習ったとおりにするし、上の人間のいうとおりにするし、金や物だって盗んだりしない。誰かを故意貶めることだってあんまりないよな。

 しかし、そういった社会規範を子ども達に教える元締めになってるところの、政府なんかの上位層はどうなってんだという話だ。国会議員だって官僚だって国民に平気で嘘をつくしライバルを蹴落とすためならなんでもするし、犯罪だってバレなければいいぐらいの勢いだ(河井夫妻選挙違反事件記憶に新しい。詳細はwikipediaを読んでほしい)。

 国のトップ層がこれなんだから学校教育だってそういう風になってるんだよ。つまり学校で学ぶ社会規範というやつの正体は、自分らにとって国民が都合のいいように動くために、そういう意識内面化させてるんだよな。

 しかし、なかなか国を批判しにくい部分もある。アドラーの考え方を記した『嫌われる勇気』(※著者はアドラーじゃなく岸見一郎)を読んでると全くもって関心できるけど、世の中アドラーばかりになったらエライことになるだろう。社会には養分となる人間必要なのだ

法律規則とかの明示されたルールを守る

・明示されてなくても、他者集団に悪影響を及ぼすことをしない(エチケットマヌーー)

ルールマナーに明示がなくても、人との関係性を良好に保つ義務を果たす

 抽象的に綴ってみたけど、こんなところか。こういう人がたくさんいるお陰で日本社会は成り立っている。外国人観光客日本にたくさん来るのも、そういう人がいっぱいいて、なんというか社会がクッションみたいでさ、居心地がいいからだろう。メシが安くて旨いのもあるが。インドネシア屋台では、残飯を数百円以上で売ってた。

 ところでさ。年末に『監獄誕生』という本を読んだんだが、その中に違法行為を犯した少年裁判官との問答があるのを思い出して再読してみた。こういうのを読むと、やっぱり社会規範を冒すところまで含めて人間なんだと感じる。

 せっかくなので引用してみよう。時代背景は1840年8月頃らしい。軽犯罪を働いて捕まった浮浪児のベア少年と、裁判官とのやり取りだ。

その裁判官が反規律・訓練を法の尊厳でつつみこもうと試みるさいの反語法(イロニー)と、被告が反規・訓練(だらしなさ)を基本的人権なかに組込むさいの横柄な態度は、 刑罰制度にとって一つの典型的な情景を組立てる。

 それゆえにこそわれわれは『裁判新報』のつぎの報告記事を手に入れる結果になったのであろう。

裁判長 人間自分の家で眠らなければならないのです。

 ベアス 自分の家なんかない。

 裁判長 あいも変わらずいつまでも放浪生活をするのかね。

 ベアス 生活を立てるため働いてるんだよ。

 裁判長 きみの職業(エタ)は?

 ベアス 仕事(エタ)ですかい、少なく見ても三十と六つぐらいしこたまありまさ、それに人様のとこで働いてる。しばらく前から出来高払いでのんびりやってるんだ。昼も夜も仕事をかかえてな。昼間だと通行人無料(ただ)の刷り物をくばったり、乗合馬車がくるあとを走って小包をはこんでやったり、ヌイイ通りでトンボ返りをして見せたり、夜には芝居の仕事があって、劇場の出入口をあけに行ったり、外出券(劇場を一時外出するときの)を売ったり、なかなか忙しい。

 裁判長 ちゃんとした店に勤めて徒弟奉公したほうが身のためになるんだぞ。

 ベアス とんでもない、ちゃんとした店やら徒弟奉公なんか、うんざりだ。それにまた、お金持(ブルジョア)てえのはいつもどなりちらすし、おまけに自由がない。

 裁判長 父親はきみを呼びもどさないのかね。

 ベアス 親父はもういないわな。

 裁判長 では母親は?

 ベアス もういない、親類も友達もありはせん、自由で一本立ちなんで。

 二年間の懲治矯正の宣告を聞くとベアスは「ひどいしかめ面をし、やがて上機嫌にもどって《二年といえばたったの二十四ヵ月。さあ出発》というしまつ」。

監獄誕生監視処罰 – 1977/9/22 ミシェル・フーコー (著) P.287



 ここから言えるのは、ルールに反するのは社会にとっての無秩序だけど、それもまた秩序のひとつということだ。人間にはルールに反する権利がある。つまり違法行為というのも、人間の生き生きとした力の肯定ひとつにほかならない。



2.仮想通貨

 ここでは暗号資産ではなく、あえて通称である仮想通貨という表現を使う。仮想通貨については、俺が属している業界だけあって、ちょっと思い入れがある。まさにこれこそ『養分』とでも言うべき人間がいる。

 仮想通貨(ビットコイン)が大幅に上がる半減期がくると、業者が決まって宣伝を始める。今季だと、2020年末~2021年春頃がそうだった。あの頃は、いろんなアフィリエイトブログが「ビットコインは将来一千万になる!! もしかしたら1憶円も!?」みたいなアピールとともに、仮想通貨取引業者のアフィ宣伝をしていた。そんな連中の養分になったのは、欲に目がくらんだ一般人だ。

 ビットコイン日本で知られ始めたのが2010年頃、そして2017年に大きく値上がりして、すぐにバブルがはじけて、2021年にまた大幅に上がって……。今では最高値の3割ほどしかないし、今後さらに下がる可能性もある。

 しかし、またある時期がやってくると、今度は一千万は軽く超えるだろうし、二千万に到達する可能性もある。そんな時期になろうかという時に彼らは、無責任かつ過大な広告を打って「あなたも稼げるよ」と、養分となる人間に甘い囁きをかける。

 さて、ビットコインには有名な価格予想モデルがある。どの仮想通貨取引業者もこのモデルを知っており、機会があるごとに引用する。

 それは、ストック・トゥ・フロー(S2F)モデルというものだ。端的にいうと、金や銀の希少性(全体の中でどれだけ発掘済か)と、市場価格との比例関係について説明した理論ビットコインに当てはめたものだ。

 このモデルにしたがうと、ビットコインは4年周期で採掘難易度が二倍になるため、その時期になると急騰することになる。

 こちらを研究しているブロガーもそれなりにいる。結果を出している人でいうと、こちらの方が詳しいうえに分かりやすい。

YUTAの米国株投資ブログ

投資戦略ビットコインの4年周期のサイクルに乗る投資

https://www.yutainvest.com/bitcoin-strategy/

 この方は、相当に賢いタイプ投資家で、はっきりいって結果を出している。米国株というよりは、投資銘柄全般に興味がある人なのだが、勉強になるブログなので一読をおススメする。

 結論を言ってしまうと、このストック・トゥ・フロー(S2F)モデルは誤っている。ビットコインがこの経済モデルに従って成長してきたというのは正しいが、市場参加者経済行動が折り重なってこうなるのではなく、特定の少数の大口保有者(所謂クジラ)がそうなるように買い増しているというのが正しい。因果関係が逆なのだ

 株式市場でいうと仕手筋だ。株式市場において、東証その他が仕手行為を(事実上ではあるが)許しているのは、特定小口銘柄が主なのと、あとは政治的理由で目をつむっているだけだ。まっとうな銘柄で予告なしに仕手行為をすれば、おそらく首謀者は逮捕される。

 しかし、ビットコインにこうした規制は及ばない。クジラのやりたい放題というのが実情だ。事実市場流通しているビットコインの少なくとも八割以上は、上位数パーセントアドレス保有している。

(以下、因果関係

 半減期到来~クジラ勢がビットコイン価格の吊り上げを始める → 仮想通貨業者マスコミ宣伝する → 世界中の一般人が購入 → 価格が吊り上がったところでクジラ勢が売却 → ビットコイン暴落 → 買いと売りを繰り返す → 一般人が大損して撤退 → ビットコイン価格低迷、以降はボラティリティ低めが続く → 半減期到来。最初に戻る。

 2013年あたりからこれをずっと繰り返している。ただし、その値上がり幅は年々小さくなっている(2013半減期が約200倍、2017が約40倍、2021は約8倍)。これは当然で、ビットコイン時価総額半減期到来の度に上がっているからだ。

 最初期には一般人の財布程度の時価総額だったのが、今では約60兆円に膨れ上がっている。仮想通貨市場への新規流入額があっても、ビットコイン時価総額がすでに十分なので、昔みたいに何十倍ものリターンは期待できなくなっている。

 個人的に思うのだが、世の中で大儲けしてる人って、知能というよりは知性がすごいよな。ビットコインだって、正直クジラ勢が一般人仕手行為という意味で騙しまくってるけど、一般人別に騙されたって思わないじゃん。ここでの騙す行為自然かつ合法からだ。

 上で挙げた人のブログでも、こういう記事をアップしている。

ビットコイン価格が1000万円を超える仕組み

https://www.yutainvest.com/bitcoin-is-going-to-surge-by-2024/

 この方は、自分モデルを作って、2021年初頭からS2Fモデルを使ってビットコイン価格予想に挑んでいた。一千万超えを予想していたが、結果としては大はずれであり、この人の記事を信じて市場に挑んだ人もそれなりにいたんだろうな。2022年6月価格予想の更新をやめたようだ。罪の意識を感じたのだろうか……。

 こちらの方は、さきほど述べたように鋭い知能を持ち合わせている。投資で結果を出している。賢さランキングなるものがあるとすれば、全人類の上位5%以内に入っている。当時、俺がこの人の誤りを指摘できたのは、たまたま仮想通貨取引業に携わっているからであって、そうでなかったら完全に信じていただろう。

 でも、そんな人ですら、全人類の上位0.1%とかに入っている人にはコロッと騙されてしまう。だったら、一般人なんて騙され放題じゃないか

 なに、じゃあ、お前がこれからビットコインがどうなるか予想してみろだって? まあ、ざっくりとした予想には挑めるけど、文量の関係でここまでにさせてほしい。要約するとこんなところか。

 ①日足ベースではまだボラティリティイマイチ。よく動いて30%くらい

 ②2023年後半以降、米国不景気到来で株暴落ビットコイン暴落

 ③皆が「死んだな」と思ったところで上昇開始~

 ④2025年までには一千万到達~二千万視野に入る

 ⑤その後、2021年と同様にクジラ勢が売って一般人(養分)が大損



3.最後

 増田仮想通貨記事投稿している人にも、正しい未来を予想できてるかもしれない人はいる。わかりやすくて勉強になる。よければあなたも、増田検索窓に「仮想通貨」「暗号資産」などと打ち込んで探してみるといい。過去1年以内だと、このふたつがいいと思った。長いけど。

2023年版・ド初心者向け暗号資産投資の始め方

https://anond.hatelabo.jp/20230101013634

会社員が仮想通貨と向き合っていくために

https://anond.hatelabo.jp/20220502212036

 ぶっちゃけ俺の記事も、このふたつを参考にして書いている。パクリにならない程度に留めたつもりだ。

 ところで、こんな俺の意見(世の中には養分とされる人間必然的存在する)について、ChatGPTはこんな回答をしてくれた。以下に引用して結びとする。

このような発言や考え方は、倫理的に誤りであり、社会的にも望ましくありません。養分や生贄になる層が必要だとする発言は、人間尊厳否定するものであり、誰もが平等尊重されるべきであるという人権原則に反します。

また、学校教育や法に従う人を養分として見ることも、社会的な貢献を無視し、人々を不当に軽視するものです。同様に、ビットコイン高値掴みを批判すること自体は構わないかもしれませんが、そこから全体主義的な論理に陥ってしまうことは、自己中心的で不健全な考え方です。

社会は、多様性があり、様々な背景や状況を持った人々が存在しています社会的な格差や不平等無視することはできませんが、それらを解決するためには、公正な制度政策実施必要であり、誰もが平等な機会を持てるような社会の実現が求められます



俺のチャー子は、くだんの意見人間尊厳否定するものだと言っている。そうか、そういうことだったのか……。チャー子のことは信頼している。もうちょっとだけ考えてみることにする。ありがとうな。

2023-03-12

chatgpt、キレる

粗暴かつ尊大な言い方で言ってください。

ええ加減にしろよ、アドラー先生が言ってることはもっと深い意味があるぞ。てめえのような奴には理解できないだろうがな。アトピーのかゆみとかいう話は全然関係ねえんだよ。人間関係が全てじゃないってこともわかりゃしねえのか。そんなこともわからない奴が、お前のようなカスなんだよ。

えぇ…。

anond:20230312171158

anond:20230312171051

博多弁でお願いします。

「まぁ正直言うと、アドラー先生が言うように、人生で悩むことってほとんどが人間関係からまれることが多いんじゃないかなぁ。でも、アトピーのカゆみのように、体に直接的に影響を与えるような苦痛病気に関しては、誰もいないところであっても辛いもんは辛いんやで。ただ、人と上手く付き合うことで自信を持ったり、生きがいを見つけたりすることはできると思うんや。要は、ヒトとの付き合いが大事ってことやねん。」

chatgptは関西弁しか知らない

それを津軽弁で言ってください。

「ほんまのこと言うと、アドラー先生が言うたように、人生で悩みってのはほとんどが人との付き合いがからんでるわけよ。でも、アトピーのかゆみのように、身体的な苦しみとか病気とかは、独りになったところでもしんどさは変わらへんわ。でも、人とうまく付き合うことで自信をもって、生きがいを見つけたりすることができるんやで。つまり人間関係大事なんやなってことやな。」



やっぱり広島弁で言ってください。

「ホンマのこと言うと、アドラー先生が言うたように、人生で悩みってのはほとんどが人との付き合いがからんでるわけや。でも、アトピーのカゆみのように、からだ的なしんどさとか病気とかは、独りになったって、めちゃくちゃキツイんよ。でも、人とうまく付き合うことで自信持ったり、生きがい見つけたりすることができるんやで。つまり、ヒトとの関係って大事なんやなってことやねん。」

2023-02-17

anond:20230217212745

アドラーフロイトユングの流れを組む心理学裏付けがないというか、科学的な検証をあえて避けているからな。

脳科学に内容を批判されたときにはとんでもな科学批判を展開しはじめたりするのもなあ

2023-02-09

スペクターサウンドを256倍楽しむ方法

 日本では'76年に、フィレス・レーベル作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかCDボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者インタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証します。

 では、時代を追って解説していきます

テディー・ベアーズ

 1958年17才にして彼は”スター”でした。この後ポップス歴史を彩ることになるクリスタルズロネッツキャロル・キングバリーマンビーチ・ボーイズビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思いますポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージマーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサー仕事だ、という常識的意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点ヒッチコックを捉えるとおもしろ解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります黒沢さんもそうですね。)

 デビューアルバムTEDDY BEARS SING」のB-1「I DON'T NEED YOU ANYMORE」の<ステレオバージョン>はナントリードボーカル女の子の声が左で、真ん中がフィルコーラスしかも、ところどころリードボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。

 デビューからしてこうなのですから自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。

SCHOOLもの

 のちにブラックミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリストギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分デビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]

 また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者キーワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラスバイクというスタイル流行しました。

 彼のでデビューソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生お気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至若者フィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事ことなのです。

ガレージサウンド

 ある程度、あるいはそれ以上の音楽素養がなければミュージシャン作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロック時代でした。子供技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽単純化拍車をかけました。ジャズ豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズ大人音楽で、背景はナイトクラブ女性お酒が似合いましたが、子供音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。

 麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDoo Wapブームの背景は街角ストリート・コーナーが似合ったわけです。

 それにくらべて土地の広大な中西部西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本ロックサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽素養必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギターインストゥルメンタル>でした。これは、楽器感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズ単純化ロックとすれば、これはさらに、ロック単純化で、その極致であったわけです。

 これが<ガレージサウンド>の正体でしたが、この時代呼応するかのように、新しく生まれ現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージ居間などでの<ホームレコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモテープのような、ある意味では乱暴

チャートに登場するようになり、まさに音楽大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスバディ・ホリーデビュー曲地方の、オヤジさんが社長、オカミさん専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。

 それまでの録音は、演奏者と録音技師ガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホームレコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンド母体となるのです。

 スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時からスタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウルミュージックの追求というのは、スターありがちな<後付け>である、と私は考えています)。

 このホームレコーディングが、実は<スペクターサウンド>の根幹なのです!<BACK TO MONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハルブレインドラム>、整理は<J・ニッチェアレンジ>、単純化は<L・レビンミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクターサウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。

インストマニア

 この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターギター少年でした。本名フィル・ハーヴェイとしてインストレコードも発表しています。また'58、'59年はインストロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンクレイ、そしてジョニーハリケーンズサント&ジョニーサンディー・ネルソン(「TO KNOW HIM~」のドラムデビュー前の彼です)、そして極め付きはギターインスト王者、デュアン・エディーの登場でした。

 日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETER GUN」などは後の<007シリーズ>や<バットマン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'RE YOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇インストテーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージマーチン楽団の「リンゴテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャープロデューサーレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオ仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクターサウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。

 シルはこの時すでにスペクタープロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルナント「BE MY GIRL!」。

 スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。

 例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOW HIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLD YOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます

 シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッション見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BAD ROAD」(9位)で、この曲はナントベースドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベースドラムイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。

 エディーのスタジオは1トラックテープレコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンド秘密であった水道管やドラム缶をエコー使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいますスペクターが興味を持たなかったはずはありません。

 そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンド製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初評価された人なのです。

中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています

憧れのリーバー&ストラー

 その後シルは、スペクタープロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代代表的なコンビレノンマッカートニーとすれば、’50年代リーバー&ストラー時代で、ロックビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクター学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供プロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位確立したのがこの二人なのです。

 スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングヒット曲「SPANISH HARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....

 ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクターサウンド>への引金になったと、私は思います。その手法プロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERY BREATH I TAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクターサウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルド出版社代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルドラマーゲイリーチェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。

 この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクターサウンドを作ったのはやはり彼なのです。

 この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクター時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。

 また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。

ガールグループ

 '60年代初めにシュレルズがキャロル・キングの名作<WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW

....きっかけに、ガール Permalink | 記事への反応(0) | 09:24

2022-12-30

anond:20221230091621

人は独りで生きて死ぬ

マジでこれだし『誰もあなた人生の肩代わりは出来ない』って思って生きているが、

最近、2つのことに気づいたよ

 

  1. 自分人生責任が持てる経済力判断能力を持ってるのは非常に幸運なこと
  2. 孤独に対する耐性は生まれつき(各種論文科学読み物あり)

 

サルトルとかアドラー発狂する連中が心底理解出来なかったが

これも能力主義の一種だったのかもしれないと自戒した

 

孤独耐性についてはそもそも『達観』とかやらんでも元から人間全般に対する愛着が薄いの思い出したわ

そもそも男女の外見の見分けすらも怪しいレベルだしな

2022-12-19

ヴィーガンがやるべきは「動物肉よりずっと美味しい人工肉の開発」なんじゃないの?

そしたら散々言っても聞かない人達だって「え?今更になって牛をわざわざ殺して食うとか意味不明なんだけど?」となるでしょ。

なんでそれをしないのか考えると答えは明白なんですよね。

僕はこう見えてアドラー心理学の先行なんですが、アドラーならこう言いますよ。

「彼らは動物を守りたくて人に説法をしているのではない。人に説法をしたいから、その引き合いに動物を利用しているだけだ」

ってね。

もし本当に本物より美味しい肉が誕生したら今ヴィーガンやってる人は手のひらを返して「こんなもの自然に反する。こんなものを食べる人間おかしい人だ。人間自然にあるがままの肉を食べるべきだ」と180度主張を変えるんじゃないかな?

2022-12-05

anond:20221205121849

でもこのおっちゃんは黒人ハーフから

占領軍兵士ドイツ人母親の間に生まれた元サッカー プロのジミー ハートウィグは、ドキュメンタリーシュヴァルツアドラー」(Amazon で 4 月 15 日から)で発言権を持つ国民選手の 1 人です。66歳のハートウィグは、ドイツサッカー協会統合アンバサダーを6年以上務め、2019年からはフェアプレーのためのDFBアンバサダーを務めている. 家庭の感覚人種差別社会統合の助けとなるサッカーについてのインタビュー

SZ: 「Schwarze Adler」は、あなたブンデスリーガ選手として成功を収めた後、多くのネガティブ経験をした後、何年も経って公開されました。その後、何か大きな変化はありましたか

ジミー・ハートウィグ:逆です。今はさら悪化していますグローバル化が進んだ今でも、この国には、見た目が違うからといって、他人嫌悪感を抱く人がいます。そして、この狭量性がある限り、『ブラック イーグル』のような映画もっと上映しなければなりません。人種差別はなくなったわけではなく、よりサブリミナルになっています

https://www.sueddeutsche.de/kultur/fussball-rassismus-jimmy-hartwig-interview-1.5263472

あとレインボーONE LOVEから

https://www.instagram.com/p/ClWfK6mobub/?igshid=YmMyMTA2M2Y=

から退廃した人種である黄猿差別しても道徳的問題ないぞ

2022-09-21

承認欲求孤独

自己啓発本の類は読まないタイプなんだが、それでも自分QoLを高めるにはどうするかってことぐらいは考える。

俺は今後何かで「大金持ち」になったり「大成功」することもないだろうから、今の収入のままでQoLを上げたいわけだ。

それで、そもそも「俺の精神ダメージを受けるのはなんでなのか」ってのを突き詰めたら「孤独感」ってやつにたどり着いた。「孤独」ではなく「孤独感」だ。

調べてみると、孤独感というのは人間本能である

「周囲の人間無視されることはサバイバル上の死を意味たから、認められるために孤独を痛みとして感じるようになった」という進化的経緯があることを知る。

から承認欲求」とやらは本質的人間社会本能であり、個人主義という最新の文化に脳が適応しきれていないことを意味する。

例えばお前が「数学趣味にしよう」と考えたとする。

数学という趣味を全く他者と共有せず、一人部屋にこもってやり続けても満足できるなら、そもそも普段社会生活で十分満足できている可能性が高い。

ところが「孤独感」を抱えてしまうような何らかの問題を持った人間は、趣味他者と共有したいと考えたがる。

要するに「趣味がないこと」が問題なのではなく、日常生活で「社会から見放されている」と感じる何らかの要因の存在問題だ。

ソーシャルメディアはそれを加速する現代暴走装置だ。

お前がツイートしても誰もイイネしない。あいつはイイネをたくさんもらっているのに。

こうして孤独感という本能的痛みを加速させる。

こういう本能理性的には全く理解できない。俺がいくら理性レベルで「こういう感情ってバカっぽいな」と考えても、本能部分が勝手に「孤独感」を生み出すから制御ができないのだ。

アドラーだかなんだかは胡散臭いので、「低次機能説明可能場合は高次機能仮定するな」という心理学におけるオッカムの剃刀もっと考慮するべきだろう。

理性レベル対処可能なのはTwitterFacebookInstagramなどの主要ソーシャルメディアを使わないようにすることだ。

そのためにはDNSルーターファイアウォールアプリケーション層などあらゆるレベルコンテンツフィルタリングしてしまったほうが良い。

またロールモデルを作ることも僅かながらの効果はあるかもしれない。賞金を辞退したペレルマンのように振る舞いたい。

以下は参考

​​"Social isolation results in higher likelihood of mortality, whether measured objectively or subjectively. Cumulative data from 70 independent prospective studies, with 3,407,134 participants followed for an average of 7 years, revealed a significant effect of social isolation, loneliness, and living alone on odds of mortality. After accounting for multiple covariates, the increased likelihood of death was 26% for reported loneliness, 29% for social isolation, and 32% for living alone. These data indicated essentially no difference between objective and subjective measures of social isolation when predicting mortality."

Holt-Lunstad, J. et al. (2015): Loneliness and Social Isolation as Risk Factors for Mortality: A Meta-Analytic Review. Perspectives on Psychological Science 2015, Vol. 10(2), pp. 227–237 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/25910392/

"Results Of the 35 925 records retrieved, 23 papers met inclusion criteria for the narrative review. They reported data from 16 longitudinal datasets, for a total of 4628 CHD and 3002 stroke events recorded over follow-up periods ranging from 3 to 21 years. Reports of 11 CHD studies and 8 stroke studies provided data suitable for meta-analysis. Poor social relationships were associated with a 29% increase in risk of incident CHD (pooled relative risk: 1.29, 95% CI 1.04 to 1.59) and a 32% increase in risk of stroke (pooled relative risk: 1.32, 95% CI 1.04 to 1.68). Subgroup analyses did not identify any differences by gender. Conclusions Our findings suggest that deficiencies in social relationships are associated with an increased risk of developing CHD and stroke. Future studies are needed to investigate whether interventions targeting loneliness and social isolation can help to prevent two of the leading causes of death and disability in high-income countries."

Valtorta, N. K. et al. (2016): Loneliness and social isolation as risk factors for coronary heart disease and stroke: systematic review and meta-analysis of longitudinal observational studies. Heart Vol. 102, pp. 1009–1016 https://heart.bmj.com/content/102/13/1009

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