はてなキーワード: mcuとは
サノスは「宇宙の資源は有限だから人口調整しないとだよねー」という思想をもって「無差別」に全宇宙の生命体を半分にしたわけじゃん。サノスの部下も半分になってるし、サノス本人もガントレットの力で大けがを負って、しかも使命を終わらせた後は田舎に隠居して農家をやってる。別に「宇宙支配て自分のものにしちゃお」みたいな私利私欲に駆られて世界を滅ぼそうとしたわけじゃない。なんならガントレットの力でサノス本人が消えていた可能性もあったし、サノスもそれは覚悟してたはず。
なのにアベンジャーズはサノスと「資源の問題」を一切話し合わずに「うるせーぶっ〇す!」って勝手に時を戻してサノスの問題解決を一方的になかったことにして、最終的にそれを阻止してしまう。
いや、えーねんで。えーねんけど、じゃあ宇宙の資源問題はどうすんの?って話じゃん? 仮に宇宙の資源問題を解決する糸口がある、もしくはサノスの考える「宇宙の資源問題はそもそも存在しない」ことを証明できるならサノスはそれを聞き入れる器がある存在だと思うのよ。あ、解決できるんやったら半分にする必要ないな、くらいのことはね。頭もいいし強大な力も科学力もあるサノスならちゃんと何度もシミュレーションした上でのことだと思うのよ。
なのにアベンジャーズは一時の情に駆られてサノスをぶっ〇してしまう。えーのん?ってこと。サノスが解決しようとした宇宙の資源問題に関しては完全に棚上げじゃん。そらお前らのほとんどは宇宙の資源が枯渇する前に死ぬからいいだろうけど、遺された奴らはどーすんのさ。
私はそんなアベンジャーズの無責任な態度にめちゃくちゃ怒ているよ。
ちなみにこれはMCUでの話ね。
アメコミ版のサノスは「死ってカッコええやん?」という典型的な厨二病を発症して死の神(概念)ミストレス・デスに傾倒。デスの気を引くために自分の星に核を落としたり、デスに信仰を証明するために全宇宙の生命体を半分にしたりするめちゃくちゃサイコ野郎なので容赦なくぶっ〇すべきだと思います。ハイ。
私はキャプテンアメリカが大好きだった。
筋骨隆々で、パワーで敵をなぎ倒す姿が大好きだった。
キャプテンアメリカのクッキーを焼いたり、キャプテンアメリカのクッションを購入するほど好きだった。
見直すことでMCUへの愛情が増す一方、キャプテンアメリカへの嫌悪感が増していった。
揺れながらトニーのわがままにうんざりしていた。この時の私はキャプテンアメリカを盲目的に信じていた。
キャプテンはヒーローとしての責任を果たそうとしているのに、邪魔をするトニーと考えていた。
だが、今はどうだろう。冷静に考えて欲しい。
街一つを簡単に破壊する力を持った人達が、野放しになっていたら危機感を覚えないだろうか。
アベンジャーズがヒーローとして戦わなければ、さらに悲惨なことになったのは事実だ。
だが、戦場がソコヴィアという遠い地だったために危機感を感じなかっただけではないか。
その時に何も制約を持っていないヒーローたちが現れて、人類を守るという行為を理由に日本を破壊して回ったらどう思うだろうか。
ここまで考え、アベンジャーズのために、人類のために、ヒーローを国連に管理してもらい、
みんなが納得できるように活動できるようにしようとしたのがトニーなのだ。
キャプテンアメリカはどうだっただろうか。
管理されたくないと仲間を連れてアベンジャーズを抜けただけである。
人類に危険視されているのに、空港で飛行機を破壊、ワンダに関しては一般人の車を次から次へと落として破壊していたではないか。
ここまでは考え方の違いなので、まだフォローする余地があると思う。
だが、最終的にキャプテンアメリカが何をしたか覚えているだろうか。
トニーの父親を殺したバッキーと、トニーの父親が作った盾で、被害者であるトニーを叩きのめしたではないか。
さらに最新作のファルコン&ウィンターソルジャーでも、キャプテンアメリカの人間性を象徴するエピソードがあった。
シビルウォーでは、キャプテンアメリカは追われる立場にあり、盾を国に没収されていた。
その盾をキャプテンアメリカに盗んで渡してくれたのは、シャロン・カーターである。
キャプテンアメリカのために、シャロンは国から盾を盗み、渡したのである。
キャプテンアメリカは感動し、シャロンにキスをするという印象的なシーンがある。
ファルコン&ウィンターソルジャーでは、シャロンのその後が明かされる。
幸せに暮らしていると思っていた。指パッチンで消えた人類の半分を助けたヒーローと両想いになっているシャロンなのだから。
だが、現実は違った。キャプテンアメリカのために国から盾を盗んだ罪が消えずに逃亡生活をしていたのだ。
この時キャプテンアメリカは何をしているのだろう。
インフィニティストーンを返却した後、自分勝手な理由でペギーカーターと楽しい人生を送っていたのだ。
100歩譲ってペギーと暮らすのは許そう。
だが、過去に戻ったキャプテンアメリカがシャロンを助けることはできたのではないか。
このとき私の中でキャプテンアメリカへの憎しみが最高潮に達した。
今までは気づかないようにしていたキャプテンアメリカへの憎しみが心の中から溢れ出てきた。
今まで違和感を感じていたが、何とか抑え込んでいたキャプテンアメリカへ負の感情がとめどなくあふれ出てきていた。
私はキャプテンアメリカが憎い。
ワンダビジョンが考察の楽しいびっくり箱だった分、こう、ちゃんとMCUしてる。
言われるまでわかってなかったけど、アイアンマンいないしキャップいないし、ブラックパンサーは物理的にいない、ソーはリーダーではないし、スパイディは大好きだが、リーダー株じゃないよね…。
アントマン社長も引っ張ってく感じではないし…じゃあ魔法使いの方はちょっとアメリカのリーダーではないもんね。
アメコミの方は読んでないから、新しいヒーローが!!!みたいな予測はさっぱりできない。
フェーズ4に移る際に新しいリーダーは実はなくて、ぐちゃぐちゃなアベンジャーズが始まる「多様性」みたいな振りじゃなかろうな…
自分はスターウォーズシリーズのそこそこファンだが、ジョージ・ルーカスが作ったもの以外は偽物という狂信者ではない。
(ただ、マンダロリアン最終回を観たジョージ・ルーカスがベイビーヨーダを救うためにEp7~9をスターウォーズ正史から除外すると発言したのは面白かったが)
とはいえ、やはりジョージ・ルーカスが関わらなかったスターウォーズにイマイチ食指は伸びず昨日の地上波初放送までEp9は観ていなかった。
一応昨日観たのでその感想を覚え書き。
何あの最後。
来たと思ったら能力奪われて、吹き飛ばされて落ちて、パルパティーンが死んだあとに登ってきてチューして消えるって。
あそこ、レイと共闘してあともう少しというところまでパルパティーンを追い込んだけど、
不意を突かれてピンチのレイをかばって・・・そういう演出もできたよね?
そして、これはEp8を観たときにも思った。
ジェダイを裏切り裏切られ、シスも裏切った存在として、スターウォーズの中でもかなり特殊な立ち位置に立っていた。
なのにその後また仮面をかぶっていたし、最後はただの(クソ雑魚)ジェダイだった。
パルパティーンなんか出さずにジェダイでもシスでもない、ただ憎しみに燃える(けどレイちゃんが好きな)カイロレンをラスボスにすることもできたと思う。
そして、確かにジェダイが絶対正義ってわけでもないかも、という疑問をスターウォーズファンに持たせる事もできたと思う。
カイロレンは今までのスターウォーズ=ジェダイ絶対正義を否定するというもっと大きなテーマを持たせることのできたキャラだったと思うので、ただただもったいないの一言。
日和るくらいならEp8みないな映画やカイロレンみたいなキャラを作るなよと。
あまり伏線は追ってなかったので、もしかしたら伏線はあったのかもしれないが、
みんなスカイウォーカーなんだ!って感じの終わり方もなんかダサかった。
せめて最後にフィンのことを助けさせてやれよ。
そこが一番残念だった。
今までのスターウォーズを否定して新しい物語を作る種をたくさん仕込んでいたのに、
結局無難にパルパティーンが出てきて、シスはジェダイに負けて、ジェダイは最高で、
これはマジで最高だった。
とりあえずこんな感想。
いま私はMCU作品全てを見ろとものすごいプッシュされている。
頑張って、インクレディブルハルク、アイアンマン、アイアンマン2、キャプテンアメリカまでは見た。
でも、まだ、のれてない。
というか、もう、のれないことがわかりきってる。
MARVELが嫌いとかじゃなくて、なんか、他人にめっちゃ面白いから見て!!マジ泣けるから!!みたいな前置きで薦められた時点ですごく冷めてて
自分で興味を持って観た映画とかはそんなことにはならないんだけど
他人に薦められただけで一気に興味が失せるのなんとかならんのか。
ちなみに、今回とは別の他人にはエヴァンゲリオンをすすめられたり物語シリーズやこのすば、ベルセルクをすすめられたりしたけど
どれものれなかった。
これなんかの病気なんだろうかと思うくらいにはどの作品にも興味が持てない。
薦めて来られる作品がどれも単体じゃなくていっぱいあって全部見ろみたいなのが気に入らないのかもしれない。
ちなみにバナナフィッシュの漫画版はいきなり全巻貸してもらって半年かけて読んだ
悩みどころだ
EGから1年半以上が過ぎた。
あの胸のつまるラストの記憶もうすれて、やっと平常心でEGの次作にあたるスパイダーマンファーフロムホームが見れそうだな。と思って、見た。
もしかしたら、FFHを見るための時間をおきすぎたかもしれない…。冷静になりすぎた。
あれ?あの時は何にそんなに熱狂的だったんだろうか。と、そんな気分になって、ざっとFFHの感想とやっぱりEGのラストについて納得できてない件を1年半ぶりの書こうと思い、書くからには忘れてるシーンもあるから、見返そうと思って飛ばし飛ばしでEG見直した。
トニーのラストシーンに涙した。それもツーと一筋とかではなく鼻をすするほど泣いた。
トニー…。 あぁ。トニー…。
でも… 涙はするけど…
強大な力のある石をトニーに使わせる。
このラストには物申したい。アイアンマンでもウルトロンでも、トニーはテロ集団に拉致監禁されてからずっと、自分の作ってきた武器、廃棄について悩んできたのに…
平和のために作った物で戦争が起きてることに嘆いてたのに… そんなトニーの結末は悲しすぎる…。
しかし。
その気持ちは、EG初見当時と変わらないから、リンクを貼っておく。
続き物は適切な見るタイミングがあるなぁ。と。
やっぱ映画は劇場で公開されてる時がベストなタイミングだな。と実感した。
まぁそうは思うものの、公開予定の次作がブラックウィドウってところもあいまって、残念ながら、アベンジャーズシリーズはもうあの時ほど熱狂に追いかけられなさそうだ。
FFHは、まぁ、面白かった。
が、EGのエピローグ感が強い。
実際FFHでインフィニティ・サーガの完結作品だからそれでいいんだろうけど、他の作品に比べるとEGを見ずに、FFH単体で見た場合にイマイチ話に乗り切れない、入り込めないのが微妙だと思う。
そして、スパイダーマンの次作になるスパイダーマン3(タイトル未定)への伏線として、(おそらく3の冒頭では簡単なFFHの振り返りがあるだろうけど)FFHを見ないと3が楽しめなそうという点も微妙だ。これは人に勧めづらい。
内容は、基本のスパイダーマンにMCUの繋がりをうまくいれてある感じの仕上がりだった。
サムライミ版、アメスパとも違う、ディズニーみのあるスパイダーマンになってると思う。
FFHを見る限りでは、MUC的にスパイダーマンは欠かせない存在になりそうだから、是非ともディズニーは興行収入等々で「我、ディズニーぞ。」という態度になって、SONYさんといざこざらない事を願うばなりだ。
アベンジャーズが正にそれです。MCUを順に行くなら「アベンジャーズ」と「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」だけ観てスパイダーマンが客演している「キャプテンアメリカ/シビルウォー」に行くのが最短ですね。
でもそもそもMCUの単独映画はそれぞれが十分初心者向けなので、スパイダーマンが目当てなら「スパイダーマン:ホームカミング」から観るのでも全然構わないでしょう。
原書に手出してないし他のアメコミの邦訳もかじってないのに「アメコミにわかではないとおもうんだよね」って言っちゃう増田も増田だし、MCU以外にもいろいろあるのにMCUしか興味なさそうな周りも周り。
お互い様。
【追記】
・MCU、オールスターズとか好きな人のとこから見て良いのね。ちょっと調べたら「やっぱり順に見た方が良いでしょう!」って十何本もおすすめするコメントばかりだったから戸惑ってた。
わからんことは無視していって、とりあえず興味あるところから見てみる。
・「アメコミにわか」に関しては完全に書き方が悪かったなと思った。
「アメコミにわかじゃない」=「もう玄人です」じゃなくて「飽きずにそこそこハマってきて、自分のなかで趣味のひとつに食い込んできてるかも」ぐらいのイメージでした。
ただ元々キャラ1人に一直線なタイプだからか、デップーから他に広がっていけてないのは自分でも悩んでる。アントマンの邦訳見てみようかな。
・あと、後出しごめんだけど、邦訳途中のシリーズ読みたかったので原書もちょっとだけ買ってる。英語苦手でほぼ読めてないからちゃんと書かなかったけど。英語で現行シリーズ追ってる人って本当にすごいよね。
知り合いも作品もなんにも悪くないんだけど、ちょっとモヤモヤしてるから書き捨て
去年ぐらいからアメコミ読み始めたんだよね、映画見ておもしろいじゃん!って思ってさ。
でもさ、ハマったのデッドプールなんだよね。MCUじゃないの。
そんでデッドプール面白~wって言ってると、他のアメコミ好きの知り合い(アントマン好き)にはあんまり良い顔されない。
アメコミ最近読んでるっていうとたまに反応されるけど、MCU見てないの知るとそうなんだ~で終わることもある。
まあわかるよ。普通のヒーローとは面白さのベクトルが違うし、ハチャメチャなところを押し出してくるしさ。
なんかにわかというか、ハチャメチャでオモロw 他は知らんw みたいに思われてるのかなあと落ち込んでる。
デップーは映画ももちろん見たけど、邦訳コミックならもう8割方集めてて、なんなら原書にも手を出そうかと思ってるぐらいだし、にわかではないと思うんだよね。
そもそも本格的に好きになったのは、良いことしようとしても全然報われず、手にした幸せも脆く崩れ去っていくけれど、徐々に周囲に受け入れられていく姿を見たから。
あとデップーは顔広いから、マーベル主要キャラを覚えるときも随分助けられた……。大集合結婚式は流石にほとんど分かんなかったけども……。
以前はキャプテンアメリカさえ分からなかった(マークとしては知ってたけど、アメコミのやつだとは知らなかった)のにここまでハマれたのはデップーのおかげだから、うーんって顔されるとしょんぼりしちゃう。
そもそも映画が苦手だからMCU見るの躊躇ってる、っていうのものも悪いんだけどね。
そこまで興味ない作品(キャラの好感度が普通でも映画の億劫さでマイナスされてる)を延々見るのかあ……と思うと、手が出せない。
ちょっと気になってるスパイダーマン見るまでに、一体何本見れば良いんだよ!!!
あとコミックと設定違うらしいし!!でもコミックで全キャラ追うのはさすがに無理!!破産する!!
デップーとスパイダーバースは、シリーズものじゃなくて単体で見れるからとても嬉しかった。
MCUも完全初心者用オールスターズみたいなのあれば良いのになあ……。
アベンジャーズ AVENGERS マーベル・シネマティック・ユニバース MCU 429
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/cinema/1575224785/
558 名無シネマ@上映中 (ワッチョイ d596-qgUI)[sage] 2019/12/06(金) 17:16:00.46 ID:CE0WsDi80
560 名無シネマ@上映中 (アウアウウー Saa9-LXAx)[sage] 2019/12/06(金) 17:33:07.43 ID:5wwC7mkfa
ステマだって騒ぐやつのおかげでアベンジャーズの知名度は上がる
561 名無シネマ@上映中 (ガラプー KKd1-v0cr)[sage] 2019/12/06(金) 17:42:57.66 ID:eXvWzla8K
562 名無シネマ@上映中 (スププ Sd43-gZGC)[sage] 2019/12/06(金) 17:43:02.05 ID:gy/N6N3Od
まあ60億円中6万円くらいはステマが原因により売り上げかもな。
563 名無シネマ@上映中 (ワッチョイ a59d-WBaP)[sage] 2019/12/06(金) 17:46:11.37 ID:A29cJHKm0
むしろ描かせておいて金を渡してないならディズニージャパンひでえなと思うけど
ショボめの作家に2、3ページの漫画描かせてショボめの金額渡してたなんて普通にコスパ悪い宣伝してんのアホだなーとしか思わないな
564 名無シネマ@上映中 (スププ Sd43-ATgE)[] 2019/12/06(金) 18:02:11.33 ID:zjCSYDtzd
ステマって言葉だけでネットは祭りになるし便乗キッズがワラワラ湧くからなぁ
565 名無シネマ@上映中 (アウアウウー Saa9-LXAx)[sage] 2019/12/06(金) 18:04:13.79 ID:5wwC7mkfa
567 名無シネマ@上映中 (ワッチョイ a59d-WBaP)[sage] 2019/12/06(金) 18:16:51.92 ID:A29cJHKm0
エンタメ情報をちゃんとお茶の間に届けようとしてるの王様のブランチとスッキリくらいだし
離婚やらステマやらでプチ炎上させてワイドショーでもアナ雪の名前を出す作戦か
574 名無シネマ@上映中 (ワッチョイ cdf6-a/RR)[sage] 2019/12/06(金) 19:11:39.35 ID:/5YF08Sm0
580 名無シネマ@上映中 (ワッチョイ d596-qgUI)[sage] 2019/12/06(金) 20:36:49.16 ID:CE0WsDi80
そのあらましを紹介するためのステマでしょ
583 名無シネマ@上映中 (アウアウカー Sab1-LXAx)[sage] 2019/12/06(金) 21:10:31.89 ID:Uj4rB051a
当時の映画好きが「邦画は本当にやばい」と絶望してたのを覚えてる。
トップの興行収入だけだとわかりづらいが、全体的な客数でいえば00年代以降、洋画が減り邦画が増えている。
それに対して映画好きが「いや探せばいい映画もたくさんある」って紹介する流れがあるけど、
90年代はむしろ映画好きが積極的に邦画は糞だと言ってたかもしれない。
いうても、日本が良質な映画作りをできてたのはスタジオシステムのおかげで、
それが崩壊したのが70年代半ばだから、80年代も結構ひどかったんだけどね。
ジブリの知名度が一般に広がったのはトトロがVHSで発売された90年前後からなんだけど、
そのブランド力がうまい具合に邦画の低迷期を支えてくれる形に。90年代のジブリ映画が本当に質が高かったのかどうかは別として。
で、情けないことに、実写邦画の低迷をすくったのが、
テレビ資本の大作邦画というモデルはこの辺りから始まって、現在まで続いてる。
東映のこどもまつりをドラマでやってるのと同じ、ともいえるけど。
クオリティも似たようなもんだ。
「ファンの信用を失うのは非常に簡単ですが、それを取り戻すのは非常に難しいことです。」
「長い時間をかけて我々は挑戦し、皆さんの信用を取り戻すつもりですが、それは我々が企業として長期間努力をしなければならないということです。」
「最初のロンチの時に多くのファンを失望させてしまいました。世界中のファンは素晴らしいものを期待していましたが、我々は彼らをがっかりさせ、信用を失ったと感じています。その信用を取り戻すために、プロジェクトにはまだ我々がいるということ、そして、スクウェア・エニックスは素晴らしいものを作ることに専念しているといるというのを示さなくてはなりません。無茶な考えかもしれませんが、我々はやらなくてはなりません。」
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が目前に迫っているというのにまだまったく心の準備ができていない。大波が押し寄せてくるのを確かに認めながら、砂浜で引き波に足を取られたまま呆然と立ち尽くしてしまっているような、そんな状態だ。
『Once upon a Time in...Hollywood』というタイトルをはじめて聞いたとき、マジで引退しようとしてるの…!?と思った。現時点では「10作品撮ったら引退する」と言っていたり(今回が9作目)、「今度のが大ヒットしたらこれでおしまい」と言っていたりまだ判然としないのだが、そういうゴシップ的な憶測はさておき、このタイトルが持つインパクトはあまりにも大きい。セルジオレオーネな意味合いもさることながら、それ以前にこの響きだ。
『昔々、ハリウッドで』。響きとしてあまりにも最終回すぎるのだ。仮に『クエンティン・タランティーノ』というドラマがあって、その主人公クエンティン・タランティーノが監督した作品が、ドラマの1話ごとのタイトルになっていたらと考えてみてほしい。第1話「掃き溜めの犬ども (Reservoir Dogs) 」、第2話「三文小説 (Pulp Fiction) 」、第3話「ジャッキー・ブラウン (Jackie Brown) 」、第4話「ビルを殺れ (Kill Bill) 」、……と進んでいって、第9話「昔々、ハリウッドで」である。どう見ても第9話で最終回じゃないか。こんなに引退作にふさわしいタイトルってなかなかないと思う。
なんてことをメモしていたら、タランティーノに子供が生まれるとのニュースが飛び込んできた。引退について語るのを話半分に聞きながら、だがこれで子供でも出来たりしたら本当に映画撮らなくなるかもな……とか考えていたのだが、うーん、思ったより早かったなあ。つまりこのところとみに饒舌になっていた引退話は、子供が生まれるという予測のもとに展開されていたわけだ。それにしてもさ。田中裕二に子供が生まれたり、タランティーノに子供が生まれたり、そんな日が来るなんておれは考えたことなかったよ。
といっておいて何だが、タランティーノの言う「引退」について想像するとき、たしかに寂しくはあるけれども、意外と悲観的な気持ちにはならないというのが今の正直な気持ちだ。
というのは、ひとつには、映画監督以外のフィールドでの仕事が見られる可能性に期待しているからだ。これは本人も言っていることだが、本を書いたりしたいらしい。タランティーノが書いた批評本なんて出たらぜひ読んでみたい。もしかしたら小説を書くかもしれない。それこそパルプなフィクションを。あるいは脚本を書くかもしれない。脚本タランティーノ × 監督デヴィッド・ロバート・ミッチェルなんて映画がつくられたら……など夢想するのも楽しい。
書く仕事ばかりとも限らない。いまのところ引退を語るうえでタランティーノが前提としているのは「劇場公開用映画」の監督業であって、フィルムに対する彼の偏愛と執着も、その前提があればこそ要請されてきたものだったと思う。その最前線から(いったん)身を引いたとき、ある意味でそれは「引退」だが、またある意味でそれは「解放」ともいえるのではないか。何が言いたいかというと、Netflixなどでタランティーノがドラマシリーズを制作する可能性はかなり高いのではないかということだ。この期に及んでタランティーノが劇場用長編映画をデジタルで撮る可能性はほとんど考えられないが、これがドラマシリーズだったら話は別だ。
タランティーノがつくるNetflixのドラマがあったら、それはどんなものになるだろうか。そのヒントになるような発言が最近あった。自身の監督作に登場したキャラクターのなかで、タランティーノが今でも折に触れて思いを馳せる人物がいるという。彼が挙げたのはザ・ブライド、ビル、ハンス・ランダ、アルド・レインの4人。タランティーノはそれぞれの人物にまつわる、いわばスピンオフ的なサイドストーリーについての妄想を語っていた。
①ザ・ブライドが10年後、15年後、どうしているか。娘はどんな人物に成長したか。これは長いあいだ噂されてきた『キル・ビル Vol.3』がもし実現した場合のストーリーになるだろう。
②ビルはいかにして巨悪となったか。エステバン・ビハイオ、服部半蔵、そしてパイ・メイという3人の「ゴッドファーザー」との関係を通して、ビルという悪魔的人物のオリジンを描く物語。
③ハンス・ランダはナンタケット島でどんな生活を送っているのか。ナチスきっての「名探偵」だったランダが、戦後20年くらい経ったナンタケットで起こる殺人事件を解決してゆく物語。
④アルド・レインは戦後どうなったか。教科書に載るレベルの「英雄」としてアメリカに帰ったはずのアルドが、ナチスにおけるフレデリック・ツォラーのように映画に主演する…という話。
なにこれ超おもしろそうじゃん!!!!! 全部見たい。見たすぎる。小説でもいい。読みたすぎる。ここで思い出したのだが、そういえばタランティーノこそ、地味に自分の作品世界を相互につなげてきた人だった。別の映画に登場するキャラクターたちが生きる一つの世界について語るとき、若き日の彼はたしかサリンジャーを引き合いに出していたように記憶するが、これって今風の言い方をすれば「タランティーノ・バース」だ。もちろんタランティーノの世界がMCUのようになってほしいなんて気持ちは毛頭ないけれど、ジャンゴのサイドストーリーはすでにコミック化されていることだし、劇場用映画としてはおそらくもう実現しないであろうヴィック&ヴィンセント・ヴェガ兄弟の話だって、何かしらのかたちで語られる可能性は全然あるわけだ……ということを、妄想できることがうれしい。それにしても「私立探偵ランダ in ナンタケット」は見たすぎるだろ。
で、仮に、タランティーノがこの次に撮る映画が本当に彼の「引退作」になるとするならば、その一本はやっぱり『キル・ビル Vol.3』であってほしいと、私はそう願わずにいられないのだ。
話を元に戻そう。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の公開が迫っているのに心の準備がなにもできていないという話だ。この映画、タイトルからしてこの有り様なものだから、映画監督クエンティン・タランティーノのいかにも「集大成」という感じがしてしまうのだけれども、しかし実際はそうでもなくて、むしろ今までになく「タランティーノっぽくない」映画になっていたりするんではなかろうかと期待している。それはひとえにこの作品が、タランティーノ本人にとってきわめてパーソナルなものとなっているような印象を受けるからだ。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』について、現時点で、私は予告編以外の情報をすべて遮断している。サントラにも触れてすらいない。だから実際どんな映画になっているのかはまったくわからないのだけれど、タイトルをはじめポスターや予告編を通して強く喚起されたのは、「郷愁」の念だ。それは1969年、大きな変革を遂げようとしていたハリウッドとその時代精神(タランティーノは "zeitgeist" という単語を本当によく使う)に対する郷愁であり、タランティーノ自身の幼少期へと向けられた郷愁でもある。しかしながらこの郷愁こそ、これまでのタランティーノ映画からはほとんど感じてこなかったものであり、ゆえに今作はどうにも「タランティーノっぽくない」ような気がしてしまうのだ。
タランティーノは、過去の映画や音楽からさまざまな要素をためらいなく取り入れることで自分の映画をつくってきた人だ。その特徴はたしかにタランティーノについて語るうえで欠かせないものだろう。でも彼の作品に宿る魅力を考えるうえでもっと重要なのは、そうした引用(あるいは盗用)のひとつひとつが、観客に郷愁を呼び起こすための装置には決してならないという点だ。観客を過去へといざなうことで「懐かしさ」に浸らせるのではなく、かつてとてもエキサイティングなものとして消費された文化の「エキサイティングな感覚」自体をそのまま現在に再現してしまえる才能。それがタランティーノのすごいところだと思うし、その意味で、郷愁、というのはむしろタランティーノの映画から最も遠いところにあった感情ではないかと思う。ところが今回の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』からは郷愁が強く香ってくる。そのダイレクトさがとても気になるのだ。それはとりもなおさず今作の特異な舞台設定によるものだと思うけれど、開映が迫っているためちょっともう書く時間がない。超中途半端。