はてなキーワード: RORとは
同い年じゃん。めっちゃ気持ちわかりすぎて、寝かけてたのにスマホ投げ出してPC立ち上げて書いてるわ。なにしてくれてんねん…。
俺もなんどか転職しててさー、開発会社(倒産)→SES(技術営業)→SES(開発)って感じで底辺をウロウロしてるよ。
技術への憧れ、わかるわ。とくにやりたいことがあるわけじゃないんだけど、アジャイル本・RoR・Vue.js・Python・Git、AWSの本とか買ったわ。業務で使う機会ないけど。
<クソ長い俺の経歴という名の愚痴を書いてたが消した。1~2時間くらい書いてたわ、バカかな?>
俺は「金」より「やりたいこと」をとったよ。こっちのほうが後悔しないかなって思って。
年収はすげー下がったし(300万→550万→350万)、今やってるとこもクソみてえな現場に派遣されて技術成長は皆無で辛いし
33歳で年収350万ってのはちと泣けてくるし…もうちょい収入か技術力がついてれば「やりたいこと」を選択してよかったって言えるんだがなあ。いまんとこ、後悔4割って感じかな…。
昔はMicro$oftなんてあったけどw
まあRuby on Rails、PHP、Wordpressみたいなキーワードはコモディティだし腐したくなる気持ちは分からんでもないけど、
node.js登場時なんてクソミソに言われてたからなあ、シングルスレッドのスケールしないゴミみたいに
TypeScriptもCoffeeScript勢からは良く思われてなかった気がする、MSだし
Visual Studio Codeもvimだのemacsだのからは嫌われてたし、いや、それは今でもそうか…
そういう話になるとnode.jsの不満というかセキュリティ的な懸念点とか考えたくなってくるけどやめよう
コモディティネタは儲けが少ないし、RoRは負債になってきてるのでレガシー案件を任されがちというのはあると思うけど、
RoR登場時には猫も杓子もRoRみたいな盛り上がりだったし、
Struts 1だって登場時には盛り上がってたと思う、多分、あんまり記憶にないけどw
DX(Digital Transformation)って企業ITのお金をSIerからGAFAをはじめとしたクラウドサービスベンダー(SaaS,PaaS)に振り向けていこうよって一大ムーブメントなの?
それって単に食い物にされるのがSIerからクラウドベンダー変わっただけだろ
通産省も「2025年の壁」とか言い出して、今までのやり方はもうダメだ的なメッセージを出しているように受け取れるけど、クラウドサービスベンダーから金もらってんかね?
システムを作り込むな?
いやいや 自社のポカ避けや不良対策の粋を集めたものが十把一絡げのお仕着せのシステムで賄える訳ないでしょうよ
オートクチュールでパーティーに行っていたのを、金かかるからパーティーもファストファッションでいいじゃんってのと一緒だろ
あと流行りのNoCode、LowCodeのプラットフォームってどうなの?
安全装置のないクルマが粗製乱造されて街中を走り回るイメージしかないのだが
島根オリジンのヤツから派生したRoR(Ruby on Rails)がもてはやされた折も、導入されていくつか大きなシステムになってるが最近は導入当初のようにササッと開発してササッと使って成果を出しましょうってのとは程遠い存在になりつつあるのだが
かなり興奮しているし酔っているので要領を得ないかも。
今日急にうちに派遣で来てるおっさんに飲みに誘われて、会社の近くの安い居酒屋につれていかれた。
なんで誘われたかというとこれもうまく言えないのだが、チームや全体での飲み会で近くにいることが多く、不幸なことに自分が少し聞き上手だからかもしれない。
とにかく席についてビールが来ないうちに、人をばかにしたような半笑いで話を切り出された。
おっさんが持っている10年も前にあったようなガラケーのメモ帳画面を見せられ、君になら理解できるだろうとかクィータとかいうサイトにはろくな人材がいないとかブツブツ言っていて、俺はメモの中身を読み進めているうちに顔が引きつっていくのがわかってなぜか記事自体よりもそのことで笑いが止まらなくなりそうなった。
しばらく自分はどうすればいいのか知らないふりをするべきか、なだめたほうがいいのかまじでわからなかったのだが、結局記事の本意を聞きたい好奇心には打ち勝てなかった。
ちなみに自分の仕事場ではWinXPが現役で動いている。派遣おっさんも含め会社がそういうカラーだと言えば伝わるだろうか。
自分は趣味でReact(ないしReactNative) とかで家計簿アプリを作っているし、Androidも(それこそJavaでだが)やっていてちょっと新しい技術は知っているというレベルである。
端的に言うと「必修」という意味で使ったらしい。ルー大柴かおまえは。いや意味が通ってないしルーに失礼か。
・JavaとJavascriptが同列になっている点について
どうやらプロトタイプベースのオブジェクト志向という意味をはきちがえている。
つまりJavascriptはオブジェクト指向言語のプロトタイプとして生まれた言語であり、完全オブジェクト指向言語(これも意味がわからなかった)のJavaとは切っても切り離せない関係であると思っているらしい。もう自分はここらへんから笑いが変な声で漏れる笑いを堪えられなくなっていて、喘息気味なんですとかアホな言い訳で必死にごまかそうとしていたんだけれど、この派遣のおっさんに対してそこまで気を使っている自分にも笑いが止まらなくなってまあなんというか、おもしろかった。
Rubyが(というかRORが?)動作が遅いという話をどこかで読んだか聞いたかしたらしく、そして動作が遅いかわりに処理がしっかりしている(現文ママ)という位置付けの言語だと思っているらしい。正確性が必要な処理はサブルーチンにしたRubyに投げるべきだとかなんとか。
パッセンジャーよりもエンジンクスにひもづけるべき(現文ママ)とか言っててもうビールがまずくて仕方ない。
・MSDN
自分はMSDNは学生時代にVisualC++とかで使ったことがあって、デスクトップアプリ用のライブラリだとずっと思ってたんだけど、違うんですかね。(無知)
MSDM(何度聞いてもエムにしか聞こえない)の逆アセンブリ言語がC++だとか、ここの話は輪をかけて本当に何言ってるのかわからなかった。
ねこのことを考えて耐えた。
・SQL
あんま深く考えてなかったらしい。言語と名前がついているから言語のくくりに入れた、くらいのスタンス。
ちなみになぜか、使ったこともないらしいSQLiteで配列型を使えないことは知っていた。
近年、転職した時に退職しましたブログを書くのが流行りのようなので書いてみる。
今転職しようか悩んでいるシステムエンジニアの人がいたら参考になれば。
ずっと小さいベンチャー企業を渡り歩いているせいで、インフラからバックエンドからフロントエンドからなんでもフルスタックでやってきた(人がいなさすぎてやらざるを得なかった)。
近年は自分も開発しながらマネジメントもするプレイングマネージャだった。
社名を出す勇気はないので出さないが、まあまあ有名なWebサービスをやっている非上場企業から、ある業界で手広くいろいろやっている一部上場企業に転職した。
2社の業界は全く違う。
年収は現状維持で変わらずに転職したのだが、これは自分にとってかなり上出来。
というのも前の会社が小さいベンチャー企業で、CTO的な立場で役員に気に入られていたこともあって、相場よりも大分高い給与をもらっていた。
なので、中規模以上の企業の基準ではこの年収では無理ではないかと考えていた。
というか実際それが理由で最終選考で断られた別の中規模企業もあった。
元が小さい企業というのも、大中規模企業への転職には足かせになった。
小さい企業のため、チームがせいぜい10名程度になるため、「PM経験あります!」とアピールしても、「10名程度じゃね〜」と軽く見られて響かないのだ。
エージェントを使って転職活動したのだが、そういうことはやる前から予測していたので、ダメ元で大中規模の有名企業を受けてみて、ダメなら有望なベンチャー企業を受けてみる、くらいに考えていた。
そしたら運良く経験やスキルセットがぴったりハマる企業がタイミング良くみつかり、1次面接でほぼ内定な感じでさらりと決まった。
で、なぜ大中規模の有名企業を志望したかというと、小さいベンチャー企業に疲れたのとそろそろある程度安定した環境で働きたくなったからだ。
小さいベンチャー企業は本当に波が大きい。
上手くいっているときは高級ホテルで盛大なパーティー開いちゃったりするくらい羽振りが良いが、ちょっとつまずくとすぐ単月で赤字決算になる。
大体主力業務1本でやってるから、その一つコケると会社全体が存続の危機になってしまう。
そうして経営危機を迎えると、「ここままではダメだ!会社に変革を!新しいことに挑戦しよう!」と会社の空気がなるのだが、「そうはいってもこれ以上悪くしたくない」という役員の保守的な気持ちも働いて、結局「失敗しないように挑戦しろ」というそれってつまり挑戦じゃないよねこれまで通りってことだよねっていうがっかりな指令がでて、やる気のある社員のモチベーションを下げる。
そうなるとスキルとやる気のある社員から抜けていくのは自明の理だ。
私もその一人だ。
前の会社は上層部を営業チームが占めているせいで、売上至上主義な会社だった。
そのため、ユーザビリティやシステムの堅牢性などは全く関心がなく、10年前のシステムが現役で動いているような有様だ。
少し前まではそれでもなんとかなっていたが、近年になりついにユーザとGoogleに見放されてしまった。
システムを革新して良いサービスを提供する競合他社に取られ始めたのだ。ユーザもSEOも。
役員はSEOコンサルを使ってシステム的に小細工すればSEOは取り返せると信じているようだが、それは10年前のSEO対策だ。
下手なことをするとスパムと見なされてもっと悪くなるよとは伝えはしたが、適当にいい加減なことを言うSEOコンサルを盲信していて、聞く耳は持ってもらえなかった。
そんな会社だが、ある程度自由にやらせてくれる風土もあったので、俺が担当しているところはどんどん勝手に新技術を取り入れていった。
事前に確認取るとOKでるのに時間かかったり、NGになったりするので、本当に勝手に作って、事後報告してた。
AWS上でReact+RoRのWebアプリを立ち上げ、ElastiCache、ElasticSearchなどなるべくAWSのサービスを使ってクラウドネイティブで動くようにした。
APIはAPI Gateway+Lambdaでサーバレスで動くようにした。
AWSに関して教えてくれる人は社内にはもちろんいないので、全て独学で習得した。
この行動が良かった。
もし前の会社で会社に言われた仕事だけしていたら、今頃どこにも転職できないしょうもないおっさんエンジニアになっていただろう。
だから、ベンチャー企業への転職を考えているエンジニアは、いつまでもそこにいれるとは思わないでほしい。
会社にエンジニアとして成長できる機会がないのであれば、自分から作っていかないといけない。
そして、会社の方針と自分の考え方が一致していることはとても大事だ。
それが違うと、経営危機の時に頑張ろうって気になれない。
転職するときの面接は、受けるこちらも会社を査定する場なので、その辺も良くみてほしい。
業界全体において今自分がどの位置にいてどのくらいの価値のある人間なのかわかるからだ。
まず職務経歴書を書いてみてほしい。
なぜハッカーが生まれなかったのかとか的外れなこと言ってる人がいるけど
ハッカーなんて、情弱でもわかりやすいパッケージとして見せられるかどうかだろう
任天堂の岩田さんだってハッカーとして売り出してたらハッカーってことになってただろうし
いつぞやゲームクリエイターというイメージパッケージはVジャンプが最初にやったんだ!という鳥嶋社長のインタビューがあった
本当かどうかは知らないが興味深い話なのでまだ読んでない人は読むといい
http://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima
ゲームという世界だし、ゲームクリエイターってのはハッカーに限らないから今回の話の例として出すのはおかしいと思うけど
つまり、日本においてハッカーというパッケージで売り出そうとしたメディアはいただろうかって話がある。
ゲームクリエイターというパッケージ以前も、ゲーム作ってるお兄さん的な存在で雑誌にインタビュー受けてたのは子供のころ読んでたゲーム雑誌で覚えているけど
ゲームクリエイターになってからは、常識変えてやります感とか急に出て驚いたのを覚えている。(背景は黒でピンスポットライトなんか充てられてね)
ハッカーもまさにそんな空気を演出したなにかだろう、コンピュータに詳しいおじさん以上の存在としての何かを日本のメディアは求めただろうかって話。
イメージパッケージ以上に影響が大きいのは、活躍の場、そして拡散の力、つまりそれは言語ってことだ
そもそもFacebookなんて技術力(つまりハッカー)の力でのし上がった企業ではない
つまりはコミュニケーション、拡散力が勝敗を決めるってことだよね
いやいや、技術力ありますやん、facebookすごいですやんって思うだろうが、それは結果的に金もった企業が雇ったにすぎない
RubyにしてもMatzが英語を駆使して布教したから、RoRにつながったんだろう
良い言語だからだけでは今のRubyの地位はなかった(それでもPythonと比べてどうのこうのと言われるのもきっと拡散力)
Matzさんはモルモン教徒で、大学を休学してアメリカで布教活動してたみたいだけど、今のRubyの地位とこの経験は無関係ではないと思うよね。
イメージパッケージ、拡散力、そしてそれを可能にするツールとしての英語
これはほんと重要だと思うよ。
ゲームなんかはオンリーワン的な存在だから、無効が翻訳させてくれって言ってくるの待っててもいいけど
ITなんかはサービス業だからこっちから行かなきゃ向こうで類似サービスが立ち上がって終わるだけ。
まだJAVAapplet全盛時代に日本でお絵描き掲示板ってのがはやって、これ海外でもoekakiBBSって名前でニッチなはやり方したんだけどさ
これアメリカでやってたらクラウドの時代だなんだってイメージパッケージしてこれが最先端ですって言ってただろうなって思った。
日本じゃアメリカのブログよりまえに、WEB日記がはやったけど、海外のメディアがブログだなんだと言い出してブログが流行り始めた
そういうことよ
大学では工学部ではない理系だったので右も左も分からないなりにがんばってみようと思っていた。
悪く言えば自分の能力に絶望して夢を諦めることになり都落ちした気分での就職だったのでやぶれかぶれだったというほうが近いかもしれない。
相性というか、背景の差とか常識の差みたいなものがあって、自分から見ると無駄の多い職場だなあと感じて研修期間が終わり本配属された。
本来の業務はいわゆる故障解析で、歩留まりを上げていくのが使命だった。
せっかくだから色んな所に首を突っ込み改善できそうなところは提案をしたり、自動化したり、それらのドキュメンテーションを書いてみたりした。
プログラミングの経験は皆無だったが、理論系卒が工学部に負けられんという謎のプライドでVBAから、Rやら自社製品の解析用環境の割と珍しいタイプのスクリプト言語など(特定されそうだからぼかすけど。)
とりあえず手が出せそうなものは何でも調べてみてありものを改造してみたり勝手に作ってみたりして提案していた。
物怖じしない新人がぎゃーぎゃー騒いでいるぐらいのものだったと思うが、何にせよいくつかの改善が上手く実務にハマって成果として認められたりしだしたのが1年目。
この辺で気付いたことだが、製造業のITリテラシーは驚くほど低い。製造業と一般化するのはフェアじゃないかもしれないから厳密に言えば弊社の、という意味だが。
なんせまともにプログラムを書いたことが無い新人が半年で身に着けた程度のスキルで書いたプログラムで、1日かかってた仕事が1時間で終わったりするのだ。
ようするにMS officeの達人みたいなのがいっぱいいて、Ctrl+CとCtrl+Vが機能のすべてだと思っているということだ。
(そして彼らの口癖は「忙しい」だ、会議中も左手はCtrl+CとCtrl+Vを叩き続けている。)
2年目に気付いたのは、弊社エンジニアのITリテラシーが低くとどまっている要員のひとつに、実はITインフラチームがことのほかマトモだということがある、ということだ。
製造中のセンサーデータやらテストデータやらETL的にはおそらくえげつない部分で、かなり優秀な人間が居て上手くぶん回し切っている様子だった。
無骨だが使いやすいイントラ上のwebページが用意されて、グロテスクな部分を気にせずクリックだけで上述のデータを整ったものとして引っ張ることができた。
だから逆に言えば下々の人間はコピペでなんとか恰好を整えられるのだった。
彼らはモダンな発想があって、あるいはお偉いさんが「ビッグデータ」とか言い出したのかもしれないが、ともかく、HadoopやらAWSやらそういったものを導入しようと試みているらしかった。
私はそれに感動した。なんせWebスクレイピングみたいな方法で他人が社内プラットフォームや社内WIKIに上げた報告をまとめたり、製造時データと紐づけたり、それからグラフ描いたりみたいな業務が増えていたからだ。
それっぽく表現すればデータ分析屋さんということになるのだろうが、どぶをさらっているという表現のほうが近かったかもしれない。
何にせよそういったものを一気通貫、自動化できるポテンシャルがあると感じられた。
SQLもjavaも書いたことなんて無かったが、1年前やっていたことを考えれば同じことだ。何にせよ歓迎だった。しかも管理はIT持ちだ。餅は餅屋に頼むべきだ。それもできれば美味い餅屋に。
ところがその「ビッグデータ」プロジェクトは人手不足か、資金不足か、あるいは生みの苦しみか、ことのほか時間がかかっていた。(あとで聞いた話、外部コンサルで外れを引いたらしい)
自分もドメインの知識からの助言とか想定される使い方についての意見を伝えていったし(有難迷惑だった可能性は否定できないが)、もう少し待てばモノになると信じていたし、実際そうなった。
具体的な話ができないのだが、客先で起こった不良の原因をつきとめ、その改善効果の確認の為に数十億行のデータが活用された。彼らの力が無ければ常識的な時間では終わらなかった仕事だった。
残念だったのは彼らの優秀さの割に一般のエンジニアのスキルがあまりに低かったということだ。つまりそのプラットフォームを使いこなせる人間が著しく少なかったのだ。
そして上述の足踏みをしていた期間に心象を悪くしていたという問題もあった。とっかかりが難しい割に不安定だというレッテルを張られてしまっていた。
もうすこし悪いことに、同時期に企業買収が起こった。我々は黒字を出していたが同業他社(厳密にはその親会社に)に買われることになった。
そういう時に起ることは不要な冗長性の削減だ。子会社として存続する場合は知らないが、競合他社に吸収合併ということは、多くの部署にとってそのカウンターとなる部署が相手側にも存在するということだ。
つまりどちらにもある部署は統合するか一方を無くすかという戦争が始まるのだ。ITも例外ではない。(ITインフラ部署の無い会社はさすがに無いはずだ)
一方で製造業の本懐である「製品を作り、売る」という部分は比較的守られる。それこそが根源的な資源であり、利益を生む仕組みであり、既存の顧客への説明が必要だからだ。
そして私の仕事は歩留まり改善であり、故障解析であり、データ分析だ。何が起こったか。
(ここで簡単のために旧弊社を(旧)A社、買収した側の競合他社を(旧)B社と呼ぶことにする。)
今の旧A社から引き続いている業務をB社のプラットフォームで行えるように転換せよという下命である。
旧B社の製造データに対するアプローチはA社とまったく異なっていた。Web UIは美しく整っており、それっぽいグラフが簡単に表示され、A社側のお偉いさんからも好評を得ていた。
だがそのバックエンドは控えめに言って酷いモノだった。いくつもの情報を正常に保存できておらず、「それっぽい何か」を素早く返答することを第一義としているように見えた。
そして上述のように器用貧乏街道を歩んできた私に投げられたのは次の言葉だ
「増田くん、B社のプラットフォーム使うことは決定事項だから、君が自動化してたやつ全部そっちで動くようにしといて。よくわかんないけどプログラムとかてきとうにできるでしょ?」
もちろんhtmlもjavascriptもphpもRoRも一行も書いたことが無いのが当時の私である。
果たして旧A社のプラットフォームはB社のプラットフォームのデータソースのような扱いを受ける羽目になり、私はjavascript本格入門を片手にB社の事業所に出向くことになった。
そこで散々「旧A社のプラットフォームは遅い・使いづらい・不安定」と貶されながらチマチマとグラフを表示するページを書いている。
クオリティの低いバックエンドを作る集団が書いているサーバーサイドphpの酷さは素人目にも分かるレベルで筆舌に尽くしがたいものがあるが、
反面教師だと思って耐える日々だ。
最近分かったことは旧B社のバックエンドスクリプトがデータを引っ張るついでに意図的に旧A社のプラットフォームを攻撃しているということだ。DDoSとまでは言わないが、悪意100%である。
いわく旧A社のプラットフォームを畳むためには旧B社のプラットフォームが優秀であることを示す必要があるとのことである。(つまり旧A社プラットフォームが不安定かつ重くなることを意図しているらしい)
旧A社から継続されてる業務はまだそこ使ってるんですけど・・・
それはもちろん旧A社の上司に報告したが「見て見ぬふりをしろ」とのことだった。旧A社のITで何度もお世話になったひとに伝えると「知ってるけどね・・・」と悲しい目をして苦笑いしていた。
旧A社ITはその優秀さでそれらの攻撃をいなしつつあるようにも見える(私も素人に毛が生えたレベルだが、ソフトウェアエンジニアリングのレベルが二回りぐらい違うように見える)
私は、Ruby on Rails で仕事をしているエンジニア。
ところが、RoR エンジニアたちは、自分のサービスを作るのが好きな人たちが多いみたいだ。
ただ、彼らが作ったサービスを見ても、あまり面白いと思わないんだよね…。
私は、サービスに対して保守的で、普段もほとんど新しいサービスを使わない。
Google Chrome といくつか有名なウェブサービスを使えば、ほとんど用は足りてしまうじゃん派。
いま、面倒くさい紙の書類を作って郵送したり、あるいは直接事務所に出向かないとできないような、
銀行口座を直接いじれるAPIとか(これは一部の銀行が公開しはじめているみたいだけど…)
Uber や Airbnb みたいなサービスは重要だろうと思う。
これらは、地道な実業がバックにあって、それをより便利にするためにウェブサービスを作っているものたちだ。
さっき、テック系ブログのRSSと一緒にホットエントリのRSSを外して、アプリを削除したよ。何年の付き合いだろう?サービス開始からだから・・・悲しくなるから確認せずに行くよ。
最初はダイアリーに書いて、反応なんて全然なくて、広告コメントばかりだったな。いまでもはてなの知り合いはいないんじゃないかな。
ネットコミュ障なんだ。Twitterとか色々やってるけどやりとりする相手なんて誰もいないよ。
僕は君になにもできなかったね。本当に君の事が好きだったのかな?本当に村民になりたかったのかな?多分、違う。本当はブクマされて、スターつけられて、承認欲求を満たしたかったんだ。
意識高い系を笑えないよね。何年も異性にお金を注ぎ込む人を笑えないね。僕もずっとホットエントリを見て、色んなものを買ったりしたんだ。
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どうしてこうなったか?聞きたくもないだろうけど、最後だから言わせてくれよ。
初めて君を見たとき、天国に見えたよ。最新の技術トレンドがここにあってさ。自分の理想郷はここなんだって。技術力をつけて、認められる人間になって、ここの住人になる事が幸せなんだって思ったんだ。
そうやってさ、次々流れてくるトレンドに耳だけが年増になっていって、それを知らない周りの人たちをバカにしてたな。
でもさ、肝心の技術力は全然つかなくてさ、大学生になれば、就職すれば、東京に出れば、新しいマシンがあれば、お金があれば、時間があれば、やる気があればって制約条件がなくなる度に新しい言い訳を考えてたな。
結局、生半可な知識じゃ参加できないってチンケなプライドのせいで勉強会に参加せず、ブログも書かず、なれたのは一番軽蔑するExcelとにらめっこしてるSIer。おいおい、Web系のベンチャーでテックブログ書くんじゃなかったのかよ(笑)
耳年増で、周りをバカにしてたクセに仕事が全然できない自分とのギャップに10年耐えてきたけど、年末に休職したんだ。自律神経失調症。
眠れるんだよ?ごはん食べられるんだよ?ただ、会社の人みんなが怖くなってさ、朝だるくってさ、すげー疲れてさ。苦しくて。仕方ないから受け入れて。っていうか、甘やかして。つまるところ、ズル休みなんだよ。
時間が出来たから、ずっと積ん読になってた技術に正面きって立ち向かってみたんだ。すぐ投げ出したね。理由は分からないけどただ苦痛だった。
作りたいものなんかなかったし。多分、技術を使いこなしてスゴいって言われたかったんだね。
部屋にはPerlやRoR、SQLite、jQuery、node.js、AWS、Haskell、Hadoop、Docker、Raspberry Pi、R、Reactのホコリを被った本がある。彼らはブックオフ行きかな。
最近は時間はあるからさ、はてブばっかやってたんだ。見るのがホットエントリから新着エントリーになったな。いつもみたいに100文字制限ギリギリのコメントだけじゃなくて、10文字くらいの一言コメントも書くようになったんだ。その10文字コメントのうちひとつが100スターくらいもらえてさ。
そのとき分かったんだ、これはずっと片思いなんだって。叶わない恋なんだって。自分が住める世界じゃないんだって。おかしいよね、小学校の頃のプロ野球選手の夢だって、中学生の頃の小説家の夢だって、高校の頃のパンクロックスターの夢だってすぐ諦められたのに、この夢は35歳の今だって諦めきれないんだ。
応用情報取った時も、ネスペ取ったときも、オラクルブロンズ取った時もLPIC 2取った時も全く達成感なかったよ。コレ取るのに何年かかってんだってさ。村民は1ヶ月あれば取れるぞ。同期のアイツだって3ヶ月で取ってるぞ。何が言えるんだってさ。
銃・病原菌・鉄読んだ時もそうだった。で、お前はそこから何かアウトプット出来るのか?ってさ。読むだけなら幼女でも出来るんですけどwって。
伝わる?伝わらないだろうな。みんな高IQですぐに色んな技術を理解出来るじゃない?すごいよ。自分は二浪で駅弁大学しか行けないくらいのバカで、リアルでもネットでも知り合いを作れないコミュ障で自己承認が全然出来ないんだ。
ADHDって言葉を知った時、これだーって思ったけど違ったね。ITの勉強してても過集中が全然ないんだ。
話が逸れたね。認知療法してて、気づいたんだよ。何をしてても自分を認められないんだよ。はてなに受け入れられる事を成し遂げられてないからね。
だから、自分を認めるために、君のことを自分から切り離さなきゃいけない。自分の世界を作らないと。一方的になっちゃうけど、さようなら。勝手だけど、今にも泣きそうだよ。
これからどうしようかな。匿名で好きな事書けるのはココだけなんだ。自信のない間違ってるかもしれない事を書いてもいいのはココだけなんだよね。ここなら見たくないコメントを見なくてすむんだ。
でも、前に進まなきゃ。夢の世界への憧れは終わりだ。目の前の現実世界に適応しなきゃ。また逃げ戻ってくるかもしれないけど、いまはさようならしなきゃ。
最後に何か残せるとしたら・・・スタバのハチミツ、あれ何に使うと思う?あれ、ワッフルを食べるときに使うんだよ。
・・・スベったね。
さようなら。このエントリも2時間すれば次のページ行きだ。そうすると、誰かの目にも触れなくなる。単なるはてなの磁気データになる。
最後にブコメとかつくんじゃないかって浅はかな期待を持ちながらこの内容を登録するボタンを押します。じゃあね。
P.S. 認知療法について書いてくれたこの増田には本当に感謝しています。まだまだ自分について書く事が苦しいけど、正しい道を向いてると信じています。
IT勉強会、正確には勉強会の事前説明会and懇親会に参加してきた。
全く勉強していないし、コードも書いていないけれども、勉強になったと思う。
事前説明会ではない、その後の懇親会でだ。
今まで思い立ったように参加する勉強会で、
ピンバッジを戴いたり、無料のペットボトルのお水は貰えたけれど、
真の意味で持ち帰ることができるモノは少なかった。
元より、思い立ったように参加する専門外に関する勉強会、しかも50人から参加するような
大学講義を思わせる座学形式で、ノートパソコンにタイプしたメモは、
当日を過ぎて読み返すことは少なかった。
ふーん、へー。ホッテントリに上がった分野外の技術トピックを読み流すのと
さほど変わらない行為。正直、2、3日もすれば忘れていた。
懇親会には元より興味がなかった。
Google Developer Dayという古いイベントで
たくさんのひと、交換しながら歓談を弾ませる人たちを見かけた時の、
ついていくとも合わせることも出来ないというとほうに暮れるような
気持ちが長く引きずっていたから。
懇親会で、キラキラした人たちと目を合わせたくなかった。
今日、説明会が終わった後、懇親会に参加しようと思ったのは単なる気紛れだ。
そんな雑念が、いつもならさっさと帰る足をその場に留めさせた。
Android開発を学びたいという目的に燃えるいつもの自分なら
すぐに立ち去ったであろう。
自尊心はそれを許容するくらいは収まってた。
ぼっちな状況に陥った自分を絶対に許さないと思えないぐらいには。
さて、周りを見渡すとある程度グループは出来ていて、もうぼっち真っしぐらだった。
テーブルに後から座っていた参加者とは2, 3言葉を重ねたが気づいたらいなかったし。
コップを持って、3人くらい歓談しているグループの後ろで頷きを返したり、
ピザを取っていいかと声を掛けたり、、そんなことですでに出来た人の輪に入れたら苦労しない。
中の方の島に置いてしまった荷物をこの場で取って立ち去ることとどっち、どっちがいいか、
それだけの気持ちで頑張るも心が折れかけた時目が合った。
一人がいた。
「どうして参加しようと思ったのですか。」
グループワークで同じ就活生に鉄板文句で無理に沈黙を破ろうとやせ我慢をしていた
学生だった自分に切り替わるスイッチの音を確かに自分は脳裏で聞いた。
ひとりで全て出来ます、的なフルスタックエンジニアが書くブログなどから受け取ったトーンと、
普段業務でJavaで堅実な仕事をしている人から聞いた耳朶を軽く打つ調子の違いを悟ったとき
もうどうにでもなれと言葉を重ねつつ、司会が終会を切り出すまで
話しこむ内に内心戸惑いを覚えずにはいられなかった。
何で今まで参加してこなかったのだろう?
参加して、その場限りの関係を終わる度に捨て去っても、
上手く質問を切り出せなくてかいた恥をいつまでも捨てられなかっただけ。
この歳になってまだ自分は幼いままだ。
だが、頑張れば大人と呼ばれる真人間に近づけるのではないかなと
少しだけ希望がいだけた。
先方には迷惑かもしれないけど、差し支えなければまたお会いしたい。話を聞きたい。
懇親会に参加して、押さえつけていた箍が今、大きく弾けそうだ。