はてなキーワード: 1964年とは
1945~1950年生まれの団塊世代が、冷戦に直面したのは物心ついてすぐ
昭和30年代にはさんざん「今すぐ米ソ核戦争!」みたいに騒がれてた
当時の超有名作品だから観てない子供でも内容は大まかには知ってたろう
このころはしょっちゅう地上や離島で核実験やってたから死の灰も降ってた
公害が問題視されるようになったのは1960年代後半(水俣病工場廃液説が公認されたのは1964年)
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オイルショック(1973年)に直面した時期に団塊世代は20代前半
下手すっと就職の時期にちょうどぶち当たってる
連合赤貧だの中核革マル内ゲバだの陰惨な事件が相次いだのも団塊が20代前半の時期
「それでも未来があった」とか言うんだろうけど、団塊が20代の1970年代には
『日本沈没』や『ノストラダムスの大予言』が大ベストセラーになって終末論が流行
「環境汚染や核戦争で人類の将来はヤバイヤバイ」てな言説もさんざん広まった
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いっけん関係ないかも知れないけど、団塊世代が10代の1960年代には
幼児が誘拐されて殺されてすごく騒ぎになった「吉展ちゃん事件」(1963年)とか
女子高生が殺されて冤罪疑惑が根強い「狭山事件」(1963年)
在日韓国人が差別にブチ切れて起こしたといわれる金嬉老事件(1968年)
などなどが起きてる
団塊が若かった頃「ひたすら明るくハッピー、暗い世相はいっさい無し」とかウソです
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兄弟たくさんで汚い小屋みたいな家に住んでるとかごろごろあった
団塊世代が10歳前後で『月光仮面』の放送が始まった1958年のテレビ普及率は50%以下
テレビが見られない、裕福な友人宅に頭を下げて見たなんて子がごろごろいたはず
当時は「外国からたくさんのお客様がおみえになるから街の美化・浄化を!」みたいな感じで、政府が旗を振ったらしいのよ。
ちょうどそのころに東京の街中から「たんつぼ」が消えたという話もきいたことがある。
で、それに反発してというか皮肉って、アート?パフォーマンス?みたいのしたのが、あの赤瀬川源平先生なわけ。
そうそう『新解さんの謎』を書いた人ね。1964年は先生も若い前衛芸術家だったから、なんかしたのよ。なんだっけ「直接行動」?
具体的になにしたんだっけ?なんだったかな。まあ後でググってよ。赤瀬川だけじゃなくてグループね。3人組。
「ハイレッドセンター」っていうんだけど……あ、知ってる? 3人の苗字からとってるんだよね。あと2人誰だっけ。わすれた。
といううすい会話を、インド料理屋でマサラセットを食べながら、浅い関係の友人としました。
外は暑いです。
戦乙女(プレイアブルキャラ) | 声優 | 生年月日 | 年齢 |
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キアナ・カスラナ | 釘宮理恵 | 1979年5月30日 | 39歳 |
雷電 芽衣 | 沢城みゆき | 1985年6月2日 | 33歳 |
ブローニャ・ザイチク | 阿澄佳奈 | 1983年8月12日 | 34歳 |
無量塔 姫子 | 田中理恵 | 1979年1月3日 | 39歳 |
八重桜 | 佐倉綾音 | 1994年1月29日 | 24歳 |
テレサ・アポカリプス | 田村ゆかり | 1976年2月27日 | 17歳 |
カレン・カスラナ | 水樹奈々 | 1980年1月21日 | 38歳 |
フカ | 高山みなみ | 1964年5月5日 | 54歳 |
Googleブックスを検索する程度のどこが粘着質なんだ?
検索結果まで示してやってるんだからもう答えを教えているようなものだが。
「僕ちゃんにはページリンクをクリックするのも難しいんだ!」というなら仕方ないが、
1964年「日本のホワイトカラー: 調査に現れた生活意識」には
またホワイトカラー層とブルーカラー層を比較してみると,やはりホワイトカラー層が,全体的にみてかなり優位にあるようにみえる.
と書かれていたり、
1978年「日本人のクオリティ・オブ・ライフ」には
職業別に見ると,ブルーカラーが失業に対して強い不安感にとらわれているのが特徴的である。
すなわち販売量の减少に伴う稼働率の全般的低下や减量経営の徹底というきびしい状況の中で,ブルーカラーの約 7 割が失業の不安におびえている。
2020年就活、説明会の会場不足…五輪で利用 (読売新聞) - Yahoo!ニュース
東京ビッグサイトが2020年の東京オリンピックのIBC・MPCに使用されるためイベント会場として使用不可能になり、その影響で就活イベントも開催不可能になってしまう事が記事になった。
前者は文字通りオリンピックの放送を全世界に中継するための放送設備が集まった施設で、1964年の東京五輪ではNHKの渋谷放送センターが使われた。
後者も文字通り大会公式のプレス発表を行うための設備が集まる施設で、1964年の東京五輪では日本青年館が用いられ当時最新のコンピュータが置かれ今で言うリアルタイムな迅速な処理で大会記録がまとめられ世に送り出されていった。
その2つを今回は統合し日本最大の展示会場であるビッグサイトに置こう、というのが東京都の開催計画だ。
ビッグサイトは日本最大の「ハコ」であるため、「そんな事までやってたの?」というくらい日々色々なイベントが行われている。
全国から企業が集まって最新技術や製品、サービスを宣伝する展示会・見本市イベントはもちろんの事、
全国から作者が集まって本やCD、グッズを売るコミックマーケットやジャンルオンリーの同人即売会、
そして記事タイトルにある通り大手就活サービスのイベントもビッグサイトで行われるため、ビッグサイトと一切関係しない人というのはほぼ存在しないのでは?と思わせる程だ。
そんなビッグサイトだが、2020年のオリンピック時にIBC・MPCとして使われるため、全てのイベントがビッグサイトで開催不能になる。
「(イベントを)他の会場でやれば?」と思うかも知れないが、2020年オリンピックでは幕張メッセが競技会場として用いられるため、これも無理な話である。
東京ビッグサイトは日本最大級のハコであり、第2位の幕張メッセも使用不可能なので、実質的に全国規模のイベントは開催の中止か、もしくは関東を脱出しての大幅縮小開催を迫られる二択となる。
これは日本企業が主催のイベントの場合で、海外企業が主催・主体の国際的イベントの場合、韓国や中国の展示場で代替開催が行われてそのまま日本に帰って来ない可能性だって大いに有り得る。(例えば東京コミコンなど)
そうなると日本の経済や文化に大きくブレーキがかかり、ほぼ全ての日本人が被害を蒙る事になる。
そのため、ビッグサイトをIBC・MPCにする事自体が非常に深刻な問題であり、
のような署名運動も以前から行われているが、残念ながらコミケの3日間延べ参加者よりも少ない署名人数しか集まっておらず、具体的な効果のほどは見られない。
この問題の当事者がマスコミ自身であるため、最初の記事のようにそもそも他人事のような書かれ方の記事しか表に出ず、
普段「マス●ミ」と口汚く罵っている人達ですらこの問題には傍観(そもそも問題に気付いていない)というのが現在の状況である。
オリンピックで使用するための準備工事期間もあるため、フルキャパシティのビッグサイトと幕張メッセが使える期間は2020年の東京オリンピック期間よりも遥かに長い(2019年後半から始まる棟もある)
2020年まであと2年と少し。何が出来るだろうか。
前川喜平・前文部科学事務次官が加計学園の獣医学部に博士課程が設置されていないからけしからん!と怒っているので、
近年の新設された大学において大学院はいつ設置されたか調べてみた。
新設が非常に多いので結論から言うと、非常に数が多いため一部しか調べられなかったが、
調べた限りでは大学新設と同時に大学院が設置されているところはなかった。
新設された4年後に設置されるかといったら、そうでもない大学もあるし、そもも未設置の大学も多い。
また『短期大学』が『4年生大学』に転換したところが多いため、新設大学が多いように感じる。
【参考情報】 新設大学等の情報:文部科学省
■21年度開設
千葉県立保健医療大学 ⇒ 未設置
弘前医療福祉大学 ⇒ 未設置
日本赤十字秋田看護大学 ⇒ 平成23年度設置 ※大学院設置基準第14条特例の実施 (短大卒業者向け?)
東都医療大学 ⇒ 未設置
こども教育宝仙大学 ⇒ 未設置
びわこ学院大学 ⇒ 未設置
■22年度開設
東北文教大学 ⇒ 未設置
横浜美術大学 ⇒ 未設置
■23年度開設
日本映画大学 ⇒ 未設置
京都華頂大学 ⇒ 未設置
宝塚医療大学 ⇒ 未設置
<追記>
指摘を受けて追記。
・北海道医療大学 ⇒同時に設置
2013年 リハビリテーション科学部(理学療法学科/作業療法学科)開設
2013年 大学院リハビリテーション科学研究科リハビリテーション科学専攻修士課程開設
■私立獣医学部に関しての大学院設置状況
同条件である私立大学の獣医学部で確認した所、基本的に大学と院は同時設置されておらず、
博士課程に関しても後年に設置されている。
同時設置しなければならないと言う法律や規則が無い以上、後年に大学院が設置されても問題ないかと思われる
大学は届出設置制度である以上、大学設置時に大学院(修士、博士)もまた設置しなければならない、
という規定が無い以上、前川氏の「博士課程もないのに先端研究ができるわけがない」という発言には
認可してはいけないという根拠は薄いと思われる
・酪農学園大学 ⇒11年後設置
http://www.rakuno.ac.jp/outline/about/development.html
学部 1964年(昭和39年)設置
大学院 1975年(昭和50年)設置
※博士課程 1981年(昭和56年)設置
・北里大学 ⇒4年後設置
https://www.kitasato-u.ac.jp/jp/about/overview/history.html
学部 1966年(昭和41年)設置
大学院 1970年(昭和45年)設置
※博士課程 1972年(昭和47年)設置
・麻布大学 ⇒7年後設置
https://www.azabu-u.ac.jp/about/history.html
学部 1950年(昭和25年)設置
大学院 1957年(昭和32年)設置 (院設置のみ?)
※修士課程 1960年(昭和35年)設置
※博士課程 1962年(昭和37年)設置
・日本獣医生命科学大学 ⇒歴史が古すぎるため参考。修士/博士同時設置
http://www.nvlu.ac.jp/universityguidance/002.html/
1881年(明治14年)設置 (日本最初の私立獣医学校・獣医学校)
大学 1949年(昭和24年) 設立 大学院 1962年(昭和37年)設置
※博士課程 1962年(昭和37年)設置
・日本大学 ⇒設置時期不明
院設置時期の記載が見当たらない
日本の歴史には奴隷も差別もなかったよ。世界と比べたら殆どないと言い切っていい。
だから国際連盟に人種差別撤廃を幾度と訴えた。アメリカは奴隷と差別の歴史だよ。
黒人に人権を与えたのは1964年。日本のエタと呼ばれる人は人権がなかったことはないよ。
アメリカは戦争に勝って、いくら日本を悪く歴史の改ざんをしても、この奴隷と差別だけは圧倒的に国家の品格の差が消せなかった。
だから戦後の日本を徹底的に人種差別して蛮行の数々をしてきた国家だと教育やメディアまで利用して洗脳した。戦後、朝鮮民族を戦勝国民と流布して日本統治に利用したのは、白人の歴史に他民族を使って植民地支配してきたやりかたとまったく同じ。戦勝国と並んで朝鮮人の名があるプレスコードが全ての応え。なぜ朝鮮人の名があるの?
オリンピックは国ではなく、都市が主催する行事だ。そこを勘違いしている人が多すぎる。
1940年に開催されるはずだった東京大会は、東京府東京市が開催都市だったが、
1964年大会ではすでに東京市は消滅していたので、東京都が開催「都市」扱いだったが本来の趣旨からは外れているだろう。
それに対して、ワールドカップは国単位で行われる。サッカーはロシア大会がまもなく開かれる。
しかし、1980年のオリンピックはソビエト連邦大会ではなく、モスクワ大会だし、1972年のミュンヘン大会は西ドイツ大会ではない。
そう、ミュンヘン大会では選手村がテロ集団に襲撃されるという悲劇があった。
念のため付け加えておくが、1968年のメキシコ大会はメキシコシティー=メキシコ市で行われたから国名ではない。
最近「オールジャパンで」という紋切り型の常套句を耳にするが、一都市の行事を勝手に国家レベルの行事に格上げするのは勘違いもはなはだしい。
ちなみに、ワールドカップではなぜかイギリスはイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドが別々に出場するが、
最近、友達数人と「そういえばあの人って今何歳になるのかな?」という話をしていて、「確か1985年生まれだから、今年31歳かな」と答えたら、
「何その覚え方!周りの人の年齢を生まれた西暦で覚えてるの!?」とびっくりされた。
当然の話だけど、その人の生まれた年を覚えておけば、毎年、西暦から引き算をすることで年齢が分かる。自分の両親や親戚のように歳の離れた人の年齢も暗算すればすぐにわかるし、有名人のプロフィールとかを見ても同じようにできる。それに、例えば相手が1960年生まれだとしたら「じゃあ東京オリンピック(1964年)はまだ小さいころですね」みたいに返すこともできる。
ただ、西暦ではなく年号で言う人が多いので、自分の両親の生まれ年である昭和35年(=1960年)あるいは姉の生まれ年の昭和63年(=1988年)を基準にして西暦に変換してから考えないといけない。
逆にみんなはどうやって他人の年齢を記憶しているの?と聞いたら、自分より何歳上だとか、そうやって自分の年齢を基準にして覚えてるらしい。
2016年度全国キャンペーン:ライバルは、1964年|ACジャパン
ACジャパンが今年7月1日より開始した『ライバルは1964年』というCM。
自分がよく聴く民放ラジオ(基本的にTBSラジオ)では結構な頻度でこのCMが流れている。
自分はこのCMを耳にする度に、得も言われぬ不快感に襲われる。
とはいえ単なる根拠に乏しい繰り言でしかないので、そこは留意してほしい。
このCMにおいては、「笑顔」や「夢」、「思いやり」といった根拠の不確かな理由で過去を美化している。
加えてこのCMには「あの頃の日本人と比べて笑顔や夢、思いやり、心の豊かさで負けているのではないか」という言外の意味も込められていると考えられる。
そうでなければ、律儀にあの頃の日本人と今の日本人を比べる必要なんてないはずだ。
つまり、居酒屋談義としての「昔はよかった」の変奏でしかない。
また、この10年ぐらい俗流の「昔はよかった」に対するカウンター的な言説も勃興している。
これらのカウンター的な言説の場合、だいたいは統計などのデータを用いた上で「昔はよかった」的言説の欺瞞を浮き彫りにしている。
『ライバルは1964年』で提示される「昔はよかった」を構成する要素のうち、「思いやり」は犯罪件数の推移をもとに論駁が可能であるかもしれない。
しかし「笑顔」や「夢」の場合、犯罪統計のような定量データは存在しない。そのため、「笑顔」や「夢(の大きさ)」を昔と今とで比較するのは至難の業である。
結果「あの頃の日本人と比べて笑顔や夢で負けているのではないか」というCMのメッセージに論駁することすら叶わなくなる。
論駁不可能な概念を持ちだすということは、それだけ「昔はよかった」ことをゴリ押ししたいのだろう。そこにはある種の狡猾さすらも感じさせる。
このCMにおいては、東京で五輪が行われた1964年と東京で五輪が再度行われる予定の2020年とが対比されている。
2020年に向けて日本を考えようというのは、東京五輪に向けた行動をとれというメッセージを婉曲して表現しているということは容易に推測できる。
また、ACジャパンの公式サイトの記載より、「日本を考える」ことは具体的に「(東京五輪に向けた)ポジティブなモチベーションと、日本人の活力を高める」を指すようだ。
今の日本において、五輪は政治的な意味合いが強いイベントとして意識されているようである。
例えば、2012年に取りまとめられた「スポーツ基本計画の策定について」には以下のような文言がある。
(中略)
国際競技大会等における我が国のアスリートの活躍は、国民に日本人としての誇りと喜び、夢と希望をもたらし、国民意識を高揚させるとともに、社会全体に活力を生み出し、国際社会における我が国の存在感を高めるものである。我が国のアスリートによるメダル獲得は、その一つのあらわれである。
また、2009年には塩谷立文部科学大臣(当時)が以下のような発言を行っている。
2016年のオリンピック招致については、立候補ファイルを2月12日までに国際オリンピック委員会に提出することになっていまして、そのために今準備を進めているところですが(中略)やはり、国威発揚ということも含めて、ぜひ、招致を実現したいと思っています。
これらのことを踏まえると、今の日本において五輪は政治的意味合いが非常に強いイベントと位置付けられているようだ。
特に「国威発揚」や「日本人の誇り」といったナショナリスティックな意識の醸成のための手段として強く意識されているようである。
これは、IOCの掲げる「政治的・商業的利用がなされない五輪」という理想とは大きくかい離したものである。
さて、ACジャパンの行うCMの特徴として、政治的・宗教的な事柄は一切扱わないということがある。
(中略)
一方『ライバルは1964年』においては、政治的意味合いが強いイベントである五輪に向けた行動をとれというメッセージが提示されている。
解釈によっては、「日本人の活力を高める」ということもナショナリズムと連関したかたちで捉えられる可能性もある。
このことから、『ライバルは1964年』は政治的・宗教的な事柄は一切扱わないというACの方針とは大きくかい離したCMであるといえる。
可能性として一番高いのは、制作者サイドがIOCの提示した「政治利用されない五輪」という理念を無邪気に信じ込んだということである。
一方、五輪の持つ「国威発揚」や「日本人の誇り」といった事柄は政治的事柄ではないと誤認している可能性も完全には捨てきれない。
愛国心の醸成といったイデオロギー丸出しの教育が「偏向ではない」と見做される時代である。
なお、2002年にも公共広告機構(当時)は『ニッポン人には、日本が足りない』というCMを放映していた。
しかしこれは国際交流の推進を目的とするものであり、『ライバルは1964年』とは似て非なるものである。
ACジャパンの公式サイトに新聞広告の画像データが掲載されている。
小学生が作ったような(プロとしては)粗雑なコラージュに、テレビCMのナレーションが文章としてこれみよがしに綴られている。
「ちょーうまい」
「すごい!」
「最高」
私のタイムラインがそんな絶賛でうめつくされた。
あるフォロワーさんのひとりなどは「ぜひ味わってほしいのでネタバレ厳禁です!」と事実上のオススメコメントまで。
ほーーーー、これは味わわねばなるまい。
いったいどんな味かな、どんな料理かな……?
アツアツのカツ丼や脂のしたたるステーキを想像しながら、私はレストランののれんをくぐった。
ウェイターであろう、むさくるしいヒゲを生やした中年男性が料理を運んできて、わくわくをつのらせる私の前でクロッシュを取った。
そして、現れたのは……
いや、能く見れば生ではない。
ところどころシミのような紋が浮き出ており、全体的にしなびている。
これは……
丸っこ漬けは9月下旬から行われる除袋時の落ちたふじのりんご(まだ生食は無理)を活用して、翌年の田植え時のおやつ用として漬けたあおもり食の文化伝承財である!!!
生りんごを食べるようにそのままかじったり、皮をむいて切って食べる。昔は物が無く、特に田植え時の5月は収穫物の無い時なので、漬けたりんごは大切なおやつだったといわれる!(以上 http://www.umai-aomori.jp/cook/kyodoryori/densyo/104.phtml より引用)
しかも、不朽のブランド「ふじ」の最高級品を贅沢に使用している!!!!
なんちゅうことや……これに比べたら山岡はんの大森靖k、もとい「大林」は天カスや……
私が驚愕に打たれていると、ひげのウェイター(衛生のためか「M」と書かれた帽子を着用している)が気遣うようにそっと脇から付け合せのうめぼしを置いてくれた。
客人にたいする奥ゆかしいOMOTENASHIの心、これこそCOOL JAPANの精髄である。
で、丸っこ漬けを実際食べてみると、モソモソしてるようなシャリシャリしてるような、しょっぱいような甘いような味である。
お弁当箱に入れて他の食材にコンタミされたあのしなびたりんごを思い出す。
……こんなもんか?
周囲を見渡してみると、右翼っぽいあんちゃんからライト左翼っぽい感じの人間まで「うめーうめー」と叫び声をあげている。
一緒に来ていた私の夫も「いやーうまいなー、ぜひツイートしてこの感動をひろめなきゃ!」と丸っこ漬けと過疎の街五所川原市を讃えまくった。
一方の私はといえば……
いやまあ?
まあ個人の好みの問題でさーね。好きだと言ってる人を責めるつもりはありません。
ちなみに参考。:
「1980年モスクワオリンピック」→パピコの右半分