はてなキーワード: 紙芝居とは
現代美術家村上隆が監督するテレビアニメシリーズ(全15話)。
現在は1話のみ完成、MXTVにてバージョン違いで何度か放送されている。
俺の記憶では、村上隆がルーブル美術館に作品展示した頃(注)に、プリキュアもどきのショートアニメを作成したのが大元。
2011年3月頃からテレビアニメとしての制作を始め、途中3DCG版1話が完成するも出来に不満でお蔵入りにして作り直し、
2016年12月30日にMXTVでアニメ版が初放送された。この時アバンタイトル部分はアニメが間に合わず紙芝居方式だった。
アニメ30分に対し、村上隆はじめスタッフインタビュー30分という反省会がついてきていたのが現代アート。
その後、2017年の前半にお蔵入り3DCG版と反省会アートNewを放送。
そして、2017年9月24日に、アニメ版のアバンタイトル完成バージョン+反省会アートNewを放送。
俺は村上隆は嫌いだが、なぜだか縁あって3回とも(3DCGのときはインタビュー部分のみ)見てしまっているので、
オタク界隈で6HPについて触れている記事も少ないこともあり、いずれ忘れる自分のために語っておかなければならないと思う。
今日はMXTVのエムキャスで通知が来て視聴したが、予約したことすら忘れていた。レコメンドだとしたら優秀。
http://kai-you.net/article/36689
『6HP/シックスハートプリンセス』は、2010年にヴェルサイユ宮殿で開催された村上隆さんの個展で上映された短編映像『Six♡Princess』にはじまり、コスメブランド・shu uemuraとのコラボ商品発売やコスプレパフォーマンスステージに至るまで、さまざまな媒体で展開されてきた。
仁義八行のうち多分6つが猫側で2つが犬側、キュウべえ風の猫が魔法少女にならないかと語りかけてくるけれども本当は
6HPが完成しないのは、滝沢馬琴のライフワークだったことと重ねて敢えてやってるのだとしたら、スタッフお気の毒様ですとしか。
【アバンタイトル】
雪原、廃墟のビル群やタンカーが点在する中、仮面の女型巨人が現れる。
人類軍の多数の空中戦艦などから無数の有人機械が投下されガトリング攻撃。
また攻撃機より発射された巨大ミサイルが連続して頭部直撃。(エヴァ旧劇弐号機vs戦自)
ピンク巫女が弩(いしゆみ)でワイヤーネットを打ち出し拘束、黒巫女が大砲(おおづつ)で頭を吹き飛ばし仕留めたかに見えたが
女型巨人は形状崩壊し肉塊触手状になり2人を飲み込む。(AKIRA鉄男暴走、もののけ姫乙事主タタリ神・シシ神崩壊)
いつのまにか集まり見守っている猫(月猫族)と犬(土犬族)。
肉塊から再生した女型巨人のパーツに巫女から奪った勾玉が2つ追加される。(8つの設置穴に対して6つ揃った様子)
「こんな形で揃ってしまうとは…」「お願い、目覚めて…」犬か猫かの声。
【タイトル・OP】無し
【Aパート】
現代日本ではない、ちょっとレトロな異世界日本の学校、十牛図の授業中。
主人公(ハルカ?ピンク)授業中ぼーっと外を見ているところ先生に叩かれ一瞬のフラッシュバック。
友達子(黒)に鮮明な夢を見ると相談、紙に描いた風景を見せ、文化祭で2人でコレの劇をしよう。
昼、学食のスイートポテトサンド売り切れ落胆、男子から貰う貰わないのやりとり。
「罪獣(ザイジュウってたぶんこう)をハートプリンセスがまたやっつけたんだって」新聞を見せながら食堂で話している女生徒たち。
聞いていた主人公が講談調で割って入る。「なにそれハルカ劇場?」と言った女子(3人目青)に、
主人公学校からの帰路、雰囲気のある町並み。風景は今期で言うならメイドインアビスに近い。
(※ネコ科動物はカギ型の爪のため爪がよくひっかかる木登りは得意、反面降りるのは爪でブレーキをかけることができず苦手、
森の中で暮らすマーゲイは後ろ足の自由度が高いため逆向きに爪を立てて上手に降りることができる。)
【Bパート】
主人公自室、夜。月猫族の仁(ジン)からハートプリンセスにならないかと誘われる。
月猫族は悪い土犬族から珠を守っている、といった説明を主人公は理解できなかったがハトプリになれると深く考えずに契約してしまう。
翌日、友達黒と劇のロケハン。動かない風車の丘、レトロ電車、無数の鳥居でつながった沖の小島にある神社(フセミ神社?伏見稲荷と伏姫)。
神社ついてすぐ主人公がトイレに行っている間に社殿が変形して罪獣になる。目玉はカイカイキキぐるぐる。
こっそりついてきていた仁から圧縮伝心で変身方法を伝授され変身バンク。
村上隆、ロシア出展用の作品(詰めの作業中でアーティスト動いてる)の前でインタビュー。
昨年12月30日の放送版はアバンタイトルがアニメ間に合わず紙芝居だった。
今回の見どころはアバンタイトル部分が完成したところ。
アニメ業界の事を語るのもなんだけど、ネットフリックスがアニメ現場に資金を提供して
ギャラが上がっているような話をちょっと前に聞いた。
クリエイターがギャラを得ながらキャリアアップするのがにほんでは難しいので僕はアメリカに逃げた。
冒険的投資ではなく寄らば大樹の製作委員会方式。
現代美術は海外ではオークションのマーケットがあり何倍にも価値が変わるが日本では悪とされる。
そのアートに何億の価値が本当にあるのか。様々な要素が価格を決める。
リーマンショック後はアートが投資投機対象、アート(エコノミー)アナリズム。
話が散らかってきたので
金回りが悪い、ということと戦ってきた俺なので、アニメの方もなんとか金が回るような形で作っていけたらな。
というような内容の長文の意訳テロップが流れ、アニメと金の話は締め。
アニメの製作ははじめは細田守さんに頼んだりしたけれども毎回頼めるわけではない。なので作った。
2011年3月くらいから作り初めて、ここまで6年半で1話完成。3DCG版で完成したものをお蔵入りにしたことも。
オーガニックにゼロからスタジオ立ち上げると土から作らないといけないので時間がかかる。
2話に取り掛かっている。アニメ業界人にも手伝ってもらってる。
スペシャルサンクス的にお世話になったスタッフ・会社の紹介とインタビュー
主要スタッフ
世界観設計のJNTHED
シリーズ構成・脚本 中川大地(PLANETS編集長・彼女募集中)
外部協力
事情で名前は言えないが、昔から憧れていた某アニメーターに1カットだけ描いてもらった
アバンタイトル、人心が荒廃して世界が滅ぶみたいな内容の現代熟語も使った擬古文の世界観設定が、三石琴乃ナレで流れてくるが、
崩壊世界らしくボソボソとした調子なのにSE音量高くてさっぱり頭に入ってこない。年末紙芝居版は文章が文字で出ていた。
本編、普通のアニメ文法に慣れていると主人公の行動・心の動きになかなかついていけない。
天然の主人公、とか鮮明な夢の事に気を取られてぼーっとしている様子を表現しているんだろうが、トゥーマッチで支離滅裂・
意思疎通困難な人間に見える。セリフやアニメの動きが古かったり、1シーンごとに不要なおちゃらけを入れるのもつらい。
で、何がつらいって普通のテレビアニメだと続く話を見ていくことでアホで棒なサーバルちゃんは素直でポジティブで良い子なんだ
って納得できるわけだけれどもこれ次はいつなんだって話ですよ。何度も繰り返される1話、俺の中でピンクは奇人としての地位を
確立しつつある。助けてまどか。
音声2倍速できる機能。
なんでテキスト高速表示は実装されてるのに、いつになっても音声2倍速は実装しようとしないのか。
この機能がないせいでせっかく声優さんが演技してるのに音声スキップでプレイヤーが誰も聴かないセリフが出てくる。
今やアニメだってオタクは2倍速で見る時代なのに、ゲームに倍速機能がないせいで各方面に損失を与えている。
長ったらしい音声をスキップすることでフルプライスゲームに詰め込まれた要素をすべて味わえないプレイヤーの損失。
長ったらしい音声をすべて聴こうとして他のゲームを遊ぶ時間を失ってしまうプレイヤーの損失。
春のコミュ解禁した
あいつ好きになれないんだよな
「ペルソナ5 竜司 」ってグーグルに入れたら嫌いとかいらないとかってキーワードでてきてワロタw
水着だとどうも緊張感ないな
明智の声はなんか下手だなとおもってたけどほしそういちろうなのか
なんか昔に比べてカツゼツがすごく悪くなってるように聞こえる
ちょっとでも感情だすとそらのおとしものの主人公のようにきこえる
でも49のいしだあきらはばりばり現役って感じするし、単純に声優差なのかなあ
それともほしそういちろうはアニメだと違和感無く見れるのかなあ
紙芝居だと悪く聞こえるだけで
なんだ感情的な芝居もできるんじゃん
バレットバトラーズっていうエロゲにでてたときはもろにシャアっつうかシャア以下の棒読みだったからそういう演技しかできない&劣化したんだとばかり思ってた
あと11月半ば以降がコミュ上げの期限だと思ってたけど違うのね
あくまでもそれは太陽コミュだけでそれ以外はまだ猶予あるのかなーんだ
ざっくり計算してもうまにあわねーなと思ってたけどよかった
自分がまだ小学生の頃、ふとしたきっかけでエロゲの存在を知った。
だけど、その頃の世の中にはまだ大人がゲームなんて遊ぶことを馬鹿にするような所があった。
それなのに大人しか遊べないゲームが一部でだけど話題になっている。
つまり大人になってからゲームやってる人も沢山いるって事じゃん!
そう自分は感じた。
そして大人になってからもゲームで遊ぶであろう、そしていつまでたってもモテたりはしないであろう自分はきっと彼らエロゲーマーといつか合流するのだろうと感じた。
たまにムービーも見た。
まだ動画配信サイトがない頃は公式ホームページから動画や歌を落として聞いていた。
紙芝居の切り貼りもあれば、他の一般ゲームに負けないような出来のものもあった。
そしてどれもが独特の甘酸っぱいような、子供っぽいような、それでいて大人向けと思わせるような、何か懐かしい雰囲気があった。
その頃自分がエロゲに一番感じたのは憧れよりも懐かしさだった。
そしてある時YouTubeがやってきた。
次々にOPを見てOPソングを聞いて、ときにはEDや挿入歌も聞いた。
楽しかった。
真夜中に自分のような人間の将来が不安になったとき、YouTubeを見れば何だか安心できた。
自分のような人間のまま大人になった人がいて、それなりに楽しく生きているのだ。
実際にエロゲをやってみたら想像よりもつまらなかったので、実はあまりエロゲはやっていない。
あの頃感じたネット越しの一体感がまだそこにあるような気がするから。
同じ気持ちの人がどこかにいる、同じ傷をずっと昔幼い頃心に負った人がどこかにいる、そんな気がするのだ。
「この世界の片隅に」が「今年一番の映画」とか「君の名は。を超えた」とか言ってる人がいて、どうにももやもやするのよ・・・
人間、新しい感動をしたら古い感動は上書きされるじゃん?後出しの方が良い印象なのは当然じゃん?
両方の映画への記憶の距離感がだいたい同じくらいになる来年の今頃、公平に見たらどっちが印象として残るだろうなぁ、と考えると、「郷愁」が感動の原動力になってる映画よりも、「美しさ」と「非現実感」が原動力になっている映画の方が、長く記憶に残ると思うんだよね。
というか、「監督が、貧窮極まってみんなの力を借りて作りました。徹底した時代考証で戦時中の広島を再現しました。」って、これポリコレ的に叩いちゃいけない映画じゃん。キネ旬で評者全員が★5つの時点でなんか闇を感じたんだけど。「物語が進むにつれて、どんどん声優としてハマっていくのん」という一部の評も、「最初の方は聞くに耐えない」というのをオブラートに包んだ言い方だから!そもそも8歳の女の子の声を23歳の女性が素で演じるだけで違和感半端ない。話も連載時の細切れの挿話をきっちり入れようとして、全体としての筋は見えにくくなってるし。セリフは「スフなしの純綿」とか素で言って10~20代に勝負しかけてるのは良いと思うけど。
あとは、背景の止め絵や紙芝居が多くて、「制作費なかったんだなぁ」とは思う。動かすところはきっちり動かしてメリハリ付けているのは感心したけど。成功して、がっつり収益でたら、AKIRAみたいに動かせなかった所の修正とか、カットせざるをえなかったリンさん話を入れたり、自分を代用品扱いする暗黒すずさんを描いてほしいとも思う。
翻って「君の名は。」、これ制作費どれくらいかけてんのよ?ありえないくらい綺麗な絵が、キャラクターが、よく動く。ストーリーも先が読めない分、驚きと感動があるし、過剰ながらも良いボーカル曲は、それを聞き直しに行くだけのために映画館に足を向かせる力があるし、興行作品として王道で真っ向勝負してきているのが分かる。
まぁ天文学的にはアレだけど!観客が皆、真っ先に突っ込むテレビに映る彗星軌道の場面!映画制作中に関係者が誰も気付かない時点で日本人の知的レベルがよくわかったよ!というか!そもそも彗星が月軌道の内側に入るとか!彗星から隕石が分離するとか!それが一晩で落ちてくるとか!しかも千年前と同じ場所に落ちてくるとか!よく天文関係者は血管切れなかったなー。
ストーリーのあるpvというか画の流れを見てる感じ言ってしまえば紙芝居とか絵巻みたいな.......
あの映画には奥行きを伴った世界観がない、多くの意味を含みすぎるその他の映画とは違う
あれは二人だけで完結している物語だ言い方を変えれば二人のみにフォーカスが絞ってあり他はおまけに過ぎず、よって大きな意味を持つこともないのだ
だからそれ以外の要素や意味を極力削ぎ落とし話を構成してある例えば父親と三葉の最後辺りの場面なんかがその典型だ
そうした訳でこの映画においては脚本の拙さや矛盾なんかが指摘されたとしても問題とはならない、それは二人の物語の中に如何程の地位も占めないからだ
重要なのはフォーカスの絞られた二人の何とも言えない恋それだけなのだそれだけで十分なのだ
そうしてこの映画は爽やかさテンポの良さ、視聴後の後腐れのなさなんかを存分に発揮して大衆映画の地位を欲しいがままにしたのだ
2階なんて概念のないかと思えた私の保育園で、長くて細い、行き先の見えない空間はより記憶に残りやすい。
その中間地点は、雑多に置かれた、用途が明確でないもので溢れていたのだ。
この部屋の近くには、とある男が眠っている。
誰かが「ドラキュラ」と言う。
もちろん、聞いたことのない固有名詞で理解できるほど察しのいい人間はいない。
鋭い牙、鋭い目つき、語られる陳腐で断片的な表現は、私たちにはむしろ効果的だった。
想像力に常識なんていらない私たちは、隙間を勝手に埋めていき、それぞれのドラキュラを作り出すからだ。
もちろん、いくら私が子供だったとはいえ、先生の話を全面的に信じていたわけではない。
なぜ保育園にドラキュラがいるのか、いたとして、なぜわざわざそんなところで紙芝居なんてやるのか。
そんな疑問は当然出てくる。
けれどもその疑問の解消に努めなかったのは、有り体にいえば怖かったということなのだろう。
あの手この手で保育園内を一通り探索した好奇心旺盛な私でも、その欲求を満たそうとは思わなかった。
今の私は、当然ドラキュラなんて信じていない。
あそこで、私の作り出したドラキュラは眠り続けたままなのかと。
やっぱり、あの部屋も探索しとけばよかったという未練が、意外にも燻っていたんだなあ。
主観ものってのは、男優目線で映した作品のこと。いわゆる「ハメ撮り」や「カメラ目線」と違うのは、男優の肉声が一切入らないってこと。
簡単な会話シーンは画面下に男セリフのテロップが入ったりもするので、目の前に画面置いてヘッドホンしながら男セリフを喋るとほんとに会話してる感じで萌え萌えになれます。
ベッドに寝転がってアームか何かで目の前にモニター置いて、見るだけでご奉仕シーンはほんとにご奉仕されてる気分にもなれます。
ようはVR体験ができる。VRみたいに360度見回せないけど、目の前の女性を見続けられればいいので、別に現状のAVに限っては、VRも完全主観も全然変わらないと思います。VR見たことないけど。
主人公の男キャラは画像なし、声優なし。プレイヤー=主人公となってエロ世界を体験する。ドラクエみたいなもんです。
だからエロシーンのイベント絵で顔が髪で隠れているとしても男キャラが描かれているとムカつくんですよ。
「ゲーム世界が台無しだ!」ってね。ゲームは体験型作品なんですよ。
こんな感じでエロコンテンツには主観ものが一定以上の支持を得ているわけです。
同人誌なんかだと、主観視点で描いた作品あったりするんです。1ページ3,4コマに等分に分けて、全部男=読者の主観視点で描かれ、女の子の隠語セリフだけで性行為が進んでいくって漫画が。
エロを求める読者にとっては主観視点のほうがよっぽど手軽で実用的でしょうに。
編集者の意地もあったりするんですかね。
やってることは昔のエロゲとおなじで、大して動かない紙芝居に、
脚本が精魂込めた思い入れ性の高いストーリーが乗ってるだけなんだけど、
カワイイ子との新しい暮らしを長く楽しめる状態はもう続かないのかなあ。
とFGOをプレイしながらおもってる
(だって作業すれば基本無料で3万字くらいのストーリー読めるんだよ)
でも本当におねがいだから、課金で作業を減らせるようにしてほしい。
作業が愛着を生む、作業が公平感を生む、作業があるのがいいゲーム。
だとしても、もうだれかが全キャラストーリー開放した状態でアカウント売ってくれないかとか夢想してる。
「そういう解釈じゃなかった場合の世界」を自力構築できる二次創作力をもっていたら自力救済、
(私の宇宙ではこうなんだ!ってスピルバーグ理論な本つくって、交流して、みんな、結構楽しんでるよね)
ただし印刷屋さん課金、イベント課金、とら課金、そして作業時間はさらに生じる・・・。
勧めてはいかんやつやねw
漫画、ゲーム原作のアニメって、作画崩壊してない、話も原作に忠実なのになーんか面白くない奴があるんだよね。
なんでだ?って思ってたら、もしかしたら「カメラアングルとかの演出」が原因の1つなのかもしれないと気づいた。
例えば推理ゲームや日常漫画系、またはバトル要素がない漫画が原作だと、アニメ化する時工夫しないとただキャラが話してるだけの地味な絵面になってしまう…気がする。それだとただキャラの口だけが動いて、声が流れてくるだけの紙芝居となり、見てる側としてはすごい退屈に感じる。しかもそれが30分続く…。そんで「原作だけでいいや」みたいになる。
その分会話が多くても、地味な絵面になり易くても演出が凝ってると凄い面白く感じる。例えば化物語なんかはただ会話してるシーンが非常に多いけど、画面の演出やカメラアングルが飽きさせないような作りになってるから退屈せずに見ることができる。後遊戯王もカード効果の説明とかでセリフ量が多いアニメだけど、作画監督の人が「手のアップや派手アクションでキャラを動かして飽きさせない画面作りを試みてる」「キャラのイノキの真似もなんとなくキャラが格闘技好きそうなのと、派手な画面にするため」(うろ覚え)みたいなことを言ってて成る程…と思った記憶がある。確かにセリフが多いけど作画良い回はメリハリの効いた画面作りになってるから遊戯王も見てて退屈しないんだよね。キャラが話してる時の顔芸もドキッとするし。
逆に個人的に逆転裁判は、1話2話見た時裁判パートとかもっと絵面や動きを派手にして欲しかったって思ったなあ。展開が熱い分、画面が落ち着きすぎてて物足りなかった。多分遊戯王みたいなのを期待してた。
アニメは絵面が大事だけど、それは只「キャラの造形が綺麗な作画」なだけじゃなく「カメラワークや演出、動きが凝ってる」ってのが視聴継続に関わるほどウェイトを占めている…ような気がする。あんま詳しいと言えるほどアニメを知っているわけじゃないけど。
動画だと、一番ぬけるシーンが例えば3分間なら、その3分のうちに逝くか、続きのシーンも見続けないといけないけど、
俺はビデオ派なのでそれにはあまり共感が出来ないし理解できない。
いわゆるアニメーションエロゲと呼ばれる類のエロゲーがあるが、
ぬるぬるアニメーションであればようやく抜けるといえるレベルで、
正直紙芝居エロゲーの魅力には今までもこれからも理解する事はないだろう。
本のグラビア、ヌード画像が閲覧できる本でシコシコする勇気というか根気というか
結局のところ、本ではオナニーする気が起きないのだ。
なので、本でオナニーする人は本で射精してスッキリしてる事についてどう感じてるんだろうと思う。
動く絵の方が想像が容易いはずが、動かない絵面でシコシコ抜く訳だから相当な想像力を働かせてるんだろうとは思うが
はっきり言ってそれはオナニー玄人にしか出来ないワザと言わざるを得ない。
ふとそんな事を思った。
『あかりがある日ついに自分たちの時間は1年でループしているという事実を明確に気づく→
同時に実はごらく部には結衣とあかりしか実際には存在していなかった事実が判明する→
実際の京子は幼児期に病気または事故で夭逝しており、中学生で面影が無くなったのはそのせいで、天才型で天真爛漫な姿は結衣の理想だった→
ちなつは結衣が無意識下で作り上げた自己擁護の存在で京子が好きだったミラクるんそのままの姿なのはそのせい。また結衣がひとりぼっちを嫌がり京子の人格が変わりごらく部の廃部を行おうとした際に強く拒んだのも自らが生み出した世界を壊したくないという願いから出た行動だった→
事実を理解した結衣、世界の修正をすることを決意し自分自身を含め自らが生み出した歪み=ゆるゆりのループ世界を自分ごと消滅させる→
あかりほかごらく部以外の面々はループしていた世界から開放され、ごらく部という存在が記憶から消され正常な時間に戻り、あかりや櫻子、向日葵たち1年生は2年生に進学する。
・・・という一連のストーリーを11話のように京子が紙芝居で作成、ごらく部で発表するも、さすがにアクの強い話だったため結衣が本気で怒り出し帰ってしまう→
次の日からごらく部へ顔を出さなくなり、京子とも口を利かなくなる→
3日後、ごらく部との思い出や寂しさ、綾乃、千歳の生徒会コンビの助言、あかり、ちなつの説得で結衣は京子との仲直りをしてごらく部に復帰し大団円』
っていう話を見たいんですが
http://anond.hatelabo.jp/20160310000931
読んだ。
自分はpixivで小説もイラストもどっちもやってて、特定を避けたいんでジャンルには言及しないけど比較的結構読者ついててブクマ数も安定してる。
正直言って、自分の小説スキルなんてド素人に毛が生えた程度のものでしかなく、どちらかと言えばつい最近まではイラストオンリーで活動してたんで絵描いてる時間の方が圧倒的に長かったタイプの、いよいよ『小説書き』なんて名乗れないような人間。
そんな人間の稚拙な小説が何故読んでもらえるかといえば、それはもう確実に『表紙絵を描くのはもちろん、劇中の挿絵も頻繁に挿んでいるから』としか言いようがない。小説という形式で投稿してはいるが、個人的には『紙芝居的な何か』を投稿していると感じるくらい、絵を入れてる。読者のコメントを見ると、■1.本文と絵を同時に褒めるもの ■2.絵を先に褒め、次に本文を褒めるもの ■3.最後に、絵だけ褒めてるもの があり、特に最後の「この人本文読んでないな…」と露骨に感じられるそれはまさに、元増田氏のような、『絵だけ見て帰る』タイプの人だ。
そんな人も含めて評価を貰えるもんだから、小説本文だけの内容ではとても達成出来ないような評価&ブクマを稼げているのは、正直言って同ジャンル内での小説オンリーで活動されてるユーザーさんに対して申し訳なくなることも割とある。実際、自分よりも遥かに文章が上手いAさん(仮)や、豊富な語彙で文章テンポが物凄く良くスイスイ読めるBさん(仮)よりも、小説そのものは何ら特筆すべき点のない凡庸極まる自分の作品が、Aさん、Bさんよりも上の評価にあるのだ。Aさん、Bさん、そして自分の一体何が違うのか。それは、『絵を描くスキル』を持っているか否か、という、文章スキルとは何の関係もない身も蓋もないたった一点に過ぎない。いやもう、本当に身も蓋もない。
どうやら、ネット上では、『小説は上手いが、絵は下手』な人間より、『小説は下手だが、絵は上手い』人間の方が評価を獲得出来るようだ。Aさん、Bさんの文章を尊敬している自分としては本当に申し訳ない限りだが、事実、pixivの数値はそれを厳然と示している。
カクヨムやなろうについては、確かに元増田氏の言うように絵の一枚もない殺伐としたページ構成のため回れ右で帰る人も一定数居ると思う。それはどうしようもないことだと思う。挿絵をいっぱい入れろとは言わない。でもせめて、表紙絵や、登場人物紹介絵くらいは表示出来る機能があってもいいのではないかと思う。
終わりに、唐突な自分語りであれだけど小説始めた経緯としては、漫画を描きたかったんだけどあまりに膨大な作業量に挫折し、『挿絵を結構な頻度で挿んでるラノベスタイル小説』なら、ヒイコラ言いながら漫画を描かずとも物語を紡げる!と考えたのがきっかけ。
上の例で示すなら、
【『小説は上手いが、絵は下手』な人間より、『小説は下手だが、絵は上手い』より、『小説は全く書けないが、絵は上手く、そして漫画が上手い』人間の方が、もっともっと閲覧数と評価を稼げる】
というこれまた厳然たるネットの事実があり、自分はそこからこぼれ落ちてきたんだよなぁ…。ああ、漫画描けるようになりてえ…。