はてなキーワード: 紙芝居とは
PSVRでやっと評判のいいVRゲームアストロボットが出たと思いきや、売り上げ5000本で打ち止め
俺はもう4か月は触ってないけど、みんな使ってる?何に使ってる?
VRChat界隈は「VRChatはこんなに先進的なんです!」「VRChatで作られていないものはない!」みたいなアピール頑張ってるけど
傍から見たら身内で盛り上がってるだけな印象
てか、どんだけ頑張っても利益でるわけでもなく
コストパフォーマンス考えたら、2Dの紙芝居で十分だったという
わずかな期間で大量発生での食い合いが激化して、全体的にピークを過ぎて落ちてきて、来年はもう伸びることはなさそうだ
xRとか去年ぐらいから言いだしたけど
VR、AR、MR、SR全部合わせても話題のアプリはほとんど登場しないという
一番話題になったのはiOS12で使えるようになったARメジャーかな?
BtoCは全然ダメだけどBtoBは好調だよ、というのもどこまで本当なんだか
VRM? これ付加情報がちょっと足されただけの単なる3Dのファイルフォーマットで、VRとはあんま直接関係ないよね
キャラクター性が高いゲーム(OWとかffとか)のことではない
※モバイルゲームは対象としていない、そもそもモバイルゲーなんてほとんどクソゲーだ
※日本とアメリカだと作品の作り方が違うけど、そのへんの文化の違いには言及していない
キャラゲーといってもスパイダーマンもバットマンも、ウォーキングデッドも、すべてゲーム用のオリジナル設定/脚本じゃあないか
スパイダーマンのメイキング動画を見ていても"ゲームを面白くするために"脚本を変えたり武器のアイデアを出してるんだよな
そういう意味で日本にも面白いキャラゲーはいくつか存在している
進撃の巨人2とかSAOシリーズ(そもそも原作がゲームなのはズルい)とかね
ヒロアカも面白かったよ、(バランス調整のため=面白さのために)オールマイトやオール・フォー・ワンに普通のキャラでも勝てちゃったりね
でも日本の多くのキャラゲーではオリジナル設定/脚本なんてものは許されていない
たとえ面白いアイデアがあったとしても版元様に「原作のイメージと違う」と言われてしまえばそれで終わり
面白さは二の次で、原作を再現してさえいればいいとう風潮がまかり通っている
そんな考えであるからクソゲーが生まれるのは当たり前なんだよな
だから版元のみなさま、どうかゲーム化をするときは"ゲームを面白くするために"オリジナル設定/脚本ができるという上で企画をOKしてくれないだろうか?
(決して原作者が新規ストーリーを書き下ろすとかそういうことを求めているのではない、面白いゲームや遊びを考えてからそこにストーリーや設定を付けていってほしいのだ。だって"原作者監修"という謳い文句を信用できるか?できないだろ?)
だれが原作の再現なんか見たいんだ?くだらない人形劇を観るくらいならアニメを見返すわ!
だれが紙芝居なんか見たいんだ?あんなもん全部スキップだ!!!!
しかし、実写化する場合はオリジナル脚本が許されるのはなぜなんだ
やはり日本という国ではゲームというものの立場が低いところにあるんだろうか
個人的に好きな作品が、世間一般的にウケが悪いと結構来るものがある。
今期のアニメだとBack Street Girlsがそうだ。
この話を一言で言うなら「ヘマやらかした落とし前で、親分のシノギの道具もとい、お人形遊びのための動く玩具に堕ちた、タマなしヤクザのトホホなアイドル渡世コメディ」という感じ。
これはもう設定の勝利というか、シチュエーションコメディのシチュエーションが神がかっていると言っていい。
ヤクザとしては若手だけどアイドルとしては成熟した年齢、そして女性としては完全に初心者(多分園児レベル)というムチャクチャなギャップが、とんでもないストーリーとなって昇華する。
それがアニメ化ねえ…あまり期待してなかったけど、見始めたらこれがなかなかどうして面白く、割と来週が楽しみだったり。
メインキャストの一人が腕を骨折するという想定外すぎる事態で出鼻くじかれたことを差っ引いても、全然話題にならない。
これは、申し訳程度に動く紙芝居という、良くも悪くも玄人向けな画作りがモロに影響しているわけだが。
誰もが思っていることから重箱の隅をつつくようなことまで言及する。
(長いですが、目を通していただければ嬉しく思います。)
典型例が結城晴のSSR特訓後であり、SRよりもチープな絵柄で話題になった。
また、Spring Screamingの龍崎薫は特訓前後で同じ表情・ポーズとなっている。違うのはアングルだけだ。
その他にも手抜きと言われるイラストはある。これらに共通する傾向として「目を閉じている」イラストがやたら多いことだ。
2018年初頭辺りから「手抜き」と言われるようになっている。
質感が薄っぺらく、小物が少ないなど作り込みの甘いものが多い。
また、作り込み自体はされているものでも、デザインの点で不満が各所から噴出するなどセンスの低迷も見られる。
特に同じ衣装の色違いであるニューウェーブの3人や佐久間まゆの道化風衣装などは非難が多い。
五十嵐響子の恒常二周目を見たとき、私は人的リソースの不足を確信した。
及川雫、依田芳乃などは良かれ悪かれ喋り方が途中から変化した。
これ自体に関してはファンの間でも賛否があるので一概に悪いとは言えない。
だが、ホーム画面に当該アイドルを配置した時に現れる問題がある。
同僚やプレゼントボックスに言及する際は最初期のボイスであるのに対し、カード固有のボイスは最新のものであるためだ。
演技を変えるのならば、既存ボイスの差し替えをするべきであっただろう。
主人公格であるNGの三人や高垣楓のような人気キャラクターであれば出番が偏るのは仕方がないとも思える。
だが、総選挙で圏外常連にも関わらず、声が付き多く出番が与えられているアイドルがいる。
声優の所属事務所の都合もあるだろうが、ここはコンテンツの根幹に関わる部分なので、ユーザーに目を向けてほしい。
なぜなら183人という多すぎるほどのアイドルこそが本作のアイデンティティであり、
ユーザーが思っているより遥かにビジネスライクに事が運んでいるのが実情だろうが、私はここを蔑ろにしたことが衰退の一因だと考える。
ライブを行う上では、ファン数を稼ぎたいアイドルやスコアの出るアイドルで編成したユニットを出撃させることになる。
したがって、楽曲オリジナルのメンバーで観たければMVで、ということになる。
「別々に設定できたらいいのに……」という声はよく目にする。
イントロ部の省略、盛り上がる部分の省略、原曲からの歌唱パート変更などが極めて稚拙な判断で行われており、楽曲の良さを失わせている。
尺を合わせるにしてももっとやりようはあるだろう。
難易度の問題ではない。人間が遊ぶことを考慮していない譜面配置となっている。TulipSPのMASTER、秘密のトワレのTRICKが典型例である。
ただでさえ多様な端末に対応することが求められている中で、判定抜けが多発するフリックやスライドを多用すること自体が愚策。
舞台がステージであることに加え、振り付けが地味であるため見栄えしないMVが増えてきた。
特に期待されていた満開スマイルでは2Dリッチもなく、多くのユーザーの失望を買ったのは記憶に新しい。
これに関しては私の主観になるが、個人的にイマイチな曲がある。Frostとか。
バンドリのように有名曲のカバーを実装すれば盛り上がると思う。
コミュで使用されているアイドルのイラストはいわゆる初期絵であり、垢抜けないものが多く見られる。
デレマス自体が2011年から開始しているコンテンツであり、古さを感じるのは当然といったところ。
同ジャンルでパイを奪い合う他のアイドルゲームでは、3DモデルやLive2Dによる活き活きとしたアイドルの描画が没入感の創出に寄与している。
そんな中で未だに紙芝居をやっているだけでも見劣りするのだから、せめて立ち絵くらいは刷新すべきだろう。
……というか、せっかく魅力的な3Dモデルがあるのだから、これをコミュに活かしてはどうだろうか。
Spring Screamingのイベントコミュで喜多見柚の学年問題が話題になった。共演した本田未央とは誕生日が1日違いで同じ15歳の設定なのに学年が違う。
また、デレぽにおいても設定と矛盾した呟きが見られる。例としては的場梨沙がパパの話をしていることなど。
これは本当にまずい。なぜなら、デレマス世界はユーザーにとってディズニーランドと同じ「夢の世界」である。
本当にそのキャラクターが意志をもって行動し生きていると信じているユーザーにとって、設定の矛盾は現実に引き戻す解呪となる。
要するに魔法が解けるのだ。
ライブでは全楽曲の全難易度をクリアしないとNEWが消えない仕様の為、ほとんどのユーザーは一度もNEWが消えたことがないだろう。
営業に至っては数日毎に項目が更新されるため、NEWを消すことがほぼ不可能な仕様になっている。
したがって、常にNEWが出ているため新着に気づくことができないのである。
例えるなら、受信箱に未開封のメールが山積している状態。デレステもメールでいうところの「開封済みにする」コマンドを設置するべきであろう。
ガシャやイベントで新しいアイドルを獲得したら、まず餌を与えて特訓し、コミュを見て(スキップして)石を回収する…。これが皆のルーチンであると思う。
だが、いちいちアイドルをルームに配置するのは面倒臭い。アイドル一覧画面あるいはプレゼントボックス等からダイレクトにギフトを贈れるようにして頂きたい。
例えばイベントコミュの第1話を見た後に選択画面に戻ると、スクロール位置が最上部に戻されている。そのため、また下までスクロールしなければならない。
たとえばPRPが1600を超えると「PRP1700を達成しよう」というミッションが発動する。
この時、達成状況を視覚化するバーは1600/1700、つまり9割以上溜まった状態で表示されている。
これでは視覚化が意味を成してない。この場合、1600をゼロとして表示するべきである。
「とってつけた感が否めない機能だが、あっても毒にはならないか…」そう思っていたユーザーは多いだろう。
しかしいわゆる杏bot事件で、運営の構成力のなさが明るみになった。
「満開スマイルメンバーの振る舞いがイジメを思わせる」「冴島清美が気の毒だ」などと各所で話題になった。
この事件最大の問題は、運営が双葉杏というキャラクターの行動原理を失念したことにあると思う。
サボるためにbotを用いて周囲に真面目アピールをする、ここまではいい。しかしbotであることがバレた以上、杏がこれを続ける理由はどこにもない。
特にグルーヴは4曲連続でのプレイを強いられるので、十数分ほど集中しなければならない。
そもそも音ゲー自体がソシャゲの性質と噛み合わない部分が大きいためだ。理由は以下の通り。
ゲーム性の高さが魅力の音ゲーではあるが、連続のプレイングを強いる設計はユーザーの負担感が大きい。
営業の追加で多少は緩和されたが、面白さの創出にはつながっていない。
例えばMASTER楽曲を100回クリアすると、スタージュエルが250個貰える。
しかし、これはライブ画面からのクリアに限られており、グルーヴやパレード、ライブパーティでクリアした分については算入されない。
相当にやり込んだ人であっても、クリア回数がほとんどの曲でB〜Cなのはこのためである。
これはフルコンボについても同様で、「初めてフルコンできた!」と思ってもフルコンボ楽曲数にカウントされず歯ぎしりしたユーザーは多い。
デレステ実装からCD発売までに一年以上かかっている。これはデレステ側の問題ではおそらくない。
初期の段階からプレイを開始したユーザー以外はイベントコミュの解放に思い出の鍵を必要とするが、これがなかなか手に入らない。
二周年あたりから開始したユーザーはほとんどのコミュを見れていないだろう。バランス調整が必要と考える。
長々と提示してきた上記デレステの問題点は、結局のところ人的リソースの不足に原因が集約しているように感じられる。
イラストにしろ衣装にしろ、提出されたものを社員が精査して作り直しを命じ再提出させる…といったブラッシュアップの過程が欠如しているとしか思えない。
担当者が2人いれば気づけるような些細なミスすら山積する現状を見るに、私たちユーザーが思っているより遥かに少数の人員で現場が動いているのかもしれない。
にもかかわらず、デレぽのような継続的負担のあるサービスを開始するのだから理解に苦しむところ。
昔のエロゲはストーリーがベースにあって、その上で大人ならこう展開するだろうなというリアリティありきのエロさで話が肉付けされていった。
そういう意味ではエロ文のレベルは今と比較すると洗練されてなかったかもしれないし、フェチなんかも考慮されていない展開ばっかりだった。
でも、最近思い出してやりたくなるのはストーリーに合った18禁規制のないエロのあるゲームだったりする。
どういうエロゲーを作ってるのかは知らないけど、まずはストーリーがしっかりあってその上で世界観を壊さないようにエロを入れるようにしたゲームを作っていってほしい。
萌え要素ばっかりのキャラ系世界系紙芝居は溢れすぎて飽きられてると思う。
昔流行った探偵もののハードボイルドなんて時代に合わないかもしれないけど、ストーリーだけで面白い話をしっかり作っていけるように頑張っていってほしい。
毒抜きの為だけに書いている文章なので、支離滅裂なのは許してください。
私はつい先日まで、とある作品に嵌っていた。紙媒体の原作があり、そこからアニメやゲームなどの派生作品が複数ある作品だ。
その作品に嵌るより前からアニメや漫画は好きだったけれど、この作品は生まれて初めて作者さんに手紙を出してしまうぐらい好きになってしまった作品だった。
しかし、これだけ好きだった作品の事を私は今とても嫌っている。憎いと言ってもいい。
「公式が地雷」だなんてふざけた事をぬかすな!と思った方、その気持ちは私もわかる。とても分かる。
私自身、今回の件があるまで公式が地雷なんて気狂いの発想だろ的な事を思っていた。でも今ははっきりと言える。公式が地雷という現象はあり得る事だと。
まず違和感を覚えたのは原作がアニメ化され、それが放送された時。
原作で好きだったシーンがカットされた。これはいい。映像と紙媒体で表現方法が違うのは当然だ。
キャラクターの掛け合いを増やす。これもいい。可愛いキャラクター達の可愛い掛け合いだ。全くもって構わない。
次に違和感を覚えたのは、原作者完全監修ストーリーがウリのアニメを基準としたスマホゲームの、とあるイベントシナリオが公開された時。
原作では思慮深いと描写されていたキャラクターがいきなりポンコツ化
何を言ってるか分からないと思うけど私も何も言っているのか分からない。何があったんだよこのキャラクターに。
いや、何が起こったのかは分かる。ここでこのキャラクターがポンコツになれば、このシナリオのオチが面白くなる。だからポンコツになったんだ。
作品の中で一番推してるキャラクター(マイナーキャラなので原作にも殆ど出番が無い)が珍しく通常シナリオに出てきた。
わっけわかんねーよ!!!!
他キャラを立てる為に推しが利用されるのは構わない、でも推しをストーリー中で貶す必要ありました!!!??
原作をアニメ化した物を更にもう一度紙芝居化したシナリオがゲームに収録された。ありがたい事にアニメではカットされた場面も収録されていた。
登場キャラクターを大幅に変えて。
キャラクターAが出てくる場面にキャラクターBを出張らせ、挙句Aの存在は初めから無かった事にされた。
脚本家は筆を折った方が良いのでは?
ドラマcdだもん、キャラ崩壊ぐらいあるよね、ってレベルの崩壊じゃなく、別人レベルで崩壊していた。
お前は誰だ推しはどこだ。
思慮深くその頭脳は誰からも頼りにされている筈の推しが、一切の思考能力も持ち合わせていない馬鹿に成り下がっていた。ドラマcdのおふざけシナリオだという理由だけで。
馬鹿に成り下がる事自体が嫌だった訳じゃない。馬鹿に成り下がった理由がシナリオの為だった事が嫌だった。
このドラマcdを聴いて以降、私はアニメはおろか原作すら目に入れていない。表紙が視界に入るのも辛い。
「アニメが合わなかっただけ。原作は面白い」と思おうとしたけれど、ダメだった。上で違和感を覚えたと書いたシナリオは全て原作者監修のシナリオだった。
このご時世、本当に監修しているのか素直に信じられるものでは無いけれど、原作者の名前で発表されている以上、どうしても分けて考える事が出来なかった。
作品を好きだった時間を無駄とは思わないし、費やした金銭が無駄だったとも全く思わない。本当に楽しかった。
でも今後この作品を見る事はないとも思う。再熱しようにも、また公式の展開が嫌なものになるのではないかと怯えながら読み進める事になってしまう。こんな胃に優しくないのは嫌だ。
オタクを辞めるつもりはないし、これからも色々な作品に触れていきたいと思う。ただ、あまりのめり込み過ぎるのも良くないなぁと考えさせられた一件だった。
楽しんでいる人がいるから水を差すようで言いづらいのもあるんだろう。
何故そのようなクソゲーを楽しんでいるんだと。
だから「クソゲーを遊ぶな、ヤメロ」ではなく「このようなクソゲーを真似しないように」
と導いてやるのが良いのではないだろうか。
オマージュも楽しめないならヤメロ!とまで言い出す始末である。
一回だけなら良いかもしれない。だがこれで何度目だ?
何度オマージュが出れば気が済むんだ?
オマージュというのは相手の作品を尊敬しているからこそのものであり
ネタでやるものはオマージュというよりパクリとかパロディという単語がお似合いではないか?
権利側が訴えなければ良い、権利側が自分の作品を知っている人がいるんだ、と言われて
別に悪いことじゃないだろと思うだけで終わりなのか?
誰しもが楽しんでもらえるゲームじゃなくて悲しいと思わないのか?
利益を生み出すためだけに作っているゲームはゲームとは呼ばない。
ただのビジネスだ。
楽しく遊べている連中は正直羨ましい。
こんな紙芝居のようなキャラグラにスキップも出来ない宝具演出、長いロード、終わりのない課金
よく続けていられるものだ。
横スクロール系ではキャラはやや正面に向けるのがキャラを魅せるコツだと知らなかったのか、
気づいたとしても初期設定からは変えられないよな、それがソーシャルゲームだからな。
泥船に泥を塗り続けてなんとか耐えているけどいずれ沈んでいくのか、いや潔く早く沈んでほしい。