2階なんて概念のないかと思えた私の保育園で、長くて細い、行き先の見えない空間はより記憶に残りやすい。
その中間地点は、雑多に置かれた、用途が明確でないもので溢れていたのだ。
この部屋の近くには、とある男が眠っている。
誰かが「ドラキュラ」と言う。
もちろん、聞いたことのない固有名詞で理解できるほど察しのいい人間はいない。
鋭い牙、鋭い目つき、語られる陳腐で断片的な表現は、私たちにはむしろ効果的だった。
想像力に常識なんていらない私たちは、隙間を勝手に埋めていき、それぞれのドラキュラを作り出すからだ。
もちろん、いくら私が子供だったとはいえ、先生の話を全面的に信じていたわけではない。
なぜ保育園にドラキュラがいるのか、いたとして、なぜわざわざそんなところで紙芝居なんてやるのか。
そんな疑問は当然出てくる。
けれどもその疑問の解消に努めなかったのは、有り体にいえば怖かったということなのだろう。
あの手この手で保育園内を一通り探索した好奇心旺盛な私でも、その欲求を満たそうとは思わなかった。
今の私は、当然ドラキュラなんて信じていない。
あそこで、私の作り出したドラキュラは眠り続けたままなのかと。
やっぱり、あの部屋も探索しとけばよかったという未練が、意外にも燻っていたんだなあ。