はてなキーワード: 手塚とは
初めて読んだのは幼稚園くらいの時(父親の蔵書だった)でそりゃ余計怖いわ。
そこで同じく警察が潜入捜査してたのがバレた時に処刑される際に登場した。
コワイからという理由でつけられたのであろうパッチリとした一つ目(絶対機能的にいらない)にトラウマである。
多分コブラと戦うことはなく、出番はそんだけ。まさにビビらせるためだけに出てきた。
要するにベジタブルである。もちろんベジータより登場は十年以上早い。
分厚い鎧を纏った植物人間。
鎧を脱ぐとハイエロファントグリーンのように筋の(血管?)浮いたグロイ肌に、
口がグロ触手になっててそこから人を操る種子を埋め込むというホラー映画顔負けのデザイン。
真ん丸真珠のようなボディにうじゅるうじゅるしたタコアシがくっついた顔がどくろのような生物。
エネルギーを食って巨大化していく。
女性の首筋にとりついて殺すシーンがチビりそうなくらいコワイ。
集合して人間そっくりに化けることができる。
コブラに依頼を頼もうとした女性を襲う前に虫文字で窓ガラスに「KILL」とか書いて脅してくる精神攻撃に震え上がった。(でも今考えると結構お茶目だな)
なんか全身超高熱発火してる全裸のお姉さん。超おっかけてくる。
その姿というより、その時のコブラのパーティの一員だったドグが一瞬で燃やし殺されたという展開がトラウマである。
コブラでは長編においてパーティを組んだ時の仲間って死なないことが多いのだが、
このエピで初めてパーティ組む展開の話だったので、えっ、仲間死ぬの?!って
余計びびった。ドグェ…。
全身ゴムマリのようなボディのサイボーグ手術を受けたお姉さん。
空気を吸ってフワフワ飛べるわ、水道の蛇口からポコンって尻から出てくるわ、
固めて集めて襲ってくる。
なんかロボットぽくない人間ポイでざいんに黒目がちなデザインがクリーチャー気持ち悪い
コブラのあふれんばかりの才能にに嫉妬した人に間違って殺されたお姉さん。
コブラの部屋のシャワーに入った所で温度を上げられる操作をされ、
電子レンジされて焼き殺された。いやすぎというか危険すぎないかその風呂。
逆にアニメではなんかもうすぐ死ぬとか設定を追加されちゃったベガかわいそす。
名前あったけど忘れた。
目をカッとあける様にトラウマ。
なんかエネルギー吸ったりそれを注入して操ったりする。
何日かに一回超放射線が発射され、
なんか雪型のアリのような生物。
女王は超でっかい雪の結晶型でギャーとか吠えてて冷静に考えるとバカっぽい。
この話、ラスボスといい全体的にコワイ。
存在を疑うと消える無茶な山。
ぴゅーって落ちてくの怖い上に殺人事件まで起こるから余計怖い。
人間の体に入り込んで内臓を食い荒らすというひどい奴。
2回登場しました。
冷静に考えるとちょっとブラックジャックに似てるなコブラって。
ちょっぴり哲学的に締める読後感とかが。
http://www.j-comi.jp/book/comic/45521
何の予備知識もなくただのレトロゲー漫画だと思って読んで深い感銘をうけたので感想を書く。(※ネタバレ含む)
1979年からのゲームにまつわる著者の少年時代のエピソードを細かい小ネタ解説を交えて
進んでいく前半パートは気楽に楽しく読めた。
細かい文字が多く読みにくい部分はあるものの、スペースインベーダーを模したおもちゃの詳細な解説は読み応えがあるし、
近所のゲームコーナーのヒーローおじさんやお金持ちの男の子などしんみりさせるエピソードなどは
自分より一回り上の世代ではあるが共感とノスタルジーを感じた。
旧友が岡山弁丸出しでMZ-700のゲーム内容を語るシーンなどのギャグセンスは秀逸であり一気に登場人物に
感情移入してしまうが、その後急に内輪ノリでお友達がゼビウスについて語りだしてしまうのは突き放された印象でちょっと興ざめ。
レトロゲーム史の記録にこだわらず少年時代のノスタルジー漫画として割り切ったほうが、読ませる筆力がありそうである。
そのあたりから徐々に自伝的色合いを増し、第10話から話が急展開してゲームからアニメへ主人公の興味が移ってしまう。
3年間アニメ制作に情熱を燃やし尽くした筆者を待っていたのは、「まんが道」における「連続原稿落とし事件」並みの絶望であった。
努力はした、けれども能力が足りなかった。でもみんなで頑張ったんだからよかったじゃないか。
そんな自己欺瞞を「オネアミスの翼」に粉々に打ち砕かれるシーンには胸を打たれる。
「どれだけ熱意があっても、どれだけ精魂を傾けても、クズはクズだ。ぼくはこの時はじめてそれを学んだ」
この後、この挫折をバネに著者がゲーム業界で成功していれば、ゲーム版「まんが道」といってもいい希望に満ちた素晴らしい物語になっただろう。
だがその後モノローグはこう続く
「そして、それは最初であって決して最後ではないことをぼくはこの後何度も思い知らされることになる」
アニメフェスティバルで手塚治虫に会って、一生かかっても恩返ししたかったのだというエピソードのあと、
現在の著者近況に戻って物語は終わる。希望はなかった。ただ傍観者としてゲーム業界の進歩を眺めているというようなラストだった。
おそらくこれはまだ続きを書くつもりなのだと思う。
気になったので著者のその後について調べてみた。
大学在学中に漫画家デビューしたものの売れずその後セガに入社、現在はフリーライターとのことである。
セガガガ(2001年、セガ) - 原案・美術設計・プロデュース
ASTRO BOY・鉄腕アトム -アトムハートの秘密-(2003年、セガ) - ディレクション・シナリオ・背景グラフィック
ガンスタースーパーヒーローズ(2005年、セガ) - ディレクション・シナリオ・背景グラフィック
ブラック・ジャック 火の鳥編(2006年、セガ) - ディレクション・シナリオ
サンダーフォースVI(2008年、セガ) - 企画原案・美術設計・プロデュース
セガガガはセガファンには有名な内輪ネタゲーであり、この人はやはり内輪ネタで本領を発揮するタイプなのかと思われる。
クソゲーとも言われているようだが情熱だけで独善的に突っ走る著者の性格がまだうまく作用したケースなのではないだろうか。
ASTRO BOY・鉄腕アトム -アトムハートの秘密-は、火の鳥アトム編を補完するGBAの名作として手塚ファンに語り継がれている。
この実績を持って手塚治虫への恩返し云々というエピソードにつながってくるのだろう。
どの程度関わったのかはわからないが、これが現在のところ著者のゲーム業界におけるハイライトと言えそうである。
そして最新のキャリアがあの伝説のクソゲー、シリーズファンから存在を抹消されているサンダーフォースVIであったことを知って
とてもフクザツな気分になった。情熱だけで独善的に突っ走った結果手に負えなくなり、誰も喜ばない作品が出来上がって
「仕方なかったのだ、これはこれでよかったのだ」と自己欺瞞するしかなくなるという高校時代のエピソードとぴったり重なる。
ちょうどこのゲームをリリースしたあとにこのパートを執筆していたというのだから著者自身それを痛感していたことだろう。
思うにゾルゲ市蔵氏は才能豊かな人である。絵も上手いし、曲がりなりにも高校生で二十数分というアニメを完成させている。
自伝をこれだけ客観的で読み応えのある物語に仕上げる才能は相当なものである。
センスが無いのか、悪趣味なのか、思い込みが激しいのか、高校時代のエピソードとサンダーフォースⅥに関しては
情熱を発揮する初期の段階で方向性を間違えていたと思えてならない。
そのようなタイプは大勢のスタッフを引っ張ってプロデュースしていくゲーム制作の仕事が向いていないのでは、とも思える。
もっとも、このマンガも絶版になったうえJコミ無料公開してもそんなに閲覧数が伸びていないので、
漫画家のほうが向いているとも一概にはいえないのであるが、なんとか自分の才能を活かせる表現形態を見つけて欲しい。
今半分くらいだけど。
オッス、元増田です。ご検証ありがとうと礼儀としちゃ言うべきなんだろうけど、そんな話じゃないんだけどなーという印象。
「僕らの世代は実際には手塚漫画を読んでないのね」は主語が大きすぎてなんともですが、個人的には少年チャンピオンで「ブラック・ジャック」終了後も「七色いんこ」や「ミッドナイト」はよく読んでました。「ゴブリン公爵」は忘れてください。
また手塚クラスになると過去の名作に触れる機会も多く、「火の鳥」(「太陽編」の前まで)は朝日ソノラマ版で読んだし「ブッダ」も床屋で読みました。
ここで全称命題の話にしますか(笑)。前世代、前々世代に比較すればあながち的外れな考察でもないと思いますけどね。もちろん統計データなんてありませんけど、クラスのほとんどが読んでいた、半分くらいは読んでいた、5人くらいは読んでいた、と比較すればほとんど読んでいないという大きな主語は、この場合、個人的にあれも読んでいた、これも読んでいたというのよりはよほど実態に即していると考えます。それともそれこそ何か統計的なデータでもお持ちでしょうか。
1971年生まれで、チャンピオンを追いかけている人は相当稀少だったのではないでしょうか。何といっても同時代的には「ドラゴンボール」「北斗の拳」「聖闘士星矢」「キン肉マン」などのジャンプ黄金時代だったわけですし、6割ジャンプ、2割マガジン、1割サンデー、残りの1割でその他というのが実感です。70年代黄金期を過ぎてのチャンピオンの凋落ぶりは言うまでもなくて、看板作品でも老若男女誰でも知っている作品というのがもうここ30年ないですよね。
たとえば週刊ポストには「弐拾手物語」が長期連載されていましたし、週刊プレイボーイが本宮ひろ志の「俺の空」を載せたり平凡パンチは岡崎京子の「ジオラマボーイ パノラマガール」を連載してました。
「漫画が一般雑誌に掲載されたのは大昔にはあるかも知れないけど80年代の文脈で言えば手塚だけだったね」は勇み足というか、元増田の興味に引っかかるのが「アドルフに告ぐ」だけだったものと想像します。
ま、これは確かにそうですね。一般週刊誌は文春、新潮、朝日のみというのが感覚的には正しいと思います。この三誌とそれ以外では、オーソリティがまるで違うからです。この三誌がクオリティマガジンとは言いませんが、WILLに連載するのと、中央公論に連載するのとでは全然意味が違うのと同じです。ロッキード事件やリクルート事件など社会的な問題でたびたび尖兵となってきた雑誌と、スポーツ新聞に毛が生えたような雑誌とでは社会的な意味が違います。それは現在に至るまで、掲載されている作品の内容でも歴然と異なります。
特に80年代は、週刊文春は花田体制の下、絶頂期にあって、100万部を毎週越えるような規模としても内容としても一軍でしたから、基本的には政治経済、時事的なトピックでそれだけ中心的に扱われているメディアに漫画が乗った(プレイボーイならいざ知らず)ということ自体がトピックであったという意味で、アドルフの例は出しましたけどね。ただしアドルフ以後、この三誌での漫画連載は定着しませんでしたが。
ブコメで「サンコミックスが昭和40年代に出るまで単行本はハードカバーが普通、ただし人気作しか単行本化されなかった」とあります。
純粋にハードカヴァーの作品自体であれば貸本屋の漫画は基本的にハードカヴァーでしたし、店頭でよく見かけるものとしては、学研の「ひみつシリーズ」もハードカヴァーでした。ただしサンコミックスなんてほとんど誰も知らないように、社会的な景色の話ですからマニアックな話をしてもしょうがないわけです。平積みにされて、多数の人が「おお、漫画もハードカヴァーになる時代なんだな」と認識することが重要であって、消費物としてではなく作品としての漫画、芸術としての漫画という意味合いを一般化したのは手塚がやはり尖兵であったという、そういう話です。「火の鳥」と「のらくろ」のどちらが先なのかは分かりませんが。
赤塚さんはあと、コロコロでは「花の菊千代」を連載しています。その後、ボンボンでも何作か連載していますが、知る人ぞ知るという程度の作品で、連載作家として仕事はしていたわけですが、雑誌の主力になるようなパワーはなく、その仕事自体が大御所としての余暇的なものであったと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20130510192931
「僕らの世代は実際には手塚漫画を読んでないのね」は主語が大きすぎてなんともですが、個人的には少年チャンピオンで「ブラック・ジャック」終了後も「七色いんこ」や「ミッドナイト」はよく読んでました。「ゴブリン公爵」は忘れてください。
また手塚クラスになると過去の名作に触れる機会も多く、「火の鳥」(「太陽編」の前まで)は朝日ソノラマ版で読んだし「ブッダ」も床屋で読みました。
ブコメで「サンコミックスが昭和40年代に出るまで単行本はハードカバーが普通、ただし人気作しか単行本化されなかった」とあります。
80年代の記憶でいえば「のらくろ」の復刻版がハードカバーで出てました。
たとえば週刊ポストには「弐拾手物語」が長期連載されていましたし、週刊プレイボーイが本宮ひろ志の「俺の空」を載せたり平凡パンチは岡崎京子の「ジオラマボーイ パノラマガール」を連載してました。
「漫画が一般雑誌に掲載されたのは大昔にはあるかも知れないけど80年代の文脈で言えば手塚だけだったね」は勇み足というか、元増田の興味に引っかかるのが「アドルフに告ぐ」だけだったものと想像します。
いやまあ「一般雑誌」は週刊朝日、週刊新潮、週刊文春のみというなら別ですが。
このエントリを書くにあたって事実関係を調べるためにWikipediaの手塚治虫やその作品、藤子不二雄、赤塚不二夫などの項目を読んで懐かしい気持ちになりました。赤塚不二夫のコロコロコミックの連載が「チビドン」だなんてすっかり忘れてましたが画像検索で思い出しました。
「日本人は共同幻想体をシェアしてた」という表現はまさにその通り。
元増田がどういう心境で元のエントリを書いたのかはわかりませんが、この年になるとこうやって昔をふり返るのも悪くないものです。
1974年生まれぐらいの人から見て、手塚治虫ってこんな感じに見られてたなあっていう話。
僕が子供の時は各界に権威者つーか、記号みたいな人がいたのね。
美空ひばり=歌うまい、みたいな。石原裕次郎とかさ、リアルタイムじゃ「太陽にほえろ」しか知らんけど、あの固太りのおっさんのどこが恰好いいの?とか思ってても、裕次郎=二枚目、みたいな記号が権威をもってたんですよ。
いまさ、例えば歌姫って言っても、こーだくみも歌姫なら、浜崎だって歌姫でしょ。僕が子供頃だったら歌謡曲の女王ってたら美空ひばり、ミスタープロ野球ってたら長嶋茂雄、いや島倉千代子はどうなの、とか王貞治の方が記録を残してるよとか、そういう異論は通用しなかった時代なのね。
今だって神様だけどさ、もう当時はカテゴリー的には昭和天皇と同じカテゴリーなのよ。美空ひばりとか長嶋茂雄とか、石原裕次郎とかは皇室と同じポジションにいたわけ。
そういう意識を共有して、日本人は共同幻想体をシェアしてたのね。
タクシーに乗ってさ、いきなり運転手が「いやー昨日は巨人が負けて残念でしたね」って話しかけるみたいな、共同幻想ね。そこにはスワローズファンなんて存在しないの。いや、俺はホエールズファンだからなんてのはあってはならないの。石原裕次郎=二枚目ってのを受け入れるのはさ、天気の話をして場をつなぐ友好的な社交を受け入れるってのと同じことだったわけよ。
そういう仲でさ、手塚治虫=神様=天才=善人=医者、っていうさ、そういう受け入れられ方をしてたわけ。世間はアトムとジャングル大帝しか知らんから。
手塚の場合は、まあ、実際に天才だったわけだしさ、裕次郎が二枚目っていうのよりは実態があったけど、僕らの世代は実際には手塚漫画を読んでないのね。アニメは見たよ。
子供が多い時代だったから、しょっちゅうアニメは再放送されてて、「ジャングル大帝」「ふしぎなメルモ」「悟空の大冒険」「鉄腕アトム(リメイク版ね、♪ボクの腕と脚はジェットで空をとーべるー、の方)」「ジェッターマルス」とか観ていた。僕が一番好きだったのは「悟空の大冒険」だけどさ、まあ正直言って、藤子不二雄とか赤塚不二夫のアニメの方が面白かったなあ。
みたいなことを80年代に手塚は言ったらしいんだけど、晩年の手塚は権威を利用して、また新しいチャレンジをしてたね。
僕がリアルタイムで、手塚の「連載」を読んだのは「アドルフに告ぐ」なんだけど、これ、週刊文春に連載されてたんだよ。一般週刊誌だよね。週刊文春読んでる中学生もやな感じだけど、漫画が一般雑誌に掲載されたのは大昔にはあるかも知れないけど80年代の文脈で言えば手塚だけだったね。で、「火の鳥」と「ブラックジャック」がハードカヴァー版で刊行されたんだけど、漫画のハードカヴァー版も多分、手塚が最初。
権威を利用してたけどさ、最晩年の頃の手塚はむちゃくちゃ現役作家でさ、現役作家として再ブレイクしてたんだよ。ま、あの人、現役じゃなかった時代はないんだけど、藤子F先生が「ドラえもん」に専念して、赤塚先生がかろうじてコロコロとかに細々と連載してる中でさ、手塚は社会のど真ん中で新作でブレイクしたんだよ。
その最中に亡くなったんだけど、「アトム期」「レオ期」「どろろ期」「ブラックジャック期」って連続してるけど、それぞれ別の顔、別の座標軸でブレイクしてるんだよ。で80年代にもブレイクの山をもひとつこしらえたっていうかさ、死んだときは神様じゃなくて現役作家だったんだよ。
「ブラックジャック」とか「火の鳥」の名声で食ってたんじゃなくてさ、多くの読者に早く来週の掲載作品を読みたいって思われる作家だったんだよ。
まあ、おっさんのむかしばなしなんだけどね。
五大天才漫画家「手塚治虫」「尾田栄一郎」「鳥山明」あと二人は?
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4323316.html
1.質が高い作品を複数、残している。
を条件とした場合、
手塚が入るのは当然として、赤塚は作品自体のクオリティはともかくとして革新性が弱い。
尾田は商業的にはひょっとしたら鳥山よりも成功した漫画家かも知れないが、やはり革新性に劣る。尾田はたとえるなら少年漫画界のマーガレット・ミッチェルみたいなもの。作品の訴求力と当人のクリエイターとしての革新性とは別。
鳥山は天才に当てはまると思う。ギミックを詰め込んだデフォルメされながらもリアリティを持つ画風自体が衝撃的であったのと、アメコミの影響を受けて租借したうえで、日本の漫画の原稿に和風化して落とし込むという表現技法上の革新もあった。「Dr.スランプ」は大友克洋の「AKIRA」よりも早い。言うまでもなくメガヒットを複数出している。大友をして大友的な革新性の代表として天才扱いするならば、大友的な革新性は鳥山の中に抱合することが出来、時系列的にもそれが妥当だと思う。
水木しげるは天才と言うよりはアルチザン。緻密に粘着的に徹底するという程度が他者を凌駕しているのであって、漫画史全体で見れば、それほど重きを置かれるわけではない。これは水木を軽視しているのではない。作品への評価で言えば、私はむしろ水木を手塚を凌駕して評価している。ただ、漫画史的な視点での評価はおのずと作品評価とは異なると言うことだ。田山花袋や横光利一が作品単体では大した作品は残していないにも関わらず、文学史的な革新性において評価されるように、ここで言う天才とは、作品自体の質はもとより、その数、社会的影響力、そして革新性を備えている必要があるということだ。
そういう意味では石ノ森章太郎は、天才何人か分の重要、かつ致命的な影響を漫画史に残している。フォーマットの創始者という点においても、集団ヒーローの群像劇、そのキャラクターの性格づけはもとより、マーチャンダイジングの手法においてもパイオニアと呼ぶべきである。更に重要なのは、いわゆる「オタク的」な要素の萌芽がすべて石ノ森作品の中に顕著にみられることであって、少年サンデー的な、中産階級的な趣味的なマンガすべてが石ノ森マンガに端を発しているという点である。意外と重要なのは、「日本経済入門」のような、それまで非マンガ的な要素とされていたものについてもマンガに取り込んだことで、手塚や水木の中に見られるマンガというイデオロギーを脱して、徹底的に表現手段として分解してみせるという、作家性とは別の次元の理数系的な分析をマンガに持ち込んだのも石ノ森である。
漫画表現の飛躍的な革新を成したという点では24年組(竹宮恵子、萩尾望都、大島弓子、山岸涼子)を挙げなければならないが、その集大成的な立場としては萩尾を挙げるべきだろう。手塚が基本フォーマットを作ったと言われる戦後マンガの基本は、映画表現をいかにして紙の上に再現するかと言う視点から成り立っていた。萩尾らによってマンガは初めて独立した表現手段になったと言ってよい。マンガは文字と絵が同じ一つのコマの中にあり、吹き出しのセリフ、吹き出し抜きの内面のセリフ、そして絵とそれぞれ矛盾した内容を同時に表現できる唯一の表現手段である。たとえばぶっきらぼうな少年が少女に向かって毒づきながら、なおかつ画面上では頬を染めるなどをして、明らかに少女への好意を示しているような表現は文学では難しい。描写ではなく説明になってしまう。更に実はそれも演技だとして、内面は実はこうすれば少女は自分に対してぶっきらぼうな少年に対する好意を増すであろうとの計算があるとすれば、その内心を同時に表現するのはこれは映画等でも不可能なのである。こうしたマンガ独自の表現方法の確立は萩尾望都を代表とするのであり、その表現手段の派生が致命的過ぎてもはやエピゴーネンとも意識されないほどの重大な影響を及ぼしていることを踏まえれば、彼女の存在は、二十年、三十年のスパンではなく、百年、二百年のスパンで見るならば、手塚をもはるかに凌駕する重大かつ致命的な転換点となったのであった。
と5人のうち4人までが選ばれたが、ここは議論の余地がないところである。つまり個々のこのみや評価の違いはあっても、漫画史の視点から言えば、偏見なく選べばこの4人は欠かせないということである。残りの一人は評価と好みの違いになるだろう。私は、
藤子・F・不二雄を挙げる。
[補足]
まあ、みなさんいろいろご意見はおありでしょうが、そもそも5人に絞るのが無理っちゃあ無理とちゃぶ台をひっくり返してみる。
「てめー、あれ読んでねえだろ」「俺はビートルズの武道館ライヴ見に行ったんだぜ」「江夏の21球も実際に見てない奴が投球論を語るな」的な反応はプロレス論の醍醐味で正しいレスポンス。
レスが挙げているような御大たち、高橋留美子、大友克洋、白土三平、水木しげる、赤塚不二夫、永井豪、いしいひさいち、つげ義春、大島弓子、大和和紀、三原順、梶原一騎、吉田秋生あたりは誰が入ってもおかしくない。個人的にはいくえみ綾とかも入れたい気もするが、個人的過ぎるので止めた。
あと、尾田先生が入っているのはつりですか、みたいなことを言う人には、何といっていいものやら。
[補足の補足]
ekken さんがブコメで尾田は外せよみたいなこと言ってたんですが、私もそれはリンクを張っている元記事について言っているんだろうなって思いました。そうじゃなくてもっと直接に私に向かって「尾田先生が入っているのはつりですか」と言っている人がいたんで(消されたみたいですわ。こわっ)、書いたことで批判されるならともかくさすがに言ってもないことで揶揄されるのはやだなあと思って補足しました。ekkenさん、ご迷惑おかけしてごめんなさいね。この点をブコメで指摘してくださった方も、言ってもいないことで私が批判されるみたいな流れになるのをくぎをさしてくださったんだと思います。ありがとうね。
日本のアニメだって、文化的背景がない、無国籍的なものがバカ売れしてるんでしょ。ワンピースとかNARUTOとか。
NARUTOは日本の文化っぽいように見えるが、作者が洋画ファンなことからも明らかなように、あれは間違いなく「アメリカ人が考えるニンジャ」を描いてる。
「文化的背景がある」ってのは「民族的モチーフを出していく」って意味じゃないと思うが…。
近世だけに絞っても手塚以降の歴史とボリュームを知らないといけないし
もっと言えば江戸時代、更に言えば平安時代ぐらいから日本人はあんなんばっかりやってきた。
「背景」ってのはそういうこと。
それを下敷きに、アウトプットするものの”ガワ”が和風でも洋風でも無国籍風でも
もうわかるでしょ?
例えを日本以外にしてもいいよ。
ハリウッドがどこの国を舞台に映画撮ったってそれはハリウッド映画でありハリウッド文化だよね?
『ラストサムライ』は邦画じゃないよ、日本をネタにしたハリウッド映画だよ。
日本人はそういう忍者を好むのだけど、アメリカ人は「理解不能」だから、
カッコイイ一部分だけ切り出して「Oh! NINJA!」とか騒ぐ。
本物の忍者w
見たんかいw
どこの里のもんだよw
山田風太郎作品が元ネタすらわからない馬鹿の手で水割りされた末に
なんか劣悪な漫画を通して君にインストールされてるだけだと思うよ。
繰り返しになるが、
別に三橋ナントカに賛同するわけじゃないからね。そいつの文読んでないし。
でも君は色々不勉強すぎるし頭が悪すぎると思う。
若い人なんだろうけどさあ…
あ、誰に似てるのかわかった。
肩に力入っててグルグル考えてるけど圧倒的にモノを知らないこの感じ
青二才の人だ。
その特徴をもとに自分はどうだったかと反省するとそれは小学校中学年の時分だった。
周りを見てもそんなかんじだった。
どちらかというと高二病の方が中学生の自分を表現するのに適切だったと思う。
僕は育ちがいいかと言われればそんなことはない。普通の市立小中学校を出て普通の高校に通い、普通より少し偏差値の低い大学に入った普通の人間だ。
交友関係は、貧富様々。2Kに四人ぐらしするような家庭から医者の息子まで様々だった。学外にも友人がいたし、部活の延長上他県の生徒とも知り合いがいた。
流行に敏感だったかというとそうでもない。ジャンプは中学二年生あたりから読み始めた。ちょうどテニスの王子様で青学対氷帝学園の決勝戦、手塚の腕が壊れたあたりだ。
まあとにかく、そういう中二病に当たるような人は中学生の時には見なかった、ということだ。
どこにいるのだろうか、彼らは。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110119-00000020-sph-soci
岩手県警は18日、JR盛岡駅に停車中の東北新幹線のデッキで全裸になった公然わいせつの疑いで、自称・山形県長井市の無職・手塚新一容疑者(32)を現行犯逮捕した。手塚容疑者は「乗り間違えた。自分のふがいなさに腹が立ち、裸一貫からやり直すには服を捨てるしかなかった」などと供述している。
岩手県警盛岡西署によると、手塚容疑者は18日午前9時50分ごろ、新青森発東京行きの「はやて18号」のデッキで服を脱ぎ、全裸になった疑いで逮捕された。
停車中の10両編成の車内からジャンパーやジーパン、Tシャツ、パンツなどが次々と飛び出してきた。ホームにいた駅員が現場に近寄ってみると、8号車のデッキの中に、生まれたままの姿になった手塚容疑者がいた。駅員は即通報し、鉄道警察隊が現行犯逮捕。当時、車内やホームには他の乗客がおり「ワー!!」と騒動になったという。
同駅に同9時35分に到着し、秋田・東北新幹線「こまち18号」との連結作業の後、41分に出発する予定だった「はやて18号」だったが、事件の影響で約10分の遅れが出た。
手塚容疑者は、県警の調べに対し「(福島県)郡山から山形に帰省する予定だったが、乗り間違えた。自分のふがいなさを腹立たしく思った」と全裸になった理由を供述。さらに「服は親が買ったものだから、捨てないといつまでも自立できないと思った」とも話している。
盛岡西署は、手塚容疑者は郡山駅で山形新幹線「つばさ」に乗車しようとした際に、誤って東北新幹線「やまびこ」に乗ってしまったものとみている。盛岡駅に到着した時点で乗り間違えに気付き、引き返すために上りの「はやて」に乗車した際に全裸になったようだ。捜査関係者は「いわゆる露出狂のような趣味を持っていたわけではないようだ」と話している。
ちなみに、JR東日本広報部では「ケースバイケースですが、乗り間違いや寝過ごしの場合は基本的に追加料金は頂いておりません」と説明。「乗り間違えた」とする今回の場合も、特に別の料金を徴収する例には該当しない可能性が高いという。
No.306
■タイトル あともう少し☆
■氏名 フェイトちゃん
■日時 2010/08/29 19:09:42
応援してます!頑張ってください!
No.290
■タイトル お父さんお母さん育ててくれてありがとう
■氏名 渚
■日時 2010/08/29 16:37:00
私は小さかった頃に病気になってしまったのでお父さんとお母さんは大好きなお
私は体が弱くて高校3年生を3回もしましたが、何とか卒業し2回目の3年生の時に
お父さんとお母さんのおかげです。
No.289
■タイトル 頑張って!
■氏名 陽菜
■日時 2010/08/29 16:36:10
同じ「はるな」ということで親近感が湧きます(笑)
私は学校の寮で、寮長の姉と視ています。
昨夜は姉が寮長なのに「一晩中視る!」と言いだして消灯時間を過ぎても自分の
部屋に戻ろうとしませんでした(笑)
私は幼くして母を亡くし、以来姉を心の拠り所にしてきました。でも、シスコン
は卒業ですね。はるなさんを見ていてそう思いました。
でも今は、姉と二人で見る24時間テレビ、この幸せな時間を楽しんでいたいです。
No.288
■タイトル 大好き
■氏名 なぎさ
■日時 2010/08/29 16:34:10
友達も家族もみんな大切で好きだけど
お兄ちゃんが一番大好きです。
でも照れくさくて「大好き」なんて伝えられない
「大好き」どころか恥ずかしくて「ありがとう」すら言えません。
でもいつかちゃんと伝えたいと思います。
ずっと見てるからねお兄ちゃん… 大好きだよ…
No.287
■氏名 ゆり
■日時 2010/08/29 16:32:56
私は自分の人生を恨んでいる。自分の人生に全然納得していない。でも、24時間
テレビを見ていたら、人の生きる力が伝わってきた。つらいことがあっても、そ
れでも前を向いて人生を歩んでいく力強さを感じた。
もしかすると、人生もいいものなのかなって・・・私の人生も捨てたのもじゃな
いのかなって、そう思えた。
だから、私も前を向けるように、何かしてみようと思う。これから、今すぐに。
だって、人は10分ぽっちだって、待ってはくれないんだから。
No.285
■タイトル はるなさん、がんばってください
■氏名 おかざき潮
■日時 2010/08/29 16:28:56
はるなさんがんばってください
私は今お父さんとみています
私は小さいころ体が弱くてすごく苦しかったんですけど、お父さんがずっと一緒
にいてくれて病気と戦ってくれました
今はすごく元気です!
はるなさんも今苦しいけど最後まではしってください
No.280
■氏名 つぐみ寮一同
■日時 2010/08/29 16:25:21
昨日から島の寮でみんなと一緒に応援させていただいてます。
はるなさん頑張ってください!
僕たちもこの寮を守りきるために頑張ります!
No.279
■氏名 ひろし
■日時 2010/08/29 16:25:35
地球に「ありがとう」の言葉が広がるといいなと思っております。
No.278
■タイトル 大切な人
■氏名 直井
■日時 2010/08/29 16:24:37
だからぼくは唯一出来る事「ありがとう」を伝える事を怠らないようにしています!
音無さん、ありがとう!
No.267
■氏名 ことぶき
■日時 2010/08/29 16:16:00
今年友人に進められてはじめて24時間テレビを見ました!とても感動しています!
私の家は若干余裕があるので、できるだけたくさんのお金を募金してきました。
是非、恵まれない人たちのために使ってください。
No.266
■タイトル 応援してます!!
■氏名 特車2課
■日時 2010/08/29 16:16:22
私の職場はちょっと特殊で、とても大変なんです。
でもいざとなるとみんなで力を合わせて、とてつもないパワーを生みだします!
出演者の皆さんもチームワークで乗り切ってください!!
No.261
■タイトル がんばってー!!
■氏名 山中さわちゃん
■日時 2010/08/29 14:17:25
私は高校の先生をしています。
ですががんばって楽しくしてます。
部活には障害者の子がいるんですが、周りのサポートもあり、学園祭ライブも成
功しました!!
みんなありがとう!!
No.255
■氏名 りっちゃん
■日時 2010/08/29 14:15:01
最後の学園祭が終わってしまい、寂しい気持ちでしたが、この番組を部活の皆で
見ている今、とても楽しいです。
大切な仲間達とこの番組を見れることがとても嬉しいです。
応援しています!
No.254
■タイトル がんばって!
■氏名 前原圭一
■日時 2010/08/29 14:14:17
毎年6月から忙しくなって見れませんでしたが、
今年初めて24時間テレビを見ました。
とてもいい内容で心も温まりました。
はるなさん、マラソンがんばってください!
テレビの前で応援しています!
どうか完走してください。
それだけが私の望みです。
No.251
■氏名 浅羽特派員
■日時 2010/08/29 14:11:16
いつのまにか夏も終わり、ついに24時間テレビがきた!ランナーの愛さんはム
リをせずに最後まで走り切って!僕は合宿で山にいたのですが帰ってきました!
No.239
■氏名 キョン
■日時 2010/08/29 13:59:35
とても勇気を貰いました。
ありがとうございましたアッーーーー!
No.237
■タイトル ありがとう、君に会えて嬉しかったよ
■氏名 最後の送シン者
■日時 2010/08/29 13:56:50
僕は最初、何のために生まれてきたのか分からなかった。でも、彼と出合って人
間の愛を感じた。僕は彼を好きになった。たぶん、彼も僕を好きだった。
でも僕がいると彼は幸せになれない。だから僕は自ら消えることを願った。
24時間テレビを見てもう一度彼に会おうと思いました。ありがとう24時間テ
レビ。
No.235
■氏名 ういうい
■日時 2010/08/29 13:55:31
友達の瞳もマシュマロみたいにふわふわです。
憂ちゃん、いつもがんばる君の横顔
ずっと見てても気付かないよね。
夢の中なら二人の距離縮められるのになー。
夢のような時間ください。
そして応援してくれる部活のみんな、そしていろんなことを教えてくれる憂ちゃん
ありがとう!!!
No.232
■タイトル フンガー!!
■氏名 美羽
■日時 2010/08/29 13:54:45
私は小学6年生ですが、今までは友達とふざけてるだけの人生でした。
これからは一日一日を大切にしていきたいです。
No.231
■タイトル 祝福の風
■氏名 Hayate.Y
■日時 2010/08/29 13:52:59
私は幼いころに両親を亡くし、更に病気で車いすの生活をしていました。
でも、海外から来た親戚や友人のお陰で、笑顔で過ごすことが出来ました。
今は、病気も治り、その友人と同じ職場で働くことが出来ました。
私は、その親戚と友人にありがとうの言葉を送りたいです。
そしてはるな愛さん、みなさんの応援という祝福の風を受けて、がんばるんや
で~!!
No.219
■氏名 草薙素子
■日時 2010/08/29 11:32:41
私も幼い頃に大きな事故にあって大変な思いをしたことがあります。
そのときにたまたま病室が一緒だった人が、不自由な体で折り紙を折ってくれた
んです。その折り紙はまだ大事にとってあります。
私たちに元気を与えてくれて、本当にありがとう。
No.211
■タイトル ありがとう
■氏名 みっちゃん
■日時 2010/08/29 11:27:50
私には大切な友達がいます
今は世界中で困ってる人のために一生懸命頑張っているのでありがとう芳佳ちゃ
んと伝えたいです
No.209
■タイトル 柱になれ
■氏名 手塚
■日時 2010/08/29 11:27:13
はるな愛さんの、勝利に向かって突き進む姿は
我々テニス部員の志気を高めさせてくれます。
頑張ってください、応援しています。
No.200
■氏名 和ちゃん
■日時 2010/08/29 11:22:36
24時間テレビ、多くの方のチャレンジを見て勇気をもらっています。
私も、ショートケーキのイチゴを取り合って以来二ヶ月間絶交している幼馴染の
友達に、
はるなさん、みなさん、頑張って!!
じゃ、私はこれから生徒会に行きます。
No.198
■タイトル 本当にありがとう
■氏名 碓氷拓海
■日時 2010/08/29 11:21:14
この番組を見て鮎沢さんに告白する勇気を貰いました。みなさんも頑張ってください
No.194
■タイトル 私も頑張ります!
■日時 2010/08/29 11:19:13
私の先輩は色んな所にシールを貼るので困っていました
はるな愛さんの頑張りを見て、そんな先輩についていこうと思うようになりました
私の地方ではまだ学園祭のライブはやっていないので頑張って成功出来るよう頑
張ります!!
No.187
■タイトル 頑張ってください!
■氏名 みっちゃん
■日時 2010/08/29 11:16:08
私は走るのが苦手なので、はるなさんは凄いと思います!
最後まで頑張って走ってください^^
お菓子を食べながら応援しています^^
o.183
■氏名 ジュドー・アーシタ
■日時 2010/08/29 11:14:21
今仲間達と一緒に観てます。
以前俺も大人の都合に付き合わされて大変な時期があったけど、仲間達がいたか
ら乗り越える事ができた。
24時間マラソンは大変だと思うけど、「辛い」とか「キツイ」とか、自分の頭だ
けで考えるな!
はるな愛さん、頑張ってくれ!!
No.171
■タイトル ありがとう
■氏名 山中
■日時 2010/08/29 10:25:17
放課後に部室にあつまりお菓子を食べたりみんなと会話したり・・・もちろん
ちゃんと練習もしています。
時にはやんちゃもするけどそんなみんなが私は大好きです
イモトさん頑張ってください
No.168
■タイトル がんばって
■氏名 高町なのは
■日時 2010/08/29 10:23:13
がんばってください
今局の友達と一緒に見てます。
私もフェイトちゃんも応援してますなの。
No.167
■タイトル 大好きをありがとう!!
■氏名 あずにゃん
■日時 2010/08/29 10:21:57
私は部活の先輩と顧問の先生と友人にありがとうを言いたいです。
面と向かっては恥ずかしいのでここで伝えます。
今の私があるのはみなさんのおかげです。
本当にありがとうございます!!
No.143
■タイトル がんばってください!
■氏名 ムギ
■日時 2010/08/29 09:58:40
24時間テレビのみなさんがんばってください!!
No.141
■タイトル やったね!
■氏名 たえちゃん
■日時 2010/08/29 09:58:19
いま私はコロちゃんとテレビを見ています。じんじんと暑い日ですが
めげずに頑張ってください。辛くてなきたいときは泣けばいい
いまから叔父の家にいってくるんで実は見れませんでもみんな頑張ってね!
No.140
■タイトル がんばって!
■氏名 とみたけじろう
■日時 2010/08/29 09:58:31
はるな愛さん頑張ってください!
僕はとある村でカメラマンをやっているんですが、
ぜひはるなさんを撮りたいです!
気分をリフラッシュしつつ、頑張ってください!
No.121
■タイトル がんばってください!
■氏名 シンジ
■日時 2010/08/29 09:49:48
はるな愛さん壮絶なマラソンだと思いますが逃げずにがんばってください!!
ゴールしたときはともに泣きましょう!そして心のそこからおめでとうと言わせ
てください!
No.112
■タイトル ありがとう
■氏名 高町なのは
■日時 2010/08/29 09:46:17
その一言の大切さを24時間テレビを通して見つめ直したいと思います。はるな
No.111
■タイトル はるなさんがんばって!!
■氏名 秋山澪
■日時 2010/08/29 09:46:30
No.109
■タイトル 楽しみです
■氏名 大河
■日時 2010/08/29 09:45:47
夫と一緒に拝見しています。おしゃれというのには興味があるので楽しみです。
ですが私は背が低いので参考になるかは分かりません(笑)
No.23
■タイトル がんばってください!
■氏名 中野 梓
■日時 2010/08/28 15:44:24
24時間テレビの皆さん、がんばってください!
軽音部の皆さんと見るつもりです!!
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/33225
僕はあまり普段から興味持ってない人。手塚漫画とかガンダムの人の漫画でアイヌのことは知ってる程度。
当然、例に挙げられていたような本は読んでないし、知り合いにも居ないな。
で、感想。
僕の生活範囲内ではなかったのは事実。東京在住、北海道の友達は居るけどちゃんと聞いたこと無いな。
で、何を持って差別が在るとするのかって、境界は難しいと思う。
理不尽な思いをしたときに、その原因は自分が被差別民族だからだと思う事は多々ありそう。そういう主張を
かき集めたら、差別は在るって事になりそうな気がする。
被差別者として差別の存在を主張したい気持ちと、利権に絡むいやらしさと両方あるとおもう。
僕は小学生からプログラミングにはまってたけど、いじめに近い状態のときに、パソコンだらけだった境遇のせいだと思った。
そんとき、ああ、わかりやすい原因があると、それを理由にしがちだなと思った。
同情してもらいやすい不幸と、説明しにく不幸がある。
後者が前者を妬む事もあって「お前らの受けた不幸なんて差別なんてたいそれたものじゃねーだろ、うぜえ」ってね、
自体は複雑になるんだと思う。
・被差別主張全般に対する厄介感
僕なんかのほほんと生きてるほうなので、(時に自殺したいとか苦しむこともありますが)
平和なときに、メンドクサイ主張を聞きたくないっていうのもあるね。
在日も部落もアイヌも、うぜぇね。内心にこっそりそういう部分ある。
冷静に考えれば十分同情に値するかわいそうな境遇だってこともわかるけど、それをちゃんと調べて理解して同情するのってコストが結構かかる。
疲労するね、つかれるね、善意をちゃんと維持するの。
だって、無関係なんだもの。私の人生には。
・本読んだ?
「本を読んだか読んでいないかを答えるつもりは無い」って先に名言すればいいのに。
なぜ、答えないのかにはいろんな理由があっていい。それを読んでない後ろめたさだと決め付けられたら否定すればいい。
否定した上で、答えない理由にこだわるのは本題からそれるから、別の機会でいいと思う。
「アイヌなんて嫌いだ」と言われる事が差別なのか、それはオタきもいと言われるのとどう違うのか。そういう所を話すべき。
・大学進学率
実際に合否の判定にアイヌ民族の血統であることが左右された事例がどのぐらいあるのか、それが知りたい。
本買うのはめんどうだなぁ、どっかのサイトにまとまってる?でも、実態調査なんてできないだろうからなぁ。
で、最終的に大学進学率が低いっていうのは、どうしてなのか。合否判定に影響してなくても
ほかの原因が進学率の数字に出ることもあるんじゃないの。地域によっても進学率は違うし、男女だって違う。年代でも違う。
アイヌの拘りが住居地域に現れて進学の交通不便さが影響して進学率の数字に影響するとかさ。
正直、大学がアイヌ族を落とすようなことしてると思えないんだよね。僕の生きてきて出会った人でアイヌは徹底的に調べ上げて排除してやるなんて差別意識もってる人いなかったもの。
応募書類にアイヌ族かどうか明記しろとかそういう事例もあるの?そういうの書かないでも大学側が調べられるの?
結果的に進学率が低いんだって数字をみつけて、差別があることの補強材料にしてるのが、どうも無理やり感を感じる。
在日朝鮮人も嫌ってるようだけど、被差別主張に嫌悪をもってるんだとおもうなぁ。想像にすぎないけど。
彼のような人がいる事が、差別が有ることの証明だって意見もあったけど、
・最終的にどうなるのがいいんだろうね。
個人的には、アイヌも在日も部落も無くなっちゃえばいいと思うんだけど、これはもちろん暴論で無くしたくないって思ってるから無くならない。
民族意識とか狭い帰属意識を主張するともめる。もめない為にはもっと大きな帰属意識にしていくしかない。
アイヌ人がその立場から和人を和人呼ばわりするのだって、数の違いでしかなくて、根本的には差別と同じなんだと思う。
和人はアイヌを差別している差別主義者呼ばわりされてるわけだし。してないし、知らないことが差別?違うでしょう。
とか言うことをもんもんと考えました。
そうなの?
自分で勉強する方法のない技術についての話だと思ってた。だって元増田はマンガの描き方について
手塚とか石の森の描いてた、子供向け「漫画教室」に描いてある程度の情報量。あるいは「個人の思い込みの発表の場」でしかない。
メジャー向けなら「ショー・エンターティメント」の技術を学ばないと駄目だ、というのは常識かと思っていたが、その「ショー・エンターティメント」を教えてる場所がインターネット上に全然無いことに愕然とした。
いや、ちょっと前はあったが消滅した。「ショー・エンターティメント用語辞典」があった。でも消えた。ショックだな。
って書いてるし。参考書が一杯あるCとは違うでしょ。
ちょっと下のほうで「自称」漫画家を目指してる、けど実は何の努力もしてないという、まぁありがちなヤツの相手をしていて、その流れで「ショー・エンターティメント用語辞典」を検索してみて、消えてるのが判って、悲しくなった。
---
「売れるストーリーを作る」ことを職業とする人間なら、誰しもが「ショー・エンターティメント」の技術を学んでいる(あるいはショー・エンターティメント文化にふんだんに触れて、ショー・エンターティメントの考え方を自分のものにしている)。
ネットでは、イラストの描き方講座などはものすごく発展している。
pixivなどで細かい技術論議、基本的なデッサンの取り方、ポーズマニアックスなどのツールの出現、などなど。
10年前に絵を描き始めるのと、今の時代に描き始めるのでは、かなり差が出ると思う。実にうらやましいよ。
だけど。
漫画の描き方講座は、全然発達してない。
手塚とか石の森の描いてた、子供向け「漫画教室」に描いてある程度の情報量。あるいは「個人の思い込みの発表の場」でしかない。
メジャー向けなら「ショー・エンターティメント」の技術を学ばないと駄目だ、というのは常識かと思っていたが、その「ショー・エンターティメント」を教えてる場所がインターネット上に全然無いことに愕然とした。
いや、ちょっと前はあったが消滅した。「ショー・エンターティメント用語辞典」があった。でも消えた。ショックだな。
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ショー・エンターティメントの技術って、pixivでタグ付けて描いたりしたら、ウケるだろうか。
「そんなの誰でも知ってるよ」で煽られて終わるのがオチだろうか。
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そもそも「おかしいな」と思ったのは、バクマンでショー・エンターティメント技術が全く出てこないことなんだよな。
少なくとも80年代ジャンプは、全ての作品において「ショー・エンターティメント技術」の基本から、ちゃんと勉強させてもらってたように見える。作品の作り方がことごとく計算の上で成り立ってて、その計算がショー・エンターティメント技術によって裏づけされたものだから。
ひょっとしたら。
技術断絶が起きてるのか?
ショー・エンターティメント技術に頼る世代と、勘と才能だけで面白い作品を作ろうと頑張る世代。その2世代ができてしまったということなのか?
後者はツラいぞ。運の要素大きいし。
"「かたわ少女」Act1V3プレイしました - ミッション! アクション! パッション!"について。
(略)障害者が通う学校なのに「高等学校」です。特別支援学校ではなく。「高等学校」を名乗るからには、高等学校設置基準に基づいて設置され、高等学校学習指導要領に基づいて教育活動が行われなければなりません。
確かに「今現在の」「日本の」学校制度ではそうなんでしょうね。しかしゲーム作成者の国ではどうなんでしょう。私は知りませんが、むこうでもそんなに名称レベルできっちり区別されているんでしょうか。それによっては評価も少し変わるように思います。
無論、設定国の忠実な再現という意味では「今現在の」「日本の」再現も重要なんですが、個人的には障害者が通う「高等学校」が物語の世界にあってもそれはそれでいいような気はします。それは世界設定の問題なので。
また、様々な障害のある子供が同じ学校で生活しているというのも不思議です。それぞれの障害特性に応じて環境づくりをしないと教育効果が上がらないので、特別支援学校は、障害種別ごとに学校が作られています。
特別支援学校でない学校の話で、特別支援学校は…と話をしてもあまり意味はないような気がします。「それぞれの障害特性に応じて環境づくり」が特別支援学校以外の方法では無理だ、というのであれば仕方ないですが、生徒が学べるぶんの環境が何がしかの方法で整えられるのであれば、別にさまざまな障害者が同じ学校で生活してもいいのでは。どうしても分別したいのであれば別ですけど。
ゲームをやっていないので具体的にどう階段を登ったのかはわからないのですが、簡単にできるかどうかは人によったりはしないんでしょうか。障害者もいろいろでしょうし。http://www.youtube.com/watch?v=LJP5xat-XNAなどを見ると、それなりには登りうるようですけれど。
全員の生徒が盲人ならそれでもいいのでしょうね。でも別段必須の設備とも思えません。携帯のメールじゃまずいのでしょうか。特に今回のような複数種の障害者が生活する状況なら、私であればいちいちのディスプレイ設置ではなしにメールを使いますが。
手塚琳がトイレに行かなければならないというシーンでは、介助を主人公に任せるわけに行かないので断り、誰かを探す、ということをしています。特別支援学校ではこのような介助は教員がやります。もし、誰も介助者を見つけられなければ、琳はどうするのでしょうか。
特別支援学校では、教員は障害者に張り付いているんでしょうか。張り付いていないのであれば、「教員を見つけられない場合」はどうするんでしょう。性別さえ問題でないなら生徒が介助可能、という世界で、介助を教員がやるかどうかはあまり重要に思えません。気にするところってそこなんでしょうか。
この作品を作った方は、特別支援教育や障害者についての取材をあまりされなかったようですね。このことのひとつの現れとして、「障害を持つ」という表現があります。作中では「持つ」と書かれています(日本語版)が、障害者は自らの意志で障害を「持っている」わけではないので、「障害がある」という言い方をするのが(特別支援教育の業界では)一般的です。
「一般的」でないとそんなにまずいのでしょうか。意思なき状況に「持つ」を使うのがそんなにまずいのでしょうか。重箱の隅つつきにしか思えません。私は腰が悪いのですが、自分を「腰痛持ち」ということになんらの抵抗もありません。もちろん、腰痛を自らの意思で「持っている」わけではないですけど。気にするところってそこなんでしょうか。
砂糖(※ママ)リリーが校内で白杖を使っていますが、通常、校内の移動で白杖は使いません。どこに何があるか覚えているからです。逆に言うと、視覚障害特別支援学校では、普段物がないところに物を置くというようなことは絶対にしません。
「通常」…。さっきの「一般的」もそうですが、なんだか普通でない状況の存在を認めないような口ぶりだなあ、と思うのは私だけでしょうか。どうなんでしょう?
というか、「普段物がないところに物を置くというようなことは」ありえない、絶対に―というのであれば別ですけど、「もしあったらとても困る」と仮に考えるのであれば白杖を持つしかないのだから、白杖を持つ生徒がいてもいいと思うんですけど。それに全員の生徒が盲人ならいざ知らず、そうでない場合他人に「自分が盲人であること」がわかり易いほうがはるかに便利であるように思います。ではどうするか? 私なら白杖を持つ、のですが。
羽加道静音は手話以外は全く理解できないようですが、実際の聴覚障害者は、ある程度の口話(口の動きを読み取ること)ができます。
これは「普通は」という括弧書きなしの話なんでしょうか。口話は相当に難しいようですし、人によっては事実上できない人もいるように思いますけど。できなかったら「実際の聴覚障害者」ではなくなってしまうのでしょうか。
この作品には、今のところ知的障害者は登場しません。この作品を作るきっかけとなった1枚のイラストに知的障害者が登場しなかったからでしょうが、どうせなら、すべての障害種別を対象にしてほしいところです。
「すべて」を要求する意味がわかりません。それこそが作品のテーマである、とかの場合を別とすれば、ある作品が全パターンを網羅することは必要でも何でもありません。「この作品にはいろいろな国の人間が出てくるのだから、どうせならあらゆる国の人間を出してくれ」といっても仕方ないのと同じです。
エントリ主さまは障害者やその環境についてとてもお詳しいようです。が、「どうせなら、」そのありあまる知識を(今更ではなく)プロジェクトが動き出した2007年、日本で話題になった2008年ごろに作成者側に語ってもらいたかったところです。彼らは閉じた存在ではなかったのですから。
いえ、過去を振り返ってもしょうがない。「どうせなら、」障害者の物語を語ってみてはどうでしょうか。障害者をよく知らない者が語るより、よく知る者が語るほうがずっとよいはずです。どうですか。