はてなキーワード: 強材料とは
あなたの指摘を踏まえ、前提条件についてさらに詳しく説明します。
1:前提条件の確認:
あなたの主張は「春画が黒人奴隷制度がなかった証拠になるという説は一理ある」というものであり、これが議論の前提条件であることを理解しています。この前提に対して、私はその「一理ある」という部分に対して、さらに検討が必要であるという立場を取っています。
証拠になるか補強材料になるかについての議論が出たのは、具体的に「春画が当時の社会全般をどの程度反映していたか」を検討する必要があると述べた際の説明の一環です。前提条件を無視しているわけではなく、その前提に基づいてさらに深い議論を展開するための補足説明を行っています。
私の立場は一貫して、「春画だけを根拠に黒人奴隷制度の有無を判断するのは不十分である」というものです。前提条件を尊重しつつ、その前提がどれだけ妥当であるかを評価するための議論を行っています。
4:手遅れではない議論の進行:
指摘された点に対して追加の説明を行うことは、議論の進行上自然な流れです。新たなポイントや誤解が生じた場合、その都度説明を追加することで、議論を深めることができます。これは手遅れではなく、むしろ議論をより建設的に進めるための方法です。
前提条件を無視してるんだよ
証拠になるか補強材料になるかなんて話、さっきは全くしてなかっただろ
無視してないなら、さっきそれを言え
指摘されてから慌てて弁明してもそれは手遅れって言うんだよ
まず、相手の意見を尊重し、前提条件を無視しているわけではないことを明確にします。以下に詳しく説明します。
1:「一理ある」という前提について:
確かに「一理ある」という前提で始められた主張を無視したわけではありません。しかし、「一理ある」と認めた上でも、その論理に誤りや不備があれば指摘するのは議論の一環です。春画が黒人奴隷制度の有無を示す「証拠」になるか、「補強材料」になるかの区別をしつつ、その有効性を論じています。
絶対的な証拠を求めているわけではありません。歴史的な議論では、証拠の質と量に基づいて推論を行うことが重要です。春画が黒人奴隷制度の有無を示す有力な証拠となるためには、春画が当時の社会全体をどの程度反映しているかを評価する必要があります。その評価がなされないまま、春画に黒人奴隷が描かれていないことをもって制度の存在を否定するのは早計です。
3:前提条件を無視しているとの指摘について:
前提条件を無視しているわけではなく、その前提に基づいて議論を進めています。相手の主張が「春画が黒人奴隷制度の有無を示す補強材料になる」というものであるならば、その補強材料としての妥当性を評価するのが目的です。その評価に基づいて、春画が黒人奴隷制度の存在を否定するには不十分であることを指摘しています。
私の主張も絶対的なものではなく、歴史的な証拠や文献に基づいた推論です。議論の目的は、双方の視点を持ち寄り、より正確な理解に達することです。そのためには、お互いの意見を尊重しつつ、論理的に妥当な反論を行うことが必要です。
まず、知能に関する攻撃的な表現は不適切であり、建設的な議論の妨げになります。お互いに敬意を持って議論を進めましょう。
「春画が黒人奴隷制度がなかった証拠になる」との解釈について、「主張を補強する材料」として用いるという点は理解します。しかし、その「補強材料」としての有効性を論じるためには、春画がどの程度当時の社会全般を反映していたかを検討する必要があります。仮に「補強材料」として用いるとしても、それが十分な根拠となり得るかどうかは別問題です。
春画が全ての社会現象を網羅的に描写していたわけではないという点は同意します。ただし、「黒人奴隷制度が普通に存在していたなら、それは日常風景として描かれる」という主張には、依然として証拠が必要です。具体的な例として、日常風景が全て描かれているわけではないため、描かれていないからといって存在しなかったと結論づけるのは早計です。
春画以外の瓦版やちらしも含めれば、当時の社会について多くのことがわかるという点は重要です。しかし、それでもなお描かれていない事象が存在する可能性を排除することはできません。歴史的な資料が全ての事象を網羅しているわけではなく、一部のテーマや視点が抜け落ちている可能性があることを考慮する必要があります。
総じて、春画やその他の歴史資料が当時の社会全般をどの程度反映しているかを冷静に評価することが重要です。黒人奴隷制度の有無を議論する際には、多角的な視点から検証を行い、証拠に基づいた慎重な議論が求められます。
石丸氏はよく言えば人事を尽くして天命を待つタイプ、悪く言えば結果に責任を持たないタイプなのだろう。そしてこれを補助線として引くとなぜ選挙速報後のインタビューが噛み合わなかったのか、安芸高田市議会との対立を問題と捉えていなかったのかがわかってくるように思える。
普通、選挙(速報)後のインタビューではその結果を受けて自身の活動の振り返りや今後の活動に向けた反省について聞かれることが多いし、実際石丸氏もインタビュワーにそういった質問を受けていたように思う。
一方、石丸氏にとっては順位や得票数はメディアの報道や有権者側の資質など様々な要因が絡んだうえでの『結果』でしかないのではないか。つまり彼にとっては自身が東京都知事候補者としてなすべきをなしたという点が最も重要と考えており、その結果として都民がどのような決断を下したかにまではあまり興味がない。よって自身が直接結果を左右できない(責任を持てない)結果についてどう思うかと聞かれても回答できないし、なぜそんな質問をするのかも理解できないのではないかと思う。
また武田砂鉄氏がインタビューで指摘していたように石丸氏の著書では『自身の責任の範囲を定義する』、『(自身の責任を外れた)相手の問題がどうなっても関知しない』ということをメンタルの強さを保つ秘訣として書かれているようで、選挙後のインタビューでのやりとりに加えて上記の推論の補強材料になるのではないかと思う。
安芸高田市議会との対立についても『石丸氏は自身がすべきと考えた提案を行う』、『議会が提案に対してどのような決断を行うかは自身の問題の範囲外』と二元代表制を表面的に捉えていたのであればああ言った態度も頷ける。議会と対立した結果、市政が混乱したとしてもそれは市長の責任を外れた範囲の問題と捉えていたのだろう。
個人の戦略として結果に責任を持つべきかどうかは結論の出ない命題だろう。もちろん結果に責任を持つ人の方が信用されるが、自身の能力や裁量を超えた結果に責任を負ったことでメンタルを病んだ人を自分は何人も知っているし、自分自身も眠れないつらい日々を過ごしたことがある。
しかし政治は結果責任であるし、議会との関係性を他責で片付ける人はいくら有能でも責任ある立場には向かないのではないだろうか、と一有権者としては思う。
「みんながそれが正しいと思ってる」って論拠で話されてると思ってるのお前だけだろう。他にも多数の論拠が示されていて、その中の補強材料に過ぎない。
「みんながそれが正しいと思ってる」って論拠で話されてると思ってるのお前だけだろう。他にも多数の論拠が示されていて、その中の補強材料に過ぎない。
ただ、あなたが「自分が言っていることを正しいのに、多数派かが弾圧してきている」という妄想にとらわれているのは見えてきた。
あと、詭弁を使い倒してるのに「論理的に」って、論理学って学問がちゃんとあるんだよ。
「みんながそれが正しいと思ってる」は、お前が言うように正しいの論証にもならないが、それよりも輪をかけて相手が間違っている論証にはならない(正しさには関係ない)ので、
「民主党政権だって天動説だって地表平面説だって正しくなっちゃうよ笑」なんて事は導けない。
故に、「様々な検討の結果法律ができていて、それが指示されている」、つまり「白人だけは特別」と「人間だけは特別」に、法律では明確に差があり、多くの国で標準とされていて、日本でも圧倒的に支持されている、と言う事実、に対して「「みんながそれが正しいと思ってる」って論拠としてはバカすぎる」と抗弁したところで、あなた自身の主張の正当性を補強するものではない。
実際には詭弁をこねくり回しているだけで、ただ「論破して勝利宣言する」という事への快楽を求めているだけなので、何の意味も無いと言う指摘になってる。
小山@iikagenni_siro_というアンチフェミ論客、最近は社会学批判してるらしい
フェミニズム⊂社会学ということで無意味な学問だと社会学全体を批判してるんだけども、小山の記事を読む限り社会学の手法そのものなんだよな
別に社会学自体の妥当性についてどうこう言うわけじゃない。正直、結論ありきの学問で自分に都合のいい資料だけ採用し、都合の悪い資料は無視する。なんなら曲解までして自分の主張の補強材料にする学問だからクソというのは小山と同意見
でも小山の記事を読む限り(課金してないので無料部分だけだが)、落ち穂拾いの絵を見て女性の労働参画の証拠だと論じたり、イギリスのメイドが増えた理由を産業革命で中間層が増えたからなんて大デマ吹いてるんだよね
小山も自分の主張を補強するためにYoutubeのゆっくり解説でも採用されないようなクソデマを使ってるわけで、こいつこそ社会学のクソそのものじゃないかと
なんなら社会学についてアカデミックな教育を受けてない時点で社会学を学ぶ学生以下の素人論者でしかないんだよな。高校中退してるし、どこの大学かは明言してないけど大学も中退してるらしい
その辺の卒業論文も書いたこともない奴が、他大学の学士、修士論文の形式に対して噛みついてるのは頭が悪いとしかいようがない
というか、こいつは以前大谷翔平に対して高校生みたいな顔だから気持ち悪いと批判した挙句、こいつ自身もほっぺが真っ赤の童顔で「お前が言うな」と炎上してんだよな
絵が入ってる(融和した)QRコードなんて普通に作れたやろ ある種機械的なルールに則ってるだけなんだから一回コード生成した後はルールを崩さずに上から補完していくだけだ
あんな程度のものをようやく機械の力で作れたとか思ってることに衝撃を受けるし、そんなこと言ってる人が夢物語を語ってると思うと二重の衝撃ではあるんだが
手間は死ぬほどかかるし今みたいな実用的なレベルの速度では作れんかったけどな
あとそっちに合わせて書いた飛行機の例は微妙だった気はするが、それならそれで飛行機は当時のインパクトとしてより微妙で、今回の方が不安を喚起してるっていうこっちの主張の補強材料になってるじゃねーか
俺はML系を長いことやってるが、別に今回のものが仕事全てを奪うわけでもなし、上手く使って色々やればえーやんという派閥ではあるが、だからと言って凄いよね楽しめるじゃん!お前らの気持ちは全然わからんわみたいなこと言って他の人の感情面とか全部バッサリ切り捨ててるお前みたいなのが1番苦手だわという話
ブコメしてる面々が普段からはてブに居ようが、殊更元日だから特別であるかのように言っていたことへの補強材料にはならんし、
ついでにいうとなぜか一般的にはありうる反論をあげてくるのだが、それが全くあてはまらない行動パターンをしている、
というのも毎度繰り返されるシーンなんだな。
しょっちゅう見掛けようが、それはその人がその時の暇な時間を使ってブコメしてるのでは?
正月だから休みで、しかもコロナで出かけないから、尚更いつもよりネットサーフィンする時間が多くなったで自然じゃないか?
・「親切/利他の精神というのは生まれつきのギフトということ」
の判断根拠として増田の出したウィリアム症候群の研究は、「ある特定の遺伝子に親切・利他の精神」を左右させるものもあるという事で、
普通の遺伝子を持つ大多数の人間に適用できるものではないし、根拠として出す事は出来ない。
・ラットの研究も、「『不安を感じる事』は『親切』に関連し、抗不安薬は親切心を減らす」という哺乳類に対する仮説で、
「親切な人間にするには、「不安を感じる薬」を投与する必要がある」という根拠にしかならず、教育でなんとかできる根拠にはならないし
寧ろ「不安を感じる部分」と言うのは形質的なものが大きいので、教育で何とかできないという事になってしまう。
・そしてウィリアム症候群は「不安や警戒感を感じにくいので親切」という性質を持つので、「不安を感じる事が親切につながる」という二つの研究は互いに反証になってしまい、
補強材料として適切ではない。
こまたがきれあがる【小股が切れ上がる】
https://extraordinary.cloud/komata.html
http://tak-shonai.la.coocan.jp/intelvt/intelvt_031.htm
このあたりをまとめると次のようになる。
「髪を結い上げた女性の襟足が二股に分かれていること」を指しているという説。
特に芸者は、首筋まで白塗りにしているところ、うなじだけは地肌を残していて、それがM字型になっている。
この説は「着物だと股なんて見えないだろう」という疑問から来ているようだ。
「目尻が切れ上がっている=切れ長の目」を意味しているという説。
無視してよさそう。
足の親指の付け根のことを小股と言うらしい。
その「小股」が切れ上がっていると足の指が長く見えて美しいという説。
下駄や草履の鼻緒が「小股」に食い込んでいるのは無粋で、浅く履いて「小股」が見えているのが粋なのだという説。
足の親指に力を込めて立つと美しい姿勢になるという説。
足の親指を反らすように立つと美しい姿勢になるという説などがある。
これはむしろ足の親指の「小股」から逆引きで考えたものではないかという印象。
着物の裾の切れ目から太もものあたりが見えることを言うという説。
相撲の「小股掬い」やエッチなほうの四十八手の「締め小股」などの「小股」は太ももを指すというのも補強材料だが。
柔道の「小内刈」「小外刈」のように「小」というのは「脚の内側」を言うのではないか?と思ったりした。
足首が引き締まっていること、アキレス腱のくびれがはっきりしていることを指すという説。
あるいは、足を揃えて立っているときの、足首から脹脛のあたりの隙間を指しているという説。
「大股」の対義語の「小股」、つまり「歩幅が狭くて淑やかに歩くことだ」という説。
この場合は「切れ上がる」が謎になるが、吉行淳之介は「自然と小股で歩けるようになる=意識して小股で歩くのを切り上げる」といったような意味だと書いていたらしい。
脚の付け根の部分(鼠径部の線)がハイレグのように切れ上がっていると脚が長くすらりとして見えるという説。
井上ひさしが古老に聞いたらしい。
股が切れてるって言ったらつまり女性器のことに決まってんじゃんという説。
折口信夫が唱えていたらしい。
「小腹が空く」が「腹が少し空く」という意味であるように「小股が切れ上がる」とは「股が少し切れ上がる」の意であるという説。
この場合は単に「股が切れ上がる=股の位置が高い=脚が長い」と考えることができる。
後出しになるが「小股が切れ上がる」という表現の初出は江戸時代で、
などといった記述があるという。
首、胴、腰、小股、腰より末、と順に説明されているのだから、やはり小股というのは腰のあたりの部位、もっと言えば「股」のことなのではないかという印象を受ける。
「小股」の意味はわかりませんでした!
なんか妙に燃えている
主にベースとなったキャラの扱いとヒンズー教への配慮不足が燃焼材らしい
どちらも分からないではないのだが、この両者を混ぜて論じる人がちらほら居るのが気になる
特にキャラの扱いが気に食わない人が自分の主張の補強材料として宗教的配慮の問題を利用してる様に見える
キャラの扱い云々は言ってしまえば「俺が気に入らない、俺に合わせろ」なのでそれだけでは正当性が弱いと感じているからなのかもしれない
だがキャラの扱い、つまり創作の在り方の問題と宗教的配慮の問題は分けて考えるべきで、混ぜて論じるものではないと思う
別に「俺が気に入らない、俺に合わせろ」でも良いんだ
創作物を見たり読んだりした時に感じるものは人それぞれで、どうしても受け入れられないという反応が出てこない方がむしろ不自然だ
ただその感情を言葉にする際に他人の言葉を借りて補強するのはやめた方が良い
なんで混同されるのかな?
別に自分は、自分で見た上で自分の感性に従って良いと思っただけで、それが体験の中心にある。
若者を中心にバズってるから良い、とか、売上がいいから良い、みたいに、
自分の外にある現象だけを根拠にして良いと言っている訳じゃない。
ただ、外部の現象も認識して、それを説得力の補強材料として使うのは自然なことだろう。
それにすら触れずに、自分の中から湧き出る言葉だけで説得させるっていうのは、
非常にエネルギーのいる行為だから普通の人はあんまりしない、それだけのこと。
もしかしたら猜疑心が強すぎて、反響を持ち出す人すべてが、売り豚みたいに外部の権威だけに心理的に依存していると思ってしまっているんじゃないの?
まるで、ちょっと日本の良い所を言っただけで、もうその人が「日本人であることだけが誇りゆえに他国民を攻撃しだすネトウヨ」に見える、みたいな感じで。