猫の里親探してますPOSTとRTしてる奴。
自分で飼ってる猫が子供を産んだので里親探してますはまだ理解できる。
しかしな?捨て猫いたので保護しました。里親募集中です。とかのPOSTってなんのなの?
馬鹿なのこの人?自分で飼う気もないのに拾ってきて一時的にいいことしたとか気持ちよくなって
一時的にかわいがって自分の優しさすばらしいとかいって最後は他人に丸投げかよ。
本当に勘弁してくれ、何考えているんだこういう奴。
もしかしてこれってやらない善よりやる偽善とか思っちゃってるのか?本当に馬鹿なのか?
POSTした奴はまぁ真性の馬鹿だからどうしようもなくて大目に見てもいいけど、それを
RTする奴も馬鹿だと気が付いてくれ、頼む、本当に頼む。
ってまぁそんなのRTする人はすぐフォロー外すからどっちでもいいっちゃーどっちでもいいんだけどさ。
・二年目(23歳)
・彼氏なし(6月に別れた)
好きな業界で、総合職としてしっかり稼ぎ、キャリアも磨きたいと思い
ノンキャリア思考(≒パラサイト)な女子を見ると「イラっ」とする自分に気付き
その原因を考えるとともに キャリア系女子の行き先を考察します。
個人的には以下の特徴を持つ者を指します
そして、こういう子を見るとなぜ嫌な気分になるのか、理由を考えてみました。
1.自分にないものをもっている【妬み】
2.優秀な男を奪われる 【本能的に、怖い】
これを考えた時、リアルに「2」はまずいんじゃないかと思いました。
正直、これまでにない不安な気持ちが生まれました。
柔らかな雰囲気で、料理上手でちょっと控えめな女の子を選ぶであろうと。
全員がそうでないことはわかりますが、
多数派、という意味ではどうでしょう。事実、まわりの同年代男性の彼女は結構な割合でノンキャリ系。
もちろん、「キャリア系」と「柔らかな雰囲気、料理、控えめ」は両立できます。
そこの努力を怠ったら、ノンキャリ系に種を奪われて当然とも思えます。
さて、ノンキャリ系に優秀な男性を奪われがちなキャリア系ですが
なぜ、結婚が遅れるのでしょう
・理想が高い
以前、「夫の収入が自分よりも低くなりセックス意欲が減退した」という様なエントリーを読みましたが
実際問題、本能的に自分より能力の低い男性には惹かれにくいです。
同じ収入より、できれば自分の収入×1.2 くらいだとバランスがとれる気がします。
(そのことをわかってるからこそ、男性はノンキャリを選ぶのかもしれません)
長々と書きましたが
キャリア系の行く末、生存競争に負けない(優秀な男性と結婚)には
どうしたらいいか。
→会社で見つけるなら、飛び抜けた同期・出世コースとおぼしき先輩・独身管理職
(正直狭き門です。)
(しかし高収入男性は既に特A級の可愛いノンキャリ彼女がいる可能性大)
とりあえず、髪の毛振り乱してキャリアアップ・資格取得に燃えた
休日にパンでも焼くところからはじめてみます。
使える、と主張してたヤツはたくさんいるが、プロジェクトのバージョンが2か3ぐらいになると大抵撤回する。
非オブジェクト指向言語でオブジェクト指向プログラミングしたところで偽にしかならんのは大量のプロジェクトが証明しとるよ
在特会見てると、日本版プアホワイトっつうかプアジャパニーズっつうか、そういう階層が顕在化してきたのが良く判る。
要するに政治思想が右に触れただけのDQN。左巻きのDQNも迷惑には違いないが、
ってほざくんだから図々しい。
やだねー、日本の中間層がやせ細って、バカの声ばかり大きくなってさ。
相互フォロー推進委員会が話題になったあたりから、
「フォロー返さないといけないんだろうか
@送ったのに返事くれないのは嫌われてるんだろうか
会話とぎらせたら嫌われるんじゃないだろうか
TL全部みて全部返事しないといけないんだろうか
フォロー帰ってこないのにフォローしっぱなしだとウォッチしてると思われてよくないんじゃないか」
もしくは逆に、
「TL全部見てないのって失礼なんじゃないの
@送ったのにフォロー返してくれない人って私のこと嫌いなの」
と、真面目に悩みだすフォロワーいてめんどくせー!
みんな親切にそんなことないよーって言ってるのにずっとグダグダ言ってる。で、二日くらいずっとそんなことしか言わないからいーかげんウザくなった人がフォロー外してさあ大変。一人フォロー減っただけでネガティブ思考暴走モード。
なんかわかった気がする、変に真面目すぎる人が相互フォロー推進委員会みたいなのにひっかかるんだな。そういうオーラ撒き散らされると周りまで嫌になるのがなー。みんなゆるくそれぞれの楽しみ方でやってるんだからさ。
Twitterってその場にいなかったら、無理して遡って反応する必要ないし。自分が反応したいときだけでいいから楽なのに。そうしないといけないんじゃないかと悩むことは、相手にも暗黙にそれを強要する雰囲気を出してるって気付けよ。
あとさ、TL全部遡って読んでるってみんながみんなしないから。フォロー数多かったらTL流れるの早いし、フォロー少なくても仕事忙しくてそんなに時間とれない、眺めれる時だけちらっとみて反応するって使い方の人だっている。そのためにMentions(@)という機能があって、自分当ての@をまとめて見れるんだから。
相手も全部読んでると決め付けて、@無しの空中リプライして「反応ない、嫌われたかも」ってどんだけー。それに@あったとしても、Twitterはそのときの生の話題が強いから、すっごい遡ってリプライするってあんましないし。例えば、寝て起きたら、そのときのTLだけに反応する人と、寝てる間のを遡る人といる。遡って反応するのが当然って考え方はやばい。っていうか常に相手も張り付いてる、そうじゃなければ全部読んでる、読まないといけない、って強制すんなマジ。
しまいには、「相手が反応できないのはフォロー数多すぎるからだ。反応できないならフォロー数ふやすなよ」ってどんだけ。ちなみにそういわれた人はリスト小分けにしていて、必ず追いたい仲のいい人をまとめてるっぽいリストあったけど、その喚いてる奴がリストに入って無かった。そういうことだな。TLが汚れる!相手が読んでない!フォロー多すぎる奴は軽薄!なんていう人に限って、リストの使い方知らなかったり、ムダに相互フォローに拘って自分にあったTLを維持してないんだよ。と、ここまで書いて、とあるネトゲで「ログが流れるから発言するな!」とログの振り分け機能の使い方さえしらずに喚いてた人を思い出した。
とりあえずこれ読んどけと。
http://anond.hatelabo.jp/20100820181916
これの言葉借りるなら、人の話に聞き耳を立て自分の話が隣の人に聞こえること、聞き耳を立てられる(フォローされる)のはTwitterではむしろ好意的なことだと思えないと根本的にどーもならん。
それのどこが嫌味として機能してんの? 意味わかんないんだけど。
で、"「苦痛に満ちた死」こそが死刑に求められている"のは、本来人を殺したりした後に良心の呵責とかで「苦痛」を感じなきゃいけないのに、そんなものを全然感じないでいる犯罪者が多いから。犯罪者が内から苦痛を生まないのなら、外から苦痛を与えるべきだ、でなければ被害と到底(形の上だけでも、だが)釣りあわない、とみんなは考えている。
良心の呵責を本当に感じ、せめてもの償いをまともで具体的な行動として積み重ねてる死刑囚がいたら、それに残虐な死刑こそふさわしいという人間は少なくなるはずだ。
山本弘氏の煽り見出しがひどすぎて萎えるので、鹿野司氏のホメオパシーに関する元テキスト拾ってみた - 愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20100829/yamamoto
おまえは「見出しは演出です」といってちょくちょく適当なことを書いてただろうが(笑)。
で、「愛・蔵太の少し調べて書く日記」だかだったのが"調べて書く日記"のくせに調べてねえし間違ってる、とさんざん批判され、
そんなことをしても誰もあなたの怠けを許しませんよ
http://twitter.com/tsuitakotonasi/status/22371394092
ほとんどの人は美徳として時間を律儀に守りたいわけじゃないと思う。
残業だの休日出勤だのみんなギリギリのとこで生きてて少しでも時間がずれるとしわ寄せがえらいことになっちまう。
(そしてそのギリギリを超えてしまった奴がいずれ電車に飛び込んだりすることになるかもしれないという……)
もっともそんなギリギリなところにみんなを追い込んでしまう理由の一つに時間を律儀に守るという美徳というか風習はあるかもしれない。
ぽむぽむ一人で十分だよ
誰だと思う?
明日会社に行かなくちゃいけない、全国にたくさんいる社会人、だよ。
どうして、どうして会社があるの?
自分の身を削ってまで、どうして会社に行かなきゃいけないのかなぁ・・・。
↓
お給料をもらうためっていうのはわかってるのに。
全部全部消えちゃえって思う。
ね、私は寂しいよ。寂しい社会人。私と同じ気持ちの人、いるのかな?
べつのますだですが急にこたえたくなりました。ご容赦下さい。
わたくしは、「ますだ」みたいです。ですが、無職の、ますだだったりします。
わたくしの場合は、会社にいきたくないこともたくさんありましたが、それはなんとか乗り越えまして、別の事情あれやこれやで、ただいま無職です。
ごようにたりなくて、ごめんなさい。ごめんください。
新たなプレイに目覚める時が来たのです。
俺にとって母は「母さん」でもなく、「お袋」でもない。
「あの女」
であり、
「あの畜生」
である。
俺は両親ともに虐待されたわけではない。むしろ甘やかされた方かもしれない。
しかし、あれは俺が小学生のころだった。
その夜は風が強かったのを覚えている。
今思えば、原因は色々あったんだろう。
夫である父はあまり家にいない人だった。事業を興したばっかりで、忙しかった頃なのだろう。
俺も母も近所にはあまり友人がいなかった。
親戚との付き合いも希薄だった。
孤独だったんだろう。
そして俺は、そんな環境のせいか、いわゆる
「問題児」
だった。
その日も母は学校に呼び出されていた、様に思う。
その夜、窓の外に強風が荒れ狂う夜、「あの女」は恐ろしい形相で俺に言った。
「一緒に死のう」
俺は死にたくなかった。
どう言えば逆上されないか。
どういえば殺されないか。
必死に考えた。
あの時の恐怖は忘れられない。
「死にたくない」
そう言って、その場はどうにか切り抜けた。
あれから30年。家の中で一回もそのことには振れたことはなかった。
多分、「あの女」は忘れているんだろう。
しかし、俺は忘れたことはなかった。
当たり前だ。
殺されそうになったことを忘れる馬鹿はいない。
「あの女」は俺を殺そうとした。
ずっとそのことが心の奥底に、澱のように沈んでいる。
時々、寝る前に暗い天井を見ながら思い出し、怒りで眠れなくなることがある。
いや、許されるのなら自分の手で殺したい。
勝手に生んでおきながら、殺そうとした。
その身勝手さ。
「畜生」としか言い様がない。
憎い。
いくら憎んでも飽き足らない。
多分、一生許せないだろう。
俺は死ぬまで、「あの女」への殺意を感じながら行きていくのだろう。