はてなキーワード: 幼なじみとは
ある日ハエ男になってしまった主人公・タクマは、しかたなくそのまま高校生活を送ることを決意する。
元々不幸体質で苦労人のタクマは、ハエ男であることからさらに様々なドタバタに巻き込まれるが、いちおーそれなりに楽しい毎日だ。
なんかあいつ、俺がハエ男になってからたまーに暗い顔してやがる。
それを見るたびに俺も胸の奥がこう…もやもやするんだ。
ある日、いつものように下校していると空から黒髪ボインのきれいなお姉さまが!
魔界から使いとしてやってきたというお姉さまによると、俺がハエ男になったのはベルゼブブとして魔界へ召喚されるためらしい。
俺の生き別れた父親が言っていた「自分の気持ちに嘘をつくな」という言葉がふと頭をよぎる。
そうだ。俺は親父のこの言葉を胸に今まで頑張ってきたんだ。
魔界のみんなが困ってるっていうんなら見過ごせねえ。行くしかねえだろ!
こうしてなんだかんだ魔界に行くこととなったタクマとサチコ、そして使い魔のお姉さん。
3人を待ち受ける様々な試練とは?
そして魔界の王になるためのもっとも重要な資質、「ハーレム耐性」ってなんだ!?
タクマの苦難はまだまだ続く…。
黒白を読んだ。脳髄が痺れる感覚ってこういうことを云うんだと思う。何と言えばいいか、すさまじい物語を読んでしまった。
民俗伝承がテーマになった漫画というと、最近では千年万年りんごの子を読んだ記憶があるのだけれど、それとこの黒白とでは全然毛色が違った。
無論、大いなる“山のもの“を扱った漫画ではあるんだけれど、黒白のほうがタイトル通り黒くて白い物語だった。深みがあるとか考察のしがいがあるとかそういうんじゃないんだけれど、より幻想的というか混沌としていて、勢いのある下巻の最終部の読後感も相まって物語に呑み込まれてしまった。
黒白は雪女伝説が秘匿されているとある東北の村を舞台にした漫画なんだけれど、文献からの引用や、重要な人物となるユキが三人もいることもあって、結構難しい内容になっていたと思う。自分は阿呆なのでたくさんよく分からない部分があったんだけれど、なんとかかんとか読み続けて、結果として切り取られた物語に打ちのめされてしまった。中巻冒頭のゼミ内容から類推するに、かなり難解で意味の分からない物語になっているけれど、根本的にそれ自体には意味などなくて、どのような物語で区切るのかが意味の創生であり、人間としての特性なんだろうなって思った。
年齢的に真ん中にあたるユキをめぐるミステリアスなストーリー展開は、ケイゾクの映画を髣髴とさせる感じで面白かった。主人公と幼なじみの関係は下巻で怒涛の展開を見せるんだけど、その辺りの勢いの付け方や、そこから繋がる神楽狩家内部のある種猟奇的な描写がスリリングで読んでいてゾクゾクした。
最終的にユキは”山のもの”を鎮める巫女のような存在になったのかな。本物の雪女のような姿になってしまったけれど、その変貌を遂げたことで何を失ったのだろう。まだ分かんないからよく整理して考えてみよう。あと考えて分かんないことの一つに、主人公が受講しているゼミの教授が挙げられるんだけれど、一体全体彼(あるいは彼女か?)は何者なんだろう。松樫教授も気になる。この二人はなんか不思議。九車教授は何かしらの観測者なんだろうけど、うーん。
短編集
トータルで言うと求めてたものとは違った
せめて前作華胥の夢からそんなに時間があいてなければ、華胥の夢は本編絡みの短編集、こちらはほとんど関係ない下々の短編集ってことで面白かったと思うけど、
こんだけ待たされた挙句がこれだったらファンとしては残念すぎる
ネタバレあり増
慶には祝い事や新王即位時に作り物の鳥を作ってそれを射る儀式があった
その鳥を作る官が主人公のおはなし
この短編だけは以前にどっかで一度読んだことあったけどもっかい読んだ
ちょこっと陽子も出てきた
はした金のために子どもを殺した(それ以外も殺しまくった)人間を死刑にするかどうかいろいろ悩む
事前情報としてamazonレビューで、鬱の人が「鬱の人は読むべきじゃない」って言ってたからちょっと気になってた
確かに暗い・救いのない話ではある
でもそれはそれとして、十二国記でこんなありふれた死刑存廃問題の議論をだらだら読まされることになるとは思わなんだ・・・
すこーしだけ十二国記の世界観とからめてあって「一度死刑を許せば、それ以降タガが外れて死刑が濫用される恐れがある」っつうのは書かれてたけど、それ以外は十二国記である必要がまったくなかった
つーかラストの読後感、ブラピのセブンとまったく同じで既視感ありありで、特にインパクトも感じなかった
どんな結論だすんだっていうそれだけを期待して読んだのにすごくがっかりさせられた・・・
なんか昔読んだような気がしてて、犯罪者が逃げ出して主人公の子どもまで殺されて、それで一転当事者になっちゃって・・・
みたいな展開だった気がしてたから、二重の意味で肩透かしだった
ブナの木が石化する奇病が発生する
どこの国の話かもわかんなくて、最後らへんで王宮の名前出てきたけどそれでも王宮の名前なんか覚えてなかったから調べたら雁だった
作中で新王即位っていってるのは今の延王が即位したってことだったのか
wikipediaの時系列の項目にもまだ反映されてないんだな
どこの聖火リレーだよって感じのラスト、24時間テレビ見てる気分になった
唐突にいろんな人間の境遇と何かに突き動かされるところのスピード感はよかったけど、「青条の蘭」っていう短編として見ると、構成が粗いように感じて、雑だなあと思った
ラストの余韻のある終わり方はよかった
でもさすがに序盤から中盤が長過ぎ・だらだらgdgdしすぎだと思う
ディテールが細かすぎるわりに十二国記である必要性があんまりない話だから、ただの技術書読んでるような気分だった
家族や幼なじみもみんな殺された少女が、暦を作成する家にお世話になる
外は嵐(殺伐としてて女子供殺されまくってる)なのに、この家の中はみんなセミの抜け殻集めたり空眺めたり、浮世離れしたことばっかりやってると怒る少女の話
オチがあっさりしすぎてて「え?これで終わり?」ってなった
一応最後にひと波乱きたことはきたけど、それによって物語が大きく動くこともなく・・・
なんかgdgdのダラダラで終わった・・・
ディテールは細かったけど、結局十二国記である必要性の感じられない自然観察とか暦作りのウンチクっぽいのが文章の大半占めてたし
全体的に作者の興味の持ってることに十二国記のエッセンスをちょっとふりかけてみました程度で、
まあ下々の者には、長編のようなドラマチックなことなんてそうそうないってことを伝えたいのかもしれんけど、それでもあんまりな気がした
あと同人のやつも。
そこまで全部読んだら、ようやく今年でるであろう新作長編に備えができたと言えよう
JKをやっている。わたしには小学校から中学高校ずっと一緒な幼なじみがふたりいて、ひとりは女の子(この子は幼稚園からずーっと)、もうひとりは男の子である。女の子とも男の子とも、3人で帰ることが多いけど、どちらか片方が用事あるときとか、登下校とかふたりで普通にする。ときどきふたりでアイスを食べて帰る。少女漫画のように「ただの幼なじみだと思ってたのにドキドキ」とかまったくない。怖いくらいにない。というか男の子という感覚もない。なんというかわたしはまあ、好きな人が男だったり女だったりする人だからかもしれないが、友だちに性別は関係ないし、恋愛感情を持たないフォルダに入れてしまえばもうまったく意識しない親友である。だけどほかのJKはそんなわたしたちが信じられないようで、めちゃくちゃ彼氏に間違われる。ちなみに幼なじみには両方彼氏彼女がいる。わたしだけ独り身である。ちくしょう。いろいろごちゃごちゃするので幼なじみ(男)をa、幼なじみ(女)をbとさせてほしい。aの彼女もわたしがaとふたりでいるとすこし気にしているようである。こちらからしてみればなんだか申し訳ないけど同性同士の友だちと変わりないので、自分とaとしてはこれで離れるのもなんだかなあと思いつつも、aとこっそり話し合っている。やっぱり彼女というのは、彼氏に女の子の友だちがいると気にするのだろうか。割り切れてしまっているわたしにはよくわからないのである。幼なじみも鈍感なのでわかってないようで、こりゃダメだ状態である。
aとふたりで帰っていると、aと同じクラスの子とか、はたまたわたしと同じクラスの子とかが横を通り過ぎてからこそこそ話していたりするし、単刀直入に彼氏?と聞かれたりする。そのたびに違うよと笑っても、じゃあなんでいつも一緒に帰ってんの?の一点張り。友だちと帰ることの何がおかしいのか?男女だからか?その子たちが同性の友だちと当たり前のようにやっている一口交換も抵抗なんてなかったけど、まわりが信じられないような目で見てくるのでいつの間にか3人でいるときもbとしかしなくなった。
もうおかしくてもいいからほっといてほしいというのが本音である。住んでいるところが田舎だからかもしれないが、なぜか目立ってしまう。後ろめたいことはなにもないのに遠慮するのもなんだかいやだし、bはもちろんaも友だちとして大好きだし、ずっと一緒だったから、いまさら離れるのもおかしいし悲しい。男女がふたり=恋人という風潮をなんとかしてほしい。
わたしは男女の友情は成立すると思っているし、なんだったらいまわたしとaに成立している。これからもb含め、ずっと良い親友だと思う。いろいろな人の意見を聞いてみたいなと思ってこれを書いた。ぜひ聞かせてほしい。
真面目にやることが嫌いで何事もお気楽にほどほどが一番だと思っている、ほんわか女子高生と
真面目が一番で何事も真剣に取り組んでこそ楽しいと思っている、キビキビ女子高生の幼なじみは、
常にキビキビ女子高生が引っ張って行きお世話をする関係だった、
しかし、ほんわか女子高生はある日自分の才能の有る無し関係なく、ただそれに挑戦したい、と思う「何か」を見つけ、途端に努力を始める、
ところが、そこは毎日怠惰な生活を送っていた、ほんわか女子高生がイキナリ変われるわけもなく、キビキビ女子高生に頼ってばかりいた、
ほんわか女子高生に依存してもらえている関係が続く事に、ほっとしてしまうことで、キビキビ女子高生が本当の気持ちに気付いた場合、
みなさんのキャスティングをお待ちしておりまーす!
これって結局、最終的に優秀で頭が良くて優位に立ってるのは詐欺師の狐の方なんだよな
証拠の品を運ぶために電車ごと動かすジュディのアイディアは失敗でスーツケースだけ持ち去る狐のアイディアが正解、陸運局のナマケモノと知り合いなのも狐、和解のシーンも狐の方が大人で手玉に取ってる、
一見猪突猛進のヒロインがリードするようでいて、キーとなる活躍はやれやれ系の男の方
それとジュディは明るくて良い子なのに全然女友達が出て来ないのはなんでだろうな
ガゼルはアイドルとして好きなだけで個人的に知り合いになったりはしないし
カワウソの奥さんや鼠のマフィアの娘とは関わるけれどあくまで守るべき一市民扱いだし
解決のヒントを出すのも父親の兎と、幼なじみの狐という「男」だし
せっかく草食動物の女性同士として関わりのあった羊の市長の事も、真相解明後には旧来の魔女の如き単なる悪役として切り捨ててる
「帰り道とか10分空いたら暇なので、誰かとしゃべりたい」
その10分に私が暇とは限らない、平日は基本時間はないと言っても「あいてる時に答えてくれればいいだけ」と聞かない。
自分の趣味をいくら拒否しても押してくる。趣味はアジア系アイドル・タレント関連。ほか流行りのエンタメ系。
興味はないしイベントも付き合わない、番組も見ない動画も見ない曲も聞かない、と何度いっても会話の端に挟む。
とても鬱陶しい。
指摘しても「そのうち好きになるかもしれないし」「もっといろんなことに興味持ったほうが楽しいよ」と改める姿勢は見えない。
「私の友だちって変な子が多い。おとなしくて引きこもるタイプとか。幼なじみも連絡途絶えて返ってこないし」。
「○○(私)も外に出かけたがらないしさ」。
類友だと指摘してもなんだかんだと言い、自分はまともで友人がおかしい、という言い方を崩さない。
話を聞くスキルがかなり低い。共感レベルが絶望的に低い。相槌が絶望的に下手。
こちらが仕事やプライベートの愚痴を話す。別に彼女に聞いてほしいわけではなく、同じような悩みや愚痴を共有すると気が晴れることもあるから、誘い水として。
そういう話題への返しが「あなたのここが悪いんじゃない?」「もっとこうしたら?」。そうだね。
原因を共通の部分ではなく、あくまで私個人の性格や能力のせいにしたがる。自分の現実を見たくないんだろう。
「なんでLINEやらないの?便利なのに」彼女の言う「LINEやる」は四六時中の友人同士のチャット及びパケット通話の意味だ。
同年代は仕事をしているか結婚して母親をやっている。基本的に四六時中スマホでチャットしたりはしない。
LINEを入れてはいても基本、連絡用だ。話すことがあれば電話するし、直接会う。
彼女の言うような使い方、学生や20代くらいの交友を目的としたLINEアプリの使い方をしている同年代の友人はいない。
そう説明しても「私の友だち、LINEやらない人が多いんだよね、セキュリティの問題?」「便利だと思うけど」と聞く耳を持たない。
向こうの話題には興味がないし、こちらの話をしてもスッキリもしないので、こちらから連絡することはない。
平日土日構わずチャットや通話をしようとする彼女を拒否するつもりで、
「雑談は会社の友人と生活圏内の知人で間に合っている、平日は忙しい、土日の自宅にいる時なら電話できる」
と言うと、店員と話すのは迷惑だとか、職場の中国の人とは雑談しないのか(タレントと同郷の話が聞きたい)、とか、自分の欲求を押すようなことばかり。
だんだん疲れてきている中、通話が切れた。向こうの電話の充電が切れたとかで、メールが来た。
「続きはメールに書いてもらえれば読むよ」。いや、こちらが話したくて通話していたわけではなく。どうしてそうなるのか。
もういいや。
次かかってきたら用があると早々に切ることにしよう。
今更ながらアナと雪の女王について。
『FROZEN』は好きな部分もあるけれど、それでもやはりアンデルセンの雪の女王の映画化としてはとても残念と言わざるを得ない。作品としては好きですよ、でも残念。
タイトルが『雪の女王』ではない、オリジナルな『アナとエルサ』ならまだよかったのに。ポニョと人魚姫以上に掛け離れているんですから。
人魚姫がハッピーエンドになったくらいの改変ならいいけれど、これはそれとは違って話の設定から何から違うもの。ラプンツェルも設定改変はあったけれど「高い塔に閉じ込められた長い髪の少女」という根本は変わらない。
雪の女王という作品の根本は何かというと「幼なじみの少年を探して旅する少女」の構図なんですよ。男の子を助ける女の子の話。よくある物語の逆パターンです。これはフェミニズム視点で見ても意味あるものだと思うだけに、どうしてそのまま使ってくれなかったのかと思うと残念。異性愛中心だからだめなの?でも革新的な設定だと思うんだけどなー。
そしてタイトルである雪の女王はけして悪役ではない。厳しくも美しい冬の象徴であり、カイを見守る女神とも言える存在。ありがちな、ヒステリックで意地悪な女ではないのです。少女と大人の女は異なる存在ではないと示す意味で、ゲルダと雪の女王のオリジナルなやり取りを入れてくれたりしたら、フェミニズム的にも面白いと思います。ゲルダと雪の女王は一人の女性の二面性と見る事もできますしね。
喘息持ちの主人公の少女が、療養のために環境のいいところに夏休みだけショートステイする。
でも原作つきのおかげか、アリエッティよりかはお話としてそこそこ面白かった。
映画館の広いスクリーンでこのきれいな自然を見れば、それは多分テレビで見るよりももっと満足感あったんだろうなって気はする。
なんかしらんけど時空を超えて夢の中とかで出てきてたっぽい
マーニーの謎が解けるのと同時に、主人公も周囲から浮きがちだったけど、なんとかうまくやっていけそうだわ!ってなって、
一皮向けて地元に帰る
ココチンならぬココマンがグチョグチョになりましたわ
頬染めるなwwwって何度突っ込んだかわからん
何度もああ^~となった
マーニーも結局ノンケかってがっかりしたけど、もうそれは百合男子読んで克服した問題。
肩があいてるところからタンクトップが見えてるのがなんかやたらセクシーに見えた
胸のふくらみはまったくなかった
マーニーの幼なじみだった女性との年の差百合もあるのかと思ったり。
一般受けもしなさそうだなあとは思った
でも俺は好きだよ
天下のジブリ公式で百合が見られてめちゃくちゃ夢みたいだったよ
以下の質問に対し、『学戦都市アスタリスク』、『落第騎士の英雄譚』、『最弱無敗の神装機竜』のうち、適切な作品を選べ(回答は複数の場合がある)
熱烈なトランプ支持者連中と飲んだあとにモヤモヤしてたんだが、
流石トランプ!
おれたちにできない事を平然とやってのけるッ!
そこにシビれる!あこがれるゥ!
ポリティカル・コレクトネス(political correctness)が
「ホンネはホンネとして、オオヤケの場ではちゃんとしよう」
ひとことで言うと、
オマエはジャップだが良いやつだ!」
ガハハハハハハ
オマエラの国にもいただろう?
道路を繋ぎ電車を通して行き来しやすくしたら日本全体が発展する言うてトップに立ったヤツが。
日本みたいにちっちぇえ国に電車を隅々まで通すとかクレイジーだが、オマエラはそうは思わんのだろう?
主張、やり方、メリット、分かりやすくシンプルだ。誤魔化しが無い。
馬鹿だが無能では無いので、例えば「万里の長城をメキシコとの国境に立てる」がマジに立つとは思ってない。
ただ、「不法移民が、まっとうな移民を圧迫してる」とか「不法移民がいるから移民の地位が低い」とかは思ってる。
(※アメリカは不法移民は基本的に職につけないことになってる。雇用主側にも確認義務がある。
それでもなお不法移民が働いているということは、そういう雇用主が居るわけで、足元も見る)
ああ、仲良くなってヤりたい。自然な流れで。ソレな。
産業スパイ的なことや、上司の問題を個人的に解決することでコネも作りたい。
でも、超人的な活躍とかゴルフの腕はちょっと、泥臭いほうが親近感ががが。
ああ、オレもこんな風にラッキーで先に進めたらなぁ
本気にするヤツぁ居ないが、ネタにして笑うんでもあるまい。
「トランプレベルの不動産王でも、大統領選では最下位レベルの金しか使えない」ことで、
「エラそうなこと言ってるが、トランプ以外はみんな金持ちに媚びてるだけじゃねーか」と強固な支持がある。
面白いことに、メディアが叩けば叩くほど、「俺ら(トランプ支持者)馬鹿にされてんな」と結束が強くなってる。
(底辺層、低学歴、ブルーカラー、反知識人と言えば言うほど、トランプ支持者を貶めてることになる)
アメリカは外向きに配慮しすぎて自国民の不満を「それは正しくない」と抑えつけすぎでは?
とベロベロに酔い潰れながら言っていたのが印象的。
「大統領の万能感」「エライやつはどうせ同じ」「トランプは自国民最優先」のコンボは強えわ。
トランプ支持者が、トランプ以外の候補者に抱いてるイメージって
「日本死ね!は、言葉が汚い」とか言ってる政治家に対する印象に似てるというか。
仮に幼なじみが、本当に彼の母に何か言われていてああいうことをしてくるなら、親にべったりかよって思ってより気持ち悪いです
彼の母も子離れできてないのかなって思います
私は女で幼なじみは男なんだけど
すごいくっつけようとしてくる(笑)これは自意識過剰とかじゃないと思ってる。まじで怖い。
ここ1〜2年の話
ご飯とか親子同士でいくと、今まで各母親の隣だったのに急に隣同士にされたり
幼なじみが高校で寮生活してるから、私の写真を撮って幼なじみのLINEに「近況報告よー」とか言ってバンバン送るし
同じ車(私の母が運転する)で移動する時も、私は今まで助手席に乗ってるからいつも通り助手席に乗ろうとしたら
「○○(私の名前)ちゃんは後ろに乗って!私が助手席に座るから!」とか言って無理矢理幼なじみに隣にされる
しかも幼なじみとLINE交換して4年くらい経つけど最近になって幼なじみからのLINEが異常に来る。きっとお母さんに「頻繁にメッセージ送るようにしなさい」とか言われてると思う(笑)こないだなんてコスプレした写真を送ってくれと言われた。流石に引いたわ。そもそもしたことねーわ。
はっきり言って幼なじみは全くもってイケメンではない。よってよくある少女漫画のように幼なじみ同士で付き合うとかはマジで考えられない。面食いの自覚はないけど、お付き合いならある程度イケメンでいてほしいですよ(笑)
あっちは男子校に通ってるし、多分親的にも将来の結婚関係が心配なんだと思うけど、私は付き合いたいと思ったことは微塵もない。幼なじみとして、「すごーい仲良し」として今まで関わってきたつもりだ。
春休みで、今月末も会う予定。幼なじみという関係上、十何年間の付き合いである以上、私の母にもこういう事は言えないしあっちにもはっきりと言いづらい。あーーーなんかやだあーーー
ブスと手を取り合っている全ての民へ。
妥協の成分が飛散している気がしてならないぞ。
本当は美しき存在が好物であるのに、生来の人見知りに行動を抑制された結果、近所のブスい幼なじみと交際しているのではないか?
知らぬ神より馴染みの鬼ってか。
ブスの横で幸せを感じる自分の精神世界に美しい花が咲いているとして、その花は地球上という完全現実を闊歩する美女たちよりも高額な存在だと断言出来るのであろうか?
たかだか人間の作品である〝作られた恋愛観〟に耽って、流されるような弱き愛情を感じるな。
一生命として、終末は一匹狼である意志を保ちながら女を見極めよ。
人間は見た目じゃないを超越せし人間。見た目が人間でも非人間的な人間。人間のツラを被った非現実の存在と見せ掛けた人間。
心頭滅却したのに、「熱いよ……熱いよ……」と泣き喚きながら灰になった友人が何人もいる。
熱いなら氷を食え。
ブスなら明日フれ。
やるべき事をやれ。
ブスと付き合うのは、己の人生と人格を真っ向から殴りつけ、あらゆる大事なものを奪うのと同義。
ブスを抱くな、大志を抱け!
同期で一人だけ脱落したことが本当に情けなくて辛くて、毎日見えない元上司に謝罪して、見えない元同期に笑われて、死ぬことしか考えてなかった。
でも家族と幼なじみが支えてくれた。家族は家族で忙しいのに病院に連れて行ってくれたし、休みの日は幼なじみが俺の趣味に付き合ってくれた。
その過程でたくさん「頑張れ」って言われた。今はまだ辛いかもしれないけど、少しずつ頑張れって。その時俺、すごく救われたよ。
鬱は頑張ろうとしても頑張れない病気だから頑張れは禁句!だって?
一緒に寄り添ってくれる人たちの「頑張れ」ほど心強いものはないんだよ。そこに論理は存在しないんだよ。
最近、すごくショックなことがあった。
鬱を患っていた頃の俺を知らない友人A・Bと呑むことがあって、たまたま話の流れで鬱で療養していたことを話した。
周囲の人にたくさん励ましてもらって立ち直ったことも話した。そしたら何て言われたと思う?
「お前それ鬱病じゃなかったんじゃねえのw」
鬱に頑張れは禁句のはずなのに、お前は立ち直ったんだから、つまり鬱じゃなかったんだろと。
AもBも盛大に笑ってた。俺、人生で初めてキレたよ。財布から自分の代金だけ出して、テーブルに叩きつけて帰った。
もうAの顔もBの顔も見たくない。ただ、この程度じゃもう当時の症状をぶり返さないと分からせてくれたことにだけ感謝している。
後になってググってみたら、鬱病どころか「頑張ってる人に頑張れは禁句」なんて持論まで引っかかって、本当に意味が分からない。
運動会で走るわが子に「頑張れ~!」と声援を送る親は毒親なの?駅伝の歩道で「頑張れ」の旗を振る人は極悪人なの?
もっかい言うけど、一緒に寄り添ってくれる人たちの「頑張れ」ほど心強いものはないんだよ。そこに論理は存在しないんだよ。
ホント、「鬱に頑張れは禁句」って誰が言い始めたの?
(ここから追記)
1つ、幼なじみの名誉のために説明不足を謝罪させてほしい。幼なじみが趣味に付き合ってくれたのは、俺が最低限寝食できるまで回復した後の話。
さすがに一日中震えていた時期に押しかけてくるようなヤツではない。ついでに言っておくと男だからフラグも立たない。
あと「本当に鬱だったの?」と言われたら、そうだよとしか言えない。診断書は残ってるけど流石にうpする勇気はない。勘弁してくれな。
一緒に寄り添ってくれる人の頑張れが“禁句”の中に含まれないというのは、正直そうだろうと思う。そうじゃなきゃいけない。
でもそうやって省略されているからこそ、あの二人みたいなとんでもない曲解も生まれる訳で。
俺はそういう曲解がどんどん進んで、肝心の寄り添ってくれる人たちが「鬱に頑張れは禁句」を気にして励ましの言葉すらかけられなくなったらと思うと
心臓のあたりがキューッとなる。だから「鬱に頑張れ禁句」だけじゃなくて、「頑張れで立ち直る人もいる」という当たり前のことも、今一度広まってほしい。
この中に不機嫌という意味を正しく説明できる人はどれほどいるだろうか。
機嫌という言葉の意味はとても曖昧だ。そもそも喜怒哀楽という感情の中にも含まれてはいない。
いつも怒っているようにも思えるが、不機嫌でも笑うことはある。逆に笑っているからといって機嫌がいいとも限らない。
このことが、自分が不機嫌であるということの自覚を遅らせる原因になっていた。
自分の回りにいる人間が、何故か自分に怒りの感情ばかりを向けてくるからだ。
わたしは自分から周りの人間に攻撃をするようなことはしない。しかし、相手からの攻撃があればその反撃は厭わない。
そうして気が付くと、事態が泥沼化していくことばかりになっていた。
それを避けようと人間関係に関する本も山程読んだ。そこには一様に笑顔でいることの大切さが書かれていた。だからいつも自分から接するときは笑顔を心がけた。
それなのに気が付くといつも自分が怒りの対象にされていた。自分が笑顔でいることで舐められているのではないかという疑いまで持った。
わたしは自分の容姿や人格にまで疑いを持つようになった。相槌や感嘆表現、オノマトペの使い方だって試せるものはとにかく試した。
しかし、状況は改善するどころか身の回りには気づくと怒りを溜め込んだ人間ばかりが集まっていた。
自分は自分を変えようと努力をしているのに、周囲が全く変わろうとしないことにストレスばかりが募っていった。
とにかく人と会う事自体が嫌になり、気がつけば一人の時間を欲しがっては、休みの日には部屋に閉じこもって一歩も出ないことが増えた。
それを解決してくれたのは10年ぶりに会った幼なじみの一言だった。
親同士の連絡がきっかけで食事に誘われたのだ。こんな状態で人に会いたくないと思いながらも、気分転換のつもりで誘いに乗ってみることにした。
彼女とは小中高と一緒だったが、引っ越しと就職とで疎遠になってしまっていた。
愚痴を言うつもりはなかった。でも、会えば愚痴をこぼしてしまいそうな不安もあった。
待ち合わせ場所に現れた彼女は、当時と全く変わらない天真爛漫な笑顔で声をかけてきた。わたしは努めて明るい笑顔で彼女の笑顔に答えたつもりだった。
それなのに、すべてを見透かしているかのように彼女は明るい声でわたしにこう言ってきた。
「何その不機嫌そうな顔。らしくないね」
あまりに意表を突かれた一言だった。わたしは笑顔だったはずなのだから。だけど、その不機嫌という言葉はわたしの胸にぐさりと刺さった。
愚痴らないと決めていた気持ちは一瞬で崩れ、目からは大粒の涙がこぼれ落ちた。
その涙の意味は自分でもよくわからなかった。ただ、自分はこんなにも頑張って来たのだ。今まで抑え込んでいたものすべてが堰を切ったように溢れ出てくるような感覚だった。
どうせ自分から笑顔で話しかけても、二言目には相手は文句や愚痴を言い始めるのだ。
それでも頑張って食い下がったこともあるが、結局相手は無神経な言葉を並べるばかりだった。
相手から話しかけてくるときは、決まって難しそうな顔で話しかけられた。
気を遣っているのかわからないが、相手の枕詞が増えれば増えるほど、わたしはそのまどろっこしさに不機嫌になっていった。
不機嫌とはどういう状態なのか。やはり言葉で説明するのは難しい。
喜怒哀楽に近いが、怒っていたり悲しんでいれば不機嫌かといえばそうではない。その逆もまたしかりだ。
心が閉ざされているとか、感情が感じられないだとか、どちらかというとそういうニュアンスのほうがしっくり来るように思える。
もちろん機嫌がいい時のほうが自然と笑顔になりやすい。そう考えてみれば順序が逆なのだ。
笑顔の人をみて機嫌がいいかどうかはわからないが、機嫌がいいかどうかは笑顔以外にも様々な様子から伺うことができる。
それに気づいてからというもの、上っ面の笑顔は捨ててとにかく明るく前向きに物事を考えるようにしてみた。
不機嫌の原因は相変わらず山のようにあるが、そんなことで自分の機嫌を悪くしていることが馬鹿らしくなってしまったのだ。
でも、まだあれからまだ1週間くらいだが、身近な人間から明らかに笑顔を向けられることが増えてきた実感がある。
聞けば、彼女は大切な人を鬱による自殺で亡くしてしまったのだという。
あの時自分が彼の笑顔の向こう側にもっと気づくことができていれば、こんな事にはならなかったのかもしれない。そんなようなことを言っていた。
わたしは彼女に救ってもらったのだ。次はわたしが彼女を支えてあげる番だ。
そのためにこんなつまらないことで悩んでいる場合ではないのだ。
吹き飛べ不機嫌!わたしの前向きを止めてみろ!