はてなキーワード: 八百長とは
スプラトゥーン3では、ナワバリバトルでの塗りポイントの点数がそのままゲーム内通貨になる。
通常プレイで1ゲーム当たり1000前後であるが、ラクト談合をすると3000~5000ポイント入手できる。
スプラ3では前作に比べ金欠になりやすいため、効率よくお金を手に入れたいユーザーが多い。
今作で新しく追加された武器「LACT-450」が最上級に塗れる武器である。このため塗ポイントを稼ぐためにラクトが使用される。
スプラトゥーンではただの地面or敵のインクを塗り返すと、塗りポイントが加算される。
塗ポイント獲得を作業化し効率的に稼ぐ方法として、敵同士で倒しあわずにその場でひたすらお互いのインクを塗り返すことが行われている。
野良でのナワバリバトルでは普通に戦いたい人がほとんどのため、この行為は一般的にゲーム放棄とみなされ嫌われる(通報対象でもある)。
ナワバリバトル参加者8人すべてがラクト談合したい人で構成されたら談合開始、他の人がいる間は通常プレイというやり方で、
談合側もなるべく他のプレイヤーに迷惑をかけないようにはしてるらしい。
他のFPSで問題とされているアビューズ行為として、ラクト談合も問題であるとされている。
アビューズ行為
ーーーー引用ーーーー
具体例としては、両チームの談合、もしくは「掲示板で情報を得た不特定多数による暗黙の了解」によって一方的または交互にキル/デス数を稼いだり、短時間で終了させる試合を意図的に繰り返して経験値やポイントを大量に獲得することなどが挙げられる。
ーーーー引用終わりーーーー
https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%A2%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BA
■私の意見
アビューズ行為についても、今回のラクト談合が不正度合いかと言われたら弱い。
ナワバリバトル参加者8人が合意している状態であれば、直接的に迷惑をこうむるユーザーはいない。
メンバーを揃えるための追い出しが起こる懸念についても、スプラ3ではフレンド合流が前作よりも明らかにしやすいため、いやがらせによる追い出しのようなことは発生しずらい。
スプラ3のお金の使い道は、ギア(防具の特殊効果)を好みのものに揃える、ロッカーのインテリア(見た目のカスタマイズ要素)を揃える、ガチャガチャを引くくらいしかない。
ゲームに影響を及ぼすとすればギア揃えだが、通常プレイをしていても揃えられるもので、そこまで影響は大きくない。
もちろん、お金が多いほど強くなる、強い武器が買えるといった要素はスプラ3にはない。
以上から、やりたければ好きにすればいいと思っている。
■今後
SNS、掲示板等々が大荒れでどこで言っても炎上しそうだから増田に書き捨てる。
根本的にクラブが悪いんで、相手側のサポーターから文句言われるのは仕方ない。
注目案件だろうから直接的に関係ないとこからもあーだこーだ言われるのも仕方ない。
仕方ないって理解はしているんだけど、思った以上に感情的に辛いわね。
あと、的を射た批判ならともかく、「誠意を見せろ」系の難癖には対応できかねるわけで。
とまで言われている対応。
そこでクラブが確認不足だったのが悪いと言えばそれまでだが、めっちゃ切羽詰まった対応を強いられる中でそこまで確認できんやろ。
故意ではないし調査した結果でも試合開催は不可能だったというのがリーグ公式の見解。
各Jクラブは公式試合の日程遵守義務を負っているところ、虚偽報告により安易に日程遵守義務を回避したとの疑念を他のJクラブ、サポーター等に抱かれかねない事態を招いたことは、Jリーグの信用を大きく毀損するものである。
結果に至ったプロセスがまずかったよね。
保健所の対応だって色んな状況に応じて変わるから一概には言えないけど、役所としての公式回答は結局なんやねん!? という部分の確認は絶対いるとわかったし、できてなかったことについて経営者は責任取って改善してほしいよね。
未だにそんなこと疑ってる人もいるみたいだけど、夏の連休、多数の来場者が期待できる王者川崎相手、ドアラ来場とかイベントにも力入れてる、そんな中で故意に試合中止するメリットが全然無いんだよなあ。
出場停止やけが人状況的なメリットを言う人もいるが、極論すれば負けるより試合中止しちゃった金銭的なデメリットの方が遥かに大きかったはず。
ホームクラブの勝つ可能性を少しでも高める行為の何が問題なのよ。
元々の日程だったら声出しできなかったとして、代替日程ならできるなら、そりゃするでしょ、声出し応援。
そこでクラブ主導で応援自粛とかするのって、下手したら八百長案件だよ。
平日の豊田スタジアムだと最近は19時30分キックオフで統一されてる。
そうじゃないとキックオフまでに辿り着けない社会人がたくさんいるんで。
そのせいで川崎からの現地参戦が難しく、川崎ゴール裏の圧が弱まるって文句言ってる人もいるけど、そんなこと言い出したらアウェーに行き辛いなんてどこも一緒でしょ。
それは諦めてくれ。
スポーツで「主力選手を放出するなどして意図的に勝率を下げ、翌年のドラフトで上位指名権を狙う」戦術のこと。
「降格制度がなく」「完全ウェーバー方式(最下位のチームから順に選手を指名できる制度)を採用している」アメリカのプロリーグで特に横行しており、
不振のチームの立て直しにも用いられるが、当然ながら負けが込むと人気が落ちるため、ノーリスクというわけではない。
対策として、プレーオフに参加できなかったチームがクジを引いて指名順位を決定する「ロッタリー制」の導入が進んでいる。
日本のプロ野球はドラフトのルール上、下位チームが得られる恩恵が少ないこともあり、こうした行為が取り沙汰されることはまずない。
ちなみに"tanking"の"tank"とは元々「プール」のことで、
ボクシング用語の"go in(to) the tank"=「プールに飛び込む(かのように倒れる)」→「八百長でわざと負ける」というものに由来するらしい。
こないだの人か。
https://anond.hatelabo.jp/20220702070421
もちろん正しさなんてものは、人間である以上は、一義的に決められないが、
今の日本は民主主義国家なので、「民主主義の視点からの正しさ」はあると思うよ。
「それに反発する人間の意見も封じ込めない」、ってのも民主主義だし。
「言い切る」ってことは独裁主義ってことになる。日本ではそんな状況ないと思うけど・・・?
2022-07-12
なんというか、具体例を挙げると
なにか八百長くさい・わざとらしいやり取りや行為を「プロレス」と呼ぶ → プロレスはそんな物じゃない!プロレスとはリングの上の神聖なうんぬんかんぬん
なにかふわふわした良く分からん文章や表現を「ポエム」と呼ぶ → 詩を馬鹿にするな!ポエムを蔑称で使うやつは教育を受けてないうんぬんかんぬん
こんなことはまあ良くある事だと思うしTwitterとかでも度々バズったりしてるが
もっと深刻なことでいうと
ある絵や映画とかを見て単純な感想をいう(あるいは性描写を単純に受け取る) → 日本の美術教育は実践的になっておらず無責任な大衆を大量生産しうんぬんかんぬん
不毛な議論を「宗教」「神学論争」と呼ぶ → 神学はれっきとした哲学の一分野でありその様な用法で使われることは日本の文化環境の頽廃うんぬんかんぬん
なにかの独裁的な様子を「北朝鮮」みたいと言う → 諸外国を引き合いに出すのは差別、日本なら日本の歴史で例えろうんぬんかんぬん
なにかの出来事に対して「どっちもどっち」「相対主義」をとる → 相対主義は日本の悪癖で、ガンダムやひろゆきの見過ぎの悪影響でうんぬんかんぬん
みたいな、用語その物への「雑」さによる、無数の人々の対立って常にあるわけだよな。
言葉狩りには至ってないが、用法が普及しきってしまっていて修正できない事への専門家のいら立ちとでもいうか。
相対主義を漫画やアニメで「理解」することとかはもっと深い問題だとは思うが。
でも実際、大勢の人間が「なんかこの絵よくわかんねーけどおもしれー、うわーおっぱいだー」「相対主義ってのは、そういうもんだろー」「神学論争うぜー宗教くせー、もっと現場にこいや」みたいな理解をして、そして毎年そんな人間が再生産されている以上、
「雑」とされる感性ってどこまで雑なのか、それこそ大衆の理解がなんで間違ってるって言えるのかということになるよな。
もちろん用語の使い方が差別的だステレオタイプ的だとか個別の問題にあるにせよ。
東大や慶応早稲田の偉い先生よりも、アニメ(制作者自身がどう考えてるかは別)や、ひろゆきが影響を与えているとして、
この国が資本主義・自由主義であり何を選んだり消費するかの自由がある以上、庶民の「雑」な意見と理解を、「間違い」って言い切る事は出来るのだろうか?
相対主義ってそんなに悪か?相対主義が原因の直接的暴力ってものがあるなら悪いと思うけど、無いなら、まあ最低基準かなみたいにしか思えない。
「相対主義のせいで人々が社会正義に参画せずー」みたいなことをいうなら、別に他にもいろいろもっと強力な参画しない理由がある訳だし。
というか全員が全員「相対主義の悪を理解してる」「正しい芸術の見方を知っている」国(義務教育でそう詰め込まれる国?)があるとしたらそれはそれで怖くないか?
なんというか、具体例を挙げると
なにか八百長くさい・わざとらしいやり取りや行為を「プロレス」と呼ぶ → プロレスはそんな物じゃない!プロレスとはリングの上の神聖なうんぬんかんぬん
なにかふわふわした良く分からん文章や表現を「ポエム」と呼ぶ → 詩を馬鹿にするな!ポエムを蔑称で使うやつは教育を受けてないうんぬんかんぬん
こんなことはまあ良くある事だと思うしTwitterとかでも度々バズったりしてるが
もっと深刻なことでいうと
ある絵や映画とかを見て単純な感想をいう(あるいは性描写を単純に受け取る) → 日本の美術教育は実践的になっておらず無責任な大衆を大量生産しうんぬんかんぬん
不毛な議論を「宗教」「神学論争」と呼ぶ → 神学はれっきとした哲学の一分野でありその様な用法で使われることは日本の文化環境の頽廃うんぬんかんぬん
なにかの独裁的な様子を「北朝鮮」みたいと言う → 諸外国を引き合いに出すのは差別、日本なら日本の歴史で例えろうんぬんかんぬん
なにかの出来事に対して「どっちもどっち」「相対主義」をとる → 相対主義は日本の悪癖で、ガンダムやひろゆきの見過ぎの悪影響でうんぬんかんぬん
みたいな、用語その物への「雑」さによる、無数の人々の対立って常にあるわけだよな。
言葉狩りには至ってないが、用法が普及しきってしまっていて修正できない事への専門家のいら立ちとでもいうか。
相対主義を漫画やアニメで「理解」することとかはもっと深い問題だとは思うが。
でも実際、大勢の人間が「なんかこの絵よくわかんねーけどおもしれー、うわーおっぱいだー」「相対主義ってのは、そういうもんだろー」「神学論争うぜー宗教くせー、もっと現場にこいや」みたいな理解をして、そして毎年そんな人間が再生産されている以上、
「雑」とされる感性ってどこまで雑なのか、それこそ大衆の理解がなんで間違ってるって言えるのかということになるよな。
もちろん用語の使い方が差別的だステレオタイプ的だとか個別の問題にあるにせよ。
東大や慶応早稲田の偉い先生よりも、アニメ(制作者自身がどう考えてるかは別)や、ひろゆきが影響を与えているとして、
この国が資本主義・自由主義であり何を選んだり消費するかの自由がある以上、庶民の「雑」な意見と理解を、「間違い」って言い切る事は出来るのだろうか?
相対主義ってそんなに悪か?相対主義が原因の直接的暴力ってものがあるなら悪いと思うけど、無いなら、まあ最低基準かなみたいにしか思えない。
「相対主義のせいで人々が社会正義に参画せずー」みたいなことをいうなら、別に他にもいろいろもっと強力な参画しない理由がある訳だし。
というか全員が全員「相対主義の悪を理解してる」「正しい芸術の見方を知っている」国(義務教育でそう詰め込まれる国?)があるとしたらそれはそれで怖くないか?
はてなブックマークではほぼ絶賛一色ですが
この作品は
自分の意志と無関係に毒が噴き出てしまってるだけの人間だった」
「老勇者の戦いも実は攻撃や討伐を目的とするものではなかった」
と言うのが大ネタですよね。
そういう建付けならモンスターとのバトルも不要でしょう。余分どころかノイズになってる。
こういうバトルや殺しを見せる必要は全くない。
更には作品全体やメイン二人がまあ優しさや思いやりみたいなことをテーマとしてるのに
別に殺しを描写すること自体が問答無用にダメだ減点だなどと言ってるのではなく
作者がきちんと考えたうえで描写しているとは見えない描写が多い、
そのことが作品の質を落としているという話です。
「戦わない、恐ろしい相手でも理解する、相手のために頑張って互いによいものを得る」
という作品のラインも統一感がなくなり薄っぺらくなるでしょう。
あー作品で描いてることが作者の骨身から出てないんだなとわかってしまう。
ネットのやっすい反応
「はー、いいもん読んだ。」
「泣いた。最高すぎる。映画で見たい。」
「あーー良くて泣いちゃった。すごく好き。」
みたいなのをなるべくたくさん稼いでバズりたいなあという算盤でやってる。
自作品に没頭できない創作者特有の痩せた考え があるだけなんだなと。
またもっと単純な話
ミーリの設定的にもあのバトルはよくないですよね。
「若い頃に苦戦した竜を楽に穴だらけにして一方的に殺せるようになりました」
なんて描写は焦点がブレるでしょう。
魔法研究の余録で攻撃力が上がってるとしてもそれを見せる必要はないんです。
今は戦わずに竜を落ち着かせてするっと通行出来るようになりましたとかなら
ミーリの過ごした時間や身につけたものを言葉を使わずに見せられたというもの。
「ここは何のために竜を殺すの?この描写の狙いちゃんと考えてあるの?」
同じことはもちろん魔王にも言えて
たかが説明の為にその体質使ってトカゲの命を奪うのは引っ掛かります。
殺生しないために数百年同じ場所に留まってる人間の行動として違和感があるし
これから救う対象としてはなんだ結構嫌な奴だなあってなっちゃうでしょう。
もちろんこの時点で嫌な奴なら嫌な奴でもいいし
自暴自棄でワルぶった魔王の振る舞いとして生き物を殺すならいいんですよ。
そこでミーリに
「でもあなたは本当は殺すのが嫌なんでしょう?」
と看破されるとかね。
でもそういう効果とかなんにもなくただ殺してる。
作者の無考えばかり伝わってくるキツい描写はノイジーなんです。
そもそも「不老不死になり毒ガスを撒き続ける」って何のための魔法なんでしょうか?
その魔法を作った者の意図が全く触れられないので魔法がただのご都合装置になってるんです。
ならば魔王から噴き出る呪いを解くには、魔王と人格的に激突しないといけないでしょう。
魔王が「害意を持たず魔法に巻き込まれただけの人」という変化球でいくならば
「不老不死&毒ガス」という魔法がただの作者の都合以上のものであるなら、
その魔法を作った存在の願いなり祈りなり悪意なりがあるはずで、
ミーリがそれと戦ってこそ障害がただの障害装置以上のものになるんです。
なのにそこがなんにもないので
ミーリは努力して技能上げたので魔法を解けたって話になっています。
これはドラマになってないですよね。
作中説明によると
毒ガス耐性のある人間が数十年に一度生まれ、勇者として育成される。
毒ガス散布者である魔王の侵攻を防ぎ、あわよくば魔王を倒して領土奪回するのが任務。
これを何代もやってるっぽい。
たぶんどの勇者も何度も生還して何度も再討伐に向かって果たせず衰えたり死んだりして代変わりだよね?
魔王のとこまでいって茶を飲んで帰って『今回惜しかったっす!』と報告してた」
とか?
魔王が居座る地域が強い隣国の侵攻ルートになって国防に資するとか?
何で誰も「勇者が居てもいなくても同じ」って気付かないのだろうか?
魔王が勇者と八百長してくれるならちょっと王国に近付いたり戻ったりさせて
「毒ガスが近づいてきましたが私が食い止めて押し返しました!」とか出来るけど
そういう描写もないですね。
そもそもミーリがなんでこんなに魔王に惹かれてるのかわからないんですよね。
ミーリが下層出身だとか、国王が畜生でミーリを鉄砲玉みたいに考えてるって設定はまあわかる。
でも救国の英雄でそれなりに技能も鍛えた若き勇者を承認してくれる人くらいこれまでにもたくさんいたはずでしょ。
そこを押し切る為に恋愛にしちゃってるだけ。
フィクションのストーリーでそこに頼ってモチベーション作るのはダメじゃない?
魔王から「魔法の詠唱がきれいだ」「教えることが向いてるかも」って褒められたのに
結局教師になってないからそこの誉め言葉のディテールも無駄になってるし
こういうガバが無数にある。
何故ミーリは一人で研究するのか
目的明かして国立研究団作って進めれば数年で終わったのではないか
あたりまえのように何の説明もない。
そういうのが何もない。
魔王はそりゃ数百年で数人しか女に会ってなくて親身になってくれたら
もっとお互いが特別である理由が惚れた腫れたや歳月の積み重ね以外で作れないとダメじゃないのでしょうか。
それにエイジズムって言われるかもしれないけど
恋愛をモチベーションにしてるのに58歳で達成する話ってなんか変では?
たとえばだけど
魔王との交流で自信もらえたとか八百長で功績つけてもらったとかで
人と向き合えるようになった、社会に迎え入れられるようになった、
こっちの方がいい話じゃない?
数十年ぶりに魔王討伐と言いだして家族に心配されながら旅立って
国王には「実は魔王を倒す魔法を長年研究していました」「最後のご奉公です」と。
それで人のいない毒エリアで不老の魔王に再会して持参の酒でも飲んで
魔王によかったなあと言われて喜び合って。
あなたにも人と触れ合えて誰かと家族作って年取って死ぬ人生を差し上げる
つって
とかでよくない?
ミーリの悲願と研究は隠しておく方が
後半の展開のノベーッと一本調子なところも解消されるし。
わかってる。
消費者の感想でこうしろとかこうしたらとかとかまで言うのはやりすぎだと。
別に何が正解だとか決めたいわけじゃない。
「作者の衝動もなくさしたる中身もなく置きに行っただけの”いい話”」で
「なのに緻密でもなく考えも足りず技巧すら感じられない作りガバガバ」で
「ページ数のわりに情報薄く展開も平板でドラマも驚きもないボンヤリ」で
もっとガチっとした構成やストーリーの作品幾らでもあったような。
この出来のもの読んで
「大好き」「泣いた」「最高すぎる」になるタイプの人めっちゃコスパいいよね。
全くうらやましくないけど。
fukken じゃがトマ警察の亜種かな。。
リアリティや取材の話じゃなくて構成や設定がどうなんですかって話だけど。
「頑張って魔法能力を向上させて意味わからん魔法が解けました」よりは…
余分な描写はむしろたくさんあるって話を結構実例挙げながらしたんだけど。
ミーリはむしろこれだけの中身しかなくて無駄ページ多いと思う。
作画の人大変だったねって感じ。
develtaro 大丈夫なの?は集英社が心配することで審査員のコメントにある「ポテンシャル」がすべて。この賞は完璧な作品を求めているのではなく、将来の原石探しでしょ
2022/06/03 リンク
「まだ粗いけどこいつの熱とかポテンシャルやべえな!」ならいいけど
ミーリの作者はどうもそれの正反対な感じだよね
っていうことを書いたんだけど。
痩せた考え、打算を感じると。
私の眼には「置きに行ってるなあ、もう成果が欲しいだけで描きたいことないんだろなあ」
みたいな印象です。
alice-and-telos ジャンプは作家性を我慢してお約束をキッチリやり切れる人が突き抜ける場所なんじゃないのかなあ。作家性はその内ほっといても滲み出るから、ほっときゃ良いやんと思う。
2022/06/03 リンク
あれにそういう抑えきれない作家性は全く感じないので
studymonster つい最近特に理由もなしにモンスターの討伐をするモンハンが苦手みたいな文章読んだけどどこでだったかな。そういうのが苦手な人もいるだろうね。 2022/06/03 リンク
関係ないけどサカモトの人死にって誰も得しない人死にだよね。
ただの初期設定ミスって感じ。
絵がかっこいい虚無。
cinefuk 不殺もテーマではなく、恋愛も大した描写がない。原案の問題か、膨らます際の問題(原作の解釈違い)か。コミカライズと元のプロット大賞作品を並べてくれれば、読者も切り分けできるかも 漫画 増田 演出
2022/06/03
abczchang 5番目は問題やね(※イケメン)。他は難癖に近いし、6はそもそも恋愛だから評価されたんやで。ジャンプなのにど直球の(中年)女性向け恋愛モノが評価されるんやなぁという意外感はある(まあ意外でもないけど
2022/06/03
この恋愛を恋愛モノとして素敵!って言ってる奴女性読者にもいないでしょ。
作者は男だと思う。
daydollarbotch 漫画読み様はコスパ悪そうで大変だなあ
2022/06/03
漫画に限らないし、残飯食べて満足してれば最高にコスパいいんだよ。
xevra なるほどここまで情熱的に推されては読むしかないな。相当な名作だな
2022/06/03
ボヤボヤボヤーと読んで「最高すぎる!」って言う人と
十年続ければ豚とソクラテスぐらいの差にはなるよね。
これも漫画に限らず。
dirtjapan 増田の言うとおりにしてたら正しい駄作しかできなさそう。
2022/06/03
ミーリは「ガバガバしてて熱もなくおまけに駄作」だと思います。
BLOGatBENJAMIN あれ、なんやかんやあったけど、魔王討伐した(討伐の正解が解呪だった)という話で、感動部分はおまけだと解釈していた。
2022/06/03
であれば解呪がミーリの最後の答えであることやそれが正解であることは
もうちょっと伏せて引っ張った方がよかったよね。
hisawooo ここは嫌いなものを語っていいインターネットですか?イケメン魔王にまほ嫁の気配を感じてしまい駄目だった。
2022/06/03
まほ嫁がわからないので無念。
話それるけど
人間に対してとかならよくないかもしれないけど作品には言っていいと思う。
「この漫画が素晴らしい!」も「この漫画が全然だめだ!」も等価だと思うけど
まあ全然気にせず好き放題言うんだけども。
maxk1 ここまでの粗探しに情熱を感じる ホントは好きなのでは
2022/06/03
漫画読むのと考えるのは好き。ミーリはお世辞にも好きではない。
すごくボンヤリやってるだけだと思う。
で好きな漫画
たとえばだけど同じジャンプ+で勇者と魔王が出てくる読み切りで
https://shonenjumpplus.com/episode/3269632237324248450
はよほどかちっとしてて好きよ。絵もいいよね。
子供が大量に死ぬけどミーリが竜に穴空けてるのと全然違うでしょ。
hisamura75 そうまで言うなら、っていうんで読んでみたけど、増田、そもそも読めてないのでは? 魔王はこのおっさん一人しかいない。これまでの勇者はみんな負けたんだよ/ファーストブクマは増田ご本人かな?
2022/06/03
>これまでの勇者はみんな負けたんだよ
先代も事故死したと明言されている。
この人は増田の文章もミーリも何をどう読んだのか全く分からない
1の「ほとんど読まずに反論してるだろ」系の人と違って読んだっぽい
それでこれ。
競馬はさ、馬だから走るか走らないかは割と制御不能な部分があるじゃん
競艇も、モンキーターン読んだらエンジンの違いとかがあるらしいのでまぁわかるわけよ
でも競輪はさ、人力でしょ。もう、その人が速いか速くないかじゃん。八百長がないという前提でよ。
そんなのさ、めっちゃ速い人がいたらそれは、もうずっと速いわけじゃん
レスリングにおける吉田沙保里みたいな、将棋における藤井聡太みたいな人が出て来たらさ、
もうその人のピーク過ぎるまでずっとそいつが出たら単勝1.1倍みたいな話にならんか?
まぁ競馬でもディープとか全盛期はそんな感じだったけど、人は馬より出走数も多いしピークも長いっしょ
その辺どうなってんのかなと思ったんだけど、詳しい人いたら教えて
うぐいすリボンの荻野幸太郎さんが以前に、「表現」としてのAVの権利と「セックスワーク」としてのAVの権利を概念として(どちらが上とかではなく、論点を)区別する話をしてたけど、まさにそういう話だ。
例えば、AVにおいて演者が「オーガズムに達する演技」をすることはあるだろうが、その「演技」というのは必ずしも演者としての映画的な「演技」ではなく、コミュニケーション的な「演技」を意味する場合もある。それはフィクション的な嘘ではなく、建前としてのある意味の「現実」である必要がある。
「セックスワーク」のAVとしては、そういうところに「実際に性行為を行っている必要性」というのがあるんでしょう。
私はAV見ないので知らんけど。
ボクシングの映画では実際に殴り合う必要は無いし、「リアリティ」とやらの追求のために殴り合わせるのは虐待だろうが、ボクシングの試合中継では実際に殴りあって居なければならない。時に八百長があったとしても、それは例外。
AVというのはその両方の側面がある。
フィクションを撮る時の倫理観とノンフィクションを撮る時の倫理観は区別されなければならないが、作品ごとには「どちらでもある」とか「どちらでもない」という玉虫色の多様な表現が存在することに留意する必要がある。
俺は勝ち負けよりも過程が大事と思っているので、とっても辛い。
例えばシャボン玉してても「小さいシャボン玉作ったほうが勝ちね!」などと自分が勝てるようにルールを作って、それを押し付けてくる。いやシャボン玉ってそういう遊びじゃないでしょ。シャボン玉キレー!!つってキャッキャする遊びでしょ。
ジャンケンしても「お父さんはパーを出してね!」などと八百長を持ちかけてくる。自分は絶対にチョキを出して勝ちたいのである。パーとかグーとかは邪道なのだろうか。よくわからんが。
ジャンケンは勝ち負けを決めるためののものだからまだいいが、シャボン玉のようにそもそも勝ち負けがない遊びに勝負を持ち込んでくるのはどうなんだろう。めんどくさいし、他の子にも嫌がられるのではないだろうか。
また、勝てないこととか、うまくできないことなんかをすぐに投げ出してしまう。ちょっとその気になればすぐできるのに、諦めてしまい、やりたがらない。優劣じゃなくて、出来るようになる喜びみたいなものを味わってほしいのだが…。
何の話かというとYouTuberの話。
YouTuberのほとんどはバカしかいないと思っているのよ。
金を大量に使えば登録者数が増えると思っていたり、
You Tubeという自分勝手にやれる所でしか発揮できないような使えないもので芸能界に通用するとか言っちゃってたりさ、
八百長やったら開き直るだけの奴とかさ、飯食いに行って食える量じゃないくせに大量に残すような奴とか、
そりゃねー、YouTuberとしての活動の中には褒められるような貢献をしてるのもあると思うんだよね。
だけどさ、ホント間抜けな一言で台無しにしたりさ、わざわざ炎上やら批判やらくらいまくる姿を見てると褒めるより、「ああ、こいつらバカなんだな」って結論になるんだよね。
実際そうなんだけど。
とはいっても、じゃあ芸能人はすげーの?って話になるとんなこたぁない。
面白くない人はとことん面白くないし、不倫だ、闇営業だ、炎上トークだとやらかして、こいつらもバカにしか見えないわけなんだよね。
それでも、まー許せるかなってのは有名だけに社会的制裁もキツいし復帰しようにも復帰話が出るたびに延期になるような制裁くらってるから、まー良いかなーって感じなのよ。
俺的には、ある程度制裁食らってんだし許してやれば?って感じなんだけど。
でもさ、YouTuberは違うんだよね。
自分で自粛とか言う割に対した期間でもなく、反省してんのそれ?って思うような言い訳動画を配信して復帰とかするでしょ?
だからこいつらクソだなぁって思うんだよ。
まーホントにこのYouTuberいいなって思ったのは一人くらいだわ。
売れてないけど、一生懸命って感じなYouTuberが一人いる。
今のクソYouTuberと比べると雲泥の差ってくらい頑張ってるなって感じだよ。
クソレベルはもう適当な動画配信しても頭の悪い信者が見るから黙ってても視聴されるしね。
そういうYouTuberは、本当にクソ。