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2024-10-21

あの場面、ノリスとフェルスタッペン立場が逆だったら、

フェルスタッペンレッドブルならポジションをすぐに返していたはずだ。

それも自分たちに一番都合の良い場所で一瞬ポジションを返してすぐさま再オーバーテイクしかけていたはずだ。

マクラーレンが甘いのはエイペックスがどうのこうのと主張して、これまでの過去の判定やこの日のスチュワート判断を全く無視していることだ。

この日は同じシチュエーションでガスリーに5秒ペナルティラッセルも5秒ペナルティ角田にも5秒ペナルティとかなりわかりやす判例がすでに示されていた。

にも関わらずポジションをフェルスタッペンに一度返すようにノリスに指示しないのはボーンヘッドと言われてもおかしくはない判断といえる。

フェルスタッペンなら絶対にそんな甘いことはしない。

そもそもフェルスタッペンがあれだけラフプレーが多いのになぜペナルティを受けないのか?

そこを真面目に考えたことがあるのだろうか?

ワールドチャンピオンに対してスチュワートペナルティを与えるのに及び腰になっているとても考えているのか?

そうではない。

フェルスタッペンルールで何が許されていて何が許されていないか、その部分を熟知している。

たぶん強烈に勉強したのだと思う。

じぶんでルールブックを読んだのか、頭のいい人に読ませて教えさせたのかはわからないが。

とにかく彼はルールを熟知してる。

それはデレク・ワーウィックもそのようなコメントをしていたように記憶してる。

「彼がどれだけ高度なテクニックを使っていると思っているんだ?」

(彼は巧妙にペナルティを受けないようにドライビングしているんだ。というような意味。F-1ではドライビングログが残るのでスチュワート判断に迷うときにはそのログを見てルール違反した動きだったかどうか判断する場合がある。)

そんなことを言っていたはずだ。

フェルスタッペンがよくやる行動のひとつとして、直線からのブーレキング時に進路変更を何度もしているように見えるという行動がある。

マグネッセンあたりがやったら一発でペナルティをもらうような走らせ方だ。

でもフェルスタッペン場合ノートすらされない。

なぜか?贔屓されているのか?

もちろん違う。

彼はどのような手順で車を動かせばルール抵触しない形でえげつないブロックを出来るかを熟知し、そして驚異的なマシンコントロール技術でそれを実行しているのだ。

彼はおそらく2021年の熾烈なルイス・ハミルトンとのチャンピオン争いのときに痛感したのだと思う。

自分が、いかルールに対して無知であるか?ということについて。

この行動がペナルティを受けるのかそうでないのか?明確に理解していないままハミルトンと強烈なバトルをしていたことを反省したのだと思う。

あのときスチュワートワールドチャンピオン争いに水を指すのをためらって二人のバトルに関しては極力ペナルティを与えないようにしていた。

あのときは本当に忖度があった。

それによってフェルスタッペンは救われた場面が一度や二度ではなかった。

とくにブラジルグランプリであのときペナルティを受けなかったのは本当にラッキーだった、と後にヘルムートマルコが語るような無茶なことをやってしまっていた。

でもいまのフェルスタッペンは違う。

彼はしっかりと何が許されて何が許されないか正確に理解している。

もちろんだけれど他のドライバールールは知っている。

しかしフェルスタッペンと他とではオタク非オタクくらいに知識量の範囲と深さが違うはずだ。

それほどフェルスタッペンドライビングは巧妙である

2024-07-15

からレッドブル三角トレード成功させればいいんだよ、アホだな。

まずペレスはクビやろ、とりあえす。

でも年内は我慢しないと仕方がない。

というのは三角トレードをするためには今年いっぱいはペレスに走ってもらわないと仕方ないからだ。

で、ピアストリをマクラーレンから大金を払って獲得する。

これはもちろん来年のシートな。

その空いたマクラーレンのシートにカルロス・サインツを座らせる。

サインツフェラーリ移籍する前はマクラーレンにいたしランド・ノリスとも仲良しこよしだし、なんも問題ない、というか理想的な(ノリスより一発の速さで少しだけ劣るという面も含めて)

ドライバー

な?

これで話はまとまるだろ?

2024-07-07

anond:20240707032722

君みたいな人用にマクラーレンが出してくれてる

ちょっとお高めだが、まあなに3億くらいだ

2024-06-30

アイルトン・セナが死んで30年が経った

セナは死んでしまったけど、それでF-1は終わることはなくて、今も続いているし

あの頃、セナと共に戦っていた、マクラーレンホンダウィリアムズはいまでもF-1で戦っている。

そのことはセナひとりが死んでも世界は変わることはなく、ある意味冷酷に淡々平常運転していることの証明とも言える。

それでも、あのとき、あの場所での、セナの死は当時のF-1に大きな衝撃を与えた。

あの頃でもF-1は昔に比べてずいぶんと安全になったと言われていたけれど、あの事故の影響によりFIAは更に安全性を追求していくことになる。

とはいえいきなり技術革新が訪れるわけもなく、あの当時は危険を避けるためにサーキットの要所要所にシケインが設置されてハイスピードコーナーが無くなったり、

マシンスピード抑制するためにスリックタイヤではなく溝つきのタイヤを使ったりと、いくぶんF-1は退化したかのような様相を呈しつまらなくなった部分もあった。

まりより速く、をやや追求しなくなってしまたことへの退屈感がそこはかとなく流れ出したのもあの当時の雰囲気だったように思う。

しかし、技術は急には発展しないし、人々の意識もすぐには変わらないけれど、だからといって変化しないわけではない。

あの頃と比べて、F-1マシンはずいぶんと大型化して安全になった。

あの事故以降に新設されたF-1グレードのサーキットはコーナーの外側のエスケープゾーンが大きく取られるようになり、カーブを曲がりきれなかったマシンがいきなり壁へと激突しない工夫が取られている。

そして、まるでマシンの大型化に適応するかのように道幅も広くなった。

大型化して速度も速くなったF-1マシンは、そのような新しいサーキットでは水を得た魚のように華々しくバトルを繰り広げることとなる。

逆にSUZUKAのようなサーキットオールサーキットと呼ばれるようになり、相変わらずファンからドライバーからも愛されているけれど、現代のF-1がレースをするのには最適化されているとは言えなくもなってきている。

あの当時の人々も年をとった。

アイルトン・セナの最大のライバルだったアラン・プロストもいいおじいちゃんになった。

いい年齢の重ね方をしていて、それが表情に現れている。

こういうふうに老人になれるのなら年をとるのも悪くないと思わされる。

ゲルハルト・ベルガーアイルトン・セナの同僚であり親友だった当時のスーパープレイボーイフジテレビ女子アナにまで手を出そうとしていた)は、今ではその面影もなく禿げ上がって突き出た腹はみっともなく、知らない人は教えられなくては有名なレーシングドライバーだったと気づくことはないだろう。

まり人も物も大きく変化したということだ。

ただアイルトン・セナけが、あの頃から変わることなく、人々の記憶に強烈な印象を与え続けている。

若くして、死んだ人は美しい。

人生燃えさかるような時期に突然の死を迎えた人たちは悲しく、そして限りなく美しい。

彼らは年をとることはなく、ただ美しく人の記憶に残り続ける。

彼らのことを思うと、とき感情が撃発し、涙が止まらなくなることがある。

自分も相応の年齢になり、悲しみで大きく感情を揺さぶられて取り乱すようなこともなくなったが、

彼らのことを深く追憶するときだけは、涙なくしてはいられない。

アイルトン・セナが死んで30年経ったが、人々は彼のことをまだ忘れていない。

そして彼らのことを深く思い出すとき、僕は涙なしではいられない。

2023-11-27

葬送のマクラーレン

1000周以上走り続けてそう

2023-09-25

角田よりもローソンのほうが才能があるドライバーなのだろう。

少なくとも1年目の角田にあの走りは出来なかった。

とはいえレッドブルマックス・フェルスタッペンの横で走れるのか?

と問われたら、それはノーのような気がする。

結局、メンタルが保たないのだ。

フェルタッペンと同じマシン、同じチームで走ることに対して。

ペレスなんて、もうボロボロだ。

あんなに安定して図太く、いい走りをするドライバーだったのが、

今や表彰台に乗るときでも、自分ミスリタイアするレースでも、

同じくらいに「シッチャカメッチャカ」している。

そのレースでの成績に関係なく、常にバタバタしている。

まるで毎回F1デビューレース新人のような浮つき方をしている。

完全にフェルタッペンに潰されてしまった。

もうすぐ母国メキシコでのレースがあるが、そこでも混乱が見られるようなら、いよいよシートを失うかもしれない。

来年契約を満了する前に。

ローソンに話を戻すが、多少角田より良いドライバーだったとしてフェルタッペンの横で走れるのか?

ということだ。

今回、鈴鹿で意地になって角田とバトルした。

これは来年角田残留ホンダの介入によって決定したことに対する意地だろう。

本来であれば、角田はシートを失っていた。

レッドブル選抜する人材を育成するためのポジションであるアルファタウリに4年目のシートはない。

3年やってレッドブルへの昇格の見込みがなく、かつ次の才能が現れているのなら交代の時期がやってきたということだ。

もしもレッドブルPUホンダ製でなくレッドブルパワートレインズが製造管理運用していたなら角田のシートはなかった。

まりローソンからすれば俺は実力ではツノダより上なのだ、と証明たかった意地だろう。

それはドライバーと言うか人間としてごく自然感情だし、勝負世界に生きる人間にとって必要ものだろう。

しかし、だ。

そのドライバーの意地。

それがフェルタッペンの隣に乗ったときには、そのプライドが仇となるのだ。

見事に打ち砕かれる。

スリーは明らかにそうだった。

アルボンはやや違うかもしれない。

ペレスも色々なものが積み重なって、調律がとれていないピアノのようになってしまった。

リカルドはどうなるだろう?

彼は依然としてトップドライバーだが、再びフェルタッペンとともに、

フェルタッペンのためのチームに乗った時にどうなるだろう?

マクラーレンではノリスの才能に全く手が届かなくて調子を崩してしまった。

ではレッドブルでフェルタッペンの横なら大丈夫なのだろうか?

フェルタッペンと同じマシンに乗って、常にフェルタッペンより遅くても彼は失調しないだろうか?

それはわからない。

でもマクラーレンで起こったことと同じことが起こらないとは思えない。

彼は結局セカンドドライバーという立場には満足できない人間なのだ

からあのときルノー移籍したのだし、セカンドでは満足できないかマクラーレンで失調した。

同じことが再び起こらない保証はない。

そして、ローソン

彼がF1レギュラーになってキャリアを積んでどういうドライバーになるのかはわからない。

でも、おそらくは良くてもガスリー程度だろう。

スリー程度というのは、

賢明努力してベストを尽くしてフェルタッペンセカンドドライバーとしてチームに貢献していくことを実行するなら、

辛うじてレッドブルのシートを確保することが出来るかもしれない、という程度の才能だ。

でも、彼のドライバーとしての意地がそれをヨシとするとは思えない。

彼が見せた角田に対するドライバーとしての意地。

それは必要不可欠な意地なのかもしれないけれど、同時にフェルタッペンの横になると、その身を滅ぼす。

からね、結局何がいいたいのかというと、角田くらいがレッドブルで走るのがちょうどいいんじゃないか?ってことなんだ。

彼って、ちょっと変じゃない?

将来の夢はなに?と聞かれて、ドライバーなら必ずチャンピオンになること、って答えるところで

レストランオーナーになることだ、って答えるような天然というか飄々としたところがあるじゃない?

あいちょっとだけ、ほんの少しいい意味でズレているほうがフェルタッペンの横に乗っていても平気な図太さになるんじゃないかな?

毎回、フェルタッペンに負けていても、まあそれはそれだ、って気にしないで前向きに生きていける才能の持ち主のような気がする。

なんかね、余裕があるんだよ、彼には。

人生を楽しもうとする根っからの陽気さというようなもの

そういう部分がないドライバーには、セカンドドライバーという役割はきついと思う。

から、さっさとレッドブル角田を昇格させて試してみろ、と思う。

試してみて駄目なら、いつものごとく、放出すれば、それでいいじゃない。

2023-07-30

オスカーピアストリ非凡なる才能

 

実力でFormula-1に上がってくるドライバーであれば、

すべて非凡なる才能の持ち主であるのは言うまでもない。

速いマシンに乗せれば全員が輝きを見せるのは間違いない。

しかし如何せんF1世界マシン格差が大きいことが常態化しているので、

なかなかその才能をわかりやすく発揮することは出来ない。

そういう意味で脅威のルーキーオスカーピアストリが輝きを放っているのも、

マクラーレンマシンアップデートにより競争力を発揮しているがゆえであるのは言うまでもない。

それにしてもである

彼のスピードと安定感は素晴らしいものがある。

ときランド・ノリスを上回るパフォーマンスを見せるルーキーなど驚異としか言いようがない。

とはいえ、彼が将来のワールドチャンピオンである、と太鼓判を押すまでには、そのパフォーマンス面では実績を重ねてはいない。

輝きを放ったルーキーが壁にぶつかり、埋もれていくことなトップスポーツの世界ではよくあることだからだ。

ただ、それでも彼が将来のワールドチャンピオンである、と予感させる足り得る彼の資質で、もっとも称賛に値するのは、その冷静沈着さであろう。

それは、彼の無線によく現れている。

通常、エンジニアドライバーレース中に交わす無線での会話では、ドライバーエキサイトしている。

時速300キロで激しいレースをしながら会話するのである

そりゃ興奮していて当たり前だ。

エンジニアはその興奮しているドライバーに引っ張られないように、

淡々現在の状況とレースにおける戦略目標ドライバーに冷静に伝えるのが役目だ。

からエンジニアドライバーの会話を聞いていると、

氷と炎の会話を聞いているかのようなギャップがあるものだ。

しかしだ、彼、オスカーピアストリの無線を聞いていると、どっちがエンジニアなのかわからなくなる。

氷と氷が会話をしている。

彼のあまりに冷静沈着な受け答えに本当にレース中なのか?という疑問を抱くほどだ。

この常に冷静さを保つことが出来る彼の資質

これこそが彼の最も優れた点であり、将来のワールドチャンピオンを予感させる最大の要因だ。

結局、どのような競争世界でも最後勝負になるのは精神世界だ。

トップ上り詰めて、究極の場面で戦い合う同士で最後に物を言うのはどれだけの精神力を兼ね備えているかだ。

そういう意味ピアストリは将来のチャンピオンを予感させる存在だ。

2022-11-13

F1ブラジル スプリント

シーズン終盤に来て競争力を増してきているメルセデス

だがこれは必ずしも良いこととは言えないのでは?

この時期になってマシンが速くなるというのは今季マシンの開発を継続していることの証明からだ。

年間予算の上限が決められている中、早期に来季向けの開発にシフトしていないことは来シーズンまたもやライバルたちに遅れをとることになりかねない。

大きな規約変更がないか今季マシンの開発は来季にも繋がるとはいえメルセデスマシン自体にはコンセプトの大きな変更を加えることが必須であるのは間違いないだろう。

そのような状況の中、今年の成績にこだわるのはよい傾向ではない。

これは今年のフェラーリの躍進が昨シーズン来季向けマシン開発に全振りしたことによるものであることを考えれば自明である

 

問題児オコンとストロー

駄々っ子のように引くことを知らない両者。

オコンは数年前、同じブラジルラップリーダーだったフェルスタッペンに対して周回遅れだったオコンが同一ラップにしようと不用意なオーバテイクをしかけて接触したことがあるがそのころから成長しているようには思えない。

もちろん今回の接触アロンソ側に非があるように思えるものだがこれまでの経緯を考えるともう少しやりようもあったのではと思える。

もう少しオコン側に妥協点のようなものがあれば二人でチームプレーをしていくことも可能だったのではないだろうか。

来季のガスリーとのコンビにも暗雲垂れ込めるとしかいいようがない。

おそらく来季はより競争力のあるマシンをアルピーヌは用意するはずだから、そのことで余計にチーム内競争苛烈になることだろう。

ストロールに関してはその心臓の強さは驚異的だが如何せんドライビングテクニックがその精神力の強さについていっていないのが残念。

 

またまた悪いクセが出始めているアロンソ

馬鹿っ速いオッサンだが如何せんすぐにチーム批判をしてしまうのが悪い癖のアロンソ

復帰してからルノールピーヌとは慎重な関係を維持していたがいよいよ移籍が間近になっていいたい放題が始まりだしている。

PUが壊れるのは競争力と引きかけに信頼性犠牲にした結果だし、これはシーズンが始まる前からチームがすでに認めていたことだ。

からPUが壊れることを批判しても仕方がないし、ましてやマクラーレン時代ホンダを持ち出すなどあまりに迂闊である

また今回のオコンとの2度の接触のうち一度目は不可抗力だし、2回目はアロンソミスだろう。

であるにも関わらず、オコンと離れることが出来て清々するなどという物言いは舌禍を招くだけである

とはいえ、とにかく速いアロンソ

来季アストンマーチンが良いマシンアロンソのために提供してくれることを願うばかりだ。

 

2022-09-18

ピアストリが移籍問題で不必要クローズアップされたことは不運だった。

本来であればアルピーヌチームにシートの空きはないはずであった。

そうであればアルピーヌはウィリアムズレンタルする方法しかピアストリを引き止める方法はなく、

そうであったとしてもマクラーレンへの移籍不義理評価されるものではなかったはずだ。

しか移籍市場の大変動は思わぬ事態を招き、すっかりデビュー前に悪者イメージが付いてしまった。

彼には同情の気持しかない。

2022-08-14

日本はなぜこんなに左ハンドルの車が走っているのだろう

ここまで「自国の基本とは逆側にハンドルがある車」が走っている先進国があるだろうか。

右ハンドルが基本となるイギリスメーカーの多くは、欧州アメリカに輸出する際に左ハンドルとなる。

他方、イギリスオーストラリア向けに大抵の欧州車は右ハンドルになる。

またそれらの国で左ハンドル車に乗ろうものなら、自動車保険料が高騰したり、一部ではそもそも走れなかったりする。

イギリスの有名なモータジャーナリストは、左ハンドルの試乗車に対して「ハンドル位置が間違っているが、オプションを払えば正しい位置に設定できる」と言い放っている。

そう、右ハンドルが基本の国において、左ハンドルは”間違っている”のだ。

それもそのはず、追い越しの際は絶望的に視界が悪く、駐車の際にもそれなりのコツや慣れがいる。

駐車券を取る際やドライブスルーにおいて困ることは当然だし、代行やレッカーなどでは他所様にこれを押し付けることになる。

明確にメリットひとつもないにも関わらず、未だに日本では左ハンドルの超高級車が道路を走っている。

大抵の場合は1000万円台の並の高級車ではなく、3000万円を超えるような車種だ。

フェラーリランボルギーニポルシェ911)など。挙句の果てには本来右ハンドルであるはずのイギリス車、ベントレーアストンマーティンマクラーレンロールスロイス左ハンドルが多い始末。

右ハンドル車設定が少なかった20世紀からお金を持っている年寄りが選ぶのは、百歩譲って理解できよう。

しかし若くして成功した20代でさえ、多くが左ハンドルの超高級車を選んでいるのが不思議でならない。

しかすると彼らは、左ハンドルに対する信仰でもあるのだろうか…?

わざわざ不便な思いを自らしに行く彼らは、一体何を考えているのだろう。

ちなみにこの話をすると、必ず「左ハンドルを前提に開発した車を右ハンドルにすると、ペダルオフセットが気になる」という人がいる。

たぶん同車種の右ハンドル車に試乗さえしていない。

嘘をつくのも大概にしてほしいものだ。

2022-08-02

パンクロックイギリス発祥

こういうとちょっと物を知った連中が、いやいやアメリカ発祥だろ

ラモーンズがいるだろ

セックスピストルズニューヨークドールズからマルコマクラーレンが着想を得て・・・

なんてことを言ってくる

しかしやはり正しくはパンクイギリス発祥なのだ

パンクというラベル思想スタイル、これらが定式化されたのがイギリスから

アメリカパンクの始祖というべきスタイル音楽性を持っていたバンドがいたのは確かだが、

から考えるとあれはパンクと同じベクトル音楽性だったんだなあという理解が正しい

から女をぶん殴って興奮していた変態はいたが、サド作品として曖昧存在していた欲望を定式化したこと

サディズムスタート地点がサドだとみなされるのと同じなのである

2021-08-17

感染拡大の中、ひっそりと開催に向けて動いている今年のF1日本GP

五輪は無観客。パラも無観客。

高校野球甲子園も無観客。

国内感染状況は悪化の一途という状況。

そんな中、10月に予定されている「F1日本グランプリ」が開催に向けて密かに準備が進められている。

ヨーロッパの連中に言わせると「オリンピック問題なく開催されたかF1を開催しても大丈夫だろう」ということのようだ。

また、ホンダが今年限りでF1から撤退するため、最後の年に日本グランプリを開催できるように政府に働きかけているのだという。

日本と近いシンガポールオーストラリアは今年のF1グランプリの開催を断念しているが、日本グランプリは開催に向かっているという歪な状況となっている。

なお、オートバイ世界選手権MotoGPは既に日本での開催を中止した。

オリンピックのような規模ではないがF1が開催されるとなると、10チームの選手エンジニアメカニックスタッフさらには大会運営関係者海外メディアなど、数千人が来日することになる。

これまでF1関係者にも新型コロナウイルス感染者は多数でており、7月にはマクラーレンチームのブラウンCEOワクチン接種済みだったにも関わらず新型コロナウイルス感染し、グランプリへの来場を辞退した。

高校野球大会部員が1人感染していたら出場辞退ということもあったが、F1場合、チームの関係者新型コロナウイルス感染しても参加辞退などしない。事前に検査をして、チーム内で5~6人が感染していても感染者だけ入場させずに隔離措置を取り他のスタッフと交替するだけ。

F1日本グランプリの1週間前にF1トルコグランプリが予定されている。日本への入国時には指定された施設で14日間の隔離要請されているが、トルコグランプリからは実質3日ほどしか間隔がないため、日本グランプリが開催されることになれば隔離なしで日本への入国許可する可能性が高い。

オリンピックパラリンピックのような国際イベントは中止しろという声が挙がっていたが、F1は大半の日本人にバレないようにこっそり開催してしまおうという魂胆だ。

2021-07-28

転売の本当の問題

最近また転売話題が盛り上がっているけど、多くの人が近年話題となっている転売行為問題本質を履き違えている印象を受ける。一般的意見とは乖離することを書くし、少々長くなるが最後まで読んでほしい。

まずいきなり叩かれそうなことを書くと「転売」という行為自体は悪ではない。転売自体資本主義社会ルールに則った需要供給バランスの中で商品投機をして利益を得る正当な商売行為だ。例としてあげるならフェラーリのF40、F50、EnzoやマクラーレンF1、P1、Sennaといった限定生産スーパーカーは欲しい人が買うことよりは資産家が投資目的で買うということが圧倒的に多い。歴史にその名が刻まれてきた超高級車メーカー限定生産車たちは当然時代の流れとともに希少になり値段が跳ね上がる。そのことに文句を言う車好きの人々もいるが、各メーカーが持てる技術の全てをつぎ込んで採算度外視製造したスーパーカーそもそも一般人には手が届くような価格流通しておらず普通に買うことなどできない。そもそもVIP中のVIPしか購入する権利すら与えられていないことがほとんどでそんな状況ではいくら文句を言っても仕方がないのだ。そういう意味では芸術品という枠に加えたほうがいいのかもしれない。もちろん購入者の中には単純な投資目的ではなく実際に車を運転する人もいるし、二代目フォードGTのように購入希望車を審査して本当に運転して使ってくれる人にしか売らないというケースもある。こういったことが(ある程度の不満はつきまとうにしろ)まかり通っていることを考慮すれば「転売自体が悪いということはけしてないということは明白ではないだろうか。

だが、今ホット話題であるゲーム機本体」の「転売問題」については単純な「転売」とは別方面問題があると考える。それが「独占禁止法違反」だ。例えば仮に小売販売店が商品単価が低い物品を口裏を合わせてメーカーの小売希望価格から大幅に釣り上げていたとすれば当然その行為独占禁止法抵触する。今話題の「転売問題」はまさに同じ行為個人レベルで行われているというのが個人的な認識だ。今やAmazonメルカリなどと行ったe-commerceサービスを使って個人が物品を売買することが容易にできる時代となった。それによって多数の個人がそういったe-commerceサービスを利用して利益を得ようとする状況が形成されるのはごく自然な流れだろう。そのビジネスモデルに注目した個人が次から次へと「転売ビジネス」に参入していけば、当然商品は品薄になる。しかも困ったことのそういった人々は自分生活仕入れ依存するためありとあらゆる手段を使って商品を入手するだろう。場合によっては販売制限ごまかすためにグループで行動したり、家族や知人を巻き込んで商品を買い上げるということもあるだろうということは容易に想像できる。そして転売屋たちが買い上げたことで品薄になった商品を堂々と高額で販売することができる。すると本当に商品が欲しい人達は「品薄なのだから、高くても買うしか無い」と購入し、需要供給バランスが成り立ってしまう。メーカーメーカーで増産してしまうと既に転売屋が抱えている在庫分が損失となるため安易に増産ができない。結果的転売屋の勝利になるという構図だ。

もう一度言うが、このような行為を小売販売業者がしでかせば一発で独占禁止法抵触してアウトだ、では個人場合はどうか。転売屋たちがネット上で集まって談合して値段を決めているとなればアウトかもしれない。だが昨今の「転売問題」は非中央集権化した独立した個人が多数出現し互いに「忖度し合う」ことで相場形成されているのではないだろうか。従来の市場原理が働けば、少しでも売れるようにと徐々に価格相場は下降し本来の小売希望価格に限りなく近づいていくはずだ。だが転売屋は卸売価格仕入れているのではなく、既に小売希望価格商品を入手しているのだからそれはできない。そうなると「これ以上下げれば転売屋全員が共倒れになる」というラインを見計らって「転売屋の間に流れる相場感」で落ち着くということが起こっているのではないだろうか。そうなってくると独占禁止法範疇では摘発しにくいのではないだろうか、なんせ明確な意図を持って市場操作が行われているわけではないからだ。だがそれは本来独占禁止法が定める

独占禁止法目的は,公正かつ自由競争を促進し,事業者自主的判断自由活動できるようにすることです。市場メカニズムが正しく機能していれば,事業者は,自らの創意工夫によって,より安くて優れた商品提供して売上高を伸ばそうとしますし,消費者は,ニーズに合った商品選択することができ,事業者間の競争によって,消費者利益が確保されることになります

https://www.jftc.go.jp/dk/dkgaiyo/gaiyo.html独占禁止法概要より抜粋

という理念に反している。つまり我々消費者感情論にまかせて「転売屋を潰せ」と叫ぶのではなく、「独占禁止法解釈の拡大、改正、あるいは個人適用可能な新たな法整備」が進むように訴えるべきなのではないだろうか。実際大手メーカー転売問題によって不利益を被っていることは事実であることからも、こういった運動は実を結ぶのではないかと思う。転売行為のもの問題視するのではなく、現代社会が生み出してしまった独占禁止法の抜け穴を塞ぐための努力をすることが昨今の「転売問題」に対する最も有効かつ適切な行動ではないだろうか。

2021-05-31

[]2021年5月30日日曜日増田

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2021-03-09

anond:20210309160132

それ電車の中で見て

「うお!マクラーレンベビーカーも作ってんのか!」

って驚いた。

そうなの?

2021-01-16

マックス・フェルスタッペンワールドチャンピオンになれない理由

フェルスタッペンの父ヨスが、ハミルトンと同じマシンマックスを乗せることを世界中が望んでいるという記事を拝見したので、個人的見解を述べさせてもらいます

結論から言いますが、たとえW11にマックスを乗せて直接争わせたとしても、彼がハミルトンに勝てなかった可能性が極めて高かったと考えられます。それは、レッドブルハイレーキマシンからメルセデスのローレーキマシンに乗り換えることで、異なる挙動マシンへの対応時間がかかるという意味ではなく、ドライバー個人ドライビング総合的なスキルが、ハミルトンに遠く及ばないという意味です。

まず第一に、フェルスタッペンシーズンを通して、ドライビング一定の波があります。近年のレースで例を挙げるなら、2018年メキシコGP2019年オーストリアGP、そして同年のドイツハンガリーブラジルのように、あるレースでは支配的、ないしそれに準ずるレースペースで走れても、2018年中国GP、同年のモナコなど、別のあるレースでは、自らのミスで取れるべきポイント、または優勝すらも取りこぼしています。一方のハミルトンは、自らのミスポイントを取り損ねたレースは、選手権行方が確定した後のものであれば、2019年ブラジルGP、そうでないものでは、2020年ロシアGPなどですが、さらにもう1つ直近のミスを列挙するためには、なんと2016年スペインGP、実に4年以上もの時間を遡ることになります。1ポイント差でチャンピオンが決まることもある選手権では、これほど走りの一貫性に差があっては、対決させる前から敗北は確定しているようなものです。

第二に、これは同じ世代の期待の若手ルクレールにも言えることなのですが、フェルスタッペン他者との接触や、際どいバトルが非常に多いドライバーです。デビューイヤーと比べると改善され続けてきてはいるのですが、それでも多すぎますし、第一理由と関わってくるのですが、それでポイントを取りこぼす場面が見られます

具体的な例を2つ挙げてみましょう。1つ目は、2018年ブラジルGP記憶に新しい、周回遅れのオコンとの接触で優勝を失ったあのレースです。多くの視聴者はフェルスタッペン一方的被害者だと考えているでしょうが、実際にはそうではありません。リプレイをよく見てもらえればすぐに分かるのですが、フェルスタッペンはオコンにスペースをほとんど残していません。オコンはフェルスタッペンと並んでターン2に侵入した際、イン側の縁石の内側に設けられたソーセージ状の縁石ギリギリまで寄せていますが、互いのタイヤサイドウォール同士ではなく、互いのタイヤの接地面同士が接触していますルールでは、バトルの際車1台分のスペースを残すことになっていますから、もしスペースを残していてそれでも接触したのなら、互いのサイドウォール同士が接触するはずで、今回は互いのタイヤの接地面同士ですから、どちらかがスペースを残していなくて接触したことになります。そしてオコンは目一杯イン側に寄せているわけですから、スペースを残さなかった犯人は当然フェルスタッペンとなります。フェルスタッペンは、自らの「だろう運転」で、優勝を失ったのです。勿論、オコンは周回遅れですから、周回を取り戻す際にはノーリスク、ノーバトルで追い抜かなければなりません。レース中に科せられる罰則のうち、失格の次に重い10秒のストップアンドゴーペナルティが科せられたこからもそれが分かりますしかし、インシデントに対する裁定根拠相手いくら非難したところで、目前だった優勝は絶対に返ってきません。したがって、自分は出来るだけのことをして接触を避けながら走行しなければならないのですが、この時のフェルスタッペンにはそれが出来ていませんでした。同年アメリカGPの、ハミルトンとフェルスタッペンの終盤のバトルを見れば、その技術リスクを見極める力の差は明らかです。ハミルトンはフェルスタッペンとのバトルの際、もし自分が強引に抜きにいけばどんなリスクを伴うか、非常によく理解していました。接触を避けるために常に細心の注意を払っており、レース後のインタビューでフェルスタッペンにスペースを与えすぎてしまったと話していたこからもそれが分かります。もし接触すれば、タイトル争いの終盤で痛すぎるポイントの取りこぼしがあること、つまりタイトルを争っていないフェルスタッペンと、争っている自分が、それぞれ何をどれくらい失うのかということを、よく分かっていました。これがハミルトンとフェルスタッペンの差なのです。

もう1つの例が、2019年メキシコGPです。辛辣評価になりますが、トップチームトップカテゴリーに在籍しているドライバーにあるまじきミスが目立ちました。まず予選での黄旗無視。これは非常に危険行為です。もしマーシャルコース上に出ていたらと考えると、3グリッド降格で済んでラッキーだったと考えるべきでしょう。そしてこのほんのささいなミスが決勝で大きく響いたことは、周知の事実です。スタートでは繰り上がりでフロントローを獲得した直線の非常に速いフェラーリに前を塞がれ、ターン1、2では一緒に並んでコーナーに侵入したハミルトンと軽い接触があり、互いにマシンコントロールを失ってシケインショートカットしながら通過。これによりフェルスタッペンは、アルボン、ボッタス、ハミルトン、そしてマクラーレンの2台にすら前に行かれて8番手まで後退してしまます。そしてさらに悪いことに、スタジアムセクションでボッタスを強引に抜いた際に接触によりタイヤパンクし、最後尾まで後退し万事休す。ハードタイヤに交換した後は、6番手まで追い上げるのが精一杯でした。このレース所謂3強チームは全車完走していますから事実上最後フィニッシュです。レッドブルはここ数年メキシコで非常に競争力のあるシャシーを持っていたこと、ホンダPUもその設計上高地シャシー同様非常に競争力があったことを考えれば、この結果がいかにチームの期待を下回っているか想像するのは容易です。まず、予選中の初歩的なミスが、スタートでの混乱と接触を招きました。黄旗無視によるグリッド降格が無く、ポールポジションからスタート出来ていれば、ターン1までの長いストレートフェラーリの脅威に晒された可能性は否定できないものの、最初シケイントップで通過することは、4番グリッドからスタートして同じことをするよりも遥かに簡単だったでしょう。それどころか、4番グリッドスタートハミルトンとの接触を招き、8番手という順位を彼に与えます。そして失った順位を取り返そうとボッタスに仕掛けた際には、さら接触し、パンクしたタイヤで1周してからピットインを余儀なくされるという最悪の事態を招いてしまます。予選のたった1つのミスが、次々と別のミス連鎖的に、とりわけ接触を招いているのが分かると思いますし、ボッタスとのインシデントに至っては全く不要接触だったと思いますレースペースは最速なのはほとんど間違いないのですから、直線まで待ってパワフルなホンダPUを使って安全に抜けば良かったのです。これは後付けの理論ではありません。フェルスタッペンがボッタスを抜いたのが4周目のスタジアムセクションで、残り周回数は67周もありましたから、オープニングラップのツケを払う余裕は十分にありました。しかし「自分相手がそれぞれ何をどれくらい失うのか」を見誤ったばかりに、そのチャンスすら失ったのです。今のF1競争が非常に激しいので、ほんの僅かなミスにつけこまれますし、ここまで幾重にもミスが重なれば、勝ちようがありません。ハミルトンが同じ立場であれば、間違いなく直線まで待ってからオーバーテイクを仕掛けたでしょう。

これで、フェルスタッペンが将来的に良いマシンを手に入れた場合にも、タイトル獲得の望みは薄い理由説明できたと思います。確かに彼の走りは活気があり、見ているものを熱くさせる、一番見ていて面白い走りをするドライバーです。フェルスタッペンの走りに見惚れてファンになる気持ちが凄くよく分かります。一方のハミルトンは、リスクを最小限に抑えた、悪く言えばとにかく目立たない走りをするドライバーです。フェアですが、隙が無いだけにその分派手さも無く、見ていてあまり楽しい走りをするタイプではないでしょう。しかしながら、これはあくまで見ている側の視点です。ドライバーは、熱い走りをするドライバーと呼ばれるためにF1で走っているわけではありません。シーズンが終わった後に、その年のワールドチャンピオンと呼ばれるために走っています。フェルスタッペンタイトルを取れないのは、メルセデスが圧倒的に速いマシンを持っているからというだけではないのです。彼が正しいドライビングが出来るようにならなければ、近いようで遠いタイトルへの苦難の道のりは続くでしょう。

2020-12-06

中国写真界隈での表現の自由がよくわからない

写真趣味にしているので、中国写真SNS写真集を漁ることがある。

マクラーレンに乗っていたり、高級そうなビルの高層でフェティッシュ写真を撮っていたりする。

攻殻機動隊政治家の人が集まるフェチなお店が出ていたが、そんなお店で撮影していたりしたのもあった。

日本だとドローンを飛ばすのも難しいと思うが、映画撮るようのREDなどを載せる大型のドローン個人で使って使って撮影していたりする。

ライティング機材も本格的だったり、ロケーション制限があまりないのか、色んなところで撮っている。

写真のために日本鎌倉にまで来て撮影するといったのも普通に行われている。

そういうのが20代っぽい人だったりする。

1人や2人ならいるのかなと思うが、結構な人数がいるのだ。


写真クオリティも高いし、CGなどとの合成もやっている。


日本での写真界隈より、自由に見えてしまう。

日本だと街中で写真を撮るのも大変だし、田舎の方に行っても写真は撮れない。

日本写真展に行くと、新しい表現は見当たらない。映っているモデルクオリティを競ってるくらいになっている。


そりゃ通行人をいきなり撮るストリートはもうないだろうと思うし、鉄道写真三脚をどこにでも立てるなどがあって、

今の日本のような状況になっているわけだが。

新聞テレビネット界隈で言っている表現自由は、政権批判に対する言論の自由は確かに日本の方があるだろうが、

写真動画に関しては表現自由はあまりないように感じられてならない。

YouTuberが自宅でずっと撮影しているように、自宅以外で自由場所がないのではないか

もしくはインスタ映えのように決まった場所で、決まったようにしか撮るしかないのではないか

家の中は自由からイラストに向かうのはわかる気がする。公園に行って油絵を描く自由はないのだ

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