はてなキーワード: ホモソーシャルとは
ごめんがんばったけど2行読むのが限界だった
膣臭がひどくて無理
たわわとか温泉むすめとかでフェミが根拠なく性犯罪を助長するとか言ってんなバーカと思ってけど自分に跳ね返ってくるとは思わなかった。
小学生の娘が通学団の男の子に性的な嫌がらせを受けたと泣いて帰ってきた。
掻い摘むとスカートめくり的なこととか、やらしいこと言われるとか、勝手に身体を触られるとか、そういうことだった。
なんでこんなことをしたのか、という話になった。
正直、女の子にちょっかい出したい年齢だしな、と思ってはいたが、
男児の兄が持っている漫画(タイトルまでは聞けなかったが相手の親が言うにはR18指定のものではないそうなのでたわわとかToLOVEるみたいな感じなのかなと思う)を友達数人で回し読みしていて、その漫画内でのことを仲間の数人でクラスや通学団の女子にやって「遊んでいた」と。ゲーム感覚というか度胸試しみたいな意味合いもあったようだった。
これがいわゆる悪しきホモソーシャルというやつか、と思った。
以前にも一度教室内でクラスの女子にやって担任に叱られてはいたらしい。叱られたのでクラスではなく通学団の女子にやることにしたようだ。
本人たちにとっては性犯罪は遊びであったらしい。
相手の両親が性教育含めちゃんとします、娘さんのケアをお願いしますと言う人だったのがまだ幸いだった。
こうした発言ができる比較的マトモと思われる親の子ですら漫画を見て性犯罪を遊びでするのかと思ってくらくらした。
そもそも子ども同士のことだと思って親と学校で対処したが、結果あの男児が娘にやったことは性犯罪であり、大人同士であれば強制わいせつとかに抵触する内容だった。
つまり今回の件は警察にも届け出てないので性犯罪にカウントはされないとしばらくして気づいた。こうして内々に処理されなかったことになる性犯罪がたくさんあるんだろう。漫画に影響されてやる性犯罪なんてほとんどが今回みたいなガキのやることだと思う。
そしてうちの娘の受けた性犯罪も子どものいたずら、せいぜい「エロ漫画が性犯罪を助長するケースもまぁなくはないよね、ただしレアケースだから取り上げる価値はない」と、たまたま起きたケースとしてオタクたちには処理され、結果エロ漫画は性犯罪を助長しないことになるのだろう。
通学団は加害側の男児がとりあえずは別の通学団に入る形で距離を取ることとなった。学年も違うしもう夏休みにもなるのでしばらく娘とその男児とは距離が取れる。
隣の席にも来てほしくないという。
すべての男子が悪いわけではないというのは娘にとっては都合の良い詭弁らしい。
親の躾の問題と言っても性犯罪が起きてからではもう遅い。起きたときにはすでに性犯罪の被害者という立場からは逃れられない。起きてから加害者を叱っているようでは遅いし叱る親ばかりでもないので親のしつけや教育に依存せずそもそも発生しないようにしなくてはいけない。
自分が娘にどうしてあげればいいのか、
これまでの自分の考えが娘を今回のような被害に合わせる手助けをしてしまっていたのではないか、
考えては考えては頭がくらくらする。
【追記】
こんなに伸びると思ってなくてびっくりしてます。
娘や被害にあった子への嘲笑や誹謗中傷があったらと怖くてブコメとかは見れてないですが…
娘は寝付きが悪くなるなど少し不安定な状態になった時期もありましたが今は安定しています。
夏休み期間中に娘が少しでも元気になれたらと思っていますが被害にあった子の中には定期的にスクールカウンセラーと相談している子もいると聞いています。
専門家でもないのに言うのも気が引けますが、加害男児たちの話を先生から聞くに、たぶん根底にあるのは男の子の自分を誇示したいという欲とか、中にはそこにうっすらとした加害欲も併せ持ってる子もいて、それを発露させる手段として知恵を与えてしまっているのかなぁ、と。
たわわとか温泉むすめとかでフェミが根拠なく性犯罪を助長するとか言ってんなバーカと思ってけど自分に跳ね返ってくるとは思わなかった。
小学生の娘が通学団の男の子に性的な嫌がらせを受けたと泣いて帰ってきた。
掻い摘むとスカートめくり的なこととか、やらしいこと言われるとか、勝手に身体を触られるとか、そういうことだった。
なんでこんなことをしたのか、という話になった。
正直、女の子にちょっかい出したい年齢だしな、と思ってはいたが、
男児の兄が持っている漫画(タイトルまでは聞けなかったが相手の親が言うにはR18指定のものではないそうなのでたわわとかToLOVEるみたいな感じなのかなと思う)を友達数人で回し読みしていて、その漫画内でのことを仲間の数人でクラスや通学団の女子にやって「遊んでいた」と。ゲーム感覚というか度胸試しみたいな意味合いもあったようだった。
これがいわゆる悪しきホモソーシャルというやつか、と思った。
以前にも一度教室内でクラスの女子にやって担任に叱られてはいたらしい。叱られたのでクラスではなく通学団の女子にやることにしたようだ。
本人たちにとっては性犯罪は遊びであったらしい。
相手の両親が性教育含めちゃんとします、娘さんのケアをお願いしますと言う人だったのがまだ幸いだった。
こうした発言ができる比較的マトモと思われる親の子ですら漫画を見て性犯罪を遊びでするのかと思ってくらくらした。
そもそも子ども同士のことだと思って親と学校で対処したが、結果あの男児が娘にやったことは性犯罪であり、大人同士であれば強制わいせつとかに抵触する内容だった。
つまり今回の件は警察にも届け出てないので性犯罪にカウントはされないとしばらくして気づいた。こうして内々に処理されなかったことになる性犯罪がたくさんあるんだろう。漫画に影響されてやる性犯罪なんてほとんどが今回みたいなガキのやることだと思う。
そしてうちの娘の受けた性犯罪も子どものいたずら、せいぜい「エロ漫画が性犯罪を助長するケースもまぁなくはないよね、ただしレアケースだから取り上げる価値はない」と、たまたま起きたケースとしてオタクたちには処理され、結果エロ漫画は性犯罪を助長しないことになるのだろう。
通学団は加害側の男児がとりあえずは別の通学団に入る形で距離を取ることとなった。学年も違うしもう夏休みにもなるのでしばらく娘とその男児とは距離が取れる。
隣の席にも来てほしくないという。
すべての男子が悪いわけではないというのは娘にとっては都合の良い詭弁らしい。
親の躾の問題と言っても性犯罪が起きてからではもう遅い。起きたときにはすでに性犯罪の被害者という立場からは逃れられない。起きてから加害者を叱っているようでは遅いし叱る親ばかりでもないので親のしつけや教育に依存せずそもそも発生しないようにしなくてはいけない。
自分が娘にどうしてあげればいいのか、
これまでの自分の考えが娘を今回のような被害に合わせる手助けをしてしまっていたのではないか、
考えては考えては頭がくらくらする。
【追記】
こんなに伸びると思ってなくてびっくりしてます。
娘や被害にあった子への嘲笑や誹謗中傷があったらと怖くてブコメとかは見れてないですが…
娘は寝付きが悪くなるなど少し不安定な状態になった時期もありましたが今は安定しています。
夏休み期間中に娘が少しでも元気になれたらと思っていますが被害にあった子の中には定期的にスクールカウンセラーと相談している子もいると聞いています。
専門家でもないのに言うのも気が引けますが、加害男児たちの話を先生から聞くに、たぶん根底にあるのは男の子の自分を誇示したいという欲とか、中にはそこにうっすらとした加害欲も併せ持ってる子もいて、それを発露させる手段として知恵を与えてしまっているのかなぁ、と。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/2017441.html
この表を見るに、1946年では日本の女議員の割合は世界でも有数だった。
それから時が流れて2022年、日本の女議員の割合はほとんど変わりがない。
これだけ男女平等!ジェンダーギャップ!と言われて、女の議員を作るべきという圧力があるにもかかわらず変化がない
これはつまり、日本には最初から女は議員になるなという抑圧なんて存在しなくて、これが日本の女の能力の限界値ということである
日本が有数の女性差別大国であるのなら、昔日本が女議員大国だったことの説明がつかないよね?
https://togetter.com/li/1905869
これをみるに、日本のまんさんはリーダーになろうとかそういう気概はないから、昔から今まで差別なんて別になかったけれど単にまんさんが議員にならなかっただけというお話
国会議員に関してはの話ね。会社の役員とかは知らん。だが、ジェンダーギャップ指数とかいうのって国会議員の男女比を重視してるわけで
日本の政治に男女差別は存在しないってことが立証された今そもそもジェンダーギャップ指数とかいうランキングを重視する意味はないよね?
そもそも昔からいた女議員たちは女社会を形成して同じ女議員を重用したりしなかったん?結党したりさ。女議員大国だったのに?1946年からだいぶ時間たってるけどそういうコネとかホモソーシャルみたいなの形成しなかったん?
そのあたりもフェミの言うホモソーシャル理論に疑問符が付く結果になりましたと
はいお疲れ
西原理恵子について、思っていたことを適当に書く。ちなみに私は1985年生まれで東京の僻地でぬくぬく生まれ育った軟弱な人間。
今手元に本がなくて時系列は間違ってると思うからその辺はいい感じに脳内保管してくれると助かる…。
西原理恵子との出会いはもうよくおぼえていない。多分ダヴィンチとかカルチャー誌に載っていたのを読んで興味を持ったんじゃないかと推測している。
私はいろいろあって学校に行けない子供だったので、午前中に図書館に逃避し、そこで西原理恵子の本を借りたり、その帰りのブックオフでお小遣いで買ったりしていた。なので、売り上げに貢献していない読者だと思う。本当にそれは申し訳ない。
話を戻すと、最初に買ったのは「まあじゃんほうろうき」だったと思う。何故これだったかというと、単純にブックオフで全部100円で買えたから。
中学生くらいの私(今から22年前だ…時間の流れ怖っ)にはめくるめく世界だった。一気に西原の漫画に夢中になったし、彼女が大物とも臆せず交流する人間的魅力にも惹かれ、私も大人になったら雀荘で夜通し麻雀をする大人になろうと思っていた。
尚、36歳現在、麻雀はできるが雀荘には一度も行ったことがない。
その次は「鳥頭紀行」に衝撃を受けた。なんだこれ。大人になったらこんなジャングルとかにも行けるのか。幼少期から旅行記好きの私の心はがっちり掴まれた。
私も大人になったら世界中を飛び回りたい。しかもお酒が美味しそう。西原は良い仲間に恵まれてて羨ましい。でも、それは本人に魅力があるからだろう。私も西原みたいな大人になって、楽しい仲間とさまざまな国でお酒を飲んでみたい。心底そう思った。
尚、36歳現在、海外には一度も行ったことはない上に体質で酒は一滴も飲めない。
病気で高校には行けなかったが、年齢が上がったことでネット環境を与えられ、もう時効だと思うから白状するが私は体調の良い日はブックオフで「せどり」をして小遣いを稼いでいた。そのお金で、西原の本を揃えられる限り揃えはじめた。
「ちくろ幼稚園」にはじまり「ゆんぼくん」「ぼくんち」などの叙情系を読み、「あの破天荒な西原がこんなに繊細な漫画も描けるのか!!」と素直に才能に感心したし、それまでの彼女の人生に思いを馳せたりもした。
その他、著作は書ききれないほど(この時点で2000年くらいかな)あったが、どれも思春期で学校に行けず友達を作る機会もない私には輝いて見えた。こんな大人もいるんだという、一つのロールモデルとして彼女は私の中に刻まれていた。
もちろん、西原にはなれないのはわかっていた。それでも、世の中にはいろんな人がいる。そう思えるだけで、世界はいくらでも広がっていく。
そんな私が潮目が変わったと感じたのは2001年の「西原理恵子 大ブレークへの道」あたりからだと思う。既刊をあらかた買い読み尽くし、関連人物の書籍も一通り読み終え、とうとう私はリアルタイムで西原を追いはじめた。この頃はまだせどりも可能で毎月一定の額を稼いでいた私は、とうとう西原の本を定価で買うことができるようになる。
少しそれるが、西原の漫画はコミックというより書籍扱いなので一般的な漫画よりページ数が少なく、高い。
なので、いくら稼いでいるとはいえ(体調の良い時しかできないしな)合計しても小遣い程度の私には定価で買うのはまあまあ大変な額ではあった。でも、西原のことは信頼していて、躊躇うことはなかったと思う。
なのに、ちょうどこの頃の新刊あたりから内容がどこに向かっているのかよくわからない本が多くなった気がした。
加えて、2002年で新聞連載をはじめると、必然的に家族の話題が中心になる。
私は西原を作家としては信頼していたが、人間性まで盲信はできなかった。確か、「人生一年生」(1号か2号か忘れた)の中で安野モヨコが「西原の漫画は好きだけど、友人として近づきたいわけではない」という旨のコメントをしていたのがすごく心に残った。
そうなんだ。西原は漫画家としては才能があるけど、だから人間性もすべて素晴らしい人ではない。魅力的ではあるが、何かが欠けている。それが欠けているからこその魅力であり、埋めてしまうと彼女は漫画を描けなくなってしまう気がする。
そういった私の中の西原への印象を、端的に言葉にしたようなコメントだと思った。
そこから新聞連載は興味があまりなかったこともあり、新刊を時々は買うものの「何か違うな…」と思うことが多々あった。おそらく、それは私が目まぐるしく成長していた時期だったからだと思う。
私の西原への熱量は冷めていき、一応情報を追ってはいるが興味が持てなくなっていった。
それは華々しいが、私が西原の魅力と感じていた部分がそれによって表せていたかというと疑問だ。
「大体、絵本とかで良い話描く際に必ず草原に青い空って手抜きじゃね?」
というくらいに、この頃から私の中で西原は「青い空の下草原をバックに良いこと言う作家」というイメージに変わっていった。漫画だと手抜きも笑えるけど、良い話、しかも絵本になると「それでいいのか?」という気持ちになるから不思議。
更にだんだんと文化人枠に入っていくのも不思議なものを見ている感じだった。新聞連載は最初ちょっと読んだくらいなので、「良い母」としてCMに出る西原は不思議な感じがした。だって、西原ってあんなにめちゃくちゃやってる人なのになんでこんな綺麗にコーティングされているんだろう?
無頼派の新刊も、かっちゃんのマネー頼りの内容が多くなり、金で解決するオチが頻発して食傷気味になっていた。
そして20歳を超えた私は、新刊を諦めかつて夢中になっていた既刊を読み返すことにした。
しかし、それを読む私は確実に昔より成長していたらしい。
西原の本に出てくる友達は男性ばかりで、特に仲の良い人はおそらく恋人だ。頻繁に出ていた人が急に出なくなるのは、きっと別れたからだろう。そう思った。そしてあんなに友人が出てくるのに、女性の友人は数えるほどしか出てない、もしくは出てもすぐに出なくなる。
それまでも、西原の本の内容が「嘘」であることは欄外などに語られていた。でもそれは面白くするための嘘であって、自分をよく見せるための嘘ではないんだろうと勝手に思い込んでいた。
しかし私が大人になったのか、女性の友人があまり出てこない事実に気付き、いろんなメッキが剥がれていった。
そして惰性で書店に行くついでに新刊をめくると、息子と娘の扱いに差がある気がする。
親との確執、特に露骨に弟を贔屓し全肯定するのに私を全否定する母親との確執がある私にとって、それが気になった途端、新刊を追うことはできなくなった。
とりあえずかっちゃんとの交際が公になったまではまあ「ふーん」と聞き流していたが、その後のMXテレビでの女性器発言をかっちゃんに解決してもらうところはすごく悲しかった。
なんていうか、それまで強い男に媚びてのし上ってきたんだろうなと気づいてはいたものの、なるべくそこは見ないようにしていたのに、鼻先に思い切り突きつけられた気がして。
それでもまだまだ西原はアル中の鴨ちゃんを看取りシングルで子供2人を育てた良き妻、良き母。かっちゃんとの関係はまだ女を捨てていない素敵な関係。そういうイメージの媒体を見るたびに悲しくなってしまった。そこには、私の好きだった西原が小さくなっていて、よくわからない素敵そうなものが大きな顔をしている。そういうふうに私には見えた。
とどめを刺したのは、「女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと」だった。
私の中で、女性作家が若い女性に向けた提言本を出すと、それはもう終わりの始まりだという謎の思い込みがある。
(男性作家にも一部そういう人はいるが、どういうわけか面白く書く人もいて、この辺はいつも不思議。要するに成功した男性のロールモデルは数種類いるのに対し、成功した女性のロールモデルは種類が少なく画一的だからだろうと思っている)
結婚し子供を産んだ。金も男も手に入れた。確かに、そういう意味で西原に憧れる人もいるんだろう。そして、この本が響く人もいっぱいいるんだろう。
でも私は病気で学校に行けなくて、どんなに頑張っても今の世の中だと普通に働いて結婚して子供産むとかすごくハードなことで…。そんな私のコンプレックスなんて西原にはなんにも関係ない。でも、かつての本には弱者への目線も書かれていて、その人たちを笑わそうと体を張っているすごい人だと幼い私には見えていた。
それだけに、いわゆる「成功した作家」が提言本を出すのが、私には作家として何かを手放しているように思えて仕方なかった。
そんでもって相変わらず「青い空の下草原をバックに」表紙だしな!
(別に丁寧に細密な絵を描いて欲しいわけではない)
これ以降は別に私が書くことではない。
ない、が、娘さんの告発を見て、「やっぱりなあ…」と思ってしまった。
家族のことを部外者がとやかく言うのは下品だと思うので差し控えるが、著作を買っていた私は娘さんを追い詰めた側の人間だと思うので、今後どんな形でもいいから彼女が満たされ幸せに生きていって欲しいと素直に思う。
それはそれとして、西原ならこの騒動もあの手この手でマネーに変え、何故か感動のラストに持っていくのでは…と危惧している。多分、この予想は高確率で当たると思ってしまうのがすごく悲しいことのように私には思えるが、西原には西原なりの大切なものがあるんだろう。今の私にはよくわからないけれども。でも、私は娘さんを追い詰めた加害者なので、その顛末を見届けないといけないと思う。だから、少しでも娘さんが救われる顛末であって欲しい。ここでこんなこと書いてもなんにもならないけどな!
今までお気持ち表明って冷ややかに見ていたが、自分で読んでも気持ち悪い文章になってしまった。
高かった熱が冷めれば冷めるほど、人は気持ち悪い文章を書いてしまうのだろう。
それでも、私は一時期確実に西原の漫画を読んで生活が潤っていたし、その潤いがなければ生きてこられなかったと思う。
なるべくそのことは忘れないよう、これからも生きていけたらいいなと思い、私は明日も行きたくない会社に出社してやりたくない仕事をするだろう。おしまい。
【追記】
男性に伝わるか私にはよくわからないんだけれども、大体の女性にとって「やたらとわかってる風に振る舞う男性の友達ばっかりで同性の友達がいない女性」ってなんか言動とか価値観?とかに違和を感じていて、直接的だったり間接的に嫌な目に遭うことがままある…気がする…あくまで私の周囲の女性の意見だけども。
(そういう女性は男性にはいい顔するので、例の「女の敵は女」という言葉が出てきがちだ。そりゃ被害に遭わなきゃ女性だって高みの見物できるだろうと思う。往々にしてその手の女性は好戦的なのがめんどい)
とりあえず愛ちゃんはアシスタントだし、はせぴょんとか中瀬ゆかりさんはビジネスだろう。「毎日かあさん」のママ友の話はほぼ創作(むぎちゃんだっけ?あの人は多分いない)らしいので、若い頃の同性の友人の話も聞いた話を適当に盛ってほぼ創作なんじゃないかなと思う。
とにかく言いたいのは同性の友人がいないことは悪いことではないと思うけど、同性の友人がいない人が娘の母親としてどう振る舞うかというと…ということを言いたかった。
まあ、ぶっちゃけ私の母親がそういう感じなんだって話でしかないけどな。
【追記2】
作品のファンだったと思うのが健全で、作家のファンだったと思うのはちょっと違うと思った方がいい、みたいな意見はすごく真っ当な意見だと思うし、私もそういう風に考えたいと思う。
でも、西原をはじめとした自分の身の回りのノンフィクションやエッセイとして作品を発表する作家はある程度作者の魅力込みで読者がファンになる特殊なジャンルかなとも思う。
(さすがに盲信するのはどうかなという気がするし、きっと完全フィクションの作家ならみんな簡単に割り切れるかなと)
そういう特殊で業の深いジャンルであるが故に、今回の娘さんの話題で様々な意見が出るというのが問題?の本質かなと私は思ってる。だからこそ、今後また西原が今回の話題も何かしらの作品に昇華してしまいそうで怖いなと思っている。
(作家としてはそれが正解なんだろうけど、それ故に残酷というかあまりに業が深すぎる職業というか)
【追記3】
今ざっくり自分の文章読み返してみて、多分初期の方が弱者への視点が感じられ、更に作者本人が体を張って笑いをとりに行く様が魅力に感じられたように思う。
そして、よくある話ではあるが金や権利を手に入れたあたりでその魅力が感じられなくなったのかなと。
多分その魅力は彼女の中にまだあるはずだけど、今の状況だとそれで作品を作るのは難しそうだ。それはとても困難で手間がかかるし、素敵な女性として楽にいい感じの本出した方が売れるだろうしね。
【追記4】
他の人の西原への感想などが読めてとても嬉しいです。もっと読みたいので書ける人は書いてくれるとすごくすごく嬉しいです。
しかし新聞連載以降の作品のファンがあまりいないので、あの辺の作品を買った層と初期の作品を買っていた層はまったく違う層なのか?と新たな疑問が出てきた…。「上京ものがたり」あたりは私も結構好きでした。特にラストはすごく心に残っている。
【追記5】
追記多いのマジで気持ち悪いな。でも本文から気持ち悪いからなんかもうええわ。
友達の多い少ないは少なくともこの文章においては問題ではない。実際私も学校行ってないから友達少ないし。そしてそこを語りたいわけではない。
では何が私が引っかかったかというと、私がこの文章を書いた発端が彼女の娘さんの文章を読んだこと。
何度か男性の友達は多いのに同性の友達がいない、少ない女性と接した経験から、そういう人々はとても男尊女卑であると思った。要するに、大勢の男性と親しくできる自分は「名誉男性」であり、同性とばかり親しくする女性を格下に見ている。そして、人間を上か下かでしか見られず、他人を自分と等しい存在だと捉えることができない。男尊女卑は対男性には伝わりにくいが、対女性にはすぐ伝わってしまうので対女性とはトラブルが多い。
そういう男尊女卑の内面は奇しくも本人が言う通り、男尊女卑のまかり通る環境で生まれ育ったことも関係あるのかもしれない。
(でも、そういう環境で育った人がみんなそうなるわけではないけれども)
そして重要なのは、ここが問題点なのではなく、本当に重要なのはここから。
本人が自覚あるかないかに関わらず、男尊女卑思想のある女性が男の子と女の子を産んだ場合、女の子にはどう接するだろうか。
ここからは私の知り得るところではないので差し控えるが、自身の母親と照らし合わせると自ずと見えることが無きにしも非ず。
それはそれとて、そういうことを考える私もまたすごく嫌な女だということは間違いないだろう。
自分の周辺にそういう女性に心当たりがないという人はとても良い環境に恵まれた人だと思うので、それは自身の人柄によるもので、すごく誇っていい尊いことだと私は思う。
【追記6】
私がこの文章で書きたかったことは、西原理恵子という作家の業と私という読者の業、そして何より娘さんについて。
なので差別云々というのは私の文章力とか私の考え方に問題があるのは前提として、それを除けばここのコメントで西原理恵子という作家や娘さんのことを触れないのは片手落ちに感じる。
(もちろん、100文字という制限がある以上それは仕方ないとは思う)
そして、私はその業や娘さんに関係ないことはこの文章の中で書く気はないし、責任もとる気がない。
私は誰しもどこかに他人を差別してしまうところがあって、多分そこを言及されていると思うけれども、他人に「絶対差別するな」って押し付けたり、「自分は絶対差別してない」って言い切る人は理想主義過ぎて少し怖い。
だから、その辺が気になる人は、自分でそういう差別についてのエントリを書く方が満足できるし有意義だと思う。
【追記7】
差別が〜って言う人は西原の漫画読めるのか…?とずっと考えていたが、よく考えたら西原の漫画を読まずにこのエントリだけ読んで「差別が〜」と言っている可能性もあるのか!とはたと気づいた。
知らない人に説明すると、西原理恵子という人の芸風は人種差別、女性差別、弱者差別などあらゆる差別を笑いに昇華していくものである。実際、女性の友人をデブだのブスだのヤリ○ンだと罵ったり、子供を産んでいない女性や専業主婦へのヘイト発言なんて日常茶飯事だ。しかも、この何十倍も汚い言葉でそれを言う。
(改めてこう書くと本当酷いな…)
もう本人の作品自体がミソジニーだのホモソーシャルだのが真っ青になるくらい、差別や問題発言の坩堝なのが西原理恵子の漫画だ。
(今のポリコレではアウトでしかない…だから改めて差別とかホモソーシャルとか言われると「いやもっとアウトな発言いっぱい出てくるから!」ともうどこから突っ込めばいいのかもうよくわからない)
ところが、それがものすごく面白くて笑えるから始末が悪い。そして、それを読んで笑う読者ももれなく下品である。それが、西原理恵子と読者の業の深さの一端だ。
私は西原理恵子という作家について書くにあたって、そういう彼女や読者の中にある「差別」は切り離せないものだと思ってこの文章を書いた。そして、その「差別」がどの程度彼女の娘さんに及んでいたのか(あまり詳細が書かれなかったこともあるが)読者にはよくわからなかったところが例の娘さんの件で露見したように思う。
(更に補足すると、彼女が差別する人間だからこちらも差別していいとかってそういう話ではない)
なので西原理恵子を知らない人は、とりあえず図書館にも置いてあるしブックオフで叩き売りされているので読んでみて欲しい。私のおすすめは、コメントでも人気の高い「鳥頭紀行」とか「ぼくんち」あたり。
実際の西原の漫画を読んで、差別だとかそういうもので頭がクラクラするのにギャグが強烈に面白いという奇怪な感覚に失神するがいい!
(ただし、合わない人には本当に合わない)
結局、何があっても私は西原理恵子の漫画のすべてをきらいになれないし、機会があれば好きな作品を未読の人にも読んでもらいたいのだ。
【 Permalink | 記事への反応(18) | 17:22
むしろ俺のイメージだと、おじさん上司と若い部下の男達でホモソーシャルに飲もうとしてるところに若い女の事務とかが乗り込んでくるってイメージなんだよなぁ。もちろん若い独身の男目当てでね。そんでおじさん上司たちは言動に気を使いすぎて疲れるっていう。
この文章は、セクハラ行為を批判し、根絶するために記しています。2022/05/30表現を一部修正しました。
昨今の日本の実写映画業界では、監督・プロデューサー・男優たちによる性的加害行為・物理的暴力行為・ハラスメント等が露見・報道されることが続いていますが、そんな中で新たな動きがありました。映画評論家である町山智浩が、自身の行なった『とされる』セクハラ行為について、Twitter上で『反省』または『謝罪』らしきものを表明したのです。
態々『とされる』・『反省』・『謝罪』と二重カギ括弧で囲んで書いたのには、もちろん理由が有ります。町山智浩は、件のセクハラ行為について「話を盛っていた。現実で行為に及んだわけではない」と釈明しているからです。
仮に百歩ゆずって「現実に行なった行為ではない」という釈明内容が本当であったとしても、町山智浩が後輩男性の元・配偶者(現在は既に離婚成立済み)の肉体的な特徴を公然とあげつらったこと、しかも、自分(町山智浩)は彼女の身体を触った経験があるという内容を、笑いながら面白おかしく語ったことは事実です。そして、その町山智浩の語った行為そのものが、紛れもなくセクハラ行為です。
一般企業・地方自治体・教育機関などの職場においてセクハラ防止・根絶の研修を受けた経験が有る人ならば、私の言うことを容易に理解できるでしょう。あなたの会社で上司が「経理の○○君の奥さんがいい身体をしていて、○○君が触っていい』と言うから、オレは触らせてもらった」などと笑いながら話している場面を想像してみて下さい。如何に気持ち悪いか実感できるでしょう。こんな言動は、言っている内容が想像上のことであったとしても、セクハラ行為以外の何ものでもありません。後輩の配偶者に対して性的欲望を向けていることを、堂々と公言する気持ち悪さは、筆舌に尽くしがたいものがあります。
ちなみに言っておきますが、問題の町山智浩のセクハラ自慢話のインタビューが行われたのは、2011年のことです。昭和の話、20世紀の話ではありません。町山智浩のインタビューと同じ頃には既に「セクハラ行為は良くないことだ。止めるべき」という研修を受けていたという人も少なくなかったでしょう(私個人の体験で言えば、そのような研修を受けていました)。
セクハラ自慢話についての町山智浩の言い訳を読んだ時、私は「小山田圭吾が『雑誌QuickJapan上でイジメについて面白おかしく語ったのは、盛っていた。あれは事実ではない』と言い訳したのと瓜二つだな」と強く思いました。小山田圭吾と彼のファンや関係者も、東京五輪という機会によって国際社会にイジメ自慢話が知れ渡り、サブカル系業界人という威光が通用しない場で批判に曝されて初めて、謝罪を述べたのです。
町山智浩も同じです。木下ほうか、榊英雄、園子温etc.のニュースの影響で、マニアックな映画ファン・信者ではない人々も、日本の実写映画業界のスキャンダル関連情報に注目するようになり、このため町山智浩のセクハラ自慢話のインタビューも多くの一般人が知るところとなりました。そういった一般人にはサブカル系業界人としての威光も通用しないので、町山智浩は仕方なく形式的に『反省』や『謝罪』を述べたのに過ぎません。『映画秘宝』の読者やサブカルウォッチャー等にしか情報を知られていなかった状態が続いていたとしたら、これまでと同様に批判の声など無視していたであろうことは想像に難くありません。
支持者集団の内部にいる時には、自分が他人にした悪い行いを鼻高々に自慢していたのが、集団外部の一般社会にまで知れ渡ると、急に自慢を止めて「語ったことは事実ではない。誤解を招いた」と釈明して取り繕おうとする行動様式は、自民党や維新の会などの政治家たちの専売特許かと思っていましたが、町山智浩らサブカル系業界人たちも見倣っているようですね。
それにしても、町山智浩のTwitter上で述べた『反省と謝罪』を読んで、ほとほと呆れたのは「『後輩男性』たちには謝罪しました」と書いていたことです。謝罪ならば、町山智浩が「性的欲望を向けた相手」である「セクハラの被害者となった女性」が先に来るべきでしょう。この期に及んでも町山智浩は、ホモソーシャル的で男尊女卑的なサブカル系ムラ社会の序列を優先して、セクハラ行為の被害者を軽視するつもりなのでしょうか。救いようのない愚かさです。
なお、園子温のスキャンダルが表面化した途端に町山智浩は「自分(町山智浩)は、2006年以降、園子温とは会っていない」と、2006年以降も交流が有ったのにも関わらず、いけしゃあしゃあと嘘をつきました。そんな嘘つきの町山智浩が「セクハラ行為は実行していません」と言い訳したとしても、どれほどの人が信用するでしょうか。
たぶん、次に町山智浩は「自分が批判されるのは当然だが、話を持ち出されると被害者が傷つくので、これ以上、同じ話を持ち出すのは止めろ」と、加害者であるにも関わらず「自分(町山智浩)は被害者の心情に寄り添っている」とアピールする作戦をとるのではないでしょうか。
今回は以上です。2022/05/30表現を一部修正しました。
町山智浩の虚言インタビュー及びそれに基づいて誤った人物評価を記した箇所を含む、既に問題が有ると判明している記事については、はてな社に削除依頼を申請していましたが、2022/05/31削除措置を済ませたとのご連絡をはてな社からいただきました。はてな社にもご迷惑をお掛けして、誠に申し訳ありませんでした。
非モテ界隈みたいな感じで弱者男性界隈が立ち上がって、そこで弱者男性をめぐる議論が練り上げられて外に向かって発信されるようになったら、非弱者男性側の弱者男性理解も今よりずっと進むんじゃないかな〜と思う。
非モテ的なコミュニティが絶滅したずっと後に、ミームとしての弱者男性に置き換わった。
生産性という意味で非モテのあり方が理想なら、なぜ置き換わりが起こったのか。
今朝見かけた、非モテと弱者男性はそもそも求めてるものが違う、って説が妙に頭に引っかかっているんだよ。
「男性同士がバーベキューをして自力救済すればいい」っていうフェミニストのアドバイスは、記憶が正しければ非モテ界隈消滅後に言われた言説だったと思う。非モテの活動はむしろ、そういったホモソーシャル的傷の舐め合いを実現しているではないか。それはもう実質的な家族だろう。
弱者男性が夢みる家族を得て、しかし恋愛への憧れは消えないままに、非モテはどこに辿り着いたのか。
表現が治安を悪くすることにつながっていて、性的なモラル低下を招いているとしても、エロ表現の自由やホモソーシャルの維持や女性蔑視表現の自由を推進したいの?
日本にいると元々モラルの高かった外国人ですら男尊女卑をインストールして性犯罪やセクハラへの抵抗がなくなるんだが
祖国ではやらないような羽目の外し方をする人もいる
一部地域で売春を解禁したところ、地域の治安が悪くなり性犯罪が増え、女性が暴行されることが多くなったそう。売春を許容することは女性全体を貶める。
https://twitter.com/traductricemtl/status/1526174973148254208
ホモソーシャル「俺のオカズのために女は犠牲になれ!俺の一発の射精と支配欲の満足のために女が困ってる?女が困るわけないだろう、だって俺らがエロを楽しむことで女はチヤホヤ(性犯罪・セクハラ)されてお金(女を貧乏にして風俗に堕とさせないと!)もらえてるんだからさ!」
フェミニストの方がまともです
痴漢防止のポスター貼るのひとつだって、男性たちは大反対したんじゃん?ちゃんと抵抗しない女が悪いって。抵抗した女、虐殺されて死んだじゃん?
月曜日のたわわだってハートクローゼットだって、やめてと言う女性の声を潰そうと反対勢力がゴミのようにわいてるじゃん?電車で痴漢が起こっても女性専用車両にデモする男がいるんじゃん?冤罪が怖いってキレる男がいるんじゃん?おじさんだって女が不親切だ、説教されなれてないからだ!って女が物分かり悪いからって説教しようとしてたじゃん?
>>『規制反対派の反フェミに理由を聞いたら、現実にフェミニストの異常な言動に晒される被害を受けていることや、実在の身近な女性の認知の歪みを挙げていた。
規制賛成派の無理解は、「現実のフェミニストの認知の歪みや無理解」という問題をさらに立証して強化することになって、火に油を注いでるのでは?』
って置き換えたら何言ってんだこのバカって思わない?
何も思わない
>>疑問について
そうは思わない。
・被害者は「エロやAVの真似をしたいと言われた」と明言している人が複数いる
・AV女優のリプ欄に、男性はテクニックだけの存在で一方的に女性を性的に楽しむファンタジーと現実の区別がついていないリプライが大量につく
・風俗嬢のリプ欄にエロ漫画やAV特有の、女性は男性に一方的に襲われて性感を得られる、女性は男性に性的に見られて感じる、などの現実離れしたファンタジーを信じ込んだリプライが大量につく
・女性にも性欲はあるのに女性→男性のレイプは全体の1%程度。男性→女性のレイプが99%
・ホモソーシャルやエロ漫画やAVによって偏った女性像を信じ込んでいたと告白する男性多数
・女性にも性欲はあるのに女性→男性の性犯罪は全体の1%程度。男性→女性の性犯罪は99%
・妻ではなく女体として女性を鑑賞するクセがついてしまったと告白する男性多数
これらの情報を目にしたり身近な女性から話を聞いたりしているし、気をつければ目に入ると思う。
男は見ないようにしてるだけ。
何が認知の歪みなのか分かるし、同じレイヤーだと思うし、ケアも何も、自分達男性の問題だと強く思う。
火のないところに煙は立たないし、反対派は話せば話すほど男性のホモソーシャルの歪みによって傷ついている人たちだし、
叩いてさらに傷つけたら更に状況が悪化して規制を強める理由が増える。自分達はこんなに女性に対して誤解していてファンタジーを強く信じたホモソーシャルを内面化した性犯罪を認識できない男性で、AVと現実の区別がつかず、こんなに女性の話を聞くことができない!とアピールしているんだから、規制の必要性を立証してるだけ。