非モテ界隈みたいな感じで弱者男性界隈が立ち上がって、そこで弱者男性をめぐる議論が練り上げられて外に向かって発信されるようになったら、非弱者男性側の弱者男性理解も今よりずっと進むんじゃないかな〜と思う。
非モテ的なコミュニティが絶滅したずっと後に、ミームとしての弱者男性に置き換わった。
生産性という意味で非モテのあり方が理想なら、なぜ置き換わりが起こったのか。
今朝見かけた、非モテと弱者男性はそもそも求めてるものが違う、って説が妙に頭に引っかかっているんだよ。
「男性同士がバーベキューをして自力救済すればいい」っていうフェミニストのアドバイスは、記憶が正しければ非モテ界隈消滅後に言われた言説だったと思う。非モテの活動はむしろ、そういったホモソーシャル的傷の舐め合いを実現しているではないか。それはもう実質的な家族だろう。
弱者男性が夢みる家族を得て、しかし恋愛への憧れは消えないままに、非モテはどこに辿り着いたのか。
昔の非モテ界隈は割と自省的なところがあって、非モテを自認する人達同士が「非モテ」という状態をめぐって意見を交わし合い、一緒に考察をしたりしてたと思う。その結果として革...
非モテ界隈みたいな感じで弱者男性界隈が立ち上がって、そこで弱者男性をめぐる議論が練り上げられて外に向かって発信されるようになったら、非弱者男性側の弱者男性理解も今より...
元からおらんかったやで
弱者男性なんて価値ないんだよ。弱い牝馬は繁殖用で馬産地に帰れるが弱い牡馬はコンビーフ
世界を競馬のアナロジーで理解するのやめーや
でも競馬の世界の方が理にかなってると思う 人間って効率化しろ、と言う一方で非効率なことばっかするから一貫性がない
競馬は「とにかく速ければいい」というものすごくシンプルなルールで動いてるから単純化できるんだぞ。
人間だって「とにかく稼げばいい」だけでしょ?