はてなキーワード: パンパンとは
大量の水を吸い上げ、巨大サイズに膨れ上がったマミーポコに何とも言えない表情を浮かべる息子さん
夢中で水遊びをしていた男の子。水分補給をしようと上がると…、オムツが大量の水を吸い上げ、巨大サイズに膨れ上がっていた。想像を超えるマミーポコの威力に560万再生を超え、「爆笑」「元気出た」「マミーポコのCMいける」「日本が誇るべき技術の1つ」などのコメントが寄せられた。今ではオムツを卒業しているという4才の息子さんの日常とこの時の状況を、改めてお母さんに聞いた。
【動画】「マミーポコのCMいける」想像を超える“威力”に爆笑ムービー
■第3子にして気づいたマミーポコの威力に母感心、息子は「おしっこしてないよ」と必死に訴え
――「マミーポコの威力」という投稿に大きな反響がありましたが、改めてこの時の状況を教えてください。
最近寝る時もパンツで寝るようになったのですが、たまたま友達の家にお泊まりに行ってて、水遊びをしていたときの動画です。暑かったのかずっと入ってたので、水分補給をさせようと上がらせたら、オムツがこんなことになってて、友達も子どもたちもびっくりでした。保育園に通い初めてから使う枚数が増えて、質より量と値段かなと安いマミーポコを買うようになったのですが、まさかそんなに吸ってくれる物だと思わず、その威力に驚きました。
すごく重たくてびっくりしてたんですが、「おしっこしてないよ」ってずっと訴えてきて、それもまた可愛かったです。
――お母さまはどのような思いでご覧になっていましたか。
3人育ててきて、こんなにパンパンになったのは初めてだったのですごく驚きました!(笑)。慌ててオムツを脱がしたのですが、ポリマーもあまり出ず、流石ユニチャームだな。と思いました。
まさかこんなにいろんな方に見てもらえるなんて思わなかったです。全然マミーポコのまわし者とかじゃないんですけど(笑)、「こんなに吸うならマミーポコに変えようかな」とか結構多くて驚きました。「仕事で辛い事があったのですがこの動画見て元気が出ました」ってコメントも今まで言われる事なかったので、息子にそんなこと言ってもらえると、私としても嬉しいです。
それから数十年、会社員をしながら趣味でバンド活動をしていた。
幸い良いバンド仲間にも恵まれていたので1~2ヶ月に一度のペースで都内のライブハウスでコピーバンドだけどライブもやっていた。
他に得意なことも無かった私には、まあそれでも「弾けない人よりは多少マシに弾ける」というレベルだったけど、自己表現をして対面で認めて貰えるというのはとても嬉しかった。
私はIT系の仕事をしているので、2020年5月の時点で完全にテレワークへ移行した。
幸い収入が減ることはなく、通勤時間がゼロになったことで睡眠時間が増えてむしろ健康になったくらいだ。
テレワークが開始されてから今まで、会社へ出勤したのは3回程度。
行きつけのラーメン屋の店主とちょっとした挨拶するのが他人と対面で会話する唯一の機会になった。
このような生活を始めてからちょっと落ち着いた頃に「無観客の配信ライブをやらないか」とか「限られたメンバーのみでスタジオでセッションやらないか」など誘われたことがあったが、この状況下で「人が移動すること自体に様々なリスクがある」と思っていたので、すべてお断りした。
また、コロナ禍の出始めのころ「ライブハウスでクラスター」といった話が広がったこともあって、ギターを背負って外に出る事自体に後ろめたい気持ちが少しあった。
余計なことをするとライブハウスに迷惑がかかってしまうのでは?とも思っていた。
そんな中、オリンピックが延期になった。
当然のことだと思った。
結果、オリンピックは2021年に開催して無事(?)に閉会となった。
個人的には今も、やるべきじゃかなったではないかと思っているが、私のような凡人には正解は分からない。
そして先日、2021年8月にフジロックフェスティバルが有観客で開催となった。
「政府批判の場になっている」
などといった色んな考えが見られる。
※上記は私がネット上をなんとなく見ててのイメージなので正確な発言ではなく個人的な印象が含まれています。
なので、動けるうちに一度は行ってみたいなぁ、と以前から思っていた。
仮にもギターをちょっと弾いている端くれだし、自称「音楽好き」なので。
もっぱら洋楽ばかりを聴いていたので最近の日本の音楽は良く分からないのだけど。
・基本無観客
・選手やスタッフは定期的にPCR検査を受けて陽性の場合は隔離等の処置
・今のところ日本国内への感染拡大に繋がったという事実は確認できていない(のかな?)
・各国の選手やスタッフからオリンピック開催について感謝の言葉がちょいちょい聞かれる
・例年より人数を減らしての有観客
・出演者やスタッフは主催が決めた感染対策に応じた行動をしているはず
・観客も決められた感染対策にほとんどが応じているはず(?と思いたい)
・今のところ日本国内への感染拡大に繋がったという事実は確認できていない(まだ終了して日が浅いし)
・一部の出演者が現政府を批判する発言が聞かれ、分断は本意じゃない、とか言っているらしい
オリンピックとフジロック(とGOTOトラベル)の共通点だと思った事
・一定数の割合にたいして「人の移動って大丈夫なんだ」「他がいいならうちらもOK」という雰囲気を作り出してしまったこと
現政府にも色々問題点があると思っているけど、まあ、がんばっているようにも思える。
見えないところで色々と利権やら利害があったりするのも昔からであって、今に始まった話ではないけど。
政府の明確な失策はこの「自粛しなくても大丈夫という雰囲気作りを制御できなかった」ことだろうし、私達側からすると一定数の割合で「もう大丈夫なんだ」「あっちがやってるから私達も我慢しない」といった自制をすることができない「雰囲気に流されてしまった人たち」が結構いることが残念なところだと思う。
そろそろ表題に戻るが、オリンピックもフジロックフェスティバルも世間への雰囲気作りがコントロールできない時点で、開催をしない、あるいは開催の仕方をもう少し考えるべきだったと今も思う。
ギターが好き、音楽が好き、を自称する私もフジロックの人の密度をSNSで見てしまうと、ちょっと怖くなってしまった。
また、SNS上ではバンド仲間が、無観客とはいえ人の流れを止めることは考慮していないのか、ライブのお知らせやセッション開催を普通に告知していたりする。
ここで2つの考えがよぎった。
・私は自称音楽好きを名乗っていたが命をかけてまで(あるいは他人に迷惑をかけてまで)フェス参加やライブ開催を良しとしないので、実は音楽は好きじゃないのではないか。
・人の流れを抑制しなければならないという考え自体が実は世間とズレており、心配しすぎなんじゃないか。
どちらも正解かもしれない。
特にフジロック騒動を見て思ったことは、自分が信じていて助けられていたと思っていた「音楽のチカラ」って実はそれほど大きなチカラじゃなかった、あるいは存在すらしなかったのではないか、と。
もし音楽に絶大なチカラがあれば、私程度の人間なんてコロっと引っ張られて「そうはいってもフジロック開催できてよかったよな!」と思っていたかもしれない。
少なくとも結構な人数の人が「そうはいってもフジロック開催できてよかったよな!」と心に刺さっているからだ。
私には刺さらなかった。
ということは、やっぱり自分はたしいて音楽好きじゃなかったし、ギターも自己アピールの方法のひとつというだけで、自分の人生でそれほど大切なものじゃなかった、と思うようになった。
「この程度」のことは人の命には替えられないし、何より感染拡大が進んでいて病床がパンパンの状況であってもひたすら懸命に命を繋ごうと奮闘していただいている医療従事者の方に必要以上にご負担をかけられない、という意味で人の流れを減らして感染を少しでも広がらないようにする、という考えが今は最優先であるべき、と改めて思うようになった。
こんな考えに至ったのはおそらくフジロックフェスティバルが開催されたからだと思う。
フジロックフェスティバルのおかげで、フジロック騒動のおかげで、出演者の行動や様々な発言を見ることができて、「私の「音楽好き」は音楽が好きと思っている自分が好きだっただけ」「音楽のチカラはほどほど」という事に気付くことができた。
命を最優先にしたい気持ちは変わらないが、私は音楽好きを自称しないし、もうギターを弾くことも無いと思う。
私の音楽への価値観を見直すきっかけを作り、「音楽のチカラ」の程度を示してくれたフジロックフェスティバルには改めて感謝したいと思う。
あとづけ:
というわけで今は家に引き篭もって淡々と FF14 をプレイ中。
オンラインゲームとYouTubeはコロナ禍において最高にマッチしているエンタメだし、感染拡大を抑制するチカラを持っているなぁと実感。
追記1:
「MIRAIには未来はない」理由を、理系のはてなーにわかるように書く の続きで、バス・トラックのFCV化の可能性について書こうとしたんだけど、そこからだんだん水素社会自体について考え始めてしまったのでダダ漏れで書きます。
前増田のブコメで「バス・トラック分野についてはEVよりFCVのほうが優位なのでは?」という指摘を何件かもらった。技術的には概ねその通りだと思う。前増田で挙げたFCVの諸課題は、(2代目MIRAIが実際にそうしたように)車全体のサイズを大きくするほど希釈・軽減されていく性質がある。一方でEVのほうは、車が大型化し、求められる航続距離と出力が大きくなるほど必要な電気容量も増え、それに伴ってバッテリセル部の大型化・重量増・充電時間の長時間化という問題が重くのしかかってくる。
だから、FCVを自家用車のスケールに展開しようとすると技術的に無理が生じてくるし(たとえば、軽自動車サイズで実用的な航続距離を持つFCVを作るのはあまり現実的でない)、逆にEVを大型商用車のスケールに展開しようとすると実用性の面で問題が生じてくる(高価格・高重量で給電にも時間がかかる)。言い換えれば、EVとFCVは、その特性が活かせるスイートスポットが違っている。EVは二輪車〜自家用車レベルに向いていて、それより上へのスケールアップには課題がある。FCVは大型商用車用途なら一定の強みを発揮できる可能性があるけど、自家用車以下へのスケールダウンには向いていない。だから「乗用/大型商用で線を引いて棲み分けする」という選択肢は確かにありうると思うし、当のトラックメーカー側も、日野・いすゞ・ダイムラー・ボルボあたりは現状はEVとFCVの両ベット戦略で進んでて、しかもFCVのほうが将来有望だと考えているように見える。
※大型商用車のEV化については、バス・トラックのバッテリセル部がモジュール化されて、トラック向けの幹線ガソリンスタンドのような「バッテリ換装ステーション」でメーカーや車種を問わずに換装・課金される仕組みが整う可能性もあるんだけど(外付け換装型の商用EV自体は日本では川崎市のゴミ収集車などで、中国では大型トラックで導入されている)、かなり大規模なインフラ変革になるので、バス・トラック業界全体が早急にこの方向でまとまるとは考えにくい。
一方で、実際に大型商用車がEVとFCVのどちらに寄っていくかは、単純に技術的・コスト的な優位性だけでなく、社会や行政がモビリティの分野で「EVベースの電気社会」と「FCVベースの水素社会」のどちらがリアルな選択肢と考えるかによって大きく左右されるかもしれない。個人的には、大型商用FCVは技術的にはEVに対して現状優位にあるけれど、この「社会的なリアリティ」という点から見ると、だんだん厳しいことになっていくような気もする。国と資エネ庁は、モビリティ分野に留まらず我々の社会全体に水素というエネルギー源が浸透する「水素社会」という壮大な絵図を描いて、自家用FCVをその中核的存在と位置づけてきたわけだけど、自家用FCVの将来が怪しくなってきた今、「水素社会」というエコシステム全体にも、それが翻って大型商用FCVの未来にも、陰が差し始めているんじゃないかと。
資エネ庁の水素社会の見取図には、実現しつつある「水素社会」の具体例として、
が掲げられている。このうち①②は、ガス網を経由して送られた天然ガスを改質して水素を作り、さらにそこから電力と熱を取り出す技術だ。この反応過程に水素が介在していることで、「水素社会」の尖兵みたいな扱われ方をしてるけど、改質段階で結局CO2を排出してるので、実は全然カーボンニュートラルではない。天然ガスの持つ反応ポテンシャルを余すことなく高効率に使ってるだけ。
③④は、水素を何らかのインフラ経由で地上の固定設備に輸送し、そこで電気を取り出す技術だ。カーボンニュートラルな水素には、主に「グリーン水素」(再エネの電気で水を電気分解して作る水素)と「ブルー水素」(天然ガスなどを改質して水素を取り出し、同時に発生するCO2はCCSで地下や海底に圧入貯留する方法で生産される水素)の2種類があるけど、グリーン水素で③④をやるのは「電気で製造した水素を物理的に運んで、その先で水素を使ってまた電気(と熱)を作ること」に等しい。そんなエネルギーロスを繰り返すぐらいなら最初から送電網で送った電気を使えばいいわけで、基本的に③④はブルー水素でしかやる意味がない。
ところが日本政府が「水素社会」実現時期のベンチマークとしている2050年にはブルー水素はグリーン水素よりコスト高になるとの予想も、いや2030年にはそうなるという予想もある。そうなった時点で、③④は「電気より割高なエネルギー源」を使って電気を作る、社会的に無意味なアプリケーションになってしまう。
そう考えると、実は「水素社会」のビジョンって、石油・ガスなどの化石燃料エネルギー関連産業と、その産業に紐づく重電系企業・商社・省庁が、既存の資源や技術やインフラを使い廻しつつ「我々もカーボンニュートラルできます! やります!」つって延命するために目いっぱい膨らませてみた風船なんじゃないか、という気がしてきた。
エネルギー企業はこれまで通りLNGや石油を掘り、それを改質し、ブルー水素を取り出し、CCSでCO2を地中に送り込む。商社は既存エネルギーと同じようにそのブルー水素を輸入する。重電企業は既存のLNG火発のガスタービン技術を使って、ブルー水素で発電する。ガス会社は既存の都市ガス網やプロパンガス供給網への水素混入度を高め、情勢を見つつ緩やかに水素ガス供給網に転換していく。こういう、既存の産業構造がそっくりそのまま生き残れる「ありき」の姿から逆算して「水素社会」のビジョンが立ち上げられ、そこに①②③④が繰り込まれてるんじゃなかろうか、と思ってしまった。
このパンパンに膨らんだビジョンを針でつつくと、「水素社会」の絵図の中には⑤の燃料電池自家用FCV・フォークリフト・バス・トラックだけが残る。確かに「設備と送電網を結線して、そのまま電気を利用する」ことができない分野=非結線のモビリティ(自動車・気動車・船舶・航空機など)なら、エネルギーを一旦「水素」という物体に変えて持ち運ぶ必然性が出てくるし、コストや容量の面でも「送電網から無際限に送られる電力」ではなく「有限のバッテリに蓄電される電力」と競うことになり、水素陣営から見た競争条件はだいぶマシになる。でも前増田でも書いた通り、そのモビリティ市場の核となるはずだった自家用FCVは、技術的にだんだん死に筋に入りつつある。
…と考えているうちに、自分は大型商用FCVの将来にもそれほど明るい見通しが持てなくなってきた。「水素社会」の現実的な利用分野が大型商用FCVぐらいしかないとしたら、我々の社会はそれでも「水素社会」路線を推進するんだろうか。そのとき、FCV向けの高純度水素は現実的な価格で流通するんだろうか。もしかしたら大型商用FCVはEVに対する技術的優位性を発揮して、LPG・CNGバス/トラック/タクシーみたいに(一般人には馴染みが薄いけど、社会を支える縁の下の力持ち的な存在として)地道に普及していくのかもしれない。あるいは、この分野のためだけに「水素インフラ」を全国的に整備するコストを社会が負担できず、大型商用車分野でもバッテリ換装や超急速充電などを駆使してEV化が進んでいくのかもしれない。どっちにしても、いま官民が推し進めている「水素社会」の壮大なビジョンとはだいぶかけ離れた、なんだかシケた未来像が思い浮かんでしまった。
モビリティ分野の他に、「水素社会」の普及・浸透が見込めるような「これだ!」って新分野はあるんですかね〜。水素焼肉? 速い水素乾太くん?
ひょんなことから仲良くなり、DMで話したりする仲だった。話を聞いたりツイートを見る限り、生活が大変な中で頑張って同人活動をしていたからプロフ欄の欲しいものリストとか結構送ってた。
ちょうど一年前にあなたになら貰いすぎてますし、無料で描いてもいいですよ!と言ってもらい、即座に依頼。忙しいから時間かかるとは聞いていたが、一年たったのでそのことに言及してみると忙しいから無理ですと言われ、逆切れされブロックされた。
このご時世でもデートしていたり、趣味絵を何枚か描いていた。確かに企業案件も貰ってて、今は年末まで予定パンパンみたいだから忙しいのは確かなんだとは思う。
描いてくれなかったことはショックだけどあんまり気にしてなくて、それよりも自分のキャパシティを超えてしまって描けないってなったんなら自分から断ってほしかった。こっちを罵るような言い方もしないでほしかった。無償で描いてくれなんてあなたの画力を考えたら無茶なお願いだったのは分かっている。
それ以来、その神絵師ににとって自分はただの都合のいい財布だったのか。Twitter上で絵を上げて同人活動している人種はお金に関してどれくらい考えているんだろう。お金が絡む関係になると縁を切るのが億劫になるから依頼を受けないとかあるのかな。コミッションで金払い悪いフォロワーは切るとかあるのかな。そんなことばかり考えていたら絵師に対してがめついイメージが付いてしまった。お金を稼ぐのは全然悪いことじゃないけれどね
元カノを結婚式に呼ぶのってどんな神経なんだ。「おめでとう!」ってなる要素ある?
「オマエ ワタシ フッタ」の3語文でこっちの感情説明できるんだけど。
呼んできたのは大学時代同じサークルだった元カレ。私を含むサークルの同期に声をかけたらしい。
彼とは2年くらい付き合ってたけど「彼女として見れなくなった」って振られた。
頭お花畑女子大生だった私は「卒業して、2~3年働いたらこの人と結婚するんだ~」って思ってたからほんとに振られた時はショックだった。振られた次の日の面接(就職活動中だった)は目パンパンで行った。
明らかに目がパンパンで「私は昨日大泣きしました」って顔に書いてあるような女でも、喋る内容がおかしくなければ通るんだ、と少し面白かったとともに、何も面接の前日に振らなくても。とも思った。
という諸々の嫌な思い出をラインが来た途端思い出してむちゃくちゃ不愉快になった。
もう数年前のことだし、彼のあとに私にも新しい恋人ができたことはインスタで相互フォローだから多分分かってると思う。それにしても呼ぶなよ。
まだ好き!とかじゃなくて、シンプルに自分を傷つけた(少なくとも別れを突き付けられた側であるという点で)人間が、人生最大の晴れ舞台にお祝いしてもらえると思って呼ぶ能天気さが私には信じられない。
というか、むしろ縁起悪いな、とかならない?自分が振った女。呼ぶなよ。
別れてから(特に自分が振られた側なのに)相手の幸せを願う(笑)ことができる人って嫌味じゃなくすごいと思う。心が広いっていうか 許す心があるっていうか……。
私はその域にはまだ至れません。
「結婚しました!」といえば、大学を卒業してから2年以上動いてなかった、元バイト先の年の近い子たちのグループラインに
「お久しぶりです!私事ですが結婚しました!これからは2人で協力して幸せな家庭を作っていきます!またコロナ落ち着いたらみんなで飲みに行きたいね!」
というラインが投下されて、1日誰も返信しなくて、1人がおめでとう!スタンプを送ったらみんなスタンプを送りだしたのは笑った。(私も便乗してスタンプだけ送った)
2年も関わってない相手に、俺通信を送って、思ってもいないみんなで飲みに行きたいね!を送って祝ってもらえると思うって、幸せな人だなぁって思った。
元カレといい、結婚をすると「自分が相手からどう見られるか?」が欠如して、幸せで頭がいっぱいになるのかな。うらやましいなぁ。
非常識な子ども連れに対して「常識まで生み落としてきたんか?」という揶揄がありますけど、同じようなのの結婚バージョンはないのかな。
私が結婚してればこの2つの話は「え~!おめでとう~!」って心の底からなったのかもしれないと思うと自分の器の小ささに惨めになる。
ラインって相手の反応を限りなく期待してるよね。 ツイッターとかインスタとか、「反応したい人だけ反応できる」ところで報告すればいいのに。
自分のことが大好きなのか、私が捻くれてるのか、なんなんだろうなぁ。
一応書いておくと、仲のいい友達の結婚はほんとにおめでたいと思ってるし、自分のことのように嬉しいと思っています。好きでもない人からの結婚したよ!ライン、みなさんはどうですか、反応に困りませんか。
でも私が数年後、自分だけ結婚してなくて30とか越えて友達の結婚を心の底から祝えなくなったら……。と思うと、仲の良い子には早くみんな結婚してほしいです。(わがまま)
もちろん元カレの結婚式には行きません。私という存在が彼にとって縁起悪いと思うし、本当はめでたいとも思ってないのに3万も出せないよ。
行きたくない結婚式には「わ~おめでとう!結婚式、行きたいのはやまやまなんだけど職業柄ごめん、コロナの関係で無理そう……」って断れるからそこだけコロナに感謝してる。
確かにすごい技術なんだけど、画面広くなったからなんなんだって感じがある。そんなに広い画面がいいならタブレットでいいし、ましてやタブレット使うくらいならノーパソ使えばいいし
折り畳み形式だからポケット膨らむし(ガラケー時代の古き良きポケットパンパンを再び?)いいことなんもない
そも画面が大きければいいっていう考えも微妙。個人的には6インチもあれば十分大きいと思うんだけど、大画面に何を求めてるんだろうか。
大画面使うような用途ってやっぱりタブレットとかノーパソに任せた方がいいと思うんだよな
なんでわざわざスマホを大画面にしたいのかよくわからんけど。勝手に想像すると、スマホしか使ったことないからなんでもスマホとして使いたいって感じなんだろう。
タブレットとかノーパソっていう存在を知らないんだろう。SIMが入ってない端末でネットする方法も知らないのだろう
まあそうやってゲテモノガジェット出てくるのは業界としては健全かもしれんけど、アーリーアダプター?とかの特殊な人以外は興味ねーよなーって感じ
5000円くらい出せはパルスオキシメーター機能がついてるMiバンドとかHuaweiの奴買えるし。まあ中国企業に生体情報渡したくないとかいう宗教的な理由があるのはしょうがないけどそれにしても高すぎるだろう
折り畳みそんなに欲しい?すぐぶっ壊れるだろうし要らんだろ
ケツはパンパンは鳴るけどダーッンダーッンなんて鳴らないんだよなあ
○ご飯
朝:トマト。きゅうり。チーズ。クラッカー。カップスープ。昼:オクラの卵とじ。そうめん。三時のおやつ:芋パーティー。(炒めた芋にタバスコ山ほどかけて食べる行為)夜:いか天とナスとたまごのの鍋焼きうどん。冷やし豚しゃぶ。
○調子
急に芋パーティを始めてしまいお腹がパンパンに膨れてしまう。が、別にそれはそれで普通に夕飯も食べた。
最近割と真面目に自炊してるけど、休日3食全部作ると流石に疲れるなあ。
火曜日〜金曜日分の食材を買いに久々に家の外に出たりしてた。散歩も当然したいけど、少しの間我慢。ワクチン打って2週間まではなるべく家で過ごそう。
イベント消化してた。武器は完凸したので回数消化と、シナリオの感想書くだけ。
○ウマ娘
そこにチンピラが特殊詐欺やら震災復興やら五輪中抜きを元手に、アベノミクスとか世界的な株高でパンパンに膨らませて儲けたあぶく銭で一旗あげようみたいになってて、
しかしまあ半グレ風情がカネを握らされても学がなくて基本的に馬鹿だから流行りものにすぐ飛びつくわけ。というわけで配信者崩れの道化とかワナビー3DCG技術者の裏方役に鎖つけて引っ張ってきてYouTube上で見世物小屋をやってみるかって流れでやってんのよ。
でも結果あれでけっこう儲けてるみたいだし市場に最適化された行動して結果出してるんだからあいつらが正しいんだけどな。馬鹿しかいなくて馬鹿向けしか売れないから馬鹿に最適化して当然だろ。半端に通ぶって賢ぶったおまえに媚びたってスパチャも小銭しか投げやしねえだろ。
まああとコンピューターも結局どこまでいっても装置産業だしカネの羽振りいいやつが偉いよ。モラルのないやつがカネ握って馬鹿やガキを相手に商売するんだからそら最強で、しかも馬鹿にジャンクフード食わせ続けてれば馬鹿はもっと馬鹿になるから客はさらに増える増えるよ。そして海外にも似たような馬鹿も多少いるからそいつらも釣る。夢がある。こいつらが新時代の勝者だ。
もうタイトルで全部分かるかもしれませんが、私はあの広告で有名なサバサバ女と外見がそっくりでした。初めて見た時に「私がモデルなんじゃないか?」と思ったくらいです。
中身は正反対で口数の少なく目立つのが苦手な人間ですが、なにしろ顔が大きく、目がびっくりするくらい小さくかつ離れており、鼻は低く、骨格ストレートでムナ板パンパンの厚い小太りです。食べることが大好きなので痩せたことがありません。
こんな見た目なので、せめて身ぎれいにしていようとこまめに美容室へ行き、お化粧もがんばり、アクセサリーなども着けてみました。
身だしなみや外見に人並みに気を使っているのに、それをもってしてもごまかすことのできない「負の素材」。それが私とサバサバ女の共通点だと思います。
あの漫画がバズって話題になった時、本当にやばいと思いました。私の知り合いは、全員あの漫画を見た瞬間私のことを思い出したでしょう。
傍若無人で嫌われ者の主人公と外見がそっくりなことに私は激しく衝撃を受けました。どのくらい衝撃だったかというと、少しでもサバサバ女から遠ざかろうと2日後に美容室へ行ってむりやり前髪を作ったくらいです。このエピソードで知り合いに「あいつじゃん」とばれてしまう気がします。ばれたらこの投稿は消そうと思います。
とにかくそんな感じで、あの広告を見るとウッと胸が締め付けられる思いでした誰かと目が合うたびに、「サバサバ女に似ていると思われたのでは?」と恐怖を覚えました。
なんとか彼女から遠ざかろうと、化粧を薄くし、アクセサリーも小ぶりなものに変え、髪の毛を伸ばしてダイエットしました。
そして先程、あのサバサバ女のスピンオフ漫画を読みました。みんなから嫌われていた主人公が可愛いと言われ、肯定されていました。
それを見たら、単純すぎる話ですが胸の使えがスーッと取れ、気が楽になりました。似た見た目の人間が作中でもSNSでも肯定されているのを見て、本当にうれしかった。気持ちが救われました。興奮して、こんな誰にも言えないような気持ちを文章にまでしています。
こんなきっかけでしたが、おかげで今私は7キロ痩せ、顔も少しですが小さくなりました。あの時はつらく非常に落ち込みましたが、自分の容姿を見つめ直すいい機会だったと思います。ありがとう。
僕の部屋は春夏秋冬いつでも22度だった。ワインセラーの様に一定に保たれた室温は、外の世界へ羽ばたこうとする僕のやる気を削ぎ、やがて窒息させた。
梅雨明けの太陽に照らされたアスファルトを窓から眺めていると、3人の家族が歩いていた。この眩しさはあの3人の為の物なのだと思い、壊れかけのカーテンを強めに締め、定位置に戻る。こうして外の世界を見てしまったあとは、僕を母親の胎内のように優しく包み込む羽毛布団を愛して離せなくなった。
ぬるい室温で育ってきた僕は、働かなければ死ぬという当たり前にすら直視出来ずに死んでる様に生きていた。多分そう、これからもそうなんだ。
ある日の早朝、僕は一匹の野良猫と出会った。出会ったというには少しだけ遠く、分厚い壁を隔てていたが僕の認識では確かに会っていた。
窓の外から見た黒猫はニャーニャーとおばあちゃんの手に頭をこすっていた。昔テレビで見た知識だが、猫が人間の足や手を孫の手のように使っているという事を僕は知った。
なんとも落ち込む話ではあるが、眼前に映るおばあちゃんと猫は確かに愛し合っているように僕は感じた。
猫を撫でる柔らかさと温かさを想像とYou Tubeで補填してみたが、予想通りに可愛いし愛くるしい。
想像できてしまうから、僕は外に出ないんだ。どうせ面白くないと飲み会を断り、どうせ俺なんかと女の子の誘いを断り、どうせ続かないと何一つ始めない。
被災者でもないのにシェルターに逃げ込む自分が今日は不健康に思えて仕方なかった。
そんなことを考えていると、内から鍵をかけたはずの扉が勝手に開いた。僕はいつの間にか扉の向こうにいた。
手探りで人間の模倣をする怪物のように、歯を磨き、顔を洗い、髭をそった。想定を超えて伸びた頭髪は、ツヤもなく、パサパサとしていて普通にキモいなと思った。
洗面所を出て、久々に見たリビングには僕の分の椅子もある。僕はパンを焼いた。母親が買ってきていたのであろう6枚切りの食パンにブルーベリーのジャムを塗りたくった。何となくコーヒーも入れようと思い、ポットでお湯を沸かし、クルクルと注ぐ。
サクサクのパンとブルーベリーの甘さがたまらなく美味しかった。多分ブルーベリーの青さがそうさせている。僕の視界はずっと白黒だったから。
コーヒーは黒くて苦い、でもパンには合った。コーヒーの優しさに気づいた僕は、勢いのまま友人にラインを送ってみた。
「お疲れ。今日飲まない?」
となると、このままでは怪異だ。僕は髪を切らなければならない。僕は、父親から貰ったポーチに財布と2年間読みかけの文庫本いれた。
さて、準備完了だ。多分このときの僕は一般の人間と比べると不快で、不清潔でだったと思うけど僕なりに身なりは整えていた。
靴箱から自分の靴を取り出すと、数年越しに仕事を貰えた靴が生き返るようにホコリを散らした。パンパンとホコリを払うとシャープなロゴがカッコいい。
玄関の扉に手をかけるが扉が開かない。押しても引いてもビクともしない。怖いから?違う、鍵がかかっていただけだった。
僕は扉を開けた。
「「「うおおおおおおおおおお!!!!!」」」
外のエネルギーはとてつもなく、ずっと家にいた僕は打ちのめされた。しかし、このエネルギーと僕は戦うんじゃない、夏と一つになるんだ。
僕も夏になる為に、少し激しめに靴をトントンした。
近所の遊歩道を目指して歩いていると、犬のウンチを片付ける老人と、ウンチなんかしてませんよ?みたいな顔でリードを引っ張る柴犬が格闘していた。
俺も負けてらんねえな。と思い負けじと僕も住居の庭から伸びている葉っぱを千切り対抗する。
しばらく歩いていても猫ちゃんの姿はなかった。自販機でコーラを買い、公園のベンチで飲みながら上を見上げた。久々の木漏れ日は、白熱電球の明かりしか浴びていなかった僕にとっては気持ちの良いものだったけど、「木陰ってこんなに暑かったっけ。」と呟くほどには暑かった。
公園の時計を見てみると7時半をさしていた。30分ぐらいしか外には出ていなかったし、猫を見つけることもできなければ、美容室に行くことも、文庫本を読むことすら出来なかったけど、下手くそな時間割りでも外に出られただけで僕の一日は輝いた。
空き缶をゴミ箱に捨てるとカランと良い音が鳴った事に、いや、この散歩の間に起きた事象全てに感慨深くなる。最早そこにこそ生きる意味を見出していた。
Tシャツがベトベトになる事を、不快と思わず、シャワーを浴びる理由と考えるだけで人生が楽しかった。
そんなことを考えながら、僕は帰宅した。
早速Tシャツとジーンズを洗濯槽にいれる。夏にジーンズは無かったなと今になって思いながら、ほぼ冷水のシャワーを浴びる。ガシャガシャと頭を洗っていると、耳の裏からでっかい皮脂みたいなのが取れて自身の不清潔さにゾッとした。
体を泡で洗っていくと、風呂場の温度で体が温まっていくのを感じ、再び冷水シャワーで体を流した。
ほぼ震えながら体を拭く。下着の棚には僕の物もあり、僕の部屋着も入っていた。当たり前なんだけど、僕は家族と4人で暮らしていたんだ。
コップに氷を3粒落とし、麦茶を入れて飲む。TVをつけるとニュースがやっていて、今は新型ウイルスによる未曾有の事態の只中にいるという事を思い出した。そういえば、外出している人はみんなマスクをしていた。自分が引きこもっている間に時代が変わってしまったんだな。と思った。
タイムスリップ開けのテレビは新鮮で、食い入る様に見ていると、母親の寝室の扉が開く音がした。コツコツと階段を下ってくる。いつもなら刑務所の看守に怯えるように息を潜めるが、驚く事にリビングのドアが開いたとき僕は、「うぃー!おはよ!」と気持ちの良い挨拶をかましていた。