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はてなキーワード: バルト三国とは

2021-07-23

恐ろしく誤解されてるホロコースト犠牲者数について

anond:20210720153943

その割には、アウシュヴィッツで死んだユダヤ人の数は、600万人から300万人に減らされ、今はドイツ国公式見解100万人ということになっているが、その実態10万人である

なぜ600万という途方もない数字が出たのか回答していただけないだろうか?

 

強烈に誤解されることの多いホロコーストにおけるユダヤ人虐殺数。

 

600万人と言う数字にどうしても目が行ってしまうため、その途方もない数字に信じ難いと言う気持ちが起きるのでしょう。ちなみに、「アウシュヴィッツで死んだユダヤ人の数は、600万人から300万人に減らされ」や、「ドイツ国公式見解(何それ?)100万人」だとか実態が「10万」なんてどこから出てきたのか知りたいところですが、まぁそれはいいでしょう。一応全部間違いです、そんなの聞いたことありません。

 

先に、私は研究家でもなんでもなく、本やら様々なネット情報海外サイトが主)を色々と調べ回っただけの知識しかないと断っておきます

 

どうやって600万人と言う数字が出てきたのか。

これはまず、ナチスドイツ内でアイヒマンが語っていたとされる数字として、ニュルンベルク裁判である親衛隊将校が語りました。それによると「収容所で400万人、それ以外で200万人」という数です。これが最初に出た600万人ですが、実は別にニュルンベルク裁判では判決で触れられているだけで、別に認定などされていません。また、ニュルンベルク裁判起訴状に「570万人のユダヤ人ヨーロッパから消えそのほとんどがナチスに殺された」なる文言がありますが、これもまた別に認定などされていません。

 

そして、裁判以外で、1950年から人口統計学者によって600万人や550万人以上のユダヤ人人口が失われていると計算されるようになります。で、今度は歴史家ジェラルドライトリンガーの方から反ユダヤ主義意識して」極力最低限の数字計算し419〜458万人という数字を弾き出します。以降、有名な『ヨーロッパユダヤ人絶滅』の著者であるラウルヒルバーグが1961年に510万人という数字を弾き出しました。

以降様々な研究者が発表してきましたが、概ねの間違いない数字としてはユダヤ人600万人説が変わったことは実際一度もありません。以上のように、例えば「ニュルンベルク裁判勝手に決められた数字であるとか、「イスラエル公式数字である」とかは全然違うわけです。おそらく適当数字は一つも無く、近年は非常に膨大な資料を用いて推計しているようです。

 

ではあのアウシュビッツは? というところですが、アウシュヴィッツについては最初は基本、二つの数字からまります。何故二つあるかというと、その出所が違うのです。一つは、よく言われる400万人説です。これはソ連の0018-USSRと呼ばれる戦争犯罪調査委員会報告書1945年5月)です。ここに、400万人という数字が登場しますが、この数字報告書上は火葬能力からの推計値と書かれていますが、それはあり得ないと言われています火葬能力があり得ないのではなく、火葬能力で推計値を出すということ自体があり得ないわけです。問題は実際に殺した人数だからです。では一体どこから400万人説が実際に出てきたかというと、それはおそらく火葬場で働いていたユダヤ人ゾンダーコマンド生存者の証言です。その中に400万人説が出てくるのです。おそらくソ連はそれを聞いて、火葬能力など何も調べずそれっぽく推定たかのように書いたのではないかと思われますしかし、奴隷労働をしていたゾンダーコマンドが正確な数字を知るはずもなく、単に囚人同士で噂話のように推計していただけの数だと思われます

 

ところが、1946年3月に、逃亡していたアウシュヴィッツ司令官だったルドルフ・ヘス逮捕されます。ヘスはニュルンベルク裁判証人になったとき証言で「250万人を殺害し、50万人は病死餓死でなくなった」と証言したのです。ところがこの250万人という数字は実際にはヘスが現場で知った数字ではなく、アイヒマンに教えてもらった数字だと答えています。何故なら、犠牲者数の数を記録することを許可されていなかったのです。ただしヘスは司令官なので、それなりに犠牲者数の実感は持っていたようで、250万人は多すぎると自伝に書いています

 

なので、アウシュヴィッツ犠牲者数は、最初はこの250〜400万人説からスタートしたのです。が、実際にはすぐにこれは多すぎるとわかっていました。何故ならば、研究者によると、アウシュヴィッツへの囚人移送記録が出発駅や経由駅などにたくさん残っているので、それをもとに計算すると、いくらなんでもそんなに大勢ユダヤ人移送されたはずがないことが明らかだったそうです。それで、前述したライトリンガーなどは80〜90万人だろうとし、ヒルバーグは100万人とします。で、現在数字は、アウシュヴィッツビルケナウ博物館主席研究員であったフランシスゼク・ピーパー博士による研究成果として、110万人(ユダヤ人以外も含めて150万人)の犠牲者が出たとされているのです。

 

以上の通りなので、例えば「以前はアウシュヴィッツ公式プレートは400万人だったのに今では110万、なのに何故トータル600万人が変わらないのか?」が誤解であることはお分かりいただけるかと思いますそもそも600万人の数字計算の中に400万人説は含まれていないからです。

 

それ以外の収容所犠牲者数の細かい計算方法は存じておりませんが、最もわかりにくいのがソ連ウクライナバルト三国など)でのいわゆるアインザッツグルペン、移動虐殺部隊を主体とした現地殺害による虐殺数で、広い範囲でたくさんの場所で細かな殺害が行われたため、いまだによくわかっていないそうです。概ねの数字で言えば100万人から200万人の間だろうとされてはいます

 

さて、もちろんこんな数字修正主義者達は全く否定しております。はっきりした数を言わないのが修正主義者で、ないとも言っていません。修正主義者達は、人口調査すら自分達でした気配もありません。たまに適当なことを言って「600万人などあり得ない!」と主張するに留まります。でも、大勢ユダヤ人移送されたことは認めているのです。で、どっかに殺されずに消えたんだと。私には修正主義者が何を言っているのか意味がわかりません。修正主義者は、例えばアウシュビッツであるとか、トレブリンカ・ソビボル・ベウジェツなどのいわゆる絶滅収容所絶滅収容所とは認めず、「通過収容所」と読んでおり、そこまで移送されたことは認めるのに、その通過収容所から先を言いません。言ったとしても「ミンスク1000人移送されたことはわかっているから通過収容所であることは間違いない」であるとか、その程度です。実はこのことが、修正主義者の最大の問題であり、修正主義者達はこの件の答えを常に誤魔化していますが、絶対にはっきりしたことはいいません。もちろん一般歴史家は全員が「虐殺された」です。

 

ともかく、それら犠牲者数の数字は、色々な人たちが様々な資料検討した上で推計した数字であって、別に適当数字を言っているわけではありません。中にはよくわからない計算方法で算出している人もいるかもしれませんが、一般に言われている数字は全て研究者達が推計した数字です。ですから別に誰も数字を盛ったりしていることもありません。

なお、最新のユダヤ人人口統計でさえも、ユダヤ人人口数は第二次世界大戦中の最大値を回復しておりません。ともあれ、戦後様々な推計結果はあったとはいえ、概ね600万人という数字は一度も変わったことはなく、最近でもそれはありません(リビジョニスト達はしょっちゅう「600万人説は既に信じられていない」だとかのデマをばら撒いていますがね)。実は、ユダヤ人人口を把握している元は、ユダヤ人教会みたいなシナゴーグなのです。シナゴーグなしにはユダヤ教はあり得ないので、シナゴーグ管理しているユダヤ人数を集計すれば自ずとユダヤ人の数はわかるのです。もちろん近代的には国勢調査で把握される宗教人口もありますが、昔は主にシナゴーグ集計を使っていたようです。ですから戦前などの場合は、ユダヤ人協会に聞けばわかったので、ナチスもそれを元に殺すべき人数を知っていたわけです。

  

以上簡単ですが、おわかりいただけたでしょうか。それでは失礼いたします。

2021-03-06

バルト三国てバトルしてそう

三国志やってるのかな

anond:20210306211523

どの国に住んでて自殺率高いと言うのか

バルト三国は高い傾向にあるけど北欧はそこそこだよ

メシマズは実際住んでみないとなんとも言えん

2020-12-24

anond:20201224133521

アメリカヨーロッパヨーロッパの中でもバルト三国あたりと北欧やらフランスドイツあたりとじゃだいぶ文化が違うけどさ。

そのどこにも日本のように無言で同調圧力かけてネットでだけウダウダ言ってるような国はねーよ。

どうせネット受け売り知識しかないんだろうけど。

2020-10-24

anond:20201023222425

"第二波で感染者数が著しく増える一方、死亡者数は第一波より明らかに少ない"、という

西欧日本カナダ(米国)型の他を、

元増田では「さまざまなパターンがある」とまとめているが、もうひとつタイプがあることが認識できた。

それは、

"他の国々の第一波の時期に感染ほとんどなかったかまたはごく小さな第一波で、第二波の時期に感染者数の著しい増大と、それに比例するように死者数が増えている"というものだ。

バルト三国バルカン半島中欧の国が含まれる。

2020-01-17



特攻無能指揮官による犬死ってところだけ言えば良かったのにね

真珠湾に奇襲してちょっとの期間暴れまくって有利な講和条件を探るって戦略と、特攻戦術価値をごっちゃにしないで

2019-11-20

クイズを作るとして

三択クイズを作るとして、「エストニア首都は?」という問題選択肢

エストニア都市を3つ並べる ⇒ 作り方がヘタ

バルト三国首都を3つ並べる ⇒ 上手

だなぁ、ってふと思った。

理由を考えたんだけど、多分日本人エストニア首都を知っている人はいても、都市を3つ知っている人はいいからなんだろうね。都市を3つ並べても、消去法で正解できちゃう

ただ、バルト三国首都を並べたら、首都を知っている人でも「あれ?どの首都がどの国だっけ?」ってなる可能性がある。

2018-03-24

https://anond.hatelabo.jp/20180324010745

地方のどうしょうもない労働力不足を「外国人技能実習制度」によって救ってくれたところ。二面性のある偽善制度だけど、これで救われた経営者はまともに足を向けて眠れない。これがまず一番。

株価民主党政権から一気に倍にして、年金資産運用を安定化してくれたこ

雇用を増やしてくれて、無職若者を減らしてくれたこと。民主党時代高校大学卒業した人は多分二度と野党投票しないと思う。

原発問題収束させてくれたこと。事故責任取らずに逃亡して打算的な反原発運動にかまけてる菅は許さん。

民主党時代に行き詰まった日中関係改善して、たくさんの観光客日本に呼んでくれたこと。当時、尖閣問題中国内の資産を焼き討ち・取り壊しにあって困窮した多くの日本企業を救ってくれた。

・安定政権に安住せずに世界中外遊して日本存在感を高めてくれたこと。中央ヨーロッパから中央アジアにかけての日本存在感は確実に高まった。(嘘だと思うならバルト三国とか中央アジアとかのマイナー国で大学訪問したりIngressとかのゲームイベント参加して若者と話すと分かるよ・・・

インドインフラ支援をしてアジア大陸における中国の過剰な台頭の歯止めのきっかけを作ってくれたこと。

長期政権になってもちっとも腐敗とかの雰囲気が顔に出ず、テレビ映りが良い(本当にやってないかはともかく)。石破さんには申し訳ないけど「人相」が首相外相の器じゃない。あの顔が海外テレビ日本政治家として映るのは正直悪夢だ。

・とにかく、代わりになる人が思い浮かばないのでこのままずるずると長期政権が続いても仕方ないとしか言えない。アベ政治を許さないという人は誰政治ならいいのかとにかく示してくれ。

・すごい危機感あるのは、いざ首相を辞めざる得ない時の代わりに思い浮かぶ人が出てこない。今後は後継者の育成に専念してくれー!!!

・もちろん、今の政治にも人口過疎化問題農業漁業問題シラスウナギ問題は実は地方利権問題根深い)、高齢者医療費支出増大問題、それに伴う科研費の削減と日本科学技術国としての地位低下、ブラック企業問題、色々不満あるんだけど、そういう一般国民に切実な問題野党も全部頬かむりしてどうでもいい土地問題とかしか国会で取り上げないの超ムカつく。

・というか、自分の親も含め、今の野党を支持する高齢者の方が自分には信じられない。とはいえ、親と話して分かるのは高度経済成長期の成功体験が体に染み付いていると今の日本はもどかしく感じるのだろうということ。

投票秘密は誰でもあると思うが、政治家族議論するのはいいと思う。若者はぜひ親を説得して、支持政党野党から鞍替えさせてくれ。一旦、野党殲滅して、自民党を分裂させてまっとうな議論国会でできる新しい日本を作ろう!

2018-01-16

ICAN事務局長来日・面会要請安倍首相歴訪に関する時系列まとめ

時系列

2017年
12月14日 エストニア含めたバルト三国など歴訪予定。『1月中旬に1週間の日程で調整』 ※1
12月19日 エストニアなど欧州6カ国を歴訪予定。『1月12~18日の日程を軸で調整』 ※2
12月22日 ICANから安倍首相へ面会要請(1回目) ※3

2018年
1月5日 安倍首相東欧6カ国を歴訪正式決定。『1月1217日の日程』 ※4 ※5
1月8日 ICANから安倍首相へ面会要請(2回目) ※3
1月12日 11時5分 羽田空港より政府専用機にて安倍首相 外遊出発 ※6
1月12日 ICAN フィン氏来日 ※7
(中略)
1月14日 ピースボートによると外務省よりICANへ面会不可連絡受けたことが判明(連絡日時は不明)
1月16日 ICAN フィン氏 東京滞在 ※8

1月17日 ICAN フィン氏 東京滞在 ※8
1月17日 午後4時 安倍首相帰国予定 ※3
(詳細)
 + 午後4時9分 安倍首相 羽田空港帰国
 + 午後4時43分 安倍首相 皇居着。帰国の記帳。同51分、皇居発
 + 午後5時2分 東京二番町表千家東京稽古場にて初釜式出席、会食。
 + 午後7時13分 東京富ケ谷 私邸着

1月18日 昼過ぎ ICAN フィン氏 日本出国 ※3 
1月18日 安倍首相オーストラリア首相会談、夕食会 ※9
(詳細)
 + 午前9時38分 私邸発
 + 午前9時55分 東京市谷本村町 防衛省着。
 + 午前10時8分 オーストラリア ターンブル首相陸上自衛隊ヘリコプター市谷本村町 防衛省発
 * 午前11時18分 羽田空港にてICAN事務局長フィン氏
※URL貼り付け制限のためか貼れない…詳細は首相動静Twitterなどより


※1 - 安倍首相エストニア訪問来年1月中旬で調整(毎日) https://mainichi.jp/articles/20171214/k00/00m/010/190000c
※2 - 安倍晋三首相、1月12日からバルト三国など初訪問 対北朝鮮で協力要請(産経) http://www.sankei.com/politics/news/171220/plt1712200010-n1.html
※3 - 「日程合わず」と面会拒絶 安倍首相ICAN門前払い”の狙い(日刊ゲンダイ) https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/221303
※4 - 安倍首相東欧歴訪を正式表明=12日から(時事) https://www.jiji.com/jc/article?k=2018010500639&g=prk
※5 - 平成30年1月10日(水)午後 | 官房長官記者会見(首相官邸) https://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201801/10_p.html
※6 - 首相動静―1月12日(朝日) https://www.asahi.com/articles/ASL1D5VJLL1DUTFK00Y.html
※7 - ICAN事務局長が初来日 「日本は核禁条約参加を」(共同) https://this.kiji.is/324485393523901537?c=110564226228225532
※8 - ベアトリス・フィンICAN事務局長来日します(ピースボート) http://peaceboat.org/22104.html
※9 - ターンブル・オーストラリア連邦首相訪日(外務省) http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_005508.html 

東京滞在中に会える時間

1月17日 夕方以降
 ⇒7/1111/15の外遊帰国後は皇居に訪れ、帰国の記帳をおこなう(9/15北朝鮮ミサイル発射後の帰国時はなかった)
 ⇒裏千家初釜式」は4日間で政財界文化関係者、各国の大使ら2300人が出席される毎年恒例行事
 ⇒外遊した後の夜に空きはあるにはある
1月18日 午前中
 ⇒オーストラリア首相との会談のため、ほぼ無し

個人的感想

ICANの面会要請は日程がほぼ確定後に要請しており、後出し要請している様に思われる。
東京滞在時に会える時間帯は殆どない。
外遊帰国後の17日夜に時間はあるが、帰国した後に休みを取らず翌日の首脳会談に備えるべきなのか?
現実的にはかなりタイトスケジュールとなっており、厳しい
・フィン氏には日本国外務省代表として佐藤外務副大臣が会っている

備考(ICANへの日本からの参加団体)

ピースボート

ヒューマンライツ・ナウ

平和首長会議(広島市)

核戦争防止国際医師会議日本支部(広島市)

反核医師の会

創価学会インタナショナル

・Project NOW!

なんか今日ツイッターでやたらとバルト三国叩きを見るなあと思ったら

エストニアの発展した技術がすごくてどうこうっていう記事話題になってるってのも流れてきて察しだった

2017-11-16

anond:20171116103424

北欧だかバルト三国のどれだったか忘れたけど

AI政治の一部任せる実験やってたような

それで公的機関の人手減らしてたはずだし

2016-04-28

移民を受け入れるということ

頃日本でも移民受け入れについての議論がみられるようになってきましたね。

私は基本的には移民政策には賛成です、でも移民を単なる労働力と捉えては失敗すると思います

10年ほどヨーロッパ某国に住んで様々な移民難民と同じ社会暮らしてきた体験を少し。

私自身がヨーロッパ某国移住したばかりで語学コースに通っていた頃のおはなし。

語学コースクラスメイトにはタイフィリピン出身女性移民が多くおりました。

彼女たちの配偶者某国のかなり年上の男性です。

当時何も知らなかった私は無邪気に「わあ、国際結婚なんだね!どこで旦那様と知り合ったの~?」なんて尋ねてしまいました。

実は彼女たちの多くはあっせん業者を介して嫁にやってきた女性だったのです。

「愛はないがより良い生活のために嫁にきた。」「本国の子供や両親に仕送りするために嫁にきた。」

「夫を愛してないけどセックスしないと本国への送金を止められるので泥酔して夫と寝る」

などと答えられて言葉を失ってしまいました。

アジア人という見た目だけで私もそのような女性たちと同じ目で見られ通りすがり

売女」などとののしられることもありましたが、

日本人だと言い返すと手のひらを返すように謝られることも多々ありました。

このように敬意を払われるような行動をしてきてくれた日本人の諸先輩方へは感謝でいっぱいです。

また、同じ語学コースに中途からやってきた20代女性

授業中前を向いてにこにこしながら座っているだけでメモを取ることもなければ配られるプリントに目を通すこともありません。

その国の言語はもちろん、英語も全く話さな彼女コソボから移民でした。

その当時コソボは長い紛争ののちに独立するかしないかの頃。

かろうじて単語単語ロシア語理解するということがわかり、ロシア人クラスメイト交流を試みたところ、

このコソボ人の彼女本国でまともな教育を受けておらず読み書きができないということでした。

読み書きができないということはせっかく難民申請が認められて語学勉強する機会を与えられても、

勉強をするすべがないということに等しいです。

某国福祉の発達した国だったので国の制定するフルタイム語学コースに通うだけで補助金がもらえる仕組みがあり、

どうも彼女は誰かに入れ知恵されてその補助金のために一日中何もせずに座っていたようです。

これらの経験から移民難民というのは性質の違うものなのだとよくわかりました。

また、難民といえばわたし某国にて公共の場で見るソマリアの子供たちが男の子ばかりなのを最初は疑問にも思いませんでした。

ソマリアで長く紛争が続いており無政府状態なのは知っていましたが、彼らの宗教文化について全く知らなかったのです。

彼らの多くはムスリム教徒で私には理解できないほど女性蔑視されます

ソマリア女性に対して現在でも性性器切除(FGM)が行われているという話を聞いたとき吐き気しました。

某国でのソマリア男性の多くは失業して国の手当で暮らしているので、

大人ソマリア男性が町でやることもなくたむろっている姿をよく見かけました。

無害でしたがそれでも傍を通るときは緊張したのは確かです。

最近ではシリア難民の受け入れの体制づくりが素晴らしくて印象深いです。

某国でもドイツなどに比べたら微々たるものですがシリア難民の受け入れが決定され、

各自治体で何家族かずつ受け入れることになりました。

私の当時いた自治体ではまず住む家を用意し、大人に対しては語学コース職業訓練の準備、

子供たちにたいしては学校側でアラビア語通訳内戦PTSD配慮した医療体制を準備して受け入れに備えていました。

某国移民として多かったのはヨーロッパでも貧しい国の人々(バルト三国東欧、旧ロシア圏の人々)でしたが、

中には家族を置いて出稼ぎに来ている人もいましたが、彼らの多くは家族連れで移民してきて、

生活の礎を某国で築いている場合が多かったです。

工場肉体労働などブルーカラー職業に携わる人が多かった印象です。

たくましいのは中国人ベトナム人といったアジア人トルコ人モロッコ人といったヨーロッパより中近東出身の人々。

彼らの多くは若いうちに単体でやってきて、親戚の経営する飲食店などで働いています

そのうちに自分でもビジネスを起こしたり、現地で配偶者を見つけたりしてその国に定着していきます

こういうバイタリティって日本人にはあまりないのでへ~と感心することも。

ヨーロッパ全体そうなんですが、某国の景気もここ数年悪く失業率が上がっているので移民難民に対する風当たりはかなり強まっています

極右的思想を持つ人の声が大きくなっていますが、そういう人たちは農民ブルーカラー労働者層に多いのですね。

外国人サポートする前に自分たちサポートしてほしいという主張が高じて難民移民排除ということになるんですが、

要はミゼラブルな自分境遇を誰かのせいにしたい人たちです。

話が散漫になりましたが、住む場所教育仕事など社会の一員として受け入れる態勢があって初めて、

移民難民を受け入れることができるということがいえるという話です。

また、その準備がこちらにあっても様々な宗教文化背景を持った移民いるから、

必ずしもお互いの望む形で社会に定着していけるとは限らないということも言えます

今の日本では移民を受け入れる準備ができているとは言い難いですが…

高齢化少子化社会なのでいずれは受け入れざるを得なくなっていくのかなあと思いますので

その日に向けてもっと社会議論できたらいいなと思います

2015-12-01

先週現地の人に聞いた、今回のミャンマー選挙の見かたが180度変わった

昨日まで1週間ほどミャンマー旅行に行っていました。

その際、アンチ・アウン=サン=スーチーさんなミャンマーの方とたまたま1時間ほど話す事ができました。運よく連絡先もゲット。

勉強不足だということが主な原因ですが

いままでニュースで聞いた話しとはガラッと異なる内容で興味深かったので下記、まとめてみました。

長いですが、よければお付き合いください。

また、事実かどうかは不明ですが、ひとつひとつ調べていると遅くなるので、とりあえずは記載

事実と異なる場合は随時加筆したいと思います。聞いた話を書いているので「~とのことです」が多いのはご勘弁ください。

なお、投稿者コメントは#を文頭つけます。

2011年以降のミャンマーでは民主化への大規模な転換を行っていた。

2011年ミャンマーでは市民に対して友好的な派閥軍部政権を取った後、

政府の主導で緩やかに民主化の道をたどってきているので

今回の選挙もそれほど大さわぎするほどの話しではない、また、同じ理由国内の混乱は少ないとのことでした。

今では思想弾圧も無く、携帯電話や車の購入も解禁され、ワイロでの不法移民入国は鳴りを潜め、

ダム建設など国家事業の是非も国民意見を取り入れる良い政府になったそうです。

当初から2020年までの大規模な民主化計画が練られているとのことでした。

#確かに、特にヤンゴン市内では乗用車比較的新しいものが多く走っており、ラッシュ時にはひどい渋滞になっていた。バストラックボロボロのものが多かった。

#また、観光地バガンでは貧困層と思われる観光用の馬車の御者ですら携帯電話で連絡を取り合っていた。

アウン=サン=スーチーさんにはけっこうでかい影があった。

その方の話しでは、アウン=サン=スーチーさんの元カレイスラム教彼女思想的に親イスラムなので、

バングラデシュから移民ロヒンギャ族市民権を与えるのではないか、とのことでした。

やはり今回の選挙ロヒンギャ票も彼女に集まったそうです。

なので、今回の選挙の結果は生粋ミャンマー人としては本来ならあまり歓迎できる話しではないそうです。

それを知っている人は少ないそうですが。

また、彼女の父はイギリスから独立するために戦ったのに、彼女自身イギリス人結婚した事にも、不信感を持っているそうです。

ロヒンギャ族ミャンマーへの流入と、今回の選挙結果で、ミャンマーピンチになる気がする。

ロヒンギャ族は、バングラデシュから2011年より前の腐敗した軍へのワイロでミャンマーに流入し、

現在西部ラカイン州で、人口の80%を占めるまでになったそうです。

これに付随して、結婚などで地元住民が無理やりイスラム教改宗される問題も発生していまい、

熱心な仏教徒の多いミャンマーでは、大きな問題となっています

また、元々130以上の少数民族がいるミャンマーでは、それぞれの民族独立自治を目指しており

そこにロヒンギャ族問題が加わったため、状態さら悪化の一途をたどっているとの事でした。

ソビエトロシアに変わった途端にバルト三国などが独立し、国土が狭くなった事を例にして、ミャンマーでも今後同じ事が起こると話しています

しかも、ミャンマー小国で、アウン=サン=スーチーさんは親欧米派のため、

これまで以上に中国からの風当たりが強くなるのではないか、とのことです。

いままでの軍事政権中国と仲が良かったため、この危機を防いでいました。

お話をしてくれた方がアウン=サン=スーチーさんに投票した人たちになぜ投票したのか聞くと

彼女ミャンマーを変える!」という答えが返ってくるそうです。

しかし「どう変えると思うの?」と聞いても

「分からない。でも彼女は変える!」としか答えられない、と嘆いていました。

#観光地では平日路上仕事をしている子供も多く、国内教育の水準が低いことが一因かもしれません。


以上です。お話を聞いて、とても興奮し、より多くの方とこの知識と共有せねばと思い、こちらに投稿いたしました。

ちなみにこの方、軍の方でもなく、市井一般的商売をしているミャンマー人の方です。英語で会話しました。

私のつたない英語で聞いた話しなので、上記が誤っている場合は、私の英語力の無さが主な原因な気もします。。

現在ミャンマー政治は腐敗している、アウン=サン=スーチーさんがそれを変える、となぜか確信していた自分を恥ずかしく思います

ちなみに観光地としてのミャンマーは実感としては、高速道路が無く、舗装された道が少なく、電気・ガスがあまり通っていないため不便ですが

ものを落としても追いかけて渡してくれるくらい安全敬虔仏教徒が多いためか穏やかな気質の方が多く、西洋人観光客でごった返している、という感じでした。

30年くらい前は日本人だらけだったそうです。。「ビルマの竪琴」の影響か?

なお、はてなダイアリーには今回初めて投稿しました。調べながら頑張って書いてみましたが、見づらい、間違っている点などありましたら申し訳ありません。お知らせください。


=========================

2015/12/2 7:30ごろ追記

コメントたくさん来てた。トラックバックも。ありがとうございます。じっくり読ませていただきました。QAすごい。。。

厳しいご意見が多いので反省ばかりです。皆様のおっしゃるとおり、今までそこまで関心はなく、ニュースも触りだけ読んできました。

1. 匿名ダイアリー間違ってましたか。ふらふら来て書いてみたのですが、ちょっと浅はかでした。匿名ダイアリー内の空気読めてなくて、すみません

ふつうはてなダイアリーが正しいのかしら。もし、そちらが正しいようでしたら、そちらに転載いたします。自分で調べろカスって言われそうですが。

2. セルビア、ご指摘ありがとうございます。これは完全な記憶違いでした、申し訳ありません。上記、バルト三国、と記載を改めました。

3. 360度変わった方々:煽りっぽいタイトルで期待させてすみませんタイトルを「変わる」ではなく「変わった」にしました。

   ちなみに、日本国内では360度変わる感じで報道されていることが多い印象ですか?

   NHK特集リンク、読みました。そういう報道もあるにはあるが、こちらの立場なのは、少数派のような気はします。

2014-12-28

うどん県から上京して驚いたこ

大卒でも四国四県を全部言えない人が結構いる

4つしかないのになんでなの

どこか遠い国の外人日本韓国朝鮮区別つかないのもこんな感じなんだろうか、そういえば俺もバルト三国あたりわからん

2012-11-14

一方ドイツ機械歩兵を用意した

第二次世界大戦で、機動戦の支援のために械化歩兵っていう兵種をドイツ軍隊組み込みはじめたことで憤死した国家があったらしい。

ちょっと前にあった、ポーランドドイツ不可侵みたいな内容の条約も、こんな状態なら確かに……、と思った。

たぶん10年経たないうちに各国が真似したんだけど。

それはそうと械化歩兵だけど、あんなん出してくるドイツとかやばいだろ。(科学技術を誇るイスラエル軍なんて第4次中東戦争でようやく気付いたんだぞ)

ドイツ科学力は世界一ィィィ」うんぬんではなく、MBT主力戦車、いわゆる戦車)が効果を発揮するポイントを押さえまくってて小憎たらしいわ。なぜみんな(ミリヲタじゃない人)そこに気付かない。問題のサムゲタンはどうでもいいけどこの国確実に戦争慣れしてるぞ。

サロンオヤジリデルハート)とか、フラーがよく話してたんだけど、歩兵工兵の混成で良バランス、接近戦の支援も得られて、索敵能力たっぷりで非常に良い感じの機甲師団編成なんだそうな。

自分勉強のためにAFV(戦車とか装甲車とかまとめたもの模型雑誌も読んでるのだけど、最近APC(兵員輸送に特化したAFV)はかなり戦車たかい扱い。

まりにお洒落なかんじでインド列車みたいに戦車歩兵乗せてたソ連にはとても手が出ない。

一方、枢軸国ドイツ国家社会主義で何か民族主義的に思うことはあるみたいだけど、バトル・オブ・ブリテン後のバルバロッサ作戦でぐだぐだのソ連国境付近の中、ひとりゲルマンじるしの機械歩兵を編成してきてバルト三国をぶん殴っていた。

当時のドイツは思想的には不合理なまでに右っぽいんだけど、打撃力(と随伴支援)が必要そうなら超合理主義で喜んで発明してくる。

結果、機甲師団戦車力アップで最強陸軍としての地位をゆるがなくしていた。

いか第二次世界大戦で侵攻してきたドイツはたぶんこういうやつだ。

2010-08-28

プーチン語録

テロリストは便所に追い詰めて肥溜めにぶち込んでやる」(1999年チェチェン武装勢力に関して)

ソ連が恋しくない者には心(心臓)がない。ソ連に戻りたい者には脳がない」(2000年

日本は、不倫近親相姦を題材とした小説紙幣印刷して流通させるほど社会堕落したのか」(2000年7月沖縄サミット日本首相森喜朗が二千円紙幣を各国首脳に配布した時に)

「あれは沈んだ」(2000年9月ロシア原子力潜水艦クルスクが沈み、乗員118人が死亡した事件について)

「我々の敵はテロリストでなく、ジャーナリストだ」(2001年5月

「もしあなたがイスラム過激派になりたくて割礼が必要ならモスクワに招待する」 (2002年11月、「チェチェン住民を抹殺しようというのか」というフランス記者の質問に対して)

「(地球温暖化のおかげで)毛皮のコートを買う金も節約できる」(2003年9月、気候変動会議の開幕式で)

国歌演奏中は行儀良くするように。歌詞を知らないなら、せめてガムを噛むなと選手に伝えて欲しい」(2004年6月サッカー欧州選手権ロシアスペイン戦開始前の国歌斉唱で)

「謝罪は1回すれば十分だ」(2005年5月第二次世界大戦の際にソ連ドイツ密約を交わしソ連バルト三国併合を取り決めたことに対して)

バルト三国ロシアの小銭」(2005年5月ソ連によるバルト三国支配への批判に対して)

「かわいくてついやってしまった」(2006年7月クレムリン宮殿中庭少年シャツをめくって腹にキスするというスキャンダルを起こす。後にこう釈明)

中世のように、汚職する公務員は手を切り落としてしまえばいい」(2008年3月ロシア国内汚職の横行に関して)

医者を送り込んで始末しなければならない」(2008年7月ロシア石炭大手企業であるメチェル社によるダンピング脱税疑惑に関して)

「睾丸を縛ってつるし上げてやる」(2008年8月南オセチア紛争の際、グルジア大統領ミヘイル・サアカシュヴィリへ向けて)

2009-09-19

中国分裂 七つの理由

< 宮崎正弘近刊 >

中国分裂 七つの理由』(阪急コミュニケーションズ、1680円)

本日 全国主書店一斉発売

中国近未来をいま一度考えてみると、これまでの固定概念的な地方軍閥地域対立、王朝の腐敗、衰退という文脈から分裂に至るというシナリオは遠のき、むしろ現代中国に拡がった新しい空間、すなわちネットにおける反政府言論というゲリラ戦争、イスラム思想連帯という見えない武装戦争利権争いの集大成としての個別経済ブロック化、他方ではグローバル化に波に乗った資産海外逃亡などが次の舞台の開幕を告げるであろう」(あとがきより)。

「つねに未来リスクに満ちていると仮定すれば、わたし達は日常的に危機に対応するシナリオを幾通りも用意しておく必要があるだろう。賢者は最悪に備えるという箴言もあるように、中国が分裂しないという保障は何処にも存在しないのである」。

米国英国も分裂気味なうえ、カナダも恒にフランス語圏の分離独立運動を抱えている。イラクにはクルド独立運動グルジアにはオセチアアブハジアという「国内国」との紛争、スペインにもバスク独立運動。。。。。。。。。」

フランス人口学者エマニエル・トッドは1976年にソ連の崩壊を予測した。当時、だれも彼の予測に耳を傾けなかった。あり得ないと踏んで、その仮説を嗤った。

ソ連を構成していた十五の共和国のうち、バルト三国ラトビアエストニアリトアニア)はすぐに西側に飛び込み、カフカスグルジアモルドバアゼルバイジャンモスクワ離れが激しく、そして”スラブ三兄弟”といわれたウクライナ、ベラルースモスクワと袂をわかった。この趨勢をみていたイスラム中央アジア五ヶ国も便乗して独立した。カザフスタントルクメニスタンウズベキスタンキルギスタジキスタンだ」。

この事態は中国未来の分裂を予測させる。

「そもそもチベット、新彊ウィグル自治区内蒙古自治区、旧満州はそれぞれが独自の歴史をもつ漢族とは異なる国家だ」。

「チトー大統領の強引な手腕で「国家」を形成したユーゴスラビア連邦は重圧な桎梏が消えると血なまぐさい殺戮を開始し、北からスロベニアクロアチアがさっさとセルビアに反旗を翻し、ボスニアヘルツェゴビナとの紛争に手間取る間にモンテネグロマケドニア独立セルビア孤立した。加えてコソボ事実上独立宣言をしており、ユーゴは六つの分裂から事実上は七つの分裂国家になる。

この伝でいけば中国が七つ前後に分裂するという議論はまったくおかしくない(本書の仮説は七分裂だか、必ずしも分裂後の中国が七つになるとこだわっているわけではない。五つかも知れないし、或いは十数に大分裂を引き起こすかも知れない)」。

本日発売

中国分裂 七つの理由』(阪急コミュニケーションズ、1680円)

http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%88%86%E8%A3%82-%E4%B8%83%E3%81%A4%E3%81%AE%E7%90%86%E7%94%B1-%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E6%AD%A3%E5%BC%98/dp/4484092344/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1253137807&sr=1-1

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 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

     平成21年(2009年)9月18日(金曜日

2009-06-04

グレートゲームの大激変、米国オバマ政権、闘う前に敗れたり。

イランのガスはパキスタンから中国ルートが確定、米国勢は敗退

▲第一幕 イラン悪魔、でもタリバン交渉相手だった

 

そもそもの新グレートゲームの始まりはクリントン政権のときである。

中東から南アジアにかけての資源争奪戦争冷戦後新しい局面を迎えていた。

ユノカル」は米国石油メジャーの後発企業で、カリフォルニアが地盤、ただし海外に鉱区の開発権を多く抱える。米国内での政治コネクションが薄く、主流のメジャー共和党系が多いため、ユノカル民主党を頼った。

出発からボタンの掛け違いだったかも知れない。

クリントン大統領ホワイトハウスに実習生モニカ・ルインスキーを招き入れ、情事にふけっていた。

後日、大統領弾劾裁判において、「あれは挿入していないからセックスではない」ととてつもない言い逃れの詭弁クリントンは危機を切り抜けた。

そんなおりに遠路はるばるとアフガニスタンから珍客があった。タリバン幹部である。

要件はなにか。

トルクメニスタンのガスを、アフガニスタン経由でパキスタンの港へ運ぶ。総延長1560キロのパイプラインを敷設する。これをユノカルが主導する。

米国を引きつけた魅力の第一は、このルートは「悪魔」のイランを通過しないこと。

第二にロシアを通過しないこと。クリントンは乗った。

ソ連崩壊後、世界帝国の輝きを取り戻したかの錯覚のなかに米国は酔った。

クリントン政権はこのプロジェクトに前向きで、カリフォルニアメジャーユノカル」はトルクメニスタンアフガニスタンを根回しし、それからパキスタンから分岐してインドへも輸出ルートを追加でつなげようとインドを訪問した。

インド工業化を急ぎ、ガスは必需品、プロジェクトに乗ってきた。

これをトルクメニスタンアフガニスタンパキスタンインドの頭文字をとって「TAPI」という。

直後、タリバン系アルカィーダがタンザニアなどの米国大使館を襲撃し数百の犠牲がでた。

クリントンは激怒し、ただちに報復としてインド洋上の米艦からトマホークミサイルを五十発、アフガニスタンのアルカィーダ軍事基地にお見舞いした。

当時、カブールタリバン政権に協力して電話工事をしていたのは、中国企業だった。不発弾トマホーク中国タリバン政府から買った。

もちろん1560キロのパイプラインプロジェクト[TAPI]はご破算になった。

▲第二幕 NATOの勝利が上海シックスを刺激した

01年9月11日、NY貿易センタービルワシントンDCのペンタゴンが、テロリストの奇襲を受けた。ブッシュ大統領はただちにアフガニスタンへの空爆準備に入り、まずはロシアを口説いた。

旧ソ連衛星圏のカザフ、ウズベク、キルギス、タジク上空を通過して爆撃機は飛んだ。

米本土からは長距離爆撃機ウクライナ上空をかすめ、NATOトルコ基地から旧ソ連イスラム国家の上空を飛んだ。

そればかりか世俗イスラム国家となったウズベキスタンキルギスンは空軍基地米軍に貸与し、タジキスタンには訓練基地パキスタンも四つの空軍基地を貸した。

この時点での図式は米軍NATOの大勝利だった。

グレートゲームの変質を知覚していなかった。表面的に米軍の装備が優れていたため、地上戦ゲリラ戦抵抗をかるく想定してしまった。

仇敵ロシアとその配下だった国々がテロ撲滅戦争に協力するという目的米軍NATOの活動を支援したことも見通しを曇らせた。

そしてアフガニスタンに米傀儡のカルザイ政権が発足し、カブールにしか統治が及ばない新生アフガニスタン誕生した。

一応は合法政権ゆえに外交権をもつ。

ユノカルは、「あの話」(TAPI)を復活した。カルザイ政権発足直後にトルクメニスタンアフガニスタンパキスタンの三カ国は、例のパイプライン敷設プロジェクトで正式に合意した。

これを不快に見ていたのは第一にイラン、第二にロシア、そして第三が中国である。

密かな反撃が準備された。

イラン中国と密かに武器輸入などを交換条件として、ガス鉱区を与え、さらには25年の長期契約でガス輸出を許可していた。イラン中国からえるものは武器と核技術である。

中国上海シックスの主導権をもつが加盟六ケ国(中ロ、カザフ、キルギス、ウズベク、タジク)にオブザーバーとして、イランインドパキスタンモンゴルを加え、あたかもNATOに対抗するかのような、東側の軍事盟主の立場を確保し始めた。

解体されたワルシャワ機構に変わるものとしてロシアは「全欧安保」を言いつのり、CIS間では個別あるいは集団的安全保障条約を結んだが、バルト三国グルジアと、そしてトルクメニスタンが加わらなかった。

プーチンはがむしゃらにロシア帝国の栄光の復活を夢見て、バルト三国ウクライナへのガス供給をとめ、グルジアには戦争を仕掛けた。

同時に欧州ロシアルート一本のガス供給ルートを多角化するためにナブッコ、ジェイハン・ルート建設を始めるや、同時に対抗して北方ルート黒海ルートを提示して欧州を揺さぶっていた。

とくにオーストラリアブルガリアドイツにはそれぞれが薔薇色のシナリオを提示し、欧州の団結をそぎ、利益誘導型で西側の分断パイプライン建設を妨害する。

 

▲第三幕 「中東金正日」=ニヤゾフ大統領の怪死

トルクメニスタン独裁者が「突如」死んだ。

トルクメニスタン砂漠の国だがイランやクエートの匹敵するほどの天然ガス埋蔵があり、いまのところ地政学的にロシア流通依存せざるを得ない。

だからこそニヤゾフ大統領はガス輸出の多角化に乗り気でアフガニスタンルートの開発が急がれた。これを“脱ロシア”化と捉えるモスクワ不愉快である。

 

ニヤゾフが突如急逝、主治医ドイツ人は前日に逃亡していた。

直後、トルクメニスタンの中立路線は変更となり、新政権はややロシア寄りに外交姿勢を修復した。

そして延々と中国へ輸出される総延長7000キロものガス・パイプライン敷設工事が始まり、TAPI・ルートへの比重は軽くなった。

いや、というよりも投げやりになった。

(所詮、アフガニスタン戦争は片付かない。パキスタンは所詮、米国にはつかない)。

つまり米国事実上の敗北が見えた。

トルクメニスタンは変心した。

イランはこの機会を待ち望んでいた。

もともと内陸部のトルクメニスタンアフガニスタンを経由して、パキスタンの港を目指すというユノカル案は、「イラン回避」ルートである。

米国イラン悪魔と呼びつつけた。

だとすればイランはガス油田から運搬ルートを南下させ、南の港へパイプラインを敷設していた。全長900キロのうち、残すところはあと250キロ。

地図凝視していただきたい。この地点からパキスタンのグァイダール港は「となり」なのである。

中国は古くから、この地政学的利点に目をつけた。

すでにパキスタンムシャラフ政権のときから、治安の悪いバルチスタン地域に中郷は労働者を運び込んで道路建設し、資材を運び、グァイダール港を近代的港湾設備を持ったものに改築してきた。

つまりイランからパキスタンの隣町へ運ばれるガスを、この地で精製し、パイプラインパキスタン西安から北東へ貫き、しかもインドへは分岐せず、この点でイラン中国パキスタンの利害は完全に一致した。

これが「IPCルートと呼ばれる。

▲第四幕 パキスタンイラン反米

パキスタンは白昼堂々の裏切りを演じた(ここで「裏切り」と穏当でない語彙を用いるのは米国契約概念からみれば、そういうニュアンスだから)。

五月下旬にパキスタンイラン契約したのだ。

中国が最終ユーザーとなり、中国パキスタンがともに天敵であるインドへは分岐しない。

パキスタン西端に位置するグァイダール港は、すでに中国資本技術をもって港湾のかたちをなしており、大々的改築(新築に近い)が進み、アラビア海に面する深海は将来、中国海軍の原潜基地になりうる。

げんに中国の六隻の軍艦アラビア海ソマリア沖の海賊退治に参加している。

パキスタンから中国への高速道路も着々と工事がすすみ、嘗てのカラコルム・ハイウエィは完成しているため、ガスの運輸ルートはこれに添ってパイプラインを敷設すれば良いのだ。

中国がこのルートに執着するのはマラッカ海峡への依存度を低減させるためで、ほかにもアンダマン沖合のガス田から(開発成功後は)ミャンマーを南北に貫くパイプライン建設して、マラッカ海峡への依存度をさらに激減させる計画がある。

中国にとっては、ユノカル買収を土壇場で拒否された米国への心理的復讐劇にもなる。

パキスタンはこのパイプライン通貨収入を年間五億ドルと想定、つまりこれをAPAI計画では、アフガニスタンがもともと受け取る予定だったのだが。

イランパキスタンとの正式調印はイラン大統領選挙の直後に盛大にテヘランで開催される(アジアタイムズ、5月27日、6月3日付け)

敗者はインドアフガニスタン米国、勝者はイランパキスタン中国

くそ笑んだのはロシア、臍を噛んだのはトルクメニスタン、そして日本はいつものように、こうしたグレートゲームの変質さえ知らず、ユウセイの人事とか、セシュウ制とか、およそ世界現実とは無縁の矮小な論議にエネルギーを費やしている。

2009-05-20

こんどはロシアダイヤモンドの独占的備蓄を始めている

デビアス」の寡占体制に風穴を開け、世界市場を制御する野心か?

日本ではダイヤモンド結婚式の宝飾品としか考えられていない。戦略物資であるという世界常識日本では通じない。

世界市場性からいうと日本ダイヤモンドは特殊なマーケットで、1キャラット以下の、世界では換金の対象とはならない小粒のものに結婚市場が集中しているだけ。

そして小粒なのに、価格は不当なほど高い。

世界的規模と歴史を一瞥しよう。

ダイヤモンドは80年代まで、ほぼ南アに産出が限定され、アングロアメリカ、BHP、リオテントなど大手鉱業企業が発掘し、ダイヤ原石はデビアスが独占した。競合企業デビアスによって巧妙に排斥された。

ロンドンで決められる価格は、デビアスが需給バランスを睨んで一方的に決め、NYやベルギーイスラエルの研磨業者に入札された。その後の流通段階では「ニューヨークカット」とか「アムステルダムカット」とかの最新のファッション性で市場では売られる。

当時、ダイヤモンド世界第2位の生産国はソ連だった。しかしソ連は西側との窓口を持たず、工業ダイヤモンドに限って輸出を続けた。

工業ダイヤは削岩機、研磨機などに使われる。

デビアスの寡占体制を破壊したのは、西側だった。例の独占禁止法である。

つぎにソ連が崩壊し、ダイヤモンドがどっと西側にでる。

さらにダイヤモンドアンゴラナミビアコンゴリベリア、シオラレオネなどでつぎつぎと金鉱が発見され、供給豊富になった。

デビアスは巨費を投じてこれらの新興金産出国を抑えにかかる。だが寡占は無理だった。

デビアスダイヤモンド市場寡占は崩れた

デビアスの寡占をさらに破損するのはアフリカ特有の部族紛争と不正輸出。ゲリラ武器調達のためのダイヤモンド原石との交換などで、密輸業者が潤い、世界マフィアが乱戦。この頃、日本でも中央アフリカ産のダイヤモンドが割り引きセールで売られたことがあったっけ。

 

それでもデビアスは08年までは世界の40%のダイヤモンド市場を抑えてきた。

ロシアが、ダイヤモンド市場に参入し、産出量では世界一になった。国有企業「アルロサ」社(アレクサンドラ・ミリニン会長。90%株主ロシア政府。つまり、これも『プーチンカンパニィ』のひとつ)が世界市場の25%を占めるまでになった。デビアスが一方的に価格を決める体制は吹っ飛んだ。

そして世界不況

世界で215億ドルと見積もられるダイヤモンド市場は、2009年に120億ドルに冷え込むだろう。

価格は70%暴落したため、デビアスロシア供給を急減させて、価格維持に努めた。

だがダイヤモンド市場は値崩れを始めた。

デビアスロシアと共同して供給量を減らし、価格維持を図るが、EU独占禁止法の壁を前に円滑な価格操作ができない。

これにより資金繰りこまり株主に8億ドルの社債を売りつけて急場を凌いだ。デビアスロシアと組んで価格維持の共同を提案し、ロシア価格暴落を避けるために共闘を受け入れる。

ところが、ところが。

ロシア価格維持という目的は同じでも、デビアスと逆の戦術を行使している。

08年12月からダイヤモンド供給を止めたのだ。プーチンウクライナバルト三国グルジア向けのガス供給をとめたように。

同時にロシアダイヤモンド原石の戦略備蓄を開始し、インドベルギーイスラエルの研磨業者とは長期契約に切り替えたのだ。

 「毎月300万キャラットに相当するダイアモンド原石が品質ごとに選別され、大量に備蓄されている」、「すでに備蓄は4万5000キャラット見積もられる」(ヘラルド・トリビューン、5月13日付け)。

 場はいずれダイヤモンド市場で原石が払底し、価格は暴騰するだろう。そのときに供給を統括するのは、老舗デビアスではなく、ロシアのアルロサ社になる。

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