はてなキーワード: 逆撫とは
例えば、進学校に入学した子供とその母親。子供は入学試験のために何年も勉強してきていたケースが多く、自分の勉強ペースを把握している。また、受験を終えてすぐの子供たちはしばらく勉強から離れたがる。
そのことは学校側も知っていて、入学直後はせいぜい「ちょっとずつでいいから勉強の習慣を付けておきなさい」位しか言わない。更に学校側は親にも「しばらくは休ませてあげてください」と4月の説明会で言っている。
ところがここで血道を上げるのが一部の干渉したがりの母親だ。彼女らは子供に「今怠けたら深海魚になる!」と叱りつけ、早速予備校の入学手続きを済ましてくる。子供は当然、新しい環境に勉強に忙しくてそれどころではないのに、こういう母親は平気で子供の事情を無視する。
結果として、学校と予備校の往復に疲れきって、早ければ1学期の期末で、遅くても2年生に上がる頃にはすっかり勉強嫌いの深海魚のできあがりとなる(※深海魚=落ちこぼれ)。
こうなる前に、たいがい子供からは「勉強のペースくらい自分に決めさせてくれ」と言われるが、母親達は気にしない。
何故ならこうやって暴走する母親は大概専門卒か高卒で、大学受験をしたことがないからだ。やったこともないことの要領はわからない。
しかし、それにしても不思議に思うことがある。こうした母親は、進学校に合格した自分の子供が既に自分より勉強に詳しい「勉強の専門家」だということには気づかないのだろうか。
この例の中で出した母親だって、大抵は働いているのである。手に職系でもパートでもなんでも、初めは研修があり、続いて1人での業務となり、やがて立派な従業員になっているはずなのである。だから、ある日お客さんの一人が「あんた仕事足りないんじゃない!?タイムカード押した後も追加で働きなさいよ!」なんて言ってきた所で「お客さんに業務の何が分かるんだ」「長く働いたからって業務効率は上がらない」「そもそも給料出ない時間帯に働いたら壊れます」となってマトモに取り合わないはずなのである。それがこと我が子の勉強に限っては「オーバーワークOK!やればやるほど成績は上がる!休憩時間は度外視!」となってしまう。これは不思議な現象である。
もしあなたが自分より賢い子供を持ったら、勉強のことは子供に任せてあげてほしい。あなたが子供のお世話の一環として勉強に口出ししたがる気持ちは分かる。しかしそれは、あなたの業務態度にケチをつけてくる困ったお客さん並みに役に立たないし、神経を逆撫でするだけの、無意味な言葉になってしまう。当然、子供からあなたへの態度もクレーマーに対するそれになる。
また、あなたがそういう母親に悩まされている子供なら、一度母親の最終学歴を確かめてみてほしい。大卒でない、もしくは名前を書けば受かるような大学であれば、あなたのお母様はそもそも勉強の大変さを知らない可能性が高い。そんな時は父親や親戚など、あなたの母親に物申せる立場の人にそっと相談してみればいいかもしれない。私は学生の時にこれを思いつかなくて、今とても後悔している。
母親が子供の勉強に口出ししたがる理由、それは「指導しなきゃいけない(と思い込んでいる)のに、指標がないから」である。そんな時は、子供から母親に物申すだけで事態が解決することはないので、周りの大人にも頼ってみてほしい。
これさえ覚えればどんなに正しそうな内容を言っていても人の神経を逆撫でできる文章が書けるぞ。
まず例文。
「増田に人の悪口を書く人って、当人に見つかってしまう可能性を考えていないのかな……?🤔
そういう人ってどんどん周囲から人がいなくなっていくと思うんだけど、本人は理解していないのだろうか……。
すごいな……私だったら絶対に耐えられないな〜。
私はそうならないように気をつけよう」
以上だ。
1. 一文目。言いたいことは疑問系で書くこと。詳しくは後述するが、疑問系にすることでその人間の思考が理解できないというニュアンスを出せる。この顔文字も高ポイントだ。
2. 全体敵に、自分の一意見である、という謙虚なスタンスを崩さないこと。ここを誤ると叩かれがちなので、間違っても主語を大きくしてはいけない。
3. 「すごいな」とにかく理解が及ばない人種であるということを強調する。
4. 「私はそうならないように気をつけよう」。とにかくこれを最後につけることで自分と相手は違う、自分には理解できない相手であるということを再度アピールできる。
自分の一意見であり多様性を認めているようにも一瞬は見えるスタンスだが、明らかに人の悪口であり大抵の場合はおせっかいな内容である。田舎の嫌味なおせっかいババアが新参のよそ者に対して使うイメージがぴったりなので、これを田舎のおせっかいババア文法と名付ける。人を煽りたい時に使ってほしい。
【コミッション】SKIMAは初心者にも扱えて親しみやすいという話
https://anond.hatelabo.jp/20181001195910
当記事を読む際、こちらも合わせて読んでいただきたい。SKIMAの良いところを書き記した記事である。
SKIMAという、イラストなどの技術に対して料金を払うクラウドソーシングサイトをご存知だろうか。
coconaraと同じくソーシャルサービスやCDパッケージのイラストを個人に対し発注できる場所で、coconaraのイラスト特化型と言っても良いかもしれない。
もちろんそういうサイトには購入者や出品者の当たり外れ、相性の良し悪しが有る。だが、今回の件は相性の問題ではなく、完全なる黒の話。
SKIMAにごく最近追加された、adoptというコンテンツがある。
adoptとは「出品者が自分のキャラクターを売って、購入者がキャラクターの使用権と著作権を買う」という文化で、キャラクターの養子縁組とも呼ばれている。
最近流行りのバーチャルユーチューバーで例えるなら、イラストレーターが出品者で、購入者が企業または演者という形に近い。
勿論、adoptは版権のキャラクターや他人のキャラクターを無断で売ってはいけない。
小説、イラストなどに少しでも興味を持っている人間ならば、法的に、また倫理的にしてはいけないことであることは、理解できることだ。
だが、これを理解できない出品者がいた。
葉星ヒトミである。
業界ではそこそこ悪名が知れた絵師だそうだが、筆者は今回の件で初めて知ったため、他の悪行については自身で調べて欲しい。
先に葉星ヒトミが何をしたのかについて話しておく。
葉星ヒトミは、個人または企業の依頼で製作したキャラクターを第三者に売ったのである。
まず、個人の依頼についてだが、プレイバイウェブ(PBW)というものについて説明しよう。
PBWは、FF11、TWなどのオンラインロールプレイングゲームをアナログにしたRPGで、自身で完全なる一から登場人物を作り上げてプレイする、大型参加のTRPGのようなものである。(別名人力RPG)
参加者の多くは、イラストレーターに自身のキャラクターのイラストを描いてもらい、ライターに自身のキャラクターの小説を書いてもらう。
pixivで企画に参加したことがある者にはなかなか親しみがあるかもしれない。
葉星ヒトミは当時haboというペンネームで、PBWの大手トミーウォーカーでイラストレーターとして依頼を請け負っていた。
葉星ヒトミは目を惹く色使いと丁寧な仕上がりで参加当時好評の高かったイラストレーターだったそうだが、大量受注の末に納期の延期という失敗をしてしまい評価は降下。更にアカウントを取り直したためにトミーウォーカーから出禁を受けた。
その時に描いたキャラクターが、SKIMAに売られていたのだ。
キャラクターやデザインというものは、具現化した者だけでなくアイデアを出した者にも著作者人格権が与えられる。
更に、PBWのイラストのページでは、
「使用権(非営利目的での使用)は依頼者が、著作権はイラストレーターが、その他の権利はトミーウォーカーが所有する」
「非営利目的での外部サイトの公開は可能ではあるが当作品のものであるとわかるように明記すること」
といったような文章が書かれている。
つまり、葉星ヒトミがそのキャラクターを売ることは完全なる違法なのだ。
商業キャラクターに関しても、大半は該当キャラクターの出るアプリケーションゲームは終了しているが、著作権は帰属しない限りその企業が持つことになる。その点は不明ではあるが、前述のことを考えると、恐らく帰属していないだろう。
以上のことが発覚し、葉星ヒトミの商品を買った被害者たちは葉星ヒトミへの事情説明や返金を要求していた。
しかし、葉星ヒトミ本人は「著作権はこちらが持っている」と豪語し、被害者達を無視しツイッターに勤しむ。罪を認めたのはトミーウォーカーが動いてからだった。
その後も謝罪と言いながら、「睡眠障害とうつ病を患っていたので許してください」といった類の言い訳をしてした。
主な活動拠点としているツイッターには事の次第を表明することはなく、返金が済み次第消す予定のSKIMAに謝罪文と言う名の言い訳を公開し、Tumblrにはそれと全く同じ文章を公開。事件の全貌には触れることはなく、事の次第を巧妙に隠している。
「なんだか怒らせてしまってすみません」「療養の機会が来たとポジティブに考えます。購入者様を恨みはしません」など、相手のことを全く気遣いしない文章で被害者の神経を逆撫でしつつ、剰え自分が罪を犯したのにも関わらず「イラスト界隈から干される」などと、犯罪の自覚はまるでなく、自分が被害者のように振る舞うことに徹する。
ツイッターで検索をしても、葉星ヒトミに添削を頼んだ方が「●枚中2枚しか添削されてないのにそれ以降連絡がこない」と嘆いていたり、「そもそも返金のメール自体こない」と呟いている方が何人か見受けられるのにだ。
その上、「リプライは不具合で通知が来ない場合があるため連絡はDMで」と、表面上での対応を徹底的に避けている。大量にリプライが来ているならまだしも、そのようにピンポイントで不具合が起きるとは考えにくい。そもそも、それが事実ならば運営に問い合わせるべきである。
しかも、謝罪(という名の言い訳)をしているのはSKIMAの利用者にだけである。
キャラクターを勝手に売られたPBWプレイヤー達について言及することは一切なく今なお隠蔽を図っている。
葉星ヒトミはトミーウォーカーから弾かれているため連絡手段がないと言われるかもしれないが、葉星ヒトミはツイッターをやっている。ツイッターという広大な湖で、PBWプレイヤーを見つけることは容易かと思われる。
見つけて謝罪をしなくても、それこそTumblrやツイッターで触れておくべきではないだろうか。
昨今、精神の病に対する理解が少しずつ改善されていっている中で、たとえ疾患が本当であったとしても、それを盾に自身を守ろうとすることは、睡眠障害者やうつ病患者に風評被害極まりないものである。
今回の事件は、イラストの価値が正常に戻りつつある時期に、コミッションという文化自体を廃れさせかねないものだ。
自身も拙作ながらコミッションをやっている身として、葉星ヒトミのような怪物が二度と現れないことを祈るばかりである。
SNSを見るに葉星ヒトミの神経は本人が思っているよりも随分と図太いため、すぐにも違うペンネームで活動しそうだが、「葉星ヒトミに依頼をしたら自身のキャラクターを奪われるかもしれない」ということは、重々心の中にとどめておきたい。
ある一人の出品者が犯した罪の話は一区切りできたので、あとは購入者、プレイヤー、その他被害者などに任せたい。
実はこの話には続きがある。
(追記:これより先はSKIMAの話になるが、SKIMAについては上記の記事と合わせて読んでいただきたく思う)
SKIMAがずさんだったという話だ。
今回のadoptというコンテンツにおいて、他人の既存キャラクターやマイナーな版権キャラクターを投稿されることは容易に想像できた。
なのに、SKIMAは検閲を行うことなく葉星ヒトミによる大量の転売を見逃していた。
この事件が発覚したのは、葉星ヒトミのadoptへの連続投稿を不審に思った数人が画像の出典先について調べたからだった。
購入者がSKIMAに対応を促すが、SKIMAは「葉星ヒトミが著作権は自分にあると発言している」と一蹴。
直接トミーウォーカーに通報し、トミーウォーカーからのSKIMAへの勧告で漸く返金まで漕ぎ着けたのだ。
その後も被害者達への積極的な協力はなく、被害に気付いている購入者がいくらいるのかはわからない。
事件について責任は一切感じていないようで、公式でしっかりとした内容を記したアナウンスなどもしていない。
今回の特異な例を除いても、クラウドソーシングサイトにおけるトラブルは、大なり小なり免れないことである。
それを運営が円満に解決するために仲介料というものは存在するのだが、仲介料の意味が完全に形骸化している事実が露見された。
「安い仲介料で何を言っているんだ」と思われるかもしれないが、SKIMAの仲介料は20%である。10000円の依頼があったとしても、出品者には8000円しか入らず、2000円がSKIMAに取られるのである。
2000円もあれば鳥のモモ肉450gパックは4個は買えるはずだし、牛の切り落とし300gは5個は買えるはずだし、豚のロース100gは10枚は買えるはず。
ペンタブの替え芯をワンセット買えるし、SAIが買えるし、2000円を20回貯めれば安い液タブが買える。
上記に具体例を記した通り、出品者には決して安くはないのだ。
調べてみると、「今後SKIMAで活動するのは控えようか」「adoptの件もあったし購入は控えようか」と、SKIMAを離れる気の方や、何も言わずにもう離れている方がいるのがわかる。筆者もその一人だ。
イラスト特化型ということもあってとっつき易かったが、人口は少ないが発展するかもしれない場所はいくつかあるし、今度の10月にも創作者のための新しいクラウドソーシングサービスは始まるようだ。
自称ではなく、正真正銘のイラスト特化型の元祖として、SKIMAの運営が改善されることを願う。
(SKIMA公式がアナウンスを正式に入れたため、SKIMA公式のDMは一部外させていただいた)
http://tw4.jp/gallery/master/?master_id=02499
https://m.imgur.com/a/KvdLUOY(※被害者はブロックしていないため、葉星ヒトミが被害者をブロックしている可能性がある)
自分は偏見を持たないように努力しようとしていたが、それは不可能なのではないかと最近思っている。
つい最近、杉田水脈の生産性発言を聞いて、私は非常に不快に思った。
杉田氏の予算配分の優先順位の話に関しては同意するが、それよりも、彼女のLGBTに対する無知と差別を感じ、「生産性」というヘイトスピーチに近い強い言葉に怒りを覚えたからだ。
何よりも、最大の理由は直接の友人に、家族に対してカミングアウトできずに苦しんでいるゲイがいたからだ。彼の存在に感情移入して、不快に思ったというのが大きかった。
つまり、自身の体験とヘイトスピーチに感情を逆撫でられたのだ。
しかし反対に、東京医科大の問題については、正直自身はそこまで不快に思わなかった。
自身は男性で、医療関係の仕事に就いているのだが、医療従事者からしたら、男性医師の方が女性医師よりも稼働可能時間が長く、質の高い医師の定義には「稼働時間」も含まれている事を知っているからだ(特に急性期)。
その立場からすると、本件は、「正直、色々と複雑な難しい問題だよね、しょうがないかな、、、」というのが正直な感想である。
本件には感情が逆立つ事はない。むしろ、何もしらずに「女性差別だー!」と吠えている人には、患者という受益者が自身の恩恵を棚に上げてるのはズルい、もっと背景を勉強して発言してくれ、とすら思う。
しかし、ポリコレでリベラルな人からしたら、私は女性差別を黙認している人に見えるのだろう。
何が言いたいかと言うと、理性的であろうとしても、自身の置かれた状況や感情に、人は左右されてしまうので、結局は偏見の無い行動など不可能なのではないかと思っているのだ。
とあるスポーツを大学の体育会でやっていた。自分の中で消化するためだけにここに書いておく。
大学2年生のとき、突然「コーチ」と名乗る存在がやってきた。彼はそのスポーツの「プロ」だった人間であり、現在は引退して家業を手伝っているという。
元来、大学の体育会系部活動ではそのOBらが監督・コーチといった名目で携わるケースがほとんどで、自分のいたような、名目こそあれどほとんど顔を出さないOB達の方が珍しいだろう。この際その良し悪しは言及しない。現に自分は、学生に裁量を与え、責任は取ると言っていた初老の監督が好きだった。
新しく来た「コーチ」の歯に絹着せぬべらんめぇな物言いが当時の自分には珍しく、また少し苦手だった。
彼も自分と二、三の会話をして、自分との相性は良くないと悟ったと思う。
彼は勉強熱心なコーチだった。「コーチング」を学び、自分たち部員で実践をした。
彼は自分がプロの道を途中で諦めた事から多くの経験を得たのだろう。学生達にはしきりに以下の言葉を繰り返した。
プロの選手になる道は厳しいので、諦めた後の道も考えておくこと。
自分はこれが間違っているとは思わない。むしろ有難い指導だったと思っている。だが次第に彼の指導は「プロ選手を目指す奴は馬鹿」「現実を見ていない」そして「俺の言うことを聞かない」に変わった。
元々は学生が主体となって運営していた部活動だったので、彼に意見する者もいた。だんだんとそういった部員達は居場所をなくしていった。実力があるのに自ら辞めた部員もいた。自分を曲げず、部の中で半ば干されながらも、意思を貫いてプロに挑戦した者もいた。
世間知らずの馬鹿者が、彼の神経を逆撫でしたのは間違いない。今思えば彼のやり方を真っ向から否定せず、もっと良い言い方もやり方もあったはずだ。今考えれば明らかに自分が未熟であり恥ずかしい限りだが、当時の20歳だった自分はまだ、大人には純粋に本心でぶつかり合えば、向こうもまた本心でぶつかってくれると信じていた。
返事はなかった。代わりに上級生による明らかな「シメ」が始まった。挨拶をしてもらえない。練習に参加させてもらえない。睨まれる。雑用を押し付けられ、出来栄えに文句を言われる。競技に関するレポート作成を求められ、内容について晒しあげられる。後から全て彼の指示だと分かった。絶望した。それまで部のためにと思って活動してきたこと全てが意味のないものに見えた。周りの部員が皆敵に見えた。
その頃はちょうど大学3年に差し掛かっていて、就職活動が真近に迫っていた。悲しいかな、自分の大学生活には部活以外何もなかった。社会に出て、新しい世界に飛び立つためには、自分はこの部活に居るしかない。歯を食いしばって部に残った。
就職活動では、部活のいい面を切り取って話した。大嫌いな部活を良いように語るのは辛かった。「貴方は本心でそれを話してる?」と言われたこともある。ハッとした。それ以降は嘘はつかず、部活の嫌なところは素直に話した。過去ではなく未来のことを考えるようになった。最終的にはご縁があり、世間様から見てもそれなりに見劣りしない企業に内定を頂いた。
大学4年生になり、最高学年になった。彼は当然のように自分にも甘くなった。最高学年として下級生をまとめるための彼流の教えをたくさん吹き込むようになった。OBの前でも「学業と部活動を両立させ就職も決まった模範生」として紹介されるようになった。
同級の部員がキャプテンになり、彼と毎晩のように電話で連絡をを取り合うようになった。優しかったキャプテンはある日「あいつシメよう」と言って、気に入らない部員をコンクリートに1時間正座させようとした。自分がそれは違うと言うと、怒ったように部屋を出て行った。溝は決定的になり、卒部まで埋まることはなかった。卒部してから、彼とも、キャプテンとも、縁を切った。
彼が部活に現れてからの3年は本当に辛かったけど、最後までやり切れば何かが残ると思っていた。数年たって思い返してみても、この時の記憶は灰色で、何かが残ったとはとても思えない。
就職先は非常に素晴らしい企業であり、入社できたことに心から感謝している。自分が部活を辞めなかったから内定がもらえたのか?それはいまだに分からない。ただもう一度大学生活をやり直せるのであれば、自分は違った選択をしていたんじゃ無いかと思う。
当時はいかに自分を壊さずに守るかだけを考えていたので、後輩たちにも心からの指導をしてあげることができなかった。守れなかった後輩が何人もいた。それだけを今も悔やみ続けている。
先般お申し込みいただきましたチケットにつきまして、 厳正なる抽選を行った結果、残念ながら今回はチケットをご用意することができませんでした。
自分の観測範囲でも当選者は予想外に見かけたので感想としては間違ってない。セーフ。
は?は??は???はあああああ??????「余った」んじゃなくて「余らせた」んだろうが。先行応募は無料お神籤じゃねえんだよ。
少しでも当選確率を上げるために人手を使うのはわかる。使えるツテを使うのは何も問題ないと思う。
ただ、そこで何故、揃いも揃って2枚で申し込み、「余らせる」んだ。そして「余ったので定価で譲ります!」だの「相互の人で行きたい人がいたらリプください」だの「誰か行く人おらん?」だのと落選者を逆撫でするんだ。全員が当選する可能性も何人かだけが当選する可能性も何故、検討しておかないんだ。
「女性を守ろう」なんてきれいごとは誰でもいえるけど、やった結果何があるのか、
なぜやらねばならないのかが個人の体験ベース過ぎてまるで伝える気がない。
彼の論法だと、身近に女性がいないものは女性を守る必要がないことになる。
昨今の日本人女性は、「おすしネコ」であるとか女性専用車両であるとか、とかく男性嫌悪・男性加害が目立つ。
それらにさらされて辟易しているSNSユーザの男性に対して、「女性を守ろう」だなんて
神経逆撫で以外の何でもない。
しかも、女性の加害にはまるで触れず、「フェミニスト鑑定士」なるタグを作って煽る始末。
これでは、(男性であるにもかかわらず)「ミサンドリスト」とみなされてもしょうがない。
となる。
「男性が女性を守る」のはフェミニズムにあらず。旧世代の男性向けジェンダーロールである。
そして、そのころは男性が女性を守るメリット?意義?があった。(「産む機械」)
現代では、個人の価値観ベースならいざ知らず、女性差別はない。
よくある議員数等も、女性立候補者が少ないせいであって男性の所為ではない。
そういうところが神経逆撫でするんだワン
何年も仲良くしているTwitterの相互さんがいる。お互い好きなジャンルが重なって相互になったけれど、その先は特に被ることもあまりなくて、ただ普通に仲良くなれたからずっとそのまま。
お互いの色んなことを知っていて、だけど、昨日も、今日も、しんどい思いをしてるその子に自分がかけられる言葉ひとつも見つからなくて在り来りな同意の言葉しか出てこなくてむしろ神経逆撫でしちゃうんじゃないかとか考えてそれすら飲み込んだ。
Twitterの裏垢同士で繋がってる同窓生がいる。普通に仲が良くて、お互いの裏垢のフォローリクエストだって断ること、断られることを心配しなくて済むような仲。
でも近頃変だ。環境が変わって以来異性に対して過剰な程に意識しているその子に引いて、挙句気持ち悪さを感じる自分がいる。
だって自分の中では性差はそこまで重要視されることじゃないから。
書き連ねてて思ったけど考え方が自己中なのかな、何にせよ自己嫌悪だけが膨れ上がるしこんな毎日しんどいね。こうして吐き出して少しでも楽になれたら良かったな。
子供の頃、悪いことをして怒られて謝った時に、
「謝ればすぐ許してもらえると思うな」みたいに余計に怒られた記憶があるのだが
自分としては、怒られたら謝らなきゃいけない、それが正しい行動だと教えられたから謝ったのであって
許してもらおうとして謝ったつもりはなかった(無意識にそう思っていた可能性はある)
その後、じゃあ許しを請わずに謝るためにはどうすればいいのかと考えた
行動で失敗を償うのは、それが償えることならばいいがそうでないと有効じゃない
「ごめんなさい」という言葉はそれ自体、「免じる」つまり許しを請う意味がある
「すみません」「申し訳ありません」ならば、どうすることもできないが悪いことをして辛く思っている、というのが伝わるかと
それを使ってみたが、子どもが親に対して言うと逆にふざけているように聞こえてしまって、駄目だった
この年になって考えてみると、そもそも謝罪という行為自体が、許されるためにするものなのかもしれない
子供の頃は「悪いことをしたら謝る」と覚えていたルールは、実は「許されたければ謝る」というコミュニケーションコードだったのかも
それに冒頭の怒られているシーンで謝らなかったとしても親が怒りを収めたとも思えない
あれは「謝るな」「許されようとするな」という意味ではなく、謝るのは最低限のラインで、それ以外に+αで何かせよということだったのかも
むしろ、もっと積極的に許されようと努力しろ、という意味であったとさえ解釈できる
そうだとしたら、許しを請わない方向で考えていた自分は全くのトンチンカンであっただろう
親としてはうっかりミスなどについて、再発させないための防止策を講じよという意味だったのかも
当時は、悪意や故意によるミスじゃないので、「もうしない」と宣言しても起こるかもしれないからどうしたらいいかわからなかった
例えば何かの予定をうっかり忘れてしまって怒られた場合、忘れるという行為が悪として怒られていると解釈して
「もうしない」に対応するのは絶対に忘れないことだけであると思い込み、そんなことはきっと不可能だから宣言をしても嘘になってしまうと思い
物理的に可能なことをと考えた結果、「罰を受けます」などと発言してさらに親の神経を逆撫でしていた
システム面での再発防止策という発想も無かったし、そういう対策を打った結果、それでもミスが起きても
その時は多少は努力を評価してもらえるかもしれない、ともまったく思いつかなかった
親の手伝いをするなど別の行動で反省の意を示す方法もあったかもしれない
しかし当時は、怒られたことと直接関係のないことで機嫌を取るのは卑怯な、それこそ自分の罪と向き合わない賄賂のような行為と勝手に思っていた
思い出せば思い出すほど、自分は話の通じない子供だったのだろう
それで親もイライラして嫌になったのだろう