2015-03-19

「みんなつらいけど頑張っているんだよ」という言葉について

これを言う人が伝えたいことは、「だからあなたも頑張って」かもしれないし「だからあなたひとりじゃないんだよ」かもしれない。みんなが頑張っている内容は、朝早く起きることだったり満員電車通勤することかもしれないし、遅く帰宅した日に食事を用意することだったり、眠れない夜に目をつぶってじっとしていることかもしれない。それらは多くの人が日常的に行っていることであり、同時にいくばくかの我慢や努力を伴うことでもある。毎日爽やかでわくわくした気持ちで目覚し時計を止める人は、もっと寝ていたいという気持ちを押さえ込みながら布団を出る人よりは少ないだろう。

けれども中にはその苦痛が耐えがたいほど重篤な人たちもいる。内科的、あるいは精神的な病気が原因で、外からはその苦痛が見えにくかったりする。なまじ多くの人が毎日行うことだから、なにがしらの苦しみを日常的に経験いるから、その重篤さは見過ごされがちである。他の人は我慢しているのにどうして同じようにできないのかと、周囲の人も本人も大いに悩む。頑張れない人間には生きている価値がない、いやむしろ社会迷惑だと自分や相手を追い詰めてしまうかもしれない。

でも、その苦しみは必ずしも同じではない。あなたが深く深く苦しんでいるように、他人がみな同様に苦しんでいるわけではない。

世界絶望に満ちているわけではない。

から安心して自分の苦しみを癒やすことに注力していい。自分よりももっとつらいかもしれない人や、もっと我慢しているかもしれない人のことなんて心配しなくていい。そんなことはもっとからでいい。心が絶望に満ちておらず、かつ誰かの絶望理解し、それを少しでも掬ってあげられるような人間に、長い長い時間をかけてなれるだろう。

うまく言えないけれど、伝えたいのは、

みんなつらいけど死に至るほどじゃなくて、

誰かのために頑張る余裕もないわけじゃなくて、

から世界絶望に満ちていないっていうことだ。

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