はてなキーワード: 言い得て妙とは
先日大学入試模試の国語の採点をしたんですよ。そしたらザックリ3分の1以上の答案の論調がおかしい。
何だこれはと思いながら数百枚の答案を読んでいくにつれ判ってきた。論調がおかしい受験者たちは「言い得て妙」という表現を「言ってることが妙だ、変だ」っていう否定的な評価として受け取っている。
でも「若者の読解力離れ」とか言うつもりは無くて、高3・浪人の国語受験者の1/3以上が否定的な表現として受け取っているってことは、もはや間違いとは呼べず言語変化として受け止めるべきなのだと思う。少なくとも近い将来そう認めざるを得なくなると思う。
まずは、否定的な評価として使われる場合もあると辞書に載るようになり、その後逆転して、否定的な評価が主だが肯定的に使われることもあるとなり、さらには歴史的な文献では肯定的な意味で使われた、となっていくのではないだろうか。
「こいつ上から目線で色々のたまいやがって、ホント言い得て妙だよなwwwwww」「誹謗中傷で通報しました」みたいなやりとりが普通になるかと思うとちょっと嬉しい自分です。
元増田です。
お恥ずかしながら、実存主義というワードは高校の倫理の授業以来です。
大学生になって活字の重厚な哲学書や文学をほとんど読まず…自分の無学を恥じるばかりです。
「元増田は無駄な努力はせずにコスパ良く今の社会構造でできるだけマシとされるところに行きたい人なんじゃないかなと思う。
でもその生き方だと元増田が言うように薄っぺらい人生に嫌気が差してくるんだよね。」
まさに、言い得て妙です。自分はこだわりなんてものがなくて、長く続けられたこともわずかです。流されつつも合理的に、言い換えれば情には薄く、冷淡に判断を下して生きてきたと思います。
もっと単純なこと言えば、「好きなものは?」「好きな本は?」「好きな音楽は?」「好きな芸能人は?」そういうアイスブレイクも苦手です。こだわりなんてないんですし、その場に合わせて、適度な流行を加味して受け答えする作業になりつつあります。
ただ、一見矛盾しているとは思いますが、好きなこと、そして、その喜び、逆に、嫌なことに対する苦しみや不快感はその瞬間瞬間感じます。
ですので、それをどう”こだわり”レベルまでシフトさせるか、自分と対話していく必要があるのでしょう。気づきを得られてとても嬉しいです。
「物事は自分がやりたいかやりたくないかだし、選んだことに対しては責任を持って遂行するしか自分の気持ちが救われることは無い」
そういえば、今付き合っている恋人にもこれと同じことを寝ている時に言われたことがあります。正直、かなり驚きました。
どうやら自分は現実でもこの空間でも悩みの本質やその解決となる決定打を見抜かれてしまっていたのかもしれません。これまたお恥ずかしい限りです。
自分の悩みなんて宇宙レベルで考えればかなりちっぽけですので、何かこだわりをもって生きる大切さを実際に身体で知り、自分の主体性をもっと大事にして生きていこうと思います。すぐになんとかなるとは思いませんが。。
北朝鮮の婦人組織が「包丁で戦う!」ってやっているところをテレビが放送してたけど、戦前の日本と似てるな。日本は竹槍だった。
朝鮮半島には日本の悪いところだけが残って冷凍保存されたと、養老孟司氏が何かの本で書いていた気がするが言い得て妙だ。
現在の日本人が現在の朝鮮半島の人々を見ているように、戦前のアメリカは戦前の日本を見ていたのだろう。
戦前の日本と北朝鮮が似ている点がもう一つある。こちらのほうが重要かもしれん。
それは、旧日本軍の真珠湾攻撃と、北朝鮮のグアム付近へのミサイル発射警告の類似性。
アメリカの正式な国土でなかった準州ハワイの米軍基地を攻撃した真珠湾攻撃。アメリカの正式な国土でない準州グアム付近に向けてミサイル発射の警告。
大きな世界史の流れから見ると、いずれも白人の太平洋進出に対して有色人種が抵抗していると捉えられるかもしれない。
とりあえず現状日本では「キモくて金のないオッサン」(こういう表現好きじゃないけれど)というのはどこに存在するかと言うと、
☆☆☆ここ!☆☆☆
くらいじゃないかなと思ってるんですけど。ものすごくざっくりしているし、男性同性愛者と女性同性愛者の違いや個人差、場合によって違いがあるのはちょっと目をつぶっていただくとして、それでもいわゆる弱者男性とされる人たちは結構上の方に行くのでは。
多分弱者男性(と主張する人たち)は自分たちはもっと下にいるし女尊男卑と認識しているから話がおかしくなっているのでないだろうか。
日本では女性と男性の賃金にかなりの差があるのはもうご承知の通り。管理職も女性はぐっと少なくなる。議員数も言わずもがな。能力の差だと思われるだろうが、子持ちの女性議員が結構バッシングされているのをはてブでも見たのでは。妊娠すれば仕事はなくなり、母になれば正社員に就くのも難しい。映画館などのレディースデーとかはそれを見て女性でも来やすいようにっていう配慮だったけど性差別との声があったのか今ではほとんど見ない。誰でも割かメンズデーが併設されているのが大体だろう。
女性専用車両は?あれは痴漢が多すぎるから出来たものであって、本来ならそんなものない方がいいに決まっている。こんなやり方でしか解決できませんなんて恥ずかしすぎる。それに男性専用車両も作るなら反対しませんと大方の女性はアンケートで答えているはず。なのに男性専用車両が出来ないのはこれは鉄道会社の責任で女性のせいではない。なのに女性専用車両にわざわざやってきて怒鳴り散らし、その様子をご丁寧に動画にアップしている馬鹿もいる。その情熱をもっとどこかに費やしてください。
女性ホームレスはいないじゃないか。そりゃレイプの危険性があるからだよちょっと考えたらわかるでしょう。
男性の方が自殺率が高いのは。これも印象だけで語ってはいけないと思うが、やはり今までの価値観だと男性が家や社会を支えなくては、というような世界だからではないか。その価値観を壊したらもっと生きやすくなるかもしれない。
エマワトソンの該当発言を読んでいないのだが、フェミニズムに少し足を踏み入れた私の視点から言うと、「キモい」(かなり主観入りすぎてそもそも基準がわからない)とか「お金がない」(私もない)とか「童貞あるいは恋愛経験少ない」(以下同文)みたいな属性で誰かを排除するのはやめよう、それに当てはまる人も、そういう属性がマイナス要素に傾いている、他人は自分を嫌がっていると勝手な価値観で落ち込むのも良くないよ、誰もそこまで気にしてないよ、少なくとも私は、というのが恐らく彼女の言いたいことだと思う。私もそう思う。
エマが付き合うのはみんないい男の金のある男だ!ってそりゃ彼女がいるのは俳優界なんだから同業者やそれに近い人間とどうしても付き合いが増えるからでしょう。社内恋愛と同じと誰かが言っていたが言い得て妙だと思う。わざわざお恵みでまったく知らない男と付き合えセックスしろと言う主張はさすがにみっともなくないか。
男女が付き合わなくては、結婚しなくては勝ち組ではないという呪いから解放された私はとりあえず今のところ楽にはなった。お金はないけど趣味は出来るしなんとか生きてる。
弱者男性の主張をあまり読んでなくて申し訳ないが、貧困や経済格差はなんとかしなくてはいけない。誰であれ貧窮した時や困った時に誰かに助けを求めるのは恥ずかしいことではない。恋愛経験の多寡で差別することはおかしい。姿形の良し悪しなんて主観に基づいたものは無視していい。もちろんそう簡単にはいかないだろうが、これではダメなんだろうか。自分の価値観は自分で壊すしかない。他人の目とか幻想だ。
いわゆる勝ち組男性(とされる人たち)が饅頭三個、弱者男性が饅頭二個を持っているとして、その他の人は饅頭なかったから少しずつでいいから一個ずつ分けてね、というのが現在や少し前の話だと思う。勝ち組男性がそれでも二個持ってるの変だからそこも改善していきたいね、という話をしているのに、弱者男性と叫ぶ人たちは、不当だ!俺たちの饅頭なのに!ずるい!ひとかけらだってやるもんか!と駄々をこねているように見えているんだ。
キモくて金のないオッサンとやらが嫌がられているのはキモいからでも金がないからでも年を取ったからでもなく、充分権力を得ているのに自分が弱者ですと哀れっぽく叫び、まだ自分の権利は足りてないんですくださいと言っているからではないか?しかも大体の場合こういうことを言う人は自分たちより弱い人間のことを口汚く罵っていることが多いので嫌気が差しているのだと思っていた。
うまく書けたかわからないけれど私はこう考えている。色々穴があって申し訳ない。
トラバが案の定文章読めてなさすぎて笑った。貧困をなんとかするのはそれはもちろんみんなでやってかなくちゃいけない社会の問題。私にキレてもなんもならんよ。私もお金ないもん。みんなそれぞれしんどい。だからそれをみんなで考えよう、公的な支援が必要ならそれをもらいやすくしよう、楽になるようにしようねという時にいちゃもんつけるのはだいたい弱者男性を名乗るidだった気がするが。
多数の怪我人が出てる時の災害時のトリアージを思い浮かべてね。より重傷の人から治療するのは道理ではないか。あなた方のやってるのは、血まみれで死にそうな人間を治療している時に、ほんのかすり傷の人間が「こっちが先だ!こっちの方がつらい!お前が痛かろうがこっちだって痛いんだよ!どうせそんなの詐病だろ!」とわめく行為だと思うよ。
文句言うべきは社会であってフェミニスト(を名乗るのはとても恐れ多いくらいだし自称したことは一度もないが)にいちいち絡みに行ってお前らは俺たちのことを無視してる!攻撃してる!って被害妄想すぎてみっともない。
テーマパークでキャラクターの後ろで踊るダンサーさんのことを応援している。
テーマパークのダンサーは若手俳優なんかと違い、そもそものオタクの母数が少ないため人気不人気の差がシビアだ。
ファンが常に10人20人来ていて、全体規模でいうと50人をゆうに超えるダンサー
ファン総数が片手で時には1人もオタクが来ていない日があるダンサーと明確な差が出てしまう。
他のダンサー追い(担当の意)の友人たちにはこの状況を羨まれる事もある。確かにオタクとしては被り(同担の意)が少ないためファンサが貰いやすい、ポジション取りが容易などの利点は多い。
けれど自分が応援している人の良さが理解してもらえないと言うのはなかなか堪えるものがある。
そして、そう一番思っているのは本人なのだ。
ファンが増えることもなく一年、また一年と過ごしそして今いるオタクをせめて守ろうと固定のファンへのファンサが過激になる。
その結果固定のファンたちが私たちがこの人をみてあげなければと、どんどん少数精鋭の過激派集団が出来上がっていくのだ。
そんな厄介なオタクのついた人を応援しようと新規は思えるのだろうか。もう泥沼だ。
キャラクターの後ろで踊るダンサーを影と呼ぶ人がいる。言い得て妙だとおもう。私の応援するダンサーはその影の中でもより濃い影、きっと影から生まれた闇なのだろう。
毎晩毎晩こんなことを考えては、降りようと何度も口にしてきた。けれど朝起きるとそのまま荷物をまとめてパークへと向かってしまう。
結局私は追いが退園するまできっとオタクをやめることができない。
一番闇が深いのは誰なのだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20170129222811
ブコメにもあるとおり、私も最初は「きらら枠やその他日常系アニメ=優しい系アニメ」と捉えていたが
そこにも少し差があると思う
きらら枠は同性の女の子だらけとは言え、どちらかと言えば百合なんだよね
チノちゃんかわいー!とか、アリスかわいー!みたいな感情をぶつけるキャラがいて
ギャグをしつつ一緒に暮らしてイチャイチャするってのがまず柱としてあって
もちろんイイハナシダナーってのもいっぱいあるけど
(ちなみにそれをやりすぎると桜Trickになる。大好きだけど)
肉欲的というよりは、あくまで女の子同士の友情という側面を強く出してると思う
好きな子に優しくするのは当たり前だけど、「私たち(会って間もないけど)友達だよね」な関係でエゲツナイ優しさを振るうのがこっちだと思う
見分ける差としては「何でこの子こんなに優しいのか意味分からない」ならこっちじゃないかな
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おまけ
救いがないというか
ようやく主人公が救われた!と思った瞬間厳しい状況に陥らせるような世界の作品
どう転ぼうが救われるというか
何か事件が起こりそうになっても、キャラや世界が優しすぎて事件にならない世界の作品という意味で書いた
私が何より驚いたのは「何も起こらないんだからつまんねーはずだろ」と思っていたのに
何か悪いことが起きそうになるたび、友情パワーやらなんやらで解決されてしまう状況というのも「衝撃をウケるほど面白い」と思ったことだった
面白いというか、衝撃的だ
やっと救われると思ったキャラが即死してしまうような展開と、正反対で衝撃を受ける
何でそんなに優しいんだよ!何で!何でだあああああああうわあああああああああ!!って
おまけ2
男キャラを出すとそもそもエロス方向に引きづられるから、どう足掻いても優しい系にはしづらいんじゃないかと思った
味わい深い
でもたぶん無機物キャラや非人間が一番やりやすいと思うんだけどどうだろう
どこまでも従順に主人に尽くすロボとかね、自分の汚い心が見えてきて衝撃を受ける(これは映画とかゲームでもいいね)
おまけ3
ARIAやヨコハマ買い出し紀行のベクトルでいいんだよね?
まとめ
いやいや、いまもあるやろ?と思われると思う。
それは読んでいただれば何人かの理解は得られると思うので記したい。
2012年に発足し、“アイドル”と“声優ユニット”の両立を目指すという高い志をもって始まったグループ。
いまとなっては考えられないが、デビュー当時のソフマップに集まったオタクはそう多くはなかった。
1stシングル『Color』。名曲である。バトスピのEDであったと記憶している。
そして後にアニソンカバーユニットとして、アニソンカバーを披露。深夜枠のアニメ情報番組などで取り扱われたりしたがそれほどバズらなかった。
時を同じくして、秋葉原Twin BOXで定期公演開始。数名が声優デビューを果たすも、当初の志には程遠い状況であったと感じる。
その後、ロボカーポリーや§Rainbowを経てアニサマに初登場。SSAのアウェイ感はいまでも思い出すと胃液が逆流しそうになる。トイレタイムであった。
エイベックスの協力な後押しを得て、キャスティングされた彼女たち。そしてファンが爆発的に増えたのもこの時期と言える(世にいう「プリパラ古参」)
彼女たちの代表曲は個人的には1stから3rdシングルの間で選びたいと思うが、世論的にはMake it!であると思う。
それはWake Up, Girls!とのジョイントイベントでお互いがカバーした際に明らかになったと思う。
TWIN BOXに通っていた真古参は言う、「もうi☆Risじゃなくて『プリパラさん』だよね」と。
気づけば“アイドル”と“声優ユニット”の両立という志から少し外れ、後輩ユニットであるWake Up, Girls!と同様にアニメありきの声優ユニットとなってしまっている現状がある。
すべては81という名のエイベックス声優アイドルブロジェクト的なM氏に起因するのではないか?と推察する。
たしかにエイベックスのアイドルコンテンツはことごとく花が咲かない時代が長かったと思う。そんな中、アニメ基軸のWake Up, Girls!が2000名程度の固いユーザ層を得て、ひとつのビジネスモデルになったのは明白である。
それを踏襲する形でプリパラにi☆Risを起用するは企業として当然の行為だと推測する。ただし、初志はどこにいってしまったのでしょう、、、と思うユーザは少なくないのでは?考える。
前述のWake Up, Girls!も作品から離れ、エイベックス・ピクチャーズの作品の曲を歌っており、某監督とのいざこざも漏れ聞こえてしまっている昨今、「わぐなーさん」のWake Up, Girls!離れも珍しくはない現象だと聞こえてくる。
そんな今だからこそ、“アイドル”と“声優ユニット”の両立。アイドルと声優に虹をかける、そんなi☆Risの活動が見たい。そう思うのはオタクのエゴであろうか。
と言っても私が4年前に上京した時にお別れした一軒家じゃなくて
そこに父と母と弟と妹の4人で住んでいる。
そして今はそこに帰省した長女の私もいる。
必然的にスペースを分け合わなければ眠れない。
弟は大学中退したDQNなのもあり、その横暴さを振りかざして一つの部屋を独占している。
8畳の部屋に父と母と妹と私で2つの布団を分け合って寝ている。
と、いうのが理想。
現実は「仕事で疲れているんだ」といって父が一つの布団を使って眠るので
共働きの母はほとんど毎晩リビングで布団を畳みながら寝落ちしているらしい。
たまに最後まで畳めて妹のお布団までたどり着けたときは一緒に寝ている。
でもそれも私が帰ってきたら妹の隣を私に譲ってくれる。
「まるでヤドカリだね」「言い得て妙」と言って笑いあえる家族なので
弟や父にモヤっとした不満は抱きつつも我が家を嫌いになりきれない。
弟が部屋で買っている亀は可愛い。
でも今年受験生の妹に勉強机がなくて、テレビを見ている父のん横でテキストを解いている姿とかみていると
普段の学生生活で友人の指輪に自分のトータルコーディネートの総額が負けたときとか
生活費のために働いているバイト先で(仕送りは当然なくて、奨学金は全部学費に回している)
「今日8万もお買い物しちゃった☆」って会話が蔓延っている休憩室に座っているときとかの
胸の下あたりを細い糸でキュッと結ばれたような惨めな気持ちを思い出す。
両親には「勉強机を買ってあげて」って春に言ったけれど、結局叶えられず。
私はせめてと思って妹に自転車を買った。
安物だけれど、これで図書館に行って勉強してほしいなと思って。
片道40分かかるけど、無理な距離じゃないし、父とテレビに挟まれて勉強するよりかはマシだろう。
「ありがとう」と言ってくれた妹を見ていると、
最寄り駅まで1時間ちょっとかかった家だったけど、借家の一階建てでボットン便所だったけど、
(惨めな思いはしつつも)貴重な体験がいっぱいできて、
(お金かかるからあまり満喫はできないけれど)読書以外の趣味も見つかって、
なにより素敵な友人たちができた。
ただ、私の家は結構な貧乏だってことや、20歳でデキ婚は当たり前じゃないってことなどに
気づかされたのは正直とても辛い。
私は来年そのまま東京に残って希望していた職に就くことになった。
そのことを伝えた時、両親はいつでも帰ってきていいよって言いながら泣いてくれた。
家族のことは大好きだ。本当にこの家の長女でとっても楽しいし幸せだと思う。
でも、お金はないのに物で溢れている家だとか、母が10年間ずっと着ている服だとか
実は黙っているけど結構な額の借金があることとか、東京までの往復費が出せなくて未だ一度も遊びに来てないこととか
友人は奨学金借りていないし仕送りももらっていることとか、お母さんの車はいまだにカセットなこととか
そういうのがただただ悲しい。
私に何ができて、どうすればいいのかも分からない。
最近は貧困問題がよく取り上げられていて、色んな人の声を聞く。
その中には想像も絶するくらい苦しい状況の人たちもいる。
でもだからって「自分は貧困じゃない」「まだマシだから弱音を吐いたらいけない」とは思えない。
何が言いたいのかまとまってなくてごめんなさい。
気の置けない友人たちにも言えない私のコンプレックスを酔いにまかせて吐き出したかっただけなんです。
私はこのまま東京に残って就職するけれど、いつでも帰ってきなさいと言ってくれる両親を裏切れるように頑張る。
せめて自分の子どもにはこんな惨めな思いをさせないように頑張りたいし、まずは結婚できるように恋人を作るところから頑張る。
結局どんな大学に入っても頑張らなきゃいけないことはなくならないし、
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
現実はもちろん、この界隈ですら、よくみるだろ?
ああいうものって客観的に考えて面白いだとか、面白くないだとかいう判断が、すっ飛ばされているんだよ。
けれど、思わず発することを止められない。
自制がきかないんだ。
何かを書いてそれを晒すことって、言葉を発するよりはモノを考えているように見えるけれど、ほとんど同じになってしまっているのさ。
それを予見した「シルバー事件」のアノ話はやっぱり面白いよな。
そういえば親父ギャグは、歳をとって判断力が落ちた人がやってしまうという話もあるな。
そう遠くない未来、物事の分別のつかない若者と、思考力と判断力の落ちた老人ばかりのネット世界がくるかもしれないのか。
……今とそんなに変わらないな。
前に言った事があったような……、なんだっけか。
今は副業で、なんかよく分からないことを、よく分からない人たちに説明する仕事もやっている。
「目を見て話せない」、「ついつい女性の胸に目がいってしまう」問題を解決するため、胸型のメガネを作る商売にも手を出していたなあ。
自分の好きな曲はイコール歌詞が好きな曲だった。共感できるとか、言い得て妙だとか、洒落てるとか。ある時音楽の素養のある友人に「歌詞なんて気にしたことがない、曲がいいかどうかだ」と言われた。曲がいいとか悪いとか考えたことがなかった。ノリの良い曲だ、とか、暗い曲だ、くらいの認識。
しょっちゅう聞いたことのある曲を好きになるものだとは思っていた。親が好きで車でよく流していた曲、アニメの主題歌、ドラマの主題歌。
とにかく曲の良し悪しの判断基準が分からない。なんかいい感じ、くらいの感覚を良し悪しと言うのだろうか。爽快感とか?意外性?あの時友人に説明を求めたら教えてもらえたのかもしれない。惜しいことをした。誰か教えてください。
仰りたいことは分かります。
そのうえで言い得て妙だと思った加藤ヨシキさんのツイートを引用します。
>「王様は裸だ!」と指摘するのは良いと思うんですが、「王様は裸だ!あの小さなチンポを見ろ!あれじゃ奥さんも浮気してるに違いないぜ!」まで行くと王様も怒りますし、なんなら奥さんも怒りますし、周囲もなぜそこまで言うのかと思いますよ。その辺の常識と礼儀は大事にしていきたいです。(https://twitter.com/DAITOTETSUGEN/status/699594948023181314)
どこの世界でもそうですが、ニワカは古参に叩かれます。文壇もスポーツも音楽もゲームも仕事も。先達に比べて知識量のない人が偉そうにしているのは、鼻につくものです。でもね、ニワカが罪を犯しているのかというと、そうではないと思うのです。
誰を傷つけたわけでもない。知識がないだけでアホ呼ばわりされて叩かれるのは、やはり不当で止めるべき悪習だと自分は考えます。(腹が立つのは仕方のないことなので、出来るだけそれを外に出さないよう心がけたいと思っています)
映画を羅列する意味についても、大本の記事には「私を構成する9枚のCD」という企画を読み、それに着想を得たとあります。羅列に意味はないとしても、実際に彼は羅列を面白いと感じ、それで記事を書いた。それは好みの問題に過ぎません。(パク……インスパイアの問題はあるかもしれません)タランティーノもよく映画ランキング作りますが、世界中のファンがそれを待っています。年間200という数字が、タランティーノの存在同様の重みを持つかどうかは、それぞれの読者が判断することです。
アクセス数云々も「彼には認められる記事が書けなかった」という意味で使用した表現で、記事の存在意義を問題にするのなら「彼には意義ある記事が書けなかった、以上」というつもりで書いたものです。分かりにくかったら申し訳ない。
興行作品である映画は、観客に受けるような工夫が(当たるかどうかは別にして)散りばめられています。玄人好みのものと、一般層に向けてのものはあるかもしれません。世間的に受けたとは言いづらいヱヴァQですら、スタッフロールに入った劇場内に立ちこめるポカーンとした雰囲気に「エヴァはこうじゃなくっちゃ!」とワクワクした人(悪いファンかもしれませんが)もいます。
表現規制の話とかでもよく出てくる話ですが、名作を排出するためには、ピラミッド的に数多くの駄作を必要とすると自分は考えています。多産とクオリティは比例の関係にある。ファッション映画が増えたからといって、名作が駆逐されるわけではないと自分は思います。ジャッキー・ブラウンがそうだったように、ファッション層ってすぐ離れちゃいますしね。ファッション的な映画がって、増えればすぐさまダサくなるし。(ホイチョイ製作映画も廃れました)カウンターカルチャーはそういう土壌で出てくるので、良い映画が無くなってしまうことはないと自分は思います。
表現の自由について論じたいわけでもなく、「老害になるのはよそうぜ」って自戒を込めて言いたいだけなんです。感じたことを書くことは自由で、だから自分も感想を書いているわけです。(『高知名度の漫画をドヤ顔で薦めてくる男たち』までくると「分かるわー」としか思えないんですが)
なのであなたが(なのかな?よく分からなくてすみません)そうなさったように、「自分はこういう記事の方が面白いと思う」って記事を書くのが、よりスマートでクリエイティブで良いと思うんです。でもそれにハリーハウゼンの名前も出てこないアホが……って言われるのはイヤじゃないですか。その名前を出さない理由だってあるかもしれないし。
より良いものを出せばいい。その方がかっこいい。他人を貶める必要は無いと思うんですよ。
と自分はやっぱり思うのです。世の中そんなもんでしょというのも分かるけど、やっぱりそれは変だと思うのです。前に書いたのと主張はほとんど変わらないから、蛇足だし、理解し合えるとは思わないんですけど、書かせていただきました。
あと話は移ってしまうんですが、「キル・ビルが駄目な人」ってのが自分にドンピシャで(文章からそういうにおいがしたんでしょうか?)、あれの楽しさが全然分からなくって……そうするとタランティーノ好きの話にも入れなくって、たいへん寂しい思いをしています。
小保方晴子がこんな有様になってしまったかについては非常に興味がある。
こうした興味が止まない心地になる点や虚言癖を指摘されている点を思うと、彼女は演技性人格障害というのは言い得て妙であるように思える。
この手記はそうした認識を一層に強めさせる内容であると、読み始めてすぐに気になった。
内容は研究者となるまでの人生をさながら"自己PR文"のように記述したもので、全然、腑に落ちない。説得力がないのです。
あまりにもテンプレ通りの誰もが納得できるような根拠しか述べられていなくて、正直、全てが嘘っぽく感じてしまった。
加えて、文章からは強烈なナルシシズムを感じ取られ、気分が悪くなってきたので、すぐに本を閉じた。なので詳細はわかりません。
彼女の主張は幾つかは真実で、幾つかは嘘が入っているように思える。
きっと、なぜこんな有様になったのかは彼女の自身も反省しきれていないのだ。
そう、彼女は文章からへりくだった姿勢や感謝の意が多く盛り込まれているのだが、なんというか、「そこじゃねえよ」といいたくなるようなツッコミがしたくなる。位取りがずれていると思う。
で、このズレた性格って、小保方家で育まれたんじゃないかと思うのだが、今回の手記では一切触れられていない。
これって、どういうことなんだろうか? きっと、小保方さんの母親は大学の先生ということは富みに影響を受けていると思うのだけどな...
彼女の家庭環境は、考え直させられるような材料になるし、きっと、小保方さん本人にとっても同情してくれる人が増えると思う。
仮説としては
「大学教授の母(研究能力に疑問)を持つプライドの高い娘が母を越えようと、持ち前の虚言癖とエエトコの娘であることを駆使して、ノーベル賞級の研究者となる(研究能力・学力不問)」
ってなことなんだと考えている。
純粋な小保方さんは母の大学教授というネームバリューに毒されて研究者を目指した。しかし、大学教授の母はあまり研究能力がなかった。
しかし、少女の小保方にはそれがわからず(わからないというのが適正がないということの換言なのかもしれない)、持ち前の妄想癖を元に突っ走っていった...
だいたいこんなとこですかね。
でもさ、研究能力がない人が教授になるくらい、日本の大学って遅れてるんですかね? 心理学の分野だけかな? 考えたくないですね。
ズボンのチャックが開いてる人に“社会の窓が開いている”と言う人がいる。
ちょっと感心した。
不味いよな、エチケットとして。
そして、社会的に不味いよな。
そういう意味で言ってるのかと思ったけど、ニュアンスが違うのかもしれない。
ところで、家事裁縫が得意な人に“エプロンが良く似合いそう”と言った見合い客を見た事がある。
何で見てもいないのにエプロンが似合うだなんて思った物だけど
想像してみると、エプロンって家事をする時以外特にそういう景色というか光景を見た事がないね。
なるほどエプロンが似合うとは言い得て妙だと至極感心したものだ。
話を戻すが、結局ズボンのチャックが開いている人を“社会の窓”と名付けるのは、
きっと社会的に危ない事だって既に分かってるからなんじゃないか?
社会の窓だって本来は違う意味のはずなのに、それを聞くとズボンのチャックが開いている男の人を思い浮かべる。
イメージって怖いなあ。