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はてなキーワード: 薄い本とは

2020-10-09

anond:20201008150230

何もしてないのに!何もしてないのに!薄い本ry

2020-09-03

奈瀬がかわいすぎる

胸がしめつけられる

いづるみの薄い本読まなきゃ・・・

2020-08-25

自分のためにアウトプットさせてください。

皆さんお元気ですか。大丈夫ですか。私は全然元気じゃないです。

心身共にというかダイレクト胃痛いです。

ちょっと自分を落ち着かせるため?蹴りをつけるために?書かせてください。


検索避けのためにちょっと隠語いかせてください。


私は竿が好きです。

出会ったのは1期4話でした。忘れもないしないです。リアタイはしてなかったんですが友人に面白いよと進められてまさかここまで沼るとは当時思ってもなかったでしょう。

4話みてKくんかわよ~!ってなってじゃあ1話から見るかって見て感動したのは今でも思い出せます。1期の1話の出来は秀逸ですよね。

これから絶望希望とわくわく。物語のすべての導入が入った素晴らしい出来だと思います。当時派手さはないけども本当に感動したものです。

2話もすきです。今考えるとまたプpgアニメ化でもされたら大幅改変されるだろうけども大好きな話です。


話が脱線しました。


まぁそんな感じで1期みてKAかわいいなぁ!ぐらいだったのですが、心の温度以降の二人にん??え??これは…?とても好きなのでは??と確信に変わっていきました。

ここで恐ろしかったのはKA好きってなった時点で12話終わるぐらいの一週間で薄い本24ページ本だしてました。ALO終わって24話が終わることにはマザロザまで読了してました。勢いって怖い。

そこからちまちま2次創作しつつ、いろいろ検索しててまだいろいろ緩かったのでweb版もゲットして読了しました。

web版アリシほんと長かったしなんか当時の勢い?みたいなのもあってたぶん熱量正規本とは違う先生が当時書かれた若さもあって読むのもなかなかしんどかったと記憶してます

文面的な意味でなくて、もっと削除された部分とかメンタル的なしんどさ。大戦編はしんどい辛いものだったよね。


それでも例のシーンは当時web版を読んでいた当時でもかなり、ああよかった。ようやく報われた。わたしもKAも…と感じたものです。

それくらい読者に昇華カタルシスを与えるシーンだったせいか、いつかアニメで見れたらいいなぁ。というのが当時でも思い描いたと思います


なので、ここ数年思い詰めて思い描いたシーンだったせいかまさかカットされるとは思っていませんでした。


いやもうなんかほんとなんというか、すいません。

まぁギャグとまとめられたシーンをカットはもう最悪理解できるんですけども、いやじゃあなんであん正妻会議やったんだろ。もっとふんわりでよかったのでは??Aいたから??

え?じゃあ飛行中に「思い出すね…」とかから始めたらよかったのでは??とか思うんですよ。シリアスでしょ。

アニメの枠がぎりぎりで構成もぎりぎりで、原作みてる誰もが50話でアリシは無理やろってみんな思ってたわけで。そんなのわかってますよ。

でもあのシーンって正直カタルシス象徴するシーンなんですよね。


カタルシス(英: catharsis)とは、本来演劇学の(特に悲劇に関する)用語で『心に溜まっている穢(けがれ)や鬱積(うっせき)を取り払い、浄化すること』


今まで前半から孤独苦痛を味わいながら戦ってきて大事親友すら失い自身も致命的なダメージを受けて、

ようやく復活した後で初めてようやく気心知れた恋人との本当に短い蜜月なわけですよ。

え。そこカットする意味って何?ふ媚とか言われてるけどそういうレベル感の話なんですかね??え??だってKSが培ってきたものって覆せないでしょ?


ただ、いろいろ落ち着いてアニメのこと考えるとここがカットされた部分って理由も見えてくるんですよね。。。


まずAの扱いが神垢のわりに神格化されておらず、ラーの地形操作すらも印象に残ったのは最初の一回のみ。

致命的なダメージそもそも受けていない。最初の欠損はあったけどもあとはフーンみたいなレベル怪我しかしていない。槍衾は?は?

吐血もですけども、あまりにもAのバックボーンが描かれてなさすぎる。表情など間の取り方にしてもあまりにもお粗末に描かれている。


って考えると、あのシーンの象徴であるKの労いの言葉である「痛かったろうに…」の言葉なんて言えるはずないんですよ。

だって大した怪我してないんだもん。視聴者がうわ!もうやめて!!しんどい!苦しい思いを、そもそもAしてないんだもん。

ぱっとみ三女神で一番軽そうじゃん。もうその通り。ぐうの音ない。

それで労いの言葉かけれる?正直Rのほうがひどかったよ!Sも足飛んでたよ!

Aなんて大したことないじゃん!って思われてしょうがないよ。だってそうしか書かれないもん。

それでKから労いの言葉言われてもアニメしか見てない人は納得しないよね。HAHA。そらそーだ。なにそれずるいだわ。

Rはもうなんかもうさ、回復できるからもう猛進的攻めだからっていうのはあるかもだけどもさ、あそこはオッケーでこっちはダメなのよくわからん

(Rの描き方は本当に愛があってすばらしかったと思います


正直三女神に関してはK妹に関してはすごくいいけど、ASに関してはほんとにひどいと思ってる。

Sなんて正直K妹と違って、正直孤独に戦って結局神格化もされないわけでさ、

R妹は神格化されて名前採用もされるわけで扱いが雲泥の差。

って考えるともっとSのことももっと印象的に描かれてもよかったはずなのにオジサマにすら負けてる印象。もう泣いちゃう


って考えるとAはマザロザの部分は最高だったけども印象に残る見せ場ってここだけだったよね…胃が痛い


ってまぁもうそういうことですよ。

あのシーンを納得させて流せるバックボーンそもそもアニメで流れてないわけで、

あそこでKAの夕焼けシーン流れたら、正直Aってそんな頑張った?は?みたいにアニメしか見てない視聴者が納得するわけないのかなぁというのが

私の結論になりました。自分で書いてて辛くなってきた。

なのでカット。。。ということなんでしょうね。


いまここまで書いてほんとに自分を無理やり納得させてるので賛否両論あるとは思うんですけどもすいません。


正直もうここまでKAの扱いでふんわりさせられてしまうと先に期待が持てないというかなんというか、

そもそも祭壇シーンもっとしっかりして掌返しクルー?とか正直期待できないんですよね。。

それすらもなんかコマ送りでなんか二人はこの世界に残りましたーってなんとかんく描かれてリアルワールド戻るとかかなぁ。

どんな終わり方をしても最後までみるとは思いますが、今後二次創作するまでメンタル戻せるかなぁという自分心配

別に底辺絵師が消えようがそんなことはどーでもいいんですが、こんなことで自分が好きだった作品と蹴りをつけるのがちょっと辛いだけです。



支離滅裂文章読了してくださりありがとうございました。


2020-08-24

FSD(性機能障害)になって二年経った

女性EDであるFSDというのになって二年くらい経った。

最初18禁薄い本を見ても感情移入ができなくなり、20年間エロ/非工口問わず妄想力が激しいオタクだったのに何も思い浮かばない。

まずいなと思いながらも、インスタント的なオナニー(安眠のためにするオナニー)ではオーガズムを感じるのでいいかと諦めていた。

 

だが、世の中は恋愛コンテンツであふれている。エロに直結するものは多い。

その中で恋愛にもエロにも心動かないしムラムラしない人間はどうなるか。

とてつもなく人生が楽しくない。何に対してもドキドキしない。

男女でも男同士でも女同士でも「相手を想う気持ち」が頭でわかっても心に入ってこない。

小説漫画映画アニメドラマ…FSDになる前は享受していたコンテンツ面白くないと本当につらい。

 

私は精神科婦人科に通っているので両方の病院相談した。

恥じらいは捨てたが人間としての三大欲求が欠けている。

「私なんて女じゃない、人間じゃない」。

自分は女で人間であることは間違いないのに、なぜかそう思ってしまい、情けなくて仕方なかった。

でもこのままにしておいたら人生が終わると思って相談した。

世相からクリニックの診察室のドアはカーテンになったところが多い。

私は待合室で待っている人が気を悪くしないよう、言葉を濁しながらも自分性的に興奮しないことを話した。

情けなくて涙が出そうになりながら。

結果は精神科でも婦人科でも「こちらの分野では問題はありません、通われている病院へご相談ください」という悲惨ものだった。

 

私は趣味官能小説を書いてはネットにアップしたり同人誌にしているのだが、FSDになってからは全く書けなくなった。

妄想できないからだ。この時の男キャラはどんな気持ちなのか、女性キャラはどこをどう感じているのか、全くわからないのである

大好きだった官能小説を読んでも機械的作業セックスをしているように感じて「この展開でセックス必要なのだろうか」とセックスがメインのコンテンツに対してまでそう思うようになってしまった。

私の妄想力は終わっている。 

夫にはこの悩みを話していて、治療をしようという方針になっている。いま通っている整形外科が終わったら専門の病院に行くつもりだ。

だが、夫は普通に現役で、治療が始まる前の段階でも私にエッチ気持ちを持ってくれている。

体調が悪くなく、できるときは協力できる範囲で協力している。だが、その時間苦痛ではないものの「なぜ?」という気持ちがあふれる。

私は何も感じないし、何も心が動かないので夫がエッチ気持ちになるのが不思議なのである

 

夫のことは大好きだし一緒にいると安心する。夫に優しくしたいし、喜ぶことをしたいし、一緒にいて安心してほしい。

私は夫が嫌いでも無関心でもない。夫もこんな面倒くさい私と別れずに結婚生活を続けてくれている。

愛情愛情で応えたい。夫に対してムラムラしたい。こんな惨めな気持ちが早く終わりますように。

 

でも専門の病院にかかっても「あなたは持病がありますね、かかりつけの病院でまずは相談してください」と言われたらどうしたら良いのだろう。

持病がやっかいなせいか病院受診できなかったことが過去に何度かあるので怖くて仕方がない。

追記

きっかけはわからないけれど、持病の薬で副作用出たのがちょうど二年前でそこから薬が変わりました。お医者さん、薬剤師さんに薬と性欲減退について相談しましたが「この量でそれは考えられない。副作用が少ない薬はもうこれしかないのでこれを服薬してほしい」とのことです。

もう一つの持病が年1回は脳のMRIを撮るものなので物理的な脳の障害は今のところ考えにくいと思います

anond:20200824025523

これは当て付けなんだけど垢ごと作品ネットから消そうとするから感想ももらえないんだと思うよ(SNSアカウントだけ消して作品だけを残すつもりだったらごめんね)

当て付け抜きに別なこと言うと未来感想くれる人を0にしちゃってるから感想来ないんじゃないかな。読み手経験なんだけど、マイナー推しカプのネタも絵柄も好みな10年前の薄い本を手にいれて感想送りたくなったことがあるんだよね。でもギリギリ支部がなかったころでサイトも見られなくなってて奥付のアドレス見て送ったメールも届いたのか届いていないのかもわからず(メーラーデーモン来てないから一応届いたのかしら)結局感想を送れなかっんだよね。こうして書き手認知している範囲では未来感想くれる人はいなくなっちゃうんだよね。

2020-08-13

anond:20200813021204

ところが不思議もの

一方では腐女子の中には

最初から同性愛公認されてる設定だとか

最初から男同士が恋愛的な意味ラブラブだと萎えると言い出す人"も"いる

(どの程度の割合かは知らん)

そういう人はどうやら

恋愛」ではない関係性(主従、戦友、先輩後輩、ライバル等々)に萌えるらしい

じゃあ男女間でそういう関係性のドラマでもいいじゃんと思うのだが

どうもそれだと普通恋愛物みたいで気が乗らないのだろうか

じゃあ一体どうしろと思うところなのだ

男女を逆にすると百合好き男子も同じようなもの

なんでみんな艦娘やら東方女子キャラ同士での

戦友だの主従だのライバルだののドラマ二次創作ばかり大真面目に作ってるのか

普通提督×艦娘エロい薄い本しか見ない人には永久理解不能世界

ミもフタもない話

男も女も本当はホモソーシャルが好きなのではないか

だって実際、同性相手の方が気が楽だし

無理に相手に気を使ったり

男たる者(女なんだから)こう振る舞わないと行けない

みたいなポーズに苦しむ必要もない

そう考えると逆に「友情みたいな恋愛」が良いのか?

そうすると男向けの萌えアニメ

外見はともかく性格が「少年のような少女」ばかりなのも無理からん気がしてきた

逆に普通の男女恋愛を描く少女漫画やレディースコミック場合はどうなのかは知らん

2020-08-07

anond:20200806212618

日本著作権法原則親告罪」の悪い面が如実に出た例ですね…

Vtuber二次創作されるように、原作サイドの裁量ファン草の根的楽しみを容認したり、それが1大文化となり好意的にも取られる良点もあります

が、いま配信によりあからさまに巨額の金銭が動くような状態で(実況は翻案の部分もありますゲーム本編垂れ流しみたいなところもあり)使う側も作る側も本来かなり厳密に取り扱わなければなりません。

自体に手を加えることは原作者、ユーザー双方から受け入れられないと思うので、コミケ薄い本とは真逆で、どうしてもと言う時は積極的に「製作元」に報告するのが現在ベターな解答ですかね…

2020-07-30

実家の方では、本を手裏剣のように投げて遊ぶ習慣があった

本を水平にして、本が開く側の角に近い位置を持つ。

手首で強くスピンをかけて、手裏剣のごとく、水平方向に回転させながら投げるのだ。

野球ボールのように手首を縦に振ってスピンをつけるのは、手首の構造上、わりと楽だが、本の場合は横に振ることになるので難しい。

そのためには持ち方が重要で、手を添えるように持つのではなく、指先だけで摘まんで持つのだとよく指導された。

なるべく本の角に近い位置を持てと言われたのも、今考えれば、手首から距離を稼いでモーメントを大きくするためだったんだろう。

本の角を摘まむなんて行動は日常に無く、そのたびに指が吊りそうになるわけだが、練習すると痛みにも慣れてきた。

やがてスピンは良くかかるようになり、本の飛距離も伸びて嬉しかった。

あと、物体は上側45度方向に投げた場合が一番飛ぶと言われているが、本の場合、それだとバサッと空中で開いて落ちてしまう。

そのため、本を投げる場合は、水切りの石のように、水平に投げる方が良く飛ぶとも言われた。

から、河に行って水切りの練習もした。

徒然でなく、目的意識を持って水切りしたのは、後にも先にもあの頃だけだ。

指を吊ってまで本を投げるのに比べたら、それは授業で眠りにつくくらい、無意識簡単だった。

それゆえ、河幅はそこまで狭くなかったが、石はたびたび対岸まで跳ねてしまう。

対岸に人が居ると練習ができず、シュッシュッと口に出しながら、手首を何回も「素振り」して練習に勤しんだ。

当然、薄くて大判な本ほど、空気抵抗が弱く、回転力が増すため飛びやすい。

すると、遊びの目的はいかに厚手で小さい本を飛ばすかに移ってくる。

小さいのでいかに手早くスピンをかけるかが勝負なのだが、それにもまして、厚手になるその重量に手首が負けてしまう。

スピンでの痛みは捻るような感じなので、捻れが戻るようにそのうち消えてしまうのだが、重量による痛みはグキッと来る致命的な痛みだった。

さすがにまずいと思って重量にこだわるのはすぐ辞めたが、一度だけ、広辞苑学校体育館の向こうの壁まで飛ばしときはとても嬉しかった。

今なら、鳥人間コンテストで対岸まで届いた人を見た気分とでも言うのだろうか。。

まあ、利き手利き手首?)は1週間くらい使い物にならなくなって、ノート左手で書いたり散々だったが。

もしくは飛距離を競うこともある。

こちちは手首への負担という点では、それほど問題ないのだが、費用的な問題が壁となる。

長く飛ばしたいとなると、体育館倉庫でも借りない限り、飛ばす場所は野外になる。

(ちなみに、学校廊下は長さ的に十分だったが、他の生徒にぶつかる、蛍光灯を割るなどのイベントを経て当然禁止されていた。)

すると、本は飛ばすたびに土や泥で汚れてしまう。

ある程度の汚れだと、本のページとページがくっつくので、逆に飛距離が伸びることもある。

それを「本が締まる」と呼んだりしたわけだが、それでも表紙面に付着する泥が多くなると、真っ直ぐ飛ばなくなる。

それゆえ、本には定期的な買い替え需要が発生する。

いや、野外で飛ばす人でなくても、少しでも飛ばしやすい本を求めて本を買い漁ったりする地域性なのだ

紙飛行機感覚で本を飛ばそうとする地域性なのだ

当然、古本屋もそういう需要を見越していて、価値はわからないが、とにかく薄くて大判な本を多めに扱っていた。

それは、ブックオフで100円なのにいつまでもまれている価値薄い本とでも言えばわかってもらえるだろうか。

そういえば、古本屋でいつまで経っても同じ本が積まれているというのも、大学入学で家を出るまで知らない現象だった。

そういうわけで、飛ばして遊ぶだけの内容がわからない本が、家にはいっぱい置いてあった。

から子供の頃は、どんな家でも2種類の本棚があると思っていた。

読む用と飛ばす用と。

後者は家の外に置いておくのが普通だったが、大人になってからは、そんな習慣は世の中に無いのだと聞いて、

逆に、汚れた本まで家に持ち込むの?家の中がドロドロになるのに気にしないの?と勘違い勘違いを重ねたこともあった。

あと、地元以外の家だと、壁に本をぶつけた傷が無いことも新鮮だったな。

あれ、窓を割らないように投げるもんだから、窓と反対側の壁によく付けちゃうんだよ。

花瓶や壁掛けの絵画なんかも、実物は大人になってから初めて見た。本を投げて壊すかもしれないから、実家には無かった。

そして図書館は、飛ばすための「道具」が揃う夢の場所だったが、当然そのような行為禁止されていた。

「本を飛ばして遊ばないでください」なんて掲示が貼られていたのは、うちの地域ぐらいのものだろう。

図書館においてだけ、本は本来存在意義を保つことができたのだ。

それでも、貸出を受ければ誰も見ていない。

図書館には必ずと言っていいほど、変なページで曲がり、ホコリや泥の付いた本があった。

図書館の本がこんなにキレイ管理されてる!と知ったのは、やはり実家を出てからのこと。

そういえば、実家近くの狭い公園にも同じ掲示が貼ってあったな。

野球ボールじゃなくて、本で近所の家のガラス割るっていう経験も、子供にはよくある経験だと思っていた。

うそう、良い子は真似しないでね。

2020-07-20

同人女」と僕

数年前のある日、僕はあるキャラクターに惚れた。

そのキャラクターのことを深く知りたくて、気づけばGoogleでその名を検索していた。すると、見たことのないファンイラストや、小説作品のようなものが、バンバン出て来るではないか

これが、僕と二次創作との出会いだった。

同人誌」の存在は知っていたし、それを「薄い本」と呼ぶ文化も知ってた。「腐女子」を自称する人にも会ったことがあるし、オタク文化を多少は知っているつもりだった。ただ、実際に二次創作作品を楽しんだのは、この時が初めてだった。 

検索で訪れたPixivというサイトの中には、僕の好きになったキャラクターイラスト漫画小説がかなりの数あった。(そのときはたくさんあるように感じたが、のちにそれは少ないほうだと知る)

それらの作者たちがツイッターをやっていることを知り、僕はすぐにツイッターを開始、作者たちにフォロー飛ばした。

それまでの僕のSNSの使い方といえば、リアルの知り合いとやり取りするか、芸能人有名人などの発信を遠くから楽しむ、その二択だ。

作者たちをフォローしたとき気持ちは、もちろん後者フォローを返してもらおうという気持ちはなかった。

ところが現在相互フォローという形でやり取りしているひとが増えている。

僕は絵も文も書けないので、ただそのキャラクターを好きだと呟いたり、仕事が嫌だとか、友達遊んだとか、そんな他愛もない話を呟くだけである

そんな僕と相互フォローだって

大変ありがたいことだ。

この頃は、そう思っていた。




「もうツイッターPixivを見るのやめよう」

その思いは、日に日に強くなった。

狭い世界ルールに向き合うのが、辛くなったのだ。

同人界隈の人間なら、これは共感できて当然だよね?」という共通認識を、まるで理解できないことが多くなってきて(さらに他の皆さんは理解できているのを目の当たりにして)、僕はふと、こわくなった。

そう、そもそも僕は同人というものを正しく理解していなかった。僕は同人について、「熱狂的なファンときどき勢い余って創作してしまうだけ、そういう人が地球上に意外にも多く存在していただけ」という認識でいた。

しか同人文化は、長い歴史を経てここに存在するのであって、暗黙の了解や、さまざまなタブーがある。

ただの消費者で、理解の浅い僕のような人間が、無責任に足を踏み入れてはいけない場所だったのだ。

このところ僕のフォローしている作者たちが、同人界隈…というか、「同人女」というものについて意見を述べている。

同人女」という言葉自体、初めて知るものだったが、僕の周りは作者も読者もほとんど女性なので、そのカテゴリに該当するのだろう。好きになったキャラクターは男だったから、当然なのかもしれない(僕は男)。

作者たちは主に、このハテナブログというサイト記事を読んで、思ったことを述べていた。

僕もいろいろな記事を読んでみたが、理解はできても全く共感できない。当然、作者の皆様が述べることにも共感できない。僕は、ただただ己の未熟さを深く反省するしかなかった。



楽しい時間だった。

僕は同人二次創作という文化本質をわかっていなかった。

ちょっと前に「コミケのようなイベントでは作者たちが顔を晒すんだから、来る側も顔とツイッターアカウントを申告するのが当然!」みたいなツイートがバズっていたとき、「アカウント名前を申告?認知ほしいオタク迷惑行為ではないか」と思ってしまったのだが、同人文化は「同じものを好きな者たちによる輪」であるのに対し、僕は完全にただのファン気分だったのだ。

やはり、一番好きなのは公式キャラクターなんだ。誰かと盛り上がれなくても、そのキャラクター作品応援する気持ちを大切にできれば、僕はそれでいい。

それぞれの幸せ無意識に踏みにじらないために、生きる場所は軽やかに変えていこうと思った。

最後まで読んでくれてありがとう

とある商業漫画家2からBL二次創作同人の民へ告ぐ

名前を出してこういうことを言うのを私も止められているので(他の人はどうか知らんが)、スルーされるかもしれませんが、感謝気持ちをここに書きます

私の書いた漫画は、同人の民たちに二次創作をさせるにはどう工夫するべきかを何度も編集と打ち合わせで話しました。そして、権利関係などはさておき、いち創作者として、二次創作特にBL二次創作のかき手・読み手(ここでは「同人の民」とする)に言いたいことがあります

個人としては、検索よけをして、公式関係者リプライを送ったりなんだったりしなければ、「どうしても二次創作を見たい/したい」というのはとてもありがたい話です。

それは、無料ネット広告配信しているのと同じ効果が得られるからです。もちろん、こちらが全て監修できるわけではないので、作品雰囲気や魅力を正しく伝えてくださる作者さんばかりではないですが、「認知を拡大する」という意味ではこれ以上にコスパのいい広告はありません。

例えば、私がただの読み手だった頃の話です。ネットで見かけた二次創作きっかけで作品を知ることは本当に何度もありました。私は両親が共に出版社に勤務する家庭で育ったこともあり同人作家にお金を払うのは自分の中のハードルが高く、薄い本は一冊も買いませんでしたが、原作は全て購入していました。

大体どんな作品でも、二次創作の量と売り上げは比例します。「同人の民を囲える=儲かる」の図式は確実に成り立つのです。

同人の民は原作を「履修」した後、推しカップリング推しごとのコミュニティ形成をアリが巣を作るみたいに各一次創作根本に作っていくことが多いですが、少なくとも私は、承認欲求所属欲、仲間づくりの基盤として自分作品領域に巣が作られるのは嬉しいです。だって作品の売り上げに繋がるから。富と名声は欲しいです。普通に

同人の民たちへ。ジャンル移動だのカプ界隈参入など、色々大変だとは思いますが、私の作品宣伝してくれてありがとう。おかげさまでこちらはウハウハです。

最近漫画ゲーム腐女子受けを狙ってキャラ作りされてたりするから」とか、「お金を落としてるのは私たちから」とかいうのは、その通りです。

検索よけをしっかりして、公式関係者リプライを送るような非常識行為だけ避けていただければ、私は御の字?ウェルカム渡りに船…?…うまく言えません。ごめんなさい。ですが、とにかく、今の二次創作同人文化に激しい感謝を覚えている私は、あなた二次創作をしているもの原作者かもしれません。同人の民たち、ほんと、マジでありがとう

でも、人のキャラ勝手に借りて二次創作で金儲けしてるやつは使用料寄越せバーカ。

2020-07-15

34歳腐女子人生謳歌している話

タイトルを見て、3秒で画面を閉じた方もいるだろうが、そんな方にはお時間をかけさせてすまなかったと思っている。

逆に、タイトルを見て、おや、と思った人もいると思う。

そう、私は、思い切り人の褌で相撲を取ろうとしているのだ。

何番煎じになるかはわからないが、お暇な方は少々お付き合い願いたい。

昨日は一日、32歳腐女子の話や、その友人側の話で持ち切りだった。

どちらの話も、とても興味深く読ませて頂いた。

からこそ、私も、人の褌で相撲を取らせて頂こうと思う。

何故そんなことを思いついたか理由は単純。

34歳腐女子

私が今、思い切り人生謳歌しているかである

私は、人生の2/3を腐女子として過ごしてきた、割と年季の入った筋金入りの腐女子だ。

見た目10秒でオタクだとバレるし、ファッションセンス絶望的。

メイク方法もよくわからないので、めちゃくちゃ濃いかすっぴんかの究極の二択だし、化粧品プチプラ以外持っていない。

しかも、話し始めたと思えばオタク特有早口マシンガントークで、他人ドン引かせる技術には定評がありすぎる。

まあ、よくいるステレオタイプな痛い腐女子想像して頂ければ、これ以上は語る意味を持たない。

ここで、私が他人の褌と言っている、32歳腐女子とその友人の話にほんの少し触れたい。

2つの話には、『30過ぎたら地に足をつけて年相応にふるまうのが常識だ』という共通認識があると思う。

からこそ、32歳腐女子は『自分子供っぽく恥ずかしいことに気づいた』と書かれているし、友人側は『Aはあまりにも幼稚すぎる』と書かれているわけだ。

30を過ぎたら、年相応の洋服を着なければならない。

30を過ぎたら、年相応の化粧品を使わなければならない。

30を過ぎたら、落ち着いた話し方を身につけなければならない。

30を過ぎたら、きちんとした職に就かなければならない。

30を過ぎたら、30を過ぎたら、30を過ぎたら……。

でも、ちょっと待ってほしい。

その共通認識は、本当に正しいのだろうか?

そもそもその常識は、一体誰が決めたものなんだ?

ここからが、私の本題。

はっきり言う。

そんな常識くそくらえ、だ。

何故そこまで私が言いきれるか。

それは、その常識を全て無視して、私が今を謳歌しているかである

私は、まさに32歳の時、髪色を思い切り派手に変えた。

まるでコスプレ用のウィッグのようなピンク色だ。

今では毎月カラフルに色を変えている。

髪に合わせて、メイクだって格段に色が増えた。

30を過ぎた大人らしいベージュなど、パレットの中で一番最後まで残ってしまう。

洋服も、20代のころの私が、『私にこんなかわいい服は似合わないから……』などと言い訳をして着なかったリボンフリルの服をガンガン着ている。

シューズクローゼットハイヒールだらけだし、ネイルは毎月指2センチを超えるスカルプが私の常だ。

勿論、オタ活だって自重しない。

どこまででも遠征するし、金で解決できるものなら全て諭吉解決だ。

(運営の懐に入らない金は使わない主義なので、チケット転売ヤーから買ったりはしない)

薄い本を作るために徹夜するし、好きな作家さんの本が手に入ったら泣きながら拝む。

同じカップリングの仲間と話をすればテンションは爆上がりして、落ち着いた喋り方なんてどこかへ飛んで行ってしまう。

言わずもがなツイッターは常にテンションマックスだ。

そんな私が、きちんとした職についているかと聞かれれば、弱小派遣会社派遣社員で、貯金など雀の涙である

こうして並べると、私は、『痛い』。

そりゃあもう、痛いだろう。

そんなのわざわざ言われなくたって、自分が一番わかっている。

でも、ここで私が言いたいのは、誰になんと蔑まれても、私はめちゃくちゃ今を謳歌している、ということなのだ。

勿論、社会の中で生きている以上、守らなければならないルールというのはある。

例えば、人を傷つけてはいけません、というような、幼稚園で習うようなレベルの。

でも、そういう、最低限守らなければならないルールを越えて、今回の例で言えば年齢なんかにがんじがらめになるのは、もったいないと、私は思う。

私は今、やりたいことをやりたいようにやっている。

誰に笑われようと、私は今、思い切り人生謳歌している。

そういう生き方もあるんだと、誰かに知ってほしくてこの文章を書いた。

もしもこの文章が、色んなことにがんじがらめになって生きづらくなっている人に届いたら、そんなに嬉しいことはない。

それでは、お付き合いありがとうおやすみなさい。

2020-07-13

anond:20200712204358

私もネット普及後のオタクから伝聞でしかないけど、昔はその名の通り本を作るサークル内の人しか薄い本を手にできなかったって話だから本が買えてほとんどの作品無料で見られるだけマシな気はしなくもない

2020-07-11

anond:20200711093727

薄い本は売るものではなく配るもの

以前増田クオカードつけてくばっちゃダメかなってのが来てたわw

2020-07-07

ゲームの独占権はほとんどない

https://twitter.com/yonemitsu/status/1278132426615611392

ブクマだと文字数に限りがあるからこっち

・まず脳内ルールブックだけができた状態アイデアの独占権はだれも絶対保護しない。できるなら「あの映画はオレが5歳のときに見た夢として独占権がある」っていいだすやつが続々出てくる悪夢からね。

・「保護してほしい、金がいらなくても敬意だけでもほしい」のならその国の政府法的根拠を出させる努力大前提。いら●とやさんのような善意の(業界にとっては悪夢の)フリー素材多いから。医者だって敬意もらうのに医師法つくってニセ医者占い師瀉血から自分たちを守ったでしょ。

・ちなみにゲームとおなじくらい独占権がない(敬意ごと搾取され放題)のがJ系タレント自分顔写真さえ自由にできない。これも肖像権法的根拠が相当薄いからだ。写真著作権のほうが強すぎる。あともとめる敬意の幅がひろすぎまとめきれなさすぎてまだしばらく法制化できないだろう。

・で、ゲームメーカーは敬意をもとめるなら戦わないといけない。そしてどのルール(=ゲーム)で戦うかを決めないといけない。

・新しいことを考えた努力(=アイデアの新しさ)とを盾にするのなら産業4法が強い。中国産類似ゲームも輸入できなくなる。

自然法則を利用して新しい思想をつくったらゲームへの敬意を特許権で守れるが、ゲームてのはたいてい人的ルールである。知恵の輪特許日本基準だとヤバい。(例外ビデオゲームの、描画処理速度・品質の向上や、つかいやすいUIの実現など純粋技術的な部分はガンガン特許になってる)

・新しい美的センスを加えたデザイン工業デザイン)は意匠権でまもれるので、カード独自デザインなら守れるが、デザインを買えた派生ゲームまでは防止できない。(画面デザインこっち)

商標権タイトルマークを守る。「はぁっていうゲーム」というフレーズだけをロゴ化して守る。響きが似ていても守れるし万が一新しくなくても使用が盛んならどうにかなる。

・次に強いのが著作権法。一番独占しづらいが求めるものに一番近くはある。「改変権」や「著作人格権」を侵害されたと訴えればおそらく現状のままでも勝てる。ルールブックの記述特に特徴としてみとめやすいだろう。ただし教育無料転用していいときめてあるのも著作権。よくよめばその場合人格権移転されないとか教科書場合補償金払うとかいろいろかいてあるから一番最初につつくべきはそこなんだろう。無駄になっても。

・ところではぁっていうアイデアは本当に新しいのか。演劇学校だのガラスの仮面だのですでに演じ分けとして訓練をやっていたのでは? 自然発生的にカードにしていたかも。最初にいった「●●という映画のあらすじは僕が5歳のときに夢でみたもので」という後出しジャンケン妄想やろうと同じ論理を振りかざしてないか

・新しく作られるゲームの中にも特許でまもれる、意匠でまもれる、商標でまもれるもの、いろいろある。アイデアの塊だろうということは部外者から想像がつくが、苦労した新しさがどこにあるかがゲームによって全く違うので一様なアドバイス専門家でもむずかしい。本歌取り関係もいりくんでいるだろう。リバーシオセロとか(知るヒトぞ知るが外部からみたら同じもの)。それは自分たちボードゲームカードゲームメーカーとして業界内の整理たとえば標準化や許諾ルートづくり、勉強会や共同登録会といった努力をしたりして世間要求していくべきだとおもう。薄い本みたいに!薄い本みたいに!赤松健みたいに!あるいはボドゲカドゲ版JASRACだのをつくるとしたらなにが足りないか考えればわかりやすいかもしれない。

一番たりないのは「一発屋」でおわらないだけの君たちメーカーの遵法意識だとおもうよ。許諾もしてないのにパクり類似ゲームがでても訴えないで悲しいですっていっておわるじゃん。悲しいですじゃねえだろがよ。もっとひどいと不勉強から知りませんでしたって有名ゲームとおなじルールで盤面だけちょこっとおしゃれにしたのを美術系の若いヒトがつくってくるとか。それ「悲しみ」で押しつぶすの?乱戦たのしい?どこまではなれればようやく古典と違うと認めるのか、とか、似ていることはわかった上でどういうライセンス手続きをとれば古典と似ていても市場に出して売っていいか、といったことをしっかりきめないで市場判定にまかせるからそういうことになる。

ツイッターで流したお願い」を教育者なり中国人なり外国マネっ子メーカーが守ってくれるとおもったら大間違いだから

法的根拠を揃えた上でどんどん訴えて(侵害警告書と請求書くらいは出して)いこ

国内競争にまけてたら国際競争にはとても勝てないよ

学術論文とおなじ

追記

https://anond.hatelabo.jp/20210706021144

あと不正競争防止法電子ゲームにはかなりフォローするようになったからそれも考慮しなね

anond:20200707203313

これはあかん

作品でない」と定義してしまうと二次創作薄い本ぱくりまくって海賊版サイトつくったやつを許すことになるぞ

妄想」だけ共有したかったんやろあーん?ってね

同じ二次創作勢をdisることになってしま

2020-07-03

オタクはこだわりが強いんじゃない

オタクというのは、どんなことでも楽しむのが上手い。面白がる才能がある人がオタク。ただそれだけなんだよ。

から深堀りして「ふけー!」と感動できるし、アニメキャラえっちな事してる薄い本みても「やば!こんな世界あるんだ!」と入っていける。

こだわるというのは、楽しむための一手段にすぎないわけ。こだわった結果楽しくなくなったら、そういうこだわり方を止める。これが正しいオタク

今の若い自称オタクたちは、オタクではないとよく言われるけれども、それは楽しむ才能がないのにキョロ充的にオタク文化に適応しなければ疎外感を感じるような環境に浸っている人が多いからだろう。だいたいSNSのせい。

オタクであれば、自分が好きなことに対してはとことんポジティブに切り替えてどんな風にでも楽しんでいくことができる。

それができないなら、その「好き」は自分の「好き」を裏切ってもいい程度の「好き」にすぎず、空気に浮かされていただけなのかもしれない。であれば離れたっていいんだ。

ということで、自分を裏切れてしまう人はオタクになれない。自分を嫌ったり、冷めた目で自虐したりしてしまう人は向かない。オタク自虐は大いにするが、あくま冗談であり、本心では自分の得てきたオタク体験すべてが愛おしいと思っている。

オタクとは、自分の内側から湧いてくるものをどうやってでも肯定しようとするくらいに自分が好きで大切でないと、貫いていけないものだ。

2020-07-01

同人

大人になってからオタクになったんだけど

忍たまがそういう薄い本になってることに驚いた、今はそういうオタク界隈に身を置いてるからわかるけど幼児向けアニメ大人がそういう対象としてみていることに違和感というか理解不能だった当時…

探せばなんでもあるんだろうね、

サザエさん同人ってあるのかな

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