はてなキーワード: 薄い本とは
細かいコマに隠された伏線や感情が多く、ある界隈では本格ミステリと評されているらしい、キッモ。
16人のトーナメント参加者とそのセコンド、そして大会主催者の暫定ラスボス田島ら、ほぼ全員がとにかく理屈っぽく考えてから動くためページ数のわりに中々話が前に進まない。
もちろんそれだけあって群衆劇っぽさが強く、誰かが勝ち上がるのか読めない展開が面白い。
その上作者が地球の重力に耐えられないのも相まって今年は一年中山本空の煉獄を眺めることになってしまった。
ぼっちの黒木智子が孤軍奮闘するドタバタギャグ漫画だった頃と、女子高校生たちのグループ間のすれ違いや掛け合いを楽しむ青春漫画だった頃とが最早単行本の数的にも逆転した、ジャンルを一口で言えない漫画。
主人公の黒木のことを人間として好きになる過程がちゃんと書かれており、次々に黒木ハーレムへ加入していくキャラが増えていくも、その過程の違いや、構成員同志のやり取りも多く、主人公抜きの回も増えてきている。
○ 吉本浩二「定額制夫のこづかい万歳月額2万千円の金欠ライフ」
財布を配偶者に握られて自由に使えないお小遣い制の悲哀を書く人間賛歌漫画。
よく小遣い怪人だなんだと、小遣い制の中でもがく人間性が笑われているが、根本的には自分よりも家族を優先したいという気持ちがあり、その裏にある家族愛こそが書きたい…… というわけでも無い気がしなくもなくなくない。
東堂の一途な気持ちながら揺れ動く感情の上下が見ていてとにかくドキドキして、読んでいて胸が苦しくなる。
特に今年はこの二人の関係に多くの進展があり、そのシーンの後、何度も最初から読み返しては唸っていた。
東堂×虎杖のリバあり薄い本書きたい。
○服部昇大「邦キチ! 映子さん」
映画のついて語る若人の部の面々が映画を語りまくる、映画プレゼン漫画。
が、最近は主人公とヒロインの関係性が気になる展開が多く、いや使用済みブラシを忘れるのはやることやってるだろと、ムズムズさせられた。
こういう男女がくっつくだのくっつかないだのがやっぱ盛り上がるんだなって、木根さんの1人でキネマとか私と彼女のお泊まり映画を踏まえた上で思いました。
○寺沢大介「SUSHIROAD」
暇があれば寺沢大介の話がしたいのです。
海× 鷹一の薄い本書きたい。
漫画家ゆでたまご先生のキン肉マンはネタバレ禁止なので、ラジオネームゆでた孫さんのメールを読んでお茶お濁すしかないから。
私的裁判「双龍会」を舞台に殺人事件の謎を解き明かす本格ミステリ。
架空法廷モノは数多くあれど、この作品が持つ「架空の法廷らしきもの」でないと描けない絵面の強烈さは、何年経っても色褪せない。
とにかく七転八倒してどこに向かうかわからないジェットコースター的展開と、フェアプレイの精神を徹底し開示されている情報だけでこねくり回すミステリらしい展開が相まって、どこを読んでいるときも楽しい以外の感想が出てこない。
本当に、本当におもしろっかったんだ……
TwitterでWeb漫画や安くまとめ買いできるセール漫画を面白おかしく紹介することの百億倍面白かったんだ……
読んだけど正直よくわかんなかったので、誰か楽しみ方を教えて。
というのは冗談で、コロナのおかげで学校行かなくなって良かったと思ってるいじめられっ子のみんな。
良かったね。
無意味な学校行事やクソみたいな学校の規則に頭を悩ます事もなくなったよ。
何ら興味の無い科目の授業中にモニター越しにゲームしたり薄い本読んでてもバレなくなったよ。
逆に興味のある事を好きなだけ学べるようになったよ。ゲームを作ったり、プログラミングをしてみたり。
普段お世話になってるママンのためにお料理の勉強だっていいんじゃないかな。
近現代史を一切教えようとしないクソみたいな世界史の授業よりはるかに有意義だよ。
ソーシャルディスタンスのおかげで声のデカいスクールカースト上位ゴリラにドッヂボール中剛速球を顔面に喰らう事もなくなったよ。
端的に言えば、好きなイラストレーターさんに有償でリクエスト(お題)を送り、イラストレーターさんがイラストを製作することで報酬を得るというコミッションサイトである。
オリジナル系のイラストはもちろん、ゲームアニメのキャラなども二次創作公認プログラムというもので原作者やメーカーにもお金が入るようになってるらしい。
自分はTwitterで見かけた好きなイラストレーターさんがいる。その方が書いてる薄い本も何冊か所有しているが、直接お会いしたことはない。
そんな方がskebを始めるというのだから、自分もリクエストしてみたいと思うことにそう時間はかからなかった。
1回目 リクエストをしてみる。金額はおまかせ金額の1.5倍の金額で、とくにエロ系のイラストは好まないので一般イラストをリクエストしてみた。
リクエストして5分もたたないうちに承認される。 どきどきして待った。 締め切りは90日あるが 結果として締め切り日が過ぎても納品されず自動キャンセルされた。
その1週間後にDMが来た。本来TwitterやDMで連絡しあうのはskebのルール上禁止されているのだが、締め切り日過ぎてしまったことのお詫びと
再送要請をするので承認してほしいとのことだった。 わざわざDMまでいただいて断るわけもない。 再送要請に同意することにした。
そこから90日過ぎたが、納品されることもなく DM等も来ることはなかった。 Twitterをみると仕事が変わったり、絵の仕事も入ってるようで忙しいようである。
それなら仕方ない。 skebでその人が自分以外の人から受けたリクエストイラストをがんがん納品してるのは見えてるけど、裏山しいが見ないことにする。
それから2.3か月後 Twitterに投稿されたイラストにコメントをつけたところ「2回も締め切りぶっちして申し訳なかった。今なら空いてるので良ければリクエスト再度してください」とリプをいただいた。
なるほど覚えていただいていたのか。 これは再度リクエストせねば不作法というもの… 前回よりもすこし気持ち金額を足して条件はさらに簡易的なものにしてリクエストをする。
即承認されたが、結果として3度目の締め切りぶっち。通算3回、最初のリクエストから実に9か月近く待たされたがなにも納品されずに自分のskebリクエストは終わった。
もう4度目はないだろう。再送依頼されても願い下げだ。 なんせ3度目を待ってる間に少なくとも5作品近くは他の人のリクエストを納品している。おそらく最初から描く気がなかったのだろう。
無論、描きたくないものは描かなくていい。金額が合わないなら断ればいい。 あくまでskebは有料のお題箱である。
それなら最初からリクエストを承認しないでほしいし、再送要請なんてして期待させるようなことはしないでほしい。
タイトルに"skebをやって好きな絵師のアンチになった話"と書いたが、ここにきて訂正させてほしい。 単純に絵師の人間性が嫌いになっただけである。
その人の絵は今でも好きだし、イラストが投稿されたらいいねでもRTでもしよう。 ただその絵師の人間性が嫌いになっただけである。
その絵師からすれば何万といるフォロワーの1人に嫌われただけで痛くもかゆくもないだろう。
でも有償リクエストをする側からすれば選び抜かれた推し絵師なんだ。 どうかそれだけは理解してskebでのリクエストを受けてほしい。
文庫本は1000円以内で買えて、1000円を超すのは大判の単行本。5年前くらいまではこんな認識だった。
では、令和2年の市場に出回っている文庫本の値段はどうだろうか。
高い。いかんせん高い。1000円を優に超える“文庫本”なんでザラなのだ。
====
おかしい。2000円出せば文庫本を3冊買えるという感覚だったのに。今は2冊でも予算オーバーではないか。
ネットで読みたい本を探し当てても、値段を見て絶望する。税込ではなく、税抜で1000円オーバーだったときのショックさは説明できない。
増税、出版不況、紙の価格の高騰、電子書籍の台頭等、紙の本の価格のインフレが起きる理由は何となく想像できるし、本の値上がりは現在の社会において不可逆的で、受け止めなければならない現実であることは分かっている。
しかし、それならばページ数と装丁の豪華さが価格と比例していない状況はどう説明すればいいのだろうか。
とある上下巻構成のミステリー小説を書店で購入した。1冊1100円ずつ、合計2200円だった。両方とも400ページも無く、ページ数としては特別多いわけではない。
コニーウィリスの小説を上下巻セットで購入したときも同じくらい取られたけれど、こちらは上巻だけで600ページ超。これだけ厚ければ仕方ないよねと諦めがつく。
ちなみに半沢直樹の1巻は同じくらいのページ数で、800円出してお釣りが返ってくる。
こうして他の本と比べると、高い買い物しちゃったなあと後悔するとともに、やり場のない怒りが込み上げてくる。
どうして、どうして(比較的)薄い本にこの値段を払わねばならないのかと。
加えて、件のミステリー小説本文の紙は、お世辞にも良質な紙とはいえなかった。読書中にシミのようなものを見つけ、自分で汚したのかと思ったら紙の汚れだった、ということが何度もあった。
そもそも文庫本って、「単行本の廉価版」として売り出されているものではなかったのだろうか。
ハードカバーの本は劣化しにくく長期保管に適している。それに、なによりも本らしさを実感できるのはハードカバーだと私は思う。ハードカバーでなくても、講談社BOXやハヤカワポケミスのように変わった装丁がウリのシリーズもある。そして、単行本は場所を代わりに文字が大きかったり紙が明るかったりするので、読みやすい。
今挙げたような単行本の長所が発揮されない代価として、安価で買えるというのが文庫本の長所ではないのか。
もはや文庫本が単行本の値段に近づきつつある。ここまできたら文庫という形態にする必要がないのではと私は考える。
長くなってしまったが、紙の本が好きなので、最近の謎の価格設定に余計に納得がいかないのだ。
不平不満を言いながら割高な文庫本を購入する私のような消費者は出版社にとって立派なカモなのだろうが、ここまで強気の値段を連発されると、じきに購買意欲が無くなるだろう。古本屋やフリマサイトでいいやとなる(図書館は返却期限があるのでイヤ)。
お気に入りのレーベルを見つける程度には現在進行形で読書に没頭しているので、出版業界は衰退して欲しくない。
だから、世の中の需要を喚起するためにも、私のためにも、文庫本を安くしてほしい。
価格インフレのメカニズムを完全に理解したところで、私が本の値段を下げられるわけではないから。
皆さんお元気ですか。大丈夫ですか。私は全然元気じゃないです。
ちょっと自分を落ち着かせるため?蹴りをつけるために?書かせてください。
私は竿が好きです。
出会ったのは1期4話でした。忘れもないしないです。リアタイはしてなかったんですが友人に面白いよと進められてまさかここまで沼るとは当時思ってもなかったでしょう。
4話みてKくんかわよ~!ってなってじゃあ1話から見るかって見て感動したのは今でも思い出せます。1期の1話の出来は秀逸ですよね。
これからの絶望と希望とわくわく。物語のすべての導入が入った素晴らしい出来だと思います。当時派手さはないけども本当に感動したものです。
2話もすきです。今考えるとまたプpgアニメ化でもされたら大幅改変されるだろうけども大好きな話です。
まぁそんな感じで1期みてKAかわいいなぁ!ぐらいだったのですが、心の温度以降の二人にん??え??これは…?とても好きなのでは??と確信に変わっていきました。
ここで恐ろしかったのはKA好きってなった時点で12話終わるぐらいの一週間で薄い本24ページ本だしてました。ALO終わって24話が終わることにはマザロザまで読了してました。勢いって怖い。
そこからちまちま2次創作しつつ、いろいろ検索しててまだいろいろ緩かったのでweb版もゲットして読了しました。
web版アリシほんと長かったしなんか当時の勢い?みたいなのもあってたぶん熱量も正規本とは違う先生が当時書かれた若さもあって読むのもなかなかしんどかったと記憶してます。
文面的な意味でなくて、もっと削除された部分とかメンタル的なしんどさ。大戦編はしんどい辛いものだったよね。
それでも例のシーンは当時web版を読んでいた当時でもかなり、ああよかった。ようやく報われた。わたしもKAも…と感じたものです。
それくらい読者に昇華とカタルシスを与えるシーンだったせいか、いつかアニメで見れたらいいなぁ。というのが当時でも思い描いたと思います。
なので、ここ数年思い詰めて思い描いたシーンだったせいかまさかカットされるとは思っていませんでした。
いやもうなんかほんとなんというか、すいません。
まぁギャグとまとめられたシーンをカットはもう最悪理解できるんですけども、いやじゃあなんであんな正妻会議やったんだろ。もっとふんわりでよかったのでは??Aいたから??
え?じゃあ飛行中に「思い出すね…」とかから始めたらよかったのでは??とか思うんですよ。シリアスでしょ。
アニメの枠がぎりぎりで構成もぎりぎりで、原作みてる誰もが50話でアリシは無理やろってみんな思ってたわけで。そんなのわかってますよ。
でもあのシーンって正直カタルシスを象徴するシーンなんですよね。
カタルシス(英: catharsis)とは、本来は演劇学の(特に、悲劇に関する)用語で『心に溜まっている穢(けがれ)や鬱積(うっせき)を取り払い、浄化すること』
今まで前半から孤独と苦痛を味わいながら戦ってきて大事な親友すら失い自身も致命的なダメージを受けて、
ようやく復活した後で初めてようやく気心知れた恋人との本当に短い蜜月なわけですよ。
え。そこカットする意味って何?ふ媚とか言われてるけどそういうレベル感の話なんですかね??え??だってKSが培ってきたものって覆せないでしょ?
ただ、いろいろ落ち着いてアニメのこと考えるとここがカットされた部分って理由も見えてくるんですよね。。。
まずAの扱いが神垢のわりに神格化されておらず、ラーの地形操作すらも印象に残ったのは最初の一回のみ。
致命的なダメージをそもそも受けていない。最初の欠損はあったけどもあとはフーンみたいなレベルの怪我しかしていない。槍衾は?は?
謎吐血もですけども、あまりにもAのバックボーンが描かれてなさすぎる。表情など間の取り方にしてもあまりにもお粗末に描かれている。
って考えると、あのシーンの象徴であるKの労いの言葉である「痛かったろうに…」の言葉なんて言えるはずないんですよ。
だって大した怪我してないんだもん。視聴者がうわ!もうやめて!!しんどい!苦しい思いを、そもそもAしてないんだもん。
ぱっとみ三女神で一番軽そうじゃん。もうその通り。ぐうの音ない。
それで労いの言葉かけれる?正直Rのほうがひどかったよ!Sも足飛んでたよ!
Aなんて大したことないじゃん!って思われてしょうがないよ。だってそうしか書かれないもん。
それでKから労いの言葉言われてもアニメしか見てない人は納得しないよね。HAHA。そらそーだ。なにそれずるいだわ。
Rはもうなんかもうさ、回復できるからもう猛進的攻めだからっていうのはあるかもだけどもさ、あそこはオッケーでこっちはダメなのよくわからん。
正直三女神に関してはK妹に関してはすごくいいけど、ASに関してはほんとにひどいと思ってる。
Sなんて正直K妹と違って、正直孤独に戦って結局神格化もされないわけでさ、
って考えるともっとSのことももっと印象的に描かれてもよかったはずなのにオジサマにすら負けてる印象。もう泣いちゃう。
って考えるとAはマザロザの部分は最高だったけども印象に残る見せ場ってここだけだったよね…胃が痛い。
ってまぁもうそういうことですよ。
あのシーンを納得させて流せるバックボーンをそもそもアニメで流れてないわけで、
あそこでKAの夕焼けシーン流れたら、正直Aってそんな頑張った?は?みたいにアニメしか見てない視聴者が納得するわけないのかなぁというのが
いまここまで書いてほんとに自分を無理やり納得させてるので賛否両論あるとは思うんですけどもすいません。
正直もうここまでKAの扱いでふんわりさせられてしまうと先に期待が持てないというかなんというか、
そもそも祭壇シーンもっとしっかりして掌返しクルー?とか正直期待できないんですよね。。
それすらもなんかコマ送りでなんか二人はこの世界に残りましたーってなんとかんく描かれてリアルワールド戻るとかかなぁ。
どんな終わり方をしても最後までみるとは思いますが、今後二次創作するまでメンタル戻せるかなぁという自分の心配
別に底辺絵師が消えようがそんなことはどーでもいいんですが、こんなことで自分が好きだった作品と蹴りをつけるのがちょっと辛いだけです。
最初は18禁の薄い本を見ても感情移入ができなくなり、20年間エロ/非工口問わず妄想力が激しいオタクだったのに何も思い浮かばない。
まずいなと思いながらも、インスタント的なオナニー(安眠のためにするオナニー)ではオーガズムを感じるのでいいかと諦めていた。
だが、世の中は恋愛コンテンツであふれている。エロに直結するものは多い。
その中で恋愛にもエロにも心動かないしムラムラしない人間はどうなるか。
男女でも男同士でも女同士でも「相手を想う気持ち」が頭でわかっても心に入ってこない。
小説、漫画、映画、アニメ、ドラマ…FSDになる前は享受していたコンテンツが面白くないと本当につらい。
「私なんて女じゃない、人間じゃない」。
自分は女で人間であることは間違いないのに、なぜかそう思ってしまい、情けなくて仕方なかった。
世相からクリニックの診察室のドアはカーテンになったところが多い。
私は待合室で待っている人が気を悪くしないよう、言葉を濁しながらも自分が性的に興奮しないことを話した。
情けなくて涙が出そうになりながら。
結果は精神科でも婦人科でも「こちらの分野では問題はありません、通われている病院へご相談ください」という悲惨なものだった。
私は趣味で官能小説を書いてはネットにアップしたり同人誌にしているのだが、FSDになってからは全く書けなくなった。
妄想できないからだ。この時の男キャラはどんな気持ちなのか、女性キャラはどこをどう感じているのか、全くわからないのである。
大好きだった官能小説を読んでも機械的な作業でセックスをしているように感じて「この展開でセックスは必要なのだろうか」とセックスがメインのコンテンツに対してまでそう思うようになってしまった。
私の妄想力は終わっている。
夫にはこの悩みを話していて、治療をしようという方針になっている。いま通っている整形外科が終わったら専門の病院に行くつもりだ。
だが、夫は普通に現役で、治療が始まる前の段階でも私にエッチな気持ちを持ってくれている。
体調が悪くなく、できるときは協力できる範囲で協力している。だが、その時間は苦痛ではないものの「なぜ?」という気持ちがあふれる。
私は何も感じないし、何も心が動かないので夫がエッチな気持ちになるのが不思議なのである。
夫のことは大好きだし一緒にいると安心する。夫に優しくしたいし、喜ぶことをしたいし、一緒にいて安心してほしい。
私は夫が嫌いでも無関心でもない。夫もこんな面倒くさい私と別れずに結婚生活を続けてくれている。
愛情に愛情で応えたい。夫に対してムラムラしたい。こんな惨めな気持ちが早く終わりますように。
でも専門の病院にかかっても「あなたは持病がありますね、かかりつけの病院でまずは相談してください」と言われたらどうしたら良いのだろう。
持病がやっかいなせいか病院を受診できなかったことが過去に何度かあるので怖くて仕方がない。
【追記】
きっかけはわからないけれど、持病の薬で副作用出たのがちょうど二年前でそこから薬が変わりました。お医者さん、薬剤師さんに薬と性欲減退について相談しましたが「この量でそれは考えられない。副作用が少ない薬はもうこれしかないのでこれを服薬してほしい」とのことです。
これは当て付けなんだけど垢ごと作品もネット上から消そうとするから感想ももらえないんだと思うよ(SNSのアカウントだけ消して作品だけを残すつもりだったらごめんね)
当て付け抜きに別なこと言うと未来の感想くれる人を0にしちゃってるから感想来ないんじゃないかな。読み手の経験なんだけど、マイナーな推しカプのネタも絵柄も好みな10年前の薄い本を手にいれて感想送りたくなったことがあるんだよね。でもギリギリ支部がなかったころでサイトも見られなくなってて奥付のアドレス見て送ったメールも届いたのか届いていないのかもわからず(メーラーデーモン来てないから一応届いたのかしら)結局感想を送れなかっんだよね。こうして書き手の認知している範囲では未来の感想くれる人はいなくなっちゃうんだよね。
一方では腐女子の中には
最初から男同士が恋愛的な意味でラブラブだと萎えると言い出す人"も"いる
(どの程度の割合かは知らん)
そういう人はどうやら
「恋愛」ではない関係性(主従、戦友、先輩後輩、ライバル等々)に萌えるらしい
じゃあ男女間でそういう関係性のドラマでもいいじゃんと思うのだが
戦友だの主従だのライバルだののドラマの二次創作ばかり大真面目に作ってるのか
(普通の提督×艦娘のエロい薄い本しか見ない人には永久に理解不能な世界)
ミもフタもない話
無理に相手に気を使ったり
男たる者(女なんだから)こう振る舞わないと行けない
そうすると男向けの萌えアニメが
日本の著作権法の原則「親告罪」の悪い面が如実に出た例ですね…
Vtuberが二次創作されるように、原作サイドの裁量でファンの草の根的楽しみを容認したり、それが1大文化となり好意的にも取られる良点もあります。
が、いま配信によりあからさまに巨額の金銭が動くような状態で(実況は翻案の部分もありますがゲーム本編垂れ流しみたいなところもあり)使う側も作る側も本来かなり厳密に取り扱わなければなりません。
法自体に手を加えることは原作者、ユーザー双方から受け入れられないと思うので、コミケの薄い本とは真逆で、どうしてもと言う時は積極的に「製作元」に報告するのが現在のベターな解答ですかね…
キミは薄い本ダウソし過ぎやでー
まーたアンタは薄い本をダウソし過ぎやで
本を水平にして、本が開く側の角に近い位置を持つ。
手首で強くスピンをかけて、手裏剣のごとく、水平方向に回転させながら投げるのだ。
野球ボールのように手首を縦に振ってスピンをつけるのは、手首の構造上、わりと楽だが、本の場合は横に振ることになるので難しい。
そのためには持ち方が重要で、手を添えるように持つのではなく、指先だけで摘まんで持つのだとよく指導された。
なるべく本の角に近い位置を持てと言われたのも、今考えれば、手首からの距離を稼いでモーメントを大きくするためだったんだろう。
本の角を摘まむなんて行動は日常に無く、そのたびに指が吊りそうになるわけだが、練習すると痛みにも慣れてきた。
やがてスピンは良くかかるようになり、本の飛距離も伸びて嬉しかった。
あと、物体は上側45度方向に投げた場合が一番飛ぶと言われているが、本の場合、それだとバサッと空中で開いて落ちてしまう。
そのため、本を投げる場合は、水切りの石のように、水平に投げる方が良く飛ぶとも言われた。
徒然でなく、目的意識を持って水切りしたのは、後にも先にもあの頃だけだ。
指を吊ってまで本を投げるのに比べたら、それは授業で眠りにつくくらい、無意識に簡単だった。
それゆえ、河幅はそこまで狭くなかったが、石はたびたび対岸まで跳ねてしまう。
対岸に人が居ると練習ができず、シュッシュッと口に出しながら、手首を何回も「素振り」して練習に勤しんだ。
当然、薄くて大判な本ほど、空気抵抗が弱く、回転力が増すため飛びやすい。
すると、遊びの目的はいかに厚手で小さい本を飛ばすかに移ってくる。
小さいのでいかに手早くスピンをかけるかが勝負なのだが、それにもまして、厚手になるその重量に手首が負けてしまう。
スピンでの痛みは捻るような感じなので、捻れが戻るようにそのうち消えてしまうのだが、重量による痛みはグキッと来る致命的な痛みだった。
さすがにまずいと思って重量にこだわるのはすぐ辞めたが、一度だけ、広辞苑を学校の体育館の向こうの壁まで飛ばしたときはとても嬉しかった。
今なら、鳥人間コンテストで対岸まで届いた人を見た気分とでも言うのだろうか。。
まあ、利き手(利き手首?)は1週間くらい使い物にならなくなって、ノートを左手で書いたり散々だったが。
もしくは飛距離を競うこともある。
こちちは手首への負担という点では、それほど問題ないのだが、費用的な問題が壁となる。
長く飛ばしたいとなると、体育館や倉庫でも借りない限り、飛ばす場所は野外になる。
(ちなみに、学校の廊下は長さ的に十分だったが、他の生徒にぶつかる、蛍光灯を割るなどのイベントを経て当然禁止されていた。)
すると、本は飛ばすたびに土や泥で汚れてしまう。
ある程度の汚れだと、本のページとページがくっつくので、逆に飛距離が伸びることもある。
それを「本が締まる」と呼んだりしたわけだが、それでも表紙面に付着する泥が多くなると、真っ直ぐ飛ばなくなる。
それゆえ、本には定期的な買い替え需要が発生する。
いや、野外で飛ばす人でなくても、少しでも飛ばしやすい本を求めて本を買い漁ったりする地域性なのだ。
当然、古本屋もそういう需要を見越していて、価値はわからないが、とにかく薄くて大判な本を多めに扱っていた。
それは、ブックオフで100円なのにいつまでも積まれている価値の薄い本とでも言えばわかってもらえるだろうか。
そういえば、古本屋でいつまで経っても同じ本が積まれているというのも、大学入学で家を出るまで知らない現象だった。
そういうわけで、飛ばして遊ぶだけの内容がわからない本が、家にはいっぱい置いてあった。
だから、子供の頃は、どんな家でも2種類の本棚があると思っていた。
読む用と飛ばす用と。
後者は家の外に置いておくのが普通だったが、大人になってからは、そんな習慣は世の中に無いのだと聞いて、
逆に、汚れた本まで家に持ち込むの?家の中がドロドロになるのに気にしないの?と勘違いに勘違いを重ねたこともあった。
あと、地元以外の家だと、壁に本をぶつけた傷が無いことも新鮮だったな。
あれ、窓を割らないように投げるもんだから、窓と反対側の壁によく付けちゃうんだよ。
花瓶や壁掛けの絵画なんかも、実物は大人になってから初めて見た。本を投げて壊すかもしれないから、実家には無かった。
そして図書館は、飛ばすための「道具」が揃う夢の場所だったが、当然そのような行為は禁止されていた。
「本を飛ばして遊ばないでください」なんて掲示が貼られていたのは、うちの地域ぐらいのものだろう。
図書館においてだけ、本は本来の存在意義を保つことができたのだ。
それでも、貸出を受ければ誰も見ていない。
図書館には必ずと言っていいほど、変なページで曲がり、ホコリや泥の付いた本があった。
図書館の本がこんなにキレイに管理されてる!と知ったのは、やはり実家を出てからのこと。
そういえば、実家近くの狭い公園にも同じ掲示が貼ってあったな。
野球のボールじゃなくて、本で近所の家のガラス割るっていう経験も、子供にはよくある経験だと思っていた。
そうそう、良い子は真似しないでね。