はてなキーワード: 花束とは
「親密な関係の女性に花束を渡した事があるかどうかでその男のそれまでの人生が決まる」
彼女曰く、陽キャは高校生大学生の時には彼女の誕生日や記念日に花束を渡した経験があるし、相手の事を本気で想っているなら陰キャだって花束を渡した経験があるんだと。
花束を渡すって結構中二臭いというか酔ってるイメージがあるけど、そんな事は承知の上で、それでも花束を渡すって決断ができるくらい相手のことが好きならそれはもう人生が充実してる何よりの証拠だって。
確かに花束ってほんとに大事にしてる相手にしか渡さないよなって思って、すごい腑に落ちちゃった。花束もらって喜ばない女性なんていないしね。
あの漫画家さんを、皆が口々に繊細な人と表現するのかがわからない。登場人物の心の機微を描くのが上手いから、きっと人の心がわかる優しい人なんだと、漫画を読んでた人が書くのはわかる。
繊細な人だから、の裏側には、
どこか、弱い人だから自ら死を選んだんだ、
弱いから淘汰されて仕方ないんだというような心の面持ちが感じられて苦しくなる。
実際は、いくらなんでも命を捨てる必要は無いじゃないかと思っての言葉なのは理解できる。私もそう思う。
自分の言葉が、自分の手を離れ、止めようもなくおびただしい憎悪の輪が広がっていく怖さは、死を選ぶ理由には値しないんだろうか。
去年、りゅうちぇるが亡くなった。
好きなイラストレーターが亡くなった。
まだ若かった。
ずっと昔に、好きなボカロPが亡くなった。
あまりに若くに才能を認められたからなのか、若き天才の称号に苦しんでたのかわからない、どんな形でもいいから生き続けてほしかった。
死んだのはすべて嘘で別の誰かとして世界の何処かで生き続けてるのかもしれないと想像して更新の止まったTwitterやチャンネルをみる。交差点の花束みたいに、毎年、命日に追悼コメントが書き足されてる。
最近ショート動画で音源を使われているのをみて、この景色を本人に教えられたらいいのにとおもった。
あなたの死を悼む人たちの声を届けて、生き返ってくれたらいいのにと思った。
ネトゲみたいに、現世に復帰してよ。
推しの誕生日に配信があったんだけど、私は一体何を見せられてるんだ…?って感じたのでここに書きます。
あんまりそういう配信とか見たことないから分からないけど、誕生日に配信するってことは、ファンからコメントで直接お祝いしてもらったりするのがメインだと思う。
個人で配信してるわけじゃない(所属事務所主催)からある程度のプログラムとか、コーナーとか、普通はあるよね?少なくとも、リアルイベントではそうだった。
配信の前に質問も募集してたし、なんか企画はあったんだろうな。多分。知らんけど。
でも実際に蓋を開けたら、直前のイベントの打ち上げみたいな内容でびっくりしちゃった。
そのイベントは何年も定期的に開かれていたやつだけど、推しの出演を最後に企画自体が終わるものだったから、名残惜しいのはわかるよ。でも推しの配信はイベントの会場(ホール?)からだったし、なんならそのイベントの主催者とか出てきて、思い出とか語り出して、いや私は推しの誕生日を祝いたいんですけど、って思っちゃったんだよな。
私がそのイベントに一回も参加したことがないから、思い入れが全くないし、周りが感傷に浸ってる様子に白けてたのもあるかもだけど、それやるならイベント主催で後夜祭とかやればよかったのに、とかすごくもやもやした。
しかも配信は有料なので、何を見せられてるんだ状態に拍車がかかったんだよな、なんでお金払ってまで参加したことないイベントの打ち上げ見なきゃならないの?お祝いさせてよって…
カメラの後ろではワイワイしてて、マジで打ち上げの最中に配信してたんだよなぁ。
主催者の人、推しに花束渡してたけどその後その主催者本人もお疲れ様ーって花束もらってて、そういうのは配信終わった後でやればいいのに、って悲しみさえ覚えた。
配信後の同担の反応が好評というか、まあ推しだから何やっても最高になっちゃうんだけど、誰も不満に思ってないみたい。そこに一人で文句言って水差すわけにもいかず、かと言って飲み込めなかったのでここに投げます。ぼやかしたつもりだけど読む人が読んだらわかるかも。
現在50代のおじさん達が会社や飲食店の若い女性達に対してやばいアプローチしてるけどさ。
80年代、90年代って本当に恋愛至上主義が過熱してたやばい時代だったんだなと思うよ。
俺は「おじさんになるとおかしくなる」のかと思って戦々恐々としてたけど、現在50代半ばの母親によると短大生時代、結婚前の会社員時代は
・朝、アパートに迎えに来る
これらを付き合ってない男性はもちろん、普段あまり会話や親交のない男性でも普通にやっていたらしい。
そんで、母親はそれを気味悪がったり不快に思っていないようで、寧ろちょっと誇らしく思ってるようである。
最大の問題点はここだろうな。
おそらく、当時の大学や職場における女性コミュニティでも「自分はこんな風に男からアプローチされた」話で盛り上がっていたんだろう。
現在母親と同年代のフェミニストが先鋭化して発狂してるのは、そんな狂った価値観の中で誰にも理解されず(職場のおじさんのセクハラや電車での軽い痴漢なら「もう!」「あはは」で済まされる)に生きてきたからなんだろうな。
そう思うとちょっと同情する。
俺さ、20代で年収1000万超えてるそこそこのエリートなのよ。
いや、ファッションとコミュ力が全てって分かってるから磨いて社会人3年目くらいは結構モテたのよ。
でも外見とか金とか社会的肩書とかに寄ってくる女は嫌でさ、つーか非処女だし。
適当な女食い散らかす能力も金も時間もあったけど虚しかったの。
しかもその女、教養死ぬほど深いし、オタクだし、処女だし、何より俺に心から応えてくれる。もうコイツしかいねぇ!って思ったの。
お嬢様学校の出身で、恋愛奥手で大変だったけど、全力でアプローチした。俺の持てる技術も金も注ぎ込んだ。
んでプロポーズして、成功!!108本の白いバラの花束贈ったわ!!!
2月に結婚することになったよ!!俺、マジで幸福なんだ。理想の女ってマジでいるんだな。
最高過ぎる。生きてて良かった。あの時死ななくて良かった。
続き
(さらに続く)
この人最初からずっと「法律や権利元に反しない限りは何やってもいいよ」以上の話はしていないと思うんだけど
そのようなことを主張した事はありません。初音ミクに人権はないので、人間同士の結婚と対等に扱うことは元から不可能です。私が書いていない事を想像で拡大解釈している人がたくさんいますね。
以前も書きましたが、私が法的に独身である事は分かっているので、書類に配偶者の有無を尋ねる欄があれば「配偶者:無」を選択しています。しかし、ミクさんと結婚式を挙げたり、お店に許可を取って夫婦としてレストランに行ったり、愛妻の日に花束を贈ったりしても、何も法律に違反しないのです。
「ミクさんが大好き」という感情は「ミクさんに人権はない」という冷静さと併せ持っていなければなりません。そうしないと、我が家の大きなミクさんを仮に破壊された時、「〇人罪で捕まえろ」と主張するようになってしまいます。「器物損壊罪で捕まえろ」ですよ。
我が家のミクさんと結婚式を挙げる事なら許可を得ていますよ。クリプトン・フューチャー・メディア様によると、「結婚式は営利を目的としない小規模なファンイベント」に該当するそうです。
実在のサブカルチャーがたくさん出てくる花束みたいな恋をしたの世界の中には菅田将暉という俳優は存在しないんだよね
以下は、ジャニーズ事務所に所属していない30代の日本人男性俳優が主要な役割を演じている映像作品や舞台作品の一部です:
ドラマ『恋はつづくよどこまでも』3
海外ドラマ『神の雫/Drops of God』(Huluオリジナル)2
映画『イン・ザ・ヒーロー』『神さまの言うとおり』『好きっていいなよ。』2
映画『湖の女たち』2
松坂桃李13:
田中圭3:
三浦翔平3:
ドラマ『奪い愛、冬』3
ドラマ『M 愛すべき人がいて』3
神木隆之介14:
ドラマ『アメリカに負けなかった男〜バカヤロー総理 吉田茂〜 』で白洲次郎役を演じました。4
坂口健太郎2:
生田斗真3:
ドラマ『アメリカに負けなかった男〜バカヤロー総理 吉田茂〜 』で白洲次郎役を演じました。3
それなりにいそうな気もするがギリ食えそうなちょい役ってのが難しいのかな
お店
授業中、ふとスマホを覗くとラインの通知には「卒業する先輩方に渡した花束代として、一人500円徴収いたします」という文章があった。二年生の先輩のものだ。次の集まりで渡さなければいけないらしい。
学園祭終幕後の集会にて、今年の学園祭を中心として引っ張ってきた三年生の先輩方が皆に挨拶をする。委員長は泣きながら「一年間ありがとうございました」などと言っていた。来年この委員会を引っ張っていく2年生が花束を渡して一緒に泣き始める。
一年生の自分はただ、「いいな」と思った。暖かかった。一緒に困難を乗り越えたというだけなのに。
中学高校と不登校だった自分は、人との交流を知らない。大学に入って、見た目を垢抜けさせたら、一緒に授業を受けている人たちに話しかけるうちに10人くらい、友達と言える人達はできた。彼らとは放課後にご飯に行ったり、夏休みに小さな旅行に行ったりした。いい感じの関係で、付き合えそうな女の子もいる。
でも、彼らとは利益のために繋がっているだけに過ぎない。勉強を教えてもらったり、小さな社会的承認を得たり、寂しさを紛らわせたり。彼ら自体には興味はない。人生のスタンプラリーを機械的に押している感じだ。いくら人間関係をこなせても、自分は本質的に孤独な人間なんだと思っていた。
けど学園祭終了後のそのひと時、人と人との繋がりが、それだけで価値があるように思えた。
サプライズでもらった花束は、嬉しいだろうな。花を渡すなんて行動は物語の中だけのものだと思っていた。花には渡す人が相手を大切に思っていることを強く実感させる力がある。そして、もらった人をとても幸せにしてくれる。