はてなキーワード: 後天的とは
広告にはアイキャッチという言葉があります。目を引く仕掛けという意味です。
美しいものやセクシーなものに反射的に目が行ってしまう(男女ともそうでしょう)、注視してしまう習性を利用しています。子猫の写真と同じで水着女性の写真にも同じような効果があります。
グラビア程度じゃ興奮しない
グラビア求める人は何を求めて買ってるの?
ここで言う「興奮しない」の意味は、すぐさま欲情するほどの効果をもたらさない、という程度の意味でしょう。
建築写真や鉄道写真を見た時の「興奮しない」と同じではありません。建築写真や鉄道写真で興奮する人もいますが、それも欲情しているわけではありません。
グラビアとて女体写真ですから、男の目を楽しませることには間違いありません。男性は女体を眺めるのが好きです。
むろん、中にはグラビアにAV同様の性的興奮を覚える男性もいます。私も軽度のグラビア趣味で、柿の種はAVとグラビアが半々です。グラビアの素晴らしさについては長くなるので割愛します。
チラを追うのは本能
はい。女装してるブ男とわかっていてもパンチラすれば反射的にパンツに目が行きます。
豊胸しているドラァグクイーンの胸元にも目は行きます。反射的なものです。
チラではない部分もガン見するのはなぜ
脚とか胸とか
基本的には本能を理性でねじ伏せて視線を引き剥がしますが、ボーッとしている時や、脚や胸の態様があまりに素晴らしい時はそれが難しくなります。
人類が生まれながらに持っている性本能に後天的な価値判断が肉付けされたものと考えればよいと思います。
語釈にもよりますが、本能と条件反射はくっきりと線を引けるものではなく、無意識下で強く結びついているのではないでしょうか。
食欲は本能だけど、実際に何を食べたがるか?は、後天的な文化的刷り込みで決まってるじゃん?
性欲も同じで、
強い性衝動は本能だけど、それをどうやって満たせるか?は、後天的というか、
小学生高学年くらいの性欲の成長期に、どんな環境に置かれているかで、結びつく行動が異なるんだと思う。
親から暴力を受けていて、自分も暴力を振るいたいと思ってる時に、性欲の成長が始まると、
その性欲は暴力を伴うようになる。
このあたりの態度をとることの大本はどこかで繋がっている。
同じ言葉が文脈によって褒め言葉にも悪口にもなるということが理解できない。
ひとつの言葉を「武器」に出来ると思うと、その言葉だけをひたすら繰り返す。
その言葉を「武器」だと認識すると、悪い意味で言われていないときでも少しの躊躇いもなく怒る。
例えば、「ユニーク」という言葉を悪口だと何かのきっかけで思い込む。
そうすると、どんなに良い場面で使われても「急にディスられた」と認識する。
気に入らないことや気に入らない相手がいると、場面にそぐわなくても「ユニークだ」「ユニークだ」と連呼して憂さを晴らす。
その意味が他人に伝わらなくても、自分の言葉が間違っているからだとは考えない。
「この言葉を通して伝えたい俺の思いを何故理解しない」とさらに繰り返すだけである。
驚くべきことにこの行動パターンの抑制に後天的な「教育」はあまり役に立っていない。
国立理系の大学を卒業したかなりの受験エリートでこういう人間を、自分はたくさん知っている。
・小さな子供を「若い」と言うことが許せず、「ガキ」と言わなければいけないと固執する。
・「ブス専」を自称したがり、「別に言うほど(その相手が)ブスじゃない」という否定を何故かとても嫌がる。
・「哀れ」という言葉を否定的な意味でのみ使い、どんなに弱い生き物も普通に可哀想がるという発想ができない。
などなど。
ただ言葉を間違えて覚えていると言うのとは違う。
「うる覚え」を「うろ覚え」と訂正されて、「ああ間違った」と思うような改善がそこには存在しない。
「この言葉はこのもの(大抵は不快な何か)に結びつけられていなければならない」という強硬な執着のようなものが存在するのである。
「論理的に議論が出来るかどうか」を見るのに、この思い込みの有無は最低基準でないかと思う。
繰り返すように、経験上これは単なるペーパーテストの成績ではなかなかわからない。
ペーパーテストには全く支障がないどころか、ある意味で向いているような反射神経の結果だからである。
記者の突撃に本当はロリコンじゃなく犯罪歴も離婚歴もない、交際歴もないことに鬱憤が溜まっていたって吐露してるけどこれって本当なんだろうか?
犯罪歴や離婚歴は事実確認ができるだろうけど本当にロリコンでないとしたら女性と交際できず生徒に悪口を言われたから幼い子供を加害するようになったってこと?もしくはそれらが嘘で元からロリコンなのを隠そうとしているんだろうか?
犯罪教唆かつ実際の事件に発展しそうな危険性があることは間違いないけど、本人の性癖が全くロリコンでないのにロリコンを焚き付けていたのか、不満を感じることでロリコンになりかけていたのか、元からロリコンでイキっていたのか、もしくは犯罪歴や離婚歴がないのが嘘なのかが気になる
もし後天的にロリコンという自我を獲得したのだとしたら、それが嘘であれ真であれ、弱者男性のミームで遊ぶこと自体がただ交際歴がないだけの男性を追い詰めて加害に走らせる要因になっているという証左であり、社会的に福祉が必要な男性と恋愛にアクセスできない男性の問題を一刻も早く切り離すべきだと感じる
第一こういう男と本当に生活苦な男性と更に収入が低いから結婚できない男性を一緒くたに語ること自体、弱者の皮を被った非モテの逆恨みを正当化してるだけじゃないか
40年生きてきて、ずっと不安の強さに悩まされ続けてきた。
子供の頃は、学校に遅刻するのが不安で、授業開始よりずっと早い時間に登校していた。
大人になった今でもそれは続いていて、始業の1時間半ぐらい前には会社に到着するように家を出ている。
それぐらい早く着かないと不安で仕方がないのだ。
通勤だけではない。
責任の大きな仕事を任せられると、不安の大きさに耐えられず精神を病んで、その都度潰れかけて、精神科のお世話になるのを繰り返している。
不安の強さは仕事を続けるにあたって大きな支障となり、責任のある仕事ができないため給料も上がらない。
仕事が辛くて転職も考えるが、転職自体が発狂しそうなほど不安でそれに踏み切れない。
そして俺が不安を解消するためにしている様々な行動が家族には迷惑らしく、家庭内不和の原因となっている。
子供はいない。自分は男であり結婚はしているが、子育てという行為への不安が強すぎて子供を作れない。
病院には10代の頃から行っていて、抗不安薬も飲み続けているが、それでもこうである。
思えば俺の母もそうだった。
母も子育ては不安だったんだろう。たびたびヒステリーを起こしてその都度引っ叩かれた。
幼少期の俺はいつ引っ叩かれるか分からず常にビクビクしながら生きていた。
今でも目の前の人が手を上に上げると反射的に身構えてしまう。
俺の不安の強さが先天的なものか、後天的なものかは分からないが、ともかく母親譲りだ。
その母は70歳を超えてだいぶ落ち着いたが、いまだヒステリーを起こすので自分も一生ああなのだろうと思う。
お盆の連休中の今でさえ、仕事のことなどが少しでも頭をよぎると不安が止まらず、心臓が高鳴る。
不安から逃れるには、ゲーム・酒・セックスなどで不安の対象を忘れるしかない。
しかし歳をとっていろいろ衰えてくるとこれらのことさえ継続が困難になってくる。寝ていても夢でまで不安になっている。
不安。
不安。
不安。
助けて。
一応今も仲良くしてるものの、女親2人っていうのがしんどくて家を出た。ビアンって言えとか主張は各々あるだろうけど、ここではレズって書く。
登場人物は
レズカップルの家庭って言うと「お母さん2人だね」っていい話し風になるんやけど、提供者の精液をスポイトでぶち込むみたいな方法で親1の腹から生まれたので、自分の感覚としては母親+同居してる女の人って感じになる
結局は産んだ方と接する機会が多いし、「母親が2人ですよ」って言われても意外とピンとこなくて、同じように甘えたりはできない。かといってもう1人からは父性みたいなのも感じないから父親代わりじゃないな、みたいな?
家族ってある程度は本能で理解するのであって、理屈じゃないんだなと保育園くらいから思っていた。
うちはレズカップル公表する系の親で、周りもあんま触れんとこみたいな感じで特に問題なく幼少期は過ごした。小学校3年生くらいまでは親2も歳の離れた姉みたいなものだと思えたし、割とみんなで上手くやってたと思う。
でも雲行き怪しくなってきたというか、嫌だなと思い始めてきたのがその少しあとだった。
私の通ってた学校にはクラスメイトの親たちが朝の時間におすすめの本を紹介して読み聞かせをする企画があったんだけど、親2がそこで大人が読む用の虹色系の本を紹介した。
それだけならまだ良かったのに、あげくに誰にも聞かれてもないのに、私がどうやって誕生したのかみたいなことを赤裸々に話し始めたのである。「精子はデリケートだから親1の胸の谷間に挟んで持って帰りました」とかエピソードトークを挟んで。小学校やぞ
これが私はとにかく嫌だった。恥ずかしさのほかに、そもそも親2は出産は無関係だったわけだし、親1と私と精子提供者の男(レズコミュニティの友達の知り合いかなんか)の間のことで、お前は関係ないだろという変な怒りもあった。
親2はアクティブで話が上手くて楽しい人だったけど何かと自己顕示欲強めのレズで、Twitterで同性愛ご意見番みたいなアカウントやってて、フォロワー数千人いるのを最近偶然知った。そのプロフィールに元〇〇(国名)在住って書いてあったけど、それは嘘だ。親2は修学旅行で1回海外に行った話をリアルでも擦り続けてるので、見栄を張りたい気持ちが強すぎる。
話は戻って、親2が教室でやったことは今思えば完全アウトのセクハラの域だったと思う。
だけど何言っても差別になりそうだからか、誰かの親がクレーム出すと思ったら驚くほど無風だった。クラスメイトにからかわれたりとかもなかったけど、あの時本当は誰かに親2を叱って欲しかった。
すっかり学校で腫れ物になった親2は、その後も学校の図書館に虹色系の本を多量に置こうと働きかけ、PTA便りに同性愛カミングアウト怪文書を載せるなどしていた。
あと、親1と学校行事に2人で来て人目も憚らずにイチャついてみたり、「着飾った他のノンケママとは違うのよ」感出したかったのか、授業参観にすっぴんショーパンキャミサンダルで来てみたりとかの奇行も続いた。さすがに児相に通報されたり学校に親が呼び出されたりするレベルじゃないけど、子供からしたら本当に恥ずかしい。
私の学校生活が全部親たちの幸せを審査するのオーディション会場に見えてるみたいだった。
「こんなに理想的な家庭!ナチュラルな私たち!子供達に新しい選択肢を見せてる!」っていう自己陶酔とPRというか。歳が行ってからの子供だったから、その時点でどちらも他の母親より若くはなかったし、女親2人っていう特殊条件の子育てに自信がなかったのかなと思うとかわいそうではあるものの、巻き込まれたこっちはたまったものじゃない。お父さんとお母さんが良かった!とはまた別の感情で、「普通が良かった」とずっと思ってた。
そして親2が男性嫌悪も強めで、男子と仲良くするとあからさまに嫌な顔をしたり、昼休みに男子と外で遊べないようなタイトなスカートを履かせようとしたりするのも当時は悲しかった。小学校時代はスポーツが好きで男子の友達も多かったのに、『運動ができて男女問わず友達がたくさんいる子』よりも、どちらかというと『賢い女友達に囲まれた賢い子』とか『女子を引っ張る強い女』みたいな立場を求められていたんだと思う。
別にお母さんとお父さんのいる家庭でも片親でも、ゲイカップルの子供でも、どの家庭にも多少はあることだろうけど、私はとにかく親2の顔色ばかり伺ってた時期が長くて、影響受けすぎて中学では本気で男嫌いになり、男の先生とかの前だと緊張しすぎて緘黙みたいになっちゃった時もあった。
当時はあまりにも男と話せないから、自分もレズなのかなと思ってた。今は無事に男嫌いが寛解してノンケとして生きてる。彼氏がいることは2人には言えてない。
親も別に私をレズとかバイにしたかったわけでもないと思いたいんだけど(親のコミュニティを見る限りレズとバイは後天的な人も多い)、「自分たちみたいに幸せになってほしい!」みたいな感覚が強かったんじゃないかなと思う。
母数が少ないだけであって私みたいに同性愛者の親の無理解に困ってた子供もいるわけだから、ノンケ親だけを「同性愛に無理解だ」って責めるのも意地が悪い気がする。
うちの親見てる限り、結局自分と違う恋愛趣向とか家族の形を理解できないのはお互い様というか、想像力の限界というか、いくら口では多様性を説いても、経験したものでその人の人生が構築されてるわけだし。
話逸れたけど、そういう学生時代を過ごしてグレはしなかったものの親2への不信感とか、親1の親2への依存とかを見てるのがキツくなってきて、数年前に家を出た。親1は子供に対しても依存心が強くてメンヘラなので説得しきれず、家出まではいかないまでも結構無理やり引越した。
親2のTwitterを見ると私は、早くに自立した最高の娘!一流企業に内定!英才教育でバイリンガル!みたいな扱いになっていて笑えた。近所でも「娘は海外留学した」とか触れ回ってるらしい。実際は職場は早く家出たくて選んだブラックだし、日本語しか喋れませんが。
結局、親2にとっては人生を彩るアクセサリーの1つとして子供欲しかったのかも。好きなところも楽しい時間もあったし、そういう側面だけじゃないのは分かってるけど、どうしても『親じゃない』という気持ちがある。
親1のことは母親だと思ってるけど、いかんせん親2と私にLINEして1時間返事がないと情緒不安定になって仕事を早退して鬼電してくる厄介メンヘラでもあったので、親2を繋ぎ止めるための道具の1つが子供だったのかな、と思わないでもない。
なんでこんな「そんなのノンケ親にもいるだろ!」って突っ込まれるであろう話を長々と書いたかというと、私の親をよう知らん人に「お父さんとお母さんが揃っていても世の中には虐待とかする毒親がいるから、優しいお母さん2人のところに生まれて良かったね!」みたいなことを言われたのがきっかけになる。
それ聞いた時に、「お母さん2人」みたいな優しい雰囲気の言葉とか、同性愛者の聖人化みたいなのはあんまり良くないなと思った。身体的な虐待はなかったと思うけど、毒親か毒親じゃないかで言えばうちの親はかなり毒だったし、同性愛者による虐待事件だって普通にあるし。
私は無事に大人になったけど、周りの差別とか制度とかの話じゃなくて、もっと同性愛を起点とした親の人間性みたいなところで悩むことが多かった。あの家に男で生まれてたらヤバかったんじゃないか、みたいな恐怖感もある。
差別に繋げて欲しいわけでもないから補足すると、学校での出来事以外はどのパターンの家族にも多少形を変えて起こり得ると思う。あと、レズカップルに育てられてハッピーな子供さんもいるでしょう。
でもなんとなく親同士が同性って言うとノンケ夫婦よりも崇高なイメージを持つ人が多いんじゃないかなと。モデルケースが少ないのもそうだろうけど、支援者も当事者も子供を手にしたその先はあまり考えてくれていない気がする。結局、今の技術的にどう頑張っても片方は血が繋がらないわけだし、「海外で暮らして養子をもらいます!」にしたって、家族の人数と役割を揃えたところで全てが上手く動き出すわけじゃないのよ。
社会制度を変えることに必死で、普通に子供を育てること+の難しさがあるって当事者も周りも気づいてない人が多いのかなと思う。あるいは見ないふりをしてるのかな。
圧倒的に不幸なわけでもない。上を見たらキリがないし、育ててもらった恩もあるし、たまに会うくらいならいいけど、1人で暮らすようになって気が楽になった。彼氏と会うのに罪悪感がないし、親が満足するような、レズカップルの正しい子供をずっと演じていた気がする。
最初に書いた通り多少フェイクもあるけど、起きた出来事は基本ノンフィクションです。
これを立場を反転させて「同性愛者が異性愛者の両親に感じている苦痛だ!」って言う人もいるだろうけど、立場でいうと同性愛者の親に育てられたノンケの方がマイノリティになるので、どうかマジョリティ側の体験談に取り込まないでほしいな、と思う。
ワイは書字障害/書字表出障害があって、母国語ですらギリだけど、特別に困ったことは無いで。それはPCであらゆることを行う時代に生まれたからやね
(増田だって、みんな手書きで書いちゃいないし、書けない漢字も使ってるでしょ)
強いて言えば、学生時代はノートを取ること・提出することを放棄していて、ワイはめっちゃ顰蹙を買ってたで
ワイの時代にはノートを取って提出しないと、3の評価をつけるアレな教師とかもおったので内申死んでたで
もし、子どもが、書くスピードが極端に遅くて、ノートを取れていないなら、黒板の写真を撮ったり、PCやタブレットを使ってノートを取ることを学校に申請してあげると良いかもね
ワイは、外資にいた(いる)・グローバル対応するのに全然出来んやで。音とスペルが違うからぜんぜん単語が覚えられん
基本的に仕事では下々の者は話すことよりも書くことが主だし、学校でも英語でレポートを書かないといけないこともある
だから、書字障害/書字表出障害用の英語(特に単語)の対策をしてあげると仕事や学校でだいぶ楽になると思うで
英語に対応できる人がいない時はDeepLに頼って返答するけど、やっぱ片言だと伝わるか双方で不安になる
それにいくらネイティブじゃないと言っても限度はあると思う(無能なのに日本人ってだけで何カ国もできる通貨の弱い国の人よりも給与を貰ってすまンゴ)
あと、今時の若者はみんな英語ができるので、どんな仕事に就こうとも、マジで英語は必須。ワイもいつまで仕事あるのやらって思うし、
ここでいう言語化能力は、ライティングの技術ではなく、モヤっとした抽象的な感情や思いを不恰好でも自分の言葉で表現すること
自分が何を考えていて、何に困っていて、具体的にどんな助けが必要なのか?それを不恰好でもいいから、言葉で相手に伝えることができるようになることが、
自分の困りごとを言葉で表現できないと、調べ物もできないし、誰か(行政/医者/身近な人)に助けを求めることもできないんだね
これは運に恵まれていないと致命傷になるかもよ
とりあえず、言葉で感情や考えを表現するには、ある程度の単語力は必要そう。視聴覚障害者は単語を覚えることが難しく、それに伴って言語化が得意でないケースがあるので
ただ、この能力はライティング技術や話術とは別個のスキルなので、読書家である必要はない(例えば、出光の創業者は弱視で本を読まなかったそうだし)
あと、なにより重要なことは、専門家である言語聴覚士などに相談することだよね(専門家に相談する選択肢が元増田ない時点で雑釣りなんだね)
そういう学校にいた落ちこぼれだけど、そもそも勉強がつらくない人ばっかりだったよ
学ぶこと自体が好きだし 単純作業的な受験勉強も、めんどくさいけど結果がついてくるゲームのレベル上げみたいな感じの捉え方
彼らの中で1番良い進路は例年東大現役合格が3~4人程度の県立高校だった(ちなみに自分もひっそりとここに進んだ)。
高校進学まもなく、
「東大行きたい」と公言してる人は体感値で3割くらいいた記憶がある。
自分はというと、
「共通テストで9割取って、さらに二次試験で英語国語地歴×2数学1A2Bを課される頭おかしいとこ目指すわけないだろ」
結局、高校3年の夏頃にもなると東大目指す同級生は激減しており、
秋に開催される最後の駿台東大実戦はうちの高校からはたったの20人しか受験していなかった。
だいたいが早稲田(ほぼ教育社学文構たまに商や政経)か横浜国大か、あとなぜか明治に進学していた。
私は早稲田は全滅、慶応は経済商落ちて文と法に受かり、バンザイして法へ進学した。
スポーツの世界で何年に一度か現れる"勉強もめちゃくちゃ出来るプロ注目選手"が、記者に乗せられてしまったのか「東大受験」を公言することがあるのだが、
やはり彼らは東大にほぼ受からず私学に進学する(なぜか早慶落ちての立教が多い)。
中卒になる者も反社になる者もぜーんぶひっくるめた同世代のバスケットのなかで、「バケモノみたいに頭がいい」と評される者たちでも、
そんな彼らの中の上澄みでも結局は上の下程度の学力でしかない、
という現実を間近で目撃した私が疑問に思うのは……
どうやったらそうなるの?
生えてくるの?
聞くところによると学年の東大現役合格率で30%以上叩き出す高校(我の代の母校は1%未満か……)なんかだと、生徒同士でこんな感じの価値観が共有されてるらしい。
身の回りにいそうだけど1人もおらず想像すらつかない人種なので、彼らの生態も謎だし、後天的に育成可能かどうかも分からないし、受験までに何をやって生きてきたのか気になる。
毎朝鏡見てなんか老けたなって思うの、精神的ダメージがすごい。
朝晩美容液塗って、薄ら出てきてるほうれい線が消えますようにって祈る。
口呼吸しないように、枕に頬が当たらないように気をつける。
本当に本当にストレス。
こんなこと考えたことなかったのにな。
かわいい服を着るのが好き。
まだギリいけると思ってずーっと可愛めの服着てる。
もうそんなこと気にしたくない。
何だか自分だけは老けるということから逃げ続けられるんじゃないかって薄ら思い込んでた。
まぁそんなわけもなく段々顔が変わっていく。
美容医療とかに手を出せば多少マシにはなるんだろうけど、高いし、ずっと続けなければすぐ元通りだろう。
結局、自分のアイデンティティの中に「見た目」があると思っているから気にしてしまう。
誰だって老けたくない。
顔と服が似合わなくなったら、好きでもない無難な服を着る人生が始まるのか?
好きでない服を着ると、本当に本当に凹む。
かわいい服を着ることはずっと趣味でありアイデンティティだった。
仕事も、アイデンティティの一つだと思っているし、別に規模もスキルもショボいけどこんな仕事を出来てる自分が好きだった。
私が何時間もかけてやっていた頭脳労働はおそらく5年以内にAIがいい感じに1分で仕上げてくれるようになる。
だからといってAIによる進化には大賛成だし、便利になってほしい。
あとは趣味のお絵描き。もう何十年も描いてるから、多少は上手いし内容も自分ではいいと思う。
でも本当にただの趣味。
結局「社会から認められていること」が自分の中で無くなっていくのが怖いんだろうか。
社会的に、何も無くなってしうような気がして。
別に元々何もないんだけど。
今後もAIによって色んな仕事は奪われるので、目的が金ならもはや経営側に回る方が良さそうだけど。
正社員じゃないからな。正社員は性格的に向いてないから本当に諦めた。
こんなことで不安になることここ数年なかったのにな。
でも見た目が多少維持できたところで、仕事が延命したところで、この不安ってずっと消えないんじゃないか?
自己肯定感がない。
いい仕事してる自分・かわいい服を着てる自分という自己価値観は高めだったと思う。
それは後天的な自分なんだよな。何もしてなくても自分って最高〜!って思えないと一生不安。
無理すぎる。なぜ?
自分には価値がないから価値を高めよう、がすべてのスタートになってるんだよな。
どうしたら自分最高と思える?
絵が描ける自分は好きだけど、今後絵がもし描けなくなったら、もう全てのアイデンティティは消え去って生きていけなくなる気もする。
いや別に基本的にはそんなことのために描いてないけど、普通に楽しい〜!って描いてるけど、それでも自分とは?っていうところに立ち返ったとき、そういう効果が確実にある。
人と比べず、今を楽しむ?
そんなんでいいのか?
今が良ければそれでいい?数年後は?
何も分からない。迷走してる。
人生って難しい
持久力のある筋肉と瞬発力のある筋肉、太りやすい体質とやせやすい体質があるように、音感やリズム感、ゴッホのような色覚異常さえ、先天的な個人の資質というものがあるよね。科学や論理的思考、記憶力や考え方さえ、先天的要素と後天的要素の混在は避けられない。
身長が高くて運動が好きだからバスケを志すのと、ゲノム解析サービスで言語野に優れた特質があると判明した個人が小説家を志すのとは、どう違うだろうか。
後者が、特にゲノム解析をしたわけではなく、単に「自分は小説が得意なのでは?」「自分は小説が好きだ!」と思って志すのは、どう違うだろうか?「言葉の扱いが得意な人間が小説家に向いている」という差別を助長する?
教育だけ特別視してるみたいだけど、スポーツに限らず部活動を自主的に選ばせるのは、良くない制度かな?
小さな子が「バスケやりたい」「将棋やりたい」と親に願い出るのを、許すべきではない?
あなたは、今、どんな職業をしていて(答える必要はないよ)、それは自分の選択じゃなかったの?自分の得意を活かすものではなかったの?
ゲノム解析サービスで不得意と判定された資質(実際に判定されることなく、神様だけが知っていてもよい)を覆すほどの後天的努力を傾けて勝ち取った「得意」だけが、賞賛されるべき「得意」なのかな?