はてなキーワード: 大正とは
あまり知られていないことだけど、日本の少子化は、実は戦前から始まっているんですよ。
まだ、結婚が個人同士の契約ではなく、家同士が決めるだけで本人に強制されていた時代です。
実は、戦前の日本も少子化に悩んでいた。人口1千人あたりの出生率は
大正9(1920)年の36・2をピークに、昭和14(1939)年は26・6に落ち込むなど長期下落傾向を示していたのだ。
https://www.sankei.com/article/20160221-OC5JOSZ4HVKLVJVJI6TA5BSOOE/
当時の日本政府は、出生率の下落を恐れて「産めよ殖やせよ」政策を行った。
戦争に勝つためには、ぶっちゃけ人口の増加が不可欠なので、当たり前のことではありますが。
結局、戦争には負けてしまって、GHQがやってきて、日本の国力を落とす為には出生率を下げる必要があると考え、
https://twitter.com/himasoraakane/status/1641662940775591936
暇空が小学校に在籍していた平成元年~6年の間に吉野郡に異動した男性教員は…ンアォア
それではご覧ください
安堵(生駒)
真弓(生駒)
伊那佐(宇陀)
神末(宇陀)
上曽爾(宇陀)
育成(高取町)
朝和(天理)
浮孔西(大和高田)
暇空茜「小学校の先生とレスバになって詰めたら「E=mc^2」って黒板にかいてお前これ解いてみろっていうから、「お前俺より”先に生まれた”だけじゃん」って言ったら泣いちゃって、相撲やるぞとかいわれて相撲でボコボコにされたから校長にいいつけたら吉野の小学校に左遷された(実話)」は、たぶん実話
マリオと言えば変身。
キノコを食べて大きくなったスーパーマリオ、フラワーを食べて火を出せるファイアーマリオなどがいます。
産みの親である宮本茂だって、色々なものを食べて変身できるに違いありません。
変身した宮本茂さんにもっと色んなマリオを作ってもらいましょう。
遊ぶたびにステージが変わり1000回遊べる不思議なマリオを作れる。
・秋元才加を食べて広井茂
ハイクオリティな映像美が堪能できるアニメーションが流れ大正桜に浪漫の嵐なマリオ大戦を作れる。
高速感が売りの時代が求めた16ビットなマリオザヘッジホッグを作れる。
ボールに入ったマリオを動かすたべごろなマリオボールを作れる。
16連射でなんかする。
大正以前もそれなりにいたような…
知っている人は知っている、というよりも明治神宮周辺の森は右派が日本の科学界の偉業として国粋的に持ち上げてきた。
何故なら明治神宮の森、これは通称「鎮守の森」と呼ばれるが鎮守の森は人工森林なのだ。
鎮守の森は森林の自然形成を科学をもって予測し、人工的に段階を踏ませることで森林を形成できるのではないか?という試みの元に造成され、その予測は見事的中した。
大正の時代の時点で開発によって自然破壊が進むことが懸念されていた背景があり、更には大政奉還を果たした明治天皇であるから日本全国はもとより、中国・台湾・朝鮮などから樹木が提供され、鎮守の森は現在の左派が懸念する越境・外来種の樹木によって一部が成り立っている。
鎮守の森はまったくもって自然ではなく、当時の最新科学が用いられ、外来種によって日本原産種を追い込む手助けすらしている人工造成プロジェクトであり、それを守ろうとしているのが明治神宮外苑再開発反対に加わる一部の左派なんだ。
右派が明治神宮外苑に反対しているのであれば「またネトウヨか」「天皇制好きだよね」「はいはい日本すごい日本すごい」「外来種で国威発揚してんじゃねーよ」と嘲笑して済むのだが、何故か今回の明治神宮外苑再開発へ反対しているのは左派だ。
何故この明治神宮外苑再開発反対へ坂本龍一氏が興味を示したのか定かではないが、結局は明治神宮外苑再開発反対が達成されても右派が鎮守の森の偉業を喧伝するだけなので、明治神宮外苑再開発へ賛成しようが反対しようが無視しようが右派の手柄になってしまう。
明治神宮外苑再開発問題へ関わる一部の左派の中にはおそらく雰囲気で反対している人も多数居るだろうが、結局最後は得するの右派だぞと一応は伝えてあげたい。
大河ドラマ『青天を衝け』を見なかったか? 渋沢栄一の実家でも故郷の村でも女たちは皆せっせと働いていたろ。家事だけじゃないぞ。外で農作業をせっせとやってたろ。明治の女も大正の女も昭和の女も農村では皆せっせと野良仕事に勤しんでたんだよ。
シン仮面ライダーと同じような映画はこの世に存在する。ラブ&ポップやキューティーハニーだ。
それより連れられて見た「わたしの幸せな結婚」がちょっと見たことのない映画だった。
表紙と原作序盤は見たことがあり、所謂「スイーツ系」の認識でいた。
実際に見ると開始からなかなか世界観が作り込まれていて、認識を変えることになった。
美術にかなり拘っている大正浪漫恋愛ドラマな雰囲気を持っている作品で、そこは実際に間違いはないのだが、これは「なろう」に投稿されていた原作をもとにしているのでナーロッパならぬナー大正。架空の時代を描いている。
というわけでキャラクターは異能力を持っているのだ。映画としてだけ見ると異世界能力バトルになっていたのだ。
「わたしの幸せな結婚」というタイトルで出てきた作品にしてはびっくり設定だ。
しかし本作は基本的に恋愛ものであり、7割近くは主人公二人の馴れ初めが描かれている。
可哀想なほど虐げられて感情を殺して生きてきた主人公の女性が、嫁入りをした先に居たのは性格に難がある男だった…でもなんやかんや仲良くなる。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンというと語弊があるが、心を取り戻していく再生の王道ストーリーである。
しかし嫁いでもなお、執拗に元の家の継母は彼女を痛めつけようとしてきて……
ここまで軽く昼ドラ要素もあるのだが、ここからが異能力展開になる。
街中にはウイルスがばらまかれ…!!
原作を冒頭くらいしか見てなかったので「ど、どういうこっちゃ」と驚きつつ、シン仮面ライダーよりしっかりしたVFXバトルが行われるスクリーンを唖然としながら見ていくことになるのだ(なおバトルシーンは特に異能シーンがないのが謎だった笑)
多数のイケメン俳優がわらわら戦ってるのはシン仮面ライダーより平成ライダー感があった。
ラスト、完全に恋愛からかけ離れ少年漫画的な引きで終わる。続編作る気満々やんけ!
泣いてうるうる感動で終とはならないで少し困惑した女性客たちの声が上映後に起きるのもちょっと笑った。
別に恋愛でいちゃこらするよりは和バトルのが好みだしなという感想で今に至る。
続編するならテレビドラマ的なカメラワークは変えて、アクション監修をガッツリ入れるべきだと思ったが、もうこの時点で続編があれば見に行く気持ちになっていることに気づいた。
鑑賞後あれこれ考えたが実写作品では全然類似作品が浮かばない。
あれとこれをかけ合わせた作品だな、とは思うのだがズバリそれが無い。
せっかくなので同じバトルもの?としてシン仮面ライダー見た人たちにおすすめしたいと思う。
感想を聞かせてくれ。
フェミ活動家の事、女性(全般)って言うのヤメてください、みたいなヤツだよ。
最低最悪でも生きたまま自然界に放流だけはしてくれるな、と。
拙宅は田舎なので、養殖目的で副業推奨されたものの、特に定着せずに終わった食用ガエルの恐怖が遺伝子に刻み込まれている。
だから、牛とか豚とか鶏とか魚とか、そこらへんはともかく新規で養殖が推奨された、しかも繁殖力が強いヤツラが、と聞くと反射的にウゲェってなる。
上で終わったと書いたけど終わってなかったのが、外来種として自然界に定着してしまったウシガエルとザリガニ。田んぼに水が入ると増える。土が多いし水も、ぬかるみも多い田舎だと田んぼ以外でも増える。
しかし農家の人間は老人から子供まで、親の仇のようにウシガエルとザリガニを駆除してきた。何世代もかけて割りと減った。でもまだ居る。しぶとい。
一部地域で駆除しきれないハブとマングースみたいなアレも聞くし。
外来種が何でヤベェのかってのは義務教育の理科とかでもやったと思うんだけど、最近の授業だとやらないのかな?環境科学系の授業とか大正あたりまでの日本の歴史とか勉強してれば出てくると思うんだけどな。
近年なら防疫の観点からもヤベェのは知られたと思うし、知られてるといいなと思う。
日本の天皇陛下ってさ明治、大正、昭和、平成、令和と人格者が続いてるじゃん
あんな奴が国の象徴になるのはよろしくないのでこれからの天皇陛下は遺伝子操作で必ず人格者になるようにすべき
その上で不敬罪を復活させよう
こういうこと言うとはてなのバカ左翼はキレるだろうけど、お前らが大好き先進国白人様のオランダ、デンマークにだって不敬罪は存在するんだぜ?
トルコでは国父であるケマル・アタチュルクを侮辱すると罰則がある
明治~令和の天皇陛下を侮辱するのはよほど人間性の腐ったクズしか居ないので罰せられて当然
でも、秋篠宮家はクズ一家なのでまともな感性をした人ほどぼろくそに叩いてしまう。
そんな人が罰せられては国の終わりだ
それを解決するには天皇陛下を敬う心を育んで愛国心を取り戻すしかない
高校生の時の彼氏が母子家庭だったんだけど、普通に金持ちだったんよな。
祖父は医師で個人病院をやっていたらしいがとっくの昔に亡くなっていて、元教師の祖母と薬剤師のお母さんと3人で暮らしていた。家も大正に建てられたトトロみたいな洋館付き住宅。広い庭には苔の生えた石とか盆栽。玄関には祖母が生けたでっかい胡蝶蘭。座敷の床の間に刀と甲冑と束帯着たご先祖様の書かれた掛け軸。長屋門に蔵もあった。
彼氏は洋館の部分を使ってて、一階にはベーゼンドルファーのグランドピアノとコントラバスとヴァイオリン。屋根裏が彼氏の部屋で高そうなアンティークのベッドに机に脚付きの本棚。ピアノとバイオリンとテニスを習ってて予備校にも通ってた。大学は現役で私立医学部に入って東京で一人暮らし。
私の生活圏にいて付き合いのあった母子家庭が彼氏だけだった(他にもいたかもしれないが)こともあり、「母子家庭は生活が苦しい」みたいなのが全くピンとこない。うちが姉と弟がいる子供3人ってのもあるだろうけど、両親共働きの私の家より普通に裕福だった。
日本社会党中央執行委員長、議員淺沼稻次郞君は、去る十二日、日比谷公会堂での演説のさなか、暴漢の凶刃に倒れられました。
私は、皆様の御賛同を得て、議員一同を代表し、全国民の前に、つつしんで追悼の言葉を申し述べたいと存じます。
ただいま、この壇上に立ちまして、皆様と相対するとき、私は、この議場に一つの空席をはっきりと認めるのであります。私が、心ひそかに、本会議のこの壇上で、その人を相手に政策の論争を行ない、また、来たるべき総選挙には、全国各地の街頭で、その人を相手に政策の論議を行なおうと誓った好敵手の席であります。
かつて、ここから発せられる一つの声を、私は、社会党の党大会に、また、あるときは大衆の先頭に聞いたのであります。今その人はなく、その声もやみました。私は、だれに向かって論争をいどめばよいのでありましょうか。しかし、心を澄まして耳を傾ければ、私には、そこから一つの叫び声があるように思われてなりません。「わが身に起こったことを他の人に起こさせてはならない」、「暴力は民主政治家にとって共通の敵である」と、この声は叫んでいるのであります。
私は、目的のために手段を選ばぬ風潮を今後絶対に許さぬことを、皆さんとともに、はっきり誓いたいと存じます。これこそ、故淺沼稻次郞君のみたまに供うる唯一の玉ぐしであることを信ずるからであります。
淺沼君は、明治三十一年十二月東京都下三宅島に生まれ、東京府立第三中学を経て早稲田大学政経学部に学ばれました。早くから早稲田の北沢新次郞教授や高校時代の河合栄治郞氏らの風貌に接し、思想的には社会主義の洗礼を受けられたようであります。
当時、第一次大戦が終わり、ソビエトの「十月の嵐」が吹いたあとだけに、「人民の中に」の運動が思想界を風靡していました。君は、民人同盟会から建設者同盟と、思想運動の中に身をゆだね、検束と投獄の過程を経て、ごく自然に社会主義運動の戦列に加わったのであります。
大正十二年母校を卒業するや、日本労働総同盟鉱山部、日本農民組合等に関係して、社会運動の実践に情熱を注ぎ、大正十四年の普選を機会に、政治運動に身を挺したのであります。
すなわち、同十四年農民労働党の書記長となり、翌十五年日本労働党の中央執行委員となった後は、日労系主流のおもむくところに従い、戦時中のあの政党解消が行なわれるまで、数々の革新政党を巡礼されたのであります。
君が初めて本院に議席を占められたのは、昭和十一年の第十九回総選挙に東京第四区から立候補してみごと当選されたときであります。以来、昭和十七年のいわゆる翼賛選挙を除いて、今日まで当選すること前後九回、在職二十年九カ月の長きに及んでおります。
戦後、同志とともに、いち早く日本社会党の結成に努力されました。昭和二十二年四月の総選挙において同党が第一党となり、新憲法下の第一回国会が召集されますと、君は衆望をになって初代の本院議運委員長に選ばれました。書記長代理の重責にあって党務に尽瘁するかたわら、君はよく松岡議長を助けて国会の運営に努力されたのであります。幾多の国会関係法規の制定、数々の慣行の確立、あるいは総司令部との交渉等、その活躍ぶりは、与・野党を問わず、ひとしく賛嘆の的となったものであります。
翌二十三年三月、君は、日本社会党の書記長に当選、自来、十一年間にわたってその職にあり、本年三月には選ばれて中央執行委員長となり、野党第一党の党首として、今後の活躍が期待されていたのであります。
かくて、君は、戦前戦後の四十年間を通じ、一貫して社会主義政党の発展のために尽力され、君自身が社会党のシンボルとなるまでに成長されたのであります。淺沼君の名はわが国政治史上永久に特筆さるべきものと信じて疑いません。
君がかかる栄誉をになわれるのも、ひっきょう、その人となりに負うものと考えるのであります。
淺沼君は、性明朗にして開放的であり、上長に仕えて謙虚、下僚に接して細心でありました。かくてこそ、複雑な社会主義運動の渦中、よく書記長の重職を果たして委員長の地位につかれ得たものと思うのであります。
君は、また、大衆のために奉仕することをその政治的信条としておられました。文字通り東奔西走、比類なき雄弁と情熱をもって直接国民大衆に訴え続けられたのであります。
よごれた服にボロカバン
きょうは本所の公会堂
あすは京都の辻の寺
これは、大正末年、日労党結成当時、淺沼君の友人がうたったものであります。委員長となってからも、この演説百姓の精神はいささかも衰えを見せませんでした。全国各地で演説を行なう君の姿は、今なお、われわれの眼底に、ほうふつたるものがあります。
「演説こそは大衆運動三十年の私の唯一の武器だ。これが私の党に尽くす道である」と生前君が語られたのを思い、七日前の日比谷のできごとを思うとき、君が素志のなみなみならぬを覚えて暗たんたる気持にならざるを得ません。
君は、日ごろ清貧に甘んじ、三十年来、東京下町のアパートに質素な生活を続けられました。愛犬を連れて近所を散歩され、これを日常の楽しみとされたのであります。国民は、君が雄弁に耳を傾けると同時に、かかる君の庶民的な姿に限りない親しみを感じたのであります。君が凶手に倒れたとの報が伝わるや、全国の人々がひとしく驚きと悲しみの声を上げたのは、君に対する国民の信頼と親近感がいかに深かったかを物語るものと考えます。
私どもは、この国会において、各党が互いにその政策を披瀝し、国民の批判を仰ぐ覚悟でありました。君もまたその決意であったと存じます。しかるに、暴力による君が不慮の死は、この機会を永久に奪ったのであります。ひとり社会党にとどまらず、国家国民にとって最大の不幸であり、惜しみてもなお余りあるものといわなければなりません。
ここに、淺沼君の生前の功績をたたえ、その風格をしのび、かかる不祥事の再び起ることなきを相戒め、相誓い、もって哀悼の言葉にかえたいと存じます。
全国水平社宣言
綱 領
完成に向つて突進す
宣 言
多くの人々とによつてなされた吾等の為めの運動が、何等の有難い
効果を齎らさなかつた事実は、夫等のすべてが吾々によつて、又他
の人々によつて毎に人間を冒涜されてゐた罰であつたのだ。そして
これ等の人間を勦るかの如き運動は、かへつて多くの兄弟を堕落さ
せた事を想へば、此際吾等の中より人間を尊敬する事によつて自ら
つた。陋劣なる階級政策の犠牲者であり男らしき産業的殉教者であ
つたのだ。ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥取ら
れ、ケモノの心臓を裂く代価として、暖い人間の心臓を引裂かれ、
そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の悪夢のう
ちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあつた。そうだ、そし
て吾々は、この血を享けて人間が神にかわらうとする時代にあうた
のだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が来たのだ。殉教者が、その
荊冠を祝福される時が来たのだ。
吾々がエタである事を誇り得る時が来たのだ。
辱しめ、人間を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何
んなに冷たいか、人間を勦はる事が何んであるかをよく知つてゐる
水平社は、かくして生れた。
人の世に熱あれ、人間に光あれ。
水 平 社
ぼっちざろっくのアニメを見ている頃、俺はいつからかぼっちちゃんになりたくてたまならかった。
ぼっちざろっくの原作は前に3話ぐらい無料で読んだけど、その時は「ふっ……憐れな音楽女め……」と見下していたのに。
ぼっちちゃんみたいに努力したかったし、ぼっちちゃんみたいに可愛くなりたかったし、ふたりちゃんみたいな妹が欲しかったし、ふたりちゃんの残り湯に浸かりたかった。
そんなものは一時の迷いで、ぼざろが終われば「ちょwwwww大正野球娘キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!これは期待wwwwww」してると高を括っていた。
だが実際には、俺のぼっちちゃんになりたさは一月が過ぎても冷めず頭の片隅ではいつも結束バンドの歌が聞こえていた。
無数のブログを読み漁ったし、自分の性格や人生も徹底的に洗い出した。
答は得た(エンディングスチル)。
俺とぼっちちゃんには大きな違いがあって、だから俺はぼっちちゃんになれず、そしてそれはぼっちちゃんになる必要のなさを意味していたことを。
その答とは、俺は「寂しがり屋」ではなく、ぼっちちゃんは「寂しがり屋」だということだ。
友達ランキングの一位はいつも孤独で、二位を争うのは孤独をあいする誰か、大抵の場合は自分自身だが、時折孤独の愛し方が好ましい友人に出会ったりもするがお互いが孤独を愛するため気づけば離れていく。
人と触れ合いたいという願いを持ちながらその精神構造から繰り出す無数の奇行により気づけば1人になっていく。
そしてそれに苦しんでいる。
俺は孤独でも全く苦しくない。
お互いに人といる状態に苦痛を感じるというのは同じだろうが、それでも人を求めるぼっちちゃんに対して、俺は人を求めることをもう辞めている。
絶対的に違うのだ。
1人で食っていく方法さえ確立できれば、あとは金を稼ぐ以外の時間は孤独に楽しく暮せば良いのが俺だ。
だが、ぼっちちゃんは孤独なまま金を稼ぐことが出来るようになったとしても人の温もりを求めて彷徨うのだろう。
飢え方が全く違う。
というか俺は全く飢えてなんか居ない。
満たされてしまっている。
幸福という天敵を前にして、俺の中の創作意欲はもはや完全に消え去っているのだ。
気まぐれな承認欲求の元に、時折ふとそれがあればと求める時はあるが、実際にはそんなものを燃やしてまでチヤホヤされる気なんて無かったんだ。
覚醒したぼっちちゃんは語る「チヤホヤされたい。今度は皆で」と。
俺は違う。
その差だ。
なる必要がない。
もう俺の幸せをつかんでいる。
原則として間に3つ元号をはさめばOKらしい(たとえば大正・昭和・平成を挟んだ明治時代は令和になって解禁)
大正時代(たとえば大隈重信とか原敬とか)が解禁されるのは令和が終わってから
例外は時々あるけどね
同じ熊が何度も人を襲うことはないのか。ノンフィクション作家の中山茂大さんは「大正元年から2年にかけて、北海道の朝日村、愛別村などで起きた連続食害事件は同じ熊による犯行の可能性がある。最大8名を喰い殺した稀代の人喰い熊かもしれない」という――。
吉川伊平(37)は、近所の伊藤幸平を誘い、堅雪を踏みしめ、10線南10号山林中へ鉄砲を担いで出かけた。
吉川が獲物を見つけて発砲すると、音に驚いたヒグマが飛び出してきた。
いったん大木に登ったヒグマは、吉川を見つけると飛びおり、立ち向かってきた。吉川は直ちに第2弾を発射したが、ヒグマは吉川に襲いかかり、即座に噛み殺して、その肉を喰らい始めた。これを目撃した伊藤は恐れをなして逃げ帰った。