はてなキーワード: 大正とは
北関東で押し込み強盗が連発してて、金庫の在処教えろ見たいなこと言われて骨折られたりしてたけど、両親の実家の屋敷には新しくても大正期からあるめちゃくちゃでかい金庫があって(元々商売してた家なので)、昭和の終わりに曾祖父さんが死んで以降開け方がわからず放置されている
オールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)とは、3月11日に毎年のように「東日本大震災」の定期券を買わされた増田が、アンサイクロペディアの「3月11日は東日本大震災でもあるけど、それより前は何かの記念日だし、その後も誰かの記念日でもあるので普通の日とすべきだ」というのにぶち切れて366日(+α)を全て不謹慎の日として扱ってそれをリストアップした一覧のことをさす。
全て皮肉的に扱うため、Engrish表記+日本語Typoを用いる。
以下の順番でその日に起きた出来事をチェックしている。 基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合は海外も対象に入る。
なお1月~3月と11月~12月は雪崩による災害、6月~9月にかけては台風などによる豪雨などの土砂災害で安全地帯がほとんど存在しないことが判明している。
江戸:オランダ (「シャボン」、「カルタ」、望遠鏡など輸入)
明治:ドイツ (「カルテ」、「カリウム」、「ナトリウム」、プロイセン憲法など輸入)
第二次世界大戦後:主として米国 (身の回りのありとあらゆるものやウェブサービスを輸入)
といろんな文化を輸入して使いこなしてきてる(日本史でやるでしょ)
ドイツ語もその一つだが廃れかけていて、ちょっとけれんみが効いてくる
近代の英語でいうと「ラブい」だの「ファボる」だの元がなんの単語だかを気にしない程度に日本語に溶け込んじゃってる
ありふれた言葉でもドイツ語で「リーベ」だの「クーゲルシュライバー」だのというとなんか魔法かかってるっぽくてかっこいいからみんな使う、
明治大正のぎりぎりエンタメの中にでてきてわかる程度の古めの日本語(「糸し糸しと言ふ心」だの「君死にたまふことなかれ」あたり)とも相性がいい
ドイツ語なんてシャーロックホームズにいわせれば「動詞をさんざん虐待(分離させたり受動態でゲつけたり)したあげく一番最後にもってくるラテン語の方言」やぞ
人魚ってやっぱり「人」と言われるだけあるんだよね。
物語に出てくる人魚ってみんな可愛かったり美人だったりするじゃん。
鏑木清方の「妖魚」ってどこだったかな、都会の美術館の特別展で見たんだけど、美人のえっちなお姉さんじゃん。
でも違うんだよね。俺は釣りをしによく三方五湖の方のあんま人のいないところにいくんだけど、やっちゃダメなんだけどたまにちょっと海入るんだよね。
腰くらいまでしか行かないんだけど、1人でパシャパシャしていたらいつの間にか海側の背後にスッって立ってた。
いや立ってたってのはおかしいな下半身魚なんだから。そう言う風に浮いてたってこと。
いや上半身を出す音はしていたんだろうけど、他の波音と風の音で気づけなかったってこと。
顔はさちょっと浅黒くてそんな目鼻立ちは際立つ感じじゃない。鼻も低いし。
んで髪も濡れてるからボサボサと言うかお手入れしてない感じ。リトルマーメイドとか髪綺麗じゃん。その逆。
そりゃ外にいるんだから日焼けもするし髪も乱れるわな。よくない例えかもしれないけど昔の、写真で見る明治とか大正の労働者階級みたいな感じ。化粧なんかもしてないしね。海だから。
大体人魚って描かれる時はおっぱいエッチじゃん。描く方も気合入れるところだと思う。
でも普通よ。
そりゃそうだよな。普段生活しててもみんなグラビアアイドルみたいな感じじゃねーもんな。俺だって純烈みたいにカッコよくねーもん。人魚もそうなんだろ。
んでおっぱいよ。邪神ちゃんドロップキックの邪神ちゃんみたいにおっぱいが髪で隠れてる感じだった。邪神ちゃんみたいに全然エッチな感じがしない感じだったな。
「言葉はわかるか」と聞くと「少々のことは覚えはべり」と答える。
室町時代の地下官人が書いた日記『康富記』に人魚の肉を食べた女(やおびくに)が若狭から上洛したって記事がある。
でも目の前にいたらさすがに食べようとか思わねーな。
そのうち天皇が年下になる
傾向を見るため直近数世代の各時代の天皇即位時の年齢をWikipediaでざっと調べてみた。(誕生日をむかえるかどうかで一歳前後するかも)
令和 59
平成 56
しかも今みたいな平和な時代じゃなく、数百年続いた武家政権が返上されるという一大転換期に国のトップとして祭り上げられる中3or高1って想像しただけでプレッシャーがやばそう。
※3日連続の最終日 みなさんおつです
見逃したとしても
月曜祝日までのいわゆる3連休に3日連続特番と通常回が再放送されます
※10月からの本放送は1時「25」分から 12月はなぜか「60」分枠に
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 リオデジャネイロ
・03 門松 かどまつ
・05 [すべて]横山裕 村上信五 丸山隆平 安田章大 大倉忠義
・06 デミタス(カップ
・07 宮城道雄 みやぎみちお
・08 [近似値]74.1(パーセント
・10 1(番
・13 『BLUE GIANT』ブルージャイアント
・14 アシカ(科
・15 ミャクミャク
・18 芦ノ湖
・19 7
・21 2(番
・22 ダニエル・クレイグ
・25 絵に描いた)餅
・26 アキレス腱
・27 松
・28 3(打
・30 中田喜直 なかだよしなお
・31 [3択]18(枚
・32 サクレ・クール寺院
・35 ヘボン(式
・40 <鍋>義経《よしつね》 鍋
・46 <水族館>館長
・47 <花>長崎(県
・50 <城>イカ
・54 <駅弁>ひっぱりだこ飯
・61 <野生動物>7(番
・66 [2答]LとV
・67 [2答]一と乙
・69 [2答]キキとララ
・75 [2答]JとQ
・79 [3択]大正
・80 まいぜんシスターズ
・81 average
・83 フランス
・88 西畑大吾 にしはただいご
・89 うさぎ
・90 [苦渋]にがり
・91e 口語
・xx [ある人物の名前]ジョージ・オーウェル
この時期一番好きなクリスマスソングは
マーティ・フリードマンさんがカバーして歌っているBoAさんのメリクリです!
私が強く育てているもう4週間ぐらいのおでんのルーシーこと汁というか出汁スープというか、
それが結構強くなってきて
良い味出してきているのよさらに!
攻めのツートップである初投入のスペアリブを選手に加えてみたの。
結果!
もしかしたらなんでもそれで煮たら秒で美味しくおでんになるんじゃね?ってことで、
ルーシーの仕上がりが良いので、
一晩で余裕で秒で美味しい沁みているうまうま大根おでんになったのよ。
そんでスペアリブも
下茹でとかした方がいいのかしら?
って調べもせず結局おでんのルーシーにそのまま投入して30分ぐらい煮込んだら秒で
恐ろしいわ。
この美味しさが!
もしまたこれ作るならルーシーの再現性が全くゼロと言うことなのよ。
一回おでんの鍋ひっくり返しちゃって出汁スープを台無しにしようものなら、
そのぐらいいろいろな4週間ぐらいもう継ぎ足している秘伝のスープ
いや内容は教えちゃうけど、
そのぐらいポップな感じで普通に4週間具材を追加追加していっただけの簡単おでんだけどね。
これが本当に美味しくて、
今シーズンもしかしたら冬乗りきれるんじゃない?ってスープが強くなってきていることがビックリよ。
でもこの4週間で市販のおでんの顆粒のスープの素を1袋入れただけ、
それだけ私がただ唯一あなたに教えられることがあるとすればその1点よ。
よくよく見てみたらそのおでんの顆粒スープの素1袋に塩分11グラムだって!
これいっぺんに大正漢方胃腸薬ばりに一息に飲もうものなら塩分取りすぎグラフが一気にマックスになるぐらいの、
塩分のそう!
一時期増田で話題になっていて忘れていたけど浸透圧!なのかも知れないわ。
よく分からないけど。
たぶんそれも一理あると思うわ。
そんでさ、
さっき言ってた
あれも一気に投入したら、
戦力アップどころか、
スープが冷えると
おじゃる丸がプリンをふるふるさせるようにさすがにひっくり返してその大きさのキープできる固さまでは至ってはいないけど、
鍋を揺すると煮凝り状に固まったおでんのルーシーがふるふると揺れるのよ。
これもしかして高級料亭で出てくる煮凝りの美味しさを超えるかも知れないけど
きっとキラキラ映えない残念なでも味は確実な煮凝りに出来ちゃいそうな勢いなのよ。
そんでね、
昨日また守りも選手交代と言うことで
これまたアルゼンチンおでんに勝つ勝利近づくんじゃ無いの?って思うほどの
これ私また悪いこと思い付いちゃったんだけど、
こんなことしてしまったら、
もうなんでもあらゆる具材をおでんにしてしまう悪魔のルーシーを開発してしまったわ。
4週間の研究の結果よ。
よくさー
食べ手を試すような食べ物じゃない?
味もしっかりしてるからキマると思うのよね。
普通に美味しいおでん豆腐がそれだけで出来ちゃう気がするので、
湯豆腐を信じていない人が居たら一度おでんの顆粒だしスープの素を信じてみたらいいと思う!
信じ合える喜びよ!
予想だにしなかっただによ。
攻めは
いやー本当におでんっていいですね!って
シベ超の人が言いそうなぐらい
とにかくあんまりクドくなってどうなることかと思ったスペアリブ投入が大成功で良かったわ!
濃くなってかさが減った分、
うふふ。
シャキシャキレタスが美味しくて、
最近サンドイッチ屋さんの新製品がなくって退屈なラインナップ。
安牌でキメるわ。
それにしたわ。
おでんに夢中で果物のことをすっかり忘れている時期だってあるのよ。
そんなシーズンよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
貧しかった学生時代の名残だろうかと思いながら生活してきたが、30代になっても全然変わらない。それどころか使い古されたものの方が好きになってしまった。中古品には誰かの影が残っていて、耳を傾けるとものを言う。昔の何気ない日常を熱心に語る。そういうのを聞くのがすごく好きだ。
車も中古車だし、服も靴も半分は中古だ。椅子は中古のコンテッサ。パナの加湿器もモンベルのテントもクリステルの大鍋も中古。これは蓋が別売りなのだが、それも中古。鏡面仕上げの隅に磨き傷がある。その他に目立った傷はない。気軽にクリームクレンザーか何かでひと拭きしたところで、粒度が粗すぎたことに気づいたのだろう。
フェールセーフは機能したが、蓋を閉めるたびに自分のミスを突きつけられているようで我慢ならなかったのだ。ところが私は他人である。他人の些細なミスを引き受けるのは容易い。その蓋は「本来そういうもの」なのだ。少し奮発してぴかぴかの鍋を買い、うっかりから無用の傷をつけてしまったことにどうしても耐えられなかった。この悔恨の情が彼女の影を色濃くし、おでんを味わい深くする。
オーブントースターは知り合いの厨房のお下がりだ。ボロボロの佇まいが妙に魅力的で、もう使えないというのに無理を押して譲ってもらった。洗い場の棚にあったもので、戦場の罵声と泡まじりの飛沫にさらされ続け、2015年製とは思えない錆び方をしている。引き取るとき「グラタン用だったから...」と口を濁していたのが印象的だったが、電源を入れると漂うチーズの香りで腑に落ちた。私の好きな磯辺焼きがまずくなるため、しばらく使っていたのだが捨ててしまった。
正直にいうと中古の電気シェーバーを買ったこともある。先回りしておくが、いくらなんでも刃は取り替える。一応健康リスクという言葉くらいは知っている。だが日常的に使いこんだ道具には特別な魅力がある。いずれ中古住宅も買うだろう。割れた石畳が並び、炭酸カルシウムのこびりついた亀の子格子がついているといい。長く使われた板の間はゆるやかに窪んでいて、松の木は取り返しのつかないほど枯れているといい。秋めいてきて、私は出どころのわからない隙間風を止めるのに必死になる。これは懐古趣味が行き過ぎていると思う。
食器も中古の方が好きだ。それもできるだけ多くの人の手に渡ったものがいい。骨董屋も好きだが、掘り出し物を探しに行くというよりは単に古い食器を見に行く。欠けたり萎びたりしているもの、古いものほどよい。こういう目線も一つの美観だと思えなくもないが、その一方で品評基準や技術的なことはあまりわからない。開き直ったように、不完全な主観を甘やかしながらものを愛している。貴重性のようなわかりやすいものなら理解できるのだが、知れば物怖じの原因になるだけだ。かといって知らないまま使って台無しにしてしまっては寝覚めが悪い。人並みの道徳心が働く。したがって、ただ古いだけの日用食器が一番よい。器の前に座った昔の人々を想像しながら、手の中でくるくる回して欠けやひびに入った汚れを眺めるのが好きだ。あまり酒は飲まないが、熱い湯を李朝の徳利に移してから注ぐと、300年前の丸い赤ら顔がうっすらと蘇ってくる。底座はすり減っていないがヒビは濃く色づいている。清潔な卓の上で大切に使われていたに違いない。奥の間の文机には美しい硯が置かれていて...
状態が良い中古もまた良い。大切に扱われてきたものには独特の緊張感がある。タグが破れかかるほど繰り返し洗濯されているのに、型崩れもせずきれいに保たれている服。裏返しにしてネットに入れ、丁寧に洗って乾かしてもらっていたんだろう。自分は几帳面な人ではないので、几帳面の染み込んだ服は神々しくさえ見える。隅に手垢がつくほど読み込んであるのに、折り目の一切ない本を見たことがある。それは大正後期の本で、日焼けして小口にはポツポツとカビが生えていたが、中は一昔前のCGみたいに均一だった。人が何度も開いた本は湿気を吸ってごわごわしていくので、それとわかる。奥付に強い朱色で購入年月日が書いてあった。尾の長い達筆だった。日常生活を勝手に楽しまれるのは気味の悪いことかもしれないが、増田に書くぐらいはよかろと思う。
本は好きでも間の悪いことに古典や思想書が好きだ。浅学なので最先端の思想や技術を吟味するような知識はない。開拓された新天地を後から眺め、「おお」とのけ反ることしかできない。だから勧められて読むことはあっても新刊あさりをすることはない。死ぬまで教わる側だろうと思う。買うのは電子書籍を優先しているが、それはスペースが足りないからだ。遠慮なくびっしり引いた傍線や、付箋や、日付入の署名はいつでも恋しい。折り目もないよりはあった方が好みだ。
新しいものというのは、誰にも使われていないものだ。時代の御沙汰を経ていないものだ。自分には後世に残すべきものを見抜く目がない。最大多数の最大幸福というものが、わかるようでまるでわからない。誰かが作ったものに勝手な理屈でうなずき、あるいは名批評の情熱を譲り受け、誰かの生活を勝手に愛することくらいしか幸福に向けた積極性を持っていない。でも世の中の多くのものの価値は、そこにくっついた誰かの影ではないかという気がする。誰かの生活を愛する時間と時間の間に、それらの記憶と記憶の隙間に、ガスのように後の未来からゆっくりと幸福が満ちてくるのではないかという気がする。中古品を買い漁っているとき、この作用に期待しているという自覚がある。それらを構成するのは自分の記憶でなくとも良いのだ。
作った場所から直接やってきたものが、何か恐ろしい未知の存在に見えることがある。そこに何が宿っているのか、自分の目には判断がつかない。それはひとりでに明らかにはならない。誰かが指摘してはじめて、私達は宿るものの姿を見ることができる。ここまであえてこの言葉を使わずに来たが、どうしても気持ちが悪いので書いておく。私はこれが魂だと感じている。私が勝手にものの中に見出し、呼びかければ話し出す誰かの姿。恋人にもらったネクタイに宿ると感じるもの。死んだ犬の首輪に宿るもの。それに触れた子供の指に宿るもの。それを見た私の目に宿るもの。こうして文字にしたことでどこかのあなたの目に宿るもの。言葉と物とが受け継がれる中で、それは形を変えながら宿主を移り、誰かの指摘によって唯一性を獲得しながら無限に増えてゆく。歴史は生活の集合であり、魂の集合であり、決して失われない無限の価値だ。こういう虚構を片手に中古品を愛でている。あと中古品は安い。そこもいい。
特急で考えたらだけど、大正ポリコレ時代は、裏では治安維持法や起訴便宜主義ができて司法権が強くなり、のちには政党解散命令、多数死刑などの積極的な司法権行使が行われた
令和では消極的な司法権行使「警察等が手を抜く」が問題になってて、安倍暗殺事件もイテウォン圧死事件もそう
で相変わらずポリコレ派活動は存在するが、彼らは司法や宗教には殆ど口を出さず、いわゆる「腐った司法」などは変わりがない
そうするとポリコレ派は司法業界や宗教団体から生じていると思われる(だから左派、右派、LGBT派や夫婦別姓派、名誉毀損事件派、親台派などのアイコンも取り揃えられているのかも)
と思うので、彼らが内輪のイイネを集めて世論を惑わすのは粉飾決算と変わらんと思うし、「特定弱者を養護する声のでかいアイコン」は不快という意見は同意