はてなキーワード: 地域格差とは
何年も前のことだが、「町中で一番よく聞くエロゲソング」という題材で議論をしたことがある。
同僚達は「これは間違いなくkey作品だろ」と言い張ってきたので「全年齢アニメで流れたのはレギュ違反だろ」と俺は反論。
金がない浪人時代、近所のブックオフで立ち読み中に腐る程聞いたからだ。
だが、これにピンと来てない奴が何人かいたのだ。
「え?もしかして有線放送って地域差があるの?」と俺は聞いた。
すると「いや、AYAKASHIの『砂の城』はアニメで流れたよ」と言ってきた。
俺は原作ゲームもアニメも見てないので反論できず口をパクパクさせながらwikiをググると「11話挿入歌」の文字。
え、こんな罠ありかよ?
文化資本。
この言葉はフランスのピエールという社会学者が提唱した概念らしいが、
「地方にも素晴らしい文化資本があり、東京と差がないどころか優位性がある」
みたいな話がよく上がってくるのを見かける。
けど、この話ってちょっと前までは「地方民が東京との文化資本格差を嘆く」って構図だったはずでは…?
日本で文化資本の研究が盛んになったのは90年代頃からのようだが、
2010年代以前には内田樹がブログで使ってるのがよくヒットするものの、まだ一般に広まってるワードとは言えなかったようだ。
また、この頃はあくまで単語として出てくるだけでそれ自体をテーマとしているわけではなく、都市部と地方の地域間格差などについても特に触れられてはいない。
そこから2010年代に入るとシロクマの屑籠、はてな村定点観測所といったブログの中でも使われだす。
あいにく後者の記事は見れず、またこれらのブログをよく知らないので詳しいことは分からないが、
この時点でもやはり文化資本という概念自体がメインディッシュとして語られているわけではない。
大きく取り上げられるようになるのは2015年頃。
2014年に登場した「マイルドヤンキー」という単語の議論で先程の2つに加えボン兄タイムスといったブログ等で「文化資本」が盛んに使われるようになり、
そこからメインの議題へと昇格…という流れのようだ。
マイルドヤンキー自体が田舎に多く都市には少ないという性質のものとされているので、
本格的に都市部の文化資本における優位性を論じてバズったのは2018年のこの記事。
「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由(阿部 幸大) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
田舎には都市生活者には想像できないレベルの地域格差が存在し、教育を受ける機会を想像することすらできないこともある、
ということを語ったこの記事は1800を越えるブクマを集め、はてな以外でも大反響だった様子。
ここからコロナ禍の間まで、東京に茄子が生えてほしいと願う増田が現れたり、在華坊氏がはてな三大論点として"文化資本東京格差"を挙げたり、羊文学は信用できないというツイートが出てきたり、
この時期の空気感こそ、まさに私のイメージにある東京と文化資本についての語られ方である。
東京はライブにすぐ行けていいなというtogetterのまとめにアウトドア趣味だと逆というコメントがついたり、
当初はまだそういった穏やかな空気感の反応だったが、
今年に入るとかなり強い口調で東京都民の傲慢を批判する流れが生まれ、現在に至る。
潮目が変わった原因は正直分からない。単に時間経過でバックラッシュが現れたというだけなのだろうか?
まあ「地方民が東京都民の無自覚な傲慢さを批判する」という構図自体は変わらないのに、
その主張が真逆の方向に変わっているのは興味深くはある。
ただそこからピエール瀧の原著に立ち返って改めて文化資本とは何かについて考察したり、
選択肢がなかった?自分がお勉強をさぼって都内の大学に行けなかっただけ。
地域格差がある?20年前の2,000年代前半なら学習塾も増えていた。地方都市というレベルではあるが自分が住んでいた広島にも90年代ですらそれなりに塾はあった。
小5の時に夏季講習で通った塾の講師からは成績を見た後私立中学受験していいんじゃないかとも言われたし教師からも勉強について褒められ進学の話はあったが、増田はどうなんだ?
実のところ上澄みから見たら大したことがないレベルの自分ですら教師からは光るものがあったら教師は進学を勧めてくる。
今は過疎地で仕事をしているが、40年以上前は中学校卒業も当たり前な地域性ながら優秀な子は都会の学校へ出させようと教師が親に頭を下げに来るなんてことはざらにあったそうだ。
昔の自分が周りを認めさせるくらい能力を磨けていれば説き伏せることはできるがそれをしなかったのは増田自身だ。
あと編集者という仕事についての解像度も足りていない。同人誌発行は大変な作業だが仕事としての出版業務からしたらお遊戯みたいなもの。
たまたま求人覗いて募集面接あるから受けてみよで通るような業界ではない。
新卒ですら市内では1番頭がいいレベルの元神童がしのぎを削って入る枠で、中途採用にしたってそういう神童の中の勝者が応募するような枠。
そんな枠にお散歩気分で仕事に対する解像度が低い志望者が来たら困るだろうし、地方出身で血をにじむ努力をしたかと思われる採用担当からしたら増田の言動は侮辱としか見えないだろう。
増田の立場からしたらレスバしなくてよかったよ。絶対完膚なきまでに叩き潰されていた。
現実世界で活動するリアルのアイドルとかアーティストはさ、ちょいちょいライブやら何やらリアルイベトをするわけで、田舎者には金銭的にも時間的にもキツイんだよね。
人口比的には数時間or数千円かければ23区内余裕な都会人〜自称田舎者がほとんどで、日本国内なのに片道一日&5万円なんてレベルはごく一握りで、その者たちの苦悩など見えてこないし商売的にも無価値だから仕方ないと諦めていたわけ。
vtuberはこの苦悩から解放してくれる存在だった。ちょっと前まではね。コロナとかでバーチャルイベントとか良い取り組みだと思ったんだよ。
でも結局今になっては、ちょっと人が集まってきたらリアルイベントとか、実店舗とのコラボイベントとかやるんだよ。
そのたびに寂しさが増して、新しいvtuberを探しに行く。
彼氏がいるとか、オフパコしてるとか、人格が破綻してるとか、実はおじさんだとか、それはどうでもいいんだよ。
ここが田舎だと思い出させないでくれ。
『親の知能の問題』と『学校のお勉強とテストは得意だけど一切の働くための訓練してなくてワープーや無職になる問題』はあるの見本のような回答やね
強いて言えば、国公立のオンラインと図書館オンライン化は進めるべきくらいで、ほんましょーもな
教育に社会選別以上の意味がないと思っているからこういうことが平然と書けるのでしょうけど、学歴コンプは下記を噛み締めてもろて
バリバリの学歴主義で移民もハッスルしてて新卒枠などなく席取りゲームが苛烈なアメリカですら
データサイエンティスト・データアナリスト・データエンジニアって呼ばれる職に
高等教育を受けていない人も就いている
現代社会では、国ガチャに勝利し、高値で売れる能力があるからこそ、高所得を得られる
そういう人々は、ご家庭に問題がなければ学歴を得やすい、ただ、それだけのことであり、以上でも以下でもない
だから、低学歴でも高所得者も存在し、高学歴でありながらワープーや無職の人も存在する
しかし、ご存知だろうか?世の中には、高所得者や有名企業に在籍している人々、ある界隈で有名な人々(価値があるかどうかは別として)でも、
- 低所得で学歴コンプを抱えている人たちの目には、高所得の学歴コンプがどう映っているのか気になる(興味1)
- 高所得の学歴コンプに、大卒ですら無い世界的富豪がどう映っているのかも知りたい(興味2)
研究活動を主目的としない場合、一般的には高所得を得る為に高学歴を得ようとするもんだからな
ちなみにポンコツだけどペーパーだけ得意って人もいるが、就活はクリア出来ても、ちゃんと大企業に入った後に落ちこぼれているので、
みんな落ち着くべきところにちゃんと落ち着いている感はある
ご家庭のご両親のお仕事です
それから、大学は就職予備校ではなく、大学は専門家を育成するところです
IBM のエグゼクティブ チェアである Ginni Rometty は、2016 年に「ニュー カラーの仕事」という用語を作り出しました
IBM はまた、多くの職位から教育要件を取り除くことで、新しいカラー ジョブの波を推進しました。ロメッティとチームが最初に学位よりもスキルを優先したとき、IBM の職務の 95% で 4 年制の学位が必要でした。会社の手紙によると、2021 年の時点で、必要とするのは半数未満です。
米国国勢調査局によると、25 歳以上の人の 40% 未満が学士号を持っていません。これは、就労資格のある人の過半数 (62%) が、1 つの学位要件だけでジョブプールから除外されることを意味します。
「企業は、大学の学位を必要としない役割、仕事、規律、および責任があることをようやく理解しています」と Herrera 氏は言います。「彼らは、才能ある人を惹きつけたり採用したりすることに関して、自分たちの思い通りになっていないことに気付きました。」
「彼らは、履歴書に学位しかないエントリーレベルの個人を採用するのではなく、実績のある仕事、ボランティア、およびスキルの経験を持つ候補者をターゲットにしています。」
2016年にニューカラーの雇用モデルを採用して以来、Rometty氏はフォーチュンに、IBMが学士号を取得していない従業員は、学士号を取得している従業員や高度な博士号を取得している従業員と同じくらい成功していると語った. スキルを持った学位を持たない人材を採用しても、企業のビジネスに悪影響を与えることはありません。雇用にかかる時間を節約し、多様な労働力を育成するための資産となる可能性があります。
New Collar Jobs: Why Companies Are Prioritizing Skills Over School
ご家庭のご両親のお仕事です
それから、大学は就職予備校ではなく、大学は専門家を育成するところです
IBM のエグゼクティブ チェアである Ginni Rometty は、2016 年に「ニュー カラーの仕事」という用語を作り出しました
IBM はまた、多くの職位から教育要件を取り除くことで、新しいカラー ジョブの波を推進しました。ロメッティとチームが最初に学位よりもスキルを優先したとき、IBM の職務の 95% で 4 年制の学位が必要でした。会社の手紙によると、2021 年の時点で、必要とするのは半数未満です。
米国国勢調査局によると、25 歳以上の人の 40% 未満が学士号を持っていません。これは、就労資格のある人の過半数 (62%) が、1 つの学位要件だけでジョブプールから除外されることを意味します。
「企業は、大学の学位を必要としない役割、仕事、規律、および責任があることをようやく理解しています」と Herrera 氏は言います。「彼らは、才能ある人を惹きつけたり採用したりすることに関して、自分たちの思い通りになっていないことに気付きました。」
「彼らは、履歴書に学位しかないエントリーレベルの個人を採用するのではなく、実績のある仕事、ボランティア、およびスキルの経験を持つ候補者をターゲットにしています。」
2016年にニューカラーの雇用モデルを採用して以来、Rometty氏はフォーチュンに、IBMが学士号を取得していない従業員は、学士号を取得している従業員や高度な博士号を取得している従業員と同じくらい成功していると語った. スキルを持った学位を持たない人材を採用しても、企業のビジネスに悪影響を与えることはありません。雇用にかかる時間を節約し、多様な労働力を育成するための資産となる可能性があります。
New Collar Jobs: Why Companies Are Prioritizing Skills Over School
anond:20231102121135 anond:20231102132544 anond:20231102145335
↓
生きづらいちゃんくんのあたおかトンチキ主張が多いからじゃない?
トンチキ主張以外なら、フツーにサバイバー(当事者)の話題でやり取りしたり、
↓
差別的!こういうのには思いを馳せないの!
↓
ブクマカみてーな軽薄なDQN大っ嫌いだし有害だと思ってるので
ただ、それはそれとして、軽薄で利己的なDQNなのではなくて、ガチで知的な困難があって望まずにそうなってる場合は話が変わってきますよね
↓
↓
ブクマカとブクマカを兼ねてる増田はおかしい自覚持った方がいいですよ
泣くの開き直ってたりするレベルでおすし。このレベルは余人をもって替えがたい人材であってもだいぶ生きるのに苦労すると思います
一例↓
▼関連増田:話し合いの途中で泣いちゃう人への対処、どうすればいいの?
https://anond.hatelabo.jp/20230426081719#
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230426081719
https://anond.hatelabo.jp/20230808222237
首都圏は中等教育における後進地という意見には賛同も意外と多くてほっとしたのだけど、その中でdisった埼玉の公立別学進学校にはまあまあ批判があった。主だった意見を書くと
・男子校と同レベルの女子校があるので差別ではない。よく知らない地方のことを語るべきではない
・男子校も女子校もニーズがあって成立している。悪いものではない
と言った具合だ。これが九州のことだったらクッソミソにdisるだろうに、首都圏のことになると突然甘くなるよねーぐらい思っていたら、衝撃的なデータを見つけてしまった。
文科省が出している都道府県、男女別大学進学率だ。大学進学率はジェンダーギャップ指数でも使われる男女差を図る重要な指標だ。
https://www.mext.go.jp/content/20201126-mxt_daigakuc02-000011142_9.pdf
「大学進学率は東京と徳島を除き男性の方が高く、男女の進学率の差は山梨県14.3ポイント男68%、女53%)、北海道11.3ポイント(男51%、女40%)、埼玉11.4ポイント(男59%、女48%)、千葉県8.9ポイント(男58%、女49%)の順で高い」
いや、埼玉は同レベルの女子校があるから差別じゃないんじゃなかったんかい。現に進学率という差となって出ているじゃん、公立男子校・女子校による差が。
山梨は謎だが、北海道とかは大学に1人行かせるなら息子を……とかありそうだし(それはもちろん差別だが)、同情しなくもないが、大学も選び放題、県別所得でも上位の方の埼玉が全国トップクラスの男女差別県なのは、明らかに公立高校の別学教育の影響があるのでは???
というか埼玉の話とか直接関係ないけど、徳島とか褒め称えられるべきだろ。伊達にスタンフォードに送り込んでない。
ちなみに全国平均は男54%、女49%。九州はというと福岡は全国平均より差が少ない男50%、女47%だし、一番離れている鹿児島はも男43%、女36%だ。鹿児島以外の県はほぼ全国平均より少ないかほぼ同等程度の差しかなく、九州地方という括りでみたとき他の地方と有意な差はない(それより大学進学率の地域格差の方がやばい……マジで北海道、東北、中国四国、九州向けの奨学金作った方がいい
九州は男尊女卑とか大騒ぎする暇があるなら、首都圏の人たちは自分たちの足元をみてくれ。埼玉だからとか言って切り捨てずに、激ヤバ埼玉の教育改革をみんな主張してほしい
本当かなあ〜。
日本の人口は明治維新の時点で3300万人、終戦時点で7200万人だったわけだけど(https://www.soumu.go.jp/main_content/000273900.pdf)、人口が今の半分以下という状況で「たくさん住んでた」ということはありえるんだろうか?
戦後における都市と地方との関係を見る場合、転機となったのは、1962 年に
策定された第一次全国総合開発計画である。全国総合開発計画は「都市の過大
化の防止と地域格差の縮小を配慮しながら、(中略)地域間の均衡ある発展をは
かることを目標とする」としている。その後新全総(1969 年)、三全総(1977 年)、
四全総(1987 年)が策定され、膨大な額の公共投資が行われた16。これと併せて
工場三法等17、都市部における工場立地の制限と地方における立地促進を図る
産業政策が講じられた。工業化の波が三大都市圏から地方にも波及したこと、
より安い賃金と土地を求めて企業が地方での工場立地を進めたこととあいまっ
て、製造業における地方の比重は 60 年代半ば以降高まっていった。
https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/keizai_prism/backnumber/h20pdf/20085420.pdf
この辺りで無秩序にやり過ぎたのが原因なんじゃねえの?知らんけど。
とあるフォロワーが鹿児島から久留米まで新幹線通学をしている女子中学生の報道を引用して、「鹿児島のラサールは男子校。女子の教育機会が奪われているのを放置し、鹿児島は性差別的なところだ」という話をしていて、いやいやいやいややってなってしまった。
九州は男尊女卑的であるという偏見の目でこのニュースを見るとそう見えるのだろう。
九州の進学校事情に多少詳しい人からすれば、それはただの偏見による観測なのだ。
そして、九州の進学校の花形は二つの私立進学校の例外を除いて、たいていの地方と同じように各県の公立トップ高たちだ。福岡であれば修猷館、熊本であれば熊高(くまたかと呼ぶ)、鹿児島であれば鶴丸といった県立トップ進学高たちだ。
東日本の学校のように一高が実質男子校、二高が実質女子高のような伝統もなく、主要な公立進学高校はもちろん共学だ。
異常でしょ関東。というか、北関東の公立男子校群なんなん。よっぽどこっちの方が女子の教育機会奪ってるだろ。
九州の公立2は鹿児島にあるらしいが、どちらも共学化が決まっているようだ。
一応、種明かしをすれば、公立は前述の通りだが、九州の私立男子校が急減したのはここ20年の動きだ。
確かに私が20年前に中学受験したころは頭のいい女子は受けるところがほとんどなくて、塾のトップクラスにいた自分も塾の講師が同級生の女子に「女子なんて勉強したって入るところないだろ」とか暴言を吐いていたのも観たことある(今考えると本当にひどい環境だった。暴力もあったし)。そんな環境で、塾の実績作りのためとはいえ、桜陰に合格した子もいたのは今考えると本当にすごいことだ(その子は公立中→県立トップ高→東大と進んだ)。
ところが、少子化の最前線の九州地方、生徒募集に苦労した各校は次々と共学化し始める。その中でもエポックメーキングだったのが、ラ・サールと並ぶ九州の私立進学校の雄・久留米大学附設高等学校の05年の共学化だろう。結果として、周りの学校が共学化し偏差値が上がる中(単純に募集できる対象者が倍増するのだから)、附設より低いレベルの男子校進学校もほとんど共学化することとなった。その数少ない例外の一つがラ・サールだ。とはいえ、ラサールを除き、主要進学校はほとんど共学化している。
その証拠にネットから拾ってきた九州の東大合格者ランキングがこれだ。
熊高(公立・共学)
青雲(私立・共学)
明善(公立・共学)
元々地方なので公立が強い地域だし、附設、青雲、大濠と私立組が共学化したことによりずらりと共学が並ぶ。
渋幕(私立・共学)
改めてみてもひどい。
よくこんな地域に住んでいる人が九州に向かって「女子を教育から排除」しているなんて口が利けたものだなぁ~と思うのだが、そのことを指摘すると東京の人たちは「男子校は悪いことではない」「優秀な女子高もある(1校しか入ってないやんけ!)」、「九州には〇〇という性差別があり~」とか話をそらし始めるのだが、今は中等教育の男女差別の話をしているんですよ。関東が女子の中等教育における後進地区って認めろよ。東大の女子比率下げてるのおめーらじゃねーか、と思うのだが。。。
というわけで、冒頭の鹿児島から久留米に新幹線で通う私立中学生の話に戻る。件の私立中学生は鹿児島から久留米大附設まで新幹線で通っているわけで、それ自体はもちろんひえ~~という話なのだが、そもそも論として附設やラ・サールレベルの私立中学校は九州にこの2校しかないのだ。
普通に考えればわかるとおり、久留米や鹿児島が通学圏内にない九州の人たちだって多い。そのため九州の主要私立進学校はだいたい寮を持っている。ラサールは6割、附設は3割が寮生のようだ。ところが、附設は男子寮しかない。というわけで、件の女子中学生は鹿児島から新幹線で通うことを選択したのだろう。
もちろん、ラ・サールが男子校であることや附設が女子寮を持っていないことが女子教育の排除に繋がっていると言われたら全くその通りなのだが、一私立高校にそこまで負担を求める(特に女子寮の増設)のはいくら何でも厳しいだろう。だいたい関東の国立の男子エリート進学校という何故国税をつぎ込まないといけないのかよくわからない存在に比べれば、ラ・サールや附設だけに罪を被せるのはアンフェアだろう。
当たり前の話だが、九州の他に同レベルの学校がないのだから、附設やラサールへのアクセス可能性を九州の人に平等に担保すること自体不可能だ(寮に入ると授業料と合わせて月10万程度になり、経済的に負担できる家庭は多くないだろう)。そもそも関東とは違い九州で中学受験する人は親が教育熱心な一部の家庭だけだし、附設やラサールという二つの例外を除けば、たいていの田舎と同じように県立トップ校に行って、いい大学に行くというのが九州の人の普通のエリートコースなのだ。その環境を背景にすれば、この事実を持って九州は最高レベルの教育から女子を排除している!というのはさすがにナンセンスだろう。
もちろん、大学進学の時点で男子は東大目指すけど、女子は九大や地元国立でいいでしょう、という話は今でもあるだろうし、女子は医学部志向が強い(九州全体としても医学部志向は強い)。医学部も悪くはないが、東京で知見を広めることもいいのにな、と思うのだが、就職や家業・本人の志向の問題もありなかなか難しい。
九州は世帯の平均収入が低く、それが大学進学率にも影響をしている。
九州にももちろん教育における男女差別は存在する。それは解決すべき問題だ。
とはいえ、鹿児島の大学進学率は43.6%、東京都69.8%だ。こんなにひどい地域格差は見もしないのに、鹿児島から久留米に通う女子中学生のニュース一つで九州は男尊女卑だと吹き上がる。ここまで述べてきたとおり、九州の中等教育において少なくとも「制度的」には、女子の教育の機会はある程度担保されている。もちろん、制度ではないところに差別はあるだろうが(女子はそんな勉強せんでええ的な)、男子校が進学実績トップにずらっと並び「制度」すら保証できない関東に比べればはるかにマシだろう。特殊な一中学生の例をあげて、九州の男尊女卑的な偏見を用いて煽るのは地域への差別以外の何物でもないろう。
昔、はてなで許される唯一の差別は地域差別です、というブコメを見て本当にその通りだなぁ、となったのだが、地域への差別や格差にも少しは目を向けてもらえませんかね。