はてなキーワード: 周辺諸国とは
今や世界第2位の大国になったといって過言でない中国は国内においてはオブラートで包んだ全体主義を堅持しつつ、対外的には覇権主義の姿勢を示し、周辺諸国の脅威となっている。この脅威には日本も無関係ではない。いずれ中華人民共和国は経済力で米帝を抜き、その後軍事力でも上回り世界最強の大国となるであろう。
このまま手を拱いていれば、日本は中華人民共和国日本自治区となるかもしれない。
仮に、世界最大の大国の一部となれば、それはそれで生活も安定し、幸せなことかもしれない。体制に反抗しない都市部の中国人民は安定した豊かな生活を送っているようだ。日本のワーキングプアなどより幸せなのかもしれない。
しかし、中華人民共和国は根本的に人権重視の姿勢が足りない。日本の自民党や維新も人権の重要性を理解しておらず、人権を軽視している事は同様だが、少なくとも複数政党制による選挙によって政権交代が可能なのだ。しかし一党独裁の中華人民共和国においては権力者が人権に対する理解が不十分なまま権力に居座り続けることが可能であり、個人の人権が国家権力により蹂躙される可能性は極悪自民党政権の日本よりもさらに高いのである。
このような状態では、やはり国防力を高めるための憲法改正が必要不可避だ。
具体的に言えば、憲法9条を改正し、自衛隊または国防軍を憲法で認め、全体主義国家である中華人民共和国に対して毅然と国防の姿勢を示すことが安心安全な日本のためには必要なのである。
頭の硬いオールド左翼が改憲反対と称してかつての自民党改憲草案に基づいた改憲反対の画像をツイッターで拡散しているが、今の自民党が推進しているのは「改憲4項目」であってかつての改憲草案ではない。古い改憲草案を前提とした頭の硬い古式左翼の護憲プロパガンダは、それこそ反ワクチンの陰謀論のような胡散臭さしかないから国民への影響力は極めて低いだろう。
だがしかし、自民党の改憲4項目にそのまま賛同するのも危険である。自民党の会見4項目に含まれる緊急事態条項は危険な側面があるからそのまま認めてはならない。これでは日本は中国共産党と同じ人権弾圧の国家となるであろう。
今の日本に真に必要なのは、ドイツの緊急事態条項のように議会に権限があり人権をしっかり守れる緊急事態条項と、敵基地攻撃能力を含めた一定の国防力を持つ国防軍である。これを実現できるのは現状では国民民主党だけだろう。
多分、周囲に感染を広めても、具体的に誰が感染させたかまでは分からない訳で、
仮にオリンピック関係で老人だけでなく、持病があるとか、変異株で子供が死ぬような事態があっても、
具体的に誰が感染させたかなんて分からないから、責任問題にしづらいわけで、
そんな感じでなし崩し的にオリンピックを推し進めたいんだろうなあ、というのはよく分かるんだけど、
つまり、数字とか統計的な結果として感染拡大は観察できるけど、
具体的に誰がというのは分からない、だから、自民党の政治家さんたちは、
だったら無理矢理やっても構わないんじゃねーの?俺たちは医療従事者よりワクチン先に打ってるんだし、みたいな感じだし、
昨今の単なるゲスで外道な露悪趣味地味た政府や世の中にウンザリですわ
マキャベリズムというか君主論というかだって、圧政で民を蔑ろにしていいとは言ってないというか、
露悪はリアリストじゃねーんだよ、
それは単に下品で、育ちが悪いことを自慢するようなものだ、ヤンキーのヤンチャという前科犯罪自慢と同じ
ナチス・ドイツだって、特に最初は労働党という名前の通り、社会主義とか共産主義的にも思える、
「労働者の味方」として与党の地位を確立したはずだし、実際の給与とか国産車が買えるとか恩恵があったわけで、
アソウとかヒトラーを見習うべきといいながら、全然駄目だと思うのは、
ヒトラーやナチスは、少なくとも最初の段階では庶民の給与を増やしたし、インフラ整備とか、
周辺諸国に苦しめられているドイツの救世主として期待されもしただろうし、
庶民に10万を一度配るのさえ、くどくど愚痴って渋るケチなアソウはまったくヒトラーを見習えてないというか、
あれも息子のギレンはそういう器ではない、というのをデギンは見抜いてたから言ったと思われる
それが今のオリンピック強行派によく現れている気がする
一部の国民の生命を犠牲にしてでもオリンピックがやりたい、なんて中国っぽい発想だと思う
ただ、中国はそうやって一部の人たちを犠牲にしてでも経済発展したから、日本を抜いて二位になれたんであって、
中国と同じように人の命を犠牲にしてオリンピックをやっても三位にしかなれない日本は格下ってことになるだろうに
どこまで、今の日本の中心に居座ってる輩は、この国を貶めるんだろう
美しい国とかほざいてた連中が、実際は日本という国の品位を、品格を損ねている
アベシンゾウは戦後の間違った教育を煮詰めたようなヤツだったか、そんな表現をしていたと思うが、
…
ウイグルとかユダヤ人を犠牲にして、安い国産車、EVを買えるようにして、貧しい層でもクルマが買えるようにして、
その代償として天津大爆発があっても列車事故があっても埋めちゃったり、
それでも民草の生活を豊かにして、人心を掌握しておかないと、中国は革命の繰り返しの歴史だからね、
今の中国共産党政府だって、天○門とかやっぱり気にしてるから情報統制に神経を尖らせるんで、
怖いから粛清もするし、怖いから民の生活を豊かにしようともする
これってマキャベリズムとしてすごく正しいと思う
アメとムチをちゃんと使い分けてる
ツッコむ前に前提情報書いとくよ。
今回の旧正月はイベントとよべるほどのものではなく、限定アイテムの販売と動物の会話があるだけ。
「日本の正月イベント」はなくなってて、年末のカウントダウンと新年イベントとして統合されている。
更にいえば、ユーザーも島も次に控えてる大型のカーニバルイベントの準備中で、別に島が旧正月風になってるわけでもない。
任天堂ツイートの日本語読めないの?旧正月の限定アイテム販売してる以外に何の説明がいるの?
じゃあ少し前から販売されたアメフトの大会にちなんだ限定アイテムの販売にも説明がいるの?
他にも毎回限定アイテム販売の度何か特別な説明がいるの?どうかしてんじゃない?
触り過ぎて感じすぎなんじゃない?
shinichikudoh 日本の正月イベント、やってないはず。現在のトップコメのファクトチェックできてるかな。任天堂の元ツイートへのリプ以外に攻略サイトでもそう書いてる。正月アイテムと正月イベントは違う。デマがトップで良いの?
「日本の正月イベント」はカウントダウンに吸収されて一つのイベントになってるから、この指摘自体は正しいが、今回の旧正月もイベントではない。限定アイテム販売といつもの動物の会話があるだけ。
adatom 旧暦イベの有無を批判してるんじゃなく、なぜか旧正月で中国韓国の伝統服をアイテム化するわイベ専用会話で旧正月おめでとう連呼だわ旧正月だけお年玉渡せるわで日本の正月イベより派手で違和感続出でしょ?当然では
多分この人実際プレイしてるんじゃなく、そこらへんから都合のいい情報かいつまんでるんだろうけど、何かの日や催しに関連づけて様々な国のアイテムを出すのはいつもの事だろ。たまたま今回は中国や韓国なだけ。新年はしずえやらたぬきマイレージプログラムの挨拶とかあったがそれはスルーするのかね?やってないから知らないだろうけど新年特有のBGMもあったぞ~旧正月のお年玉わたせるようになったのは、新年にお年玉渡せない事を多くのユーザーが不満に思い声をあげてたから今回できるようになったんだろ。
大体、今回の件に文句言うなら新年に販売された限定のアイテムの「オリビエサラダ」や「ユンノリ」にも言えよ。オリビエはロシア、ユンノリは韓国のもの。「日本の正月イベ」とか言って勘違いしてるが、年末年始はカウントダウンイベントと新年イベントとして「日本の正月イベ」ではなく世界的な年末年始のイベとしてやってるだけ。別に日本をないがしろにしてるわけでもなく(寧ろ日本固有アイテムが一番多いんだから優遇されてるだろ)ましてや今回はただの期間限定アイテムとどうぶつの会話だけで、実際は控えてるカーニバルイベントに島は装飾されてるんだよw
aa_R_waiwai 「No japanは韓国市民の自発的な運動」と称賛していた日本リベラルが、これは批判する不思議。やってることは完全に同じはずだが。
この人は日頃政治的なブコメに目を通さない私も知ってるが、あつ森云々ではなくいつもの事だからしょうがないか。
また仮想のリベラルと戦ってるようでご苦労様。皆が楽しんでるゲームにまでそういうので何か言おうとするのみっともないよ。
その理屈で言うなら、「No japanは韓国市民の自発的な運動と称賛していた日本リベラル」を以前批判していたaa_R_waiwai氏は、そんなリベラルと同じにならないために今回の件では任天堂に絡んでる馬鹿な奴らを批判すべきはずなのにね。そこには触れないんだね(触れてないから、いざとなればどちらにも転がせる卑怯なやり口)
dahlia_osaka 現時点で周辺諸国を侵略している大国に媚びるってのが気持ち悪い。中国、韓国が絡むと、平和じゃなくてヘイワってだけ。
この人もアイコンが特徴的でいつも的外れで頭の悪い事かいてるから覚えてるんだが、「中国、韓国が絡むと、平和じゃなくてヘイワってだけ」の意味が分からないな。
カタカナにしてるだけで何か言ってるようで何も言っていない、痛い歌詞を読んでるみたい。中国らの侵略行動に異を唱えるのには同意するが、それならこんなゲームのただの限定アイテム販売に難癖付けるより、何もせず指をくわえて中国の靴舐めてる議員や党にでも言えば?貴方の好きな自民党にいっぱいいるよ。
yukitan_i 自国企業は自国の風俗習慣を他国のそれよりも優先して欲しい、と考えるのは、日本人に限らず一般的な反応だと思う。それをまとめて差別扱いネトウヨ扱いして対立を煽るべきではないと思うの。
何言ってんの?あつ森の世界って別に日本ではないし日本文化を発信する道具ではないからね。一企業の商品だぞ?日本が舞台のゲームで他国の文化を優先してるなら文句言うのも分かるが。そんなこと言うなら、勿論日本文化に根差していないゲーム内のイベントやアイテムには当然いちいち文句つけるんだろうね?それが一般的な反応なんだろ?こりゃ、大変だねw「ネトウヨ扱い」もなにも、あつ森で山ほど世界中のアイテムが販売されてるのに、その都度この人達は何も反応しなかったのに、旧正月アイテムには反応するんだからそりゃそんな風に見えるよね。それが一般的な反応だと思うよ。
seachel これどうぶつの森プレイヤー的には背景事情がありまして、3DS版まで日本の風習や暦を元にしたイベントが殆どだったのに、あつ森になってから急にそれらが削られてコレだから不満が溜まってる人達が一部いるんよ…
この指摘自体は間違ってないと思うよ。もっと日本のイベントが楽しみたいユーザーも多くいて不満に思う人も。でもこれは、どうぶつの森が少しずつ世界に広がって(対応言語や販売国の多さを見れば分かるだろう)、日本的なイベントだけでは難しくなった背景があるので個人的には仕方ない流れだと思う。あと、今回任天堂に絡んでのはこの人が指摘する、不満がたまってる人ではないのはツイートたどればすぐわかると思うよ。サンクスギビングとかにも文句言ってるならまだわかるが、そういうのは彼らスルーしてただの限定アイテム販売とどうぶつの会話に文句つけてるんだから。
preciar 日本人にとって一般的ではないイベントがわざわざ入ってるとなると、そりゃ違和感は出るだろうね。ただ、世界展開してる以上ゲームに入れないわけには行かないし、宣伝もせざるを得ない。難しいとこやね
アメフトの大会やサンクスギビングも日本人には一般的ではないが、それらのイベントはスルーして今回の旧正月には文句を言う彼らに違和感を持った方がいいよ。
またこの人か。適切な反論ができないけど、何か一言いいたくてしょうがない人。
建国記念がスルーされがちの意味もよく分からないが。これあつ森の話だよ?
無理に変な憂いをこじつけなくていいよ。
Tatada 棘まとめが詳しいけど、「日本の正月イベントでは門松の販売日が元旦、届くのは2日目」って感じで力の入れようの差が明らかだし。他にもこどもの日イベ削除とか批判はあるそうで
まずこの人はゲームのシステム理解してないな。力の入れようの差が明らかといってるがイベント当日に販売は当たり前だし、翌日届くのはいつもの事。別に正月だけこうなったわけじゃない。当日ほしいなら、時間操作かフレンドと協力すれば当日手に入るし、すればいいだろ。まるで正月だけ「門松の販売日が元旦、届くのは2日目」みたいな印象操作してるが、どうかしてるんじゃないの?
tomoya_edw 日本のソフトなら日本の正月はやっていい気はするけど、グッズくらいもなかったのかな。Steamの旧正月もそうだけど、お金出すところに最大限コミットした結果だろうと思っている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/982b5fc84378dc3b8f921d86c93a88f547c09e56
しかしこのコロナが大方世間の予想通り悪化してきたにも関わらず、未だこの手の事を言い出すのだから、政府や官庁の環境関係の人達は余程脳内が幸せなお花畑の人達が多いのだろうなと思う。
どう見ても今はそんなことをしている場合ではないし、普通にレジ袋有料化以降より衛生面でも悪化したとみるのが感染者数の増加を見ても自然としか言いようがないのにね。
色々な意味で普段から思想や権利等とやらを前面に謳っている人達程、こう言う時にも空気が読めない人が多いと思う。
それに今もペットボトルだのプラだののコレ自体、大方の行政及び企業が回収できるシステムが構築出来ており、それでゴミ回収自体は問題はないのにわざわざ絡もうとする事自体、どうみても環境省や経産省が小銭稼ぎをしようとしているからだと言う事だよねとしか思えないんだけど。
そもそもそのプラやペットボトルのリサイクルとやら自体今やこの人達が嫌っていた中国が引き取ってくれなくなったから、国内で飽和状態になり、システムそのものが破綻し始めている訳だしね。
昨今この手のは温暖化では言い訳が出来なくなってきたからか、やたら海洋汚染を強調しだしたけど、これに関しても当時から周辺諸国と一緒になって行わないと意味がない事は散々指摘されてきたし、海洋汚染対策ならば、それこそ海岸沿いにゴミ箱の設置数を増やして、回収していく方が余程対策になるでしょ。
今も回収しているごみならばそれこそ埋め立てなり焼却なりリサイクルなりで処分できている訳だからね。
そう言えば最近エコバッグと言う単語よりもマイバッグとか言う単語を使い出したのもその辺が関係あるのかもね。
しかし関連記事を見てもこの手の似非環境活動家っぽい人達程、象だのペンギンだのの写真を使って、同情を飼いたがる手法を好むよなと思う。
地球の為と言うならば人類が絶滅する事が一番の環境対策だと言うのは当時から環境学者にも皮肉的に言われ続けている事なのに。
今は環境保護が先行しすぎて、経済活動の抑制や生活への弊害まで出ているのだから色々な意味で本末転倒な結果すら招いているよ。
しかも排出権とやら以降更に明後日な意味不明な方向に向いているのも事実だからね。
こう言うのを見ていても自民はよく経済だとか言っているのにこの手の経済抑制や減退しか招かない政策をしだしたりと本当に何がしたいのかが良く判らないよね。
はっきり言ってこの辺はまだ一貫性のあるトランプ大統領の方がマシだよ。
でも今なんて平時ですらない、病気が覆っている時期にも関わらず、計画で決まった事だからと言いこの手の政策を進め、融通が利かないのだから色々な意味で日本の政府ならず官庁も先がないだろうと十分に予測させてくれるよね。
政府は政府でgotoをどうにかして印象操作しようとしたけど、覆せず言い訳をし始めたり、キャンセル補償とか言い出す本末転倒な行動をし始めて面白い事になっているしね。
って何かな?
個人的にはマックス・ブルックスの『ワールドウォーZ』だと思うんだよね。ブラピ主演で映画化されたんでそっちを知ってる人の方が多いかもしれないけれど、実は元になった本は全然別物で、本から入った人にとっては劇場版はすこぶる評価悪いんよね(しかも制作の指揮をつとめたブラピも資金難に直面して当初の脚本からは大幅に違う内容になったとか)。
本の方は国連に勤めている主人公がゾンビによって一度滅びかけた世界の生き残りにインタビューをしていくというオムニバス形式で、いろんな登場人物がいてそれぞれの国や地域がどのようにゾンビ(およびそのウイルスとパニック)に対応したかという点に焦点が当てられている。もちろんゾンビなんていう空想の世界の存在だけで敬遠する人も多いと思うんだけど、重要なのは各国の対応の部分で作者のメル・ブルックスはいろんな分野の専門家にもし「世界的な脅威が襲ってきた場合にどうなるのか」という取材を重ねているため、この度のコロナパンデミックと被る部分があるように感じた(もちろん全然違う部分もあるけども)。以下に共通点を現実の出来事と比べながら延べたいと思う。思いっきりネタバレなんで興味ある人は是非読んでor読み直してから見てネ。
https://www.bbc.com/japanese/51409970
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020040700752&g=int
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3982906.html
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/05/post-93353.php
ちなみに日本はというと、人口密度が高いのと銃などの自衛手段を持たないため完全崩壊、周辺諸国への難民が溢れるといった展開。引きこもり、ハッカー、ポン刀、被爆者とエキソチズム満載すぎるため読んでてちょっとゲンナリした…。また個人的に含みがあるなと思ったのが本作には対ゾンビ秘密兵器みたいなものが出てこない、もしくは出てきても結局大して役に立たないこと。結局は地道に対処と予防をしていくしかねぇなってことなのかな
作者のマックス・ブルックスは本書発表後になんとウェストポイント(アメリカ陸軍士官学校)のフェローに就任し、そして今回のコロナの騒ぎが始まった折に海軍中将からコロナに関して注意喚起メールをもらったそうな。
https://mwi.usma.edu/max-brooks/
またこのジャーナリストのツイートによるとアメリカおよびイギリスの危機管理対策に関わる人たちなんかは本書を読むことが課せられてるとかなんとか
https://twitter.com/MikeStuchbery_/status/1234819359660560385
そんなわけで非常事態宣言が解除された今、改めて振り返ってみてこの作品のこういうとこも似てるってあれば教えて欲しい。
そしてこれ書いていてまた読みたくなったので、自分も改めてオーディオブック版を試してみようと思う。ちなみにオーディオブック版の声優はマーク・ハミル、サイモン・ペグ、マーティン・スコーセッシなどなどとこれまた豪華
ご存知のとおりラノベではここ十年ほど戦記ファンタジーが流行しているんだが、
おまえらは「最近のラノベは異世界転生ばっかりで飽きた」って文句ばっかりだから、
俺がオススメの(転生しない)戦記ファンタジーを選んでみたぜ。
アニメ化された有名作品はもちろん既読だろうから除外しとくな。
https://www.amazon.co.jp/dp/4040726995
数年後に迫るという魔王の再臨に向けて
人類が団結しようとして全く団結できない話。
未来予知の能力を使って絶望的なピンチを何とか切り抜けていくという、
やりなおし・死に戻り系の側面がある。
地味な主人公、好きだろ?
めちゃくちゃ面白いんで読んでくれよな。
https://www.amazon.co.jp/dp/4797387394
各地を転戦しながら豪傑・智将をばったばったとなぎ倒して仲間にしていく話。
一度はドン底まで落ちた妾腹の皇子があれよという間にのし上がる。
https://www.amazon.co.jp/dp/4797397039
怠惰な王子が面倒事を避けようと「ほどほどの成功」を画策するも、
有能すぎて予想を上回る大成功を収めてしまい「どうしてこうなった」という話。
全体としてはコメディ色が強いけど、
主人公からふと漏れる「こいつヤベェ奴じゃん…」感がめちゃくちゃ楽しいぞ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4798616923
歴戦の傭兵ながら常に敗北しているという謎めいた男を主役にした話。
「いったい常敗将軍は何を考えているのか?」という謎解きを、
https://www.amazon.co.jp/dp/4048923943
兄は帝国へ赴いて英雄となり、弟は周辺諸国を征服して王となる、という話。
作者がやりたい放題に好きなものを詰め込んでる最高の作品なんだ。
以上だ!
どれか一つって言うなら『ファイフステル・サーガ』をオススメするぜ!
よろしくな!
倭国は朝鮮半島の加羅諸国と緊密な関係を持つことで大陸に対する足がかりとしていた。
だが加羅諸国は高句麗、新羅、百済による騒乱に巻き込まれ、562年の新羅の侵攻で滅びることとなる。
朝鮮における拠点を失陥した日本は百済と接近し新羅との対立姿勢を強めていくが、中国に400年ぶりとなる統一王朝、隋が生まれる。
また周辺諸国への圧力を強め、582年に突厥を東西に分裂させ、598年以降四度にわたり高句麗に大軍を派遣する。
高句麗は新羅、隋に抵抗しながら東突厥や百済、また470年にはかつての敵国である倭国とも連携した。
しかし、倭国が対新羅関係を打開するには最早、新羅を冊封(君臣関係と)している隋と外交を行うしかなかった。
こうして、120年ぶりとなる中国への遣使が行われることとなる。
遣隋使は隋が滅ぶまでに五回行われ、またその間に冠位十二階の制定、十七条の憲法の制定や仏教文化の移入などの隋と対等な立場になるための改革が進められていく。
この件.
https://togetter.com/li/1274544
査読論文持ってないひとが責められるのはまあわかる(査読なし論文でも優れた論文というのは有り得るし,そういうのも業績として認められるべきではあろうが,このご時世ではまあ査読論文は持っといた方がいいよな……).でも英語論文を持ってないことが責められる理由になるのは本当に理解できない.
何度も繰り返すけど,フランスでもドイツでもロシアでもスペインでも,そしてたぶん中国や韓国でも,文系の研究業績の大半は自国語だから!
文系の研究業績が自国語で積み上げられるのは,世界標準だから!
(インドやサハラ以南のアフリカ諸国のように長いこと西欧の植民地になってたり言語の数が多すぎたりして大学教育を英語でやっている国や,ツバルやナウルみたいに小さすぎて自国語のアカデミアが成立しない国を除く.そういう国がうらやましいと言うならもう何も言えないけれど)
そりゃ英語論文を持ってたらすごいと思うよ.でも英語論文がないことが叩かれる理由になるのは本当に理解不能.
そもそも,社会学には膨大な日本語の研究蓄積がある.いくつもの査読誌があり,日本語で査読を経た研究成果が積み上げられている.博論をもとにした出版も多く出ているし,入門書から何から日本語で一通り揃うようになっている.
自国語で用が足りるんだから,論文の執筆言語は自国語でいいだろ.繰り返すけど,それが世界標準です.
イギリスやアメリカの学者が英語で書き,フランスの研究者がフランス語で投稿し,ドイツの博士がドイツ語で教授資格申請論文の審査を受け,ロシアの院生がロシア語で報告している中で,なんで日本の教授が日本語の業績しか持っていないのを責められなければならないのか皆目わからない.
これは社会学に限ったことじゃない.政治学だって,歴史学だって文化人類学だって,文学だってそうだ.だいたいどの分野でも有力な査読つき学術誌を持っているし,それらの雑誌は日本語で書かれている.
そして日本語というのは,世界でも有数の学術言語だ.もちろん英語ほどの網羅性は持っていないかもしれないが,ドイツ語やロシア語ほどの重要性は持っていると思う.それは,先人たちが日本語で積み上げてきた研究業績の賜物だ.
「世界でも有数の学術言語」というのもいろいろな尺度があると思うが,どれだけ広い分野で高度な研究を積み上げているか,というのをここでは述べたい.
もしこれを読んでいるあなたが,アフリカに興味を持って,アカデミックな本を読んでみたいと思ったとしよう.大学図書館で文化人類学の棚の前に立てば,数ダースの優れたアフリカ研究があなたの前に現れるだろう.その多くが,西欧の学者と同じようにアフリカでフィールドワークをし,日本語と西欧語の先行研究を読みこなした上で書かれたものだ.
あるいは,ヨーロッパの歴史を知りたいと思ったとしよう.あなたは造作もなく,フランスやドイツやイギリスやスペインやロシアや,そしてチェコやポーランドやポルトガルやボスニアについての研究書を見つけられるだろう.どれも現地語の史料や文献を消化した上で,日本の歴史学の積み重ねてきた問題意識と接続されている.
それとも,言語学に興味があるだろうか.心配はいらない.オセアニアの数百人しか話していない言語の文法を記述した本も,ヨーロッパの小国の言語の音声を論じた本も,中東の言語政策についての本も,あなたは探し出すことができる.政治学? 問題ない,EUの制度,アメリカ大統領選挙,韓国の歴史認識,ロシアの愛国主義,湾岸諸国の君主制,どれも日本語で最先端の研究が読める.
こんなことは当たり前に思えるかもしれない.でもこれは決して当たり前のことじゃない.
とあるアジアの国に行ったときに書店に行ってみた.西洋史の棚に並んでいるのはどれもそのアジアの言語で書かれた本だったが,著者はみな西欧人だった.それらはいずれも西欧語からの翻訳だったのだ.たまにそのアジアの国の著者が書いた本もあったが,イギリスとかフランスとかメジャーな国についての本ばかり.マイナーな国の歴史について扱った本を開いてみたら,参考文献はほとんど英語で,ちょこちょことドイツ語やフランス語が挟まる程度.要するにその本を書いた学者はそのマイナー国の言語を読めなかったのだ.日本には,そのマイナー言語を読める歴史学者が何人もいるのだが.
あるいは,ヨーロッパの小国の書店.その国は小さいので国民の多くが英語を達者に話すのだが,本屋を覗くと,自国史や周辺諸国の歴史についての本以外は英語の本がそのまま置かれていた.もしも遠いアジアの国に興味を持ってしまったら,その国の人は,自国語のペラッペラの入門書の次は英語を読まなければならないのだ.日本語なら,遠いヨーロッパの国についても専門書が手に入るのだが.
たとえ外国語が読めないシロートだろうと,ある程度自国語で難しい本を読める力があれば,中世ヨーロッパやアフリカ社会やラテンアメリカの先住民や近世朝鮮史や東南アジア政治についての最先端の研究書が読める.そんな豊かなアカデミアを有している国,そんな潤沢な研究蓄積のある学術言語は,実はそんなに多くはない.
私の感覚だと,英語の網羅性には劣るし,フランス語の豊かさには負ける気がしないでもないけれど,ドイツ語やロシア語並の水準に達してはいると思う.もちろん自国民ゆえのひいき目かもしれないし,カバーしている範囲が微妙に違っている以上正確な判定は不可能なのだが.
カバーしている範囲が違う,というのはどういうことか.たとえば,上で英語の網羅性に劣ると書いたが,英語よりも日本語のほうが研究蓄積の豊かな領域というものがある.当たり前だが,日本史については英語の文献よりも日本語の文献の方が圧倒的に豊富だし,日本史以外でも前近代の中国史についてはまだまだ日本語の方が英語よりも網羅性が高いと思う.なので前近代の中国史については,読者はともかく,歴史学者は中国語の他に日本語を読まなければいけない.その人がアメリカ生まれの英語ネイティブな白人であってもだ.ザマーミロ.
というか,実は文系分野に関しては英語の網羅性は理系ほど高くない.そんなのは当たり前で,ロシア人はロシア史についてロシア語で書き,カタルーニャ人はカタルーニャの言語政策についてカタルーニャ語で書き,チェコ人はチェコ文学についてチェコ語で書き,韓国人は韓国社会について韓国語で書いているのだから,英語の文献を読むだけでそれら全ての情報が手に入るわけがなく,本格的に研究しようと思ったらそれらの言語で書かれた文献を読まなければ話にならない.日本事情について一番詳しく正確な研究が読めるのは,英語ではなくて日本語だ.
なので,上で挙げた主要な学術言語は,それぞれ積み重ねが豊富な領域とそうでない領域がある.得手不得手というやつで,たとえばマグレブや西アフリカの地域研究ならフランス語で,東ヨーロッパの前近代史研究ならドイツ語で,旧ソ連圏の研究ならロシア語で重要な研究が蓄積されてきたので,江戸っ子だろうがロンドンっ子だろうが研究を志すのならそれらの言語を読まないといけない.中国近世史を専門にする者が日本語を読めなければいけないのと同じだ.これらの分野で英語で書かれた研究だけを読んで済ますことはできない.
この辺が,理系とは事情の違うところなのかもなぁと思う.理論物理学とか分子生物学とか再生医療とか深層学習とか,ほぼ全ての分野で英語さえ読めれば研究には用足りる(んだよね?).英語に最先端の研究のほぼ全てが流れ込み,あらゆる情報が蓄積される.しかし文系では違う.英語には限られた情報しか流れ込まず,最先端の研究の全てが英語で提供されるわけではない.
なので文系では,英語が理系ほど特権的な地位を占めているわけではない.もちろん英語文献が読めるのは今や前提だし,重要な先行研究が英語なら読んでいないと問題外だ.けれど,英語ではなく自国語の研究でも研究業績にカウントされるし,外国語での業績といっても英語に限られるわけではない.韓国語やトルコ語で論文を書くほうが英語で書くよりも楽だ,と言う研究者だっているし,日本語でも英語でもろくな業績がないがそのかわりロシア語で何本も論文を書いているという研究者もいる.
というわけで,文系の研究者が英語論文を書いていなくとも,それが直ちに問題だとは思わない.査読論文にしても,そりゃゼロってのはちょっとどうなの,って思うけど,研究者が集まって作った本の一章として論文を発表するとか(いわゆる論集ってやつね),出版社が出してる研究者~教養人向けの雑誌に依頼を受けて研究成果を発表するとか(岩波書店の『思想』とか,青土社の『現代思想』みたいなやつね),査読されてないけど業績としてカウントされ得る論文の発表形態というのはいくつもあるので,査読論文以外にそれらも論文としてカウントしないとフェアじゃないと思う(ただ,私は査読がついていない媒体に出すのは怖いなと思ってしまうので,なるべく査読誌に出している).
別に理系のひとが査読つき英語論文のみを業績としてカウントし和文論文は勘定しないというローカルルールをお持ちなのは結構なのだが,そのローカルルールを文系に押し付けないでいただきたい.
私が危惧しているのは,上で書いたような日本語で積み上げられた先行研究が,日本人に真っ当に評価されていないことだ.
文化の豊かさというものを考えたときに,自国語で世界中の情報を知ることができるということが,どれだけ重要なことか.まして,日本はコンテンツ産業が主要輸出品目のひとつだ.中世ヨーロッパやアフリカの部族社会について日本語での研究が充実していることが,創作者が想像の翼を広げる上でどれだけ有利か.たとえば最近,Cuvieという漫画家さんが『エルジェーベト』というオーストリア=ハンガリーを舞台にした漫画を描いていたが,巻末の参考文献にはずらりと日本人が和文で書いた研究が並べられていた.
別に文化に限ったことではない.政治や経済,そして人権についてもそうだ.ルワンダの虐殺やスレブレニツァの虐殺について日本語で書かれた研究があるのとないのとで,どちらの方が日本人にとって国際情勢を理解しやすくなるだろうか.外国で一旗揚げようと目論む商売人にとって,その地域の専門家が書いた本や論文が和文で手に入るのと入らないのとで,どちらが現地の文化や歴史を理解する助けになるだろうか.欧米のフェミニズムについて日本語で研究を積み重ねる学者がいるのといないのとで,どちらが日本女性の権利の向上に資するだろうか.
すべての国が自国語でこれだけ充実したアカデミアを持てるわけではない.人口があまりに少ない国ではどうしたって物理的な限界があるし,人口が多くとも植民地支配の歴史が長く自国語の大学教育が充実していない国では歴史的遺産がその発展を阻む.
日本人は恵まれた研究蓄積にあまりに無頓着なばかりか,その豊かさをみずから捨て去ろうとしている.それが私にはもったいなく思える.
英語は,世界の始まりから覇権言語だったわけではない.明治時代の日本の医師はドイツ語で論文を書き,外交官たちはフランス語で交渉していた.英語が外交や学術の分野で覇権を握ったのはせいぜい戦後のことで,それまではフランス語やドイツ語と同格の存在だった.今も文系ではprimus inter paresに過ぎない.ひょっとしたら将来,欧米の物理学者たちが中国語で論文を書くことになるかもしれない(そのときは現在の私たちが定冠詞や三単現のsに悩まされるように,欧米人が泣きながら漢字を習得するのだろう.そう考えるとなんとも愉快な未来予想図だ).せいぜい百年単位の覇権言語の移り変わりにあわせて,自国語の学術言語としての地位を貶める必要はないと思う.それは私たちの社会の豊かさを,長期的に損なうことなのだから.
最後に.
どうせ和文論文しか持ってないやつの負け惜しみだろって思ったひとがいるかもしれないけど,和文論文だけじゃなく英語論文も書いたことあるし,英語以外の外国語での論文も持ってます.今それとは別の外国語での研究発表を準備中.私より多くの言語で研究報告してきたひとにならともかく,たかが1言語か2言語でしか論文書いてないガラパゴスの住人にだけは文句言われたくないですわ~~~~~~.
英語論文が優れているとは言わんけど、査読なしの研究なんてゴミだし。
id:bocola 自分でも言ってるように査読なしなのが問題。査読なしの論文なんて、読書感想文と変わらない程度の価値。やはり文系は無価値だと改めて思った。
arXivのない世界線からやって来たのかな? グリゴリー・ペレルマンって聞いたことない? 査読なし論文が業績としてカウントされてるひとだけど.
事前の査読は,論文の信頼性を担保するための手続きのひとつであって,それが欠けている「から」ダメ論文というわけでも無価値というわけでもない……というのはわかってくれるよね? 当たり前だけど論文の価値は最終的には書かれている内容に依存するわけで,だからこそペレルマンは査読なし論文であってもポアンカレ予想を解いたと認められたんだよね.
私も査読はないよりはあった方がいいと思うけど,査読がすべての論文につくわけではない分野のすべてをダメと論ずるのは不当すぎる.まあ最近は文系も査読が重要になってきているし,若手は査読つき業績を増やしたがっているけれど,査読がつかないからダメとは限らない,ってだけの話.当たり前だけどダメダメな論文は後発の研究によってちゃんと批判されるか鼻にもかけられず無視される.公募の際には論文を提出させたりするんだから,査読なしダメ論文を量産していればそこで撥ねられるでしょ.理系のローカルルールで事前の査読が必須なのはよくわかったけど,そのローカルルールを文系に敷衍されても困る.
id:zyzy まぁでもこの噛みつきは、もうすでに南京大虐殺の時に通った道だし、虐殺否定論者と同じ轍を踏み続けている以上、恐らくオタにこの説明が通ることはないんですよ。
私もオタクですが.