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はてなキーワード: 中年とは

2024-09-30

トランス女性だけど露天風呂入った

彼氏との旅行で、ホテル露天風呂があって入ってきた。一応言っておくとオペ済み。

長い間、露天風呂温泉銭湯には行けなかった。家族旅行に行っても一人だけ部屋で過ごし、友達旅行に行っても一人だけカフェで待ったりしていた。「カフェのんびりしてるのも楽しいから気にしないで」とか言ってたけど、寂しかった。約二十年、そんな風だった。

思えば、水泳もそんな感じだな。運動音痴球技徒競走も下手だったかスポーツに参加できないことに不満はほとんどなかったけど(健康は損なわれたかも)、小学校時代唯一まともに出来たスポーツ水泳で、それも中学から水着になれなくなってやらなくなった。こちらも約二十年ぶりにプールに行ってみたら、全く泳げなくなってて驚いた。

風呂プールに入れないこと自体は大した問題じゃない。別にそれで死ぬわけでもないし。ただ、思い出はその分失われた。トランスジェンダーじゃなかったらあったはずの旅行の思い出、トランスジェンダーじゃなかったらあったはずの青春の思い出が、全部ではないにしても失われた。女友達何人かとのとの女子旅なんかも、楽しいことはいっぱいあったけど、なんだろう。風呂自体がどうこうというより、風呂に一緒に行けないことや、それを周りが気遣ってることのせいで、雰囲気が明るくなりきらないんだよね。トランスジェンダーであることにも自分の外見にも不満はないけど、思い出が減ること、お金がかかること(手術を受けるだけで約二百万で、定期的な通院もあり、裁判所での手続きにも費用がかかる)、就職が大変なことかには不満がある。というか、無料で周りの人を納得させられる体が手に入って、無料で体が勝手ホルモンを出してくれるシスジェンダーたちが羨ましい。シスジェンダーであることを理由就職できないこともないだろうし。

トランスジェンダーでも、FtMなんかは結構未オペで温泉行ったりしてるよね。ホルモン続けてると見た目もただの小さいおっさんしかなくなったりするし、股間タオルで隠してたら普通にバレずに入れるとか。FtM中年、まじでわかんないからね。言われてびっくりしたことが何度かある。まあ向こうも向こうの悩みがあると思うからどっちがいいとかじゃないんだろうけど、でもその辺は羨ましい。

でもそんなこともうどうでもよくて、久しぶりに満喫した露天風呂はとにかく気持ちよかった。もう周りから変な目で見られることもない外見だけど、他の利用客がいたらこちらが怖くなってしまうから、早朝の誰もいない時間に行った。実際には早起きのおばあちゃんが一人いたけど。海を眺めながらのんびりお風呂に浸かって、最高だった。生きててよかったなって思った。また水泳も習ったりしたいな。小学校の頃はクロールとかそこそこ得意だったんだよ。ジムとかも行ってみたい。

東洋経済オンラインが嫌い

記事が本当に雑

中年が喜びそうなふわっとした雑なディス記事ばかり

そして喜ぶはてなー

まだ中年なうちに人間ドッグ(国補助の)受けてみようと一念発起して予約したら検査日が数ヶ月先

脳まわり検査は含まれてないのに、みなさん内臓病が心配なのか

画像診断なんてAIでなきゃ適当なもんだろうけど、血液検査はやりたい

クレアチンキナーゼ入ってないけど

anond:20240930133031

小説書いてーいつかは芥川賞取ってー

って中年になるまで考えてるから

anond:20240930133031

普通就職先が決まったときとか、大学高校に入ったときかに自分人生がどの程度のもんか悟るよね。

中年で安っぽく絶望してる連中は大学入ったとき就職決まったときには「俺の人生はこんなもん」とか安っぽく悟ったようなこと言ってたタイプだと思うよ。

中年になって先が見えて絶望してるみたいなアイデンティティ・クライシス増田

ちょくちょく見るけど、自分の将来に気付くのが遅すぎない?

普通就職先が決まったときとか、大学高校に入ったときかに自分人生がどの程度のもんか悟るよね。

anond:20240930123248

若者が希少なため未婚の中年弱者男性を重点的に徴兵するのであまり反対運動盛り上がらなそう

藤井風の死ぬのがいいわ、どっかのお店のBGMで聞いてサビの歌詞タイトルの、が妙に印象的で

その後割と最近歌詞を読んだ

まあ、恋愛の歌なんだよな

あなたを無くすくらいなら、的な

まあ若い価値観でしばしばある感じのやつ、と理解してたけど

中年も半ばを過ぎて、ふとそう思ってしまった

それはロマンチック感情というよりは、面倒くささに近かった

めっちゃ悲しくて辛い中を後の諸々やって、って

そんなんするくらいなら先に(タイトル)みたいに

送る側はしんどいめんどい

無性にジャンガレが食いたくなった。

山岡屋とともにずっと気になってはいるけれど、どちらも絶妙アクセスが悪い。車も乗らないし。

日常重力というものは中々強くて、行動圏内を逸脱するのにラーメン屋だけではちょっと弱い。そのためだけにわざわざ足を伸ばすのもなんだかさもしいお出かけに思える。

でも普段のおれの過ごし方も大概だ。

頭に浮かんだ単語自分でこねくり回す事もせず、SNS検索ボックスに放り込む。そこに出る他人がまとめた言葉に乗っかって、何かを考えたような気になる。もしかしたらコミュニケーションをした気になってるのかもしれない。何度も同じ言葉検索したりもする。

反復の日々の中で内容を変化させる刺激もなく、何度も同じ話を繰り返す老人と同じだ。

更新など来てないだろうと分かりながら、YoutubeTVerWeb漫画サイトをぐるぐるローテーションしたりもする。それにも飽きたら過去面白かった回を見たり。同じ回を何度も繰り返し見ていれば味もしなくなってくる。

それか、変わり映えしない手癖でギターを弾くか。頭の中で漂う音を取り出したいが、ろくに技術もない。そのためのセオリーを知ろうと知識検索まではするが、頭に入れようとはしない。開きまくったタブを閉じるのもなんだか惜しくて、ブラウザの隅にグループにまとめられたまま。埃でも積もれば少しはやる気にもなったのかもしれない。

こんな過ごし方なら出かけた方が少しはマシかもしれない。

週末、ジャンガレへ向かう決意をした。

山岡もついでに行きたいが、微妙場所がズレている。まあ折角出かけるのだから両方回ってやろう。

と思っていたが、ベッドでダラダラ過ごしていたら出発時間がズルズル延びていく。

結局山岡家は諦め、比較アクセスのマシなジャンガ新所沢店を目指す。

縦の移動を滅多にしないので気付かないが、埼玉は意外と近い。国分寺から西武に乗り換えればすぐだ。

近場でも県を跨げばなんだか旅行気分になる。それが移動の楽しさでもあり、億劫さを生じてもいる。

国分寺線は車内に電子表示がないらしい。イヤホンつけてスマホ凝視している現代の陰気人間に対して実に優しくない。Yahoo路線googleマップ現在地を神経質に確認しつつ、新所沢駅へと降り立つ。

西友と一体化した駅のロータリーは、郊外平均の生活感漂う趣。決して高円寺やそこらの「生活感」ではない。

都心に住んでる者には田舎郊外に住む者には日常光景ガチ田舎に住む者には割と都会。寂れはせずとも活気もない風景は決して気分の上がるものではない。

ジャンガレを目指し脇の通りに出ると飲み屋が並ぶ。町の息づきを隠しやがって、と思うのも束の間、スタスタ歩いているとそれも一瞬で過ぎ去り国道沿いへと放り出される。歩道車道曖昧さに少し田舎さを感じる。いやむしろ駅に近いからか。

コンビニファミレスか、塾やら車屋やらブックオフやらが点在する、ネットバカにされがちなあの光景

中高生の頃もほっつき回れる範囲は「コレ」か住宅外の二択だった。

晩飯までの時間制限はそのまま距離制限になる。電車あっちこっち行くような金もない。楽しげな景色は全て画面の向こう側だったな。せめて河川敷でもあれば良かったのだけど。

歩行者マイノリティのそういう道を歩く度、当時の事を思い出す。目に入る情報が少ないと意識自分の内に向きがちなのかもしれない。今も昔も。

ジャンガレは駅から離れるとすぐに見つかった。

小綺麗で小さめの店内にもう一軒ラーメンの入った、二店舗だけのフードコート形式

卵なしまそば(790JPY)の食券を購入し、受け渡し口へ。

トッピングを聞かれ、慣れた風にニンニクWとだけ。

店員のおばちゃんの声色と表情が「それだけでええんか……?」的な雰囲気を漂わせる。

別にいいだろ。おれは口の中の味が少ない方が好きなんだよ。

何やらメニュー表の写真を指差しながら説明しているが、ここで掌を返せば自分が不慣れのようではないか。実際不慣れなのだから何ら恥じることはないのだが、意地になってロクに確認もせず「それで大丈夫です」で通す。

そこまで言うからにはよほど質素な素ラーメンが供されるのではないかと若干怯えつつ、10秒程度の駆け引きを済ませる。フードコート特有のブーブー鳴るアレを渡され、テーブル席へ陣取る。

すぐさま脳内自分反省回を開く。おれのトッピングは変だったのだろうか。

数m先のメニュー表を確認することなく、インターネット無料トッピング情報を探る。

ニンニク。入れた。

エビマヨチーズ。いらん。味がゴチャゴチャする。

ベビースター。いらん。カリッとしたもんをわざわざふやかすのは嫌いだ。

辛味。まあ初回だしいらんだろう。

あ、アブラを入れ忘れてた……

まあ致命的なミスはなかろう。

スマホを置き店内を改めて見渡すと、数割の埋まり具合といったところ。

若者連れ、ご婦人ペアソロ中年男性

二郎(系)特有の窮屈で急かされてるような雰囲気はない。もう一軒普通(?)のラーメン屋も入ってるしな。

これを求めてたんだよ。家で手間をかけることもなくゆったり食える。

二郎は好きだけどあのガツガツした空気は嫌いだ。早食い美徳とも思わない。回転率とか店の都合だし 。

ナイトホークスとまでは言わないが、郊外の週末夕方の気怠い空気が心地よい。

地元の店といった趣はむしろアウェイ感すら抱かせるほどだ。

時間がゆったりと流れるような感覚。でも給水器の水の出がやたら遅かったのは多分気のせいではない。

呼び出しのブザーが鳴る。

ネット確認して尚も素ラーメンが出てくるのを若干恐れつつ、受け取りへ。

なんだ、ちゃん二郎系の姿をしてるじゃないか

受け取り口脇で紙エプロンが目につく。周りに目を遣ると着けてる奴はいない。こういう時、なんかお上ぶってるみたいで使うのが恥ずかしい。だが、週末のお出かけだしと着てきたお気に入りの白シャツは守りたい。

と悩んでいると、店員から「よければ紙エプロンどうぞ」の声が。渡りに船。まあ、勧められたなら使っといてやるか。

席へ戻る。卓上のカエシを垂らし、ヤサイを除去するように喰らう。コショウをドバドバ振り撒いてブタを喰らう。ニンニクをかき混ぜて麺を喰らう。

うまい。濃くてうまい。味がしてうまい

他の二郎系と何が違うのかはよく分からんけど、かねてから実行しかねていた欲求をきちんと消化し、しかも美味いのだ。何の不満があろうか。

と、汁がシャツの裾に飛ぶ。ちょうど紙ナプキン範囲外へ。

一気に萎える。

コップの水を紙ナプキンに浸して拭うが、薄まりもしない。

シミ抜きめんどくせえな。忘れないようアラームをつけ、自分で抱えてると気の滅入る記憶を外部委託する。

最後の一啜りを慎重に済ませ、退店。

まだ7時頃だかすっかり日も暮れた。もう夏も終わりか。

道路沿いで光り輝く塾の中でガキ共が勉強してやがる。こいつらは幸せなんだろうか。幸せになれるんだろうか。まあおれの知ったことではない。

完全に一服の口になってきたので、googleマップ喫煙所を探す。駅前タバコ屋があるらしい。

喫煙所のある街は良い所だ。目に楽しい街は傾向的に大体パブリック喫煙所が設置されている。寛容さとか、そういう抽象的な理屈じゃなく。

プライベートサービスの灰皿があるだけとなると、ギリギリ及第点といったところか。まあそれもすぐ消えゆくのかもしれない。

タバコ屋へに辿り着くと、分煙へったくれもなく灰皿だけが置かれたストロングスタイル

くどいラーメン後の一服は実にうまい。肉体作業でもした後ならさぞ染み渡るんだろうな。まあそんなんしなとも十分満足だ。さて帰るか。

駅でオシッコしようとしたら、トイレは仮設らしい。小×2と大×1の窮屈なボックスが3つ並ぶだけ。駅の規模の割に小さい。ええんかこれで。

スッキリした所で、ガラガラ新宿行きへドカッと座り込む。

このまま新宿まで行ってしまおうか。映画でも観て、バスタ高島屋でボーッと夜景でも眺めたら締まりのある週末だ。

乗り換えるまでの数駅分の猶予で、まあ今日はもういいかなと思った。

車窓の向こうは晩夏か初秋の暗闇。団地とタワマンの灯りだけがかぶ

家までの帰り道、せめてもの抵抗ゲーセン寄ってった。

なんというか、西武線に揺られ所沢に降り立ちジャンガレを啜るという全ての体験所沢感、というか郊外感があったな。非日常にすら感じるほどの、絵に描いたような日常。それに抗うつもりでゲーセン行ったのがむしろ更にそれを強める。

これをいつもの週末にしたくはないなって思いと、そうなりそうな予感があった。

帰ってフロがてらシャツのシミをシコシコ落とす。かったるい。汚れてもいいTシャツで近所をうろつくばかりの日々はもうすぐそこまで来てるのかもしれない。

後日山岡家も行った。

瑞穂店。どこだよマジで

最寄りは箱根ヶ崎かい温泉街パチモンみたいな名前しといて、実態八高線田舎駅。ドアの開閉はボタン式。狛犬ポジションの罪は重い。

駅前ロータリーコンビニけが目を引く。

国道沿いの道は片側二車線で、より歩行者の疎外感が強い。リサイクルショップの掲げる「作業靴買い取ります」の文言に色々な想像を浮かべる。

所沢って結構マシだったのかも。

15分ほど歩き山岡家に着く。駐車場はかなり埋まってる。思ってたほど臭くねえ。

醤油大盛り

店内は金髪ツーブロの兄ちゃん家族連れ。一人者にテーブル席は許されず、肩身の狭いカウンターへ。

しばし待たされ着丼。

啜る。なんなシメ雑炊出汁みてえな味がする。気がする。分からん。濃くてうまい

ニンニクコショウをドバドバ入れると、叩かれがちな壱系とあんまり変わらん気がする。まあ美味いのでいい。

帰りに寄る場所もなく、来た道をそっくりそのまま辿る。

おれの人生から日常はどんどん失われて、着実に「これ」へと染まりつつあるのかもしれない。

2ch脳じみた考えもとっくに薄れてきて、そういう日常バカにする気もあんまりなくなってきた。自分楽しいか、満足してるか、納得してるか。それが全てなんだし。

大して違いが分からなくたって、美味いと思えるものが食えたらいい。

別に美術館図書館デパートも行かない。

から出なくたってネットに色んなものが転がってる。

でも楽しい景色はこの目で見たいし、自分の足で踏みしめたいんですよぇ。

2024-09-29

anond:20240929165638

ネットで評判いい作品百合あり)は主に中年オタク支持層が強いとこはある

特に匿名掲示板評価となるとその傾向が強い

ベイビーわるきゅーれと今回の総裁選共通点発見した。

9月27日、「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」が公開された。

https://babywalkure-nicedays.com/sp/

まず、映画自体は本当に面白かった。三作目にして最高傑作という声もあるし、俺もそう思う。

ただし、映画館でこの作品に対して深刻な懸念を感じずにはいられなかった。観に行った回はほぼ満席だったのだが、若い人たちが少なく、中年男性が最も多かったようにみえた。また俺もそうだからわかるんだが、そのほとんどは、毎年100本以上映画を観るようなオタクだったように思う。

日常×殺し屋というアニメ的な設定やキャラクターコメディタッチ台詞回し、そして素晴らしいアクションシーンは誰でも楽しめるような作品であるはずだ。しかし観客はおっさんばかりだ。

製作陣の意図は知らないが、これは本来若い人々に届けたかったのではないか。前二作はインディーズ感があったので、シネフィルが観客層であったことは仕方ないかもしれないが、今回は池松壮亮前田敦子といった人気俳優も迎えてるので、大衆向け映画としてのルックは備えてるはずだ。

ここで考えるのは、この映画大衆化を阻んでいるのは映画ファンのものなのではないかと思う。

現にTwitterで本作を検索すると、どうもプロアマ映画評論アカのお褒めの言葉ばかり流れてくる。ポジティブレビューが多いのは良いことだが、「小うるさい映画ファンでさえも評価する作品」という評判が支配的になると、年に数回しか劇場に足を運ばない一般人は敷居の高さを感じてしまうのではないかTwitter自体がもうおじさんおばさんの溜まり場ということかもしれないが)

実は今回の自民党総裁選でも似た事象が起きていたと俺は思う。1回目の投票トップであった高市早苗が、決戦投票石破茂に逆転敗北したが、俺はこれを彼女支持層であったように思う。Twitter上で高市支持を表明していた有名アカ極右が多く、彼女の人気はカルト的にもみえた。彼らは熱心に高市の素晴らしさについて訴えて来た。彼らからすると、純粋応援のためだったかもしれないが、他の層からすると過剰に写っていたと思う。彼らが良かれとして行ったことが、仇となった感は否めない。

話は戻るが、ではベイビーわるきゅーれが一般に支持されるために、我々映画ファンはどうしたら良いか。おそらくは発信のトーンを落とすことである。この映画は本当に素晴らしいし、沢山の人にみてほしいが、映画ファンが熱心であればあるほど、一般化は永久に果たされない。

とはいえ、全く発信が無くなると、そもそも発見すらされないので一見簡単なようで難しい課題である。果てさてどうしたものか。

中年危機系の記事、増えてない?

自分は45歳の就職氷河期世代なんだけど、最近はてブでもニュースでも中年危機とかミッドレンジクライシスとかの記事がよくサジェストされる。

年齢とか普段ウェブ閲覧とかから自動で表示されてるんだろうけど、それにしても多い気がする。

そういうの読んで、まず自分能力と実績の棚卸しからはじめてみたが、今のところ戦えそうな武器は出てこなくて絶望してる。

 

たくさんの記事があるってことは、自分職場で役立たずになったと感じてたり、優秀な若者にどんどん抜かれて辛い立場になったりしてる中年って、俺以外にもたくさんいるのかね?いたら皆さんどうやって乗り越えてるのか共有してくれるとありがたい。

恋愛経験」を他人物差しで測られてしまう怖さ

恋愛経験ない奴はカス、みたいな投稿見たけど

恋愛経験」そのものの具体性や再現性って多分無いというか

まりにも多様な価値観を孕んだ話だと思っていて

だのにそれを勝手に「無い」と断定し他人卑下する行為

それこそ唾棄すべき暴力的言葉に見えたりする。

片思いしかしたことのない、好きな人から恋愛相談ばかり受けてきた中年手前の顔真っ赤な反応投稿ナリ。

2024-09-28

anond:20240928154452

男性さんサイドが股開く気になれないだらしなさを獲得していくのにも問題がある

中年リーマンみんな揃いも揃って腹出てるし

さユりの死因を公表してほしい

この内容がひとつ当事者の声として、実際に関係者に届いてほしいのか、

それとも自分の心情を吐き出す場所がほしいだけなのかはわからないが、

書かないと、どうにかなってしまいそうなので書く。

彼女訃報を知ってから半日経つが、率直に言ってかなり精神的にまいってしまっている。

普段物事に対して必要以上に感傷的になったり、映画などを見ても大泣きしたりはしないタイプ人間なのだけれど、

このあまりにも唐突で受け入れがたいニュースに触れてからというものの、

仕事大学の授業が終わり一人になると、納得できない気持ち言葉がどんどん頭の中をめぐって、

よくわからない感情で涙が出そうになるし、

私生活特別な不満もなく、心身ともに健康に日々を過ごしていた自分でさえこうなるのだから

希死念慮を抱えて生きるような人々にとって、著名人自殺報道がどれだけ影響を持ちうるだろうか、ということも考えてしまう。

自分彼女に心酔する大ファンだったかと言うと、多分そうではない。

ただ、家で一人作業している時に流すiTunesプレイリストの数%は彼女の曲であり、

人生彼女の曲を聞いた時間を一つにつなげると、大抵の友人や家族と過ごした時間よりよっぽど長いのではないと思う。

彼女楽曲は、巷で「生きづらさ」として語られるような感情ベースにしたものが多くて、

それが彼女の内なる思いの発露なのか、商業作家としての生存戦略であったのかはわからない。

もうとうに中年差し掛かった自分にとって、

彼女に対しての感情は同年代ならきっと抱くのだろう「共感」とはすこし違っていて、

突出した作家性で、歌声で、演奏で、唯一無二の音楽を聞かせてくれる存在だった。

彼女の曲の中で、自分が最も強く印象に残っているのは

記憶にすがるように罰が下るのを待っていたように

僕が僕自身をこの部屋に閉じ込めていた

((「来世で会おう」作詞作曲 さユり))

という歌詞だ。鬱屈して閉じこもる心を「罰が下るのを待つ」と表現する感性

彼女にとって自分内面とは、けして外界とのつながりを断つための境界手段ではなく、

それはまるで彼女の内側に広がる「世界」であり、それを統べる神様とさえ繋がる場所だとでもいうような、

強烈な自意識のあり様、彼女作家性の一端に触れた時は、まさに殴られたような気分だった。

そこからひたすら彼女楽曲を聴き漁って以来、

自分プレイリストの中には、自分が今まで出会ってきたアーティスト達と並んで、高確率彼女が入るようになった。

(この曲を含め、彼女歌詞には「君」や「あなた」という表現がよく出てくるが、

 彼女にとってはそれもまた客体化された、向き合うべき自分自身であり「神様であるように思えてならない)

一度だけライブにも行った。

コロナ禍の中、東京名古屋まで遠征して、人もまばらな新栄町ライブホール彼女を見た。

落ち着いた会場の中で見た彼女の印象は、楽曲の持つ強烈な存在感とは裏腹に、

どこか年相応で、満員の観客と向き合うには何とも頼りなく見えた。

路上ライブ時代楽曲なども含めた弾き語り中心の穏やかなセットリストと、

苛烈さを秘めた内容に対して、いつでも「聞いて下さい」から始まるあまりにも低姿勢で飾らないMC

大満足と言うよりは、次もまた見に行こう、というような気持ちになったのを覚えている。

まりリアルタイムアーティストの動向を追うこともないタイプなので、

彼女結婚病気活動休止といった直近のニュースはまったく知らなかった。

ただ、毎日の在宅デスクワーク、その時の気分で音楽を延々と流す日々のワンシーンに彼女がいる、

そんな生活の中で突然彼女訃報を聞くことになった。

好きなアーティストの死に触れることは初めてではない。

1970年代洋楽もよく聞くので、ルー・リードデビット・ボウイが死んだ時もショックだった。

ただ、、寂しくはあってもどこかで覚悟していた大御所の死とは違い、

彼女の死に直面して、色々な感情が駆け巡って、最終的にたどり着いたのは「納得がいかない」という思いだった。

音楽歴史の中で、若くして死ぬ事によって、伝説的に昇華されてしまったようなアーティストはたくさんいるが、

もはやそんな時代ではないと思う。

生み出された作品とその作者の人生生活は切り離して考えられるべきであって、

劇的な死に方をすることで、楽曲意味が何らかの方向性を持って印象的に底上げされる、

なんて事は受け入れてはいけないと理性では思っている。

ただ、彼女楽曲がまとう空気価値観は、

自死」という究極の自己決定と紐づけた時に、そのありかたが容易く変質してしまう類のものだと個人的には思う。

内側に閉じられた世界自意識の中で、

彼女自身感性で研ぎ澄まされた強さと繊細さ、息苦しさがたどり着いた結果が「それ」だとしたら。

到底受け入れられない。結びつけてはいけない。

彼女がどんな人生を辿ったとしても、彼女楽曲に込めた表現意味は変わらないはずで、

自分にとって、これから先も、生活の一部として聞き続けるであろうたくさんの音楽の一つとして、

年月が移り変わっても、変わらないものとしてありつづけてほしい。

彼女言葉歌声音楽で生み出した、暗くもあたたか世界は、私自身の居場所でもありました。

彼女が、向き合うだけで精一杯だといった現実との対峙の中で、

自分だけの、二人だけの、生まれながらに全てが正しくて、善であるのだと強く歌ったはずの世界を、

彼女自身が、自ら”指パッチン”で終わらせる対象として塗りつぶしてしまったのではないか

彼女が歌の中で生み出して、繰り返したモチーフひとつひとつが、

彼女が選んでしまたかもしれない現実の結末と、それを知った自分自身類推に過ぎないイメージで上書きされてしまう事があまりも怖くて、

自分はいま、彼女の死を知ってからまだ一度も彼女楽曲を聞くことが出来ずにいます

ここまで来てやっと本題です。

今回の「死因非公表」というご遺族の意向による報道内容によって、自分は落とし所を見つけられずにいる。

まず大前提として、著名人の死に当たっては、今回コメントを出した彼女パートナーを初め、最も近しい人達が、

彼女の死という重大な出来事に対して向き合い、たとえ時間がかかっても心の折り合いをつけていく、

そのための時間絶対必要で、「ファンお気持ち」なんて物とは比べるまでもなく優先すべきで、

ニュースやその視聴者が、それが興味本位であっても切実な悲しみであっても、

彼女の死の原因のあれこれを詮索して、彼らに必要時間を踏みにじるような事はあってはならないと思う。

その意味において、詳細な死因を公表しない、と決めたご遺族の判断第一尊重したい。

ただ、それと同時に、自分を初めとして、彼女楽曲日常的に触れてきたファンも、

突然の訃報のショックと抑うつ、行き場のない感情彼女楽曲を以前と同じように聞けなくなった辛さを抱えています

その中で、彼女の死がはたして「自殺」なのか「病死事故死」だったのかを知ることは、

彼女の死を受け入れるにあたって大きな意味を持ちます

いや、大きな意味など本当はないのかもしれない。

あるのは、彼女の死が、病死事故死といった本人の意志によらないものであってほしいという祈り

でもおそらく報道コメントが暗に示すように、もし彼女が死を選んだという事が真に明らかになったとしたら、

自分の中で、彼女楽曲に対する「受け入れがたい変化」がより決定的な物になってしまうだけなのかもしれない。

ただ、海や山で誰かが遭難して数ヶ月が経ち、たとえ見つかるのが遺体だとわかっていても、

その家族が捜索活動をつづけてしまうように、

長い人生の中で避けられない大切な人の喪失を受け入れるにあたって、

その理由や結果を知ることは、たとえ残酷結論だとわかっていても、必要過程なのではないでしょうか。

見返すと何やらと淡々理屈を述べてしまいましたが、

今まさに現在進行系で心の行き場と日々の平穏を失ってしまった自分にとっては、

彼女の死因を知ることが、とても切実な問題であるように思えてならないのです。

自殺報道が最大限の配慮を持ってなされるべきだ、ということももちろん承知しています

その一方で、ペットロスといった身近な死を乗り越えるためのサポートなども社会課題として捉えられる時代においては、

一定社会的支持を持つアーティストの死に対して、ファン重要事実を知ることも、

私達が「大切な存在の死」という逃れられぬ現実を乗り越えるためには必要手続きなのではないかという事を、

いままさに行き場のない思いを抱える当事者として切実に感じています

自分は、彼女の死を知って以来、まだ彼女の曲を一度も聞くことが出来ていません。

乗り越えるのには時間必要かもしれませんが、

いつかまた彼女の曲たちを、これまで同様に、そして私の生活を彩る他の数多のアーティストとも同様に、

自分人生にとってかけがえのない存在として共に過ごしていく日々がまたいつか来ることを切に願っています

長くなってしまいましたが、

私は、以上の理由からご遺族の方の精神的な負担にならないタイミングであることを前提として、

さユりさんの死因公表を望みます

44歳くらいになったら、身体が急に老化にさらされるという。

きっと身体にガタがくるから、心も弱って中年危機というやつに直面してしたり、急に陰謀論を信じたりし出すんだ。

終わりだ……

最近AIってさ、…

例えば、美少女官能小説家とそれを採点する中年男性編集者エロい話を書いて、って注文するだけで書いてくれるの?😟

アラフォー男性筋トレに2年間取り組んだ末路

動機

177cm39歳地方在住技術独身

筋トレを始めたきっかけは35歳を過ぎたあたりからTシャツがなんとなく似合わなくなってきたこと。

と言っても運動習慣のない中年男性としては標準的な体型だろう。体脂肪率20%、筋肉がないのに脂肪がついてちょっと浮いた胸、布一枚では隠しきれない腰回りの肉、姿勢が悪く丸まった背中

そういえばいつ頃からか夏にTシャツ1枚で出掛けなくなった気がする。

Tシャツみたいに自由な私斉藤由貴も歌っていた通り、体型を気にしてTシャツを着れないなんて自由じゃない。

俺は筋トレを始めることにした。



準備と開始

寝室を潰して家トレ部屋に。

ダンベル、可変式ベンチ、懸垂スタンドを買い揃えた。ダンベルははじめ片側20kgだったがしばらくして不足になり32kgの可変式に買い替えた。

ジム過去に1度挫折している。当時はジム通いの目的漠然としており、マッチョ達の住むフリーウェイエリアに足を踏み入れることもなかった。

なので今回は筋トレの敷居を徹底的に下げ、帰宅したら5秒で懸垂ができる環境を整えた。


トレーニング内容については割愛

文献や筋肉YouTuberを参考にトレーニングメニューを組み立て、一度に多くの筋肉を鍛えられる多関節種目を中心に週4回〜5回の頻度で実施katochan33は裏切らない。

トレーニング時間は平均すると1時間程度。時間がとれない日はメイン種目だけ数セット行うなどして、なるべくトレーニングの間隔を空けずに継続することを心がけた。



身体環境の変化

初心者の発達は目覚ましく、動作習得神経系の発達によって挙上重量はどんどん伸びていった。

身体の変化については3ヶ月でちょっと変わったような気がする、半年で明らかな改善が感じられ、1年経った頃には周囲に変わったねと言及されるようになった。

久しぶりにジャケットを着たら肩周りが窮屈で着れなくなっていて悲しくも嬉しい気持ちになったりした。BEAM Fで15万かけて作ったスーツが駄目になった。

仕事が忙しくて1週間空いたり、無理をして肩を痛めたり、新型コロナ罹患後に調子が戻らなくて2ヶ月ほど空いてしまったような事もあったが、幸いにもその都度仕切り直すことが出来て現在に至る。


家トレが1年半続いた頃、32kgのダンベルでは重量に不足を感じる部位がちらほら出てきた。

特に脚トレは自宅の設備だけでは運動強度を漸進的に上げていくことが難しく行き詰まりを感じ始めた。

他の部位においても高重量を扱う局面必要性を感じる事が多くなり、またモビリティ向上のためのエクササイズや期分けした体重の増減量も取り入れ始めた。

そう、自分は(一般的に見れば)ガチ勢に片脚を突っ込み始めていた。俺はジムに入会した。



現在とこれからのこと

家トレ時代と変わらず週に4〜5日のペースでジムに通っている。

Tシャツの似合う身体になるという当座の目標はとうに達成したので、とりあえずの目標として具体的な数字を定めた。スクワットで言うと体重の2倍、現在体重が75kgなので150kgの重りを担いでしゃがんで立ち上がること。

たまに「そんなに頑張ってボディビルダーにでもなるの?」というような向きのことを聞かれるが、その質問には「山登り好きな人登山家になるのかと聞かないでしょ」と返している。

実際のところ自分でもよく分からないのだ。趣味かと聞かれると違うような気がする。確かに熱意を持って取り組んではいるのだが。


それこそ山登りマインドに近いのかもしれない。

筋トレは終わりがないが故に山頂を自分で定めなければいけないのだけど、幸いジムには自分よりはるかに高い場所トレーニングしているマッチョゴロゴロいる。あいつらはみな謙虚で優しく、でも着実に自分の山を登っている。

(トレーニー目線で見れば)初心者を脱した程度のレベルに過ぎない自分でもここまで来れたのだから、もうちょっと先の景色を見てみたい。いまのモチベーションはこの程度。



とりとめのない文章を打ち込んでいるうちに深夜1時を過ぎてしまった。明日は胸の日だ。

明日クリアしたい種目・重量・回数は頭の中にあるのだが、まあキツいだろうな。疲労も溜まってる。でもそれの繰り返しでここまで来たのだから明日も挑んでみるか。

俺の現状はこんな感じだ。ここまで読んでくれた皆さんありがとう。もし興味があればまずは腕立て伏せから始めてみるといいよ。皆その繰り返しでマッチョになるのだからね!

年数相応にくたびれてきたおっさん勢がちょっとでもやる気になってくれたら嬉しいぜ。よきトレーニングライフを。

2024-09-27

BIの最大の問題は一度始めたらやめられないことなんじゃないかな?

BIで暮らしてくぜ~もう働かないぜ~って人増えて

国力下がってやっぱ辞める!ってなってもも無能中年がいっぱい生まれてて手遅れになる

anond:20240927092908

強者男性でもこの現象はある

結婚なんかして男にメリットあんの?自由に女つくれないじゃんしょーもな

と言ってた男性中年になってから結婚して家庭に落ち着く

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