はてなキーワード: 一年戦争とは
・ガンダムF90・4号機 スペースアーク共用仕様Type-Anonymous
サイコミュやバイオセンサーの影響によるものなのか、パイロットとモビルスーツの相性度合いによって、単純なカタログスペックによってモビルスーツの性能は測れない。
そう提唱したサナリィの開発者ハット・ボーは、パイロットとモビルスーツの相性についての研究を重ねていた。
中でも彼が注目したのは、一年戦争当時の学習型コンピューターの記録であった。
まだ、対モビルスーツ戦闘という概念が定本化されているわけでもなかった当時においては、パイロットの試行錯誤の過程がそこには残っていた。
この試行錯誤の過程こそが、戦闘という何が起こるかわからない場における解答を導き出すために必要な肯定であった。
彼は、その一年戦争当時の学習型コンピューターの記録を元に、モビルスーツの運用をサポートする擬似人格コンピューターを開発し、ガンダムF90に搭載されることとなる。
しかし、この疑似人格コンピューターは、当時のエースパイロットをベースにしていたこともあり、コンピューターがはじき出した結論を実際のパイロットには理解できないケースもままあった。
もちろん、そのAIの意見を完全に信用し任せられるようなパイロットにとっては、疑似人格コンピューターはとてもよいパートナーになるのだろうが、まだそのような人材は稀であった。
そのため、次の疑似人格コンピューターとして着目したのが、一年戦争当時のエースパイロットではないパイロットであり、かつ多くの戦闘を経ているパイロットであった。
そこで発見したのが、かのアムロレイと共にホワイトベース隊で活躍したガンキャノンの学習型コンピューターの記録だった。
このガンキャノンは、当時多くのパイロットが代わる代わる乗っていたこともあり、そのクセもそれぞれであったが、アムロレイと比較すれば良い意味で人間的な選択肢を提示する擬似人格コンピューターを作ることができた。
そんな、「Type-Anonymous」を搭載したガンダムF90・4号機はコスモ・バビロニア建国戦争で運用されていた機体。
フロンティアIVでのラフレシアとの戦いで、ヘビーガン、ダギ・イルス、ビギナ・ギナが大破したこにより、スペースアークが保有するMSはF91一機となっていた。
そのF91のパイロットであったシーブックアノー、その母親であるモニカアノーがサナリィの開発部門に所属していた縁があったためか、軍を介さずサナリィから直接的に授与されたMSがこの、F90・4号機となる。
当初は、MSパイロットでもあったベラロナが搭乗する予定だったが、彼女はその銘を利用した活動を中心としてたため、固有のパイロットはおかれずスペースアークの要員が代わる代わる運用していたようだ。
その癖のなさは、本業のパイロット以外も登場するケースがままあったホワイトアークでは重宝され、コスモ・バビロニア建国戦争末期まで活躍することとなった。
なお、この擬似人格コンピューターそのもののコスト自体が重かったこともあいまり、次期量産機には搭載されることはなかった。
ハット・ボー氏はその後、サイド3(当時もうジオンは共和国の自治権放棄をしており連邦の一部であった)で、AIに関する業務に携わることになる。
彼の作成した擬似人格コンピューターは、より高度な対話を成せるような優れたものになるだけでなく、そのAIの提案する選択肢を躊躇なく選ぶことができるデバイス・ツールの使い方がめっぽう上手いパイロットが増えた時にはより評価されることになるだろう。
また、余談ではあるが、「Type-Anonymous」のベースとなったホワイトベース隊のガンキャノンに搭乗していたジョブ・ジョン氏は現在まさにそのサナリィの上層部に名前を連ねており「カイよりは俺の方が上手に乗ってた」と言ったとか言わなかったとか……
ザクⅠから進化したザク。シールドとかついてない。Aの意味はわからん
テレビには出てないザク。核バズーカとか使う。Cの意味はわからん
いわゆる普通のザク。テレビとかよく出てた。Fの意味はわからん
30%強くなったザク。シャアとか乗ってた。Sの意味はわからん
地上用になったザク。武器とかちょっと変わってる。Jの意味はわからん
一年戦争後にしか出ない謎のザク。鹵獲とかされてる。F2の意味はわからん
いない。
地球がもたんときがきたからと言って、アクシズを落とし、地球を人が住めない星にすることに賛同する人間はいる。
一年戦争で半分の人間が死んでもなお人が多すぎる宇宙世紀の世界であっても、目の前の生を諦め死を選ぶ人間はいない。
少なくとも、それが多数派だからこそ結果アクシズは押し返され、その大義の為に死ぬ人間がいないからこそ、爆装している機体でアクシズを支えることにやってみる価値はあった。
結局のところ、逆襲のシャアは理念の対決、大義の正否の対決、などではない見苦しいほどのエゴの対決だった。
シャアの言う嫌気がさした地球に残っている連中の実態は確かに、そうなんだろう。
ZやZZで描かれたそれが致命的に不足しているとは思わない。
だけど、それと同じぐらい、地球にいる一人一人の人間の生きることを否定するほどの大義ではない。
嫌気がさした連中だけを制裁するべきで、他の無辜の市民の生きる場所を奪う権利がシャアにあるわけがない。
セイラさんのお世話をしているであろう従者の人たちにとっても、
ZZやユニコーンで登場した地球に残っているジオン残党にとっても、
彼らにとっての大地である地球を人が住めない星にかえることに大義を感じられるわけがない。
シャア自身が拾ってきた、シンタとクムにとっても地球は自分が住んでいる星なんだ。
人は変わっていく。
少なくとも、コロニーという母なる大地から離れた新しい大地を作ることに成功した宇宙世紀は、明らかに旧世紀よりも変わっている。
そこに取り残された人もいるかもしれない。
ハヤトとカツって連邦軍人として死ねてるのか? 遺族年金とか気になるぞ。
ZZのごたごたの流れでうまいことブライトが処理してそうだけども。
レツ、キッカ、名前のないハヤトとフラウの子供の3人を抱えて地球で生きて行くには中々辛そうだ。
とか、考えてたら、ミライさんたちの家族と付き合いあってもおかしくないよな。
ハサウェイとチェーミンたちと似たような年齢なんだし、仲良く……
まあ、ハサウェイと仲良くは無理そうだな
それにしても思うのが、アムロにしろカツにしろハサウェイにしろカミーユにしろ、NTだなんだ言う前にちゃんとコミュニケーションとれよな
まあそのジュドーも時折意味わからんくなるが、それにしたってこいつらよりはましだわ
なんつうか、今こうして改めて宇宙世紀ガンダムを思い返すと、ZZやF91が面白いのなんの
そうやあ子供の話題で思い出したけど、シーブックの子供はリガミティアに入ってるってエピソードがあるけど、その子はどうなったんだろうな
ダストに出せそうだよな、トビアの子供、シーブックの子供が共闘するとかテンション上がる
つうか、一年戦争時代のキャラの子孫とか出ないのかな、ガンダムってあんまりそういうのしないよな
カイとか認知してないけど子供いそうじゃん(認知してないのは認知しなかったんじゃなく、そういうことを知らせないタイプの女と付き合いそうって意味)
あと……
ナナ「100年続く平和をこの2ヶ月で作る。それしかないんです」
愛海「ど、どういうこと? だって、テム・レイ役のはぁとさんは助けられたし、ガンダムもガンキャノンもガンタンクも全部残ってる。歴史は変えられるんじゃないの?」
ナナ「日菜子ちゃんが作った台本のこのページを見てください……」
愛海「え……? クロスボーンガンダムダスト編? カグヤ・シラトリ役にヘレンさん?」
ナナ「そうです……」
愛海「これがどうしかしたの? あたしはガンダム知らないんだってば!」
ナナ「クロスボーンガンダムダスト編は、宇宙世紀168年が舞台に物語なんです……」
愛海「168年?」
ナナ「そうです、今は宇宙世紀79年。89年も未来の話なんです。
バタフライエフェクト、ブラジルで蝶が羽ばたいだけでテキサスで竜巻になる。
愛海ちゃんがアムロに、私がブライトになって1年戦争、テラーズフリート、ティターンズ、ネオジオンと戦うのは、そりゃまあ私たちの努力で何とかなるかもしれません。
でも、89年も先の未来を保証できますか? 私たちが宇宙世紀で寿命で死んだあとにやってくるアイドルの仲間たちをほっておけますか?」
愛海「そんなの無理だよ! 確かになんかコクピットに乗ったらガンダムの動かし方がわかったけど、そんな途方もない先の保証なんて……」
ナナ「そうです、だからやるしかないんです、宇宙世紀の長きわたる戦争の始まり1年戦争に介入できた私たちが、今後宇宙世紀に呼ばれるアイドルたちが平和に暮らせられるように。
今日は自身をモデルにした数々の戦争映画が作られた「ヒトミ・イトウ」と「シズカ・メタバーナ」のカップル、あの宇宙世紀のロミオとジュリエットに直接話を聞いた。
ヒトミ「れんPOW!」
シズカ「Gオン!」
ヒトミ・シズカ「「ラーブラブ!」」
突然始まりましたけど、なんですか?
ヒトミ「これは今度やる一年戦争記念館を応援する番組『連邦とジオンのラブラブレイディオ』の挨拶です」
シズカ「ラーブラブ!」
は?
ヒトミ「ええとですね、宇宙世紀の前、西暦の時代に子供向けのアニメーションに声を当てていた、声優と呼ばれる職業の方々やっていたアニラジという文化がありまして」
は、はあ。
ヒトミ「そのアニラジでは、番組独自の挨拶を作っていたんですよ」
そうですか、どうでもいいですね。
シズカ「どうでもやくないやい!」
すいません。
ヒトミ「『連邦とジオンのラブラブレイディオ』は、サイド3FMで、一年戦争を知らない子供達から、ラプラス事件を生で見た老人まで、幅広い年齢層に向けてお送りしています」
ヒトミ「地球の人たちには、日本の地方FM番組『ムラサメ研究所のムラムラしない夜はコレを聞け! 』のスポンサーでお馴染みの、スジャータさんです」
えー、スジャータ凄すぎない?
ヒトミ「スジャータさんは、仏教を通じてニュータイプ思想を解釈していて、かの第二次ネオジオン戦争では、スジャータさんがインドで開催した「ニュータイプ修行ツアー」でニュータイプに覚醒した、少女が巨大MAで活躍したって噂があるぐらい、地球にいながらも、アースノイドやニュータイプに詳しいんですよ」
本当っぽいけど嘘ですよね?
シズカ「嘘じゃないよ! あの百式とか作ったナガノ博士が「俺の嫁のクェスって子がね」って言ってたもん!」
お前その理屈だと、ベルトーチカもナガノ博士の嫁になるじゃねえか、この記事はマフティーの動乱が起こってるらしきことを最後に示唆して終わるんだから、ベルトーチカチルドレンと繋がらなくなるネタフリ辞めろや。
はい、仕切り直しです。
ヒトミ「すいません」
シズカ「ごめんね、ごめんねー」
まず、お二人が何故「宇宙世紀のロミオとジュリエット」と呼ばれているのか?
シズカ「あの映画のヒトミちゃん可愛かった! けど、本物のヒトミちゃんの方が可愛い!」
ヒトミ「もーシズカーも、本物の方が可愛いよ」
あれ、今気づきましたけど、この再現映画って設定、ジレン暗殺計画と被ってますね。
ヒトミ「あのごめんなさい、いちゃつかないのでメタネタ辞めてください」
わかりました。
では、お二人の出会いについて教えてください。
ヒトミ「えーっと、83年の11月のことです」
えーっと、あれですねデラーズ紛争と呼ばれる、ジオン軍の残党がコンペイトウで行われていた観艦式を襲撃した戦闘。
シズカ「シズカもでーす!」
えー! そうなんですか? 映画だとお二人の出会いはグリプス戦役だと描写されていたんですが?
ヒトミ「あれ、地球だとまだあのガンダムの話って禁句なんですか?」
シズカ「持たず、作らず、持ち込ませず」
ガンダム? ちょっとよくわからないですが、その戦争でお二人は出会うんですよね。
ヒトミ「はい、私は観艦式の護衛として、ジム・ガードカスタムに搭乗していました。索敵任務中でした」
ええと、モビルスーツの名前が色々出ましたが、ジム・ガードカスタムは、ジムのカスタマイズ機ですよね?
ヒトミ「そうですね、当時も色々とジムのカスタマイズ機は生産されてたんですが、私みたいなのに回ってくるのは、一年戦争当時の残り物でした。
ガードカスタムという名の通り、体が隠れるぐらいの大きいシールドが特徴的ですね」
それは、やはり女性という立場から、そのような被弾しても問題ない丈夫なジムを振られた?
ヒトミ「いやー、関係ないでしょ。さっきのニュータイプの女の子の話じゃないけど、モビルスーツの操作技術と性差は関係ないと思いますよ」
は?
ヒトミ「ごめんなさい」
シズカ「ごめんちゃい」
で、シズカさんが乗っていたのが、ドガッシャ。
シズカ「ドガー! シャア!」
どんなモビルスーツなんですか?
シズカ「ハンマー!」
ヒトミ「ガッシャっていう、水中専用MSを宇宙対応したものなんだよね」
シズカ「そなの?」
それで、連邦軍とジオン残党という、敵同士の関係がお二人のファーストインプレッションだったんですね。
具体的にはそれぞれどう感じました? よく戦争映画では「このプレッシャー…… あいつか?」みたいな、やり取りが描かれますが。
ヒトミ「戦闘中のことは覚えてません」
シズカ「おなじくー」
えー。
シズカ「おなじくー」
それもそうですね。
そして、その戦闘でシズカさんを鹵獲したヒトミさん、お二人の恋はそれから始まるんですよね。
ヒトミ「可愛かったから?」
シズカ「ぐへへー、かわいいーって言われたー」
顔が?
ヒトミ「顔がですね」
シズカ「ぐへへー、顔かわいいー」
ただその、シズカさんは所謂デザインベビーで、いわば作られた美なわけですよね。
その点や、そういうった少女を戦争の道具に使うジオンへの嫌悪感などはなかったんですか?
ヒトミ「ないなあ」
そういうもんですか?
ヒトミ「そういうもんでしょ。デザインベビーっていう、生命に人の手が入る事への嫌悪感とか言い出したら、そもそもこうして地球から離れて宇宙で暮らす事自体おかしいでしょ」
うーむ。
ヒトミ「所謂『ありのまま』とか『自然が良い』みたいな思想はアースノイドだけじゃなく、スペースノイドの人にもいます。
ただそれって、アースノイドとかスペースノイドとか関係なく、地球を知ってる人の意見なんですよね」
知っているとは?
ヒトミ「ようするに、地球にお世話してもらってた人ってことかなあ」
ヒトミ「酸素であるとか、水であるとか、そういうものをお世話してもらってるのは事実でしょ。宇宙じゃ全部自分でやらないと」
シズカ「食べ物もねー」
ああ、なるほど。
つまり、アースノイドよりもスペースノイドの方が優れていると?
ヒトミ「それはないでしょ。お世話してもらえるならお世話してもらえばいい、苦労しないにこしたことはないよ」
シズカ「私もヒトミちゃんにお世話してもらってるー」
ヒトミ「うん、それといっしょで、役割分担が違うだけなんですよね。アースノイドにはアースノイドの、スペースノイドにはスペースノイドの長所と短所があるんですから」
でも、ジオンはスペースノイドの方が優位だと掲げていましたよね。
ヒトミ「私は思想家でも政治家でもなくて、ただのジオンの軍人と結婚した連邦の軍人で、しかももう軍を辞めてて、責任を追わなくていい立場だから、好きに言っちゃうけど、
例えば、ハマーンカーンがアクシズで暗黒の世界に居るのが嫌だったのは、彼女がアクシズで暮らし始めたのが、自分の選択じゃないからだと、思うんだよね」
それは、棄民政策でスペースコロニーという宇宙での暮らしを強制された、初期の宇宙移民たち、つまりジオンズムダイクンにも通じると?
ヒトミ「そうだね。自分の環境が変化したとき、それが自分の選択によるものじゃないとき、人はその変化に反発消化しないといけないんだよ」
変化に反発?
ヒトミ「そう、変化。サイド3で政治家の娘として暮らしていたが、突如アクシズで寒い宇宙に放り出されたハマーンカーンも、首総の息子であったために内紛に巻き込まれたキャスバルも、それが受け入れられない変化だから反発したんだと、私は思ってる」
シズカ「ミネバちゃん」
ミネバ? 確かにザビ家の遺児でありながら、先の戦争で彼女はネオジオン側についていなかったようですね。
ヒトミ「そう、それは彼女が物心ついたころから、あの立場だったからじゃないかなあ。彼女にとって、ハマーンが耐えられない暗黒の世界は、日常だったんだよ」
なんとなくわかってきました。
ヒトミ「宇宙世紀になって、人が宇宙で住み始めてもう100年です。
こうして私たちみたいな『女同士のカップル』が異常だ、マイノリティだ、と騒がれていたんです」
なぜ? 今じゃあ至って普通のことですよね?
ヒトミ「ね、何故? って思うでしょ」
シズカ「ふつうなのにねー」
ヒトミ「それは、人間が生殖以外の目的を持っても良いぐらい豊になったからかもしれないし、科学の進歩により同姓でも子供が作られるようになったからもしれないし、他者への寛容が進化したからかもしれないし、その逆に無関心なだけかもしれないし」
ヒトミ「どんどんコロニーが広がって行って、いつか地球のことを知りもしない子供たちが増えて、もう別の太陽系で暮らすようになったら、
きっと、また別の理由を見つけて争いが始まるんじゃないかなあ」
争い自体は無くならないと、思っているわけですね。
ヒトミ「理屈は何にもでもくっつくからね、女同士の恋愛が異端であることも、普通であることも、どっちにも理屈はくっつく。正しいか正しくないかは別として。
事実、こうしてサイド3では戦争が終わってウン十年を祝ってるのに、
地球じゃ特権階級をもつ政治家を粛正しようと、マフティーなんてテロリストが暴れてる。
そして、何年先になるかはわからないけど、きっとまた独立を掲げるコロニーは出てくる。
もちろん中には、もう地球を見捨てて、コロニーだけで暮らして行く人たちも出てくる。
もうそれすらも嫌になって、別の太陽系を目指す人も居るんだと思う。
でね、私はそんな苦労を、レコンギスタし続けることを、辞められないんです」
シズカ「辞めたくないよねー」
それは何故?
ヒトミ「地球って重力があるから、オッパイが垂れるんですって」
シズカ「ヒトミちゃんはオッパイ大きいから、重力の影響も大きい。シズカは小さいから良いけど、ヒトミちゃんは死活問題。40代特有の肉の付きやすさもあるし」
ヤックデカルチャー!
シズカ「メタいよー」
一年戦争という、人類の種としての存続が危ぶまれるような戦争を経て、人間がどう変わっていくのか、どこが変わらなくてもよいのか。
そんな「人らしさ」を強く感じられるインタビューだったと思います。
それじゃあ、最後に何かあればどうぞ。
ヒトミ「えー『連邦とジオンのラブラブレイディオ』以外にもラジオを中心に活動しています。詳しくは、Twitterを見てください」
税金山ほどとって来たり、地球の資源を高値で売りつける連邦ぶち殺して俺達の国は俺達が生きやすい国にする! っていう。
で、次のデラーズフリート紛争で一年戦争は負けたけどまだ俺達全員が死んだわけじゃないもんねー! って一部のジオンがもう一回攻撃を仕掛けた。
今は雌伏のときとか、そういう事情はよくわからんけど、とにかくノータッチだった。
で、グリプス戦役で連邦が内乱を始めたから横からちょこちょこ突く。
これは理解できる。
ティターンズは自分たちスペースノイドをガシガシ攻撃してくる怖い人たちだからね。
そうして自分たちを攻撃してくるティターンズが解体された後、突然
「サイド3およびジオン共和国をザビ家の手に取り戻す」だって?
いやいやいやいやいやいやいや、そのために必要なのはどう考えても武力ではないし、今じゃないだろ!
だってさ、ザビ家がジオンから追放されたのは、一年戦争時のグラナダ条約締結時の出来事なわけでしょ?
何が言いたいかっていうと、国民レベルではグラナダ条約の締結で「ザビ家からの独立」という意図しない形で
ある意味勝ったわけじゃん。
しかも、国内企業のジオニック社はいつの間にやら特大軍事企業になったわけじゃん。
大体、何をハマーンはザビ家ってかミネバに固執してるのさ、レズなの? ロリコンなの?
その上言うにことかいて「ザビ家の血を利用しているだけだ」ってジュドーに言っちゃうの?
連邦「戦争辛かったよね、ザビ家が悪いだけで国民の皆は悪くないよ、だから共和国にしてあげる、頑張れ!」
アクシズ「は? ザビ家がないジオンとかジオンじゃないし、アクシズに逃げるー!」
ティターンズ「君たちスペースノイドなんて嫌い! 特にジオンなんて最低! 死ね!」
アクシズ「大丈夫! 私たちスペースノイドの仲間じゃない! ジオンも連邦も関係ないよ!」
連邦「そっか! じゃあ僕たち仲間だね!」
ティターンズ「うわー!(どかーん!)」
連邦「え? 突然なにを?」
アクシズ「言うこと聞けないの? 政府まるごと占拠するわ、あとコロニーももっかい落とすわ」
連邦「う、うわああああああああ!」
ほら! どう考えてもおかしくない?
なんでティターンズ倒したタイミングで「ザビ家主導」のジオンを取り戻そう戦争始めるの?
連邦「戦争辛かったよね、ザビ家が悪いだけで国民の皆は悪くないよ、だから共和国にしてあげる、頑張れ!」←ここでしょ!?
ザビ家なんて切り捨てて、このタイミングでジオン共和国で頑張ればよかったじゃん。
え? 共和国は連邦の政治家ばっかりがえらくなって実質傀儡政治だった?
そうだとしても、だからって八年間引きこもって、連邦に軍事的圧力をかける理由にならなくない?
ハマーンだけ、本当何の為に戦ってるのかわかんないんだよ。
「ガンダムUC」の最終話ついてちょっと書きたい(ネタバレあり)。
最初に立場を明らかにしておくと、増田は、典型的な富野信者であって、ガンダムプロレスにはあんまり興味がもてない人間だ。バイアラン・カスタムとかシュツルム・ガルスのトコとか、こんな意味ねーシーン全部削って、会話に尺まわせよと怒っていた。そーいう面倒くさいやつが書いたもんだという前提で読んで欲しい。それと後半は電波。富野信者なので。
で、この「ガンダムUC」、MSチャンバラについては絶賛されているが、ストーリーの方は賛否両論がある。だが私は批判することに意味があるのかと当惑している。こーいうのは、主張者が主張した内容をマジに信じている、という前提がなければ、なりたたない。私は、そこが信じられないのだ。
「UC」最終話を劇場で見て愕然とした。「送り手はこの物語のメッセージをまるっきり信じていないのではないか」と衝撃を受けた。この作品に対して、茶番だの陳腐だの説得力がないだのただの二次創作だなどと言うのはいいが、それを一番、自覚しているのは送り手自身なのではないか、という疑念をぬぐえずに今に至っている。
どういうことか。
「ガンダムUC」というのは「ラプラスの箱」という秘密を廻る物語だ。
これはほとんどマクガフィンに近く、中身は実はどうでもいい。とにかくこいつが連邦の中枢により隠蔽されたことで、宇宙世紀の歴史(とニュータイプ思想)は歪み、1stガンダムから「逆襲のシャア」まで続く戦乱の歴史が巻き起こることとなった。しかし歪んでいようが何であろうが、百年続けば、それは秩序の一部となってしまっている。
既存の秩序の維持するため、「箱」を隠蔽するか? 混乱を呼ぶとしても、「箱」を公開するか?
少年たちは後者を選ぶ。たとえ波乱の未来を到来させるとしても、「不正義による秩序」より、勇気を持って「正義による未来」を選ぶ。物語が描くべき正しい選択、正しい若者のあり方だと思う。
かくして宇宙世紀は箱の呪縛から解放される。人の革新=ニュータイプ思想のもと連邦とジオンの戦いが形を変えて繰り返される不毛な連鎖から解き放たれる。これはもちろん、終わることを許されず、次々と続編を創ることを余儀なくされたガンダム産業の比喩でもあり、だからこそガノタの胸に響く。
もちろん、我々ガノタは、その選択の先に待つ「F91」や「V」の時代が、必ずしも希望に満ちた未来でないことを知っている。だが、そうだとしても、「これまでと同じことをひたすら繰り返すだけ」より「失敗覚悟で新しい世界を創る」ことを選択した若者たちの決断は、とても尊いものとして描かれる。
それを見届けて、シャアもアムロもようやく成仏する。一年戦争の呪いから宇宙世紀が解き放たれた瞬間である。
富野信者が、勝手なことしやがってと怒るのはわかるが、しかし、ともかく、それがこの映像が発したメッセージなのだ。
だが、恐ろしいことに、劇場で上映されたこの作品は、実に4年間、7巻かけて書いた結末を、直後にみずから全否定するのだ。スタッフロールが終わり、何が始まるか。
突然に、1stガンダムのリメイク、「機動戦士ガンダムORIGN I」の予告が始まるのである。
http://www.gundam-the-origin.net/
「一年戦争の時代」からの解放をテーマにした物語のラストで、唐突に「一年戦争」がリメイクされますよーと嬉々として宣言されるのである。よーやく成仏できたシャアは30分待たずに現世に呼び戻される。この予告編は意図的に、映画「機動戦士ガンダムⅠ」の予告に似せて作ってある分、余計ループ感は強い。
唖然とした。個人的には「UC」7話はそこまで引き込まれるものではなく(イデオンネタは超大喜びしたけど)、「及第点」ぐらいの印象だったが、それでも感動を返せ、という気になった。本篇終了後即座に全否定される映画なんて聞いたことがない。一体、原作者や監督やスタッフは、どうしてこんな暴挙を認めたのか。本当にそれでいいのか。このあたりの意思決定の構図はよくわからないから、とりあえず「送り手」と一緒くたにする。ともかくこの送り手が、自分で発した「箱の解放」とか「一年戦争の呪縛の終結」とか「歪んで腐敗した旧体制から混乱覚悟で新しい時代へ」なんてメッセージをまるで信じていないし尊重する気もないことだけはあまりに明らかだ。
新しい時代なんて創るつもりはないよ。
え? じゃあ「UC」はなんだったのって? ほらわかるでしょ、本音と建て前ってやつですよ、おたくもニュータイプだったら察してくださいよ、ねぇ。ほら、キュピーン! って。
これはそういう宣言だ。
ハルトーシ少年は継承した「富野の箱」を手みやげにサンライズ財団の重鎮となり、バンダイム・エレクトロニクスのガンプラを売る人になりました……それが4年かけた「ガンダムUC」の結果です、と言っているのだ。おかしいですよ晴敏さん! そんなの富野信者の晴敏さんの言うことじゃないですよ!
そんなわけで「UC」の内容についてまともに批判することの意味を私は見失った。だって送り手が、自分の語った物語を信じてない、それどころか一番ひどい形で全否定を行ってしまっているのだ。今更何を言っても単なる死体蹴り、いや、それどころか、そのような批判こそ、送り手はむしろ望んでいるのだとさえ思えてくる。
つまりこういうことだ。
メチャクチャ単純化すれば「UC」での賛否両論というのは、ガンプラオタクと富野信者の対決である。前者はとりあえずMSVが一杯出てくれば喜ぶし、後者は富野神の書いた聖典に他の誰かが一筆書き入れることなど許さぬと批判する。ガンプラオタク濃度が濃いヤツは「UC」肯定するし、富野信者濃度が濃ければ「UC」否定という話だ(繰り返すが、メチャクチャに単純化すれば、である)。
だが、両者は本当に対立しているのか? 前者の主張は「ニュータイプ思想とかどうでもいいから新しいMSV一杯出せ」であり、後者の主張は「下銭な二次創作者如きが富野神のニュータイプ思想(宇宙世紀史でもいいが)に手を触れることなど一切まかり成らん」である。
この両者は必然的に「永遠に一年戦争の外伝だのリメイクだのを作り続ける」という結論に帰結するしかない。前者は積極的に、後者は消極的にそれを肯定する。そして送り手もまた、それこそを望んでいるのはすでに見たとおりだ。
そうしてガンプラオタクは送り手の造ったMSVのプラモを買い続る。富野信者は彼らを嘲笑うことで「自分こそ富野神の思想を守り続ける孤高のニュータイプ」という立場を確保できる。
しかし、私は富野信者として、そこに安穏とすることはできぬ。そんなことをすれば脳内カミーユ・ビダンが「あなたはいつも傍観者で、人を弄ぶだけの人ではないですか!」とスイカバー突撃をかけてくるからである。散っていたお禿様の髪に顔向けできぬからである。富野信者であるということは、富野を聖典とすることではなく、富野のように生きることだと信じているからである(だから、今度の「Gレコ」だけが本当のガンダムなんですよ、という立場にも私は立つことができぬ)。
(大人しくガンダムを卒業すればよいのはわかっている。それができれば苦労はしないのだ!)
ガンダムはロボットアニメでありサブカルチャーである。ガンダムはビジネスとの兼ね合いの中でしか生まれこないし、それこそがガンダムの強さ、ガンダムの同時代性の源であることは、絶対に否定できない(ガンプラ売りに徹した「ガンダム」は嫌だが、押井守映画のような文学モドキの「ガンダム」なぞもっともっと嫌だ)。
だからハルトーシ少年だって、私が↑で書いたことは百も承知かもしれない。きっと彼は叫ぶだろう。
「やりました、やったんですよ、必死に! その結果がこれなんですよ! 映画の「ローレライ」(と「戦国自衛隊」と「亡国のイージス」)がコケて、右傾エンタメ作家の席は百田尚樹に奪われて、今はこうして富野の二次創作を書いてる! これ以上、何をどうしろって言うんです! 何と戦えって言うんですか!」(註1)
私は、彼に答えるべき言葉を持たない。こんな時は、富野神に還るしかない。神は言っている。
"Century color Million color" ――せいきの色はまんこの色であると。
違う。
ターンAターン、だと。∀だと。全肯定であると。
送り手が自分のメッセージを一切信じていないなら、それを批判して何の意味があるだろう。逆だ。有効なのは、相手が信じていないメッセージを、こっちが文字通りに全肯定してやることだ。つまり∀UCだ。
バナージが何も考えずに箱を開けた、その蛮勇を評価するように、富野のニュータイプ思想を継ぎ、「逆シャア」の先を書こうとした覚悟は評価する。
駄作も愚作も一杯出来るのを承知で、宇宙世紀のその先が語られるのを心から望む。
できるかぎり応援する。
それしか、ガンダムに対し、緊張感を持って向きあう=富野的である方法は、ないような気がするのである。
むろん、それは、終わりのないディフェンスである。
ガンプラオタクからはそっぽを向かれ、富野信者の罵倒に耐えねばならぬ。
しかし、それでも、えんえん一年戦争をリメイクし外伝を造り続けるよりマシだと信じる。
その向こう側に何もなくても――いや、しかも脳波コントロールできてしかも手足を使わずにコントロールできるマシンにセシリーが触手レイプされ、バイク戦艦が街々を踏みつぶし、カテジナさんがオデロもシュラク隊も鏖にして、月光蝶でみんな灰になったあと、全人類が無限力に溶け合って何もかもが因果地平の彼方にスペースラナウェイする哀しみが待っていたとしても――、かまわないのである。
STAND UP TO THE VICTORY!
註1:いや、もちろん田母神俊雄と戦ってくれればよい。ついでに百田も撃てばよい。実は「ガンダムUC」の小説版には、田母神論文事件を露骨に批判した箇所が存在する。詳しくはこちら → http://kaito2198.blog43.fc2.com/blog-entry-388.html。小説版が出た頃には、ただの右のヤバイ人だった彼が、若者の支持を受ける保守系政治家候補となってしまった現在こそ、福井の田母神批判はアクチュアリティを増している。
ガンダムシリーズはそのほとんどが、最終話においては「明日がやってくる、希望を持って生きよう」という方向性に収束する。
逆襲のシャアで、アムロは「貴様ほど急ぎすぎもしなければ、人類に絶望もしちゃいない!」と言う。それは「明日からやってくる日々の中で毎日努力してすこしずつよくしていけばいいじゃないか」ということを言っているのだ。これは、まおゆうにおいて魔王が言う「一緒に行ければ、どんなことでも乗り越えられるさ。それに何が起きたって幸せだけは約束できる。丘の向こうには、きっと“明日”があるんだから」と、努力の方向性として、ほぼ同一だ。
逆襲のシャアにおけるシャアというのは、急進的改革派なわけだ。現在に絶望してテロに訴えてでも世界を変革しようとした。
まおゆうにおける最終的な敵対概念は、守旧というか停止主義だ。既得権益をまもるために世界を静止させようとした。
これらにたいして、アムロと勇者/魔王は毎日の改良によって徐々に変革をなすべきだという主張をとなえる。ゆっくりでも、一歩ずつ、悪いところを直しながら明日へ進んでいけばいい。そういう主張だ。両者はその点において同じ側に立っている。
逆襲のシャアは素晴らしい作品だけど、あえて疵を探すとするならば、アムロの主張を実行できるかどうかに、疑義があることがあげられる。
これは主観も入るので、視聴者全員に「そうだったでしょ」と決めつけられる話ではないのだが、アムロのなかに、その主義を唱えるのとはまったく逆の個人的バックボーンも見え隠れするのだ。
アムロは「人類に絶望もしちゃいない!」と叫ぶわけだが、彼は一年戦争で心を通わせた少女をうしない、英雄として戦争終結に貢献したにもかかわらず戦後は体制派に飼い殺されていた過去がある。事実、その後、反体制派武装組織に協力している。彼は十分以上に絶望するような人生は歩んできているのである。
もちろん、それは悪いストーリーではない。彼が不遇を託っていたからこそ、アムロの叫びは読者の胸を打つ。自らの絶望から立ち上がったからこそ「人類に絶望もしちゃいない!」と叫ぶ彼は雄々しく、格好良い。その意味では、キラ=ヤマトの「それでも守りたい世界があるんだ!」も、ほぼ同一の文脈だ。
もっといってしまえば、まおゆうの勇者も確実に同じ文脈だろう。
英雄として世界を救うもにもかかわらず迫害を受け、絶望しかけるが、個人的な繋がりや精神的克己によって立ち上がり、人々を救うために奔走する。
「この絶望の中にあって明日を信じられますか?」という問いにたいして、アムロや勇者は「信じられる!」と叫ぶ。それは、彼らが彼らの魂を担保として叫ぶわけだ。その強い輝きによって闇を飛び越える。
これらはストーリーとしてはよくできているが、じゃあ、それが、読者である我々にも適用できるか? といわれると返す言葉に困る。つまり、我々があの種の絶望におとされたあと、再び立ち上がって「人類に絶望もしちゃいない!」と叫べる保証はどこにあるのか? という点だ。「この絶望の中にあって明日を信じられますか?」という問いにたいして、逆襲のシャアは「アムロなら叫ぶね」と答える。そして、現場にいた兵士もサイコフレームで思いが伝わった結果命を捨ててそれに賛成する。
この構図が、 id:Gaius_Petronius が批評したところの「英雄譚」であり、「英雄譚の限界」なのだ。
アムロは立ち上がり叫んだが、我々が同じ事を出来るとは限らない。というか、出来るようには思えない。サイコフレームの光があれば特攻くらいは出来る気がするが。
これにたいして、まおゆうは別の答えを読者に提供しようとする。それは歴史的な視点だ。
読者は現代日本に住んでいる。色々問題があるし、苦しみもある。でも、500年前とくらべてみれば明らかに恵まれている。みんなご飯をそこそこちゃんと食べている。電気が通っている。暖房も冷房もある。乳幼児死亡率は極限にまでへらされた。風邪は即死を意味する病ではなくなった。なんとネットにまで繋がってる。それどころか個人用の通信機器をみんなが持っている。これら視点で見れば、現在は、過去よりも、確実に具体的により良くなっている。もちろん大きな戦争もエネルギー問題もある。が、飢え死にばかりしてた頃に比べて、漸進していることは確実だ(この認識にぐだぐだ文句をつけてる人間が中国やアフリカ奥地に移住した例を知らない)。
その視点を提供した上で、魔王は「この絶望の中にあって明日を信じられますか?」という問に答える。
「信じられる。だってそれは歴史を見れば明らかだ。人間は愚かかもしれないし、間違いを沢山起こすが、それでもここまでやってきた。この先にいけないはずがない」と。
この具体性や説得力は、アムロにもキラ=ヤマトにもなかったものだ。
主人公個人の精神的高潔さや勇敢さに仮託をせずに、読者にも実行可能なやり方で「英雄を超克」させてくれる物語上のギミックだ。
(この部分の指摘が、「物語三昧」には欠けているようにおもわれる)
まおゆうの提供する「丘の向こう」というのは「戦争が起こらないSF処方箋」でも「近代に続く血みどろの道」でもない。
「丘の頂上に立ったとき見られる向こうの景色=明日」と対になるようにしてあらわれる、「丘の頂上に立ったとき見られる歩いてきた景色=歴史」であり、未来と過去の両方をあわせた視界だ。読者に提供される「丘の向こう」というのは、この視界であって、それ以上でも、以下でもない。そしてこの視界は、英雄の苦難や高潔をもたないでも、誰にでも(それこそWikiを検索する程度の労力で)手に入る。
まおゆうがガンダムを踏まえて、より先へ行こうとした部分があるとすればここだし、物語の類型を一歩進めた部分も、まさにここにある。
http://anond.hatelabo.jp/20100911173640
書いた増田です。
ちゃんと横増田だと書かなかったのが悪かったと思っているのですが、自分は別にガンダムが勧善懲悪とかは言っておりません。といいますか、ジオン兵の問題とジオン公国の問題は当然に切り分けた上でのお話です、あれは。
ちょっと独立についての解釈が気になったので簡単におさらいしておきますが、ジオン公国の前身たるジオン共和国の成立はU.C 0058年にさかのぼります。一年戦争まで21年ぐらいは普通に存在してるわけです(その間、ダイクンの暗殺やら、デギンによる公国化がありますけど。あ、一応連邦政府による経済制裁があったという風に年表には書いてありますな)。要するにジオン公国が訴えていた『独立』というのは、『スペースノイドの地球からの独立』という建前と受け取ってよいと思うのですね。で、一週間戦争でコロニーに対する毒ガス使用なんかもやらかしていることなどが傍証になりますが、彼ら(ジオン公国首脳部)がスペースノイドの地位の向上、なんてものを真剣に考えていたとはまず考えられないわけです。言ってしまえば戦争を肯定するためのお題目のようなもので。そういうお題目が掲げられていたことを名目に、『ジオン公国』が犯した大量虐殺を『悪とは言い切れない』『葛藤』なんて都合のいい言葉で免責したら、お禿様に殺されるどころではすみませんよ。あんなの八紘一宇と一緒じゃありませんか。
一見美しいスローガンの存在、個々のジオン兵に愛すべき人々・正しい心を持った人々がいたことを理由に、そういうスローガンを利用し、人たちを動員して、大量虐殺を実行させた『ジオン公国』の悪徳を『勧善懲悪では語れない』で相対化することはできないわけです。「ミハル、俺はもう悲しまないぜ。お前みたいな娘を増やさない為にもジオンを叩く!徹底的にな!」と言えば分かっていただけるでしょうか。わかりにくすぎますか。そうですか。すみません。話を戻しますが、そういう意味でジオン公国は間違いなく『悪』として描かれている/いたと思います(了解されていることを重ねて言うのは野暮ですが、ジオンが『悪』であることは地球連邦政府が『善』であることを保証しませんから、勧善懲悪ではありえないわけです)。
それにしても、一週間戦争で、NBC兵器・コロニー落としを用いて人類のおよそ半分~4分の1を失わせたこと、地球環境を取り返しがつかなくなるぐらい痛めつけることを「悪」として考えられないのなら、いったい何なら悪として考えられるのでしょうか?