はてなキーワード: バグるとは
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どちらも「軽率」
そういう話で、軽率と言うな、被害者の事を考えろとか言い始めたら、ひったくりに気を付けようも言えなくなる
ゲームやアニメも、「こんな都合の良い女リアルにいない」とか言い出す奴が居るが、それは虚構だ、みたいなさ
これ、形としては「雰囲気作りに失敗した」ケースも含まれるよね
ブコメでは早速、「こうして握りつぶされてきた、中世ジャップランド」だの「暗数はすごい事になってるはず」だの吹き上がってるけれど
「怪しくなる」のは、どこまで「拒絶」の明示があり、どこまで「無理やり」だったのかって話だよね
「なんとなく」「流されて」とかの場合、「今にして思えば後悔している」「行為後嫌いになった」では強姦が成立しない
そういう「合意能力」について、問答無用とするのが性同意年齢で、現在は13歳(小学生までの保護)
これを15歳(または18歳)まで上げようって話はすごい反対にあった
話を戻すと、こういう流れからは「相手の合意をはっきりと意思確認する事」という提言が生まれ
実際には、「雰囲気が大事」「直接聞くとか野暮」という話になるよね
行為に及んだ方は状況から「合意が取れていた」と思うわけでしょ
(これに批判があるのは分かるけど、女性側の状況から「合意した覚えはない」も同じ事よ)
痴漢もそうだけど、ジェンダー絡むと「無罪推定の原則」を放り出す人が多いんだよな
女性がDVにあった、強姦にあったと言ったら、それがまず認められ、有罪を前提に話がされるべきだ、みたいな
こういう人が、人権の守り手でござい、みたいな顔してるの、本当に怖気が走んだよ
「普段は人権人権いってる人々に限って、すぐに人権意識がバグる理由」とかってやつ、
そもそも別に「バグ」でも何でもない事を「バグ」認定している印象。
例えば、「万引きは罰金刑、強盗には懲役刑が相応しい」という意見に対し、
「犯罪を平等に罰しないのは差別だ!ダブスタだ!人権意識がバグってる!」とか認定してるくらいにおかしいんだが
それこそ「バグ」なのでは…?
気が向いたらどうが作るためのプロット作るか。
アマプラの会員を一時的にやめる前に、エヴァの動画及びそのプロットになるブログだけは作っとかなきゃ
「口の前に手を動かせ」
って言ってる時点でそうじゃん…。
テレビ版や序破のマヤ、かなりりっちゃんに愚痴ってたけど、そんなこと忘れて部下にゴリゴリ命令してる。
で、大人になって見ると
とかいって、自分がなりたくない種類の大人になってたり、ティーンが見たらバカっぽく見えるほど志の低い・感じの悪い行動取る人が多いんですよね。
エヴァンゲリオンの背骨になってる価値観を理解してない人が多いってことがわかったからそこをベースに組み立てていけば、いいのな。
うつヌケ描写とか、世界観の考察がどうとかってみんなそっちに行きたがるんだけど…そういうことじゃないんだよなぁ。
それは土台わかってる人がやることやねん
アマゾンレビューで星1つのやつみてたらこんなんあったけど、これトウジの
「多少事情は聞いとるが、けったいな話でよーわからん」でほぼ片付いとるんよね。
マジな話すると、ローマ帝国だって、全ての建物を2000年持つローマン・コンクリートで作ってるわけじゃないんってだけ
結局、ニアサードインパクトの後の世界に限ったことじゃなくて、国家権力が興味ない分野って技術があろうと投資されないんですよ。資源は有限ですし。
ましてや、ゲンドウのエゴと、それに対するアンチというすごく個人的な人達が政府やってるとなれば…戦わない庶民なんぞ後回しになりがち
で、この辺のことわかんない人が、現実の政治経済でも、フィクション上の設定の整合性に対しても、
みたいに言うけど…逆に庶民に還元されまくってる現代がレアですよ。
世界史的に、軍事に関わる分野しか優遇しない国なんか山のようにあるし
「受験で社会科科目の点数を冷遇した結果、想像力が全然広がらない人間が大人になって一丁前に意見や批評をしてるんやな」
って思っちゃうわけです。
きっと別の科目が得意な人は似たようなこと思ってたりするんだろうけどさ…。
トウジにとって同級生であり、命の恩人であることはもちろんなんだけど、トウジが医者で子持ちだから、子どもと接する機会が少ない大人よりシンジ目線に立てるのよね。
あの村が変わり者二人でできてる隠喩になってて好き
・他の大多数みたいに距離を取りながら接していうべきことだけ言う
委員長のおとんがウザキャラとして出てくるんだけど…これも後のゲンドウの回想シーンへの伏線というだけじゃなくて、
「常識人」
キャラなんですよね。
逆に、エヴァを見てる人達からしても部外者だからうざいし頭ごなしに見える
例えば、テニスの王子様や三田紀房見てて面白いのは、観戦してる人全員が会話してるみたいに必殺技の名前や状況認識を共有したり、距離離れてるのにテレパシーで会話することがよくある。
エヴァはその逆なんよね
よくよく考えたら、ケンスケがアスカの全裸見てもノーリアクションだった時点でお察しなのか!
地味に情報量が多いシーンだ。
最初見た時は問題児を二人拾ってきたからいまさらアスカの奇行にビビらないのかと思ってたけど…よく考えたらそういうことじゃないわ。
奇行で脱がないもんなぁ
そして、ケンスケだけ帰ってくると思ってアスカが全裸で待ってるとしたらそれはそれで解釈変わってきて面白い。
いや、アスカあれで尽くすタイプというか、求愛行動が激しいところあるから、あり得るんですよ。
そりゃ、ケンスケに当たるような会話になるわ…。
アスカ「ケンケンはどんな時も6時起床。もう仕事に出てる。朝飯はそこ」
だけど、愛妻女房が、夫の生態を徹底的に把握しつつ、一応夫の客人だから良妻っぽく食べないであろう食事まで出してるシーンとして見るとかわいいwww
エヴァってさ…多くのオタクの性癖を開発した作品としても有名だけど…今回ヤンデレとかロリババアがメインだと思ってたら、そっち方面でも開発してたのね。
メスガキって言葉ができる前のメスガキの代表例みたいな子が、まさかの人妻としても性癖のるつぼに
どうしようエヴァンゲリオンのアンチレビューがどうでもよくなるぐらい人妻アスカ気に入ってるんだけど…。
態度こそメスガキそのものなんだけど、行動がデレデレという奇跡的なバランス。
これやばいわ
人間同士の距離感とか、世界観とかロボットのアクションとか色々言われてんだけど、二次元やファンタジー設定だからこそできるキャラクターを掘り起こしてくるところが一番有能だから!
みんな考えすぎなんだよ
僕も含めて
黒綾波に対して「働けりゃなんでもええ」っていうおばさん…いい意味で大人よなぁ。
そうなんよ、学校生活に慣れてるから若い子の多くは自意識過剰になりがちだけど、大人になるといい意味での「無関心」を装える程度にスルースキルつくのよ。
この感覚描いてるのはすげーわ
アスカ「黙って隅っこに寝っ転がって自分は辛いってアピールしたいだけでしょ?掃除の邪魔、マジウザい」
これ後半が本音なんだ。
ミサトと暮らしてた時は、生活荒れてたアスカさんが掃除の邪魔とかいうの、マジで人妻化してておもろい
家事をシンジに丸投げしてた時期のアスカからすると、「人妻化すると、アスカってめっちゃ家キレイにして、夫に偶然を装って全裸待機するタイプのデレデレ女房になるんや」
って思うと、マジで感慨深い。
言動は湿度高くないのに、行動デレデレって現代人にとってある意味最高の妻では?いや、マジで
いやまぁ、同人誌で綾波以外全員人妻にして描いたら、色々解釈違いだなんだってオタク学級会起こすかもしれないけど。
アスカ「もううんざり。それあたし『ら』もしんどいんだけど。」
寝込んでるシンジにうんざりして出たセリフだと思ってたけど、これ「一向に帰ろうとしない夫の客人」へのセリフなんやな。
前のアスカなら「あたし」であって、「あたしら」とは絶対言わんから、これ人妻アスカのセリフやわ
アスカがケンスケの家でしゃべることば1つ1つ書き出していくと、必ず人妻感出してる。
人妻感は言い過ぎにしても前のアスカなら絶対言わないことばっかりだから、ちゃんと検証すると、デキてないと意味が通らないことを多く言ってるのすげー面白い
面白いなぁ…
大人に対して「もっと私を見て」とか渇望してたアスカが「一人で拗ねてろ、ガキ」と見放すのもおもろい。
ここでも迷惑な客人への(人妻アスカとしての)言葉でも成立するのもまた面白いが、それ以上に「年齢や立場が変わると、世代が違う子はおろか自分の過去とさえ会話が成立しない」のがおもろい
シンジくんの動向についてケンスケがアスカに聞くシーン…ストーリー上なんの違和感もないセリフだと思ったけど、連絡事項をやり取りした後に
人当たりのいいケンスケなら誰にでもお礼言いそうだが、ちゃんと応えるアスカがなぁ~
アスカ「私はひとり、これまでもこれからもずーっと一人、それが当たり前なのよ。アスカ」
面白いのは、こんな事言いながら、ケンスケと暮らしてる時はめっちゃ人妻してる。
ストーリー的にもケンスケの性格的にもアスカといる時間は短くなりがちだから、一人の時メンタルヘラってると…かわいい。
アスカって好きな相手ができると、相手に対する思いが強すぎて、誰に対しても会えない時にメンヘラ発言したり、嫉妬したり、自分が期待したほどかっこよくないことに切れ散らかしたりするから…解釈通りです。
人妻アスカと矛盾のないセリフ。多分、結婚しても暇になるとメンヘラ発言しそう
みたいな話もさぁ…アスカの現状(人妻アスカだけど、夫が不在・一緒にいるのに関心をシンジに取られててメンヘラ発言した直後)を考えると、自分に
シンジが黒綾波からのカセットテープを突っぱねるシーン…アレ、2回目だと解釈が変わって面白い。
単に「いま人と関わりたくない人にそんなことしてもなぁ」と思ってたけど、この時点でもうストーリーと繋がってるようにデキてるんだ。
誰が言ったか忘れたけど、アスカとケンスケがいい仲だと気づいた人の論拠は、トウジとケンスケの会話でトウジが
「シンジも早くこの村に馴染めばいいのに」
それで、2回目見る時にアスカのシーンを注視したら、アスカの言動が明らかに人妻なんよね。
私が、エヴァの動画を映画上映後すぐに出せなかったの、私よりも洞察力すごい人が、もう敷いてある畳までひっくり返す勢いで見てるからとても合わないと思ったから
あとは私の中で「うつヌケ」と妹のシーンが強すぎて、卒業とかいい仲とかそっちに目が行かなかったのよね
シンジくんがうつから脱却するトリガーを綾波が作っていくシーン…アレね、ほんと正しいんですよ。
うつの人に常識とか、大人の当たり前とか押し付けてもトラウマと不甲斐なさで病むんですよ。
基準を自分のベストパフォーマンスや、社会の大人として立派なところに置くのをやめる(それが求められてるという自意識過剰や、頭ごなしな大人から距離を置く)ところからスタートせな立ち直れないんですよ。
自分がうつからパフォーマンスを回復した経験やいまでも時々病むことからすごくわかる
ただ、普通の人ってエヴァ見てもシンジくんがうつから抜け出すシーンの的確さや、似たような体験をしたからこそ抜け出して立ち直れた時に自分のことのように感動する感覚ってないから…視点が合わないんですよ。
「エヴァは庵野秀明の私小説」という人はなおさら、そこを重視してみるべきなのよ
「なんでこんなに優しくするんだよ(泣)」
うつヌケの最大の近道ってそこなんですよ。
だから、もう僕の中では前半40分でエヴァって名作なんですよ。
うつヌケ作品として本質を描いてる上に、うつの人にとって一番欲しい「自分以上の理解者」の存在を描いてるから。
自分で下げられないハードルを下げてくれる理解者が見つからないと、無限に自己嫌悪と無力感がループするんですよ
シンジくんがうつヌケして、ケンケンの手伝いを始めると、唐突に「ポツンと一軒家」が始まる。
老朽化して放置されたインフラの話とか、川の水量をチェックするとか…日本の奥地の現状なんですよ。
第三村が原始的すぎて、低評価付けてた人いるけど…日本にも実在するんやで。ポツンと一軒家見てみ?
私、歴史の話とか、その土地の人の話聞くの好きなのは、自分の知らないものさしを大事にしてる場合があって、それが視野を広げてくれることがあるから。
エヴァの中で田舎を扱ってることに「技術レベル的にもっと開発できたはず」みたいに言うアンチがいるんだが…日本の田舎が開発できるはずの辺境地
逆にエヴァを見ても
みたいに思えない人がアマゾンレビューで星1を付けまくって、作品として星4にも到達してないのが、私には我慢ならんのよ。
人間(特に大人)が名前をつける相手って子どもとかペットとか苦労して作ったり発見したものに対してだから…遠回しに「碇くんに大事にされたい」という愛の告白なんよねぇ。
今の親御さんが言うのかは知らんが、私の時はまだ
的なことを言う人が、誰か忘れたけど、一応いた。
百姓という表現が物議を醸すことは横に置いといて、都会で自分だけで生きてるという感覚を消そうという教育・教えはあったのよね
ケンスケに撮影された時のアスカのリアクションが完全にメスなんだよなぁ…。
いや、もともと
って感じではないけど、恥じらい方が(頬を染めるなど)過剰すぎて、めっちゃメス。
これは確かに、デキてる設定の方が納得行く
破ぐらいまでの人間関係だったら
「フンッ」
「バッカみたい」
とか言って撮られてもスルーするか、本当に嫌なら蹴りの1つもお見舞いするのがアスカなんだけど…人妻化すると乙女に恥じらうから「やだ、女の子してる!!」と周回して驚くのよね
いきなり殴って「ドアホー」と罵りながらシンジくんに泣きつくサクラちゃん。
なのが、1回目は違和感なかったけど、2回目は突っ込みどころしかない。
1つは「お前が言う!?」です。
さっきまで女房やってたの君やん。
もう1つは「(本人的には)そうだよ」です。
開始1時間で
「本人に自覚ないけど、結婚すると夫ラブのデレデレ乙女に行動が豹変する人妻アスカ」
をだしたことに加え
「もう自分がゴールインしたと思って、束縛しながら崇拝してくるヤンデレサクラちゃん」
が出てくるんですよ?
「誰のおしっこかわからないこの再生水と同じ。清めれば済むと思ってる」
という一言で、全員同じものを食べたり飲んでるはずなのに、『飲尿女』というあだ名が付いた女の子が出てきた。
ネットの評判ってあまりにも短絡的に嫌いなキャラに変な仇(あだ)名付けるから、身内ノリとして楽しい
(訳:夫とラブラブしとったんじゃ)
「ほぉ、年頃の男の子は眼中にないと?」
(訳:お前人妻やしな)
(訳:年増には甘えんぼのガキがお似合いや)
1回目に普通に見た時は(訳:)に当たる部分が全く思い浮かばないマリのウザ絡みシーンにしか見えなかったけど…これ2回見ると Permalink | 記事への反応(1) | 15:16
昨年はトランプ不正選挙騒動、今年は反ワクチンやイベルメクチンなど、陰謀論の勢いはとどまるところを知らない。
自分はTwitterで陰謀論者とレスバするという悪趣味な人間だ。陰謀論者たちと話していてわかったことをまとめたい。
陰謀論者たちは隠された真実を白日の下に晒そうと日々奮闘しているように見える。しかし、彼らの主張は数分使ってデータを調べれば完全に事実無根であることが明らかなことが多い。どう見ても陰謀論者の主張と矛盾する、信頼性の高そうなデータを見せると彼らはどう反応するのか?
彼らは必ずと言っていいほど、違うトピックの陰謀論を持ち出して「ではこれはどうなんだ?」と言ってくる。
例えば、「新型コロナウイルスは存在しない」という主張に対して「ウイルスはとっくに分離されている」という情報を提示すると、「ではワクチンが大量の死者を出しているのはどう説明するのか?」といった具合だ。
たいていの陰謀論者は「陰謀論ストック」を大量に蓄えており、1つ反駁されれば別のデマを持ち出し、弾が尽きるまで撃ち続けようとする(実際は早くにブロックされることも多いが)。
真実に目覚めていると言いつつ、反論できないと判断するとその主張は一瞬で忘れ、別のデマで戦おうとする。彼らは「何が正しいか」には驚くほど無頓着なのである。
陰謀論は社会の敵だと思うが、社会から白い目で見られる陰謀論「者」のことは正直気の毒に感じてしまう。たいていの陰謀論は少数のインフルエンサー的存在が発端であり、まんまと騙されインフルエンサーの養分になっている陰謀論者たちは「被害者」でもある。
そんな彼らは、自らの主張を「デマ」と唾棄する人間に対し攻撃的になっていることが多い。社会ののけ者扱いされ、信仰ともいうべき自分の意見を嘘扱いされれば、そうなるのも無理はないだろう。
そんな彼らに、時々優しくしてみることがある。暴言を吐かれても、「ゆっくり休んでくださいね」と返してみるのだ。
そうすると、彼らはペースが狂う。それまでマシンガンのように陰謀を撒き散らしていたのに、突然黙り込んだり、困惑しつつもそれまで不可能だった人間らしいコミュニケーションが取れたりする。得体の知れないブログサイトのリンクを貼り「それならこれはどうなのだ」と延々とデマをぶつけ続ける「陰謀論エンジン」がバグるのである。
ここからは自分の勝手な推論である。人々が陰謀論にハマるきっかけとして、日常生活がうまくいかないという事情が大きいのではないか(無論、そうではないパターンもあるだろうが)。
家族・友人関係がギクシャクしている、仕事がうまくいかない、就職先が見つからないなど、現代社会で生きていれば不安なことはいろいろあるだろう。そんな心の隙間を埋め、なにか特定のコミュニティへの参加を可能にするツールとして陰謀論は広まっているのではないか。かつて話題になった「父親が定年退職し暇を持て余した結果ネトウヨになってた」みたいな話も似た構造だろう。
人生がうまくいかないときに感じる「自分は多くの人が知らないことを知っている」という優越感はさぞかし中毒的だろう。エビデンスに基づいて反論したところで、精神の安寧を求めて陰謀論を信奉している人には無力だと思うのだ。
陰謀論者の主張のほとんどは事実に反している。しかも、難解な科学上の問題ではなく、説明されれば素人でも誤りが理解できるレベルである。
しかし、大前提を見るべきだ。多くの人々は科学的に正しいとされる知識を信じる。しかし陰謀論者は究極的には科学的な正しさを求めていない。
科学的裏付けがあるかのように話しつつ、実際のところは「科学的に正しいと証明したい」ではなく「自分を認めてほしい」「自分は正しい側にいたい」という動機があったりする。
話をする上での前提が違うので、「あなたの言っていることは事実に反していますよ」という論法で責め立てても、どっぷり陰謀論に浸かった人々には全く効かないのである。むしろ、攻撃性を増すだけだったりする。
どうすればよいか。正直解決策は思いつかない。もちろんエビデンスベースの正しさは重要である。新型コロナのデマは健康の問題に関わる。アメリカ大統領選のデマは民主主義という国の根幹に対する信頼性を貶めてしまう。最近流行ったデマは実害を伴うのである。
しかし、正しい情報を提示しつつも、精神的なケアの重要性はもっと強調されるべきだ。乱暴な予想だが、仕事がうまくいき高収入で、家族や友人関係にも恵まれ、心身ともに充実した人生を送っている人が陰謀論者になることはかなり稀ではないか。
前回 https://anond.hatelabo.jp/20211124015201#tb
絵心がなければ、絵の道は行き詰まる。
文才も想像力もなければ、筆の道は行き詰まる。
反射神経も動体視力もなければ、ゲームを遊ぶことさえ行き詰まる。
プログラミングは、書けば動く。
コピペして、繋いで、くり抜いて、入れ込んで、数字を弄り、エラーコードに従えば、そのうち形になる。
広がりだしたインターネットの海が見せる可能性、巷に溢れる比較的できの良い教材たち、才能のない者たちでさえ「なれるよ」と道を示される。
善意でその道は敷き詰められていた。
市販ゲームを分析してそれっぽいコピーを作って楽しむゲーム製作をするオタク。
この両者である。
とはいえ最近のゲームと漫画の話ができればなんとなく流れには乗れた。
むしろ、流行りのドラマだったり音楽だったりに対して今で言う『リア充』のような匂いを感じてアレルギーを感じているだけの偏食者の集いだったのだろう。
私はその中で、少しずつプログラムを学んでいった。
何かを作りたいと思って手持ちのコードを組み合わせようとしだすと途端にその闇の深さが見えた。
それでも、漠然と「これが将来の自分の仕事になる」と思っていた私は必死にゲームを作ろうともがき続けた。
エスカレーターで上がった高校に上がってそっちではプログラム部という名前になっていたゲーム研究会に入った。
4年目、流石に間に合った。
間に合ったが、先輩の作ったゲームのコードを弄って、他のゲームから持ってきた要素を組み込んだだけのバッタもんだった。
なぜ4年もかけてこんなことになったのか?
答えは明白だ。
途中からゲームを作ろうという気持ちが折れて、ゲームをやるだけの人になっていたからだ。
それは正しかった。
当たり判定のプログラミングを自分で書いてからは当たり判定が見えるようになっていた。
これやると多分バグるなと思って試してみて実際にバグったのを見て「手抜きだな」と呆れたりもした。
そういったことが出来たからと行って、それが自分のゲームづくりには活かせなかった。
努力の才能と、努力以外の才能、その両方が恐らく足りなかったのだろう。
「俺にゲーム作りは無理だ……」
世の中には一定数コミュニケーションが下手な人たちがいる。よくコミュ障とか自称するけど本当にコミュ障な人ってコミュ障だって自覚すら足りない。
そしてその中での一定数の男は何故か女相手になるとものすごく距離感がバグる。
大学時代に親しくしてた男友達がいた。付き合うか付き合わないか未満のお互いに意識した関係だった。
そんな彼がある日「〇〇の今日のメイクなんかセクシーじゃね?」みたいに笑って言ってきたことがある。普通の親しい意識しあった異性同士の会話のひとつだ。
その友達と離れた後、会話を聞いてたのだろう隣に座ってきたまったく会話もしたことがない、顔すら見かけたことがあったかな?くらいの男が急に話しかけてきて「本当に〇〇さんの今日のメイクはセクシーですね」と言ってきた。ドン引きである。そもそもお前は誰なんだって話だ。
友達でもない人から急にそんなこと言われても、失礼だし気持ち悪いだけだってなるのがどうしてわからないんだろう。
無言で席を移動したが後々そいつ(同様のやらかししまくってすぐに嫌煙されてた)に結構悪口を言われてたらしい。これが男がよく言う「ただイケ」の正体なのかと理解した。
そして世の中には一定数他人の不器用さに寛容で優しい人がいる。わたしの友達もそうだ。
同じように距離感バグってる男に話しかけられても「この人はそういうのが下手で不器用なんだ」「悪気はないから」と好意に解釈して、丁寧に接する。そしてストーカー被害にまで発展した。
元々距離感がおかしい人間は思考も極端だ。相手の気持ちを考えて行動しない人だからおかしいのだ。そんな極端な人から好意を抱かれると良いことなんて一つもなくリスクだけが増大する。