はてなキーワード: コミティアとは
さて、ポイントとなった「作品利用の件について」「どちらから降板の申し入れがあったのか」について考えていく。
福原氏がツイートした「12.1話は委員会へ報告の上制作」「コミケにおける同人誌についても吉崎先生からの許可」との表現について、「12.1話は報告しただけでなく、正式な許諾やチェックは受けたのか」「8月のコミケの『こないだの仕事』ではなく5月のコミティアで頒布した『きょうびのいろどり (コンセプトアートを加工した表紙。内容はイメージボード・設定資料等)』 の許可は取っていたのか」との質問が複数のTwitterユーザからリプライされた。そして、普段ならば一般のアカウントからの質問にも答える福原氏はこの質問に回答していない。
もちろん、リプライが殺到して目が通せなかっただけということもあり得るだろう。しかし、実は福原氏は半年前の「けものフレンズ」最終回見逃し上映会で12.1話について既に触れている。
テレ東細谷P「作るってことはなんとなく聞いてたけど、まぁ無声のgifアニメ程度の物かって思ってたら本編じゃん!って」
凡用人型兵器 16:30 - 2017年4月15日 https://twitter.com/bonyoh1/status/853148399457062912
細谷P「やりたいとは聞いていたけど、音もなく、まあGIFアニメみたいなものかと思ったら……音声もあり、音響効果もあり、ダビングもされていて……何だコレと」
「冗談で13話待機とかやってるじゃないですか。そしたら何か上がったというので、え、ほんとに?という感じだった」
mohno 23:09 - 2017年4月15日 https://twitter.com/mohno/status/853248940174589955
細谷P「なんだよあれ…声までついてるし「しゃべった!?」って本気でビックリした…あんなのいつ撮ったんだよ…たつきこわい…」
細谷P「あれこっちの許可取ってないからね!?なんなら権利関係の申し立てできるからね!?w」
けものフレンズ最終回上映会トークパートのレポみたいな:あーるのブロマガ - ブロマガ http://ch.nicovideo.jp/rgrey-siga/blomaga/ar1237533
個人の書き起こしであるため表現に細かい差はあるが、「なにか作る程度の『報告』はしていたが、情報共有はしていない」ことを福原氏が認めている点では一致している。また、制作費用についても「たつき監督の私財で制作したものか」との質問に「いやいや笑」と回答 (https://twitter.com/fukuhara_ystd/status/853204451548577792) しており、ヤオヨロズの資金から作成されたことを示唆している。
なお、福原氏の「一同人作家としての二次創作作品である」との主張だが、けものフレンズの「二次創作に関するガイドライン」では「「けものフレンズプロジェクト」に帰属する素材(イラスト、動画、音声、楽曲等)を直接二次利用すること」を禁止している。12.1話を仮にirodoriによる二次創作作品と見なしても、ロゴ・劇伴・OP・EDの利用には問題がある。
「事前連絡できないならお願いできません」「そのスタイルではirodoriは仕事できないので降ります」というやり取りが、求める側は「辞退された」と解釈し、一方で求められた側は「降ろされた」という解釈になるのは自然なことだろう。
(追記)
割とはっきり書いたつもりだったので「つまりどういうこと?」みたいな反応がチラホラ出るとは思わなかった。「ヤオヨロズ福原氏の巨大なやらかし (自白付き) があるので、KFPもそりゃあ文句言うだろうし改善要求の一つも出るだろう。福原氏が悪い」です。
たつき監督補正でピンと来てない人もいるようだけど、例えばアニメポケモン制作会社のOLM社やワンピース制作会社の東映アニメーションが、勝手にロゴ・劇伴・OP・ED・声優使ってポケモン特別編やワンピース特別編作ってYouTubeに上げた上で開き直ったら大騒ぎでしょう。今回は許すけど次からは言ってねの改善要求で済んだのは温情とも言える。
(追記ここまで)
Q. 「ざっくりカドカワさん方面」とは何を指していたのかの謎が残っているね
A. 分からない。たつき監督は契約交渉に立ち会っておらず、福原氏とたつき監督の間で伝達ミスがあったと考えるのが一番自然だと思うが……
Q. ヤオヨロズの無断利用が事実らしいのは分かったけど、それは口実で他の「本当に降ろしたい理由」がKFPにあった可能性はあるのでは
A. 完全には否定できない。ただ、何らかの理由で降ろしたかったのならば「この条件が呑めないなら2期はお願いできません」ではなく「無断利用があったので2期はお願いできません」と主張するのでは
Q. 吉崎が嫉妬でムクムクムクッなんじゃないの
A. ゴシップネットメディアの無記名記事の匿名の「関係者によると」しかソースが無いため信頼性は低い。KADOKAWAが吉崎とヤオヨロズではなくKFP構成企業とヤオヨロズの間で調整した点、降ろすことを決めた時期より後にコミケの特別許可を出している点、問答無用で降ろそうとしたのではなく条件を出した点等と矛盾する
Q. なんで「ばすてき」がダメでしたって直接書かなかったんだろう
A. 分からない。ただ、あのタイミングでそれを書いたら「ファンサービスの鬼のたつき監督と頭の固いうるさい大企業ども」というアングルになって火に油を注ぐ結果になったのは間違いない
Q. KFPが我慢してヤオヨロズが好きに作品利用するのを認めれば少なくともその場は丸く収まったんじゃん
A. そうだよ。しかし、それを外部から権利者以外が強要することはできないし、版権をノーチェックで利用されて準公式のごとく振る舞われるのは受け入れがたいリスクだろう
(追記2)
Q. 「12.1話」は消されてないし、「Japari Café」のオーディオドラマの設定にも組み込まれてるから無罪なのでは
A. KFPの要求は「使うのは絶対に許さない」ではなく「情報共有を求める」なのだから、「今回は仕方ないけど次からはやめてください」となるのは自然。情報共有さえしてもらえれば引き続きお願いしたい段階で、いきなり法的手段を振りかざして消すほうが違和感がある
(追記2ここまで)
id:kamm 『求める側は「辞退された」と解釈し、一方で求められた側は「降ろされた」という解釈になるのは自然なことだろう』まだこんなレベルで書いてる人いるんだ。その後何回も話し合ったことは増田はどう理解してんの?
交渉決裂を両者がどう解釈するかと、その後何回も話し合ったことって関係なくない……?
id:mohno 細谷Pが「たつき監督の2期を見たいと製作委員会一同が思っていた。その方がビジネス的にもうまくいく」って発言してるんだよ→ https://twitter.com/5biohazard/status/947452122185871360/video/1 製作委員会以外で権利行使できるのは誰?w
2017/12/31の「けものフレンズ 年末特番」でのコメントだね。好きにさせた方がビジネス的に上手くいくがそのリスクは普通呑めないという話で……、つーかFAQぐらい読んでくれ。
id:hiduru_k ヤオヨロズ視点で、「好き勝手できないから降ります」って言うもんかなー、って疑問は残るような。柱だった「てさぐれ」を失って、その代わりに手に入れた大ヒット作をその程度で手放そうと思うもんかね。
福原氏は「オリジナルを作らないと儲からない」「オリジナルをやる」って主張をアニメ!アニメ!のインタビューやアニメ・ビジネス・フォーラム+、デジコレ8、アニメビジエンス Vol.14等で主張しているし、たつき監督自体にファンがついたのでその辺やれると踏んだんじゃないかなあ。
ふと思い立って一次創作、完全オリジナルの漫画を描くことにした。
作風は純文学系に近いと思う。普通のワクワク感や面白さ、萌えなどとは程遠い感じ。
(現時点でやっとプロット/ネームが終わり、キャラデザが9割型完了したところ)
イベントも締め切りもない中でモチベがどこまで続くかは分からない。
描いたからにはどこかで発表したいなーと思ってはいるが、どこで発表したらいいんだろう。
二次創作アカウントでは作風も絵柄も違うので発表するつもりはない。
そうなると、別名義でツイッターやpixivアカウントを作ってそこで発表?
コミティアで発表?
どこに出しても誰にも見てもらえなそうだ。
コミティアなら出張編集部があるけど、ああいうところにエンタメ要素皆無の作品持っていっても苦笑いされそうだ。
まぁ完成させてから考えたらいいんだけど。
今まではイベント合わせで締め切り決めて作業していてイベントに出ること、そこで手にとってもらうことが完成へのモチベだったりしたもんだから、
ちきんと完成させられるといいけど。
結論から先に述べると、飲食店で勧誘の話をされただけなので、電車代と飲食代で総額1600円は勉強代としては安すぎるくらいだとは思うが、俺は忘れっぽいのでここに書き記しておこうと思う。拙い文章だが記録という事でご了承願いたい。
俺は人が良すぎる。というより、まだまだ意思が幼稚なのだ。他人の良し悪しも分からないのに人を信用する。多分、心のどこかで甘えたい気持ちがあるんだろう、自分を知ってもらいたいだとか、話を聞いてもらいたいだとか、そういった内部の部分を今まで直さずに生きてきたからこうなったわけだが。
5月5日の国際展示場でその人とは知り合った。その日はコミティア123が開催されていて、それに参加していた。
お昼になってコンビニで買った物を食べてると人畜無害そうな顔をしたキョドリ気味の男の人が話しかけてきた。今だから思うが、きっと勧誘を任された新人だったんだなと納得する。
彼は「ここで何かイベントでもやってるんですか?」と聞いてきた。俺は「コミティアですよ」と返すと、「オタク系のイベントに参加した事がないから、詳しく教えてほしい」なる趣旨の事を言ってきた。今回、俺はサークル参加で、友達がサークルの場所に居てくれていたので、「時間が無いので他の人にお願いします」と言った。
すると彼は「今度、時間があるときにお話がしたい」と言ってLINEの交換を迫ってきた。この時に怪しいと思ったが、あとからブロックすればいいやと思い、交換をしてしまった。
そのときには音沙汰が無かったのだが、月曜日の日に、いつ空いてますか? とLINEが来た。めんどくさいなと思ったが、ちょうど今日、5月14日が開いていたので、来週の月曜日なら開いてますよと送ってしまった。すると、彼からときわ台に19時でどうでしょうと帰ってきた。
ここで気付くべきだったのだが、ときわ台は日蓮宗で有名な駅だ。事前に調べておかなかったのは社会人として失格だ。
そして今日、実際に会ったわけである。駅にはコミティアの彼と、知らない男が居た。会社の同僚だと聞いて、何も警戒をせずに腑に落ちてしまったのは気が緩みすぎていた。
男3人、居酒屋に行くかと思っていたが、バーミヤンに落ち着いた。聞くと、2人は酒を飲まないらしい。そりゃそうだ、大概の宗教は酒タバコその他賭け事はきんしされているのだから。
バーミヤンに着くと早々に、同僚の男がトイレに立った。場にはコミティアの彼と俺のみになったわけだが、彼は見た目通りコミュ障らしく、あまり俺に話しかけて来なかった。「今期のアニメは何見てますか」とか「お仕事は何をされているんですか」とかを二言三言話すと、彼はメニューを見るのに夢中になっていた。しょうがないので俺も頼む物を決めて、店員に伝えたところで同僚の男が戻ってきた。
この男が物凄く話の上手な奴で、宗教を抜きにしても会話が面白かった。今思えば、向こうにとっては心を開かせる作戦なのだろうが。
話をしていて、俺も始めてあったコミティアの彼の印象を話した。「宗教の勧誘だと思いました」と言うと、やたらとそこを突いてくる。
話は変わるが、俺の地元は宗教だらけだ。右を向けば創価学会、左を向けば幸福の科学、後ろを向けばエホバの証人。そんな中で育ったので、断るのは結構得意だったりする。今回はその経験が生かさなかった訳だが。
すると同僚の男は宗教が嫌いと言いだした。何かを願うだけでなにも叶えてくれない、祈ったところで結局は自分の努力次第だと。なるほどなと思った。この男の話は一理ある。願掛けしようがしなかろうが、結局は努力なのだ。怠けてた人が突然に神に祈ったところで結局は変わらない。なので俺は納得した。
ここで同僚の男はある人の話をした。なんでも余裕を持って行動する後輩の話。どんなに課題が出されても、いびられても、笑顔で受け答えて、それらを乗り越えていくという話だった。そこから、余裕はバイタリティ、体力がある人が持つ、という話になった。ここからだんだん怪しくなって行く。筋肉は鍛えられる、しかし筋肉は外側、では内側に当たるバイタリティを鍛えるには? と来て、南無妙法蓮華経を読むことだ! と言い切った。
そこから日蓮宗の新聞のような物を出して俺に進めて来た。宗教が嫌いと言ったのはどの口なのか。しかも、今までの話から矛盾した内容を話してくるのであるから困惑する。曰く、人は死んだらなにも残さないだとか、南無妙法蓮華経を読むと心に余裕を保ててしかも天国に行けるだとか、勧誘全開の話をしてきた。しかし、人は死んだらなにも残さないとはおかしいと思う。人は死ぬからこそ、子孫を残し、意思を示して、自分の分身たる息子、娘に人生の生き方を教えると思うからだ。まだ結婚もしてない俺が言えることではないが、そこはおかしいと思い、指摘をした。してしまった。すると同僚の男は「あなたは自分の嫌いな話をする人には仲良くしないんですね、そんな事だとこの先生きていけない、孤立するだけだ、よくこの人生を歩いて来れたな」と言った。
流石に怒る。俺は、これ以上話を続けるのであれば帰りますと言うと、同僚の男は「逃げるのか、そうやっていつまでも逃げてきたんだな、弱虫くん」と言ってきた。もう話が通じない(元から通じてなかった訳だが)と思い、自分の飲食代を払って、家に帰り、今に至るわけだ。
正直に言うと非常に怖かった。文章を書くのが苦手な為、カッコつけているところもあるが、おかしいと指摘したときに言われた言葉にかなり傷ついていた。もうこんなのは懲り懲りだ。ここから学べるのは、赤の他人には信用してはいけないことだ。当たり前だが、その時になってみないと分からない。今後、人を信用する事はあまり無いだろう。このご時世、全てに疑りをかけて生きていかなければいけないと思った出来事だった。
はじめて同人イベントにサークル参加をして、はじめて同人誌(イラスト集)を作った。
特に有名でも、ネットに絵をあげまくっているわけでもない自分にとって、コミティアという場は肩身が狭く感じられたが、もとより実生活では独りなので案外平気だ。手に取ってくれたりもうチラ見してくれるだけで超嬉しかった。
これがイベントなのかー!
https://togetter.com/li/1190983
最近出版社の人もツイッターとか見てるせいで、ちょっといいねの数が増えるとすぐ書籍化!とかなる
くまのお菓子屋とか、最たるもん
ああいうの見るたびに、また金儲けかよ、って気分になって萎える
しかもこいつ印税見越して買い物したりとか、ちょっと浮かれすぎ
で、こうやって書籍!とか浮かれる作者がごろごろしてるから出版社もいい気になるし、この前のコミティアで描いてるけどプロになりたくないのに編集はわかってくれない増田が現れるんだろう
なんか、単純に「お弁当はこうするといいよ!」と善意でみんなに教えてくれてた人が、「お金になる!書籍!金!金!」ってなると、ああ、結局金が欲しかったから描いたのか、って思ってしまう
まあ、この書き込みはおそらく叩かれるな
吐き捨てて逃げる
マンション2部屋買うくらい売れてる
担当合う合わないはあるけど、合わないからって変えてもらったら
もう一度担当さんとコミュニケーションを取ることを選んだ所でこんな事を言うのもなんだけど
あなたがこうして長文を吐かなければならないくらい傷ついてる時点で
実際のところ相性が悪いんじゃないかと思う。
合わなかったら仕事先を変えてもいいんだよ。
描かなければメシが食えない作家とは完全に理解しあう事はできない。
「最初に声をかけてくれたから」と、コミティアで会った編集に何年も付き合って
パワハラを受けて鬱になった友人がいる。
あなたも、どうか無理をしないで、
今の相手を辞めて別のところで書いたって
まったく不義理なんかじゃないって事だけはわかってほしい。
表現で食べている人にこう言うのは大変失礼かもしれないけれど、伝わる文面だった。
書いてくれてありがとう。
きっと本屋さんで見かけたことや、もしかしたら手に取ってるのかも知れないと思ったらちょっとドキドキした。
自分は全然、そういう活動をしていない方だけど、描いてみようかなと思うものがあって。
コミティアとかコミケに出て、結構売れてる人に少し話をしたら、「どんなに拙くてもとりあえず伝えたいなら持ち込んで編集さんに見てもらったほうが良い」と言われたことがある。
思っているよりは優しい人が多いし、伝わらないとか、変だということについては言ってくれるしそう感じたらこだわりがあっても曲げない部分はある。ただ、伝わるようには手伝ってくれるって言ってた。
まだ、持ち込めてはいないけど、増田さんの書いてくれた文面で前に言われたことへの気持ちが厚みを増した気がする。
作れない人だからこそ、作家さんに稼いでもらって、リターンするっていうのは想像はしてたけど、やっぱり重要な事だよなって思った。
アドバイス……なんて偉そうなものではなく、もうちょっと別の考え方もあるよーって伝えたくなって筆を取りました。
わたしもコミティアで編集さんと知り合い、商業の仕事をするようになった漫画家です。
今はほそぼそと連載を7年ぐらい続けているので
「コミティアで編集と出会った同人作家がその後食っていけない」ということは
全部が全部そうでは無いということだけ、覚えておいてください。
えっと、自分のことを書くと作家寄りになってしまうので、編集さんがどうして商業漫画家にならないかとスカウトするかについて
私の知っている編集もみんな、新人作家はコミケではなくコミティアで作家を探しています。
コミケのほうが何十倍も規模が大きいのになんでだろう?と思ったのですが、
誤解を恐れず言えば
イチから、いや、ゼロからキャラと世界とストーリーを組み立てるという漫画に不可欠な能力が
まるっとなくても、絵が上手ければ(画風が可愛ければ)なんとなく人気になることができる世界です。
つまり、あなたに多くの編集が声を掛けてくるのは、あなたが絵柄だけではなく、
あなたにしか表現できないキャラ作りや世界作り、ストーリーテリングが評価されているからだと思います。
あまり悲観せずに、そんなファンの人がいることをまずは純粋に喜んでいいと思います。
これは、編集者は作家を儲からせることでしか作家に還元できない仕事だからです。
トーン一つまともに貼れず、ネームやセリフの指摘でセンスの良い言葉を一つも出すことが出来ない才能がない編集者
(あえて、きつい言葉を使いましたが、わたしはセンスが素晴らしい編集にあったことは一度もありません。そりゃ、作家よりセンスあったら自分が描きますよね)
にとって、唯一作家に還元できるのが、お金を儲けさせることだからです。
もちろん、そうじゃない編集もいると思いますが、世の中の全ての編集は担当作家に「儲かってほしい」と思っているはずです。
逆にそうじゃない編集は私は信用できません。
先輩作家の方々が、いい話として編集さんと二人三脚で成功してきた話をすることがありますが、あれは、過ぎ去ったからこそ言える美談です。
作家が考えた作品の根幹(セリフや世界観やストーリー)について自分がコントロールしようと口うるさく言ってくる編集さんは、基本的にハズレでしょう。
編集の仕事は作品を売って、作家に儲かってもらうのが仕事であり、面白い作品を作るのが作家の仕事で、お互いに甘えてしまうと良いことがないと思います。
あー、なんか支離滅裂になっちゃった、わたしもアスペって言われるかも……
彼(彼女)らは、そうやって作家を儲けさせることでしか、作家の役に立てない存在だからです。
>でも、悲しいことに新人の漫画なんて、ろくに宣伝もされない。公式のSNSアカウントですら、宣伝されないから、まったく意味がない。出すメリットなんてなにもない。
>宣伝する仕事をしないなら、出版社になんの利用価値があるんだろう。あのアカウントなんのためにあるんですか?私にはわからない。
これについては、ちょっと編集部不信症になってしまって、誤解している気がします。
実際、わたしも当時はまーったくの無名作家。おそらく、増田さんより全然知名度なかったです。
でも、雑誌に載れば、その雑誌の読者数千人規模で目に触れる機会が生まれます。
無名のわたしでも、読み切り、連載としていくうちに、毎回数万冊の単行本が書店に並ぶようになるんです。
もちろん、公式のSNSアカウントでは、看板作家の宣伝で忙しいでしょう。
でも、雑誌に載るだけで、増田さんの想像以上の宣伝効果があるのを覚えておいてあげて下さい。
この記事を読んだ時、わたしの勝手ですが「増田さんの中でもう答えが出てるじゃないか」と思ったんです。
商業はお金を設ける漫画です。一部の人に面白がられるだけでは、続けていけない世界です。
だから、それがしたいだけなのなら、断れば良いのです。
「自分の描きたい物を描きたいように描いて、それで食べていける」
なんて幻想です。
売れている漫画家さんこそ、自分のやりたいことと、世の中が求めていることをバランスして表現しています。
嫌でしょう?
それなら、コミティア作家をやって、気に入ってくれたファンとのささやかな世界で幸せに漫画を描く。
でも、おせっかいですが、でも。
私と同じだ。
同じようにコミティアでこつこつ出していて、編集に声をかけられたりした。
周囲には絵を描くのが好きだったり、漫画描くのが好きだったりするような人はいなくて、頭の中に妄想の雲を育ててるような人もいない。
ひたすら休みに、机に向かってネームを作ったり、漫画描いて妄想を吐き出してるような人はいなくて、みんな彼氏とか、旦那さんとか子育てとかに大忙し。
入社してきた男性社員の噂話。ブランド物の服の話。今日の晩御飯の話。子供の受験の話。
巷で楽しい、面白い、とされていることに、自分は何一つ興味がなくて、いつも疎外感を感じていた
コミケもそうだと思うんだけど、たぶん、普段「普通の人」の仮面を被って生きてる人たちが、自分が「大好き」なものを全面で表現しても、誰にも馬鹿にされなくて、否定されなくて、わかるよ、と言ってくれる人がいる。
直接人と話すことができて、読者さんとお話しして、同じ創作仲間と苦労話を語ったりする。
そんなのはコミケやコミティアだけだ。編集さんとだけやりとりして、よくわからないまま自分の話が本に乗り、よくわからないまま店に並び、知らない間に消えていく。
そこは、なんというか、否定はされないけど肯定もされない。生きている実感が湧かなかった。
何個か読み切りをそれでも描かせてもらった後、そのことに気が付いて、それ以降、商業はもうやりませんからっていって断っている。
あなたのいうように編集さんとのやりとりや、商業の進め方は新しいことが満載で、勉強になった。
でも、自分の頭の中の好き勝手な欲望を、誰にも修正されずに描きたい。
たくさんの人たちに読んでもらって、いっぱいいっぱい売りたいんじゃなくて、目に見える範囲の人だけに売ってコミュニケーションとれればそれでいい。そんな私には商業は向かなかった。
それを編集さんにも言うんだけれど、やっぱりいまいちわかってもらえない。
ひたすら断り続けていたから、最近は来る編集さんも減ってきた。
でも増田の言う「連載と単行本がゴール。ほかの道はない」とでも言わんばかりの編集さん、ほんとに何人もいた。
そうじゃない、それを望んでいるわけではないといっても、あの人たちは「でも、やってみたら変わりますよ」とか「知らないからだ」という言い方で、「あなたの話がたくさんの人に読んでもらえるんだからうれしいでしょう?」だった
漫画家になりたい人はたくさんいて、そういう人たちを見ている編集さんは、「漫画を描いてる人はみんなとっても漫画家になりたいんだ。売れたいんだ。単行本が出したいんだ」と思ってしまうんだろう。
だから、仕方ないとは思っている。
コミティアで編集が来ると身構える。いつか心変わりしないかな、と思っているのかしつこい人はしつこい。
コミティアに来て、楽しく売って帰りたいのに、編集が来ると、体にぴっと力が入る。
断るのは毎度のことだけどしんどい。
anond:20180113160120さん漫画を描くのを辞めないでほしい。
作家としてもう少し頑張れるかもしれない。
しかし何を描きたいかという原点がお金のためだけでは描けなくなってしまいました。
これがないと体力も限界が見えます。体調不良で倒れてしまいました。
疲れてしまって、職を変えました。
転職を頑張って1年、一切漫画を描きませんでした。描けなかった。
すると描きたい欲求が戻ってきました。
描きたいという欲求だけではネットに上げるだけで満足かもしれません。
まさしくこれです。
一般の社会で生活して解りました。一般の人とはこれまで来ません。
漫画を描いている理由は 自分の好きな漫画で人とつながりたい。
そこでコミティアなのです。
自分の「こうありたい」と願う空想を読んでくれて感想をくれる。
他の作品も読むと励みになる。
あえて言うよ
編集は上から目線でコミティア来るやつは、何故今も商業なのか?
だって 食べられないもん、沢山の人に読んでもらえない。
はじめに謝るけど私は文章が上手くない。
自分の心の整理としてここに書いておきたいだけなので、誰かにマウントとるつもりも全くないし、自分が特別な人間だなんて思ったこともない。
小学校から大学に至るまでいじめられたことばかりだし、人の輪に入って気さくに話すこともできない、人間の落ちこぼれだと思う。自分のことをずっと人間の落ちこぼれだと思ってきたから、誰かを見下すなんてこと考えたことない。自分がいちばん下で、いつも輪の外で、入る勇気もなく、馴染む努力もしない、できそこないだから、当然だ。
…こういうことを書くと、アスペっぽい、とかコメントがつくのかな。顔の見えない他人なら、なんでも言えるその強さも私にはないので、すごいなと思う。でもはてな匿名だから、コメントは自由にやってもらっていい、私も匿名で書いてるんだから、しょうがない。
絵を描くのは昔からずっと好きだったから続けていたけど、それで漫画を描くのはちょっとやってみたことがなかった。
二次創作ですこしばかしのページ数の漫画もどきみたいなものを描いたことはあったけど、最初からオリジナルでキャラクターを考えて、ストーリーを考えて、なんてことが自分でできるなんて考えたこともなかった。
あるとき、地元で創作漫画のイベントがあると聞いて友人と行ってみた。
すごくいいイベントだと思った。みんなが好きな作品を描いて発表して、漫画を好きな人しかいない空間、本当にすごいと思った。自分にもできるだろうかと思った。あの中で、漫画を描いて、売って、誰かと繋がることができるだろうかと。
一番最初の漫画を描いたのはわりとすぐで、直近のコミティアに申し込んで、サークル参加をした。最初の同人誌は25部刷って、完売だった。
冊数はどうでもよかった、完売したことすらもどうでもいいことだった。
ただ私の、私が部屋の隅で、人の輪の外で、そこに憧れながら、自分の脳内だけで繰り広げてきた理想の物語が、たぶんみじめな妄想が、かたちになって、かたちになったら誰かが買ってくれて、読んでくれて、それだけが嬉しかった。
はじめて誰かとコミュニケーションを取れた気がした。
多分はじめて誰かに、自分の思っていることを正確に伝えられた気がしたのだ。
何回か参加しているうちに、同人誌を読んで、感想を呟いてくれたり、メールをよこしたりしてくれる人もできた。有り難くて涙が出た。
コミティアに参加して、同人誌を出して、誰かに手渡す瞬間だけ、人間とコミュニケーションを取れている気がした。まっとうなコミュニケーションを、できている気がして、本当に息がしやすかった。多分私にはこれしか自分の考えを表せる手段がないのだと思った。それくらい、本当に楽しかったし、幸せだったし、コミティアという場所があることに死ぬほど感謝した。
スペースにも、編集者だと名乗る人や、委託の人が来るようになって、自己紹介だけして去る人もいれば、スペースに居座ってひたすら喋り続ける人もいた。
一度、「漫画の描き方を教えてあげる」と言われたこともある。どうして描いたことのない人がそんなことを自信満々に言えるのだろう、と思ったし、そもそも私の友達でも知り合いでも師でもない人に、なぜそんなことをされなきゃいけないんだろうと思った。
不思議に思ったけど、声をかけてくれたやさしそうな編集者の人に、ネームを送ってみることにした。
今思えば、ちょっと卑しい期待もあったんじゃないかなと思う。もしかしたら漫画家になれるかも、とか。それは本来の目的ではなかったはずなのに、たぶんそこで道を見誤った。
これは今見返すとそりゃ通らないな、と思える未熟なものなのだけど、その時は一ヶ月くらいかけて100pちょっとのネームを送った。その時は当然、通らなかった。
そのあと、小さい賞をとったり、読み切りをいくつか載せてもらったりして、お金をもらうこともできたから、編集者の人と知り合ったのはよかったこともあった。
でも、編集者の人はプロになることが、単行本を出すことが、連載をすることが、正解だといつも話す。漫画を描いていると言うと、漫画家が将来の夢なんだねと言われる。
でもそうじゃない、そうじゃなくて、ちがうのだ。私はコミュニケーションがしたいのだ。誰かと繋がるために同人をやってるのだ。
雑誌に載って漫画家になることが目的なんじゃなくて、雑誌に載って、もうすこし知名度があがれば(これは雑誌の大きなメリットだと思う、というよりこれ以外にお金以外でメリットなんてない)同人誌を買ってくれる人も増えて、もっとたくさんの人と繋がる体験ができるんじゃないかと思ってやってるのだ。要するにずっと手渡しをしていたい人なんだな、私は。
でも、悲しいことに新人の漫画なんて、ろくに宣伝もされない。公式のSNSアカウントですら、宣伝されないから、まったく意味がない。出すメリットなんてなにもない。宣伝する仕事をしないなら、出版社になんの利用価値があるんだろう。あのアカウントなんのためにあるんですか?私にはわからない。
それなのに、連載を連載をとせっつく。うるさい。その間にもコミティアで会った編集者からメールが来る。連載か単行本に興味はありませんか、無いよ。無いんだよ。わかれよ。そのふたつがあれば、誰でもホイホイ描くと思うなよ。それは、それはとても失礼だ。
絵が多少描けて、それなりに話が構成できれば、そういう話はいくらでも来る。
でも、ゆっくり育てなきゃ、みんな枯れちゃうよと思う。せっつかれて描いて、何度も没にされて、絵が下手だって言われて、画力あげましょうねって言われたりする、そして描いた漫画は楽しいだろうか。編集者の人ってどの立場からものが言えるんだろう。なにか契約を交わしたわけじゃないのに、彼らは妙に…偉そうだ。うん、えらそうだ。不思議な人たちだ。関わりたくない。そう思うようになってしまった。
漫画を否定されることは、自分の子どもをぶたれるような気持ちなんじゃないかと思う。
もちろん、私に子どもはいないから、これは比喩だし、実際に子どもがいたらたぶん子どもがぶたれたほうが腹が立つと思う。
でも、漫画を子どもに例えた時、私の描く漫画は何才くらいだろうかと思う。きっと、4才とか、それくらいなんじゃないかな。まだ幼稚園児だ。編集者に何を言われても、きっと意味がわからなくてぽけっとしてるんだろう。まだ育ちきっていない子どもに、難しい言葉を投げつけて、ひたすら否定して、殴り続けたら、子どもは正しい行いをするようになるだろうか。
これは極論だし、比喩にしても行き過ぎているから、ちょっと微妙かな。でも似たような気持ちで、私は私の子どもが訳もわからずぶたれているのを見ている。かわいそう。私の技術が育っていないばかりに、そういう扱いを受ける。しかも身内でもなんでもない他人から。私の責任だろう。私が未熟だからだ。私のせいだ。
そう思って、漫画を描く足が止まった。私のせいで、私の漫画が愛されない。ゆっくり育つことも許されない。なら描くのをやめた方がいい。そう、思うようになった。
でも、まぁ、結局、描くのはやめられなかった。
だから今も描いているし、読み切りも載る。相変わらず宣伝はされない。期待されてないってことだと言う人も居ると思うし、私もそう思う。でもお金はもらえるし、宣伝はされないけど読んだ人は同人誌を買ってくれたりするから描いている。
で、結局何を言いたいかって言うと、コミティアに参加している人全員が全員、漫画家になりたくて漫画を描いているわけじゃないってことを、編集者には理解してほしいということだ。
人の数だけ漫画があるように、人の数だけ、その人が漫画を描く理由がある。
漫画を描くときの衝動は悲しみだったり、怒りだったり、嬉しさだったり、さみしさだったり、お金がほしいってことだったり、有名になりたいってことだったりするのかもしれないけど、それぞれの理由があって、みんなこんなことをやっている。
どうしようもない衝動がなければ、こんなことはしないし(だってかなりめんどくさい作業だ、同人誌を作ると言うのは)、続けようとも思わない。
私に、他人と繋がりたいという理由があったように、他の人にもいろんな理由があるだろう、と思う。
編集者は、そこを理解するとことからはじめなくてはいけないのではないのだろうか、と思うのだ。
というか、これは私の願いだ。そこを理解してほしい。いろんな理由があってやっている。そこをわかってくれないと、私たちは繋がれない。ずっとディスコミュニケーションのままだ。プロになれる、ということだけを目的にしたままで、走り続けられる人間と、そうでない人間がいる。
そうでない人間の描く作品には、価値はないだろうか?そうじゃないと私は思う。
誰だって漫画や小説や、作品を作る能力がある。衝動があれば、誰だってなんだって作れる。そしてきっと、違う誰かに届いて、その人を震わせることもできると思う。誰のどんな作品にも、その可能性は必ずある。
それを信じることから、信じて育てることから、始めてほしいと思う。
切に願う。最近は、没にされ続けて描くことをやめた人が多すぎる。
コミティアに参加する。コミティアはいろんな作品を受け止めるでっかい大皿だ。
間違いなく最高の場所だと言える。神格化しすぎて気持ち悪いかな、でもごめん、私は死ぬほど好きな場所なんだ。
でも一度、趣味で描いている人たちばかりの空間で、仕事をするということについて考えてみてほしい。
雑誌にも、単行本にも、夢のない時代で、どうメリットを提示するのか。そろそろ考えるべき時なんじゃないだろうか。もちろん、考えてる人もいるんだろうけど、私はまだ出会ってないので。潰しにきたんじゃないのなら、個人個人を尊重して仕事をしてくれ。お願いだから。
…タイトル、「コミティアに来る編集者がしんどい」にしてしまったけど。
いやでも、編集者の悪口を言いたいわけじゃなくて(十分悪口になってしまった気もするんだけど)、自分の思考整理というか、そういうあれなので…支離滅裂な文章になってしまって申し訳ない。やたら長くなったし。やっぱり文章書ける人はすごいな。私には、やっぱり漫画の方が合うんだろう。
●追記
なんだか、考えていたよりも反響があって、驚きました。
みなさんのコメント、ひとつひとつ、読ませていただいています。
自分の考えを整理して、せめて落ち着いて生きていきたいと思って書いただけの文でしたが、これに対して、さまざまな立場の方が自分の考えを話してくれていて、いろんな考え方を知ることができてとても興味深く、嬉しく思いました。
私の考え方はきっと私なりに歪んでいますし、これが正解という考え方は無いのだと思います。だから、こういう場で、さまざまな考え方に触れられたことは本当に有り難かったですし、私の文は置いておいて、いろんな立場の人が自分の経験を話してくれたことに価値があったと思うので、とても良い機会に巡り合ったなと感じています。
ありがとうございました。
ここからは本当に蛇足な私なりの結論なので、読まない方がいいかもしれないです。
人によっては不快に感じる人もいると思うので、嫌な人は読まないことをおすすめします。
いろんな方の意見を読んで、よくよく考えてみたのですが、いや、ちょっとこれは正直情けないし自分でも厚顔無恥…!という感じなのですが、本腰を入れて、編集者と向き合ってみようと思いました。
同人は私の大好きなことなので、それはちゃんと続けたままで、でも商業でも、よく思い出してみたら、ツイッターで読み切りの感想を呟いてくれた人がいたり、コミティアでスペースに来てくれた時に感想を言ってくれたりしたことがありました。
それに、担当の編集者も、いつも「今回の読み切りもいいですね」みたいに言ってくれていました。
私はもうすっかり人間不信になっていたので、「なんであんな大したものでもない作品にこんなこと言ってくれるんだろう、リップサービスかな、別にそんなのいいのに」と思って、話半分に聞いていましたが、これ、すごく読者の人に失礼だと思いました。一番最初の読者である担当にも失礼ですね。失礼…失礼すぎますね。もう最悪だと思います。
同人は私のやりたいことのメインではありますが、商業でも確かに他人と繋がることはできていて、それはないがしろにしていいことではないのだと思い直しました。
私は漫画を描きます。それは同人でも商業でも変わらないことです。
私は誰かに向けて描くことをやめないし、たぶんやめられないし、それはどの場所でも変えなくていいことだと思えるようになりました。プロ意識?とかよくわからないので、そういうのはとりあえず一旦おいておきます。
煩わしい色々なもの抜きで、シンプルに、とりあえず漫画を描きます。楽しく。自分のペースで。「なんだ、いろいろ書いておいてこんな結論かよ」と思う方もいると思いますが、こんな単純なことに気付くまで、時間がかかるやつもいるんです。
世界にいろんな人がいるように、コミティアにもいろんな人がいて、私みたいにごちゃごちゃ悩んで愚痴って立ち止まってるやつもいて、それがたぶん、この世界の面白いところなので。
まずは私も編集者という他者への理解と、そして尊重を。お互いの目的を擦り合わせる努力を。これは私個人の反省として。自分がしてもらう前に、自分がしてみようと、そう思いました。
釣りか盛りまくってるぽい。二次創作同人誌50部とオリジナルゲーム100部の相関性に違和感。
人気ジャンルでコメディorエロの同人誌200~300部なら、オリジナルゲームはよくて20ぐらい。
でもあえて付き合うと
まずこの人の「真に創作に打ち込むべきか」の捉え方に、混ぜてはいけない考えが混ぜられてる。
A、真に創作者として一線級になる
B、魅力的な絵を描く
この二つは、全然まざらない。片方が実現されても片方は実現されない。
片方が実現されたときに両方が実現されるのは、人気ジャンルの二次創作同人誌の世界だけしかない。
Aを目標にするなら、
二次創作でクダなんて巻いてないで、さっさとオリジナル描いて、出版社持ち込んだり、コミティアの出張持ち込み持っていけ。
そこで商業作家としてプロデュースしてもらうためには何が足りないのか、ボコボコに叩かれて、成長するしかない。
このとき、絵なんてそれこそ魅力的な絵でなくていい。
ポプテピピックみてみろ。戦国コミケみてみろ。カイジでもいい。ハンターハンターの真っ白な背景でもいい。
真の作家としてヒット性が優先されるとき、絵はただの自己満足の領域になる。
バガボンドやベルセルクのキャラ・背景がどれほど美麗に書き込まれていても、読者はそれを理由に休載されちゃたまらない。
絵なんてのは需要内での品質の最低ラインを越えていれば、それ以上は「無駄なこだわり」として歓迎されない。
Bがしたいだけなら、
Aになりたいなんて都合良く誤解した考えは捨てるしかない。
大勢がヒットの下地を全部用意してくれた人気ジャンルの二次創作同人誌で、
フリーライダー(ただ乗り)してお山の大将しとくしか、どのみちできない。
超美麗な絵で買い手が増えるのは、公式が公式ゆえにエロを供給できない美少女ジャンルや腐向けジャンルしかない。
べつに、その範囲内で自己満足や趣味としてBを目指しても全然いい。
だがその場合、真に創作側(A)になりたい・なれるかもなんて、
本当にAを目指して動いてるやつや出版関係者の前で言ってみろ。
なんか凄く残念なものを見る目で、言葉少なに切り上げられるぞ。
どっちになりたいのか、混同せずに考えた方がいい
本当に創作側でありたいと思うならA
実際はこの人のいう「魅力的な絵」ではない「絵」ですらいいんだけどな。
例えばアイマス(デレステ)は誰もが「そこそこ上手い」程度に感じる絵、
何の捻りもないバストアップとか(作者も全然本気でない)で、いいね7000~13000がボーダー。
同作者で丁寧に気合いの入ったオリジナル描いても、いいね100もいかない。
二次で人気者になって一次デビューとか、別ゲーのお抱えとかなったけど、鳴かず飛ばずってよくあるでしょ。
本人たちもそれを認めちゃってる感が悲しいけど。
自分が何をしたいのか
今回はコミックウォーカー
とはいえ紡がれる内容は、大した理屈じゃあないからイマイチのれないけれども。
まあ、結局の所は凡百のグルメ漫画になってしまいやすいのは、このご時世では仕方ない。
どういうコンセプトにしようが、現実世界で食べることを主体にした時点でそれは避けられない。
あれだ、あれ。
とはいっても、設定やらストーリー構成見る限りでは、そういう部分はあまり前面に出ていないという印象だが。
転生、というより乗り移ったって感じなのだろうか。
それとも演技という可能性も提示されていて、その謎含めて展開させていくんだろうかね。
まあ、二次創作に対してどういう対応を原作者がとるかは、客観的に見ればアンサーはないとは思う。
大らかにOKサインを出す人もいれば、あまり好意的な態度ではないが目に付かない範囲内ならば構わないという人、明確にNOという人もいる。
ただ、このあたり原作者がどういう態度でいるかってのは、二次創作のしやすさに繋がるだろうね。
で、主人公がアシをやっている所の先生は、プロを目指すならばオリジナルの同人誌を出すコミティアでやったほうがいいらしい。
なぜなら、元から好意的であることが多い作品を使って描いても自らの実力をはかりにくいから、一から作品を描いて評価されてこそ、だという。
まあ一説には創作のアイデアは既に出尽くしていて、後は組み合わせ次第という説もあるが、それと二次創作は違うだろうしね~、この先生の理屈はトゲトゲしいが理解できる。
その後出てくる別の先生は、どちらがいいとは明確にいえないとフォローしているので、このあたりは正解はないってことなんだろうけれども、こういう言葉の説得力って実績という二文字が重くのしかかってくるから残酷だよね。