はてなキーワード: コミティアとは
コミティア130で40Pの漫画が1部しか売れなかった人のお気持ち表明
30部刷って手元に残っているのが15部くらい。精算合わない理由は後に。
・なぜ売れなかったのか
・隣の芝こと隣のフォロワー
同人約3年目で過去に出した同人誌は8冊くらいとSNSの漫画を少々。
ここ1年くらいで人気が急上昇し、pixivの2次創作漫画はブクマ20,000代が2件、
10,000代が1件などで、フォロワー数は9,000を目前にしていた。
ファンからは通販は無いかとか、サインを求められたりとか、まるで人気作家になった気分だった。
そんな私がコミティア(オリジナルオンリー)で1部しか売れなかった。
■
なぜ売れなかったのか、泣きながら考えた。理由はこうだと思う。
・売れていた2次はギャグ路線だったのに急に1次はバトルものへのシフト
・浅はかな知識による、その道のオタクが見たら鼻で笑うような展開
・pixivのフォロワーが求めているのが2次であり1次ではない
書いてて悲しくなってきた…
事前にある程度予想していたけど
今年の夏コミでは100部刷って5冊くらいしか出なかったし(これもまた闇)、
OLだし自分の時間や赤字面を考えても利口な人なら今回のコミティアで撤退するだろうな。
今回編集部に持っていたた時は人生で初めて漫画やめたいと思った。
部数が全く動かないし完全に心が折れたので、14時からは全て編集部と買い物に時間を使うことにした。
売りたいならその場にいるべきなんだろうけど、数部売れるかわからないしじっとしていられなかった。
1人参加なのでご自由に見ていってくださいと書き残して見本誌の隣に置いた。
何も褒められるところが無かった。以前の2次ギャグで出した時の方がよっぽど評判が良かった。
自分の浅はかさ、オリジナル漫画描いてすいません…って気になってしまった。
私何か悪い事したんか?
堂々と胸張って外を歩ける人が羨ましくなった。
冒頭の30部刷って手元に15部の理由は、編集にばらまいてきたからだ。
各出版社ブースに設置してあるBOXに投函すれば後日メールで感想を頂けるのだ。
編集と対面するメンタルがもう無かったので、後日の自分にダメージを負ってもらうことにした。
「オリジナル漫画を描けるなんてすごい!」と言う友人たち、結局DL販売でも買わないし、こんな苦い思いするなら友人たちのように時間と金をゲームに使っていた方が幸せなんだろうな、と思った。前に歩かなければ転ばないんだよな~。
応援はするけど買ってもくれないし本当に1次創作とは孤独なものだと実感した。
買うほどの魅力が無いってのは十分わかる。皆まで言うな。
そして過去に頭も画力も足りなくて親に大反対されて美大に行かなかったことを思い出してなおさら死にたくなった。
美大出身に負けない気持ちでやってきたので、もっと絵と向き合う時間があればとも思ったけど
絵描きって絵を描くの特化型だから、絵と向き合ったらまた死にたくなるんだろうな。
周りの2次絵描きの友人を見渡せばツイッターのフォロワー数は1,000人を越える人ばかり、自分は垢をころころ変えるのとツイッターには漫画を投稿しないのとでフォロワーが増えなかったし増やそうという努力もしていなかった。自分のフォロワーは1垢500人くらい。
2次創作はフォロワー増やすために好きな1次キャラの漫画を描いているような気がして気が引けていた。
バイト先で「おすすめのお酒は?」と聞かれて、とにかく売れ残りを薦めろと店長に言われたことを思い出した。
人を騙しているような気になってできなかった。店長には嫌われた。
フォロワーを戦闘力としてイキってる友人たちが気持ち悪かった。過去の自分を見ているようで。
だが漫画を描かずしてフォロワーを増やそうとするなんてとんだ甘ちゃんだ。
もう2次で同人誌を出せない気がする。
漫画を描くために土日も昼休みも仕事終わりも費やしてもまたダメかもしれない。
今は傷が癒えてないけど諦めたくない。
PMSと重なって鬱っぽくなってるので、冷静な判断ができるようになったら今後を考えたい。
とあるフォロワーは伸び悩んでいたがコミティアに何度も出て、担当がついたという。
新刊の漫画は見違えるほどうまくなっていて、商業デビューが決まったらしい。
聞いた時はおめでとうと言ったが、内心は悔しい気持ちだった。
友人より漫画を描いていない自分が悔しがるなんてほんと哀れだな。
やめね~~~~~~~~~~~~~よ!!!!!!!!!!!!!!!!
今年のコミケとコミティアの成績を見たらやめろと言いたくなる。
でも1本の漫画を締切り内に描き切れること、過去イベント8回くらいで1度も原稿を落としたことが無いこと。
良い漫画を描けば自然と増えるものだろうから。(ウケる漫画は描くけどフォロワー増やしの漫画は描かない。難しいけど伝われ。)
甘い考えってわかる、でもしばらくはこの気持ちでいたい。
この文章も見る人はいないかもしれないけど、自分と同じように挫けそうな人に向けたい。
漫画描くって神経削るけどやめられないね。かっこよく言うと呪いだと思う。
私も頑張るから君も頑張ろうな。
おわり
コミティア130で40Pの漫画が1部しか売れなかった人のお気持ち表明
30部刷って手元に残っているのが15部くらい。精算合わない理由は後に。
目次
・なぜ売れなかったのか
・隣の芝こと隣のフォロワー
同人約3年目で過去に出した同人誌は8冊くらいとSNSの漫画を少々。
ここ1年くらいで人気が急上昇し、pixivの2次創作漫画はブクマ20,000代が2件、
10,000代が1件などで、フォロワー数は9,000を目前にしていた。
ファンからは通販は無いかとか、サインを求められたりとか、まるで人気作家になった気分だった。
そんな私がコミティア(オリジナルオンリー)で1部しか売れなかった。
■なぜ売れなかったのか
なぜ売れなかったのか、泣きながら考えた。理由はこうだと思う。
・売れていた2次はギャグ路線だったのに急に1次はバトルものへのシフト
・浅はかな知識による、その道のオタクが見たら鼻で笑うような展開
・pixivのフォロワーが求めているのが2次であり1次ではない
書いてて悲しくなってきた…
事前にある程度予想していたけど
今年の夏コミでは100部刷って5冊くらいしか出なかったし(これもまた闇)、
OLだし自分の時間や赤字面を考えても利口な人なら今回のコミティアで撤退するだろうな。
今回編集部に持っていたた時は人生で初めて漫画やめたいと思った。
部数が全く動かないし完全に心が折れたので、14時からは全て編集部と買い物に時間を使うことにした。
売りたいならその場にいるべきなんだろうけど、数部売れるかわからないしじっとしていられなかった。
1人参加なのでご自由に見ていってくださいと書き残して見本誌の隣に置いた。
何も褒められるところが無かった。以前の2次ギャグで出した時の方がよっぽど評判が良かった。
自分の浅はかさ、オリジナル漫画描いてすいません…って気になってしまった。
私何か悪い事したんか?
堂々と胸張って外を歩ける人が羨ましくなった。
冒頭の30部刷って手元に15部の理由は、編集にばらまいてきたからだ。
各出版社ブースに設置してあるBOXに投函すれば後日メールで感想を頂けるのだ。
編集と対面するメンタルがもう無かったので、後日の自分にダメージを負ってもらうことにした。
「オリジナル漫画を描けるなんてすごい!」と言う友人たち、結局DL販売でも買わないし、こんな苦い思いするなら友人たちのように時間と金をゲームに使っていた方が幸せなんだろうな、と思った。前に歩かなければ転ばないんだよな~。
応援はするけど買ってもくれないし本当に1次創作とは孤独なものだと実感した。
買うほどの魅力が無いってのは十分わかる。皆まで言うな。
そして過去に頭も画力も足りなくて親に大反対されて美大に行かなかったことを思い出してなおさら死にたくなった。
美大出身に負けない気持ちでやってきたので、もっと絵と向き合う時間があればとも思ったけど
絵描きって絵を描くの特化型だから、絵と向き合ったらまた死にたくなるんだろうな。
■隣の芝こと隣のフォロワー
周りの2次絵描きの友人を見渡せばツイッターのフォロワー数は1,000人を越える人ばかり、自分は垢をころころ変えるのとツイッターには漫画を投稿しないのとでフォロワーが増えなかったし増やそうという努力もしていなかった。自分のフォロワーは1垢500人くらい。
2次創作はフォロワー増やすために好きな1次キャラの漫画を描いているような気がして気が引けていた。
バイト先で「おすすめのお酒は?」と聞かれて、とにかく売れ残りを薦めろと店長に言われたことを思い出した。
人を騙しているような気になってできなかった。店長には嫌われた。
フォロワーを戦闘力としてイキってる友人たちが気持ち悪かった。過去の自分を見ているようで。
だが漫画を描かずしてフォロワーを増やそうとするなんてとんだ甘ちゃんだ。
もう2次で同人誌を出せない気がする。
漫画を描くために土日も昼休みも仕事終わりも費やしてもまたダメかもしれない。
今は傷が癒えてないけど諦めたくない。
PMSと重なって鬱っぽくなってるので、冷静な判断ができるようになったら今後を考えたい。
とあるフォロワーは伸び悩んでいたがコミティアに何度も出て、担当がついたという。
新刊の漫画は見違えるほどうまくなっていて、商業デビューが決まったらしい。
聞いた時はおめでとうと言ったが、内心は悔しい気持ちだった。
友人より漫画を描いていない自分が悔しがるなんてほんと哀れだな。
やめね~~~~~~~~~~~~~よ!!!!!!!!!!!!!!!!
今年のコミケとコミティアの成績を見たらやめろと言いたくなる。
でも1本の漫画を締切り内に描き切れること、過去イベント8回くらいで1度も原稿を落としたことが無いこと。
良い漫画を描けば自然と増えるものだろうから。(ウケる漫画は描くけどフォロワー増やしの漫画は描かない。難しいけど伝われ。)
甘い考えってわかる、でもしばらくはこの気持ちでいたい。
この文章も見る人はいないかもしれないけど、自分と同じように挫けそうな人に向けたい。
漫画描くって神経削るけどやめられないね。かっこよく言うと呪いだと思う。
私も頑張るから君も頑張ろうな。
おわり
昔の自分で書いた増田を読み返していたら、この記事を見つけた。
この記事には驚きの後日談が生まれたので是非共有したいと思い、こうしてキーボードを叩いている。
まず、大学を卒業してから何年も後にこの研究室で一緒だった先輩と結婚することになった。
そしてある日、研究室を閉める時に部屋にあったマンガを売って打ち上げ代の足しにしたねぇと言う思い出話をした。
そしたら夫がこう言った。
「ああ、僕のマンガが全部売られたヤツね」
私としては寝耳に水である。そもそもあのマンガたちは代々の先輩たちが研究室に置いていった秘伝のタレみたいなマンガだと思っていた。それが他の研究室の同期や先輩たちの認識だったし、だからこそ部屋を片付けるために売ろうと言う話になったはずだ。それが、ほとんど全て夫一人の私物だったなんて。
ちなみに夫、かなりのマンガ好きで、夫と二人で暮らす部屋には壁いっぱいの本棚にみっちり商業マンガとコミティアやコミケで何年もかけて買い集めてきた一次創作マンガ同人誌が詰まっていた。
いや、全くの想定外の話で本当にびっくりしたし、ひたすら謝った。夫は昔の話だしいいよー、と笑ってくれたが。
しかしながら歴史は繰り返す。子供が生まれるという時に、この壁いっぱいの本棚のマンガをどうするのかと言う話になった。夫はトランクルームに預けたいと言ったが、私は「本棚にあればともかくトランクルームじゃ読めないし預ける意味なくない?」とフワッフワな反論をしてしまい、夫はどこか思いつめた顔で、じゃあ全部売る、という決断を下した。
夫曰く、「どの本もみんな大切だから、この本だけは残す、なんてことはしない。みんな売る。出来れば他の人にもらわれて欲しいから、捨てずに売る」と。
なので一番マンガや同人誌に詳しそうな古本屋を選んで、そこに全てのマンガを売った。そしたらその古本屋から「これだけのコレクションだからもうちょっとどうにかなりませんかね?うちでは捨てざるを得ないものも多いので……」といった内容の電話が夫の元にかかってきたらしい。夫は「おたくのお店でどうにもならなければどうにもならないでしょう、処分せざるを得ないものは処分してください」と答えたとか。
なお、夫に後から聞いたところ、売った本の中には今プロとして活躍している作家さんのデビュー前同人誌などもチラホラあったそうで。
そして、総額10万ほどになった。多分商業マンガの中にも希少本が多かったのだと思う。
で、ガランとした安全に気を使った部屋で子育てをしているけれど、私はあの時トランクルームに預けていいと言わなかったことを後悔している。
あれ以来、夫は一冊も本を買わない。マンガも、自分の勉強のための本も、一切買わなくなってしまった。加えて今でも時々、本を売ったのは本当に辛かった、と言う。
この話、増田に書いていい?と聞いた時もちょっと悩んでから、いいよと答えてくれた。書いた文章見せるよ、と言ってもそれはいいよと言って寝てしまった。多分、今でもまだ辛いんだと思う。
夫の趣味の品を勝手に売ったら人が変わってしまった、という話は昔からネットに転がっているけれども、それと同じようなことを私もしてしまった。しかも、2回も。
あの壁いっぱいの本棚に詰まったマンガ達。あんまりメジャーなマンガはなかったけれども、夫が何年もかけて集めてきたコレクション。何気なく手に取って読んでみたら、どれも確かに面白かった。
あれを手放したのは、多分人生の何%かの損失だったのだと、時が経ってからようやく分かった。
【追記】
リンクは貼らない。
元増田は漫画家だし、知ってる話かも知れないが、”女性の生き方を描いた漫画”が人気を博し、多様になったのは比較的最近の話だと思う。
元増田が挙げてた「凪のお暇」(2016年~)の登場・ヒットの前に
「逃げるが恥だが役に立つ」(2012年~2017年)や「東京タラレバ娘」(2014年~2017年)のヒットがあると思う。
ヤマシタトモコはBLの頃から人気だったが、『違国日記』の前段階となる作品は多々あるように思う。
フィールヤングで連載した「HER」が注目され(2009年~2010年)、「このマンガがすごい!2011」オンナ編は「HER」だった。
「アフタヌーン」で連載していた「BUTTER!!!」(2010年~2013年)でも少年少女の様々な想いを描いていた。
それとは別に、育児休暇後の女性漫画家が描いた「37.5℃の涙」(2013年~2014年)が、
雑誌連載時は不人気で打ち切られたのに、WEB広告と電子配信をきっかけにヒットし、ドラマ化、連載再開したり、
TwitterなどSNSで「深夜のダメ恋図鑑」が話題になり、ドラマ化したりしている。
他に、33歳高齢処女を描いた「きょうは会社休みます。」(2012年~2017年)もあるし、
干物女を描いた「ホタルノヒカリ」(2004年~2009年)もあった。
長くなるので割愛するが、2000年代には「働きマン」のような働く女性を描いた作品もあったし、
「ハチミツのクローバー」は女性が恋愛感情ではなく自分の夢の為に男性を選ぶ物語でもある。
”女性の生きづらさを描いた漫画”として高野文子や萩尾望都の作品を挙げる人も多いので、
”女の生き方を描いた漫画の歴史”は”少女漫画の歴史”にも近いように思えてくる。
ただ、現在は少年漫画、少女漫画、青年漫画といった縛りも緩くなり、性別も年齢も問わず読まれる時代だと思う。
出版社に期待せず、個人で電子書籍配信したり(ナンバーナインとか電書バトとか配信代行業者は何社かある)、
同人誌にしてコミティアで販売してみたり(BOOTHで通販も出来る)、
Kindleインディーズマンガで発表して、報奨金を狙ってみたりのもありではなかろうか。
元増田が描きたい漫画を読みたいと思っている男性はいると思う。
応援してる。がんばれ。
ナクヤムパンリエッタさんがコミティア128で出した『泥舟鈍行死体蹴り』を読んだ。コミティア128自体には行けなかったので待ちに待ってたDL版を今さっき買って読んだ。
そしたらもうウォ〜ウァ〜ってなって大粒のやつがぼろぼろ目から出ちゃって、本当に心にこの漫画へのデッカいありがとうがポップアップしてどうしようもなくなったから、本当にどうしようないファンレターをここに書き殴る。本当にどうしようない書き殴りのファンレターだから何もかもめちゃくちゃだと思うけど勘弁してください。
普段ブログはやってないしTwitterだって情報収集するための鍵垢しか持ってないから世間にこのデッカいありがとうを発表する場所が本来なくて、でもこのデッカいありがとうを、誰かに伝えたいとかそういうんじゃなくて、ただただ世界のどこかに流さないと心がポップアップしたデッカいありがとうで破裂しそうだから、ここに放流する。
ナクヤムパンリエッタさんのことは元々すごく好きで、今まで出されてて買えるやつは全部買ってるしオモコロとかの漫画も何度も何度も読んだ。Twitterも舐めるように見てる。ナクヤムパンリエッタさんの言語化の仕方が本当に好き。言語化できないやつをパワーで言語化して、言語化してるのに読んでるこっちにくるのはそのパワーだからわかんないけどウワッ!!そうなんだ!!!って漫画に表現されてる色々が流れ込んでくる。漫画を読むという行為でありながらなんかもう感情体験(感情体験って何だ?)。そういうナクヤムパンリエッタさんの言語感覚が本当に好きで、今回の泥舟もまたそういうのを味わうんだろうなとドキドキバクバクソワソワで購入した。
そしたらサンプルの時点でもまぁわかってたんですけど、そこに言語化されてたのはいつも戦ってる〝アイツ〟じゃん。もうどうしようもなくなっちゃって奇声をあげながらボロボロになって泣いちゃった。
すごいんですよ。こう、心とか、脳味噌とか、世界とか、ぐちゃぐちゃになっちゃう時が、あるじゃないですか。そういう時のやつがさ、そういう言語化できないやつがさ、いつものナクヤムパンリエッタさんのパワーで言語化されて、そして私の中に流れ込んでくるのはそのパワーみたいな感じでブワーッって流れ込んでくる。もちろん自分とナクヤムパンリエッタさんのぐちゃぐちゃになっちゃった時の世界とか自分とかって全く同じってわけじゃないんだけど、でもいつも戦ってる、ヌボーってやってくる最悪なアイツが、全部だめになっちゃってぐちゃぐちゃになっちゃった時のあの世界が、そこにはあって。そういうぐちゃぐちゃを表現された時にこんなに気づいたらボロボロ泣いちゃうんだなって自分でもびっくりした。
なんていうか、救いだった。陳腐な表現だと思うけど。うまく言えないけど、やっぱり多分救いってやつなんだと思う。
世界が死推しになるという表現、本当に本当にそれで、そうかあれは世界が死推しになってたんだなってわかった。楽しいことも楽しみなこともいっぱいあって、やりたいゲームも読みたい本も漫画も観たい映画もいっぱいあって、そう、愛する美しい女性に顔向けできねぇのに、なのに世界が死推しになっちまう。死のう死のうって、死ななきゃいけないって。毒槍が刺してくるんだ。私は一番やられてた時は気づいたら駅のホームで落ちるギリギリだったり横断歩道で赤信号なのに足が勝手に進もうとしてハッと気づいてウォッてなったし、味もわかんなくて何でか玄米ブランだけ義務感で食べてでも味がわかんなくて美味しいとかなくてめそめそ泣いてた(そのせいで今は二度と玄米ブラン食べたくない)。漫画にあった通り、まさに世界に1人なんだなって音がなくて耳がキーンってした。そういう諸々が、泥舟鈍行死体蹴りが、本当に凄まじい言語感覚で言語化され、絵として文字として漫画としてそこにあった。
今はその時よりはずいぶんマシになったけど、でもまだふとした瞬間に心にアイツはやってくる。
ヌボーっとして、ベッタリした、いや〜なアイツが心臓の裏にベチャベチャくっついて離れてくれなくなる。心臓の裏にくっついてるもんだから、剥がしたいのに剥がせなくて(私は心臓の裏に手が届かないので)、エンエン泣き出したくて、でもベッタリしたアイツのせいで泣くこともできなくて、離れてくれ〜去ってくれ〜帰ってくれ〜頼むよ〜って祈りながら横たわるしかできない。
実を言うと『泥舟鈍行死体蹴り』を読む直前もかなりそんな感じだった。なーんか全部だめになっちゃった。
泣き出せもしなくてウェ〜ンってするだけだったけど、この漫画を読んでボロボロ泣いて、別にベッタリがサヨナラ!つってあっさり帰ってくれたわけじゃなくてアイツはまだはりついてやがるんだけど、でもボロボロ泣いたおかげで少しだけ息ができるようになった。その少しだけは本当に大きかった。今もボロボロ泣きながらこれを書いてる。
あのぐちゃぐちゃを、素晴らしい言語感覚で表現してくれて本当にありがとう。私にはこのデッカいありがとうをとにかくここに不器用に書き連ねることしかできないけど、でも、本当にありがとう。
この漫画を読めて本当に良かった。本当に、本当に。
さっきまでもう無理オバケと頑張らなきゃオバケが戦っててそれも辛かったけど、この漫画のおかげで、とりあえず、明日はもっとだめにならないようにおやすみしようって踏ん切りがついた。私にとってはそれだけでも本当にありがたかったです。明日っていうかこの文章一回泥舟じゃなくて泥船って書いて投稿してて後から気づいてだめだめな自分にモ〜〜!!!ってなっちゃって、嫌になって消して再投稿したのがこれで、だからもう今日なんだけど。そして再投稿にあたってもう一回読んでまたダバダバ泣いてた。
ソードアート・オンラインの全裸さん――アドミニストレータは、
人の理から半ば外れ、神にも等しい力を持った、冷酷かつ妖艶な女性であって、
そのキャラクター性を裸体によって表現しようというのは、特におかしな発想ではない。
彼女は別に露出好きというわけではなく、カーディナル同様アンダーワールドが外界の人間に造られた仮想世界だと知っているので、アバターの裸を晒そうがどうでもいい、むしろ恥ずかしがるのは滑稽だと思っているわけです。つまり矜持とかそういうやつです!— 川原礫;2/17コミティア《あ13a》 (@kunori) 2019年3月9日
原作者もこのようにツイートしているように、他人の視線など意に介さない、彼女の超越的な立場を強調しているのである。
いや、賢明なる皆さんは「それは口実でしょ?」と思われるかもしれない。「本当はエロを描きたいだけなんでしょ?」と。
原作において、アドミニストレータの容姿について描写されているところを引用すると、こんな感じになる。
横たわっているのは、ひとりの女性だった。
銀糸の縁取りがついた淡い紫――《ステイシアの窓》とまったく同じ色――の薄物をまとい、身体の上で、白く華奢な両手を組み合わせている。腕や指は人形のように細いが、そのすぐ上で薄い布を押し上げるふたつの膨らみは豊かで、慌てて視線を通過させる。広く開いた襟ぐりから覗く胸元もまた、輝くように白い。
――13巻『アリシゼーション・ディバインディング』
ここから怒涛の勢いでアドミニストレータの美貌が称賛されていくのだが、身体の部分に言及しているのはこの箇所だけである。
また、この直後のユージオが誘惑される場面はなかなかにエロティックであるものの、それは精神汚染のようなものであって、アドミニストレータの淫靡な姿態が描写されるわけではない。
さすがに紫の薄衣は爆風に絶えられなかったのか、引きちぎられて消滅してしまったようだが、一糸まとわぬ己の姿をまるで意に介さず、アドミニストレータは右手を持ち上げると長い銀髪の乱れを直した。
この部分は先日のアニメで放送された箇所にあたる。元増田が言っているのもこの部分だろう。
読んでのとおり、全裸であることがさらりと示されるだけで、卑猥さは特に感じられない。
【マイリスト】SAOアリシゼーション21話 アドミニストレータのみ https://t.co/Ef7Si5Q8FU #sm34753890— ヨナ (@ExtraAteriaru) 2019年3月11日
小説だと「彼女は一糸まとわぬ姿をしている」と書けばそれだけで済むが、
アニメでは「一糸まとわぬ姿の彼女」を描き続け、映し続け、動かし続けなければいけないのである。
今回の件については、以上のような媒体の違いが原因としてある。
1990年生まれ現在28歳のグラフィックデザイナーです。
絵を描くのを一度諦め、何年間か描いていなかったものの、最近になってまた戻ってきた話を1年前、はてなで投稿しました。
あれからちょうど1年経ちましたので、改めてまとめようと思いまた記事を書いています。
https://anond.hatelabo.jp/20180130030322
1年前、この記事を書いた後、思った以上の反応がありとても驚きました。
まさかあんなにコメントが頂けるとは思っておらず、戸惑いつつも全て読ませていただきました。
私と同じように、夢を追っていたけど諦めた人。
オススメの本を教えてくださった人(全部読みました)。
全てが嬉しくて、おそらくこの記事とコメントがなければ、この1年絵を描けていなかったかもしれません。
1年間何をしていたかと言うと、とりあえずは具体的な目標を立てようと思い、
ピクシブに投稿したりpawooに登録したり、イラスト雑誌に投稿したり
特にコミティアでは、本を出すため仕事の合間を縫ってちまちまと絵を描き、帰宅後すぐ絵を描く日々が続きました。
それでも枚数が少ないためどうにか本の形にするために考えたことは、文章を添えることでした。
絵を描くのをやめてからもあまりに自然な昇華活動として行なっていたために、
自分が文を書くのが趣味ということにも気付いていませんでした。
昔、文章を書いていて同級生にとても馬鹿にされた経験があり、ずっと表には出していなかった趣味でもありました。
思えば長い間、人の目を気にして何もできなくなっていました。
そう思われるのが嫌で、自分をずっと殺していました。
それは絵だけじゃなくて、文章も詩も、着る服も選ぶ小物も言動も、全てそうだったように思います。
目立たないように。ダサいと思われないように。だってそれは何よりも恥ずかしいことで、
本当の自分を少しでも出してしまってもしダメだった時、自分の全てを否定されたような気分になり、傷つくのがわかっていたから。
せっかく恥をかくんだ、どうせなら徹底的に自分が好きなことしかしないでおこうと思い、
知り合いには誰にも見せないようにしながら、好きな題材で絵を描き、好きに文章や詩を書いて絵に添えました。
仕事では「ダサい」と思われるのが嫌で徹底して自分の好きなものを殺して作ってきましたが、もうこの際だと、好きにデザインしました。
普段は絶対使わないけど実は気になっていたフォント。無駄だらけの装飾。自分に浸った言葉の羅列。普段は絶対言わない主張を書いた文章。…
とにかくもう誰の目も気にしないように気をつけながら、自分の好きを探すことからはじめました。
同人イベントにサークル参加すること自体が初めてで、それだけでも緊張していましたが、
不安で吐きそうになりながら、一人でポツンとお客さんを待ちました。
こんなにたくさんの人が居る中、自分の絵なんて、見てくれる人が居るのだろうか。
1冊でも売れるだろうか、いや、1度でも手にとってもらえるんだろうか。
今日、誰も来なくても、誰にも見てもらえなくても全くおかしくないな。なんて、ずっとぐるぐる考えていた気がします。
会場後30分くらい経っても人が来ず、ずっと一人で、泣きそうになりながら机を睨みつけていたら、
ひとりの女性が本を手に取り、しばらく眺めた後
「これ、1冊ください」と、お買い上げくださりました。
あの瞬間のことを多分私はずっと忘れないと思います、
いただいた300円を、しばらく、見つめて
生業であるデザインの仕事では、時には1、2時間の作業で5万円稼ぐこともあります。
時給換算すると本当にちっぽけなものでしたが
私はあんなに大切な300円を今後も知ることがないと思います。
あんなにたくさんのサークルが居る中、私のサークルを見てくれたこと。
涙をこらえながら、何か、今までの全てが溶けたような感覚になりました。
絶対に愛されないと思っていた自分を愛してもらうこと、そんな奇跡を、
その後も、たくさんの人にお買い上げいただき、とても好きな絵柄ですと言っていただいたり
ツイッターではとても好きな絵描きさんと相互フォロワーになれたり、
しかもそれは、取り繕った私ではなく、全面的に自分をさらけ出した正真正銘の私としての結果で
もう好きなことを殺さなくて良いこと。自分を出しても怖くないということ。
良い意味で、作り続けなければいけないという強迫観念がなくなったこと。
今まで自分はスタートラインにすら立っていなかった事に初めて気づきました。
戦わない。比べられる土俵に上がらない。向き合わない。そうして自分を守ってきたつもりだったけど、
裸になって、真正面から「作ること」に向き合い続けたこの1年間で、
「誰か」と比べる必要は全くないこと。自分のことだけ見つめて良いこと。何も怖くないということを知りました。
一歩を踏み出す勇気さえ出せれば、全然違う世界が広がっているということを知りました。
多分それは絵だけじゃない、全てが、少しずつ変わっていくのを感じます。
1年前に比べて、驚くほど自分に対して穏やかになったことを実感しています。
これからの人生において「物を作るか」「作らないか」に一旦決着をつけたいと思ったのです。
どちらに転んでも、もうこれ以上このことで悩まないように。
もうこのことでは全く悩まないようになりました。
勇気を出してよかったと、この世界は見えていなかったと思います。
「本当の自分」を好きと言ってくれる人がこの世に1人でもいれば
きっとずっと私はものを作れるし、
改めて、1年前コメントをくれたみなさま、本当にありがとうございました。
みなさまからのコメントがなければ、ここまで勇気を出せなかったと思います。
これからは気の赴くままに、頑張ったり頑張らなかったりしながら