はてなキーワード: キッチンとは
自分達は“危機”と共に生きてきたことを
水飲んで寝ようとキッチンの電気をつけたら久しぶりにヤツがいた
数ヶ月ぶりのヤツはなぜか赤と茶色のマダラでいかにも自分は危険であると主張していた
あまりのことに思考が停止したが、周りにはスプレー式の洗剤などが見当たらない
しかし見逃すのは絶対に嫌だ、と対策もないまま凝視し続けると、向こうは警戒態勢を解いたように徐々に行動を開始した
ヤツに気取られぬよう細心の注意を払い自室に戻り、常備してある“第二部隊”グリーンベレーをスクランブル出動させた
そろそろと近づきシュッとひと吹き
ヤツは体を丸めて痙攣しやがて動きを止めた。
たまねぎの皮を最も好む(cf.テラフォーなんとか)らしいし、今日も転がってるニンニクのとなりにいたから
常温保存はできればやめてほしいよな 硫化アリル?とかが好きなのかな
このゴールデンウィークに、掲題の件で渋谷のNHKホールに行ってきた。
おかいつのファミコンといえば何のことだかわからない人が大半だと思うが、小さい子供を持つ親なら相当な確率で通じるのではないか。おかあさんといっしょファミリーコンサート。
だいすけ、たくみ、よしお、パントの4人組(前二人が歌のお兄さんお姉さんで、後ろ二人が体操担当)が1時間超に渡り歌い踊るこのステージは、電話回線を何本も使い分けても抽選を通るのが難しいといわれるプラチナチケットである。
今回我々は初めての応募ながら、自分と妻の携帯電話、お互いの実家の固定電話の4回線を使ってなんとかゲットすることが出来た。ちなみに自分の家は固定電話回線を引いていない。
当たったのは2階席の一番後ろから3列目あたりという末席。
これは抽選で第一希望が外れて敗者復活的な感じで後ろの席が当たったという事情のためだ。かくも厳しきチケット争奪戦。
ちなみに親の分だけでなく1歳以上の子供の分もチケットが必要で、例えば夫婦2人と子1人の参加では3席チケットが必要なのだが、我々の隣には2席に母子2組が座っていた。
入口でチェックとかあるんじゃないかと思うがどうやって潜り抜けたかは謎だ。
母子で1席となると、子供を親の膝の上に乗せるか、前の席との間に立たせていなければならないわけだが、さすがに子供もだるくなるのか途中で泣いていた。
それを親が叱っていて結構ひどい有様だった。
いつもテレビで見ているお兄さんお姉さん(だいすけ、たくみのコンビ)が、いつもの歌を生で歌ってくれるとなれば子供も俄然テンションが上がる。
よしお(体操のお兄さん)がさすがの身体能力でバック転、前宙返りなどを披露してくれると親としても「これを見に来たんだよ」とご満悦だ。
ファミコンは通常のおかいつとは別に土曜日に放映されるので、よしおの宙返りはテレビでは見慣れているけれど、生の迫力はやはり違うものだ。
パントも……パントの正式名はりさお姉さんだが(パントマイムのコーナー・パントを担当しているのでうちの子供はパントと呼んでいる)、彼女も実際に見ると動きのキレがよりよく見える。
冒頭の演者が客席の間の通路を通って出てくる演出で、パントが鹿のように通路を駆け抜けていくのを見て、その速さに驚いた。
この4人も、もう何年もやっていて、そろそろ卒業ではないかといわれている。
特に体操のよしおは前代の歌のお兄さん・お姉さんの頃からやっているので相当な古株だ。髪の毛も寂しくなってきた(もはやお兄さんではない)。
この4月の改編では、いないいないばあっ!のゆうなちゃん(ゆうなちゃんについては語ると長い。「ベスト・オブ・子役」と呼びたい。もうだいぶ大きいが)をはじめとして、みいつけた!、キッチン戦隊クックルン等でメンバーチェンジがあったので、おかいつの4人は卒業を延期されたというのがもっぱらの噂だが、そうなると来年の4月の卒業は避けられないとも言える。
この4人のステージを見られるのも今年だけだ。
10月のNHKホールがおそらく関東圏の人が見られる最後のファミコンになると思うが、きっと今回以上に厳しい抽選になるのではないか。
普段は肩が凝る体質ではないのだが、今日は肩が凝って寝られない。寝られないので書く。
連休が始まった土日、誰もいないオフィスで深夜まで仕事してた。
連休の予定はまったくなく、今年も何もイベントもなく過ぎてしまうのかと諦めていた。
あとは帰って寝るだけだ。3日間ずっとだらだらとすごすのか。
一人で映画に行き、一人でレストランに行って、ツイッターに画像あげて、誰からも反応もなく、家に帰って寝る。いつもの休日か。
諦めんなよ。
頭の中の修造が言った。
でも誰もいないし。いまから誘ってもみんな予定あるにきまってるし。
諦めんなよ! 声かけてみろよ!!
いやでも・・・
そうだ! 声かけてみろ!!
「5/5に映画見に行きませんか」
以前告白して振られた同僚の女の子にメッセしてみた。これが深夜テンションのちからか。
そうだ!!できるじゃないか!!!
帰ってその日は泥のように寝た。
昼過ぎに目が覚めた。返信はなかった。
まあ、そんなもんだよな。世の中そううまくいくわけがない。
コンビニ行って飯でも買ってくるか。
メッセの着信音がなった。
都合がいいときだけ反応するんだな。
5月5日。気合いれすぎて30分も早く待ち合わせ場所についてしまった。適当にぶらぶらするかと思ったとたんメッセがなる。
「早くつきすぎちゃいました」
時間に余裕があったのでウィンドウショッピングして時間をつぶしたのち、レストランに行ってランチを食べた。
2人で食べるランチはうまかった。
「なんでいきなり誘ってきたんですか」
「2日も休日出勤してやっと仕事が片付いたけど、連休に何も予定ないし、がんばった自分にご褒美がほしいじゃん?」
彼女は笑っていた。
思い切って聞いてみた。
「じゃあ、手、つなごっか」
「いいですよ」
彼女は戸惑いながらも手を出してくれた。女の子の手は小さく柔らかかった。
身長差があるので中途半端な位置をキープしないといけないので、自然に手がつなげない。
ソシアルダンスで相手をリードしているみたいな体制になってしまう。
映画館について座席に座る。映画が始まる前、彼女の目の前で手をひらひらさせてみた。
手をつかむと、ああそういうこと、と苦笑。
映画の展開もあり、緊張していて手がこわばり、痛くなってきた。でも離したくなかった。
映画を見た後に感想を言い合うことができる相手がいることが新鮮だった。
その後、いろいろ買いたいものがあるというので彼女の買い物につきあう。
最近一人暮らしを始めたという彼女は、お皿やキッチン用品などを探しているようだった。
そのあいだずっと手をつないでいた。
夕方、名残惜しみつつも別れて、一人で家に帰った。
お礼のメッセを送る。「今日はありがとう。楽しかった。またデートしてほしい」
相手からもすぐ、今日は楽しかったと返信があった。社交辞令だとしてもうれしい。
次があるかはわからない。
でも、恋人同士にはなれなくても、休日に手をつないでデートできる相手がいるのは素敵なことじゃないか。
手をずっと繋いでいたら、肩が凝るんだな。寝られないくらい。
普段使わない筋肉を使うと、そういうことが起きると、身を持って理解した。
時々は使っていけるようになりたい。
面接や会社の人と雑談してる際に一人暮らしかどうか聞かれた時「実家暮らしです」と言うと「じゃあ楽だね!」みたいなことを言われることがあるんだけど。
楽じゃねーよ!一人暮らし3年位したことあるけど、自分的には一人暮らしの時の方が楽だったよ!
だって自分の面倒だけ自分の好きなタイミングでみればいいから。
実家だと4人(母・父・兄・私)分の面倒をみんなの生活のペースに合わせてやらないといけない。家事そんなに上手じゃないどんくさい私は全部自分のペースでできないのがしんどい。
うちはみんな働いているので週2,3回は食事・洗濯・掃除などを任される。茶碗洗いと洗濯物畳むのは専任。
一人暮らしの時は洗濯物は週一くらいでまとめてやってもよかった。
一人暮らしの時は残業で遅くなったりめんどくさかったらコンビニですませれた。
実家暮らしだとパスタ茹でただけなど1品だけとかはさすがにできないので2,3品作らきゃいけない。
あと、「1人分作るのも2人分作るのも同じ」みないなのよく聞くけど同じじゃないよね?
3,4人分以上作るとなると、例えばハンバーグやメイン料理作る時フライパンなどに乗りきらないから2回焼くことになる。最初のやつ冷めちゃうし。めんどい。
父もごはん作ってくれるけどキッチンや調理器具がめっちゃ汚くなるのなんでなんだ。あとで掃除するの超めんどい。
ぶっちゃけ家にいると家事を押し付けられるので休みの日は家にいたくない。ほんとは家でごろごろしたいのに。
家で誰かがご飯つくったり家の事してくれてるから自分は安心して遅くまで残業できたりするんだけどさ。
「楽だね!」と言ってくるやつは蹴りとばしたくなる。
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追記
家には毎月9万4千円入れてる。
あんなの寿司じゃない!腐りかけのかっぱ巻きよ!
と叫びながら、彼のキッチンでさっと伊勢海老を握って投げつけてやりたい気に駆られながら聞いていると、
アボガドもいいけど、炙りサーモンもいい。マヨネーズをかけて食べるのが一番」
と言うので気が遠くなった。
私は寿司屋の娘だから、寿司に思い入れが強すぎるのかもしれないけど・・・
彼は本当にいい人で、優しくてイケメンで大学もいいところに通ってて、ちんちんも20センチあるけど、
彼がアボガドの寿司にマヨネーズをかけている横で、プリンに醤油をかけて、
「本当にウニの味がするのかな~?」
と言っている自分の姿が脳裏をよぎって、もう無理だった。
そのまま何も言わずに部屋を出ようとすると、
「どうした急に」
と言って引き止めるので、
もう会わないし、見かけても声をかけないで」
と真顔で言ったら
と逆ギレしてきたので、
「あなたにとっては、たかが寿司、でも、私にとっては人生の半部が寿司なの!
と怒鳴りつけて、逃げてきた。
アボガド、炙りサーモン、マヨネーズのどれかひとつだけだったら耐えられたかもしれない。
けどみっつは無理。
男ならやっぱりトロやウニのような高級ネタをきっちり押さえつつつ、
コハダや生サバのような光物を嗜む粋さを見せて欲しい。
ゴールデンウィークは多くの人にとって「とくべつ」な日だ。
しかし、その前日は違う。「とくべつ」じゃない。けれども僕は、一貫して、ゴールデンウィーク前日がたまらなく好きだ。ゴールデンウィークの方はどうでもいい。
「まるで世界を運ぶワゴンから落とされたみたい。それって何か面白いわけ?」
沸騰した湯のなかに、パスタをきっかり90グラム投げ込んだ。そしてソファに座り、現状を整理し、これからどうするかを考えた。これからの僕は「奴」にどう立ち向かうか。パスタの茹で上がるのを待ちながら、これからどうすべきかを考える時間が、人生にはどうしても必要なのだ。
パスタの湯切りをするため、キッチンへ戻った。それときっかり同じタイミングで、玄関のドアが開いた。
僕は瞬時に「奴」に居場所を悟られたことを理解した。「奴」は黒く、その輪郭は曖昧だ。しかし僕には「奴」が攻撃態勢に入ったことが分かった。危ない。
僕は、スコッチウイスキーのビンを楯がわりに「えいやっ」と奴の攻撃を受け流した。そしてすかさず「おらよっ」とスコッチウイスキーのビンを振り回した。胴体に当たり「奴」はうずくまった。「こんにゃろ! こんにゃろ! こんにゃろ!」僕はやみくもに、スコッチウイスキーのビンを「奴」目掛けてきっかり20回振り下ろした。「奴」は液状になると、吸われるようにして排水口からどこかへ行った。
「二度とくるんじゃねえぞ! このばかちんが!」
ここ暫く1年ぐらい
食事つくるのも面倒で味のついた肉を買ってきてジャッと焼いただけのと白いごはんかお湯入れるだけのレトルトで過ごしてて
皿を洗うのが嫌で3日放置とか当たり前で
キッチンもお風呂もトイレも掃除したのは確か年明けの1度だけで、ああ3ヶ月してないなって今気づいた
気づいたら穴モグラみたいに床で丸まって寝てる
美容院には1年いってない
最近は夜は歯もみがかず顔も洗わず床で毛布引っかぶって電気つけたまま寝て
何が怖いって自分は今36歳で独身でおそらくこのまま堕落したまま独りで老人になるって事
さっき1日ぶりに顔を洗って鏡みたら垂れ下がったむくんだ顔がそこにあって、ああだらしないおばさんだなーって思って
まえに男の料理のキッチン道具について書いてた人がいたので、一人暮らし4年目くらいの自分も真似して書いてみた。
ちなみに私は社畜のため、週末にまとめて料理しておく派。料理は適当だけど、たまに凝ったものとを作りたくなるタイプ。
ちゃんと自炊しているときはしてるけど、数ヶ月しないときもあるかんじです。ご参考に。
・テフロン加工の片手鍋 15cmくらい。これもスーパーかホムセンで。1000円以下で手に入る。お湯を沸かしラーメンも作れ、フライパン代わりにもなる。
・菜箸 百均でよし。
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予算 1000~1500円くらい(鍋の値段による)
・雪平鍋 16cmくらい ダイエーやイオンとかの2Fとかで買うと安い(500円くらいからあったりする)。パスタゆでたいなら少し大きめに。内側にメモリついてるやつ便利。
・フライパン 12~16cmくらい ダイエーやイオンとかの2Fとかで買うと安い(500円くらいからあったりする)
個人的に、炒め料理が好きでなければフライパンは目玉焼き焼けるくらいのサイズでよいと思う。
・菜箸 百均でよし
・まな板 百均で狭いキッチンで小さいサイズの売ってる。色違いで肉用も買うとなおよし。汚くなったら1~2年で使い捨てるかんじ。
・ざる 百均でよし。一見いらなそうだけど、そうめんやパスタなど一人暮らしの人は麺を湯切りするのに使う。一人暮らしの人は麺率高くない?
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・計量カップ 百均でよし。なければ空のペットボトルとかで適当にはかればいいと思う。
・大さじ小さじのセット 百均でよし。
・トング 百均でよし。炒めものはこれでやると箸よりはるかに使い勝手がよい。
・キッチンスケール タニタとかの2000円未満くらいのやつでよい。
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料理にハマって、はや5年。色々と機材を使っては飽きて埃を被せ、邪魔になって倉庫送りも繰り返した結果、ようやく普段使いのツールが安定してきた。というわけで、俺が使い続けてるヘビロテ料理機材を紹介してみる。
カセットコンロでお馴染みのイワタニの薄型カセットコンロ。達人シリーズは火力の強いタイプから、風に強いタイプなど色々あるがおすすめはコレ。見た目がカッコいいし、薄いので鍋の中身が上から見やすく、収納スペースもあまりかさばらない。
バーミックスなど、高級モデルもいろいろ使わせてもらったが正直あんまり大差ない気がする。で中型器のこれを愛用。ピューレも結構時間かけてあげれば細かく舌触りのざらっと感が無くなるくらいまで行ける。
【ロボクープフードプロセッサー】
フードプロセッサーといえばクイジナートという業界屈指のメーカーがあるが、ロボクープも中々悪くない。クイジナートと同じ金額で一回り大きい容量の物が買える。性能もブレードの替えも十分満足の内容。
オリーブ材でできたカッティングボード。これ使うだけですごいおしゃれに見える最強の皿の一つ。肉でもスイーツでもパンでもチーズでもなんでもイケる。安い奴は傷つきやすいけどオリーブ材は堅くて良い感じ。
【有本葉子の鉄フライパン】
料理研究家の有本葉子のプロデュースフライパン。裏面が凸凹がついているので、普通の鉄フライパンよりもこびりつきにくくなっている。テフロンと違って使えば使うだけこなれてきて材料が張り付きにくくなるのもGOOD。最初は19センチの小さいのしか使ってなかったけど、今は27センチも購入。
合羽橋の包丁屋で勧められて購入。250番と1000番の両面砥石。水吸わせなくても研げたり、裏に滑り止めがついていたり、収納ケースがいけてたりと至れり尽くせり。完全に切れなくなった包丁は中砥だと研ぐのに恐ろしい時間がかかるので、やはり荒砥も欲しい所。仕上げ砥はなくても正直そんなに困らなかった(買ったけど使ってない)
まあ包丁は人の好き好きがでるのだけど、愛用しているのがコレ。肉の塊から野菜のみじん切りまで、なんでもこれ一本。大きい包丁は慣れるまでは怖いけど使い慣れるとホント便利。刃渡り長いって素敵。LOVE牛刀。あとグレスデンは堅いので、研いだあと切れなくなるまで結構長持ちするし欠けにくい。包丁の張り付き防止のへこみとかも良い。
【hashira-jyu エプロン】
メンズ専用のエプロンということで購入。ちょっとお高いんだけど、カッコいい。マジでカッコいい。革の縁どられた着脱式のポケットとか厨二心くすぐるヤバさ。人んちで料理する時、女性にエプロン大概褒められるので、料理婚活する人とかにもおススメ。
【エレクター】
こんなにキッチンスペース置けないよ。って、うちもそう。キッチンにすべて収納は無理なので、書斎が厨房機材置き場に改造。エレクターとか高さ変えられるので寸胴とか鍋とか収納するのに便利。埃被りやすいのでそこは注意。
包丁は牛刀と間切包丁があれば大概OK。間切包丁とは魚屋さんがつかうペティ。当然大きくない魚はこれで下ろせます。大きい奴は牛刀でおれはやっちゃう。もちろんペティとしても十分使える135mmを愛用。でも包丁って本当にどんどん欲しくなるんだよなー。
これも書くの忘れてました。1500円以下で購入できるクッキングスケールです。料理は本当に重さ計るの大事なので、これはほぼ毎回活躍します。0.5グラム単位ですが値段と性能からいったらこれで十分。
これもメーカーはぶっちゃけどこでも良いです。揚げ物、肉の中心温度、鍋の温度、ケーキの中の温度などなど色んなもの計るのに超活躍します。プロは鉄串を唇の下に当てて温度計りますが、そんなん慣れないと無理だし、いろんな料理で使うので1本欲しいです。
これもへヴィに使ってますね。メーカーどこでも良いと思います。うちのは象印だったかな。重要なのは保温機能。50度くらいから細かく設定できるのがベストです。低温ローストで温度維持したい時や、80度キープした湯銭などガスだと凄いめんどくさい事をオートでやってくれます。保温系調理機材(シャトルシェフ)もありますが、引っ張り出すの面倒なので今はIHの70~80度保温で長時間煮込みを作ってます。
【雪平鍋】
ごめんなさい。メーカーはどこのか忘れましたが、合羽橋で20センチ口径の少し広めのを使ってます。とにかく雪平はアルミ打ち出しの分厚いのがおススメ。薄い奴と違って熱の入りがとてもよくなります。ジオの行平鍋もあるんですが、日本製の雪平のほうが洗いやすくて個人的には使い勝手よいです。
これは大人数向けでやる時には超便利です。アクアパッツァ、豚の角煮などはもちろん、炊飯器だと1回で間に合わない時第二の炊飯ジャーとして活躍したりします。鋳物鍋はとにかく蓄熱が半端ないので煮込み系には良いですね。自分は圧力鍋使わない派なので、これが圧力鍋がわりとして重宝してます。
一番最近買ってよかったなと思う調理家電。3万円以下で買えるコンベクションオーブンです。デロンギ社なので製品ちゃんとしてますが、電子レンジ機能ないので置き場所確保が難しいですが、レンジのオーブン機能とは全然違います。肉を外パリ、中ジュワで仕上げたければおススメ。
(追記2)
お、色々とブクマありがとうございます。
今回はQ&A的にお返事。
ごもっともなんですが、家狭いので。蓋つきのもので、ビニール袋で包んで使うときに洗って使えば大体大丈夫だと思います。
これも言われるかなあと思ったんですが、まあ両方めっちゃ使ってるんですよね。煮た野菜系をピューレにしたい=ブレンダ―。肉系をひき肉にしたい=プロセッサーで使い分けてますが、どっちかって言われたら、ブレンダ―かなあ。
書き忘れましたが、ブコメにあるように行平鍋が最強です。1人暮らしで料理ハマる前はほぼ行平鍋1個しか鍋持ってなかったです。18センチくらいのちょっと大きめの、厚手の行平本当に便利なので最初はこれが良いかと。(上に今使ってる奴追記しました)
○エプロン何処で買えるの?
そう。俺もそうとう探しましたがPARCOの地下のクラスカで買えました。
http://shibuya.parco.jp/page2/5872/1630/
○文化包丁一本で十分
まあ、それも全然良いと思いますよ。本当に包丁は人それぞれで好みあるので、自分に合ったものを探せばよいかと。筋引きとか牛刀とかの長い包丁は使い慣れると1ストロークでたくさん切れるので、文化包丁に戻れなくなる使い心地はありますけどね。
○100均って使うの?
小物類は結構使ってます。計量カップ、計量スプーン、菜箸。ほかには、バットやボウルは沢山使いたい派なので、100均で同じ形の結構買いました。あとはタッパ。ねじ式の円柱型のやつが使い勝手良いです。あと、意外なところだとスモークのチップなんかも100均で買えるのでこれもおススメ。
○中華鍋は?
自分が中華作らないのもあるのでしょうが、全然使ってません(持ってるけど)。正直家庭の火力なら鉄フライパンでほぼ十分な気がしてます。簡易燻製器になったり、蒸し器として使うこともできるみたいですが、やったことないのでどうなんでしょうか。
○鍋はどこの使ってるの?
普段使う両手鍋はビタクラフト。寸胴はTKGの30センチ口径の半寸胴を使ってます。最近出汁をひくのに長寸胴も欲しくなってきていて、口径どうしよっかなと思案中です。
○収納どうしてるの?
調味料類は100均で鬼ほど買ってきた同じ種類の瓶につめかえてシンクしたに入れてます。余った奴は自分の部屋の棚に入れておいて切れたら詰め替えています。フライパン、レードルなどは吊るして収納。鍋類は中型以下はコンロ下。寸胴やおでん鍋とかは自分の部屋のエレクターに各種調理家電と一緒に置いてます。ボウル類やバット類は、同じものをたくさん購入。重ねて収納が基本になるので色んなメーカーに手を出さないようにしてます。
○ガスコンロなに使ってるの?
これは本当に良いもの入れたかったんですが、高火力のものは換気扇とセットで改造しないと無理と言われ、諦めました。オザキの7000kw出るものが今めちゃ欲しいのですが、キッチンリフォームしなきゃならず、賃貸では無理なので断念。
http://www.pierremarcolini.jp/
銀座店ではホワイトデーの時期になると男性客がかなり並びます。
この店はホワイトデーギリギリに買いに行くと三千円以下の商品がほとんど無くて困ります。
http://www.gateaufesta-harada.com/
チョコ系がかかってるラスク。予算内確実。お手頃ですが見栄えします。
「千疋屋」
「パティスリージャンミエ」
http://patissier.cake100.net/52.html
サクサク系のミルフィーユだったらどのお店で買ってもハズレがなくて無難。
好きなお店は→ピエールエルメパリ、パティスリーサダハルアオキパリ、アンリシャルパンティエ、マカロンが有名なラデュレ。
パティスリーグレゴリー、コスパ最高な紅茶ならディルマです。相手がある程度大人ならレストランよねむらのクッキーもいいかも。
ここまで書いた店とは関係ないけど、500円位でもパッケージが凝ってるのが多いのはアメリカ産の商品。
贈る相手が女性で食べ物以外ならハンドクリームをよく選びます。
(ロクシタンかコスメキッチンに置いてるハンドクリームならどれでも無難です。
なんか、おっさん一人で買いに行けそうもない店ばっかりの気がするが気のせい??
豚ロース(100g):2枚
塩
こしょう
小麦粉:大さじ1
パン粉:1/2カップ
油:鍋に3~4cm
卵を溶き、その半分を水大さじ1と混ぜる。
揚げ物のトレーにキッチンペーパーなどを敷く。
鍋に油をいれる。
豚肉の赤身と脂身の境に包丁を入れて筋を切る(両面。以後も両面行う)。
包丁の背などで肉を叩く・伸ばす。
塩・コショウをかるくふる。
小麦粉をつける。余計な粉ははたき落とす。
溶き卵をつける。まんべんなく。
鍋に火をつけ油を170℃くらいにする(中火)。
肉を静かに鍋へ入れる。
1~2分で裏返す。その後カツ全体がきつね色になるまで揚げる。
揚げ物のトレーで油を切る。
5~6切れに切り分けると食べやすい。
追記3/7 23:14
ソースはお好みで。
だいたい日に1、2回はエンカウントします。キッチンか洗面所、たまに玄関でこんにちはです。
何度会っても慣れませんね。
ハムスターなんかよりずっと大柄ですし、『ドタドタドタ』と大きな音を立てながら走ります。怖いです。
私「絶許」
ネズミの駆除方法をGoogle先生に聞いたところ、業務用粘着シートがベストなことが分かりました。
殺鼠剤やトムとジェリーに出てくる『バチンッ!』ってなる仕掛けはほとんど効果がないようです。
ネズミはすごく警戒心が強くて、例えば『バチンッ!』で仕留めようとするなら、まずダミーの仕掛けに餌を置いて何回か食べさせます。
そしてネズミが完全に安心しきったフェイズで本物の『バチンッ!』にすり替えるらしいです。
あと、殺鼠剤はまず食べないらしいです。
でもなぜか粘着シートは効果があるらしく、業者がネズミ駆除するときはもっぱらこれを使うといいます。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000IABPJ2?psc=1&redirect=true&ref_=oh_aui_detailpage_o05_s00
それでネズミの通り道(よく会うから覚えてる)に粘着シートを置いたら、すぐ翌日にかかりました。
シートに捕まったネズミ「チュウ……チュウ……」
私は自室で布団にくるまって震えながら、
私「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
とひたすら繰り返しておりました。
しばらくするとネズミの鳴き声は聞こえなくなりました。
翌日、シートのあった場所を確認してみると、5個設置したシートのうち1つが無くなっているではありませんか。
たぶん凶暴なルーマニア人の居住者(曙に似ている)が始末したのだと思います。
・北向き
この辺の条件がいくつか揃ってると安くなる模様。
例えばコレ。
http://www.athome.co.jp/smt/ks_12/dtl_6956815089?BKLISTID=018LAN
どこかの企業が女性向けをうたってダサピンク製品を作るなら「馬鹿だね」で済む話。
企画者は「ピンクのほうが訴求力があります」というデータでも引っ張りだしてプレゼンしたのかもしれんね。
しかし女性がどれだけピンクが好きでも、キッチンで働く女性がどれほど多くても、
ゴミの中で育った人間なものですから、掃除が元々下手なのです。妻の要求レベルが私にとっては高過ぎます。でもそれが世間では当たり前の掃除なんですよね。
仕事が終わって帰宅し、前日に掃除したのにまたゴミだらけになっている母のキッチンを掃除します。次第に惰性でこなす様になっていたのでしょうか。
飲み会だ、仕事だと自分に言い訳を重ねて放置したこともありました。
休みの日を掃除に充てざるを得なくなります。もう物が増え過ぎて収納しきれません。とりあえず退かして掃除、一箇所に積み上げておきます。「整理しておくように。休みの日まで掃除に付き合わせないでくれ。」と言いながら半日が潰れました。
かといって、私が掃除しなければ誰も掃除をしません。新築に合わせてルンバを購入しました。現在は充電器から離れられなくなっています。
十畳以上の広いリビングとカウンターキッチンです。家具が次第に増えました。二人掛けのソファ。ローテーブル。少し経つと椅子が二つ。ダイニングテーブルが二つ。椅子が八つに増えた。ローテーブルが更に二つ。仏間にもテーブルが二つです。
妻はもう我慢の限界です。
中学生の時Kという女の子と仲良くなりました。彼女は同じ小学校の出身でした。
祖母の家にも彼女の部屋がありいつも学校が終ると自分の家ではなく近くの祖母の家に帰って食事などをしていました。
彼女の部屋にはゲームやおもちゃも多く、私から見て彼女の家は裕福でした。
彼女は勉強もでき真面目で料理上手でした。お菓子も上手でいつもパティシエになるのが夢だと言っていました。
こんなにも悲しかったという話を私にしてきました。私は彼女の話を興味深く聞いていました。
そのほかにも、彼女は私が読まない科学や、生物の本を沢山読んでおり、理解は出来なかったけど、私はそれらの話を楽しんで話を聞きました。
彼女は「なかよし」をつくってその子としか遊ばないような子でした。
私はそれは嫌でしたし、ちょっと世界の狭い奴だなと思っていました。
私は彼女と仲良くなるにつれ、私が他の友達と仲良いのをあまりよく思っていないのを感じていました。
しかし、気づいていない振りをしていました。
理由は忘れましたが、彼女と大きな喧嘩をして、私は一方的に絶交宣言を受けました。
私はショックでした。理由はわかりませんが、「理不尽だ」と思っていたような気がします。ずいぶん泣いたような気がします。
一年くらい経って、彼女のほうからまた連絡が来るようになり、私たちは仲直りしました。
しかし私は、彼女にまたひどいことを言われるのではないかと、彼女と心から仲良くなるのを避けました。
具体的には、自分から連絡を絶ち自分からまたやって着た自分勝手な彼女を見下していました。
私は、彼女ははっきりと口では言わないけれど、いつも他人と自分を比べていました。
体育の時間、ペアを組むとき、彼女はお願い、私を選んで!と泣きそうな目で私に訴えていました。
しかし他の子に誘われた私はその子とペアを組みました。彼女はそう言う時、たいてい私の前では何でもないという顔をしました。
彼女から一緒にやろうよと誘われる事はありませんでした。私はそれらの事がひそかに嫌でした。
私たちはこのとき、多くの時間をともにし、二人でしか話さないような事をお互いたくさん喋りましたし、
傍目からはまるで親友のようでしたが、ほんとうに理解し、さらけ出し心から共感し合う事はなかったなと思います。
私は星空の感動を共有したくてすごいすごいと口にする彼女に、「今は風景が綺麗なんだから、黙ってれば良いのに」と思いました。
それは彼女のそういった言動が常に第三者を意識したものでありつづけるからでした。
彼女はある時言いました。「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」
私は彼女はなんてぶしつけで失礼な奴だと思いました。
しかし「へえ、そう思うの。」と
返したのみでした。私はとことん彼女と同じ土俵に上がるのを避け続けました。
Kと私は同じ高校に行きました。
そこで一年を過ごし、Kが先生に進路相談の紙を渡している場面に出くわしました。
先生は紙に書いてある文を読んで、「そうか、お前は◯◯◯になりたいのか」とKに言いました。
◯◯◯とは、ある特殊な職業で、私は◯◯◯になるのに有利な教科が得意だったため、
将来◯◯◯になるのかなあ、などとKにぼやいていました。(ただし、本当は漫画家になりたかった)
Kも昔からその教科は得意でしたが、クラスで一番、などと言われるのはいつも私でした。
Kは私に気づくと、顔を真っ赤にして、半泣きになりました。
私は、Kが私には◯◯◯になりたいと知ってほしくなかったんだと悟りました。
掃除に、悲しく、ああ、Kは、私をそんなことでKをバカにする人間だと思ったのか、
と思いました。中学の頃から、こういうことはたまにありました。
そのたび、私はいつもKに思っていました。「この人はいつも大きな勘違いをしている」と。
ある日私は、Kが友人と仲良くしているのを見て嫌な気持ちになったのを気づきました。
それは嫉妬ではありませんでした。嫉妬もあったでしょうが、もっと醜い、Kを支配しているのは私、
それなら床で這いずり回ってろという完全にKを見下した思考でした。
Kは一度「私何かした?」と聞いてきましたが、「なにもない」と答えたっきり
私は地元を離れて、自分自身が人間に対して不信感にまみれていることを知りました。
しかし、その友達というのが、自分の暗い部分を全く出してこないのです。
根っからのいい子たちでした。自分が、ジブリの世界に迷い込んでしまったような錯覚を本当に覚えました。
一番信用している友達にKの事を話すと、「え、なにその人めんどくさぁ〜い!それに真面目に答えちゃう△△ちゃんもめんどくさぁ〜い」と言われました。
最初はこの子とはそういう話が合わないんだなと思いました。しかし、色んな人と出会い、すぐに自分がマイノリティであると気づきました。
私はその時初めて、世間では「めんどくさい」と言われるものに自分は価値を見いだしていた事、
Kのめんどくささ、ほの暗さに安心感を覚えていた自分に気づきました。
しかしそれはおそらく、自意識、自我、オナニー、排泄物と呼ばれるようなものであったのだと。
ただ自分は、高見から、Kを見ているという優越感のみで、Kを心底バカにしていたのでした。
私はそれから、「めんどくさい」と何度も言われました。
同時に、色んな人と話す事で病んでいる友人が何人も出来ました。私は話を聞いているだけのつもりが、
いつの間にか仲良くなっていました。私はそれでも自分はまともだと思っていました。
病んでいない友人たちは「△△ちゃんは優しいから、そう言う人に好かれる」と言っていたからです。
そういう人と付き合うたび、Kがちらつきました。
Kはその子たち同様病んでいた、と思います。突然泣きわめいたり、不安定になって電話をかけてきたり、
親の愛に飢えている所なども同じでした。ただ私は、その子たちの話を聞いていると、
Kのときには味わえなかった、不思議な満たされる気持ちがあるのを感じました。
彼女たちは、一様に「助けてほしい」と言いました。
私は彼女たちを「素直で良い人達、でも自己が不安定で問題対処の仕方に問題がある」
と思っていました。ちなみに当時病んでいて仲の良かった人で、今でも仲いい人は一人もいません。
Kとは社会人になって再開しました。Kは、◯◯◯の職業に就いていました。
Kは夢を叶えていました。田舎から出て一人暮らしをし、業界でも有名な会社に入っていました。
私も同じ職業でしたが、その仕事に本来興味がなく、かけもちバイトのような物でした。
連絡をとったのは私でした。
嫉妬でKを独り占めしたかった。しかし、そういう思考の自分が許せなかった。
Kはあのとき私に無視され、精神が不安定になりカウンセリングに通ったことなどを伝えてきました。
しかしいまはKは現在年上の彼氏がいること、その彼氏と同じマンションで半同棲で済んでいること、
私は心からKによかった。おめでとうと伝えました。
私はKとは、離れていれば仲良くできるのかもしれないと思いました。
長く、細く、でもいお互いたくさんの面を見てきた友達として、もしかしたらいれるのかもしれないなと考えました。
Kはそこで仕事でやった成果を全員の前で披露しはじめました。
いまの会社がいかに大きいか、そこの最終面接で社長に気に入られたこと、会社でも変わった子だねえと愛されていること、
Kは目標なく仕事をしている同僚、かつてのクラスメイトをバカにしていました。
「私は理解できないんですよ、仕事は楽しくやったほうがいいのに、忙しいとか寝られないとか、愚痴りながらうだうだしてるんだって、無駄じゃないですか?ほんと信じられないんですよね」
Kがキッチンで私の母に言っているのを見ました。
母がよそ向きの顔で、「ほんと、そのとおりよねえ」と言っているのを見て、
kはありかわらず勘違いをしているんだなあいうぼんやりした思考とともに、
私は自分がみじめで、恥ずかしいような気持ちになりました。
Kの言っていることは正しいと感じました。できるからという理由でいまの仕事を選んだ自分は間違っているといわれたようでした。
それからしばらくは、Kのことを考えるだけで胸が締め付けられました。
私はこういう感情は嫉妬でしかなく、無駄でしかないと信じ、仕事に打ち込みました。
そっちはいまどうなの?という内容でした。
私はいつも相変わらずワンマン社長にこき使われてる、そっちも大変だね、そんなふうに返していました。
メールの内容は久しぶり、いまなんの仕事してるの?ていうかどこに住んでるの?という内容でした。
「その友達のこと、好きなの?」
思いがけない質問でした。
Kのことは好きでした。たくさんの面白い話をしてくれる友達でした。
感情がころころとかわってひょうきんな面もありました。大笑いすることもたくさんありました。
でも、嫌いな面もありました。
2人でいうととても素直なのに、
3人になると2人で私の意見を批判したり、なぜかなんとなく私を1人にするところ。
人を無意識に格付けしているところ。
本当は人を信用できていないところ。
私はなんにも言えずに泣いてしまいました。
病んでいる子たちは、私を求めてきました。
なので私も、その子たちに同じ分だけ求めることができました。
Kも同じでした。Kは私に自分を開示してきました。なので私は楽でした。
しかしKと話すと、いつもどこかでこの人は綺麗な言葉だけを並べているのだと思っていました。
ほんとうは、がんばっていない自分には価値がないと感じているのだと。
小学生の時からKが一人で料理を作り、仕事の遅い母親をごちそうでもてなし、母親の浮気現場を見て、
年に一回帰ってくる父親とどんな話をし、Kの家のリビングにはコントローラーがひとつしかない最新のゲーム達と。
祖母宅に住んでいる自分の叔父が好きだと恥ずかしそうに言っていた小学生のKと、
私が中学生の時大きな声で母親にあそびにいくから500えんちょうだーいと言ったら外で待っていたKに「おっきな声、聞こえていたよ」と言われ
「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」と続けたKと。
私にある日泣きながら電話してきてめちゃくちゃなことをわめきながら勝手に切るのでむかついて電話して怒鳴って切りかえした私。
Kについて。
中学生の時Kという女の子と仲良くなりました。彼女は同じ小学校の出身でした。
祖母の家にも彼女の部屋がありいつも学校が終ると自分の家ではなく近くの祖母の家に帰って食事をしていました。
彼女は勉強もでき真面目で料理上手でした。お菓子も上手でいつもパティシエになるのが夢だと言っていました。
こんなにも悲しかったという話を私にしてきました。私は彼女の話を興味深く聞いていました。
実際、彼女は私が読まない科学や、生物の本を沢山読んでおり、理解は出来なかったけど、それらの話を楽しんで話を聞きました。
彼女は「なかよし」をつくってその子としか遊ばないような子でした。
私はそれは嫌でしたし、世界の狭い奴だなと思っていました。
私は彼女と仲良くなるにつれ、私が他の友達と仲良いのをあまりよく思っていないのを感じていました。
しかし、気づいていない振りをしていました。
理由は忘れましたが、彼女と大きな喧嘩をして、私は一方的に絶好宣言を受けました。
私はショックでした。理由はわかりませんが、「理不尽だ」と思っていたような気がします。ずいぶん泣いたような気がします。
一年くらい経って、彼女のほうからまた連絡が来るようになり、私たちは仲直りしました。
しかし私は、彼女にまたひどいことを言われるのではないかと、彼女と心から仲良くなるのを避けました。
具体的には、自分から連絡を絶ち自分からまたやって着た自分勝手な彼女を見下していました。
私は、彼女ははっきりと口では言わないけれど、いつも他人と自分を比べているのを感じていました。
なぜなら、彼女と話すと、他人とのほほんと仲良くしているだけのそのままの自分では恥ずかしいような、
頑張らなくてはならないような、けれど本当のほんとうの自分の心は誰にも言えない、そのような気持ちになりました。
私はここで、人間関係における鏡の性質というものを身をもって知りました。
私たちはこのとき、二人でしか話さないような事をお互いたくさん喋りましたし、
傍目からはまるで親友のようでしたが、自分が彼女に、そして彼女も私の弱い部分をさらけ出す事も、心から共感し合う事もなかったなと思います。
私は星空の感動を共有したくてすごいすごいと口にする彼女に、「黙ってれば良いのに」と思いました。
それは彼女のそういった言動が常に第三者を意識したものでありつづけるからでした。
彼女はある時言いました。「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」
私は彼女はなんてぶしつけで失礼な奴だと思いました。
しかし「へえ、そう思うの。」と
返したのみでした。私はとことん彼女と同じ土俵に上がるのを避け続けました。
Kと私は同じ高校に行きました。
そこで一年を過ごし、Kが先生に進路相談の紙を渡している場面に出くわしました。
先生は紙に書いてある文を読んで、「そうか、お前は◯◯◯になりたいのか」とKに言いました。
◯◯◯とは、ある特殊な職業で、私は◯◯◯になるのに有利な教科が得意だったため、
将来◯◯◯になるのかなあ、などとKにぼやいていました。(ただし、本当は漫画家になりたかった)
Kも昔からその教科は得意でしたが、クラスで一番、などと言われるのはいつも私でした。
Kは私に気づくと、顔を真っ赤にして、半泣きになりました。
私は、Kが私には◯◯◯になりたいと知ってほしくなかったんだと悟りました。
掃除に、悲しく、ああ、Kは、私をそんなことでKをバカにする人間だと思ったのか、
と思いました。中学の頃から、こういうことはたまにありました。
そのたび、私はいつもKに思っていました。「この人はいつも大きな勘違いをしている」と。
ある日私は、Kが友人と仲良くしているのを見て嫌な気持ちになったのを気づきました。
それは嫉妬ではありませんでした。嫉妬もあったでしょうが、もっと醜い、お前は一人でいろよ。自由に友人を作るなんて許さない、
それなら床で這いずり回ってろという完全にKを見下した思考でした。
Kは一度「私何かした?」と聞いてきましたが、「なにもない」と答えたっきり
私は地元を離れて、自分自身が人間に対して不信感にまみれていることを知りました。
しかし、その友達というのが、自分の暗い部分を全く出してこないのです。
根っからのいい子たちでした。自分が、ジブリの世界に迷い込んでしまったような錯覚を本当に覚えました。
一番信用している友達にKの事を話すと、「え、なにその人めんどくさぁ〜い!それに真面目に答えちゃう△△ちゃんもめんどくさぁ〜い」と言われました。
最初はこの子とはそういう話が合わないんだなと思いました。しかし、色んな人と出会い、すぐに自分がマイノリティであると気づきました。
私はその時初めて、世間では「めんどくさい」と言われるものに自分は価値を見いだしていた事、
Kのめんどくささ、ほの暗さに安心感を覚えていた自分に気づきました。
しかしそれはおそらく、自意識、自我、オナニー、排泄物と呼ばれるようなものであったのだと。
ただ自分は、高見から、Kを見ているという優越感のみで、Kを心底バカにしていたのでした。
私はそれから、「めんどくさい」と何度も言われました。
二面性がある、思っていた性格と違う、とも言われました。でも仲良くなった人にはなるべく思った事を言うようにしました。
普段本音を言わない分それが本当の自分だと思っていたので、自分をさらけ出してめんどくさいと言われるのは恐怖でした、
ただ、自分は自分が思っていた以上に顔や態度に出るタイプでした。
ずっと言えなかったと思っていた事を言うと「知ってる」「だと思った」と言われることもありました。
同時に、病んでいる友人が何人も出来ました。私は話を聞いているだけのつもりが、
いつの間にか仲良くなっていました。私はそれでも自分はまともだと思っていました。
病んでいない友人たちは「△△ちゃんは優しいから、そう言う人に好かれる」と言っていたからです。
そういう人と付き合うたび、Kがちらつきました。
Kはその子たち同様病んでいた、と思います。突然泣きわめいたり、不安定になって電話をかけてきたり、
親の愛に飢えている所なども同じでした。ただ私は、その子たちの話を聞いていると、
Kのときには味わえなかった、不思議な満たされる気持ちがあるのを感じました。
彼女たちは、一様に「助けてほしい」と言いました。私に。
私は彼女たちを「素直で良い人達、でも自己が不安定で問題対処の仕方に問題がある」
と思っていました。ちなみに当時病んでいて仲の良かった人で、今でも仲いい人は一人もいません。
Kとは社会人になって再開しました。Kは、◯◯◯の職業に就いていました。
Kは夢を叶えていました。田舎から出て一人暮らしをし、業界でも有名な会社に入っていました。
私も同じ職業でしたが、その仕事に本来興味がなく、かけもちバイトのような物でした。
連絡をとったのは私でした。
嫉妬でKを独り占めしたかった。しかし、そういう思考の自分が許せなかった。
Kはあのとき私に無視され、精神が不安定になりカウンセリングに通ったことなどを伝えてきました。
しかしいまはKは現在年上の彼氏がいること、その彼氏と同じマンションで半同棲で済んでいること、
私は心からKによかった。おめでとうと伝えました。
私はKとは、離れていれば仲良くできるのかもしれないと思いました。
長く、細く、でもいお互いたくさんの面を見てきた友達として、もしかしたらいれるのかもしれないなと考えました。
Kはそこで仕事でやった成果を全員の前で披露しはじめました。
いまの会社がいかに大きいか、そこの最終面接で社長に気に入られたこと、会社でも変わった子だねえと愛されていること、
Kは目標なく仕事をしている同僚、かつてのクラスメイトをバカにしていました。
「私は理解できないんですよ、仕事は楽しくやったほうがいいのに、忙しいとか寝られないとか、愚痴りながらうだうだしてるんだって、無駄じゃないですか?ほんと信じられないんですよね」
Kがキッチンで私の母に言っているのを見ました。
母がよそ向きの顔で、「ほんと、そのとおりよねえ」と言っているのを見て、
kはありかわらず勘違いをしているんだなあいうぼんやりした思考とともに、
私は自分がみじめで、恥ずかしいような気持ちになりました。
Kの言っていることは正しいと感じました。できるからという理由でいまの仕事を選んだ自分は間違っているといわれたようでした。
それからしばらくは、Kのことを考えるだけで胸が締め付けられました。
私はこういう感情は嫉妬でしかなく、無駄でしかないと信じ、仕事に打ち込みました。
そっちはいまどうなの?という内容でした。
私はいつも相変わらずワンマン社長にこき使われてる、そっちも大変だね、そんなふうに返していました。
メールの内容は久しぶり、いまなんの仕事してるの?ていうかどこに住んでるの?という内容でした。
「その友達のこと、好きなの?」
思いがけない質問でした。
Kのことは好きでした。たくさんの面白い話をしてくれる友達でした。
感情がころころとかわってひょうきんな面もありました。大笑いすることもたくさんありました。
でも、嫌いな面もありました。
2人でいうととても素直なのに、
3人になると2人で私の意見を批判したり、なぜかなんとなく私を1人にするところ。
人を無意識に格付けしているところ。
本当は人を信用できていないところ。
私はなんにも言えずに泣いてしまいました。
親元を離れて、自分は相手の空気を読んで相手と同じ態度をとっているのだと気づいたときがありました。
相手が心をひらけばそれだけの、相手が心を閉ざせばそれだけの、
鏡ともいえる受け身の人間関係を築いてきたのでした。
病んでいる子たちは、私を求めてきました。
なので私も、その子たちに同じ分だけ求めることができました。
Kも同じでした。Kは私に自分を開示してきました。なので私は楽でした。
小学生の時からKが一人で料理を作り、仕事の遅い母親をごちそうでもてなし、母親の浮気現場を見て、
年に一回帰ってくる父親とどんな話をし、Kの家のリビングにはコントローラーがひとつしかない最新のゲーム達と。
祖母宅に住んでいる自分の叔父が好きだと恥ずかしそうに言っていた小学生のKと、
私が中学生の時大きな声で母親にあそびにいくから500えんちょうだーいと言ったら外で待っていたKに「おっきな声、聞こえていたよ」と言われ
「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」と続けたKと。
私にある日泣きながら電話してきてめちゃくちゃなことをわめきながら勝手に切るのでむかついて電話して怒鳴って切りかえした私。
Kについて。
中学生の時Kという女の子と仲良くなりました。彼女は同じ小学校の出身でした。
祖母の家にも彼女の部屋がありいつも学校が終ると自分の家ではなく近くの祖母の家に帰って食事をしていました。
彼女は勉強もでき真面目で料理上手でした。お菓子も上手でいつもパティシエになるのが夢だと言っていました。
彼女は今思えば寂しかったのでしょうか。彼女は自分がこんなにもがんばった、こんなにもうれしかった、
こんなにも悲しかったという話を私にしてきました。私は彼女の話を興味深く聞いていました。
実際、彼女は私が読まない科学や、生物の本を沢山読んでおり、理解は出来なかったけど、それらの話を楽しんで話を聞きました。
彼女は「なかよし」をつくってその子としか遊ばないような子でした。
私はそれは嫌でしたし、世界の狭い奴だなと思っていました。
私は彼女と仲良くなるにつれ、私が他の友達と仲良いのをあまりよく思っていないのを感じていました。
しかし、気づいていない振りをしていました。
理由は忘れましたが、彼女と大きな喧嘩をして、私は一方的に絶好宣言を受けました。
私はショックでした。理由はわかりませんが、「理不尽だ」と思っていたような気がします。ずいぶん泣いたような気がします。
一年くらい経って、彼女のほうからまた連絡が来るようになり、私たちは仲直りしました。
しかし私は、彼女にまたひどいことを言われるのではないかと、彼女と心から仲良くなるのを避けました。
具体的には、自分から連絡を絶ち自分からまたやって着た自分勝手な彼女を見下していました。
私は、彼女ははっきりと口では言わないけれど、いつも他人と自分を比べているのを感じていました。
なぜなら、彼女と話すと、他人とのほほんと仲良くしているだけのそのままの自分では恥ずかしいような、
頑張らなくてはならないような、けれど本当のほんとうの自分の心は誰にも言えない、そのような気持ちになりました。
私はここで、人間関係における鏡の性質というものを身をもって知りました。
私たちはこのとき、二人でしか話さないような事をお互いたくさん喋りましたし、
傍目からはまるで親友のようでしたが、自分が彼女に、そして彼女も私の弱い部分をさらけ出す事も、心から共感し合う事もなかったなと思います。
私は星空の感動を共有したくてすごいすごいと口にする彼女に、「黙ってれば良いのに」と思いました。
それは彼女のそういった言動が常に第三者を意識したものでありつづけるからでした。
彼女はある時言いました。「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」
私は彼女はなんてぶしつけで失礼な奴だと思いました。
しかし「へえ、そう思うの。」と
返したのみでした。私はとことん彼女と同じ土俵に上がるのを避け続けました。
Kと私は同じ高校に行きました。
そこで一年を過ごし、Kが先生に進路相談の紙を渡している場面に出くわしました。
先生は紙に書いてある文を読んで、「そうか、お前は◯◯◯になりたいのか」とKに言いました。
◯◯◯とは、ある特殊な職業で、私は◯◯◯になるのに有利な教科が得意だったため、
将来◯◯◯になるのかなあ、などとKにぼやいていました。(ただし、本当は漫画家になりたかった)
Kも昔からその教科は得意でしたが、クラスで一番、などと言われるのはいつも私でした。
Kは私に気づくと、顔を真っ赤にして、半泣きになりました。
私は、Kが私には◯◯◯になりたいと知ってほしくなかったんだと悟りました。
掃除に、悲しく、ああ、Kは、私をそんなことでKをバカにする人間だと思ったのか、
と思いました。中学の頃から、こういうことはたまにありました。
そのたび、私はいつもKに思っていました。「この人はいつも大きな勘違いをしている」と。
ある日私は、Kが友人と仲良くしているのを見て嫌な気持ちになったのを気づきました。
それは嫉妬ではありませんでした。嫉妬もあったでしょうが、もっと醜い、お前は一人でいろよ。自由に友人を作るなんて許さない、
それなら床で這いずり回ってろという完全にKを見下した思考でした。
Kは一度「私何かした?」と聞いてきましたが、「なにもない」と答えたっきり
私は地元を離れて、自分自身が人間に対して不信感にまみれていることを知りました。
しかし、その友達というのが、自分の暗い部分を全く出してこないのです。
根っからのいい子たちでした。自分が、ジブリの世界に迷い込んでしまったような錯覚を本当に覚えました。
一番信用している友達にKの事を話すと、「え、なにその人めんどくさぁ〜い!それに真面目に答えちゃう△△ちゃんもめんどくさぁ〜い」と言われました。
最初はこの子とはそういう話が合わないんだなと思いました。しかし、色んな人と出会い、すぐに自分がマイノリティであると気づきました。
私はその時初めて、世間では「めんどくさい」と言われるものに自分は価値を見いだしていた事、
Kのめんどくささ、ほの暗さに安心感を覚えていた自分に気づきました。
しかしそれはおそらく、自意識、自我、オナニー、排泄物と呼ばれるようなものであったのだと。
ただ自分は、高見から、Kを見ているという優越感のみで、Kを心底バカにしていたのでした。
私はそれから、「めんどくさい」と何度も言われました。
二面性がある、思っていた性格と違う、とも言われました。でも仲良くなった人にはなるべく思った事を言うようにしました。
普段本音を言わない分それが本当の自分だと思っていたので、自分をさらけ出してめんどくさいと言われるのは恐怖でした、
ただ、自分は自分が思っていた以上に顔や態度に出るタイプでした。
ずっと言えなかったと思っていた事を言うと「知ってる」「だと思った」と言われることもありました。
同時に、病んでいる友人が何人も出来ました。私は話を聞いているだけのつもりが、
いつの間にか仲良くなっていました。私はそれでも自分はまともだと思っていました。
病んでいない友人たちは「△△ちゃんは優しいから、そう言う人に好かれる」と言っていたからです。
そういう人と付き合うたび、Kがちらつきました。
Kはその子たち同様病んでいた、と思います。突然泣きわめいたり、不安定になって電話をかけてきたり、
親の愛に飢えている所なども同じでした。ただ私は、その子たちの話を聞いていると、
Kのときには味わえなかった、不思議な満たされる気持ちがあるのを感じました。
彼女たちは、一様に「助けてほしい」と言いました。私に。
私は彼女たちを「素直で良い人達、でも自己が不安定で問題対処の仕方に問題がある」
と思っていました。ちなみに当時病んでいて仲の良かった人で、今でも仲いい人は一人もいません。
Kとは社会人になって再開しました。Kは、◯◯◯の職業に就いていました。
Kは夢を叶えていました。田舎から出て一人暮らしをし、業界でも有名な会社に入っていました。
私も同じ職業でしたが、その仕事に本来興味がなく、かけもちバイトのような物でした。
連絡をとったのは私でした。
嫉妬でKを独り占めしたかった。しかし、そういう思考の自分が許せなかった。
Kはあのとき私に無視され、精神が不安定になりカウンセリングに通ったことなどを伝えてきました。
しかしいまはKは現在年上の彼氏がいること、その彼氏と同じマンションで半同棲で済んでいること、
私は心からKによかった。おめでとうと伝えました。
私はKとは、離れていれば仲良くできるのかもしれないと思いました。
長く、細く、でもいお互いたくさんの面を見てきた友達として、もしかしたらいれるのかもしれないなと考えました。
Kはそこで仕事でやった成果を全員の前で披露しはじめました。
いまの会社がいかに大きいか、そこの最終面接で社長に気に入られたこと、会社でも変わった子だねえと愛されていること、
Kは目標なく仕事をしている同僚、かつてのクラスメイトをバカにしていました。
「私は理解できないんですよ、仕事は楽しくやったほうがいいのに、忙しいとか寝られないとか、愚痴りながらうだうだしてるんだって、無駄じゃないですか?ほんと信じられないんですよね」
Kがキッチンで私の母に言っているのを見ました。
母がよそ向きの顔で、「ほんと、そのとおりよねえ」と言っているのを見て、
kはありかわらず勘違いをしているんだなあいうぼんやりした思考とともに、
私は自分がみじめで、恥ずかしいような気持ちになりました。
Kの言っていることは正しいと感じました。できるからという理由でいまの仕事を選んだ自分は間違っているといわれたようでした。
それからしばらくは、Kのことを考えるだけで胸が締め付けられました。
私はこういう感情は嫉妬でしかなく、無駄でしかないと信じ、仕事に打ち込みました。
そっちはいまどうなの?という内容でした。
私はいつも相変わらずワンマン社長にこき使われてる、そっちも大変だね、そんなふうに返していました。
メールの内容は久しぶり、いまなんの仕事してるの?ていうかどこに住んでるの?という内容でした。
「その友達のこと、好きなの?」
思いがけない質問でした。
Kのことは好きでした。たくさんの面白い話をしてくれる友達でした。
感情がころころとかわってひょうきんな面もありました。大笑いすることもたくさんありました。
でも、嫌いな面もありました。
2人でいうととても素直なのに、
3人になると2人で私の意見を批判したり、なぜかなんとなく私を1人にするところ。
人を無意識に格付けしているところ。
本当は人を信用できていないところ。
私はなんにも言えずに泣いてしまいました。
親元を離れて、自分は相手の空気を読んで相手と同じ態度をとっているのだと気づいたときがありました。
相手が心をひらけばそれだけの、相手が心を閉ざせばそれだけの、
鏡ともいえる受け身の人間関係を築いてきたのでした。
病んでいる子たちは、私を求めてきました。
なので私も、その子たちに同じ分だけ求めることができました。
Kも同じでした。Kは私に自分を開示してきました。なので私は楽でした。
小学生の時からKが一人で料理を作り、仕事の遅い母親をごちそうでもてなし、母親の浮気現場を見て、
年に一回帰ってくる父親とどんな話をし、Kの家のリビングにはコントローラーがひとつしかない最新のゲーム達と。
祖母宅に住んでいる自分の叔父が好きだと恥ずかしそうに言っていた小学生のKと、
私が中学生の時大きな声で母親にあそびにいくから500えんちょうだーいと言ったら外で待っていたKに「おっきな声、聞こえていたよ」と言われ
「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」と続けたKと。
私にある日泣きながら電話してきてめちゃくちゃなことをわめきながら勝手に切るのでむかついて電話して怒鳴って切りかえした私。
Kについて。