はてなキーワード: のどかとは
去年は池袋で桜を眺め、来年の自分はどこにいるか考えながら、ぼんやり米をほうばっていた。
それがまさか在宅勤務になって、マンションの桜を見ながら弁当を食べてるとは思わなかった。
マンションの桜はいつも子供が遊んでいる広場に咲いていてやや近寄り難く、いつも気がついたら散っている存在だった。
在宅勤務の昼休憩は12時からと決まっている。チャットで休憩に入りますと伝えるのもルール。
いつもの弁当箱じゃなくて、洗いやすいタッパーに米と昨日の残りの春巻きと卵焼きだけつめて階段を降りると、マンションの広場にはそこそこ人がいた。みんなそれなりの距離を保っている。
同年代の夫婦はシートを敷いてお弁当を広げ、老夫婦はベンチに座ってパンを食べて、子供と母親はサッカーをしていた。
わたしも空いていたベンチに座って、秒で作った雑弁当を食べ始めた。見た目は最悪だけど美味しい。
こんな真っ昼間から、後ろめたさもなく、堂々と当たり前にマンションの敷地内にいるのに不思議な気持ちになった。
桜を楽しみながらタッパーの中身を食べて、お茶を忘れたことに気がついて部屋に戻った。
さっきまでいた広場を見下ろすと、サッカーをしていた子供と母親の輪に父親が増えていた。平日の昼間から家族3人でサッカー。父親も在宅勤務で昼休みなのだろうか。いい光景だ。
少し昼寝をして、チャットで戻りましたと言ってまた仕事に取り掛かった。
在宅勤務になってパワハラめいてる上司への緊張と萎縮がなくなった。画面に資料が映ると声だけになって圧が減る。バンバンと机を叩くマウスの音が聞こえないから資料に集中できる。資料が映ってない時は上司のウインドウを小さくしてしまえばよかった。小さい画面の中で動く上司はいかつい顔をしていても怖くない。愉快。
仕事が終わった後は、凝り固まった体をどうにかしたくて、そして少しでも運動不足が解消されるように沢山の家事をする。
食器を洗い、ご飯を作り、ルンバとクイックルワイパーかけて、洗濯とトイレ掃除をする。
今まで平日夜に家事をすることなんてほとんどなかった。かろうじて弁当箱だけ洗って他は放置していた。
ご飯を作り出すと匂いにつられたパートナーが、休憩がてら部屋から出てくる。
一緒にごはんを作ったり、やることがなければ他の家事をしてくれる。
パートナーは週の半分は会社に泊まり、もう半分は終電という働き方をしている激務の人だった。平日はおろか、土日でも会えない期間があった。
それが4月になった途端、突然今までの倍以上の時間を一緒に過ごせるようになった。
昨日は引っ越し2年目にしてはじめて魚を焼いた。魚焼きグリルの使い方がわからなくて二人で調べながら頑張った。
冷蔵庫をあけて食材がぎっしり詰まってる光景もはじめてでわくわくする。今まではコンビニかマクドか外食だった。
パートナーの集中力が切れて深夜休憩にはいるタイミングで、少し歩いて二人でスーパーに行く。
年末に買った米3キロがようやく無くなった。元々少なくなってたけど毎日食べてるとあっという間で驚いた。
肉や野菜をエコバッグに詰める。腐らすことなく干からびさせることなく使い切れる確信を持てて嬉しい。満ち足りた気持ちで帰り道を歩いた。米は重いから交代で持って、Amazon使えばよかったのになんで買ったんだと笑った。多分ふたりともこの非日常に浮かれていた。
すっかりコートのいらない気温になっている。
夜桜が綺麗だった。
月も霞がかって風情があった。自然の美しさをそのまめ受け止められる心の余裕がある。
夜桜を見上げながらずっとこんな生活をしてみたかったと気がついた。
夢が叶った気分でいる。
実際に似たような生活をしていた期間もあったけど、それは無職の時はだった。焦燥感と自罰感情で自暴自棄だった。
ていねいな生活ってこういうのを言うのかな。心のゆとりをもって生活する日々がこんなに幸せなんて知らなかった。
状況が悪化したら心のゆとりなんて無くなるかもしれない。自分や大切な人が死ぬかもしれない、この局面を乗り越えても不況がきて失業するかもしれない。
朝は千葉、夜は横浜みたいな日もあるのに、移動時間は時給が出なくてキツかった
でも凄くやりがいを感じていて、辛かったけど毎日楽しかったしその仕事が本当に大好きだった
振り返れば完全に洗脳されてたけど、その時のことはみんないい思い出だと今でも思う
さすがに驚いたけど洗脳されてるから「仕方ないな」って遠方手当ての1000円握り締めて長距離バスに乗った
話したことない先輩と2人で
勤務地までは車で20分くらいのところで、交通手段が他にないのでタクシーを使っていいと事務所から言われていた
これは滅多にないこと
「あ〜、そこには行けないな、今日は祭りだから道路が塞がってる」といわれた
今思えばよくわからないけど、
とにかく車ではそこにいけないと言われた
えー、どうするんだろ、とか他人事みたいに先輩と運転手のやりとりを聞いていたら、先輩がこちらを向いて
と言った
駅の近くに凄く長い坂道があって、その両脇に出店が並んでる
ここが件の通れない道路らしい
道路の真ん中に点々とキャンプファイアーみたいな火がともってて、
褌の男の人たちがなにやら騒いでた
浴衣の女の子や楽しそうな親子連れ、太鼓の音と燃える火が幻想的だった
その長い坂道を人の隙間を縫って全力で走った、スーツにパンプスで
辛かった…
「私たちなにやってんだろ!?」って一瞬洗脳が解けた先輩が笑い出して、2人で笑いながら走った
それより先はGoogleマップにもちゃんと表記されなくて、私たちは迷子になった
もう陽も落ちて暗い中を延々歩いた
サイレンみたいな古い民家が点々とあって怖かった
でも私たちは「入り時間をとっくに過ぎてしまった」ということで頭がいっぱいだった
どうやって着いたかはもう覚えてないけど、なんとか現地に着いた
出してくれた夕食を食べて用意された部屋に布団を敷いた
でも私の携帯は滅多に鳴らないし、今日が終わったことの安心感で携帯を見ようとも思わずすぐ眠りについた
昨日はサイレンみたいだと思ったけど、森の朝の空気は気持ち良くて、すごく清々しかった
大変だったけどいい日だったな〜って先輩と歩いた
タクシー使えばいいのに、その案すら出なかった
森を出たところで先輩が「主人から電話きてたの出れなくて不安にさせちゃったっぽい」と携帯みて笑った
びっっくりした
着信がもう、何十件も入ってて、見たことないくらいメールが来てた
足が止まった
少し怖くなった
声をかける先輩に「いや…なんかたくさん着信きてて…」と返した
先輩が「だよね〜、圏外なんて思わなかった。そうとわかってれば先に…」
気づいたらしゃがみこんで動けなくなってた
しゃがんだとも思ってなかった
「え!どうしたの?」と駆け寄ってくれた優しい先輩
私は人に自分の趣味とか、個人的な話をするのが苦手で、聞かれるといつも「特に」とか「別に」とか言ってしまうタイプ
でもその時はもう口からスルスルって、そんなのいわれてもしょうがないってわかってるのに言葉が出てた
「なんか…大好きなバンドのボーカルが死んじゃったっぽいです…」って
約10年、ずっと
こんな時になんで電話でないの!!
電話出ないし鳶死んじゃったしどうしようなんでって眠れなかった。
なんで電話出ないの、
鳶死んじゃったんだよ…」
ってどんどん泣いちゃって、わたしも泣いた
ここがどこでなにをしていたかも忘れて
先輩は駅までずっとそのバンドの話を聞いてくれた
誰1人ともすれ違わなかった気すらする
先輩は、そのあとすぐ辞めてしまったけど、顔もフルネームも、旦那さんの仕事のこともすべて覚えてる
ほんとに優しい人だった
先輩ありがとう
帰りのバスに乗ったら「窓際座りなよ」って言ってくれた
「音楽聴きなよ」って
みんなほんとにいい曲だった
この日のこと一生忘れないなって思った
結局、そんなことがあったのに洗脳は解けなくて、そのあとも4年くらい勤めてた
私がその町に行ったのも、圏外になる場所に泊まったのも、それが最初で最後
よりによってなんでこの日にって本当に思う
そのバンドのこと、ボーカルのこと、言葉にしたいけど、その日あったことだけ思い出して書いた
辛かったけど、忘れられない
10年くらい前僕が大学生の頃、チャットをしていてクロさんというとある職業の20代の女性と知り合って、メールを度々交わす仲になった
彼女は既婚者で、いつもどこか寂しそうな話し方をしていて、僕は当時抱えていた若者にありがちな孤独感や虚無感をよく彼女に打ち明けていた
彼女は当時の僕の苦悩を理解してくれていて、僕もまた彼女の孤独を理解出来ていたと思う
要は僕は恋をしていた
彼女が自宅の窓から撮ったのどかな風景の写真から、自宅アパートを特定したくらい恋をしていた
しかし最初は頻繁にしていたメールのやり取りも、時が経つにつれ減っていき、もう最後にメールした時期さえも忘れてしまった
僕は二十代前半を生きるのに僕なりに必死で、彼女の事なんて殆ど忘れてしまっていたのだ
色々あって僕は彼女と全く同じ職業に就き、落ち着いた頃、久しぶりに彼女の事を思い出した
久々に彼女と話し、伝えたいことが沢山あった
僕の人生は今のところ大丈夫なことや、同じ仕事についたからこそ話せること
そう思って数年前から当時使っていたYahooIDを開こうとしてるのだが、パスワードを忘れてしまい開かない
サービスや商品のあらゆる価格改定をtoCtoB関わらず紹介するチャンネル。
無背景にゴシックフォントで改定前と改定後の価格を羅列するだけの朴訥な動画を毎日投稿する。
誰のためになぜ作ったかが謎だが、その情報は非常に正確で即時性が高く
登録者が2,000人を突破してからは有志が英語の字幕をつけたことがきっかけで海外からの視聴者が増え、チャンネルの情報の新しさを評価する「Up-to-date」というコメントがファンの間で流行るなど
しかし、ある日内容が酷似しているブログを視聴者が発見しパクリであることがばれてしまい低評価率が95%を超えてしまったが
そのブログは実在せず、また価格改定チャンネルも架空のチャンネルであるため
35歳の主婦が、毎日あった些細な幸せをしゃべるいわゆるvlogスタイルを取るチャンネル。
どこからとったのかわからない三拍子のボサノヴァのBGMとともにスーパーの鮭が安くて家計が得したことや、2歳の子供がはじめて「言霊」という言葉を喋ったなど無邪気に話すのどかなチャンネルだが
後半は大泣きしながら自分の結婚生活はそれでも幸せであると主張する、
編集はほとんど手がかかっていないように見えるが、毎回20分丁度の動画のうち
愚痴パートを寸分狂いなく19分に収めるというこだわりがある。
なぜならハッピーチャンネル自体が架空のチャンネルだからである。
3.ダッシュ
カメラを地べたに置き、アングルも何故か真横なため、15秒の動画のうち投稿者が映っているのは序盤のわずかコンマ数秒、それも靴だけである。
何を伝えたいのかがわからないが、徐々に遠ざかる足音が彼の真剣な走りを伝えてくれる。
一時期twitterで紹介され、変わらない足音を「ASMR」として楽しむ猛者が現れ一時期登録者が500人を突破するまでになったが
マイクを使い、一眼レフで高画質な映像で走っている姿を投稿する「足音チャンネル」が突如出現し
ファンを根こそぎ取られる。
靴を変えたり、別アングル動画も投稿するなど工夫を重ね根強い人気を獲得し2万人の登録者を得るまでになりその差はもう取り戻せなくなってしまったが
「足音ASMR」のジャンルを意図せず切り開いた彼の功績はYou Tubeに新たな一石を投じたと言えるようにみえて、すべて架空のチャンネルであり
工場は高卒あがりばかりで、こういっちゃアレだが、自分の学歴からするとかなり格下の会社に入ったと思う。
人事的には数年現場も経験させて管理職ってプランだったんだと思う。
ネジしめたり掃除したりする単調な日々のなか、ある時60過ぎの再雇用の人から統計の手ほどきを受けた。
専門家からしたら子供の遊びみたいな簡単なものだが、不思議とスラスラと頭に入った。
一緒に習った数人のなかで、ドロップアウトしなかったのは自分だけだった。
自分だって数学なんか好きじゃなかったが、世の中の人は数式が苦手らしい。
ネジの長さやら瓶の重さみたいな単調なデータでも、解析すれば次から次へと新しい発見があった。
自分に統計を教えてくれた人は、統計は使えても、パソコンが並の老人よりマシ程度のスキルだったので、紙の記録からせこせこエクセルに手打ちで入力して、都度せこせこと式を立ててというスタイルだったので、自分だけが機械から出力されたcsvファイルからスイスイと統計解析できた。
仮説をたてて、データぶっこぬいて、統計量をだして、分布表にあててp値を出す、それだけのことが世の中の人はなかなか出来ない。
世の中の人のほとんどは、プログラミングはおろかエクセルもろくに使えない。配列数式くらいで部署で1番になれる。
あの頃は天狗だった。
そのうち現場を離れることが多くなり、法律を読んだり役所にだすお堅い書類を作らされたりさせられた。
世の中の人の半分くらいは、法律みたいな少し堅苦しい文章になるだけで、日本語の文章を読むことすらできないようで、その手の仕事でも重宝されるようになった。
そうこうしてるうちに、かなり大きな会社に買収された。
上司は親会社からの出向組で占められ、ここから出世は難しそうだなあと思い始めた矢先、人間関係のトラブルで会社を辞めた。
しかし、今度は大卒、しかも修士とか博士ばかりで、びっくりした。
ここでは大半の人よりも自分のほうが手が早いし、数字のハンドリングも、ITスキルも役所とのやりとりも出来る。
手先が器用で、サイエンスな文章を理解できて、数式を理解出来て、法律文書を理解できて、クラシックな統計解析が出来て、データベース操作と簡単なプログラミングが出来て、報告書とプレゼン資料が作れれば、どんな会社にいても重宝されると思うのだ。
東京都の郊外で生まれ育って、大学進学で地方都市に引っ越した。
入学して5ヶ月、かつて抱いていた様々な幻想は弾け飛んだ。地方都市での学生生活が苦痛で苦痛で仕方がない。
地方都市の比較的大きな通り沿いは昼でも夜でも交通量が多い。そのため振動と騒音に悩まされる。そのうえ週2回ぐらいは暴走族の爆音マフラーの音で深夜に目が覚める。
だからといって細い通り沿いだと、街灯がなく日没後は懐中電灯をもたないと足元がおぼつかないぐらい真っ暗。怖くて住めやしない。
地方都市の住宅街に田畑や果樹園はない。あっても家庭菜園レベルである。
したがって、地方都市に住んでいてお隣さんに野菜を譲ってもらえるなんていうことはありえない。
むしろ実家のある東京都郊外の方が周囲に田畑や果樹園がたくさんあった。
実際には山になんて登らないし、海や川になんて行かない。
そのイオンもやたらだだっ広いにもかかわらず空間の利用の仕方が無駄だらけで、かゆい所に手が届かない品揃えである。
それでいてまるで休日には新宿サザンテラスのような混み方をする。
無 理 で す(ただし地下鉄が通っているような”地方”都市は除く。)
私はまだ免許も車も持っていないが、車がないと不便なことが多い。
実際には悪いとこ取りのような気がする・・・。
この辺は荒れそうなので、察していただきたい。
地方都市では大学生というだけでエリート扱いされる、これは事実である。なぜなら大学がないから。
しかしアルバイトがよりどりみどりというのは幻想である。実際には、求人が少なく賃金が低い。
東京で時給1100円もらえる仕事が、地方都市では時給800円しかもらえないことはザラである。
家庭教師をやろうにも、徒歩・自転車・公共交通機関で行ける範囲に生徒がいない。
県で1番頭がいいと思われる大学の医学部の人たちのバイトが居酒屋の雑用係(時給850円)である。
数が少なく、そのうえ競争に晒されていない地方の物価は東京都郊外より高い。安いといわれる野菜も高い。
ここまでいろいろと地方都市のクソなところを書き連ねてきた。実際にはもっと嫌なところがあるのだが、もはや思い出せない。
しかしなんといっても地方都市で1番クソなところは私のような人間が住んでいるところだと思う。
東京都や政令指定都市にあるような(すなわち旧帝大など)に学力が足りなくて入れず、地方国立大学に入学。
しかし見ず知らずの土地でやっていく適応力もコミュ力もないためにどうにも馴染めず、その原因を自分ではなく地方都市などの外的要因になすりつける。
なんだか昨日は
あたる夜風が気持ちよくて心地よく、
いつまでも歩いて行けそうな気がするストロベリームーンの満月だけど、
電車に乗って帰りました。
なんかたまにあるのよね
妙にいい感じなときが。
そう、とり天ざるうどんキメてこようかと思ったけど、
お腹のそのグーの音をがまんして、
その時はやめといたわ。
でね、
製麺機買って以来、
たまに使ってるんだけど
未だ飽きもせず使ってるのは偉くない?
でね麺の味の違いは何か?と考えていたら、
生地の熟成させるさせないの違いなのかしら?ともしかしてだけどそう思ったわ。
家の製麺機だと
寝かせるの寝かせないだの熟成がないんだわ、きっと。
だから結構小麦の香りを強く感じるのもそのせいだわって思ったわ。
ちゃんと滑らかでコシがあるんだけど、
どことなく粉っぽさを感じるのよ。
製麺したあとに冷凍に入れて冷凍熟成とかってできちゃうのかしら?とまた実験してみたいテーマね。
私気付いちゃったんだけど、
そのそんな蕎麦より
うどんの方が麺の表情の違いが分かりやすいというか、お店の個性というか
最近いろいろ食べ比べてみてそう思うわ。
いままでお蕎麦一択でお饂飩なんてって思ってた時代の私に謝りたいわ。
そうまた素麺沼にはまったらまた厄介なことになるわ。
素麺の食べ比べも意外とまた今年の夏のテーマかも知れないわね。
でも気を付けないと
あんなのどかどか調子に乗って食べてたら一気に太っちゃうわよね。
するっといける分余計によ。
素麺にも気を付けないと。
うふふ。
最近そう言う系が多いわ。
だからたまに鶏レバーのお総菜とか無性に食べたくなるときがあります。
あと焼き鳥の鳥肝ね。
何に効くか分からない、
黄色や赤のパプリカやグリーンピーマンをとにかく映える為だけに縦切りに切って作る
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
そんな事はない。たとえそいつに届かなかったとしても、あなたの文章は別の誰かの胸を打つ。
俺はどちらかというと表現の自由派なので批判的な立場で拝読した。持論をまだ温めたいので今回は反論を控える。俺にとって怖ろしいのは規制のプロセスが水面下で進んでしまうこと。鍵垢のコミュニティの中で感情的反発が共感を集め、署名とともにクレームが提出される。それを受けて販売側は表立ったアナウンスもなくその種の雑誌などを撤去する。あるいは自主規制ルールとして制作側のチェックリストに加えられる。一般の購入者は何も気付かない。どうすることもできない。のどかな風景眺めてぼうっとしているうちに、世界は変わっていく…
漫然としていても明日はやってくる。誰かが好きだったコンテンツは失われて、代わりにみんなが幸せそうにしている。最大公約数的ユートピア。その到来が避けられないにしても、俺はそこにいっちょ噛みたい。悔しさに涙する権利が欲しい。
選民思想といっても過言ではない。
電車、新幹線、フェリー、飛行機、高速バス。なんでもござれで瞬時に酔う。
なんなら車の助手席で窓を開けてても偶に酔うくらいには酷い。
(自分で運転してても段差が多かったり長時間運転してると酔う)
酔い止めもダメ、ストレッチもダメ、三半規管を鍛えようと色々やったけど症状全く寛解せず。
そのせいで、乗り物に乗る時は、必死で前を見ているか眠ることしかできない。
横や後ろを見ていたら、十分もしないうちに気持ち悪さで限界になるから。
だから、私は移動時間を上手く使う発言が憎らしいし、同時に羨望の対象になっている。
新幹線でスケジューリングとかPCで作業をやるサラリーマンが眩しい。
夜行バス、隣の席でプロレスだかの週刊記事を遂行して書いていたライターのおっちゃんが羨ましい。
電車でのどかな山村地域をバックに、小説を読みふけっていた眼鏡のお姉さんが輝かしい。
移動時間を上手く使え、と執拗に言ってくる輩に文句の一つでも言ってやりたい。
その選択肢が無い人が、少なくともここにいるんだ、って。
※のどかな田舎の駅周辺で暮らせてる奴はその幸せをかみしめて引っ込んでろ
品川のような利用者多すぎてキャパオーバーの駅で通勤してればわかるが、
あのような駅構内は車道並に考えつくした動線設計・車線表示・交通整理が必要なんだ
勝手に思い思いのところを通ったら「ピーッ!逆走!」って言われるぐらいの
俺はもう10年以上そう思ってきたのが最近ようやくましになってきてるが、まだ全然足りないんだ
だいたい京急の改札でて山手線の階段に行こうとすると盛大に人の流れがクロスしてるんだ
それぞれが体力や自己判断で人の流れを横で突っ切る地獄と化してる
あそこは右側通行にすればどっち側の人もスムーズに歩けるようになるのにそうしない
あたま
つかえ