はてなキーワード: のどかとは
サービスや商品のあらゆる価格改定をtoCtoB関わらず紹介するチャンネル。
無背景にゴシックフォントで改定前と改定後の価格を羅列するだけの朴訥な動画を毎日投稿する。
誰のためになぜ作ったかが謎だが、その情報は非常に正確で即時性が高く
登録者が2,000人を突破してからは有志が英語の字幕をつけたことがきっかけで海外からの視聴者が増え、チャンネルの情報の新しさを評価する「Up-to-date」というコメントがファンの間で流行るなど
しかし、ある日内容が酷似しているブログを視聴者が発見しパクリであることがばれてしまい低評価率が95%を超えてしまったが
そのブログは実在せず、また価格改定チャンネルも架空のチャンネルであるため
35歳の主婦が、毎日あった些細な幸せをしゃべるいわゆるvlogスタイルを取るチャンネル。
どこからとったのかわからない三拍子のボサノヴァのBGMとともにスーパーの鮭が安くて家計が得したことや、2歳の子供がはじめて「言霊」という言葉を喋ったなど無邪気に話すのどかなチャンネルだが
後半は大泣きしながら自分の結婚生活はそれでも幸せであると主張する、
編集はほとんど手がかかっていないように見えるが、毎回20分丁度の動画のうち
愚痴パートを寸分狂いなく19分に収めるというこだわりがある。
なぜならハッピーチャンネル自体が架空のチャンネルだからである。
3.ダッシュ
カメラを地べたに置き、アングルも何故か真横なため、15秒の動画のうち投稿者が映っているのは序盤のわずかコンマ数秒、それも靴だけである。
何を伝えたいのかがわからないが、徐々に遠ざかる足音が彼の真剣な走りを伝えてくれる。
一時期twitterで紹介され、変わらない足音を「ASMR」として楽しむ猛者が現れ一時期登録者が500人を突破するまでになったが
マイクを使い、一眼レフで高画質な映像で走っている姿を投稿する「足音チャンネル」が突如出現し
ファンを根こそぎ取られる。
靴を変えたり、別アングル動画も投稿するなど工夫を重ね根強い人気を獲得し2万人の登録者を得るまでになりその差はもう取り戻せなくなってしまったが
「足音ASMR」のジャンルを意図せず切り開いた彼の功績はYou Tubeに新たな一石を投じたと言えるようにみえて、すべて架空のチャンネルであり
工場は高卒あがりばかりで、こういっちゃアレだが、自分の学歴からするとかなり格下の会社に入ったと思う。
人事的には数年現場も経験させて管理職ってプランだったんだと思う。
ネジしめたり掃除したりする単調な日々のなか、ある時60過ぎの再雇用の人から統計の手ほどきを受けた。
専門家からしたら子供の遊びみたいな簡単なものだが、不思議とスラスラと頭に入った。
一緒に習った数人のなかで、ドロップアウトしなかったのは自分だけだった。
自分だって数学なんか好きじゃなかったが、世の中の人は数式が苦手らしい。
ネジの長さやら瓶の重さみたいな単調なデータでも、解析すれば次から次へと新しい発見があった。
自分に統計を教えてくれた人は、統計は使えても、パソコンが並の老人よりマシ程度のスキルだったので、紙の記録からせこせこエクセルに手打ちで入力して、都度せこせこと式を立ててというスタイルだったので、自分だけが機械から出力されたcsvファイルからスイスイと統計解析できた。
仮説をたてて、データぶっこぬいて、統計量をだして、分布表にあててp値を出す、それだけのことが世の中の人はなかなか出来ない。
世の中の人のほとんどは、プログラミングはおろかエクセルもろくに使えない。配列数式くらいで部署で1番になれる。
あの頃は天狗だった。
そのうち現場を離れることが多くなり、法律を読んだり役所にだすお堅い書類を作らされたりさせられた。
世の中の人の半分くらいは、法律みたいな少し堅苦しい文章になるだけで、日本語の文章を読むことすらできないようで、その手の仕事でも重宝されるようになった。
そうこうしてるうちに、かなり大きな会社に買収された。
上司は親会社からの出向組で占められ、ここから出世は難しそうだなあと思い始めた矢先、人間関係のトラブルで会社を辞めた。
しかし、今度は大卒、しかも修士とか博士ばかりで、びっくりした。
ここでは大半の人よりも自分のほうが手が早いし、数字のハンドリングも、ITスキルも役所とのやりとりも出来る。
手先が器用で、サイエンスな文章を理解できて、数式を理解出来て、法律文書を理解できて、クラシックな統計解析が出来て、データベース操作と簡単なプログラミングが出来て、報告書とプレゼン資料が作れれば、どんな会社にいても重宝されると思うのだ。
東京都の郊外で生まれ育って、大学進学で地方都市に引っ越した。
入学して5ヶ月、かつて抱いていた様々な幻想は弾け飛んだ。地方都市での学生生活が苦痛で苦痛で仕方がない。
地方都市の比較的大きな通り沿いは昼でも夜でも交通量が多い。そのため振動と騒音に悩まされる。そのうえ週2回ぐらいは暴走族の爆音マフラーの音で深夜に目が覚める。
だからといって細い通り沿いだと、街灯がなく日没後は懐中電灯をもたないと足元がおぼつかないぐらい真っ暗。怖くて住めやしない。
地方都市の住宅街に田畑や果樹園はない。あっても家庭菜園レベルである。
したがって、地方都市に住んでいてお隣さんに野菜を譲ってもらえるなんていうことはありえない。
むしろ実家のある東京都郊外の方が周囲に田畑や果樹園がたくさんあった。
実際には山になんて登らないし、海や川になんて行かない。
そのイオンもやたらだだっ広いにもかかわらず空間の利用の仕方が無駄だらけで、かゆい所に手が届かない品揃えである。
それでいてまるで休日には新宿サザンテラスのような混み方をする。
無 理 で す(ただし地下鉄が通っているような”地方”都市は除く。)
私はまだ免許も車も持っていないが、車がないと不便なことが多い。
実際には悪いとこ取りのような気がする・・・。
この辺は荒れそうなので、察していただきたい。
地方都市では大学生というだけでエリート扱いされる、これは事実である。なぜなら大学がないから。
しかしアルバイトがよりどりみどりというのは幻想である。実際には、求人が少なく賃金が低い。
東京で時給1100円もらえる仕事が、地方都市では時給800円しかもらえないことはザラである。
家庭教師をやろうにも、徒歩・自転車・公共交通機関で行ける範囲に生徒がいない。
県で1番頭がいいと思われる大学の医学部の人たちのバイトが居酒屋の雑用係(時給850円)である。
数が少なく、そのうえ競争に晒されていない地方の物価は東京都郊外より高い。安いといわれる野菜も高い。
ここまでいろいろと地方都市のクソなところを書き連ねてきた。実際にはもっと嫌なところがあるのだが、もはや思い出せない。
しかしなんといっても地方都市で1番クソなところは私のような人間が住んでいるところだと思う。
東京都や政令指定都市にあるような(すなわち旧帝大など)に学力が足りなくて入れず、地方国立大学に入学。
しかし見ず知らずの土地でやっていく適応力もコミュ力もないためにどうにも馴染めず、その原因を自分ではなく地方都市などの外的要因になすりつける。
なんだか昨日は
あたる夜風が気持ちよくて心地よく、
いつまでも歩いて行けそうな気がするストロベリームーンの満月だけど、
電車に乗って帰りました。
なんかたまにあるのよね
妙にいい感じなときが。
そう、とり天ざるうどんキメてこようかと思ったけど、
お腹のそのグーの音をがまんして、
その時はやめといたわ。
でね、
製麺機買って以来、
たまに使ってるんだけど
未だ飽きもせず使ってるのは偉くない?
でね麺の味の違いは何か?と考えていたら、
生地の熟成させるさせないの違いなのかしら?ともしかしてだけどそう思ったわ。
家の製麺機だと
寝かせるの寝かせないだの熟成がないんだわ、きっと。
だから結構小麦の香りを強く感じるのもそのせいだわって思ったわ。
ちゃんと滑らかでコシがあるんだけど、
どことなく粉っぽさを感じるのよ。
製麺したあとに冷凍に入れて冷凍熟成とかってできちゃうのかしら?とまた実験してみたいテーマね。
私気付いちゃったんだけど、
そのそんな蕎麦より
うどんの方が麺の表情の違いが分かりやすいというか、お店の個性というか
最近いろいろ食べ比べてみてそう思うわ。
いままでお蕎麦一択でお饂飩なんてって思ってた時代の私に謝りたいわ。
そうまた素麺沼にはまったらまた厄介なことになるわ。
素麺の食べ比べも意外とまた今年の夏のテーマかも知れないわね。
でも気を付けないと
あんなのどかどか調子に乗って食べてたら一気に太っちゃうわよね。
するっといける分余計によ。
素麺にも気を付けないと。
うふふ。
最近そう言う系が多いわ。
だからたまに鶏レバーのお総菜とか無性に食べたくなるときがあります。
あと焼き鳥の鳥肝ね。
何に効くか分からない、
黄色や赤のパプリカやグリーンピーマンをとにかく映える為だけに縦切りに切って作る
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
そんな事はない。たとえそいつに届かなかったとしても、あなたの文章は別の誰かの胸を打つ。
俺はどちらかというと表現の自由派なので批判的な立場で拝読した。持論をまだ温めたいので今回は反論を控える。俺にとって怖ろしいのは規制のプロセスが水面下で進んでしまうこと。鍵垢のコミュニティの中で感情的反発が共感を集め、署名とともにクレームが提出される。それを受けて販売側は表立ったアナウンスもなくその種の雑誌などを撤去する。あるいは自主規制ルールとして制作側のチェックリストに加えられる。一般の購入者は何も気付かない。どうすることもできない。のどかな風景眺めてぼうっとしているうちに、世界は変わっていく…
漫然としていても明日はやってくる。誰かが好きだったコンテンツは失われて、代わりにみんなが幸せそうにしている。最大公約数的ユートピア。その到来が避けられないにしても、俺はそこにいっちょ噛みたい。悔しさに涙する権利が欲しい。
選民思想といっても過言ではない。
電車、新幹線、フェリー、飛行機、高速バス。なんでもござれで瞬時に酔う。
なんなら車の助手席で窓を開けてても偶に酔うくらいには酷い。
(自分で運転してても段差が多かったり長時間運転してると酔う)
酔い止めもダメ、ストレッチもダメ、三半規管を鍛えようと色々やったけど症状全く寛解せず。
そのせいで、乗り物に乗る時は、必死で前を見ているか眠ることしかできない。
横や後ろを見ていたら、十分もしないうちに気持ち悪さで限界になるから。
だから、私は移動時間を上手く使う発言が憎らしいし、同時に羨望の対象になっている。
新幹線でスケジューリングとかPCで作業をやるサラリーマンが眩しい。
夜行バス、隣の席でプロレスだかの週刊記事を遂行して書いていたライターのおっちゃんが羨ましい。
電車でのどかな山村地域をバックに、小説を読みふけっていた眼鏡のお姉さんが輝かしい。
移動時間を上手く使え、と執拗に言ってくる輩に文句の一つでも言ってやりたい。
その選択肢が無い人が、少なくともここにいるんだ、って。
※のどかな田舎の駅周辺で暮らせてる奴はその幸せをかみしめて引っ込んでろ
品川のような利用者多すぎてキャパオーバーの駅で通勤してればわかるが、
あのような駅構内は車道並に考えつくした動線設計・車線表示・交通整理が必要なんだ
勝手に思い思いのところを通ったら「ピーッ!逆走!」って言われるぐらいの
俺はもう10年以上そう思ってきたのが最近ようやくましになってきてるが、まだ全然足りないんだ
だいたい京急の改札でて山手線の階段に行こうとすると盛大に人の流れがクロスしてるんだ
それぞれが体力や自己判断で人の流れを横で突っ切る地獄と化してる
あそこは右側通行にすればどっち側の人もスムーズに歩けるようになるのにそうしない
あたま
つかえ
和
①やわらぐ。おだやか。のどか。「和気」「温和」「柔和」 ②なかよくする。争いをおさめる。「和解」「和議」「平和」 ③合わせる。合う。ととのう。「和音」「唱和」「調和」 ④あえる。まぜる。「混和」「中和」 ⑤二つ以上の数を加えたもの。「総和」 ⑥日本。日本語。「和服」「 .
保
①たもつ。もつ。もちつづける。「保持」「保有」 ②やすんじる。たすける。やしなう。「保育」「保護」 ③うけあう。ひきうける。「保証」「担保」.
令
①いいつける。命じる。いいつけ。「令状」「命令」 ②のり。きまり。おきて。「訓令」「法令」 ③おさ。長官。「県令」 ④よい。りっぱな。「令色」「令名」 ⑤他人の親族に対する敬称。「令室」「令嬢」. 下つき. 禁令(キンレイ)・訓令(クンレイ)・号令(ゴウレイ)・司令(シレイ)・ ...
7日目
アトピー持ちなので、朝方や夜に症状が出た箇所の痒みに悩まされることが多いのだが、温泉の効き目かどうか、この旅行 最後の床では何に煩わされることなく眠ることができた。
ホテルの大浴場はどうやら良いものの様だが、帰りの飛行機の予定の時間から逆算すると、別府温泉で湯に浸かる時間が忙しないものになりそうで、ここはスキップする事にして、朝食をいただく事にした。
廊下にでて窓から階下をみれば、乙津川の堤防の上を、犬を連れたおじさんがぷらぷらと歩いている。
しかし、クロワッサンと一緒に盛り付けられたパンケーキや、コンロで再加熱するシシャモ、湯豆腐など、工夫のある料理が並ぶ。
朝に冷奴は定番だが、これが湯豆腐になっただけで贅沢な感じがする。
ホテルの朝食で、「充分うまい」以上の「ちょっと贅沢」を感じられると思わなかった。
日豊本線を上り一旦大分で下車、見目麗しい銘菓「雪月花」をお土産に買う。
別府駅の観光案内所で今日の目当ての明礬温泉へのバス便を聞くと、インフォメーションのご婦人は丁寧に教えてくれた。
明礬停留所でバスから降りると、目当ての施設に行くまで歩くので、次の地蔵湯前停留所で降りるのが良いとの事だった。
昼に見る別府は、昨晩と違い、多くの飲食店やコンビニが点在する、のどかだが決して寂しくはない風景だった。
バスには自分以外にも台湾人と思しき人々や日本の観光客が載っている。
バス停に停車した際、70すぎと見られるご老人が「かまど地獄と血の池に行こうと思うんだけど、どのバスには乗り換えればいいの?」といった様な事を聞いている風景はなかなかシュールだった。
「じそうゆまえ?」
女の子がバスの運転手に特徴的なイントネーションで行き方を訪ねている。
自分も明礬を通り過ぎ、地蔵湯前停留所で明礬湯の里に向かう。行き先は一緒だ。
降り立った地蔵湯前停留所は、紅葉の向こうにアーチ構造の端がかかり、所々で湯気が上がる絶景だった。
急ごう。
振り返ると、一緒に降りた女の子が微笑みながら礼をした。
大学でできた友達に勧められてバイクの免許をとった。ちょうど十年前の夏だった。当時住んでいた京都の右京区から仁和寺の前を通り、道の悪い国道を走ると福井県に抜けて小浜市にたどり着く。日本海を臨む砂浜でぼおっと時間を過ごして帰ることが堪らなく好きだった。
何がそんなにおもしろかったのかは今となってはわからない。道の途中にある当時ネットで殺伐広場と揶揄されていたバイクが集まる道の駅でタバコをよく吸った。皆無言でタバコを吸い、のどかな道の駅は雲が出たように煙り、時折誰かが空ぶかしして音をたてる以外に静かな山あいはこれから一人で海を眺めるという馬鹿馬鹿しいナルシズムやセンチメンタリズムを肯定してくれたように思った。
バイクの操作を覚えるにつれ道のりは楽しくなった。カーブがある。ブレーキ、シフトダウン、体の力を抜くとバイクが倒れる。スロットルを開いてバイクを起こす。繰り返すと海に着く。
海が好きだ。今でも海に行くのは好きだ。海のない土地で育ったからかもしれない。100km近く走って海に着いたときはいつでも高揚感があった。からからに干からびたヒトデや、ハングルのパッケージのペットボトルを足でつついたりして過ごす。
ある日砂浜でふと思った。今日、両親に海に連れて来てもらった回数を、自分で海に来た回数が上回ったんじゃないか。そう思った瞬間に、自分が大人になったと感じた。とても大切な瞬間だと思った。
時間や空間を点や線のように感じることができるだろうか。誰もが変化を振り返ることでしか感じることはできないんじゃないか。帰り道、そんなことを考えていた。バイクは燃焼という点の集まりをスムーズなパワーにして走った。
殺伐広場でタバコを吸い、海のない故郷のことを思った。どのように両親が自分を海に連れて行ってくれたかも、そのありがたさについても思った。
記憶の海は様々だ。両親から行ったと聞かされても覚えていないものもあった。ただ記憶の中でいつでも水をぼおっと眺めていた。記憶を深く辿る。様々な水辺とそこに住む人が作る風景を辿る。
記憶の中の海は半分くらい湖水浴のできる湖だった。完全に、大人になった瞬間なんて感じる間もなく逃している。
それがもう10年も前だ。30を過ぎた今も、いまだに大人になった気はしない。今日も子供のように振る舞ってしまった。上司の機嫌を取るのが嫌で、気が利かないように装おってしまった。そしてその場をやり過ごすラインを完全に越えた。
ここで完璧に取り繕えたら、本物の大人だと思った。そして、今日も大人になりそこねた。今日は糞みたいな日だ。でも、大人になるチャンスに触れた気がした。