2020-02-19

2013年8月26日日記

なんだか眠れないから昔の日記を書く。

2013年8月26日

当時私は派遣仕事をしてて、毎日いろんな勤務地に行ってた

朝は千葉、夜は横浜みたいな日もあるのに、移動時間は時給が出なくてキツかった

でも凄くやりがいを感じていて、辛かったけど毎日しかったしその仕事が本当に大好きだった

振り返れば完全に洗脳されてたけど、その時のことはみんないい思い出だと今でも思う

その日の勤務地は山梨で泊まりだと前の週に言われた

さすがに驚いたけど洗脳されてるから「仕方ないな」って遠方手当ての1000円握り締めて長距離バスに乗った

したことない先輩と2人で

夕方遅く駅に着いたらなんだか駅前は混雑していた

勤務地までは車で20分くらいのところで、交通手段が他にないのでタクシーを使っていいと事務所から言われていた

これは滅多にないこと

先輩とタクシーに乗り込み場所を伝えると

「あ〜、そこには行けないな、今日祭りから道路が塞がってる」といわれた

今思えばよくわからないけど、

とにかく車ではそこにいけないと言われた

えー、どうするんだろ、とか他人事みたいに先輩と運転手のやりとりを聞いていたら、先輩がこちらを向いて

「仕方ないから走りますよ、時間がないから早く」

と言った

私も洗脳されてるから「ですね」とすぐ車を出た

駅の近くに凄く長い坂道があって、その両脇に出店が並んでる

ここが件の通れない道路らしい

道路の真ん中に点々とキャンプファイアーみたいな火がともってて、

褌の男の人たちがなにやら騒いでた

浴衣女の子や楽しそうな親子連れ太鼓の音と燃える火が幻想的だった

その長い坂道を人の隙間を縫って全力で走った、スーツパンプス

辛かった…

私たちなにやってんだろ!?」って一瞬洗脳が解けた先輩が笑い出して、2人で笑いながら走った

祭りを抜けて、更に随分歩いてほとんど森みたいなところに入る

それより先はGoogleマップにもちゃん表記されなくて、私たち迷子になった

事務所と現地に何度も電話をかけて進むうちに圏外になった

もう陽も落ちて暗い中を延々歩いた

サイレンみたいな古い民家が点々とあって怖かった

でも私たちは「入り時間をとっくに過ぎてしまった」ということで頭がいっぱいだった

8月なのに涼しかった

どうやって着いたかはもう覚えてないけど、なんとか現地に着いた

担当の人はすごく優しくしてくれて、仕事もつつがなく終わった

出してくれた夕食を食べて用意された部屋に布団を敷いた

携帯はずっと圏外のまま、こんなに圏外の場所にいるのは初めて

でも私の携帯は滅多に鳴らないし、今日が終わったことの安心感携帯を見ようとも思わずすぐ眠りについた

朝、担当の人に挨拶をして勤務地を出た

昨日はサイレンみたいだと思ったけど、森の朝の空気気持ち良くて、すごく清々しかった

大変だったけどいい日だったな〜って先輩と歩いた

タクシー使えばいいのに、その案すら出なかった

森を出たところで先輩が「主人から電話きてたの出れなくて不安にさせちゃったっぽい」と携帯みて笑った

「あ、ここもう電波入るんですね」といって私も携帯を見た

びっっくりした

着信がもう、何十件も入ってて、見たことないくらメールが来てた

ほとんどが同じ親友から

足が止まった

少し怖くなった

声をかける先輩に「いや…なんかたくさん着信きてて…」と返した

先輩が「だよね〜、圏外なんて思わなかった。そうとわかってれば先に…」

とか言ってたけど、途中から自然フェードアウトしていった

気づいたらしゃがみこんで動けなくなってた

しゃがんだとも思ってなかった

「え!どうしたの?」と駆け寄ってくれた優しい先輩

私は人に自分趣味とか、個人的な話をするのが苦手で、聞かれるといつも「特に」とか「別に」とか言ってしまタイプ

でもその時はもう口からスルスルって、そんなのいわれてもしょうがないってわかってるのに言葉が出てた

「なんか…大好きなバンドボーカルが死んじゃったっぽいです…」って

すぐ何件も何件も私に着信してくれた友達電話をした

の子といつも2人でライブを見た

10年、ずっと

朝早くなのに1コール電話に出た

「なんで!?なんで電話でないの!?

こんな時になんで電話でないの!!

電話出ないし鳶死んじゃったしどうしようなんでって眠れなかった。

なんで電話出ないの、

鳶死んじゃったんだよ…」

ってどんどん泣いちゃって、わたしも泣いた

ここがどこでなにをしていたかも忘れて

電話を切ったあとも涙が止まらなかった

先輩は駅までずっとそのバンドの話を聞いてくれた

のどかな道、どんな景色だったかすぐ思い出せる

誰1人ともすれ違わなかった気すらする

先輩は、そのあとすぐ辞めてしまったけど、顔もフルネームも、旦那さんの仕事のこともすべて覚えてる

ほんとに優しい人だった

先輩ありがとう

帰りのバスに乗ったら「窓際座りなよ」って言ってくれた

音楽聴きなよ」って

帰りのバスでずっとそのバンドの曲聞いた、2時間

みんなほんとにいい曲だった

この日のこと一生忘れないなって思った

結局、そんなことがあったのに洗脳は解けなくて、そのあとも4年くらい勤めてた

私がその町に行ったのも、圏外になる場所に泊まったのも、それが最初最後

よりによってなんでこの日にって本当に思う

そのバンドのこと、ボーカルのこと、言葉にしたいけど、その日あったことだけ思い出して書いた

辛かったけど、忘れられない

オチとかないし長くなっちゃったけど、それだけ

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