はてなキーワード: のどかとは
和
①やわらぐ。おだやか。のどか。「和気」「温和」「柔和」 ②なかよくする。争いをおさめる。「和解」「和議」「平和」 ③合わせる。合う。ととのう。「和音」「唱和」「調和」 ④あえる。まぜる。「混和」「中和」 ⑤二つ以上の数を加えたもの。「総和」 ⑥日本。日本語。「和服」「 .
保
①たもつ。もつ。もちつづける。「保持」「保有」 ②やすんじる。たすける。やしなう。「保育」「保護」 ③うけあう。ひきうける。「保証」「担保」.
令
①いいつける。命じる。いいつけ。「令状」「命令」 ②のり。きまり。おきて。「訓令」「法令」 ③おさ。長官。「県令」 ④よい。りっぱな。「令色」「令名」 ⑤他人の親族に対する敬称。「令室」「令嬢」. 下つき. 禁令(キンレイ)・訓令(クンレイ)・号令(ゴウレイ)・司令(シレイ)・ ...
7日目
アトピー持ちなので、朝方や夜に症状が出た箇所の痒みに悩まされることが多いのだが、温泉の効き目かどうか、この旅行 最後の床では何に煩わされることなく眠ることができた。
ホテルの大浴場はどうやら良いものの様だが、帰りの飛行機の予定の時間から逆算すると、別府温泉で湯に浸かる時間が忙しないものになりそうで、ここはスキップする事にして、朝食をいただく事にした。
廊下にでて窓から階下をみれば、乙津川の堤防の上を、犬を連れたおじさんがぷらぷらと歩いている。
しかし、クロワッサンと一緒に盛り付けられたパンケーキや、コンロで再加熱するシシャモ、湯豆腐など、工夫のある料理が並ぶ。
朝に冷奴は定番だが、これが湯豆腐になっただけで贅沢な感じがする。
ホテルの朝食で、「充分うまい」以上の「ちょっと贅沢」を感じられると思わなかった。
日豊本線を上り一旦大分で下車、見目麗しい銘菓「雪月花」をお土産に買う。
別府駅の観光案内所で今日の目当ての明礬温泉へのバス便を聞くと、インフォメーションのご婦人は丁寧に教えてくれた。
明礬停留所でバスから降りると、目当ての施設に行くまで歩くので、次の地蔵湯前停留所で降りるのが良いとの事だった。
昼に見る別府は、昨晩と違い、多くの飲食店やコンビニが点在する、のどかだが決して寂しくはない風景だった。
バスには自分以外にも台湾人と思しき人々や日本の観光客が載っている。
バス停に停車した際、70すぎと見られるご老人が「かまど地獄と血の池に行こうと思うんだけど、どのバスには乗り換えればいいの?」といった様な事を聞いている風景はなかなかシュールだった。
「じそうゆまえ?」
女の子がバスの運転手に特徴的なイントネーションで行き方を訪ねている。
自分も明礬を通り過ぎ、地蔵湯前停留所で明礬湯の里に向かう。行き先は一緒だ。
降り立った地蔵湯前停留所は、紅葉の向こうにアーチ構造の端がかかり、所々で湯気が上がる絶景だった。
急ごう。
振り返ると、一緒に降りた女の子が微笑みながら礼をした。
大学でできた友達に勧められてバイクの免許をとった。ちょうど十年前の夏だった。当時住んでいた京都の右京区から仁和寺の前を通り、道の悪い国道を走ると福井県に抜けて小浜市にたどり着く。日本海を臨む砂浜でぼおっと時間を過ごして帰ることが堪らなく好きだった。
何がそんなにおもしろかったのかは今となってはわからない。道の途中にある当時ネットで殺伐広場と揶揄されていたバイクが集まる道の駅でタバコをよく吸った。皆無言でタバコを吸い、のどかな道の駅は雲が出たように煙り、時折誰かが空ぶかしして音をたてる以外に静かな山あいはこれから一人で海を眺めるという馬鹿馬鹿しいナルシズムやセンチメンタリズムを肯定してくれたように思った。
バイクの操作を覚えるにつれ道のりは楽しくなった。カーブがある。ブレーキ、シフトダウン、体の力を抜くとバイクが倒れる。スロットルを開いてバイクを起こす。繰り返すと海に着く。
海が好きだ。今でも海に行くのは好きだ。海のない土地で育ったからかもしれない。100km近く走って海に着いたときはいつでも高揚感があった。からからに干からびたヒトデや、ハングルのパッケージのペットボトルを足でつついたりして過ごす。
ある日砂浜でふと思った。今日、両親に海に連れて来てもらった回数を、自分で海に来た回数が上回ったんじゃないか。そう思った瞬間に、自分が大人になったと感じた。とても大切な瞬間だと思った。
時間や空間を点や線のように感じることができるだろうか。誰もが変化を振り返ることでしか感じることはできないんじゃないか。帰り道、そんなことを考えていた。バイクは燃焼という点の集まりをスムーズなパワーにして走った。
殺伐広場でタバコを吸い、海のない故郷のことを思った。どのように両親が自分を海に連れて行ってくれたかも、そのありがたさについても思った。
記憶の海は様々だ。両親から行ったと聞かされても覚えていないものもあった。ただ記憶の中でいつでも水をぼおっと眺めていた。記憶を深く辿る。様々な水辺とそこに住む人が作る風景を辿る。
記憶の中の海は半分くらい湖水浴のできる湖だった。完全に、大人になった瞬間なんて感じる間もなく逃している。
それがもう10年も前だ。30を過ぎた今も、いまだに大人になった気はしない。今日も子供のように振る舞ってしまった。上司の機嫌を取るのが嫌で、気が利かないように装おってしまった。そしてその場をやり過ごすラインを完全に越えた。
ここで完璧に取り繕えたら、本物の大人だと思った。そして、今日も大人になりそこねた。今日は糞みたいな日だ。でも、大人になるチャンスに触れた気がした。
私が30歳、彼が40歳。
初めてできた彼氏で、3年間付き合った。年齢が離れすぎていると親に反対されていたし、結婚はいいから、このままゆっくり2人でいれたらいいなーと思っていた。
でも、私がちょっと良い会社に転職した事、その会社は彼も行きたくて書類を出したけど年齢で不採用だった事、一緒に住もうという話になったけれど、実家を出る事を親に反対され、彼がギスギスするようになってしまった。
先々月、些細な行き違いで彼がキレて、私も疲れていて、真剣に別れようと言われて別れた。
この程度の事で別れるようなら、続かなかった、そういう運命なのだろうけど、転職するまでは「たまに2人で国内旅行でもしつつ、良い仕事をして、ゆっくり生きていけたら幸せ」と本気で思っていた。
別れてすぐ、新しい職場の人間関係がキツくてしんどくて、鬱っぽい症状が出てきてしまった。
仕事は続けたいけど、会社には行きたくない。なので、在宅で仕事をしたい。幸い、それもあと1年くらい頑張れば、可能らしい。
収入は減るけども、家にいて何時間か仕事をして、後は家の事をする方が人間らしい暮らしができる。
そういう、ゆっくりした生き方の方が、自分に合っている気がする。仕事で無理をしすぎたのだ。
元カレ(ともう言っていいのかな)は、私よりも収入が低かったので、できれば私よりは稼げる、穏やかで安定した、普通の男性とすぐにでも結婚したい。
都内に通勤できるけど、のどかなところに1軒家を買って、朝、夫を送り出し、午前中家事をちょっとして、午後は仕事をして、たまにお昼寝、夜はちゃんとしたご飯を作って、デザートに手作りの桃のコンポートとか2人で食べて、海外ドラマを見て…
多くは望まない。
誰かに話すこともSNSで呟くことも憚られる内容のため、『ブログ 匿名』で検索してここに書き落とすことにした。
規約違反で消されても致し方ない。
私はごく一般的な社会人2年目の女であり、現在付き合って5年になる彼氏がいる。
多少女友達とスキンシップの多い中高生時代を過ごしつつも恋愛対象は一貫して男性だった。
中学高校の6年間に渡る長い片思いの末に、情熱的な告白をして理不尽に冷めた後、大学で出会った好みの男性(今の彼氏)に猛アタックした、というのが私の人生における二大恋愛遍歴である。
ただ女体に触るのは大好きだった。
カラオケで親友(巨乳)の胸を揉ませてもらったり、寮のお風呂で友人(爆乳)の乳を揉んだり、サークルの飲み会で女同士濃厚なキスをしたりなどしていた。
このキスの相手がまたエロい体とぽってり唇の持ち主であり、どさくさに紛れてちゅーできて嬉しかったのを覚えている。予想通りふわふわの感触だった。
まあでもこの程度は学生ならよくある体験だろう。オトメの帝国でも散々描かれている通り、女同士はスキンシップが激しい。
もちろん嫌がりそうな相手には触らなかったし、踏み込んだことをする前には必ず許可を取っていた。嫌われたくないしね。
しかし楽しい学生時代が終わり、社会人になると流石に女友達とベタベタするわけにもいかなくなった。就職により友人とは離れ離れ。毎日会う同僚は友達ではないし、年代も違うし、同期は同期だし。
同期には私ともう1人しか女が居なかったため、必然的に4人で仲良くなった。
中でもAとは一人暮らしの家が近くて、かつ趣味も同じだということが判明し、急激に親しくなった。知り合ってひと月もしないうちから家に泊まり合っていたと思う。
昨日も久しぶりに泊まりに行った。
ご飯を食べて、お菓子を食べながら趣味に興じて、夜が更けると当然猥談が始まる。
男のエロ話はファンタジーで女のエロ話はドキュメンタリーと聞いたことがあるが、実際はバラエティ番組のトークのようなものだ。
今までの経験から面白エピソードを次々繰り出して爆笑したり、赤裸々アンケートをとったり、たまには真面目にコメントしたりといった感じで展開する。
○○に抱かれたぁい♡ とかカレピのdickが大きすぎて気持ちいいの♡ いいな〜♡ なんて話はしない。
そもそも大きいdickは女性陣には本気で不評なのである。私は「内臓が掻き回されてるようで気持ち悪い」以外の感想を聞いたことがない。
Aとの猥談もひどかった。
Aは特定の相手を持たず行きずりの男と関係を持ちまくっているので、愉快な話には事欠かない。
最中に体位を3回転させられた男、2時間コースでホテルに入ったのに10分で終わった男、車内でしかしたことがない幼馴染、ペニバンで彼氏を掘ってる元同僚などの話を緑茶片手に聞いていた。
その中で喘ぎ声の話になった。
Aは気持ち良さを感じたことがなく、全て演技で相手してきた。そのため変なタイミングで声を出したり演技過剰になってしまったりするのだという。
「本当に気持ち良くなるの? ていうかイったことある?」と聞かれたので、「なるよ! あるよ!!」と私がイけるようになった過程を懇切丁寧に説明した。
結論は「誠実な男性と回数を重ねましょう」ということになった。行きずりの相手はこちらの快楽まで気にしてくれないよね。
会話の最中何度か興味本位で「どんな演技か見せてほしい」と頼んだのだが、恥ずかしいと断られてしまった。
この時点で夜中の2時。そろそろ寝ようとシャワーを浴びる流れになった。この時「一緒に入ろう」と誘われたため、この子はセクシャルなスキンシップもOKだと判断した私は胸を揉んでいいか尋ねた。
彼女は快く揉ませてくれた。
シャワーを出た後もTシャツ越しにずっと胸を揉んでいた。もうここまでくると完全に性的な手つきになっていた。
さっきの猥談でも「女友達に胸を揉んでもらった時はめちゃくちゃ濡れた」という話をしていたから、行けるんちゃうかなと私も調子に乗ってマッサージを続けた。
胸の突起を掠めたり挟んだりしているうちにAの息が大きくなってきた。
「待って、あつい」と繰り返す声にこちらの息も荒くなる。
「やばいめっちゃ濡れてきた」と宣言されたので「本当?」と寝間着の上から触ってみると、座っていた彼女がガクッと仰け反った。
正直もうここで指が止まらなくなった。
親指でひたすらそこをぐりぐりと押すと、Aは肩で息をしながら倒れ込んだ。
両手で口を押さえて静かに喘いでいた。
演技かな、とは一瞬思った。
私は親指に全神経を集中させて気持ちいいところを探っていた。
自分と同じ体を持つ相手なので、どうすれば良くなるのかは何となくわかる。Aが大きな反応を見せた角度で擦りながら、徐々に下に下げていく。穴に近づくと反応はさらに大きくなった。
しかし少しでもポイントを外すと回復されてしまう。声が止まって呼吸音だけになったら分かりやすいところからやり直した。
これ以上ない、という箇所をしつこく擦っていると突然Aの腰が跳ねた。脚がぐっと閉まる。私の腕を掴んでいる指が爪を立てる。
いったかな、いや分からんな。としばらくそのまま擦っていた。Aはひたすらびくびくしていた。
口を押さえる手が外れ、喘ぎ声がかなり大きく響いていたので、あれは絶対隣に聞こえていたと思う。
反応が落ち着いたので指を離すと、Aは汗だくだった。
「大丈夫?」と聞いたら「のどかわいた」と返ってきた。痛くなかった? 大丈夫? と何回も聞いていた気がする。
お茶を飲ませて、頭を撫でているときもAはずっと肩で息をしていた。
「足に力が入らない」と布団に倒れ込んだ彼女の体を撫でていると、また良い反応が返ってきたので今度は下着の端から指を入れた。
直に触ったそこは本当にぐしょぐしょに濡れていて興奮した。
直接触るとどこに何があるかわかりやすいなあ、とか考えながら再び擦った。流石に穴には入れられなかったけど、さっき以上に声を出して身悶えてくれる姿をみて私は非常に満足していた。
それが終わったらまたお茶のコップを渡して、大丈夫か尋ねて、仰向けになったAを撫でた。
Aはしゅごい、やばい、と呟いていた。
「手が痺れてる」「どこに何があるか分かんない」という感想を聞きながら、穴使わずにこの状態ってめちゃくちゃ感度高いんじゃないの? と思ったけど言わなかった。
演技かもしれないという可能性を捨てきれていなかったのだ。
ハーフパンツから出た太もものあたりをソフトタッチしていると、「そこやばいくらい気持ちいい」と教えてもらった。位置を変えながら爪の先でゆっくり撫でると、Aは本当に気持ち良さそうに身をよじらせていた。
左の膝から上をただ撫でるだけで面白いくらい反応するので、私はまたしつこくそこばかり触っていた。
そのうちに内ももを撫で上げて、また服越しに局部を弄り始めた。
徐々にまた興奮してきた私は脚を固定して閉じないようにし、彼女の上半身に背を向けて下半身に向き合い、両手を使ってひたすら刺激する。
背中に爪を立てられながら「いったかな?」というところまで弄り続けた。
もうAは喘ぎっぱなしだった。口を塞いだほうがいいのかとも思ったけれど、手で塞ぐのも乱暴だしキスするのも変だし、何より声を気にしてほしくなかったからそのままにした。隣の人には本当に申し訳なかった。
最後の痙攣を感じて、ようやく私は指を離した。Aは息も絶え絶えといった様子だった。
汗だくのAは「すごい、足の感覚が本当にない」「もっかいシャワー浴びる」と言ってその場で服を脱ぎ、ふらふらとバスルームに入った。
朝の4時半になっていた。
電気を消したらカーテンの隙間から光が見えたので「朝じゃん」と二人でつっこみながらすぐ寝た。
翌朝(昼)に何食わぬ顔で解散してきたけど、衝撃的な体験すぎて一日中思い返していた。
私は手マンの才能があるのかもしれない! と自信満々にこれを書き始めたのだが、書いてるうちにやっぱり演技だったんじゃないかという疑念が拭えなくなってきた。
演技にしては汗をかきすぎていた気もするし、でも過剰といえば過剰な喘ぎ声だったようにも思う。
次があれば指を入れてみたい気持ちと、行きずりの男にも全力でホスピタリティを与える優しい彼女を私の自己満足のために長時間付き合わせてしまったことへの後悔が交互にやってくる。
足腰立たないのはリアルだった。
やはり彼女は演技を見せてくれたのかもしれない。
終わり。
22歳卒業後は超大手ハウスメーカーに就職するも、流行りのアパートを設計する事業部に就職した。
毎日同じようなアパートを設計し、現場を確認するのに辟易とした。それでいて利鞘は良いもんだから余計に心が痛んだ。大学の時に教わった古民家活用、都市計画、景観など全く眼中になかったからだ。
近くに工場ができるからそこにアパートを建てるべき、また、人口減少社会においては単身世帯がたくさん増えるためワンルームアパートが必要という売り込み。
それでのどかな田園風景がどんどん気持ち悪い建物、統一感のない街並みが出来ていくことに嫌気がさした。俺にはどうしようもない、止めることができない俺はもっと嫌だった。嫌になった。
気がついたらもう実家に帰っていた。
本当はこんなことよりもっと国際的な仕事をしたかった。人口減少社会においても健全なまちづくりをしたかった。障がい者にも優しいまちづくりをしたかった。
そのときに僕が気がついたのは技術+金のガチョウがまだないこと。金のガチョウがいれば前の僕よりは大きな僕になれるのではないか?
僕の理念に沿った金のガチョウを探す旅が始まり、世界各地を廻ってきた。そして見つかった。大学時代の恩師が研究していたことがまさに金のガチョウたるものだと思った。
それをすぐに起業しようと思ったが実家は田舎、理解のできる人々がいない、金もない。だんだん家賃も払えなくなってきた。
じゃあどうする…仕方ないアルバイトしよう!新聞配達をしたが四日でやめた。あれほど本当にその人でなければならない理由がある仕事ではないと思ったのは初めてである。
じゃあどうする。派遣会社に登録しよう!でも、そこに最先端の技術を求めてる求人はない!じゃあ転職支援会社のDODA,そこにもなかった。というかそういう話わ聞いたのは初めてだと聞いた。新しいことにチャレンジする人はそこに行かないのだろう。
一体どこにあるんだろう…よく考えたら会社のホームページから申し込めば良いだけじゃないか…!!それだ!でようやく話を聞いてくれる人が見つかった。あぁ、そうか同じことを考えてる部署があるんだからそこの人と接点を持てばよかったのか…と思いつつ面接。通った。
それが外資系IT企業でスマホからIoTまで幅広くやってる会社なんだから人生は面白いなぁと思った。平均年収も商社並みだから余計に。
親に死んでしまいたいと言ってたあの時は本当に自分自身のことを理解できる人が周りにいなかったから、そう思ってたけれど、そんなときは新しい知り合いを作って自分の価値観、信念を理解できる人を探すのが本当に大切。それへ歴史の偉人から学んだことであり、今後困難に直面したときは迷わずその道の第一人者に相談することにした。
ミスターマックスでポテチ全種(PBのやつ)とリスカのしっとりチョコを買ってドラッグストアでこんにゃくぜりー全種2袋ずつかって食いまくりたい
1回の金額は高くても、かつやでおもいっきり贅沢する800円くらいでしたほうが多分健康にも財布にもいいんだろうけど
しょっぱいポテチとあまいしっとりちょこを交互にたべてのどかわいたらこんにゃくゼリーでのどをうるおすんだ
ああああああああああああああああああ
野菜たっぷり袋ラーメンを深夜に食べるという不健康メシで我慢しなきゃ
甘いお菓子たべたいけど野菜たっぷり袋めんのほうがまだいいでしょ!!??????
コンビニの100円レンチン冷食のギョーザとラーメンとチャーンの簡易定食で食べたいの!!!!
日水っだっけか?
かつ丼もたべたいの!!!
カレーもたうべいあにた0ぽ!はんばーぐもおなおちあうい
誰かたすかえて
https://twitter.com/ihayoichi/status/940782639132188672
米軍大型ヘリの窓枠が落下した普天間第二小学校は、普天間飛行場の滑走路の延長線上にあり、米国連邦法が米軍飛行場に義務付けている「クリアゾーン」内に入っている。1969年に小学校が建設された後、日本政府によって滑走路が延長された。政府は見て見ぬふりをし続けている。
に対して
「何でそんな所に小学校を建てたんだ」という、小学校が建設された後に滑走路が延長されたと書いてある事すら読めないバカは救いようがないとしても
「何で移転しないんだ」ってのは、「沖縄のあの辺に移転出来るような土地なんかねえよ」と言う前提が分からないんだろうな…
ネトウヨは沖縄を自然いっぱいの田舎ののどかな島だとでも思ってるフシがあるが、実際は建物すし詰めで土地が全然足りない。
那覇市の人口密度は横浜市並みってのは割と有名なようだが、宜野湾市は米軍基地分の土地を除けばそれ以上じゃなかろうか。
小学校は当然その学区の子供が通える範囲内に無ければならないわけで、その範囲に移転出来る土地なんかないだろってのは現地を知ってる人なら分かるんだが。