はてなキーワード: のどかとは
私が30歳、彼が40歳。
初めてできた彼氏で、3年間付き合った。年齢が離れすぎていると親に反対されていたし、結婚はいいから、このままゆっくり2人でいれたらいいなーと思っていた。
でも、私がちょっと良い会社に転職した事、その会社は彼も行きたくて書類を出したけど年齢で不採用だった事、一緒に住もうという話になったけれど、実家を出る事を親に反対され、彼がギスギスするようになってしまった。
先々月、些細な行き違いで彼がキレて、私も疲れていて、真剣に別れようと言われて別れた。
この程度の事で別れるようなら、続かなかった、そういう運命なのだろうけど、転職するまでは「たまに2人で国内旅行でもしつつ、良い仕事をして、ゆっくり生きていけたら幸せ」と本気で思っていた。
別れてすぐ、新しい職場の人間関係がキツくてしんどくて、鬱っぽい症状が出てきてしまった。
仕事は続けたいけど、会社には行きたくない。なので、在宅で仕事をしたい。幸い、それもあと1年くらい頑張れば、可能らしい。
収入は減るけども、家にいて何時間か仕事をして、後は家の事をする方が人間らしい暮らしができる。
そういう、ゆっくりした生き方の方が、自分に合っている気がする。仕事で無理をしすぎたのだ。
元カレ(ともう言っていいのかな)は、私よりも収入が低かったので、できれば私よりは稼げる、穏やかで安定した、普通の男性とすぐにでも結婚したい。
都内に通勤できるけど、のどかなところに1軒家を買って、朝、夫を送り出し、午前中家事をちょっとして、午後は仕事をして、たまにお昼寝、夜はちゃんとしたご飯を作って、デザートに手作りの桃のコンポートとか2人で食べて、海外ドラマを見て…
多くは望まない。
誰かに話すこともSNSで呟くことも憚られる内容のため、『ブログ 匿名』で検索してここに書き落とすことにした。
規約違反で消されても致し方ない。
私はごく一般的な社会人2年目の女であり、現在付き合って5年になる彼氏がいる。
多少女友達とスキンシップの多い中高生時代を過ごしつつも恋愛対象は一貫して男性だった。
中学高校の6年間に渡る長い片思いの末に、情熱的な告白をして理不尽に冷めた後、大学で出会った好みの男性(今の彼氏)に猛アタックした、というのが私の人生における二大恋愛遍歴である。
ただ女体に触るのは大好きだった。
カラオケで親友(巨乳)の胸を揉ませてもらったり、寮のお風呂で友人(爆乳)の乳を揉んだり、サークルの飲み会で女同士濃厚なキスをしたりなどしていた。
このキスの相手がまたエロい体とぽってり唇の持ち主であり、どさくさに紛れてちゅーできて嬉しかったのを覚えている。予想通りふわふわの感触だった。
まあでもこの程度は学生ならよくある体験だろう。オトメの帝国でも散々描かれている通り、女同士はスキンシップが激しい。
もちろん嫌がりそうな相手には触らなかったし、踏み込んだことをする前には必ず許可を取っていた。嫌われたくないしね。
しかし楽しい学生時代が終わり、社会人になると流石に女友達とベタベタするわけにもいかなくなった。就職により友人とは離れ離れ。毎日会う同僚は友達ではないし、年代も違うし、同期は同期だし。
同期には私ともう1人しか女が居なかったため、必然的に4人で仲良くなった。
中でもAとは一人暮らしの家が近くて、かつ趣味も同じだということが判明し、急激に親しくなった。知り合ってひと月もしないうちから家に泊まり合っていたと思う。
昨日も久しぶりに泊まりに行った。
ご飯を食べて、お菓子を食べながら趣味に興じて、夜が更けると当然猥談が始まる。
男のエロ話はファンタジーで女のエロ話はドキュメンタリーと聞いたことがあるが、実際はバラエティ番組のトークのようなものだ。
今までの経験から面白エピソードを次々繰り出して爆笑したり、赤裸々アンケートをとったり、たまには真面目にコメントしたりといった感じで展開する。
○○に抱かれたぁい♡ とかカレピのdickが大きすぎて気持ちいいの♡ いいな〜♡ なんて話はしない。
そもそも大きいdickは女性陣には本気で不評なのである。私は「内臓が掻き回されてるようで気持ち悪い」以外の感想を聞いたことがない。
Aとの猥談もひどかった。
Aは特定の相手を持たず行きずりの男と関係を持ちまくっているので、愉快な話には事欠かない。
最中に体位を3回転させられた男、2時間コースでホテルに入ったのに10分で終わった男、車内でしかしたことがない幼馴染、ペニバンで彼氏を掘ってる元同僚などの話を緑茶片手に聞いていた。
その中で喘ぎ声の話になった。
Aは気持ち良さを感じたことがなく、全て演技で相手してきた。そのため変なタイミングで声を出したり演技過剰になってしまったりするのだという。
「本当に気持ち良くなるの? ていうかイったことある?」と聞かれたので、「なるよ! あるよ!!」と私がイけるようになった過程を懇切丁寧に説明した。
結論は「誠実な男性と回数を重ねましょう」ということになった。行きずりの相手はこちらの快楽まで気にしてくれないよね。
会話の最中何度か興味本位で「どんな演技か見せてほしい」と頼んだのだが、恥ずかしいと断られてしまった。
この時点で夜中の2時。そろそろ寝ようとシャワーを浴びる流れになった。この時「一緒に入ろう」と誘われたため、この子はセクシャルなスキンシップもOKだと判断した私は胸を揉んでいいか尋ねた。
彼女は快く揉ませてくれた。
シャワーを出た後もTシャツ越しにずっと胸を揉んでいた。もうここまでくると完全に性的な手つきになっていた。
さっきの猥談でも「女友達に胸を揉んでもらった時はめちゃくちゃ濡れた」という話をしていたから、行けるんちゃうかなと私も調子に乗ってマッサージを続けた。
胸の突起を掠めたり挟んだりしているうちにAの息が大きくなってきた。
「待って、あつい」と繰り返す声にこちらの息も荒くなる。
「やばいめっちゃ濡れてきた」と宣言されたので「本当?」と寝間着の上から触ってみると、座っていた彼女がガクッと仰け反った。
正直もうここで指が止まらなくなった。
親指でひたすらそこをぐりぐりと押すと、Aは肩で息をしながら倒れ込んだ。
両手で口を押さえて静かに喘いでいた。
演技かな、とは一瞬思った。
私は親指に全神経を集中させて気持ちいいところを探っていた。
自分と同じ体を持つ相手なので、どうすれば良くなるのかは何となくわかる。Aが大きな反応を見せた角度で擦りながら、徐々に下に下げていく。穴に近づくと反応はさらに大きくなった。
しかし少しでもポイントを外すと回復されてしまう。声が止まって呼吸音だけになったら分かりやすいところからやり直した。
これ以上ない、という箇所をしつこく擦っていると突然Aの腰が跳ねた。脚がぐっと閉まる。私の腕を掴んでいる指が爪を立てる。
いったかな、いや分からんな。としばらくそのまま擦っていた。Aはひたすらびくびくしていた。
口を押さえる手が外れ、喘ぎ声がかなり大きく響いていたので、あれは絶対隣に聞こえていたと思う。
反応が落ち着いたので指を離すと、Aは汗だくだった。
「大丈夫?」と聞いたら「のどかわいた」と返ってきた。痛くなかった? 大丈夫? と何回も聞いていた気がする。
お茶を飲ませて、頭を撫でているときもAはずっと肩で息をしていた。
「足に力が入らない」と布団に倒れ込んだ彼女の体を撫でていると、また良い反応が返ってきたので今度は下着の端から指を入れた。
直に触ったそこは本当にぐしょぐしょに濡れていて興奮した。
直接触るとどこに何があるかわかりやすいなあ、とか考えながら再び擦った。流石に穴には入れられなかったけど、さっき以上に声を出して身悶えてくれる姿をみて私は非常に満足していた。
それが終わったらまたお茶のコップを渡して、大丈夫か尋ねて、仰向けになったAを撫でた。
Aはしゅごい、やばい、と呟いていた。
「手が痺れてる」「どこに何があるか分かんない」という感想を聞きながら、穴使わずにこの状態ってめちゃくちゃ感度高いんじゃないの? と思ったけど言わなかった。
演技かもしれないという可能性を捨てきれていなかったのだ。
ハーフパンツから出た太もものあたりをソフトタッチしていると、「そこやばいくらい気持ちいい」と教えてもらった。位置を変えながら爪の先でゆっくり撫でると、Aは本当に気持ち良さそうに身をよじらせていた。
左の膝から上をただ撫でるだけで面白いくらい反応するので、私はまたしつこくそこばかり触っていた。
そのうちに内ももを撫で上げて、また服越しに局部を弄り始めた。
徐々にまた興奮してきた私は脚を固定して閉じないようにし、彼女の上半身に背を向けて下半身に向き合い、両手を使ってひたすら刺激する。
背中に爪を立てられながら「いったかな?」というところまで弄り続けた。
もうAは喘ぎっぱなしだった。口を塞いだほうがいいのかとも思ったけれど、手で塞ぐのも乱暴だしキスするのも変だし、何より声を気にしてほしくなかったからそのままにした。隣の人には本当に申し訳なかった。
最後の痙攣を感じて、ようやく私は指を離した。Aは息も絶え絶えといった様子だった。
汗だくのAは「すごい、足の感覚が本当にない」「もっかいシャワー浴びる」と言ってその場で服を脱ぎ、ふらふらとバスルームに入った。
朝の4時半になっていた。
電気を消したらカーテンの隙間から光が見えたので「朝じゃん」と二人でつっこみながらすぐ寝た。
翌朝(昼)に何食わぬ顔で解散してきたけど、衝撃的な体験すぎて一日中思い返していた。
私は手マンの才能があるのかもしれない! と自信満々にこれを書き始めたのだが、書いてるうちにやっぱり演技だったんじゃないかという疑念が拭えなくなってきた。
演技にしては汗をかきすぎていた気もするし、でも過剰といえば過剰な喘ぎ声だったようにも思う。
次があれば指を入れてみたい気持ちと、行きずりの男にも全力でホスピタリティを与える優しい彼女を私の自己満足のために長時間付き合わせてしまったことへの後悔が交互にやってくる。
足腰立たないのはリアルだった。
やはり彼女は演技を見せてくれたのかもしれない。
終わり。
22歳卒業後は超大手ハウスメーカーに就職するも、流行りのアパートを設計する事業部に就職した。
毎日同じようなアパートを設計し、現場を確認するのに辟易とした。それでいて利鞘は良いもんだから余計に心が痛んだ。大学の時に教わった古民家活用、都市計画、景観など全く眼中になかったからだ。
近くに工場ができるからそこにアパートを建てるべき、また、人口減少社会においては単身世帯がたくさん増えるためワンルームアパートが必要という売り込み。
それでのどかな田園風景がどんどん気持ち悪い建物、統一感のない街並みが出来ていくことに嫌気がさした。俺にはどうしようもない、止めることができない俺はもっと嫌だった。嫌になった。
気がついたらもう実家に帰っていた。
本当はこんなことよりもっと国際的な仕事をしたかった。人口減少社会においても健全なまちづくりをしたかった。障がい者にも優しいまちづくりをしたかった。
そのときに僕が気がついたのは技術+金のガチョウがまだないこと。金のガチョウがいれば前の僕よりは大きな僕になれるのではないか?
僕の理念に沿った金のガチョウを探す旅が始まり、世界各地を廻ってきた。そして見つかった。大学時代の恩師が研究していたことがまさに金のガチョウたるものだと思った。
それをすぐに起業しようと思ったが実家は田舎、理解のできる人々がいない、金もない。だんだん家賃も払えなくなってきた。
じゃあどうする…仕方ないアルバイトしよう!新聞配達をしたが四日でやめた。あれほど本当にその人でなければならない理由がある仕事ではないと思ったのは初めてである。
じゃあどうする。派遣会社に登録しよう!でも、そこに最先端の技術を求めてる求人はない!じゃあ転職支援会社のDODA,そこにもなかった。というかそういう話わ聞いたのは初めてだと聞いた。新しいことにチャレンジする人はそこに行かないのだろう。
一体どこにあるんだろう…よく考えたら会社のホームページから申し込めば良いだけじゃないか…!!それだ!でようやく話を聞いてくれる人が見つかった。あぁ、そうか同じことを考えてる部署があるんだからそこの人と接点を持てばよかったのか…と思いつつ面接。通った。
それが外資系IT企業でスマホからIoTまで幅広くやってる会社なんだから人生は面白いなぁと思った。平均年収も商社並みだから余計に。
親に死んでしまいたいと言ってたあの時は本当に自分自身のことを理解できる人が周りにいなかったから、そう思ってたけれど、そんなときは新しい知り合いを作って自分の価値観、信念を理解できる人を探すのが本当に大切。それへ歴史の偉人から学んだことであり、今後困難に直面したときは迷わずその道の第一人者に相談することにした。
ミスターマックスでポテチ全種(PBのやつ)とリスカのしっとりチョコを買ってドラッグストアでこんにゃくぜりー全種2袋ずつかって食いまくりたい
1回の金額は高くても、かつやでおもいっきり贅沢する800円くらいでしたほうが多分健康にも財布にもいいんだろうけど
しょっぱいポテチとあまいしっとりちょこを交互にたべてのどかわいたらこんにゃくゼリーでのどをうるおすんだ
ああああああああああああああああああ
野菜たっぷり袋ラーメンを深夜に食べるという不健康メシで我慢しなきゃ
甘いお菓子たべたいけど野菜たっぷり袋めんのほうがまだいいでしょ!!??????
コンビニの100円レンチン冷食のギョーザとラーメンとチャーンの簡易定食で食べたいの!!!!
日水っだっけか?
かつ丼もたべたいの!!!
カレーもたうべいあにた0ぽ!はんばーぐもおなおちあうい
誰かたすかえて
https://twitter.com/ihayoichi/status/940782639132188672
米軍大型ヘリの窓枠が落下した普天間第二小学校は、普天間飛行場の滑走路の延長線上にあり、米国連邦法が米軍飛行場に義務付けている「クリアゾーン」内に入っている。1969年に小学校が建設された後、日本政府によって滑走路が延長された。政府は見て見ぬふりをし続けている。
に対して
「何でそんな所に小学校を建てたんだ」という、小学校が建設された後に滑走路が延長されたと書いてある事すら読めないバカは救いようがないとしても
「何で移転しないんだ」ってのは、「沖縄のあの辺に移転出来るような土地なんかねえよ」と言う前提が分からないんだろうな…
ネトウヨは沖縄を自然いっぱいの田舎ののどかな島だとでも思ってるフシがあるが、実際は建物すし詰めで土地が全然足りない。
那覇市の人口密度は横浜市並みってのは割と有名なようだが、宜野湾市は米軍基地分の土地を除けばそれ以上じゃなかろうか。
小学校は当然その学区の子供が通える範囲内に無ければならないわけで、その範囲に移転出来る土地なんかないだろってのは現地を知ってる人なら分かるんだが。
ついに連勝数を29に伸ばして歴代トップとなった、将棋の藤井4段の破竹の勢いが止まらない。
藤井の強さの秘訣は、何人ものプロが既に指摘しているように、荒削りな部分を感じさせない完成された立ち回りによるところが一番なんだろうけど、自分がそれ以上に凄いと思うのは、どんな状況であっても平常心で将棋と向き合うことのできる彼のメンタル。
もしも自分が同じ立場だったら、5連勝くらいしたところで、加熱する報道もあいまって、「もう次こそは駄目かもしれない」「なんとか周囲の期待にこたえなければ」といったプレッシャーに負けて、実力が全く出せなくなるのが容易に想像できる。
藤井の、どんな状況であっても心の中をのどかのどかに保てるというのはそれ自身が一種の才能だと思う。どんな逆境・困難も自然体で受け止め、ワンツーパンチで華麗にねじ伏せる、そんな強さを藤井の中に感じる。見習いたいところだ。
ニューサロメ ぼくってさーあ
君のさあ でも知らなくない?
わくわくしてたのに、あの日は…
好きだったのか?そんな気もするが
おどっておこう!世界も終わるし
もうさーあ やんなっちゃうよな
いままでなんだったんだろう
でもなんかいい感じ
あーあこれが自由か
紙コップ自販機
つらくない?いつもあの
赤ランプ どきどきするし
なんだか遠くの星にきざまれた傷の
ような気がして…やりきれない…
チャックが まれに とじていた だめになる
とうめいのほうがずっといい お湯もだし
私ばっかりって感じ あついし…
卓越 かんじがきらいです
よんどころない とけている ゆるくゆるびもてゆく
だからなんだよ?
シャープペンシルがにらむ ボールペンにすさまじく遠く、知らない これってなんだ?
のど、のど、のどかわいた…そんなに遠いのにさ?
あからはじまることばの数の知らない家の知っている人
夢の中でやってしまった苺色のカンパリ飲み干して護ってた純潔ゆくゆくはブランコに放り投げちゃえ
オウムの足つき本当に愛しているんだろ
昨夜落ちてきたピンクのマリッジブルーはちょっとしょっぱい結晶でした
わけのわからないことを言おうと頑張る乳幼児は早速パーティーへ繰り出して乗り回せ
PS Vita用ゲーム「艦これ改」ですが、先日めでたく1年足らずの販売期間を無事終了しました。
さて。このゲームは
「いつでも、いつまでも。提督の手に 「艦これ」そして「艦娘」を--。」
という謳い文句を掲げておりますが、その実は
『周回プレイで次に持ち越せるキャラ数に制限がある』(最大88人(最高難易度をクリア時))
という、コンセプトを真っ向から否定することで数多のプレイヤーのやる気を削いできた大きな欠陥が存在しています。
運営が、1年に満たない期間で販売を終了するというのなら。
この見捨てられた世界を約束の地として楽しむ方法をせいぜい広めさせて頂きましょう。
誰でもできるわけではないですが、ゲームが掲げたコンセプトの通りに育てた艦娘を一人たりとも犠牲にすることなく周回プレイをするための方法をここにまとめます。
本文中に登場する各ツールやプログラムの入手方法や導入方法、使い方については自分でお調べください。
また、この記事の情報をご利用されたことで発生するいかなる損害・不利益に対して直接的、間接的な責任は負いかねます。
「Vita Save Manager」がインストールされていること
=「HENaku」が導入されていること
≒VitaのFWが3.60であること(3.60未満なら3.60へ。3.61以上の場合はダメっぽいです)
艦これ改セーブデータエディタ(http://larksan.wp.xdomain.jp/?p=1893)
--導入方法自体には高い難易度はありませんが、FWのバージョンを3.60(またはそれ未満)に留めているVitaが手元にあるかどうかが、そもそも高いハードルである気はします。
ゲーム中のセーブデータを使い、セーブデータをPCに転送&ファイルをエディタで編集&Vitaに書き戻し、まで出来るようにしておくとGoodです。
そのついでに各資材やバケツ、ネジを最大値にしてからプレイすると難易度はぐっと下がりますが、
どこまでセーブデータをいじってプレイするかの匙加減はご自分の後ろめたさと相談で。
最終海域である「深海中枢海域-4 深海棲艦最終艦隊」の攻略前のタイミングです。
通常であれば「引き継ぐ分だけ艦娘や装備のロック」を行う場面となります。
まず、通常通り「(本来のゲームシステムで)引き継ぐ分だけ艦娘や装備をロック」しておきます。(丁なら20→報酬艦の分を引いて19人)
艦娘はエディタのコピー機能を使って最終的に引き継ぐことができますが、装備についてはそのような機能はないので
システム上の引き継ぎ制限数を超えて引き継ぎたい分については艦娘の誰かしらに装備させておきます。
また、引き継ぐためにロックをかけた艦娘(丁なら19人)はとりあえずどこかにメモしておきましょう。
情報が整理できたら、プレイの最終状態を記録するためにセーブしておきます。(このデータを"Save-0"とします)
艦娘の引き継ぎ方法を聞かれたら「ロック優先」を選んでおきます。
また、EDの終了後にセーブタイミングがあるのでここでも念のため保存しておきます。(以後、このデータを"Save-1"とします)
ED後セーブが終わるとゲームのスタート画面(タイトル画面)に戻るので、着任ボタンをタップし引き継いで2周目を開始("Save-1"をロード)します。
そして、最初の秘書艦選ぶ→OP終わるまで待つ→執務室となります。
この時点では、ゲームシステムによる引き継ぎが行われている状態です。(2周目開始時に選んだ秘書艦+ロックした19人(丁の場合)+大和)
手順b.で用意した通りに艦娘と装備が引き継がれているか顔ぶれを確認しましょう。何か手違いがあれば、諦めてそのまま進めるか、あるいは手順b.からやり直しです。(リセットして"Save-0"をロード)
問題が無ければここで即座にセーブします。(このデータを"Save-2"とします)
"Save-0" | 全艦娘が存在しているデータ |
"Save-1" | クリア後、引き継ぎが行われてしまったデータ(2周目を開始する際にロードしたデータ) |
"Save-2" | 2周目開始直後、引き継ぎが行われてしまったデータ |
という状態です。
以下の手順で、セーブデータエディタを使いSave-0とSave-2を手動でマージします。
ゲームを終了し、セーブデータファイルをPCにダウンロードします。
そしてセーブデータエディタで"Save-0"と"Save-2"のファイルを開きます。
メニューから「艦娘ツール」を選び、Save-0からSave-2へコピーします。
ただしシステムで引き継ぎ済の分(b.でメモしておいた分(丁なら19人分))は除くこと。でないと引き継ぎ済の艦娘が重複してしまいます。
勲章や戦略ポイントは引き継がれませんが、これらも引き継ぎたいならここで設定しましょう。
また、もし最終面攻略中にドロップした艦がある場合、その艦娘は"Save-0"にも"Save-2"にも存在しません。
諦めるには惜しい場合にはここでエディタの機能で追加してしまいましょう。(自分の場合、浦風がドロップした)
引き継いだ艦娘の人数や装備品の数がデフォルトの上限より多い場合、ツールで自動的に拡張されるようですが、
ここはいっそMAXまで上げてしまいましょう。(艦娘一覧/装備一覧のタブ)
上記の一通りの編集作業が完了したらセーブデータをVitaに書き戻します。(Restore)
改めてゲームを起動して書き戻した"Save-2"のデータをロードし、プレイを再開しましょう。
1周目で育てた全艦娘がそこに居るはずです。まずは操作上のミスで無くさないよう、拡張引き継ぎした艦娘のロック設定を。
本当ならもうちょっとスマートに全艦引き継ぎできないかと思ったんですが、引き継ぎ数のようなパラメータを(艦娘マスタデータのように)外部ファイルに出してないかと思っても、
引き継ぎ処理のソースコード内にがっちり数字でコーディングしてる以上どうしようもなく。
あとは、丁でプレイして最終面だけ史に切り替えるとか試したけど、史クリアしても引き継ぎ数は88人なんですよね。
艦これ改というゲームについてですが。まぁ、散々な言われようをしてますが、
「PowerPointで作ったとすら言われる貧弱な画面デザイン」→それを補って余りあるボタン操作でのサクサクオペレーション(というかそもそもメニュー画面なんか見慣れれば気にならない)
「水上スキーな戦闘画面」→これまたそれを補って余りある戦闘シーンショートカット(なので戦闘画面自体見ることが少ない)
と、言われているマイナス面をプラマイゼロにする程度には良いところだってあるよ!
ゲームの基本システムだって、基地航空隊とかゲームルールがインフレする前の、まだのどかな頃のものだし。
あと、Live2Dの使い方は今まで見た中で結構上手い方だと思う。
データローディングが長いのだけは本当に勘弁だけどね。
個人的には、そのあたりのゲームの操作性的な話よりも
「いつでも、いつまでも。提督の手に 「艦これ」そして「艦娘」をーー。」なんて謳ってながら『周回プレイに引き継ぎ数制限がある』
というゲームのコンセプトを真っ向から否定する仕様の方が意味不明。そもそもなんでそんな制限が必要なの???嫌がらせか?
あと、事前の情報では「引き継げる」とは言ってても「引き継ぎ数に制限がある」という情報は全ッ然出してなくて、発売後までだんまりだったよな。詐欺か?
まだ2周目をやっている最中なのでこの手法でこの先ずっと問題なくプレイし続けられるのかはまだわかりませんが、
ひとまずはツールの力を借りることで
-このゲーム本来のコンセプトの通りのプレイが、
-「手塩にかけて育てた艦娘全員と、どこまでも歩み続けること」が、
可能になりました。
FW更新できなくなったVita1台で「いつでも、いつまでも。」を、その通りにプレイできるなら安いもんでしょう。
せっかく買ったのに引き継ぎ数制限のためやる気を無くして放置している提督達のうちからプレイを再開する人が出れば、
また、活躍したのに次の周回に引き継がれず存在が抹消されてしまう艦娘が一人でも減れば、幸いです。
最後に。このゲームの最大の欠陥に対して回避手段を用意してくれた艦これ改セーブエディタ作者様に心からの感謝を。
先月で二周忌でした。
随分記憶は薄れるものだなーと思っていますが、薄れた記憶は「もういない」という点で、つまりまだ普通に会うつもりでいる自分に気づいて「は、いやいやもう死んじゃってたわ〜うっかり忘れてた」みたいな、そういうぐるぐるが続いている感じです。
どうしようもないのだろうけど、あの日以来、自分の半分が一緒になくなってしまったみたいになっていて、自分でも驚くくらい、頑張れなくなっています。
ふんばりがきかないし、そういう気力が起きません。もう少し、ここぞというときに馬力を出せるタイプだったのに。
できれば、踏ん張りがきいていた頃の自分に戻りたいけれど、毎年確実に歳を重ねていっているわけで、この気力の出ない理由が、失ったからなのか老いなのか、両方なのか、今後は区別がつかなくなっていく気がしています。
以前の自分なら考えられないことなのだけど、これ以上人と関わるのに疲れてしまった、と思った瞬間があって、
フェイスブックをやめて、それによって連絡する友人はほとんどいなくなりました。
感情が我慢しきれなくなったときに、どうしようもなくなったときに、誰かに聞いてほしいと思うこともあるのですが、数少ない連絡を取ろうと思えば取れる友人たちとの普段の話題が、生まれた子どもの話とか、結婚焦ってる、とか、そういう話題なのに、辛気臭い話をしたくはないので、結果、その都度喉元を過ぎるのを待つという方法を取っています。
報せを聞いたとき、一気に世界観が変化していく感覚に襲われて、部屋がやけに静かになってしまって、混乱しつつも、音楽というか歌を探さなきゃと思ったんです。
人を失ったときに聞く歌を、グーグル先生に聞いたり知恵袋を検索したりして、案の定見つからなくて、参ったなーと思いました。普段ほとんど音楽を聞かない自分がこんなに音楽を必要としているのに、普段音楽を聞かないから探している音楽の見当がつかないという…。
でもある日ジブリの「風立ちぬ」を見る機会があって、松任谷由実の「ひこうき雲」が印象的で歌詞を調べたときに、この歌だったんだなと思いました。あの子もまた、あまりにも若すぎました。
どうしようもないときには、風立ちぬで主人公が「君は生きねばならない」と言われるシーンを思い出すようにしてます。
もし本当に私の半分はいなくなってしまったとして、もう戻ってくる類のものではないならば、残った半分でやっていかなくてはならなくて、そのための充電期間と考えたいですが、それにしてもまったく充電できていない。バッテリーの問題かなー。
…ですます調で書いたら、のどかなインタビュー記事みたいになってしまった…すごくうさんくさくなっててちょっと笑える。笑えない。
神戸と京都に関する素敵な文章を読んでしまったので私は盛岡のことを書く。すごく需要は少なそう。
盛岡は新幹線が止まる町だ。一昔前までは東北新幹線の北端でもあった。というわけで全国のみなさんが想像する平均的岩手県像よりはちょこっと発展していて、町の中心部には生活に必要なお店とぶらぶら立ち寄れる場所がまばらにある。
駅前には何もない。女子の買い物はフェザンか郊外に2つあるイオンかで済んでしまうから町中を散策する必然性はない。それでも地下道を潜っていくと右側の道の2階にこじんまりとしたアニメイトがある。
観光客に人気のじゃじゃ麺屋をスルーして開運橋の交差点まで出る。(通ぶった地元民は岩手公園の近くのお店に行きたがるけど私はどっちもおいしいと思う。というか自分で調味料を混ぜるのでどこで食べても毎回違う味になる。冷麺は普通)
この開運橋の景色はちょっと有名。バスカードにプリントされたりNHKの朝のニュースの最後に映ったりかつて比嘉愛未さんが朝ドラのロケをしていたりした。
もうちょっと行くと大通りっていうさして大きくもないアーケード街に入る。半分がシャッターが降りた店で残り半分は美容院と歯医者とカラオケ屋だ。あと居酒屋。全国チェーンじゃない安いお店が結構ある。モンキーズキッチンという名前の通りびっくりドンキーみたいにちょっと薄暗い店内で葉っぱ飾りがいっぱいのお店があった。お酒を飲めなかった大学時代はばななみるくばかり飲んでいた。ところでみんな知らないだろうけどびっくりドンキーの1号店は盛岡の「ベル」なんだよ。メニューは普通のびくドンと同じなんだけど座敷の離れがあったりしてちょっと落ち着いた雰囲気が良かった。高校時代の部活の打ち上げにもよく使った。同級生のデートを目撃したりされたりしたのは淡い思い出だ。
ベルまで行くとすぐ岩手公園のお堀が見えてくる。現・盛岡城跡公園の名前の通りお城はない、石垣だけ。菜園のほうまで曲がっていき一際急な斜面を登って公園に入る。菜園という地名が好きだった。畑はなくて地元資本の百貨店がある。パン屋さんと親がお歳暮買うのに着いていったぐらいしかご縁はなかったけどたまにトイレは借りていた。無料のほう。
岩手公園の裏側っていうと失礼かもしれないけれど、まあ大通りと逆側にはベンチがいくつか設置されていて、脇を流れる中津川と対岸に構える岩手銀行本店の明治風建築をぼけっと眺めるのに良かった。中津川は常時川底の石が見えるくらいの清流で、冬には鮭が遡上する。それを地元のテレビ局や熊が追いかけにくる、のどかな町だ。初めて京都に行って鴨川を見たとき、「あ、盛岡だ」と思った。逆なのは分かっているけれど地元愛ということで許して頂きたい。ここもカップルが等間隔で並んでいることが多い。
盛岡は北上川と中津川と雫石川の間になんとか町を作ったようなところなので、少し歩けば必ず川に当たる。お気に入りの橋のひとつやふたつできるもので、私はやっぱり富士見橋、毘沙門橋、与の字橋の順で好きです。
バスセンターより向こうには友人の芝居を見るのに何度か足を運んだ。地下の小さなホールで間近に、でもいつもと違う友人達の姿に触れて、帰りのバスの中でもずっと別の世界から帰ってきた感覚が抜けなかったな。天満宮で願掛けし、急な石段を登って振り返れば真っ直ぐ長い道が町中まで続いているのを見通せた。
町のこちら側に寄ってくると青春の痛い部分が刺激されてきたのでもうそろそろ盛岡駅に戻る。でんでんむしバスで100円で着く。駅のドトールと西口のアイーナには受験勉強と称してよく入り浸った。贅沢でのんきな受験生だった。