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週刊少年ジャンプ史上最も重要なマンガ20選 https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
上記に触発されて書く。
膨大な量があり、どれがどれに影響を与えたかも把握が難しいので色々補足反論、コメントしてくれると嬉しい。
2002年に九里史生(川原礫)氏により、氏のホームページ「Word Gear」にて発表された。2009年に電撃文庫から書籍化。
先行の類似設定の作品にウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』、岡嶋二人『クラインの壺』、高畑恭一郎『クリス・クロス』がある。
また映画では『マトリックス』、同時期にゲームでは『.hack』などが発表されたが、
いわゆるVRMMOというジャンルがWeb小説界で隆盛したのは間違いなくこの作品の影響が大きい。
2013年発表。以降の悪役令嬢(転生)ものに多大な影響を及ぼした。
恐ろしい更新速度と内容の面白さで「小説家になろう」のランキングを駆け上がった。
そして突然の更新停止で読者を地獄に叩き落した。今も叩き落とし続けている。
当時は男性向けが幅を利かせていた「小説家になろう」の中で、女性向けが人気を獲れることを証明した作品でもある。
少し脱線した語りになるのだが、Web小説は既存の小説媒体と比べて「文字数制限がない」のが大きな特徴だと思う。
SF小説家フィリップ・K・ディックが「短編、中編、長編といったメディアの制約がそのまま物語の制約となってしまっている」というようなことを書いていたと記憶している。
Web小説にはそれがない。なので、キリのいいところで盛り上げたり終えたりする必要がない。
この謙虚・堅実はそのWeb小説の特徴をいかんなく発揮した物語だと感じた。
2005年に魔法のiランドで発表。以降書籍化、漫画化、映画化、ドラマ化と立て続けにされ大きなムーブメントを起こした。
その口語的な等身大の文体には賛否両論があったが、多くの当時の若者の心をつかんだ。
(それにしても、あの頃僕らは魔法のiランドでクソみたいなホームページをたくさん作っていた)
劇場版エヴァ(EoE)の衝撃的な終わりにおかしくなった若者たちは、その情熱を二次創作に注ぎ、いくつもの名作・怪作を生んだ──
エヴァFF(ファンフィクション)の代表として2nd Ringをチョイスさせていただいた。
LAS(ラブラブ・アスカ・シンジ)かLRS(ラブラブ・レイ・シンジ)かでいうと、LRSの王道逆行モノである。
特に転生・逆行・ヘイト(ザマァ)・最強もの的な要素は二次創作からの流れが大きいことが指摘される。
ただ二次創作は広く、深い。To Heart、TYPE-MOON作品などエヴァ以外に盛り上がった作品は多いし、夢小説やBL二次小説までいったらもうお手上げである。
2chのSSが書籍化、漫画化、アニメ化するなんて信じられない。
でもまおゆうはそれをやった。
SSとはショートストーリーの略で、2chにおいてはニュー速VIPなどの板で盛んに制作された物語の形式である。
キャラ「〇〇〇」
当時は2chまとめサイトが多くあり、まおゆうもまとめサイトに乗り人気を博した。
後にゴブリンスレイヤーなどのAA(アスキーアート=文字で絵を表現する形式)スレの書籍化にもつながる影響を残した。
電車男などを入れるかも迷ったが、小説ではないのでランクインしませんでした。
今度出るドラクエ3リマスターの話題を見かけて、そういえばドラクエって5くらいしかやったことがないなと思って、やってみた。いまだとほとんどスマホでできるんだね。3はリマスターが出るわけだから後回しで、1、2、4、5、6、7を一気にやった。スマホ版だと4から仲間会話があった。
1は意外と親切に行き先とか教えてくれるし、プレイしやすくて面白かった。仲間がいないというのが逆に新鮮で、竜王戦で1ターン分回復タイミングを読み違えて負けたのは悔しかった。
2はあんまり親切ではなく、行き先がわからないことが多くて難しかった。敵の強さは調整が入って難易度も下がってるらしいけど、ロンダルキアはなかなか抜けられなくてきつかった。落とし穴とスマホ操作の相性の悪さもあって、まっすぐ進みたいのに足を滑らせるというのが頻発。役立たずと聞いていたサマル王子は、トラマナをしたり地味だけど必須の仕事をしてくれて、個人的には好印象。頑張ってる。
4はキャラが立ってて面白いね。仲間会話を見てるとアリーナがもはや新しい戦士に会うたびに手合わせを望む戦闘狂みたいになってた。マーニャはカジノに行くたびにギャンブルしたがるし、クリフトとミネアの胃が心配。
5はデボラがいるのを初めて見たのだけど、結構いいキャラで、どこかに行くたびに話しかけてはしもべ扱いされるのが楽しくて、離脱期間がかなり寂しかった。あと改めてプレイして、本当にストーリーがよくできてると感じた。子供時代のちょっとした冒険が何一つ決して無駄にはならず、最後に繋がっていくのがいい。5主人公は少しセリフがあったり、仲間会話で子供たちから「お父さん、泣かないで」などと言われたり、プレイヤー自身の投影でなく独立の主人公という感覚が強かった。
6もストーリーがよかったな。弱い弱いと聞いていたバーバラを気に入って一度も馬車にも入れずパーティで使い続けてたのだけど、そうしたらラストがかなり切なく感じて、スタッフロール後のやり取りで笑顔になってしまった。主人公、ハッサン、ミレーユ、バーバラのエピソードが物語にかなりしっかり組み込まれてるから、この四人の物語という印象が強くて、ミレーユと密接な関係のテリーはともかく、チャモロやアモスは印象に残りにくかったのが残念といえば残念。あとストーンビーストとムドーがやたらと強かった。ストーンビーストは本当に、なんなんあれ?設定ミスとかじゃないの?
7はファンの評判は芳しくなさそうだけど、個人的には好きだな。移植版だと石板が探しやすくなっているみたいで、その辺の差もあるのかも。最初はちょっとした冒険だったのが、いくつもの場所に行き、出来事の繋がりがわかっていって、少しずつ世界の成り立ちを理解していく感じが面白かった。あと転職で衣装変わるのも可愛くていい。モンスター職にするとモンスターそのままになるけど、あれも着ぐるみたいな方向だともっとよかったな。仲間の姿じゃなくなるのは寂しい。仲間会話も癖が強くて楽しかった。
8も近々やる予定。9は気になるけど今のところ移植がなさそうなんだよね。10はオンラインだから別枠として、11もやりたいな。
今のところ個人的な評価としては、ストーリーが好きなのは6、プレイしていて楽しかったのは7かな。でも全部しっかり面白くて、さすが人気シリーズはすごいと実感したよ。
数年前、twitter(現X)で鍵付きのアカウントを使っていて、たまたまオススメに出てきたFF外の人のツイートを引用RTした
そのツイートの内容は「仕事がしんどい」といった内容で、とても共感したので「ほんとこれ」という感じで引用RTをした
1日経って、オススメにその人の別のツイートが表示されたが、その内容が
「鍵垢に引用リツイートされてる、怖い」 「(鍵垢による引用リツイートのせいで)死にたい死にたい」というものだったので驚いた
確かに裏で何が言われているのかわからないのは怖いだろうし、申し訳ないことをしたと思い引用リツイートを取り消した
それ以来引用RTは一切していないが、鍵付きアカウントによる引用RPをここまで嫌がる人はどのくらいいるのだろうかと気になった
いろいろ調べてみると、鍵アカで引用RPをする人間はまるで犯罪者のような言われようである
鍵アカに引用RPされたくないという気持ちは分かるが、死にたくなるほどであれば
引用RPがされないようにアカウントに鍵をかければ良いのでは?とも思う
総合力においてはスーファミ時代にロマサガシリーズとDQ・FFが争っていた頃がピークで、そっから先は「グラは進化したけど体験としては・・・」って状態でずっと停滞してるよな。
アクションRPGやシミュレーションRPGといった派生ジャンルと混ぜることで多少誤魔化そうとは出来てるけど、それでも総合的な面白さにおいては「グラが進歩したおかげでちょっと加点されてるのを除けば・・・」という感じかな。
そもそもテレビゲームという遊び自体がある種のリミットまでたどり着いてるような気がしてならん。
映画にしろ音楽にしろ文学にしろ最高得点という意味では過去の傑作と同じぐらいまでしかたたけず、平均点が少しずつ上ってきているだけに留まっている気がしてならん。
なんつうかさ、人類の進歩自体がボトルネックに引っかかってる感じだよね。
こっから先をもう一歩進む方法自体はなんとなく分かってるんだよ。
「バーチャル空間で擬似的に夢を見せる」っていうSFでよくある没入体験方式を実現させること。
極端なことを言えば、脳に直接刺激を叩き込んでいければ人類が直面している表現のリミットは突破できる。
人類の脳みそ自体をレベルアップさせてよりハイコンテクストなコンテンツを気軽に楽しめるようにするって方向もありだと思う。
つまる所、あらゆる文化が脳科学の進歩に将来を託しているのが現状なわけだな。
なんだか虚しくなってくるね。
結局は基礎科学と学の技術こそが世界の根底を底上げ出来る力であり、それ以外の「文化的なモノ」は全てそれに依存するだけなんだから。
たとえば絵の具を作り出すために必要な工業的な技術が発達するまでは、それっぽい色の石ころを必死に擦り付けてガビガビ画質の壁画を作ることしか絵描きには出来なかったわけだ。
無力すぎて可愛そうになってくるよね。
だからこそ芸術家みたいな連中はその弱さを取り繕うために「どうだ俺達こそがスーパーヒーローなんだ」って振る舞ってるのかなあ。
50才を目前にして、ふと思い立ってゲーミングPCを買ってみた。
元々ゲームに熱心な方では無く、直近でプレイしたのは1年前に娘のSwitchでP5をやった。
PS2の頃は、FFや女神転生、フロントミッションなどRPGを好んでやっていたが、
シムシティのような、腰を据えて長く育てていくようなものも好きだった。
新しいPCでも、とりあえずモンスターハンターワールドをやってみようと思うが、
せっかくなので色々やってみたい。おすすめを教えてくれるとありがたいです。
PCのスペック: Ryzen7、GeForce RTX 4060、メモリ64GB
ストーリーだけど、そう思ったけどそうじゃなかったぜ系が多すぎない
シドが壁に打ち付けられて吐血しながら、主人公に先に行けしておいて
すぐあとに何事もなかったように出てくる
死んだんじゃなかったのかい
シドが召喚獣なりすぎて腕が石になりかけるから、きっと石になって死ぬんだろうな
ラスボスらしいやつとのいざこざ中に殺されたぜ、おいおい絶賛石化中みたいなシーンは関係なかったのかい
こんな感じで肩透かしが多い、おいおいちゃんと伏線みたいなの作ってあるんだから使えよ
そもそもジルって何者よ、主人公兄弟と仲良くしてたみたいだけどさ
ジルみたいなヒロイン使うなら、主人公とジルとの出会いから始めてよ、少年と少女の出会いなんてFFらしいだろ
ネットの友達を作る手段として、Twitter以上に優れたツールはなかった
これら要素により、個の強さが目立ち過ぎず、クラスタごとの断絶も無い、緩やかなムラのような集団形成が可能となっていた。その結果、近い嗜好、思考様式の人間がなんとなーく緩やかに結びついたストレスレスな関係性がいろんな分野で生まれていた
イーロンに買収される前まではずっと良いツールであり続けていたと思うが、個人的には2011年くらいまでが特に素晴らしかったと思う。比較的テキストベースのコミュニケーションが得意なユーザーたちと、巨大な一つのムラの中でわちゃわちゃやったり、それを眺めたりする楽しさはそれまでのどのネットコミュニティにも存在しなかった
画像や動画ツイートが可能になったり、震災をきっかけに少しユーザーの質が変化してきたのが2010年代前半だったが、それでもまだ自衛すれば全然よかった。2010年代後半からはだんだんつらくなっていった。スマホの普及が本格化した結果、Twitterも一般化、大衆化し、現実社会と同じ面倒臭さを持った人間(異論を認めないマウント大好き界隈)がジャンルを問わず跋扈するようになった。イーロンマスクがとどめを刺した後の現状は語るまでもない。
今はDiscordに引きこもって身内とまあまあ楽しく過ごしているけど、その身内ってほとんどTwitterで出会った人たちなんだよな。今何もない状況から彼らと知り合って友達になる方法は思いつかない。はっきり言って今のTwitterで出会った人とオフ会とかしたいと思えない
昨日の朝、推しがX上で私をブロックしていることに気がついた。
推しの周囲にいるスタッフさんが引用リポストした引用元が見えなくて、推しのアカウントに飛んだところ
「〇〇(推しの名前)はあなたをブロックしています。」と表示され、目玉が飛び出るかと思った。
このエントリはその人たちが「推し ブロックされた」で検索した時、その心に寄り添いたくて書く。長くなります。
ブロックに気づいたあと、私はすぐに
②自分のどのポストがブロックの原因になったのか を確認した。
まず、サブ垢からは推しのポストを見ることができた。最新のポストのいくつかに見覚えがない。10日ほど前のポストをタイムライン上で見た覚えがあった。
推しが私をブロックしたのはここ10日間ほどの間に起こった出来事らしい。
誤操作?とも思いたかったが、誤フォローと違って誤ブロックでは手順が多すぎる。推しが意図的に私をブロックしたのはほぼ間違いない。
次に私は直近の自分のポストを見直した。その時はまだ信じられないと思っていた。
というのも、ポスト内容には注意を払っている方だと自分では思っていたからだ。
ブロックされた推し活用に使っていた。100人を少し超えるFFがいて、日々推しが出ているコンテンツの感想を書いたり、FFと交流したりしていた。
感想ポストをする時はハッシュタグをつけていたし、推しがエゴサやパブサをしていることは知っていたので、以下のようなことに気をつけていた。
(必ず「今日の動画の〇〇さん、最高だった」というようにさん付けで書いていた)
・極端な愛情表現を含むポストをしない(ガチ恋を思わせるようなものなど)
※箱推しで、〇〇が推しメンというわけでもなく、リアコとかでもなかった。
なぜ自分はブロックされたのだろうか?その思いで自分のポストを振り返るが、どれが推しの地雷を踏んでしまったのかわからない。
というかこうなると逆に、全部が可能性があるように思える。
メンバーのうち1人だけ(〇〇ではない)最近仕事が忙しそうだと書いたことか?
タイムライン上でバズった話題について「この件について〇〇はどう思うかな?」と書いたことか?
〇〇が童謡を歌っていたのに対し、「幼少期〇〇がこれ歌ってたのかと思うと愛おしいな」と書いたことか?
〇〇が自分のラジオ番組で大暴れしているのに対して、「あいかわらず情緒安定してないw」と書いたことだろうか?
わからない。。。
正直「ブロックされるほどの内容か…?」と思っている自分がいて、ハッとする。
どのサイトでも「ブロックされるようなことはしていないと思っていても、大抵の場合あなたが何かしてしまっているのです。」と書かれていた。
今回はこっちが先に推しの気分を害しているのだ。推しは自分自身のタイムラインを清浄に保っただけ。
自分はむしろ加害者であり、その上自分のなにが推しを不快にしたのかもわかっていない。最悪だ。
このアカウントでは推し界隈で繋がったFFさんたちと楽しく交流してきた。
でも今は、私だけが、推しから「お前はいらない」と拒絶を突き付けられている。
いや、「お前はいらない」は言い過ぎなのかもしれない。
以前から〇〇は自分のタイムラインを清浄に保つためにわりと気軽にブロックをしていることを話していた。
その時はまさか自分に関係する話だとは思っていなかったのだけど。
今でも他のメンバーはフォローできているし、番組の公式Xなどもフォローできている。
スタッフさんたちが私の感想ポストにいいねをくれることもある。
コンテンツは今まで同様に楽しむことができるし、FFたちとの交流もできる。
できなくなったのは「〇〇のポストを見ること」と「〇〇が私のポストを見ること」の2つだけだ。
前者は、別アカウントで〇〇をフォローして、通知を入れておけばいい。
後者は、別に元々見てほしいと思っていたわけではない。ハッシュタグをつけている時は「もしかしたら本人に届くかな」くらいの気持ちはあったが、
メンションしたりリプを送ったり、DMを送ったりしたことはなかった。
つまり、失ったものは極めて小さく、ほとんど今までと変わらないのだ。
でも。と、どうしても思ってしまう。
私は推しとの間にある境界線を踏み越えたことはないと思っていた。
「番組の感想はハッシュタグをつけてどんどん呟いてください」のアナウンス通りに応援の気持ちをこめたポストを書いて、イベントに参加したりしていた。
でもそれだけだ。
DMで凸ったこともリプライで凸ったこともなければ、動画のスクショを載せるなどのグレーとされることもしていない。
彼が「ここからここまでが公の自分。これ以上は踏み込まないで」と、線を引いているのを想像し、その線を越えようとしたことはなかった。
でも、私は他のファンと違って彼の「タレントとして公にしている」Xのポストをもう見ることができない。
なぜだ。不当では?
私のポストの内容の何が彼を不快にさせたかわからないが、むしろ彼の方が境界線を踏み越えてブロックという手段に出ているのでは?
「悲しみ」が「怒り」に近い感情に徐々に移るのを自覚して、またハッとする。
また被害者ヅラしているな、私は。私は被害者じゃない。加害者のはずなのだ。
ブロックされたことで推しとの距離が急に遠くなったかのように感じたが、実際は違う。
元々この距離だったのだ。元々私が推しのことを見ていただけで、推しは私のことなど何も知らない。
〇〇の視界に私が入り、〇〇が不快に感じたら、私が覗き込んでくる窓を閉じることが彼にはできる。彼は自分のためにそうしただけだ。
もしかしたら同じ状況になった人がいるかもしれないので言っておくが、以下の行動は悪手すぎるのでやめた方がいい。
①サブ垢などを使い、本人に対して
〇〇からブロックされた件について、代わりに話をしてほしいと頼む。
③現場などで直接会えた時に、ブロック解除してもらうよう頼む。
私はこれらの行動を実際に起こさない程度には冷静だが、理性を脱ぎ去った本心ではこれらの行動を取りたがっている。
だから今そうしたいと思っているあなたの気持ちが私はわかると思う。でもその上で、やめた方がいいと言える。
まず、ブロックした本人は「もうあなたの存在を視界に入れたくない」と思っている。
私たちにとっては一大事である。毎日当たり前にあった大好きな存在から、突然理由もわからず完全無視宣言をされてしまった。嫌われてしまったのだ。
でも、インターネットを利用する以上、入ってくる情報を健全で清浄に保つ責任を人はそれぞれ自分で負わねばいけないのだ。
なぜブロックされたのか、理由がわからなくて困惑しているだろう。私もそうだ。
「こういうことする人はブロックします」とあらかじめ明示しているタレントさんもいるだろう。誠実なことだ。
でも、本来ブロックなんて、本人が嫌だと思ったり不都合だと思ったら好きにしていいのだ。
つまり、〇〇は何ひとつ悪いことをしていない、と私は思う。これは本当にそう思う。
何ひとつ悪いことはしていないが、その結果ただ私が傷ついただけだ。
彼にとっては何十万人もいるフォロワーの中の1人が、ただ理由も理解せずに悲しんでいるだけだ。
サブ垢で凸るのは、変装した上で待ち伏せして突撃するのと同じだ。
そんなことされたら警察を呼ぶしかないのと同じで、ただ静かに距離を置かれている今の状態より関係が悪化するのは明らかだ。
推しの周りの人にDMで相談するのもなんの意味もない。そもそも〇〇の周りの人は友人や仕事仲間であって、親でも保育士でもないのだ。
周囲の人が〇〇とそのフォロワーの人間関係の面倒を見てあげる義理などない。
「この子が〇〇にブロックされたって言ってるんだけど、なんでブロックしたの?ブロック解除してあげたら?」なんて
わざわざ世話を焼きにくるようなやつは「お節介」以外の何者でもないし、そんな助言でブロック解除するような人なら、最初からあなたをブロックなんてしない。
この行動によってブロックが解除されることはないし、なんなら相談した周囲の人からも「この子は変な子だな」と思われてブロックされる可能性すらある。
直接会えた時にブロック解除をお願いするのも良い結果になるわけがない。ライブやイベントは楽しむために行くところだ。
そこでもし、推し本人と話す時間を得られるとしよう。その限られた時間に「ブロック解除してください」と言ってみていい空気に転じるわけがない。
「解除するね」となるわけがないだろう。楽しい空気が台無しになるだけだ。
結論、〇〇からブロックされたことに関して私にできることは何もないのだ。
私が今できること、それは一つしかないし、頭ではちゃんとわかっている。
彼らのことをこれまで通り応援することだ。Xアカウントが見えなくなったからといって、それは彼らの活動のほんの一部にすぎない。
今まで通り公開されるコンテンツを楽しめばいいし、なんならポストはサブ垢で追えばいいし、ほとんど全部今まで通りだ。
これまで以上に発言に気をつけて、これまで通り応援のポストを書き込む。
もしかしたら〇〇には届かなくても、〇〇の周囲の人が私のポストを目にしてくれることがあるかもしれない。
〇〇と話すときに「Xでこんなこと言ってくれる人いたよ」と話題になることがあるかもしれない。
その時に〇〇が「なんで俺にはそのポストが見えてないんだろう?」と思って私のアカウントを探して、
「あ、俺この人ブロックしてたんだ。なんでだっけ」と、軽い気持ちでブロック解除してくれることがあるかもしれない。
薄い薄い限りなくゼロに近い望みだが、将来的にブロック解除される可能性があるとしたら、そんなことしか思いつかない。
というか、そんな夢想をすることにしか、気持ちの置き所がない。
だけど。
ブロックされる前と今とでは全くちがう。私の心が。
いつもはただ楽しみにしていた動画も、〇〇が映ると心がチクリと痛む。
この人は私には自分を見てほしくないと思っている人なのだ。なのに私は彼を見ている。
見るなと言われていながらチラチラ覗いているような、居心地の悪さが襲う。
〇〇のポストについてFFさんたちがキャッキャと沸いているのを見て、今まで自分もその輪に加わっていただろうけど、今は違う。
私1人だけ、サブ垢に切り替えてこそこそポストを見に行かなければいけないし、リアクションなんてとてもできない。
〇〇の周囲の人が引用リポストをしている。そこに現れる「このポストは表示できません」の文字。〇〇が私をブロックしているという事実がまた突きつけられる。
同じ界隈の仲のいい人たちは、これがどんなに辛いことで、私が悲しんでいるか理解してくれるだろうが、彼らの中には今でも「大好きな〇〇」がいるのだ。
彼らの中にある〇〇像を不用意に壊したくはない。だって私も〇〇が好きだから。
FFさんから「現地でお会いしましょう」と優しい言葉が送られてくる。
私は〇〇からブロックされている。そのことを忘れて、悲しみを混ぜずに楽しみたい。
でもどうしても悲しい。
最後に、〇〇本人や、タレント活動をしてファンをブロックしたことのある人がこの文章を読んでくれているとしたら、その人に向けて。
これまで楽しませてくれてありがとう。これからもあなたたちの見せてくれるコンテンツを楽しんでいいのだと思ってた。応援していていいんだと思ってた。
あなたたちが見せてくれるコンテンツが好きなのは本当だから、これからもファンでいさせてほしい。
イベントのチケットを買ってしまっているし、イベントにも行きたい。
Xでの発言は怖いから、今までのようにはしないかもしれないけど、せっかく繋がったFFさんたちもいるし、続けたいと思っている。
でも、これから先、あなたたちを見ている時、私が悲しいと感じるのが変わらなかったら、
その時はもうあなたたちを見ないようにする。
私がファンを離れるのは、私があなたを嫌いになったからじゃない。
あなたは私のことなんて知らないし、たぶん本当は好きでも嫌いでもない。
でも、「あなたは俺の視界に入らないで。俺のこともこれ以上見ないで」ってやっておいて「好きでも嫌いでもない」わけないよね。
私は直接お話したこともないあなたに突きつけられたよ、「お前は嫌い」って。
「お前は嫌い」って言われたら「それでも好き」って言い続けるより、
「そっか、ごめんなさい。」って立ち去る方がよっぽど健全だよね。 あなたも本当はそうしてほしいと思ってるよね。
アラフィフだと似たような発想になる
超が付く名作と言えば、マリオ、ドラクエ、FF あとは個人差でかい になる
続編出てるのも多分大前提
世界に通じるマリオシリーズのラスボス中のラスボスで、登場回数も多い
なんか身内感が出てしまってるが、マリオのラスボスといえばクッパは千鳥大悟も言ってた
超名作だが(世界での人気は知らない)、複数作に登場っていうのが少ない
印象に残ってるのは、竜王(初代作だから)、ゾーマ(3部作の〆のボスで設定もよい。2のシド―が微妙なのも)、デスピサロ(悲しい)
個人的には、竜王かゾーマ、発売順か時系列か。竜王しょぼいんよね、リアタイでの印象ぐらいしかない。今更ソロプレイの1リメイクもキツそうだし。ゾーマかな…
5が大好きなので、エクスデス? ずっと主人公周辺をウロチョロしてたし。じじいの恨みもあるし。あとはエヌオーもなんかイメージにあるボス。
ボスがわからん。ロケット団が真のラスボスなら他を抜き去っていくと思う
マイクラのラスボス(かどうかもわからん)。超売れてるゲーム。
よゐこの動画で見た。あれは全小学生見てるはずだから、今後ボス感増してくると思う。ストーリーとかわからんけど
おじさんはついていけない
微妙。強くてむかつくし確かラスボスだったはずだが。SF2は息が長いので
ラスボス誰? リオレウスが強くてかっこよくて嫁も居て一番有名だと思ってる
続いてたらなんかありそうだったのに
納得の行くボスというか、売り上げランキングがインフレしすぎてておっさん補正かかるボスが意外と出てこない。単発多いし
相対的剥奪の問題を考えている。相対的剥奪とは、例えばこのようなものだ。専業主婦Aがママ友と一緒にランチに行ったとする。そこで、他のママ友から、夫の職業が医者だとか、いつも家に居てくれるだとか、そういう話を聞かされる。オマケに、家事も手伝ってくれるのだという。専業主婦Aは今まで幸福だったが、それら全て持っていなかった。なぜ私の旦那は年収が500万ちょっとしかないのだろう。家にはいないし、家事も手伝ってくれない。不幸である。これが相対的剥奪と、相対的不幸である。そして、ママ友とのランチとは比べ物にならないレベルでこれが日常的に発生している。SNSである。
「人と比べない」のは極めて難しい。これを堂々と掲げている人の多くは、人と比べても大概は勝てる地位にいるが、一部には負けるぐらいで、「比べても仕方ないよな」となっている人である。そして、大概の人は人と比べる。それでも、昔は、上位20%ぐらいの人間は、このマウントゲームに勝てたし、もしくは、上位50%の人間は争わずに済んだであろう。問題なのは、インターネットにおいて、身近に人生の勝者が跋扈している現代である。この時点において、少なくとも99%は敗者である。もしくは、勝者がいない可能性すらある。レペゼン地球、青汁社長、HIKARU、コムドット、幸福なのだろうか。幸福そうではあるが、実際の所は分からない。
この相対的剥奪によって何が起こるかを考えてみよう。まず、男は今まで以上に男性的魅力を求められる。なぜなら、インターネットを見れば、それを持つ男性が多くいるからである。SNSで身長が180cmの男を見た。よって、男の身長は最低でも170cm以上。SNSで年収が1億の男を見た。よって、年収は最低でも1000万は欲しい。あと、超絶イケメンの自撮り上げてる男とFF。フツメン(つまり、ほぼイケメン)でなければ却下。学歴はMARCH以上。これは昔からそうかもしれない。なんにせよ、
ここまで酷くはないかもしれない。もしくは、女性について書かないのはアンフェアかもしれない。女性は容姿のハードルが上がっている。でも、上がったハードルに適応して、皆可愛くなっている。当然、男性が女性に求めるものは、性格や容姿ぐらいなので、その二つは対応可能である。男性は対応不可能である。これが尋常でない少子化の一要因になっているのは、言うまでもない。
とはいえ、カップルが成立しない訳ではない。しかし、強者男性と強者女性以外のカップルは、大抵メンヘラカップル化する。何を隠そう、私も、数年前までメンヘラカップルを営んでは、破綻して別れる事に定評があった。SNSで周りを見れば、メンヘラがゴロゴロといて、皆で不幸を分かち合っている。弱者男性は基本的に発狂し、相対的剥奪の影響をあまり受けていない女性は、ごく一部のみメンヘラ化しているが、大半は幸せそうにチー牛を煽っている。
ここが分水嶺である。ここで、女性に憎しみを燃やすのは、自然現象ではあるのだが、正気を保っている弱者男性の多くは、この欲求に抵抗し、自分の幸せを探し求める道を選ぶ。これが正しい道である。なぜなら、ここからは推察だが、チー牛煽りをしている女性も、恐らく大して幸せではないからだ。そんな女性に憎しみを燃やすのは、不幸なもの同士で刺激しあっているに等しい。全部忘れて、他で幸せを作った方が良いに決まっている。結局のところ、最終的な解決策は仏教的である。女に対する執着を捨てるのだ。その上で、空から女が降ってくるのを待とう。弱者男性はもう、自らの努力で女性を手に入れるのを諦めるべきだ。それで、自らが幸せになったら、当然、幸せな人には人が寄ってくる。まずは幸せになるべきだ。女性なしで。男も勝手に幸せになろう。
何も分かってないなあ・・・
連載中であるかどうかなんて読者にはどうでもいいんだよ。
現役の音楽はビートルズと比較されるし、JPRGはFF6と比較されるんだよ。
ホワルバ2や冬ソナみたいな伝説的作品と比較された上で「人類史上何番目」を評価されるわけ。
もちろんコレは古典作品もまた「当時はすごかった」という下駄を履かされた評価なんて誰も認めないってことね。
時代によって合う合わないで再評価されることもあれば、時代が合わなくなってまた評価が下がることだってある。
ファッションと同じなのよ。
「明日、渋谷にその服を着ていったらダサイか?」こそが評価の絶対的な基準であり、「昭和の頃はこの格好が流行っていた」なんてのは今や何の価値もないわけ。
勘違いしないように一応言っておくけど、リバイバルファッションみたいな「今の時代には昔はやったこの格好が合いそう」はアリだからね。
そういう観点で言わせてもらうが、君の挙げた作品は「人類史上で描かれた全てのラブコメを、今時の人間に読ませたときのランキングで上から5位まで」になってはないよね。
それは「現環境で最強」とは言わないの。