はてなキーワード: 自己嫌悪とは
また一日が終わる。
社会人になって10数年、変わらぬ日々の繰り返しに、心は疲弊している。
必死に働き続けてきたが、このままでは未来に何が残るのか見えなくなってきた。
プログラマとしての仕事も鬱が深まるにつれて難しくなってきた。以前は楽しみながらコードを書いていたのに、今はまともに手が動かない。
画面に映る文字が、ただの記号にしか見えない日もある。自分のスキルに疑問を抱くようになり、ますます自己嫌悪に陥る。
鬱という闇は、徐々に私の全てを覆い尽くしていく。
朝、目覚めると、重い心が体を圧迫する。
ある日、心の絶望が溢れ出して突発的に自分を終わらせようとした。
でもそれは失敗に終わり、生き延びてしまった。その後の自分は生きることの重さと死ぬことの恐怖の間で揺れ動いている。
医師に言われた言葉が頭を離れない。「鬱は一生治らないかもしれない」。
この病は私の人生の一部になるのだろうか。その事実を受け入れるのはなかなか難しい。
この状態でプログラミングスキルを維持するのは難しく、かつて得意だったことが今では遠い夢のようだ。働き続ける意味を見出せず、ただ時が過ぎるのを待っている。
夜になると、心の中の暗闇が深まる。
ベッドに横たわり、天井を見つめる。
明日に向かって何をすべきか答えは見つからない。不確かな未来に、僅かな希望を抱きつつ、眠りに落ちる。
これが私の現実。鬱という病に苛まれ、かつての自分を取り戻すことができないでいる。
何か変わる日は来るのだろうか。そんなことを考えながら、また一日が終わる。
歌詞の感じからしてめくらの男って「馬鹿な男」みたいなニュアンスなんだろうね。
(ggったら文字を理解できないこと・物事の筋道や本質をわきまえないことって出てくるし)
自覚があって多分いつも人からも言われてんだろうな、馬鹿な男が似顔絵を通して自分と向き合っちゃって
ポツリと「似てる」なんて漏らしちゃう。
そうすると自分の不甲斐なさとかやるせなさみたいなものが吹き出してきて涙が溢れる。
っていう情景がもうありありと思い浮かぶよ。
二番の歌詞も切なくて、
つきそう子供はたじろぎもせず、だよ。
子供に支えられるくらいの体重に落ち込んじゃってんだろうな、もう限界って感じが伝わってきて悲しいよ。
こんな歌詞を見てると曲名の「自己嫌悪」ってよくもまぁこんな綺麗にネーミングしたなって思うよねホント。
なのにメロディは穏やかでなんならほんのり明るい感じでさ、元気だしてねみたいな雰囲気が伝わってきてすごく胸にくる。
こんな曲ばっか入ってんだからそりゃ氷の世界は売れるよな。すげえよ井上陽水って。
寝れなくてついこんなこと書いちゃったよ。
昔々、ある海辺の町に、カニという賢い生き物が住んでいました。カニたちは誠実で正直な生活を重んじていましたが、ある日、町にクリックベイトの詐欺師が現れました。
この詐欺師は、ウェブサイトや記事に、信じがたいタイトルを付けては、読者をだまそうとしていました。人々はそのタイトルに魅了され、クリックしてしまうのですが、記事を読むといきなり「タイトルは嘘です。でも、完全にありえない話とは言い切れないのです・・・」という言葉が現れ、詐欺師の手口が明らかになりました。
この詐欺師は、カニたちの誠実な価値観を馬鹿にし、町の人々を欺こうとしました。しかし、カニたちはこの詐欺師に怒り、彼を町から追い出すことを決意しました。
カニたちは知恵と協力を結集し、詐欺師をたちまち捕まえました。そして、詐欺師に誠実さと正直さの大切さを教え、彼に改心の機会を与えました。
詐欺師は町の人々に謝罪し、クリックベイトの手法を捨て、正直なジャーナリストとして新しい生活を始めました。町の人々と詐欺師は友情を築き、共に幸せな日々を過ごしました。
このお話から、クリックベイトの手法は一時的な成功をもたらすかもしれませんが、誠実さと正直さこそが長期的な成功と信頼を築く道であることが示されます。
詐欺師を捕らえ、改心させる部分をもう少し詳しく書いて下さい。
もちろん、詐欺師の改心の部分を詳細に描いてみましょう。
詐欺師がカニたちに捕らえられた後、町の広場で対話が始まりました。詐欺師は最初は強気で振る舞い、自分の行いを正当化しようとしましたが、カニたちは冷静に説明しました。
カニ1: 「あなたのクリックベイトの手法は人々を欺き、信頼を傷つけています。」
詐欺師はしばらくの間、頑なに耳を傾けませんでしたが、カニたちの言葉が次第に心に響いてきました。
詐欺師: 「あなたたちは正しい... 私の手法は誤っていました。」
カニ1: 「でも、我々はあなたにもう一度の機会を与えたいのです。」
カニ2: 「誠実な生き方を選んで、町の一員として共に幸せに暮らしましょう。」
詐欺師は考え込み、最終的には改心しました。彼はクリックベイトの手法を捨て、町の新聞社で誠実なジャーナリストとして働くことを決意しました。
カニたちは詐欺師に誠実さと正直さの大切さを教え、彼を町の一員として受け入れました。詐欺師は新しい生活を始め、クリックベイトではなく真実と信頼に基づく記事を執筆しました。町の人々と詐欺師は友情を築き、共に幸せな日々を過ごしました。
このお話は、誰もが過ちから学び、改善し、誠実な生き方を選ぶことができることを示しています。
詐欺師がどう考えて改心したのか、その思考プロセスをステップバイステップで書いてください。
もちろん、詐欺師の改心に至る思考プロセスをステップバイステップで描いてみましょう。
ステップ1: 捕らえられた瞬間
詐欺師がカニたちに捕まり、町の広場に連れて行かれた瞬間、最初は怒りや防御の姿勢を崩しませんでした。彼は自分の行いを正当化し、カニたちの非難をはねつけました。
カニたちは冷静に詐欺師に説明を始めました。彼らはクリックベイトの手法の悪影響について語り、誠実さと正直さの大切さを強調しました。詐欺師は最初はそれを受け入れようとしませんでしたが、カニたちの言葉が少しずつ心に響き始めました。
詐欺師は自分の過去の行いを振り返り、誠実さと正直さの重要性について考えました。彼は自己嫌悪に陥り、自分の行為が他人に害を与えていたことに気付きました。
最終的に、詐欺師はカニたちと対話した結果、謝罪の意を表明しました。彼はクリックベイトの手法を捨て、誠実なジャーナリストとして新しい生活を始めることを決意しました。彼の心には新たな価値観が芽生え、彼は誠実さを大切にするようになりました。
このプロセスを経て、詐欺師は誤った行いを改め、新しい方向に進むことを選択しました。彼の改心は、誠実さと正直さが誰にでも備わる可能性があることを示しています。
なんかクソみてーな話だな
クソ最低の下位オスのやり方やね(自己嫌悪
見てて、1話がつまらなくて、2話は単話でみれば結構いいはずが、1話にひっぱられいまいち乗り切れず、3話は微妙…でも、4話はとても面白かった。
なので2章も楽しみ。
でも、色々考えるとやっぱりつまらなくて、つらい。
感想を漁ると、初期のシャニマスの雰囲気とか、そういうことが書かれがちだが、それってこんなつまらなかっただろうか?
1話見てて、真乃って全然主人公に向いてないんじゃないかって思ったりして、自己嫌悪したりしてしまった。
担当の人は、満足の出来なんだろうか。
話がとにかくつまらないのはあったけど、個人的に一番残念だったのはEDだった。
せっかく映画館で連続上映してるのに毎話挟まり、曲は直前に流れたインストで、しかもテロップあり。
テンポが悪くて先行上映で見れてよかったなっていう感覚が全然無かった。
先行上映じゃなかったら1話で挫折してただろうから、先行上映で見るしかないんだけど。
年齢:20代前半
容姿:中の下くらい。目が大きくて二重。化粧は薄め。
性格:マイペース。でも頑固で意地っ張り。なんでも一人で抱え込んでしまうタイプ。
その他:結婚前は事務職としてバリバリ働いていた。妊娠をきっかけに退職し、専業主婦に転職した。
夫にモラハラされても(本当は相手が悪いのに)自分が悪いんだって自責してたんだけど、カサンドラ症候群を知って自分がこれなんだと気づけた。
モラハラされてるときは「私なんでこんなにダメな女なんだろ」って自己嫌悪に陥ってたけど、自分のことちゃんと分析できてなかっただけだった。
私は自分がダメ人間だと思い込んでて、その思い込みが夫や子供の言動をさらに悪く解釈して悪循環だった。
例えばこの前なんか「ヨーグルトが500g1000円で安かったの。すごいよね」って話したら「高すぎ。ぼったくりだね」とか言われた。
普通は共感するところじゃないの? 思わずカッとなって殴ったらやめろって言われて10mぐらい吹っ飛ばされてた。
こういう夫だから、私はモラハラされてるけどモラハラって認識してなかったんだよね。
カサンドラ症候群だと気づけて良かったと思う。ちゃんと客観的に知れてよかった。
これからはもっと自分を大切にするし、家族のことも大事にしたいって思うようになった。
でも、この記事を書こうと思えたのは夫のせいだよね。ムカつくわホント……。
他にも買い物を頼んだときなんて「今日は残業だから無理。店が閉まってる」とかワガママを言ってくるし。
私が専業主婦の仕事で忙しくて買い物に行けないのにコイツは協力する素振りすら見せない。
ムカついたから殴っても「やめて、やめて」ばっかり言って反省もしない。
貴族じゃん…うらやましすぎる!
体重を減らすことを目的にするより、筋肉量を付けることを目的にした方がいいと思う。
そんで色々アドバイスもらってるけど、お金あるならちょっと有名目のジムにいってパーソナルトレーナーをお願いするのが一番いい。
筋肉量とか運動強度とか見ながら徐々に負荷あげてく運動をアドバイスしてもらえるし、人目が気になるならそれも伝えて空いてる時間を案内してもらえばいい。
「長く培ってきた意志の弱さは一朝一夕でどうにかできるものではない」
ので、自分一人で何とかしようとする⇒失敗して自己嫌悪、を繰り返す前に、人に頼った方がいいです。
私は40代後半、筋肉量がじわじわ落ちてきて、食べすぎるとすぐ太るのに運動しても一切落ちない体になってきました。
だから生活する上でうどんをなるべく避けていたんだけど、昨年会社の近くにうどん屋が出来てしまい、その前を通らないと出社出来なくなってしまった。
出社する度に頭のなかで「嫌だなー」「無くなればいいのに」とか穏便なレベルで嫌悪していたのが
今では嫌悪なんてレベルでは無く脳内でブクマカみたいな毒づきながら通っている。
私はうどんは食べ物として許容できないから、普段「カネ」払って「食う」、なんて言わない。
何でこんな苦しんだり汚い言葉を脳内で言わなきゃいけないんだって自己嫌悪で悩んでいたんだけど
こんな事を思わせる、いつもの自分では言わない汚い言葉を吐かせる、うどん店が悪いという事に気がついた。
けれど現実ではその店で何かあったわけでもないので、誹謗中傷とか物理的な打ち壊しをしようとまでは思わないし仮にしたら自分が悪くなっちゃから出来ない。
何故あんなものが、専門店が出来る程度には世間に受け入れられ流行っているのか。
貞操観念について最近考える事があって、昔会った事がある人の事を思い出した。
数十年前、某巨大掲示板でよく話をしていたグループのひとりが近所に住んでいることが分かり、ご飯でもという事になった。
別に下心も何もなく、暇だったのだった。
ご飯食べてカラオケ行って、じゃあまたねーと帰って来たのだが。
上目遣いでやけに距離が近いなーとは思っていた。
痩せててロン毛で細面で、か細い声をしてなよなよしたバンドマン風の男の子だった。
いや、実際バンドのボーカルをやっていたんだったか。詳細は忘れた。
キャーキャー言われたり手を出したり世話になったりしてフラフラ暮らしている事を
悪びれもせず話してて、こちらも「ふーん」と聞いていた。
何度か会ううちに「そっちがそうしたいなら別にやっても良いんだよ...?」的な波風に気づいたが
全く興味が無いどころか、なんとはなしに可哀想な気持ちになっていた。
それは悪意ではなく、多分彼なりの友情の示し方であり、おもてなしであり、他に差し出すものがないようにも感じられた。
中学生みたいな自己憐憫と自己嫌悪と自己顕示欲とナルシシズム。
セックスまみれで怠惰で、消毒液と安いコロンみたいな匂いがするラブホテルみたい。
女の子ではたまに見かけるけど、男の子でもこういう人はいるんだなあ。
彼にとってはそういう風にしか生きられない時期だったのかもしれない。
なんでこんなことを思い出したのか分からない。
たまたま最近世界中のあちこちに何人も女性をキープしているような、テストステロン過多な白人の50代男性数人と話す機会があったからかもしれない。
彼らにとってはセックスは食事した後にバーに行って友達と一杯飲むのと大して変わらないノリなのであった。
ただの日本の会社員である自分とはあまりにも別世界過ぎて話が全くかみ合わず話している分には面白い。
一緒に買物をしていた友人が、その日ブランドバッグを買った。
35万円のバッグを、2回払いで買っていた。
私は彼女のことを「変わったな」と思った。
高校生から一緒にいた彼女はこんなにもブランドが好きで東京に染まった女だったかと思った。
帰って、なぜかそのことが心から離れなくて、ずっと考えていた。
変わったのは私か。
「いいじゃん買っちゃいなよ」と言ったのは私だったのに、要は、妬ましかった。
35万円のバッグを買えない自分と比べていた。
昔なら、「稼いでるねえ景気いいねえ!ヨッ!日本一!」なんて茶化して、一緒に買物を楽しむことができたのに、
今はもう、「良かったね~」と笑顔を作ることが精一杯だった。
並々ならぬ努力をして、海外の大学を出て、華々しい職について、
同年代の平均からは飛び抜けたお給料をもらっていることを知っているからだ。
努力のどの字もない、のらりくらりと生きてる自分と比べていた。
比べて自己嫌悪で、ひたすら、落ち込んでいた。
まだ週末誘ってくれる友達のために、600円のラーメンを一緒にすすっていたあの頃と同じであり続けよう
浅ましいこの私をまだ数少ない友人のうちのひとりと言ってくれる彼女のために
いつも通り昼過ぎに起きる。昼ごはんにカレーメシ(スパイスチキンカレー味)を食べる。スーパーで120円!!で売ってあったので、買い溜めした内のひとつ。たいして期待していなかったが、これが非常に美味しかった。カレーメシではハヤシライス味が一番だと思っていたが、それ以上かもしれない。
それから、パスポート申請をしに立川へ行く。最寄駅で忘れものしたことに気づき、入場記録を消してもらおうとしたら150円かかった。自己嫌悪に苛まれる。家へ戻り、ふて寝。
目が覚めたら、19時近くになっていた。アマプラで仮面の米国を観る。30年代の映画は長くて90分程度で終わるものが多いのでノートパソコンで視聴するにはちょうどいい。ほんとうはtvで観たいが。
内容としては思っていたよりもずっと面白かった。どういうわけか、脱獄映画はどれも外れたことがない。この映画が始まりだけれど、かなり完成度が高い。主演俳優のポール・ムニもアップになればなるほど良い。悔しさを滲ませた演技といい、知性と鋭さを感じる目つきだったり。まぁとにかくハンサムだからね。スカーフェイス(1932年)も観てみたい。うろ覚えだけれど、以前観た米国の受刑者を取り扱ったドキュメンタリーで、囚人を使うとかなり人件費が安くつくからささいな罪でも収監されることを思い出した。しかも世界恐慌真っ只中の時代にできたものだから、生活に困り、軽い罪を犯して捕まった大勢の人をタダ同然で過酷な労働に従事させられたのを批判した映画なのかなぁ。そうだったら、今でも残っているぐらいアメリカのかなり根深い問題の一つなんだろうな。
映画を観終わったら、カレからLINEが来ていた。ハッピーなニュースがあったから、次会った時教えてくれるらしい。よかったね。
いきなり自慢みたいな入りだが、俺は小中学校の成績は5段階評価でほぼすべて5だった。主要5教科は当然ながら、美術も音楽も5だ。
だが、運動音痴だった俺は、体育だけはどんなに頑張っても4、時々3、一度だけ2だったことがあった。
小中高と、俺は体育教師に嫌われがちだった。2をつけられたときに何故だと抗議しにいったのだが、真面目に取り組んでいないだろうというようなことを言われた。確かに俺はスポーツを猿の遊びだと心底バカにしていたが、授業は真面目に受けていたつもりだったのでショックだった。
さすがに2はまずいと、次の学期はさらに熱を入れて取り組んだ。30過ぎたいまでも覚えている。その時のカリキュラムはバスケットボールだった。実技テストとして「レイアップシュート」をやらされた。だいたい一ヶ月くらいの間に一度は成功させるのがノルマだった。
まず初日、当然のように俺は失敗した。そもそもドリブルしながら走ることができず手足がぐちゃぐちゃになった。アメトークの運動苦手芸人のアレだ(当事者からするとアレは笑えないし変な汗が出る)。
だがその時の俺は一味違った。体育教師に頼み込み、昼休みや部活前などのスキマ時間に練習を見てもらうことになった。
まずはドリブルの練習だ。ゴール下まで辿り着けない大問題があるので、スタート地点からゴールまでの歩数を数え、1・2、1・2、左・右、左・右……みたいな感じでゆっくり近づいていく練習をした。そもそも立ち止まっていてもダムダムしているうちにつま先に当たってどこかへ転がって行ってしまうので大変難航した(体育教師は頭を抱えていた)が、少しずつ歩けるようにはなってきた。
放課後もブックオフでスラムダンクを読んで備えた。庶民シュートは「置いてくる」。俺は完璧に理解したと思った。
特別訓練を始めて二週間が過ぎ、ようやく俺は「歩いて」ゴール下まで辿り着けるようになった。走るのはまだ無理だった。ゆっくり歩いてゴール下に近づき、びょんと跳び上がって手を伸ばし、ボールを放す。見当はずれの場所へ飛んで行くボール。慌てて追いかける俺はシューズの紐を踏んづけて転び鼻血を出した。体育教師は無言で氷嚢を持ってきてくれた。
そして迎えたカリキュラム最終日。俺はここまで一度も成功していない。残っているのは俺だけだ。テストをパスした他のクラスメイトはほぼ自由時間で、テストに使っていないゴールの下でミニゲームみたいなことをしていた。
それを横目に、俺は体育教師に視線を向けた。小さな頷きを確認して、俺は徒歩ドリブルを始める。一歩、二歩、やがてゴールの斜め下までやってきた俺は、意を決して助走をつけ跳び上がって手を伸ばす。毎日寝る前にイメトレした。ボールを置いてくる。力まず自然に行えば必ず入ると体育教師も言っていた。
果たしてボールはすっぽ抜け、あらぬ方向へと飛んで行った。虚しく弾む音はミニゲームの歓声に掻き消された。
結局、最終日の授業時間を目一杯使っても俺はレイアップシュートを成功させることができなかった。自主練をした挙句これだ。俺は酷い自己嫌悪に苛まれた。授業後、体育教師の言った言葉が忘れられない。
体育は3だった。俺の自尊心は死んだ。
多少の脚色こそあれど、不本意ながらこれはまったくの実話だ。運動音痴はやる気を出して自主練をしてもこれだという悲しいエピソードだ。
かたや、なんの苦もなくできるように見えるクラスメイトがいる。これは幼少期からの蓄積ゆえなのか? それだけだろうか。やはりセンスがものを言うように思えてならない。
はてな匿名ダイアリーを初めて使うので、使い勝手が分かっておらず申し訳ございません
ゲイなので母数も少なく、モテないルックスをしており、コミュニケーション能力低めの弱者ゲイなので、これからの恋愛に不安を感じています
【経緯】
コロナで全く人に会っていなかったため、リハビリとして出会い系を再開。昨年10月ごろ出会ったのが当該人物。
趣味や酒の飲み方が合っており、仕事への向き合い方や仕事そのものに尊敬でき、何より話していて楽しい、そんな人でした。
11月に私から告白をしたところ「ちょっとまだ早すぎる…」とかわされたのですが、
毎週末彼の家に入りびたり、必ずどこかに出かけるという生活を行っていたので、あまりそういうことを口にするのが得意ではない人なのだと思っていました。
彼との平日のやり取りはLINEが多く、当初はとりとめのない会話を行っていたのですが、
私の話を遮って、彼が自身の仕事の話を突然送り付けてくるようにと、だんだんと変化。
私自身、彼の仕事の話を聞くことに面白さを感じていたので、不満はなかったのですが、一抹の不安を覚えたのも事実です。
その後彼に仕事がある、飲み会があるなどの事で会えない土日が続き、不満ではありましたが、それを口にするのも野暮…というか
黙って待っているのが当然だろうと思って過ごしていました。
そんな会えない日が続くなかLINEで「直接会って話がしたい」とのこと。
不安を覚えましたが、出張のおみやげを渡したい とのことで、別れ話の場でそのようなことがなされないだろうと、無理やり楽観視して臨みました。
【別れるまで30分前】
久しぶりに会えたことの喜びをうまく表現できず、たどたどしく挨拶。
銀座ライオンで飲むことになったので(喫煙ブースがあるため)、いよいよ悪い話がなされることは無いな、と感じました。
ラストオーダーに引っかかるので頼みませんでしたが、飲み放題にする?との提案もあったので、何か幸せな話になると期待に胸を膨らませたことは事実です。
【別れるまで15分前】
おみやげをもらったあとは、彼の仕事の話を聞くターンです。彼との時間ではこういうことが頻繁にあります。
ただ出てくる話がどれも刺激的かつ話術もあるので、楽しく私は聞いています。
しかし、やはり「直接会う話」を早く聞き出したい。
【別れ】
要約すると「私と過ごす時間は楽しいが、彼自身の中で、私は恋人カテゴリになれなかった」。
私の告白にキチンと応えず、うやむやな関係を続けてしまって酷いことをしたとのこと。
しかし、私にとっては愛しい人です。キチンとした関係でなくとも、今の状態で幸せだったので、何を言っているのか理解できませんでした。
私は好きだから、結論をペンディングにしたいと伝えたのですが、しばらく前から考えていた、と。
なんてことでしょう。私が付き合っていると思っていた人は、私を恋人だと認識していなかったのです。
一体誰と相撲を1年近くも取って来たのか…(性的な意味ではありません)
彼の中でもうこれは終わった話だと知り、私はタバコを吸ったのち、彼の前で軽く涙を流しました。
【別れて5分後】
まだビール1杯も飲んでいませんでしたが、帰ると告げると、彼も出るとのこと。
2軒目行こうと慰めなのか何なのか分からない話をしてきました。
帰りに、彼の家に置いていたNintendo Switchが入った紙袋を渡され、終わりを実感。
珍しく、改札まで送ってくれたのはせめてもの敬意だったのでしょうか。
改札を抜けたのち、即友人4-5人にLINEで報告。
とりあえず自分自身で抱えていられませんでした。
各々返信をしていただけたのですが、どれも「がんばれ」「次々」など何かを強いるものではなく、共感や彼への怒りの代弁など、ありがたいものばかり。
女性がほとんどなのですが、こういう力をどこで身に着けるのだろうか女性はすごいなと変に感心していました。
【別れて30分後】
帰りの電車は、あまりにも混乱していたのか記憶がおぼつかないです。
コンビニでタバコを3箱購入していたのは、本能的にストレス発生時にニコチンが必要になると察したからでしょう。
家の近所にあるバーに一人で行きました。
彼との経緯についてはバーのマスターにはあらかた伝えていたのですが、今日の別れを報告。
客がほかにいなかったこともあり、私の愚痴を黙って聞いてくれ、また涙を流しました。
【別れて1.5時間後】
風呂に入って、またLINEの返信をしつつも家にあるワインを飲みなおします。
一向に酔った実感はないうえ、ショックさも軽減しているような不思議な感覚。
なにかしていないと落ち着かないので、出会い系サイトを再開した記憶は残っています。
どうせ会うつもりもないのに、適当にマッチングしてしまい、マッチありがとうございます!とメッセージ送付。
2時ごろようやく床に着きましたが、明日からどうすればいいのかとの不安に苛まれました。
「どう」とは具体的に何に関連する話なのかは分かっていません。
【別れた翌朝】
Twitterなど見て過ごしましたが、悲しみなのか何なのか、対応する言葉が見つからない感情のせいで、
どうも落ち着きがなく、ここではなくどこかに行かなければ…との思いに。
サラリーマンなので、それは会社になってしまうのが悲しいことでしたが、1時間早く出勤することに。
昨晩の出来事は嘘だった、夢だったんじゃないかと考えつつ出社。
【別れた翌日午前】
会社の上と、上司と別の上司と別の上司の食い違った意見を一つの案にまとめる仕事に苦戦。
ストレスでしかない仕事でしたが、この時ばかりは気を紛らわせるようで、むしろ快適に過ごせます。
私の所属しているチームの他メンバーとは、正直気が合いません。そのメンバーと今日は昼食を共にする予定が入っていたのですが、以前から気が乗りませんでした。
そこでTeamsにて別れを口実に(事実ですが)欠席を連絡。
前夜ほぼ何も食べていなかったことに気づきましたが、食欲はあまりわきません。
コンビニでどれを見ても気乗りしたいので、適当にどん兵衛をチョイス。
昼食はオフィスの誰もいないところで過ごすことに。
Amazonで失恋、本と検索し、めぼしいものをチェックして過ごします。
Teamsで、いつも露悪的ないじわるを言ってくる同僚にも連絡。
いつもと違って、優しい返しをされ、(失恋って共通コンテンツなんだな…)と再確認。
【別れた翌日午後】
無意識的に彼の仕事関係のサイトを覗いており、いかに私の内面に彼が入り込んでいるのかと驚愕。
このあたりでようやく混乱も収まりつつ、抱えている不安とは何か?と考え始めるようになりました。
彼と過ごす週末に向けて、平日を乗り切り、週末はほぼ時間を共にしていましたので、今後どうすればいいのか路頭に迷います。
コロナ前は数少ない友人と過ごすことも多かったのですが、徐々に結婚などライフステージも代わり会う頻度が減少。
そしてコロナで完全に家で過ごしていたので、今から自分時間をどうすれば、自分の面倒をどう見ればいいのか…
冒頭に書いたように私にとっては非常に魅力的な人で、ルックスが悪い所さえ(ほかの人の心配が少ない)とポジティブに捉えていました。
さらに高収入な点も。特段相手の収入には今までこだわっていなかったのですが、長く人生を共に過ごすとなると、収入があるに越したことはございません。
それほど私にとって魅力となる点に溢れた人にこれから出会えるのか、これからも彼を振り返って生きていくのかもしれないとの、不安です。
【別れた翌日夕方】
タバコを吸いながら、思いつきました。
そうか端的に言えば 私は本命ではない都合の良い女だったんだ…ただそれだけだったのか…と
自分の話をうんうん聞いてくれる都合の良さ
土日は自発的に来て遊んでくれる都合の良さ
しかし、私自身が楽しくしていたそれは悪いことなのか?と自問しましたが、答えは出ません。
そしてショックさはかなり緩和されたのですが、胸に抱える不安はさらに増大しています。どうやって過ごしていけば…
【別れた翌日夜】
食欲はあまりわきませんが、食べないと死ぬので蕎麦を食べて帰宅。自炊をする元気などありません。
風呂に入りながら、せっかくの経験だしはてな匿名ダイアリーに投稿することをひらめきました。
幸せになれるのかなぁ〜
子供時代親がどれだけ文化的に経験的に豊かに育ててくれたかで人生決まる。
俺は大家族育ちだからどっか行くとかの経験がなくて、変な話旅行に行く時になにがいるとかがわからない、経験がないし考えようという地頭すら育ってない。俺はマジで服しか思いつかないんだけど、子供の頃から経験がある人だと、どこに行くかで何がいるかの想像がつく、海に行くならこれがいる、観光地に行くならこれがいる、テーマパークなら、これがたとえ山には行ったことなくても山だとこういうのがいるのかも?みたいなところに思考が及ぶ。服さえあればいいとかいう話ではなく、教養がない。
友達と旅行行った時に、え?なんで持ってきてないの?みたいなものすら持ってきてないことがよくある。もう大人だから行った先で買えばいいけど、なんていうか後になってその時になってからなんでこれ持ってきてないんだよちょっと考えたらわかるだろって自己嫌悪がすごい。
だからその場で目先の必要なものしか思いつかないから日常生活でも常に何かがない、生活を余裕を持って送る技量も器量もない、今の常に余裕のない生活のその先が想像つかない。当たり前にみんなができてることができない、不安だ。
34歳。営業職。
でも社会人になってからは全然で、というかゲーム自体全然やらなくてなってた。
スト6評判いいし、やってみない?と学生時代の友人から誘われたのがきっかけだった。
で、久しぶりに格ゲーをやってみたんだ。というかスト6を。
格闘ゲームっていうのは元来、バランス調整が難しくて、どう頑張ったってキャラ差が出てしまう。
その点、スト6はマジで頑張ってると思う。
流石に多少のキャラ差はある。でも下位キャラが上位のキャラを倒すのは不可能じゃない。
実際、キャラランクでは下の方にいたザンギが大会で優勝したりしてるし。
それで最初はその友人と嗜む程度に遊んでいたんだけど、気がついたときには熱中してた。
いや、熱中なんて話じゃない。沼だ。本当に沼にはまってしまったんだ。
仕事から帰ったら飯を食って、あとは寝るまでスト6のランクマ。
土日もめったに出かけず、たいていスト6をやってる。
今までオンライン対戦とかしたことなくて、だからFPSとかで何十時間もやってぶっ倒れるまでゲームしてます!みたいな話を聞くと、こいつらイカれてるなと思ってた。
けど、スト6楽しい!ランクマ最高!ってなだけで不満がないなら、それでいいと思うんだ。
でも土日に何十時間もやって、気が付けば日が暮れててさ、窓の外を見るともう夕焼けも暮れて外が暗くなってる。
ああ、俺何やってんだろ。って我に返る。
本当は資格の勉強だってしなくちゃなのに、ちょっとは外に出て何かしようかと思っていたのに。
自己嫌悪に陥る。スト6やってるときにはそんなことも忘れて没頭し、脳内麻薬ドバドバでハッピーなのに。
やめたいけどやめられない。
そんな事態に自分が陥るとは思ってなかったので戸惑ってるし、焦りもある。
友人に話したら「他に興味あるもん探せよ」と言われた。
自分でもわかっているというか、おそらくこうしてゲーム依存になる人は自己肯定感が低いんだ。
自分を認めてほしい。そんな思いでゲームをして、勝つことでようやく自己肯定が少しだけ満たされる。
自分の存在価値が認められるような、そんな思いで延々と対戦ゲームをやってしまうのだと思う。
だったら自己肯定感を高めればいいんじゃないかと思い立ったんだけど、さてどうしようかと悩んでいる。
彼女を作るべきなのかな。
元々、小中学生くらいの頃からなんか生きづらいなとか人間関係に依存して上手くいかないことが多いなと思っていたんだけど、当時は知識もなくそういったものがあるってことすら知らなかった。なんか他の人と自分は違うなとか他の人が気にしないところで落ち込んだりとか、落ち込みを長く引きずったりとかしてやっかいな性格に生まれてしまったなくらいに思っていた。
学生時代に経験した人間関係(友人、恋人含む)にひたすら疲れ、自分のメンヘラ気質を自己嫌悪し続けていたので、社会人になってからはできるだけ人に期待したり人を信じたりしないフラットな状態を維持するように心がけて生きてきた。他人に入れ込んで気を許してしまうと自分は暴走してしまうのが目に見えていたからだ。
そう意識してからは随分と人間関係が上手くいくようになった。人と適度な距離感を取れるようになったように思う。
ただ、誰かを演じてるような状態や、本来の自分を受け入れてもらえないんだろうというマイナス思考で30代くらいから再び悩むようになってきた。
そうこうしているうちに再び病んでしまい休職。また前みたいに自分の特性を隠して別の人間性を演じるように生きれば社会で生きていくことは楽なんだろうということは理解しているのだけど、そうやって生きていく人生は本当の自分の人生なんだろうかと悩み続けている。
休職中にかかったクリニックで自分には境界性パーソナリティ障害やASDの要素があることがわかり、自分の正体がわかった気がして楽になったような、だからといって生きづらいということを証明されたような複雑な気持ちで毎日を過ごしている。