はてなキーワード: 破綻とは
デブで、ブスで、小学生の頃から不登校の引きこもり無職の社会不適合者で、
家事は母親に全部やらせてきたから生活能力ゼロで、ネットで男叩きと毒親叩きと親ガチャの愚痴と氷河期差別反対の投稿を繰り返している、
人格破綻&無能の氷河期世代のおばさんの経血を飲め、それも嫌々ではなく嬉しそうに美味しそうにゴクゴク飲めと言われたら人権侵害だと感じるよね?
特にナマモノ(現実にいる人を扱った二次創作)BL界隈等からよく聞こえてくる
「公式の目に入らないように隠れるのが大事(=隠れてればOK)」
って文化が、理屈が、処理プロセスが、正当化方法が、以前から疑問。
よく聞く「どうやってもどうせ届いちゃうだろ」的な批判もあるけどそれは今回は置いといて
この「隠れる」の先にあるものというか、上手く表現しづらいけど、その「隠れた先にある空間」って、どんくらいの規模感なのよってのをいつも思ってしまう。
20年30年前の学生がこっそり友達数人と妄想マンガ書いたノート回し合ってたのとは違うことが起きてるわけじゃない?今の時代って。
公式タグを使わず〜とか、いや関係者はブロックして〜とか、いや鍵までかけて〜とか、まあ色々段階はあるけど、そこへのアクセス数はどれくらいあるのよ?って思っちゃう。上の話みたいな、友達とちょっといけないことやってる的な規模じゃすまないよね?
隠れた先に何十人何百人居て、その人達に見せびらかしても「隠れてる」なの?OKなの?
というか実際何十人何百人ですめばマシな方だよね?
これを、我々は隠れてます!だからOKです!って処理する認知ってなんかぶっ壊れてない?って思っちゃうんだよな。
自分が同じことされたら、仮に自分に見えないようになってたとしても
「いや確かに直接来ないぶんマシかもだけど…いやでもしんどいのそこだけじゃないから…」みたいになる人の方が多数派な気がするんだよな。
だから厚みのある群像劇は作れないし、骨太な成長ストーリーも描けない
例えば
「○○くんと一緒にいられれば他のことなんてどうでもいいの!」
なんて異性愛者がいたら
無論、NL漫画にそういう系の拗らせ系主役キャラがいないこともない
でも、GL漫画の場合、この「恋愛脳拗らせケース」にあたる率が異常に高い
そして百合オタは「いや、むしろそれが尊い」と持て囃してしまう(そして、少年誌のラブコメ漫画のように、外部の批判の目に晒されることもない)から
これが、レズキャラやレズ物のストーリーに、厚みや整合性がいつまで経っても生まれない最大原因だ
更に厄介なのは、こういうレズキャラが非百合アニメに突っ込まれてしまうことなんだ
「百合オタの考える一般的レズキャラ」は、一般人が好み想像するレズキャラと比べて
この記事が秀逸でしたよ
“激安価格”実現の裏で 実は中国政府の補助金に頼りきり
というのも、中国政府は国策として、ウーリンなどの電動化ビジネスを手掛ける企業に潤沢な助成金を供給している。宏光MINIの製造コストは、この助成金がなければ赤字であり、そもそもビジネスモデルとして破綻しているのだ。
中国はWTO(世界貿易機関)に加盟しており、企業への助成金に関する報告義務を負っているはずだが、実際はバッテリー関連に限らず、その義務をほぼ果たしていないのが実態なのである。
「EVを国の基幹産業にして世界シェアを上げるために、中国はバッテリー企業や自動車メーカーにどんどん資金を投下している。おそらくウーリンも、宏光MINIの電動化関連の機構をタダ同然で作っているはずだ」と、日本のバッテリーメーカー関係者は指摘する。
日本国内の大手サプライヤー社員も、「EVバッテリーの原価は、低スペックなものでも決して安くない。宏光MINIの中身を見たわけではないが、低性能のセルを使い、バッテリーを長持ちさせる温度コントロールシステムなどを全部省いたとしても、バッテリーだけで50万円程度になるだろう」と指摘する。
このように、宏光MINIの「激安価格」は、決して企業努力のみによって実現されたわけではない。ウーリンが中国政府に“おんぶに抱っこ”で頼りきった揚げ句の産物なのである。
このような経緯で作られた激安EVが月3万台も売れれば、当然、中国による助成金はかさみ、国の財政を圧迫する。宏光MINIが国外進出した際は輸出コストもかかり、価格を維持するには補助金の増額は必至だ。
さらに現在の中国では“二匹目のどじょう”を狙ってミニEV市場への新規参入が相次いでおり、「雷丁汽車」といったメーカーも50万円前後のモデルを発表している。この裏側でも、中国が自腹を切って莫大な補助金を動かしていることは想像に難くない。
ということは、宏光MINIや他社のモデルが売れれば売れるほど、中国の財政状態はじわじわ苦しくなっていくのだ。一方で、各社がミニEV事業において自前で利益を生む体質は育たないままだ。
こうした状況下で、もし中国が「キリがない」と判断し、各社への支援を止めてしまうと、ウーリンや他社はミニEVを値上げせざるを得ず、「超激安」という看板は失われる。事業としても一気に採算が取れなくなり、中国メーカーへの国際的な注目度も下がるだろう。
つまり、中国と中国メーカーのやり方は、スポーツにおけるドーピングのように、自らの身体を痛めつけると分かっていながら、目先の利益のために“投薬”を続けているのと同じだ。
中国が世界屈指の経済大国に君臨しているとはいえ、このビジネスはいつか立ち行かなくなる危険性をはらんでいる。これが、日本の業界関係者が指摘する“弱点”である。
だが、宏光MINIのウイークポイントはこれだけではない。冒頭でスペックを褒めたにもかかわらず手のひらを返すようだが、実はこのクルマ、販売価格を下げるために、安全保護システムをほとんど装備していないのである。
「アメリカの軍関係の知り合いに聞いたら『まだあんな憲法使ってるの?』って言われたんですよ。憲法を押し付けた側がそう言ってるんですよ」みたいな論法で話してたんだけど、いや単にその軍関係者の個人的な思想がそうなだけかもしれんのでそれがアメリカ人の総意かどうかはわからんし、仮にアメリカ人の総意だとしても別に今そう言ってる奴らが日本に9条を押し付けたわけじゃないので、その論法はちょっと破綻してないかとは思った。
コメ欄では元警察特殊部隊や自衛隊特殊部隊の人がそう言ってるってことは最前線で日本のために戦っている人はそういう危機感を持っているんですね!みたいなコメントがあったけど、喋ってるのは2人だけでその2人の総意ではあっても、警察特殊部隊員、自衛隊特殊部隊員全員がそう思ってるかどうかは別問題じゃないかなぁってなる。画面に映ってる2人が極端に右翼的な思想の持ち主である可能性は十二分にあるので、肩書に騙されちゃいけないよと。てか誰々が言ってるからってだけで信じるのは危険だよって動画内でも話してたよね。何を聞いてたのかな?って不安な気持ちになった。
他人の写真から生成したイメージは公開しないとは言えなんか気の毒なので主に自分の手持ちの画像で検証(公開しないよ)
ある程度腕とか脚がでてて、ひとりでちゃんと立ってる写真だとちゃんと脱がされる感じ。ちゃんとというのは本物に似てると言う意味じゃなくて、見た目自然な裸体に見えるという意味。
解像度は荒いから顔とかオリジナルの部分と見比べればフェイクだってすぐわかる。特に局部はボケた感じに生成される。
もの持ってたり、変わった服装だとけっこう簡単にバランスが崩れる。足先だけ靴のつま先が残って肌色と合成されてたり酷いときは手首足首の先が消えてることも結構ある。わからないところを推測してそれっぽい足とか手を描画する訳ではないらしい。この辺はAIの学習データにもよるのかもしれない。
複数人が写ってると破綻率高い。離れてたってると二人共きれいに脱がしてくれることが多いけど、一部が重なってたりすると二体合成されたり人間の骨格を超えた存在になったりする。前後に列で集合写真みたいなのを使うと前列の人が首なしになって縁起悪かった。巻込んだ友人ごめん。骨格だけじゃなくて胸とか右胸が右下に引っ張られて左胸が左上に重力を無視してひっぱられたのも生成された。怖い。
あと男女をどうやって判別するのかはっきりしない。長身の女子と並んだ写真で長身の友の上半身がガタイいい男性化されたりする。男女で並んでいる写真と判断されたのか。
あと一応たまたま映ってた男子のサンプル(重ねて、脱がしてすまん) 実際よりガタイ良く描写される傾向だった。もしかして西洋人のサンプルで学習しているからかもしれない。男性器はほぼ平面に塗りつぶされてあるんだかわからないように描画されるみたいで、男子はフェイクされても偽物感が女子より高そう。
女子は上半身だけで水着だったり薄着だったりすると結構きれいに胸が描画されちゃうので、フェイクだと本人はわかってても悪用されることはあるんだろうなあと思う。ネットに写真は出さないに限る。
SNSで晒してる写真、チェックしていくつか綺麗に脱がされそうなやつは消した。女子はこれからそういう自己防衛も必要だと思ったら鬱
破綻?見てないだろ
俺は人に恩を感じる事や謝る事ができなかった。
結果から言ってしまうと、子供に謝らない親の子は結局謝れない子に育つという、それだけの話だった。
父母は仲が悪く、母は父の愚痴ばかりで、それ以外に俺が何を話しても空返事で聞いてくれなかった。
そういった話を聞かされていた俺は父に不信感を覚えていた。
きっと家族から信頼されていないストレスがあったのだろう。父は気に入らない事があると、俺のゲームを壊した。
MMOやDSなど様々なゲームをやらせてもらったが、父は言う事を聞かない俺が至らない事をすると全て壊してしまう。
MMOでできた友達がある日いきなり全員消えてしまうのは辛かった。
それを恩を着せる事で謝罪の代わりとした。
別のゲームを購入する事で、「○○買ってやったんだからいいだろ」といった事を言う人だった。
母もそれを擁護してくれなかった。
俺は母の味方だったが、母は俺の味方ではなかった。
父は、俺が謝れば絶対に許してくれない人で、いわゆる「根に持つタイプ」の人であった。
父は恩を売れば俺に「許させる」事ができる、しかし俺は父にどうやったら許してもらえるか分からなかった。子供は親に恩を売れない。
かといって父に謝れば母が不機嫌になってしまう。
恩とは俺にとって嫌なものだった。
嫌な事をされても許されてしまうと思っていて、幼い俺は人に恩を売れなかった。
謝る事ができない理由は単純で、謝って許してもらえるとか、謝るだけのミスを補ってもらえたというのは俺にとって恩になってしまうからだ。
謝ったからといって恩は帳消しにはならない。それだけのことだ。
俺が嫌いな言葉に「○○が心配してくれている」という言葉がある。なんだそれは?心配するだけで俺に恩を押し付けてくるな。
それくらい俺は破綻している。
とどのつまり、人が助けてくれたり、案じてくれるのが不快なのだ。
俺は社会でやっていけなかった。
皆、助け合って生きている。
本に関わる仕事がしたいけれど図書館司書は給料が安すぎて生活できないことが問題であれば、他の仕事をしながら本に関わる何かをやればよいのでは? 他の分野でもそれだけでは食べていくことができないから、直接関係のない仕事につきながらやりたいことを追求している人はたくさんいるのでは?
人と付き合うのは苦手だけれど本に向き合うのは得意だから一生本に関わる仕事がしたい、と思って司書になったところ給料が安すぎて生活できないし、他の仕事にもつけない、ということが問題ならば、それはその人個人の問題では?
図書館司書は専門職でしかるべき専門教育を受けたのでそれほど他の仕事にスキルを移転できない、ということが問題であれば、図書館司書という職種で得られるスキルセットそのものとその養成教育の方が問題なのでは?
図書館司書は国民の知識と文化の水準を担保する公共の役割を担った重要な存在であり、そのような役割を担う人が非正規雇用低賃金で不安定な立場に置かれている、けしからん、だが雇用の市場において図書館司書は供給過多だから今後も賃金が上がる見込みがない、ということが問題であれば、公立小学校の教師と同様、制度運用が破綻してなり手がいなくなり、サービスの受益者に直接の不利益がもたらされ、人々が騒ぎ出すまで何も変わらないので、世を憂いる風をしてもっと給料上げろといっても、とくに現状では何も変わらないのでは?
たぶん自分の視野が狭くて問題の本質を見逃している可能性があるので、上記が重要な論点を外しているとしたら、そのように指摘すればよいのでは?
韓国の群衆事故を見て「日本の満員電車で事故が起きないのって凄いんだな」という意見が見られるが、実は「満員電車のプロ」であるはずの電鉄会社も甘い見立てでとんでもない失敗をした事があるんだな。
自分は鉄オタじゃないからそんなマニアックな話じゃないので安心してくれ。
因みに2014年に相模大野駅で脱線事故が起きて小田急全線不通になったが、その脱線した電車というのはこれだったんだな。
あの電車は混雑解消と遅延防止の為に作られたが、そのせいで小田急線は大混雑と遅延続出とケガ人の走る地獄エクスプレスと化したのだった…。
以前Wikipediaを確認したところ、これは停車駅が多い各駅停車用に作られたと書かれていたが(今は削除)、これは間違いで、混雑が酷い急行に使われていた。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E6%80%A51000%E5%BD%A2%E9%9B%BB%E8%BB%8A
ところが混雑と大遅延を惹き起こし乗客に大顰蹙を買って混雑なんて殆どない各駅停車専用に左遷されたのだな。
座席を縮小させてドアを広くすれば立客のスペースが増えるから余裕が生まれるじゃん、ドアが広いから乗降も早く終わるじゃん、というのがデカドアのコンセプトだ。
ところが、バカな工業デザイナーはそのドア前の広大な空間につり革も手すりも付けなかったのだ。しかもドアの上もドア自体もまっ平らなデザインにした。
だから普通の電車の2倍以上、面積と収容されている人数的には4倍以上の広大な空間に、手すりにもつり革にもつかまっていない乗客が詰め込まれることになった。
ラッシュ時に電車が揺れると手すりのない客の揺動というのは手すりにつかまっている客がブロックしている。
でも広大な空間に誰もどこにもつかまっていないのだから、客はずっとつま先で全力で踏ん張り、揺れでよたよたし続ける事になった。強烈な苦痛だ。
当然こういう状態だから雪崩が頻繁に発生する。普通の電車なら一瞬ドドッと動く程度が、この電車の場合は人が大勢倒れるまで行ってしまう。
そういうわけで、この電車が終点新宿に着いた後というのは悲惨で、千切れた腕時計、腕時計の金属バンドコマ、メガネ(踏まれてぐちゃぐちゃ)、千切れたボタン、カフス、パンプス、ハイヒールのヒール、血痕などが散乱するという状態になっていた。暴動でもあったんですか?
座っていても安心できない。乗客雪崩がロングシートの方に逸れて人が降ってくる事があるからだ。メガネをしていたらイチコロである。金属フレームであったら眼窩を大きく切って出血する事を免れない。
吹っ飛んだメガネも拾うのは無理で、向こう側のドア間で苦闘する乗客に蹂躙されてグチャグチャになるのを座視するしかない。
雪崩に押し出された小学生は座席下のヒーター付近に押し込まれ、降車駅まで男性客の股間に立っていた。
自分の場合はペンチでしか開かない鍵束の鉄リングが伸びて6の字になっていた事がある。転倒した誰かの時計のバンドが入って引っ張ってしまったのだろう。
また言語学習で支給された頑丈なバインダーが二つに折れ&押されてぐちゃぐちゃになり買い直した。更に誰のだか知らぬ血がカバンや服についていた事もあった。
90年代前半は混雑が今より酷く、他の路線でもボタンや時計が落ちているという事はままあった。しかしこの電車は頻度が異常というか終点で人が捌けると必ずという頻度であった。
また、ドア前の空間につり革を付けないのというのは当時は当たり前で、他の電車も同じだった。だがこの電車は構造が特殊なんだから同じように付けないと雪崩が続出するのは当たり前だ。何故こんな事をデザイナーは考えなかったのか?
混雑時に大きな駅に電車が到着すると、下りる客の邪魔になるのでドアの前の客は一旦ホームに降りなきゃいけない。この下りる人数というのは普通の電車なら2~4人程度だ。
だがデカドア電車ではこれが6~10人程度になってしまう。するとこれが邪魔になって降車がなかなか進まない。
更に、小田急には下北沢、登戸という、乗降客が多くてホームが狭い駅があった。(現在は建て替えで両方とも解消)
下北では狭いホームに井の頭線の橋脚がそびえるという無茶な構造、登戸は南武線乗り換え駅なのに駅が鉄橋の上にあるという造りでホームが狭い。客が多いので階段を大きくせざるをえず階段ケース横のホームがとても狭い。
ここで「一旦降り」客が多いと橋脚の向こうや階段ケースの裏側から階段にくる客の流れが詰まってしまっていつまでも降車が終わらないという事になった。
そして電車が出て行った後にも乗客の移動が続き、そこに次の電車が入ってくるので大変危険である。
デカドア電車では頻繁に乗客雪崩が発生して、転倒に至る事も多い。それ以外の時間ではずっと何にもつかまれずに乗客の大きな揺動に耐えて踏ん張る事になるので非常に苦痛だ。
特にヒールやパンプスの女性の苦痛は余りある。更にヒールのある靴では転倒したりヒールがもげるリスクが大きくなる。ヒールがもげたら百貨店の靴修理店が開く時間まで待たねばならないから出勤できるかという問題にもなる。
この客らは降車客の移動の邪魔にもなるし、次の急行にまとめて乗るので次の急行が大混雑になる。混雑が酷いと乗降に時間が掛かるので遅れてしまう。遅れるとホームにその分乗客が溜まるので更に混雑→遅延というフィードバックが加速されてしまう。
こういう感じで、デカドア電車を先頭に遅延が常態化してしまった。「次の電車は5分遅れです」とアナウンスがあると果たしてデカドア電車で、その電車に乗って数十分デカドアサーフィンエクササイズ(転倒出血付き)するか、その後の急行で大混雑&遅刻するかを選択せねばならない。
またこの為に途中駅では入場制限もしばしばしかれるようになった。
こうして多くの乗客、駅員に怨嗟と絶望と遅刻を、ミスターミニッツには靴底修理の商売繁盛を齎したカサンドラエクスプレスことデカドア電車だが、終わりは突然にやってきた。
ある日を境に急行でデカドア電車が来なくなったのだ。戦力外通知、三行半である。彼は各駅停車専属に転属となっていた。小田急では各駅停車は全然混まないので、使えねー奴でも何でもいいのだ。新規投入から半年も経っていない。
小田急では大混雑する急行対策が全てであって、そんな路線で各停にしか使えない縛りの資材を抱え込んでしまった同社の悩みは幾ばくかとも思うが、見立てが甘かったのだから仕方がない。怪我したりメガネや服や時計を破壊された人の身にもなってみろと言いたい。
混雑対策にはノウハウの蓄積とその参照が必要なのに銀の弾丸求めてコンセプト優先で足元をおろそかにした工業デザイナーのせいである。3日占領目指して引っ込みつかなくなった頭プーチンかよ。
その後この思い付きだけで出来た愚劣な電車はずっと各停だけで使われていたのだが、今どうなってるのかというと、つり革を付けてドアがあまり開かない改造をされて走っているようなのだ。阿呆である。完全に最初からコンセプトが破綻していたってこった。最初からやるな。
デザイナーのリサーチ不足のせいで多くのケガ人と憤怒と遅刻とふくらはぎの筋力とミスターミニッツのインカムと各停にしか使えない不良資産を産んだのがこのデカドア騒動だった。
だが我々の社会はまた過去のノウハウの蓄積を軽視するようになっているように思える。失敗データベースなどにこの失敗は収録されて参照されるようにもなっていない。
そういう時我々は声を大にしてこう言うべきである。
一時期の将棋指しは加藤一二三九段が対局中にチョコ食いすぎなのを見て対局中に血管ブチギレたりいきなり盲目になって盲牌し始めるんじゃないかヒヤヒヤするぐらいしかなかった。
たま~~に個性的な髪型の人や電王戦に対してめっちゃイキりだす人がいるぐらい。
ソフト使用不正疑惑で対戦相手の人生破壊しておいて平然とした顔で妻にほのぼの漫画描かせて柔らかいイメージを維持しているサイコパスだったり、対局中に自分だけマスクを外すというズルを平然とやってのけて注意ガン無視で失格負けになるルール理解力0人間が登場するんだから。
月下の棋士が連載されていた頃にあった「将棋バカとは、将棋が出来るバカ、つまりバカである。ギフテッドとは才能のあるキチガイに与えられる名であり、彼らは才能があるだけのキチガイである」って感じが戻ってきてるよ。
これは凄く楽しいね。
大人し~~~~い「私、将棋チョットデキル」ばっかで埋まったA級とか見てられないよね正直。
半分が分かりやすい人格破綻者、残りの半分がちょっと分かりにくい人格破綻者、残りの連中は「将棋指しなのに真人間っぽく見えるけど、バレてないだけでコイツらが一番破綻しているのでは?」って感じでキャラ立て。
皆均等にそれぞれの破綻っぷりを見せつけてきてプロレスラーみたいにキャラが立ってるだろ?
それに比べて昨今の騎士ときたら……いやマジで「陰キャです~~~」だけでキャラ立てて許されるのはB級までよ。
本に関わる仕事がしたいけれど図書館司書は給料が安すぎて生活できないことが問題であれば、他の仕事をしながら本に関わる何かをやればよいのでは? 他の分野でもそれだけでは食べていくことができないから、直接関係のない仕事につきながらやりたいことを追求している人はたくさんいるのでは?
人と付き合うのは苦手だけれど本に向き合うのは得意だから一生本に関わる仕事がしたい、と思って司書になったところ給料が安すぎて生活できないし、他の仕事にもつけない、ということが問題ならば、それはその人個人の問題では?
図書館司書は専門職でしかるべき専門教育を受けたのでそれほど他の仕事にスキルを移転できない、ということが問題であれば、図書館司書という職種で得られるスキルセットそのものとその養成教育の方が問題なのでは?
図書館司書は国民の知識と文化の水準を担保する公共の役割を担った重要な存在であり、そのような役割を担う人が非正規雇用低賃金で不安定な立場に置かれている、けしからん、だが雇用の市場において図書館司書は供給過多だから今後も賃金が上がる見込みがない、ということが問題であれば、公立小学校の教師と同様、制度運用が破綻してなり手がいなくなり、サービスの受益者に直接の不利益がもたらされ、人々が騒ぎ出すまで何も変わらないので、世を憂いる風をしてもっと給料上げろといっても、とくに現状では何も変わらないのでは?
たぶん自分の視野が狭くて問題の本質を見逃している可能性があるので、上記が重要な論点を外しているとしたら、そのように指摘すればよいのでは?
私もそもそもコメントでやり取りできる場だと知らなかったから、ちょっと気恥ずかしく思ってるよ!
友達にも、あなたはどちらかと言えば人類愛や博愛という感じなのかもねと言われたから、そうなのかもしれない。わかんないけどね。
likeはある、Loveもある、でも恋愛のLoveが無いだけだと思ってるよ。
恋するのは未熟故、そうは思わないけどな!他人を激烈に思えることが未熟って感じはしないけどな……!
でも気持ちに振り回されるのを子供故に、と思うのも確かに一理あるような気もする。
でも、他の方も仰ってた「むしろ精神的に子供すぎて恋愛できてないのでは」というのも一理ある気がする。難しいわ感情、恋愛。何故こうも難解なの……。
ボカロもそうだけど、私の視点からするとやっぱり恋愛の歌は多いなと思う。一見してそうじゃなくても「あなたに会いに行く」みたいな歌詞を見ると「これはもしかして特定の恋愛相手のことを指すのかな」と感じたりもする。そう出ない可能性もあるけどね。
曲の解釈は本当に幅広いよね、直球で具体的な歌詞出会ったとしても解釈わかれることもあるし。
あなたが、命ばっかりをどういう視点でとらえたのか興味あるな!
恋愛が溢れててうんざり……とまでは実はそんなに思わないかも!ちょっと寂しい!みたいなチクッとしたダメージをちまちま受ける機会があるだけで、楽しそうな人らが楽しそうなのはいいなと思う。恋愛ソング可愛い、恋愛してる友達可愛い、恋愛してるキャラクターたちも可愛い!とか結構あるよ。理解できないけど楽しそうなのは可愛いもんな。
その分失恋はすんごく辛そうやが……それもまた私は興味深い経験なんだろうな……いいな……って少し思ってる。友達に話したら「こんなもん体験しなくていいならしない方が絶対いいぜ、クソ辛いもん」って言ってたけど、無い感情に興味が湧いてしまうのは許して欲しい……いや辛い目に積極的に会いたい訳では無いんだけどね。
作曲してみたいなんていいじゃんね!創作活動は楽しいぜきっと!
他の人にも言ったけれど、想像になってもそれ自体は別にいいんじゃないかなって私は思ってる。
仕事とかでは無い創作は自己満足から始まるもんだと思ってるし。そもそも「自分では無いもの」を描く時点で、どんな人も想像で描くことになる部分が出てくるのはそうだと思う。自分のことを綴るばかりが創作では無いと思うしね。
ただもちろん、そこにリアリティを求めたいなら、やはりどんなことでも当事者にインタビューしてみたり、調べて見たりするのは重要なんじゃないかな。
私も普段の趣味の創作で「恋愛感情」を描く時は周りにめちゃくちゃ聞いてえがいてるよ。
それでもなんだか違和感がある気がしてオドオドしてしまうから、まあアレなんだけどな!
ここの文をこんな長文で描き殴れたのも、私自身のことを勢いに任せて書き込んだだけだからだし……自分と異なる感情を想像するのは難しいよなあ。
歌詞を書けば!?と他のコメントでもあるけど、私にそんな能は無い(笑)
歌詞作るのてメチャ難しそうじゃない!?どうやるんだろ、メロディ先に作って歌詞載せるのかな、歌詞書いてからメロディ考えるのかな。
でもメロディ似合う歌詞の量じゃないと、破綻しそうじゃない!?
私にはとても書けそうにないと思ってる……いつか挑戦してみてもいいかもだけど!
……質問とかがあるからば……ここで聞かれた分には私が飽きるまでは絶対答えるからな……!私も色んな人に恋とはなんぞやとアホほど問うたし、それに会話が続くのは楽しいものだしね。もちろん無理に会話を要求する訳じゃないし、きっとここはそう言う場ではないやろからね。チラ裏!