はてなキーワード: 日本代表とは
amazonのレビューで、多崎つくるのレビューを、ほとんど疑いもなく星5つで記載し、圧倒的な「参考にならない」の評価をくらっているしがないレビュアーです。
ちなみに、今日2013/5/8現在、335人中101人が星5つの評価を加え、星4つの高い評価をつけた人を加えると、335人中182人の半数以上の人が星4つ以上をつけているにも関わらず、現在「最も参考になったカスタマレビュー」は、ドリーなる人物の書いた「孤独なサラリーマンのイカ臭い妄想小説」という星1つのレビューで、9825人中、9502人が「参考になった」というボタンを押しています。
ちなみに星1つの評価のレビューは、323人中、51人しかないにもかかわらず、この評価は圧倒的です。
感覚的にいえば、全体における星の数の比率に、各評価の中で「最も参考になった」というというレビューが、最終的に漸近していきそうなものですが、このドリーなる人物のレビューは、ある種ゴシップ的な面白さが加わり、NAVERとかはてブあたりから迂回してやってきた方々の支援もあったのだろうと邪推しつつ、圧倒的な支持を得、10000近くの人たちに「参考になった」とフォローされているわけですが、その内容は、読めば読むほど気持ちの悪いレビューで、村上春樹をとりまくマーケティングの悲惨さを痛感するとともに、あらためて日本人の文盲具合と、教養のなさと、その教養のなさをひけらかす露悪主義をみせつけられるようでした。
とはいえ。
これも、ドリーなる人物の文章が悪いのかというとそういうのではありません。こういう気持ちの悪い文章は、本来放っておかれれば、そのまま情報の闇に葬りさられるだけであり、問題なのは、こういう情報を引っ張ってきて、「うーん、これはすごい」「面白い」と言っている人々の側に、前述した無教養さの礼賛であるとか、露悪主義のようなものがあるように思うのです。
それで、私は、この駄文が、そもそも情報の闇に葬りされること請け合いなのにもかかわらず、下記の数点の視点に絞って、村上評価およびその周辺のマーケティングの問題について論じたいと考えています。
1.村上春樹の今回の新作の、アマゾンレビューにおける、公平な評価の基準軸(いったい星いくつが適切なのか?)
2.「村上春樹が嫌い」というヤツは、実は「村上春樹」よりも「村上春樹ファンのことが嫌い」という事実
3.村上春樹を100万部売ろうとするマーケティングの問題(そもそもこれエンターテイメント小説じゃないんですけど)
この3点についてです。
■1.村上春樹の今回の新作の、アマゾンレビューにおける、公平な評価の基準軸(いったい星いくつが適切なのか?)
まず、結論から断じて言いますが「多崎つくる」のamazonのレビューを、現在の日本文学における主要作品(村上龍、山田詠美、阿部和重、平野啓一郎、川上・・・などなど)と比較して星をつけるとするならば、星は5つ以外は考えられません。これらの作家の代表作と比較しても、時代的な価値、作品の主題、文体などにおいて「劣っている」という評価をしようがないからです。
もちろん、小説や物語には個人的な共感を読み手の原動力にするという性質上、どうしても「共感できない」という人がいるのは確かなことです。しかしながら、そういう個人的な側面を度外視し、「文学」というジャンルにおいて、日本という国の文化を歴史的に補足、説明する資料として、たとえば、文学作品をピックアップするのだとすれば、本作は1Q84までとはいかないにしても、近年の日本代表クラスとしかいいようがないからです。
2013年、日本という国で出版された歴史的に淘汰を免れる文学作品をあげなさいといわれて、今年、これ以上に素晴らしい「文学作品」が登場するかどうか、私は甚だ疑問です。平野啓一郎の新刊がでればその可能性があるでしょうが、少なくとも、それ以外の作家には期待できません。
abさんご?無理です。
そういう意味において、本作は星5つ以外の評価はありえないと私は思うのです。
しいて別の視点で評価するならば、村上春樹作品全体を相対的に評価するということもできるかもしれません。これについて言えば、私の評価は、星5つに限りなくちかいものの、もしかしたら星4つをつけるかも、くらいのところです。人によっては3つという人もいるかもしれません。それはあくまでも村上春樹作品における相対評価です。
本作は、次につながる長編小説のための助走のような小説です。伏線の回収(村上春樹本人ならば、伏線の回収ではなく、全体を微細に描き切っていないと言いそうですが)、それが十分でないことがその理由です。
しかしながら、これが作品の評価を不当に低くするかというと別問題です。短編小説というのは、その行間に物語の前後や背景を滲ませ、読者に共感の余地を残すものです。これは本作が、短編小説的な位置づけにあるということを示唆しているのであって、村上春樹が手を抜いているわけではないのです。星を1つ減らす理由があるとすれば、「もう少しだけ短くてもよかった」という点でしょうか。短編小説というには、少し長すぎました。
本作は、あくまでも「短編」であり(この人の場合は、もはや「短編小説」がこの長さになってしまうだけ)、あえていくつかのプロットを読者に委ねたのです。これは、文学を読む側のリテラシーの問題です。趣味(つまり好み)の問題ではなく、読む側の技術(読解力)の問題です。
というわけで、個人的な村上春樹の読者として星をつけるならば4つもあり得るかもしれませんが、文学に全方位的に公正な評価をつけるのならば、星5つ以外にはないということをご理解いただけるでしょうか。
もし、理解できないのならば、村上春樹を読む前に、夏目漱石と森鴎外と谷崎と太宰と三島と大江健三郎と諸々読み直すべきでしょう。
それが嫌なら、伊坂幸太郎でも読んでればいいと思います。稚拙な、読解力を十分に満足させるだけの文章にはなっています。
■2.「村上春樹が嫌い」というヤツは、実は「村上春樹」よりも「村上春樹ファンのことが嫌い」という事実
私は、長年村上春樹の作品を読み続けてきて、周囲にもそのことを公言しているわけですが、最近困ったことに「ハルキストの○○さんは、新作もちろん読まれたんですよね?」とか「ハルキストとして今作はどうでしたか?」などと聴かれることが多くなりました。
この「ハルキスト」なる呼称、最近よく聴くんですが、これって、わりと最近たぶんノーベル文学賞に毎年エントリーされるくらいになってテレビのリポーターとかがテキトーつけたんじゃないかという気がしています。一体いつくらいなんでしょうか?
私思うんですが、村上春樹の読者を「ハルキスト」と呼称してしまう人は、はっきりと断言しますが、村上春樹を読んでいないか、全く読解できていないかのどちらかです。
村上春樹の小説はどの作品でも読めばすぐにわかりますが、組織や共同体に所属することにとにかくうんざりしています。辟易しているし、場合によっては嫌悪感に近いものを感じていることもある。とにかくそういう人たちとうまくやっていくことができないし、やっていく自信もない。主人公の「僕」やら「ハジメくん」やら、「ワタナベくん」は、もう、所在なし、所属なし。
村上春樹の作品が世界的に受け入れられているひとつの理由は、その「孤独」性です。その周囲にうんざりしたり、なじめなかったりするその主人公のおかれた状況に、読者が少なくない共感を感じてしまうことが、世界的に受け入れられたひとつの理由なのです。
つまり、「ハルキスト」などという「ひとくくり」の呼称を付与されることに、気持ち悪さしか感じない・・・というような人たちが、どちらかといえば村上春樹の本質的な読者なのです。私も同様「ハルキスト」と呼ばれるたびに、冷笑を覚えたりするので、みんなそんなもんだろうなと思っていると、ときどき本当に「ハルキスト」を自称する読者にあったりします。こういう場合は、辟易するというかなんというか、ときどき困惑と嫌悪感が入り混じった感情を抱いたりするこもあります。
なんなんだこの違和感。
と。この感覚は、村上春樹に星1つをつけて、「いやぁ、村上春樹とか読んでるやつ信じられねーな」とかいう人の感覚に案外似たところがあるかもしれません。(まぁ、とはいえどうでもいいことなので、あえてバッシングしたいとも思わないのですが。)この際、そのほんとに読んで言ってんのかよ!という方々を「ハルキスト」と呼称しましょうか、そのハルキストなる方々と、村上春樹の作品とはまた別の問題だと考えるべきです。
こう言うと、村上春樹の小説はそういう勘違いした読者、その「ハルキスト」なる存在を生み出しており、村上春樹にはその責任があると捉えることもできます。
アンチ村上春樹の人間は、この影響力に村上春樹への脆弱性をみつけて、論考をぶつのですが、はてさて、この点はもういちど考え直してみたいところです。読み手の読解力の欠如がもたらした読者の勘違いを、書き手である村上春樹にその責任を求めることができるのか?ということです。
小説作品は、たとえば自動車のエアバッグとか、緊急時備え付けの消化器とか、避難用のはしごだとか、なんでもいいけど、使い方を誤まったら命に別状があるというようなものではありません。
芸術作品です。
作り手の意思とは別に、受け手が勘違いしてしまうことに、作り手はどれだけの責任が持つ必要があるというのでしょうか。
■3.村上春樹を100万部売ろうとするマーケティングの問題(そもそもこれエンターテイメント小説じゃないんですけど!)
村上春樹を批判する多くのレビューを読む限りにおいて、圧倒的な支持をえる論調は、
「こんなヤツはいない」
「恵比寿でナッツを食べるたべにバーに入ったりしない」
「孤独をそんなに深刻ぶったりしてこいつは、何様なんだ」
確かに、多数派ではないかもしれませんが、いないわけではありません。ホテルのバーでお酒を飲んだりすることは、普通にあることです。言葉でどう表現するかの問題はありますが、物事を深く考えすぎて、些細な問題で心を痛めてしまうということも、現代人ならよくあるはずです。セックスなんて論じる必要もなく、敷居が下がっています。
主人公の行動や言動を自分と比較して、「こんなヤツいないよ」とかいうのは、主人公を類型化して自分との共通点を見つけ出す作業なのでしょうが、確かに、村上春樹の作品の主人公を無理やり類型化して、多数派か少数派かで割り振ったとしたら、間違いなく少数派でしょう。(安易にこういう構図に分類するのは正しい方法ではないのですが)
鉄道会社勤務。年収は、700万程度。都内にマンションを所有し、ローンもない。30代後半で独身。女性関係は特に困ったことはない。
なんというか、条件面だけ描きだせば、裕福で恵まれていて、どこかしらいけすかないととることもできそうです。そして、実際、この点を、アンチレビュワーの方々は、突いているのですが。
前述したとおり、村上春樹の小説が世界的に受け入れられたひとつの要素はその「孤独性」だと言いました。
みんなの中でわきあいあいとできない。上司にうまく媚を売ったりはできないし、意味のない日常会話を成立させたりもできない。会社終わりにみんなで飲みにいったりするくらいなら、ひとりで孤独に音楽を聴きながら読書をしていたい。
などという人間を描いて、そこに世界中の多くの人間が共感しているのです。きわめて個人的に。
そして小説というのは、個人的な共感によってはじめて読み進めることができる形式の芸術です。
たとえば、ソフィア・コッポラの映画は、同じように「孤独」を描いています。マリーアントワネットなどはその最たる例で、多崎つくるくんなどとは比較しようもないくらい恵まれている。にも関わらず、彼女は圧倒的な孤独に苛まれている。そして映画を観る者は、そのマリーの孤独に共感して、胸を痛める。いや、映画が小説と違うのは、マリーの孤独に共感しようとしまいと、映画自体は2時間後に終わるということ。
しかしながら、小説というのは「なんだよこいつ、むかつく奴だな」というのがあったら、読み進められない。別の言い方をすれば読み進めなくてもいい。村上春樹は、この社会において孤独を感じながら生きざるを得ない、もしかしたら比率的には少ない側の面々の生き方肯定しながら、その顛末を見守るというようなプロットなのだから、読んで「むかつく」人が多いのが、当たり前といえば当たり前なのです。
もともと多くの多数の人間に共感されることを、書いてる本人も視野にいれてはいない。(それを望んでいないわけではないにしても)
にもかかわらず、売る側は必死です。
それはそうです。売る側は、本の内容は関係ないからです。出版不況の時代です。本が売れません。黙っていても売れる時代なら、売る商品を選ぶこともできます。「こんな根暗な作家が書いた本は、ひっそりと奥に並べておこう」とか。でも今は、売れる商品が限られています。小さな本屋から、大きな本屋まで、こんなにまとまって本を売ることができる機会は、年にそう何度もあるわけではないのです。
だもんで、売る側は、まったなし。「村上春樹の新刊!?長編?平積みだよ、平積み!」
と、なって当然です。で、買い手は買い手で、村上春樹なんて共感できない人が数多いて、そのことを半ば自覚しているにも関わらず、「またぞろ、村上さん新刊ですか?」などとうがった態度で、1700円も払って買って帰ったりする。
本来、孤独に静かな時間を過ごしたい人(それから社会と自分との繋がりを確認したい人)のために書かれた本であるにも関わらず。
帯にこんな風に書いておけばいいかもしれません。
「この作品は、日常に違和感を感じることもなく、日々を謳歌している人間には読む必要のない小説です。それと孤独を描いてはいますが、自分自身の孤独が解消されれば、他人のことも社会のことも、どうでもいいという人にも不向きです。自身の孤独が社会との関係において改善されることを仄かに信じている人のための作品です」
もちろん、そんなことは絶対書かれることはないのでしょうけれど。
本来静かに出版されて、求める人がそこに救済を得るという仕組みであるべき作家と読者の関係が、資本主義の論理によって蹂躙されている。それだけのことにも関わらず、本来、村上春樹に対して苛立つ必要もなかった人たちまでが、駆り出されて、勝手に苛立っているのです。
嫌なら読まないということが可能なのにも関わらず。
この「作り手」と「市場」との悲劇的な関係というのが、アンチ村上春樹を作り出し続ける最大の要因という気がしてなりません。
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随分長くなってしまいましたが、最後に結論というかなんというか。
こういうことも言えるかもしれません。
昔、三島由紀夫は、太宰治が大嫌いで、直接会いにいって「私はあなたの作品が嫌いです」と言ったそうです。
すると太宰治は返す刀でこう答えました。
「でもこうやってわざわざ来たんだから本当は好きなんでしょう?」
三島由紀夫は、なにも言い返せなかったそうです。
つまり、みんな本当は、村上春樹が好き(もちろん、断固として認めたくない)なんだけど、作品の主人公同様、素直になれず、好きさゆえに星1つつけちゃって、あんなヤツ嫌だよ、いないよ。むかつくよ。とか言ってるだけっていう可能性もあります。
ん?あっ、それって、実は一番村上春樹の主人公的?な気がしなくもないですね。
この長文を書いている間に、少なくとも「私は、ハルキストです」とか言ってる人より、星1つつけて、村上春樹なんか嫌いだよとか言いながら、毎回出版されるたびに買っちゃってる人たちの方が、なんだかよっぽど共感できる気がしてきました。
私は2018年、つまり貴方達の生きる時代の5年後からタイムスリップしてきた将棋オタクの増田です。
2018年のコンピュータ将棋界はどうなっているか、そして人間が指す将棋の世界はどう変わったのかを一足先に体験した身として書いておきたい。
2013年頃の最強ソフトの一角GPS将棋は東大のクラスタを使ってCPUを並列にしていたけど、2018年ではCPUを計算用途に使うソフトはだいぶ少なくなって、今ではGPUを使う事が当たり前になっている。これによって計算できる量は飛躍的に伸びて、2018年の最強ソフトはGPS将棋の330倍の量を計算できるようになったんだ。
東大チームのGPS将棋に触発されて全国の大学が将棋ソフトの開発に乗り出し、今や個人の開発者はほとんど日の目を浴びなくなっちゃった。大学が持つ計算リソースを贅沢に使えるチームに個人開発者が勝てるわけがないのは当然だ。東大は開発からは手を引いてしまったので、今は東工大、東京理科大、中央大学が3強だ。関東の理系に強い大学がたくさん参戦して学生を集める宣伝としてもコンピュータ将棋が使われるようになっている。箱根駅伝みたいな感じ。
Googleが世界コンピュータ将棋選手権に出場した2016年の事も書いておかなきゃね。その前年にそれまで個人が細々とやってきたあの3.1415.....の円周率桁数計算に進出してギネス記録を40000倍も更新して世界中から大人げない奴と白い目で見られたあの黒船Googleが何と将棋に興味を持っちゃったんだ。Googleが保有するクラスタのうち50000台を使っての勝負。「勝てるわけがない」「もし欧米企業に負ければ日本文化の敗北だ」ってマスコミは大いにかき立てたんだけど結果はなんと地元日本の代表、将棋に特化した100台ほどのGPUクラスタの勝利だったんだ。CPUという汎用計算リソースだけでは特化クラスタに勝てなくなってしまったという情報工学的にも大変興味深い一戦だった。
その翌年2017年にはアジア代表として中国人民解放軍が参戦して来てこれまた大いに盛り上がった。人民解放軍はなんと一般庶民のコンピュータとスマホを全て総動員、27億台のクラスタで勝負を挑んできたんだ。これにはたまげたね。「今後こそ勝てるわけがない」「もし負ければ技術立国日本の敗北だ」ってマスコミは大いにかき立てたんだけど、劣勢を跳ね返して終盤に奇跡の逆転勝ちを収めたのは何と日本代表だったんだ。終盤に日本が取られても取られても「6四 歩」を打ちまくったのが天安門事件(1989.6.4 一般民衆の蜂起)を連想させて共産党謹製のプログラムが一部クラッシュしたのが勝因とされている。心を持たないはずのプログラムなのに、結局は書いた人の何らかの思想がそこに反映されちゃうっていう情報工学的に興味深い一戦だったね。
プロも奨励会(プロの育成機関)の子らも、これだけ強くなったコンピュータ将棋を教師とはしていない。いまだに人から学んでいる。なぜなら、確かにコンピュータは強いけれど、その「理由」を説明できないからだ。
トッププロのような未知の領域に挑まなければいけない人にとってはコンピュータの指す異次元の手から少しは学ぶ事が可能だ。でも、特に奨励会の子らは一手ごとにその理由を解釈しながら強くなる段階だ。だからコンピュータ相手にいくら指しても上達しないし、棋符を見ても何も学べない。どんな世界でも、理由を解釈しなければ人は成長しないっていう良い例なんじゃないかと僕は思っている。
これはコンピュータが人間よりも遥かに強くなってしまった将棋の世界から我々が学んだ最も大きな教訓なのかもしれない。コンピュータには物事の理由を説明できない。彼らがやっているのはただの計算なんだ。何の理解も解釈もしていない。ただ計算しているだけなんだ。2018年のソフトの主流手法はDeepLearningと呼ばれる人の脳のニューロンを模倣した機械学習なんだけど、これはもう中で何をやってるのか作ったエンジニアですらもわからないブラックボックスだ。何をやってるのかわからないけど、強い。強いのは間違いないし誰も勝てない。でも彼(ソフト)は教師にはなれない。そこから何も生まれない。ただ彼自身が強いだけ。それだけなんだ。それにいったい全体、何の意味があるのだ?優秀な人間は優秀な人間を生み出す。そうやって人類は繁栄してきた。他の生き物だってそうだ。でも機械はそれ自体から何も次に繋げないんだ。
ああ、そろそろ帰らなきゃ2018年に。言いたい事は全て書いたよ。とにかく何が言いたいかって、やっぱり将棋は最高だってことなんだ。ハッシーのお陰で今は渋谷の女子高生の間でも将棋が大ブームだから、僕みたいなオタクな風貌での将棋が強ければチョベリグな思いができるってわけさ☆まだルールぐらいしか覚えてないって言う人は今からでも遅く無いよ。
http://anond.hatelabo.jp/20130419120014
野球ファンにも詳しい人はいるんだけど、あんまり押し付けがましい人はいないんだよな。(俺の周りだけかもだけど)
選手には詳しいし、チームの勝ち負けに一喜一憂してるんだけどそれだけ。
ところがサッカーファンは選手はもちろん、ポジションやら戦術について熱く語ってくる。
語るだけならまだいいのだけど、価値観の中心が全てサッカーで回っているのがとてもウザい。
うちの地域はもともとサッカーの盛んな地域で、J2のチームがある。
当然上位を目指せということでサッカー好きな人はアチラコチラでサッカーの啓蒙をして回る。
こういう地域はサッカーが嫌いどころか興味がないというだけで、もう非国民のような扱いを受ける。
これはこれで仕方がない。サッカー王国に住んじゃったんだもの。
ちょっとでもサッカー好きと言おうものなら、好きな選手やらチームから始まり日本代表の戦術についての個人的な感想まで述べなくてはいけない。
戦術やポジションについて、サッカーファンは大概自分の考えが一番と思っているので、自分と違う考えの人は「ニワカ」と認定され「あーそういう感じね」みたいな微妙な空気が流れる。
親切な人だと、わざわざ自分の視点・戦術について事細かに説明して下さる。
サッカーはこう見るのが正しいんだ、こう見るほうがより面白いんだ!
ありがとうございます、ありがとうございます。でもいいじゃないですか、サッカーくらい好きに見ても。
さらにこういう人達は「サッカーが地域経済を救う」「サッカーが地域教育を救う」「サッカーが世界を救う」と真剣に考えている。
そしてサッカーと地域社会を絡ませる運動をしゃかりきになって興していて、これがまたウザい。
地域おこしをサッカーで!商店街とサッカーチームがコラボ!あのサッカー選手があのお店と!
確かにサッカーは子供たちの教育にもいいだろうし、J2J1クラスのチームが出来ればそれなりに地域の経済には貢献してくれるだろう。
でも何でもかんでもサッカー絡ませて来られると何なの?という気になってくる。
サッカー見ている層と実際に商店街やらにくる層は違うのに「若い人を商店街に!」とかまじめにやってる。
若い人向けのない商店街に若い人呼んでどうするん、股引買わせて帰らせるんか。
最近では地元チームもっと盛り上げよう!ということで「なるべくホームゲーム見に行こう!」みたいな強調圧力がかかる。
チームの運営とかに口出ししてる人もいるとか。チーム側はありがたいのかもしらんけど。
周辺のサッカーちょっとだけ好きな人達は、国際試合期間はがっつりファンたちから隠れてコソコソサッカー見るようになってる。
571 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2013/03/06(水) 10:25:08.75 ID:9hgQjiph0 [1/3]噂のミスユニバースジャパン代表を見てきたら、スタイルが悪くてびっくりした
http://sankei.jp.msn.com/images/news/130304/trd13030421460016-p1.jpg
もっと他にいい人が居たでしょうに
ミスユニバースまで在日が牛耳ってるの? ほんといい加減にしてよね
580 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2013/03/06(水) 10:34:04.39 ID:582/cmYC0 [4/5]>>571
整形しないと、こんなの(↓左)しかいない韓国がミスコンを仕切る?www
フランス人ディレクターがいなくなって、レベルが下がってるだけでしょ。
http://www1.kjclub.com/UploadFile/exc_board_65/2012/07/09/E3839FE382B9E382B8E383A3E38391E383B3.jpg
613 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2013/03/06(水) 10:55:00.59 ID:9hgQjiph0 [2/3]>>580
「韓国」じゃなくて、「在日」が国内のミスユニ日本代表をごり押ししたんじゃないの
という意味で言ったのよ
25歳という年齢もミスユニ代表にしては歳を食いすぎだし、裏で何らかの力が働いて、ごり押しされたと思えるわ
顔も整形っぽい
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`つ /
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 ̄ ̄)____亅
山本監督が、巨人を率いる!! 3月2日に開幕するワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表の山本浩二監督(66)が、巨人が2月11日の宮崎春季キャンプで実施する紅白戦で、ベンチ入りすることが22日、分かった。
サッカー詳しくないしそこまでめちゃくちゃ興味あるわけでもなくて、日本代表の試合があるって聞いたら軽く結果くらいは気にするレベルの人間だけど、
ふと日本vsオーストラリアのハイライトを見てて、vs韓国戦と違って、純粋にハラハラワクワクできて面白いなあと思った。
まあこういうのが本来のサッカーなんだろうけども。
あと当時は本田しか名前意識してなかったけど、今見たら長友もいたんだーとか。
香川のゴール前乱戦でのボールキープとか切り返しとかすげーwwwwって興奮した。
リプレイとかも合わせて見られたからよかった部分もかなりある。実際の試合見てたらなかなか自分みたいな素人にはわかりにくいからこういうときは助かる。
スタジアムで見るとまた違うんだよとか言われそうだけど、すごさがわからんとかちっちゃくて見えないというわがままな自分みたいな人間にはテレビがベストだわ。
昔はファンだったけど、ジュビロ末期(入れ替え戦の頃)あたりから一貫して
早く引退しろと思っていたので、引退すると聞いて正直ほっとしている。
正直全盛期の勢いが凄かっただけに、今のように全く動けない様を見たくはなかった。
思い出は美しいままにしておきたかった。
他人からエゴだといわれようが、札幌に行ってまで現役を続けた彼に失望してたくらいである。
最近はCWCのオセアニアチームに入ってみたり、フットサル日本代表に入ってみたり
フットサルW杯なんか、大会中に所属元の横浜FCがJ1昇格を掛けたプレーオフ進出争いをしてたわけで。
こんな大変な時期に客寄せパンダになりに行くなんて失礼だと思った。
逆を返せばカズが居なくてもチームは回るわけで、クラブでも客寄せパンダなのには変わりない。
世界中で大人気! Youtubeでもランキング1位! という触れ込みだったPSYだが、ランキングをクリック重視から再生時間重視にしたら、ランク外に落ちてしまったという話。
痛いニュース(ノ∀`) : Youtubeが再生回数から視聴時間を重視するようにした途端、PSYが消滅する - ライブドアブログ
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1734805.html
スキージャンプ競技の日本代表は90年代「日の丸飛行隊」ともてはやされ大変強かったが
長野オリンピック後のルール変更により、急に日の目を見なくなった。
どちらも文字通り、game-changingな事態がおこったわけだ。
きっとPSY関係者たちも、毎夜毎夜必死になってF5連打していたと思う。(比喩表現)
そうすれば勝てるから。そうすればランク上位にきて売れるから。
AppStoreやGooglePlay、その他、電子書籍のランキングもそうだ。
結局、他人の作った基盤は、ルール変更のリスクがあるという訳だ。
横だが、
だから日本のサポーターは韓国相手のときだけ旭日旗出してるのか?違うだろ?
だいたいお前らには日本戦が一大エンターテインメントかもしれないけど
日本代表サポーターは韓国戦なんか嫌がってるし無い方がいいって言ってんだよ。
勝っても負けても必ず後味を気持ち悪くされるし、悪質ラフプレイで大事な選手が壊されるし。
お前等が常に日本を意識して行動してるからって日本の行動は韓国を意識したものではねーんだよ。
なんで日本人の韓国と全く関係ない行動が全部韓国に対する意識で駆動してることになるんだよ。
お前等の異常な精神ではそういう基準が普通だとしてもそれは地球上でお前等だけだよ。
ビョーキも大概にしろよ。
地域や担当者によるのだろうけど、クロネコ>佐川>>越えられない壁>>ゆうびん。
世界規模でみるとハイレベルな争いだと思う。オリンピックでいえば、金銀銅をなぜか日本代表で争っている状態。もしくは選手層が厚くてなかなか代表になれないみたいな感じ。
20時までに電話できれば当日配達。町内単位で車が回っているようなので、すぐにくる。ドライバー直通携帯あり。
18時までに電話しないと受け取れない。配達指定日がない荷物はベースに寝ているときがあるので、番号がわかるときは先に再配達手続きをして時間指定すると早くなる。代引きだとドライバーさんが争うように電話をかけてきて、荷物を届けようとする傾向があり、普通の荷物よりも受け取りやすい。ドライバー直通携帯あり。
ペリカンとの合併のためか、ゆうパック、レターパック、郵便で配達担当者が別。同じ日に荷物があっても別の人がくる。種類によって当日配達のリミットがことなる。18時までだと思ったほうがいい。たまにタバコで燻されて荷物がタバコくさいときがある。委託の人が多い。
近所の郵便局は24時間対応。翌日配達の当日の締め切りは20時。
駐車場と受付が離れすぎ。窓口での仕事の種類が多いので、待ち時間が長い。
近所の営業所の翌日配達の締め切りは、19時。郊外のベースまで行けば、21時。
コンビニに出すときは、コンビニごとの締め切り時間があるので、注意。それを過ぎると翌日扱い。
伝票を持っていないのと、受付がないので、ベースまで行かないと送れない。
大口専門なのかも。
そいつがドリブルを始めると誰も止められない。特にキックフェイントが絶妙で、分かっていても引っかかる。存在しないボールの軌跡を目で追ってしまう。まるで手品のようだった。紅白戦では、そいつがいる側が絶対勝ってしまうため、もう一方のチームを一人増やす、そんなレベル。
そいつは地元の強豪校に進学した。我々チームメイトは「あいつならすぐにエースになるだろう」と話していた。
しかし、強豪校とはそんなに甘いレベルではなかった。彼はエースどころかレギュラーも掴めず、3年間二軍暮らしだったらしい。技術は悪くなかったが、体の小ささが災いしたのだという。
さて、その強豪校。さぞかし全国に名を轟かせたか、というとそうでもない。我々の代では選手権に一度も出られなかった。なぜなら、ライバル校に『怪物』と呼ばれる程の選手が加入し、予選でことごとく蹴散らされたから。
では、そのライバル校は全国で……いや、まったく。せいぜい二回戦どまり。とはいえ、その『怪物』は目立っていて、その後プロ入りする。
その『怪物』はプロの世界でも暴れまわ……ったりはしなかった。レギュラーを掴んだ時期もあったが、後から入ってきた年代別代表の常連にポジションを奪われ、その後は鳴かず飛ばずのままひっそりと引退した。
その年代別代表常連はクラブにおいては重要な選手となったが、それもやはり、あくまでローカルヒーロー。A代表に呼ばれることはついぞなかった。
そんな化け物の中の化け物が集結する我らが日本代表も、ワールドカップではベスト16が最高成績。FIFAランクでは30位前後。相手によっては子供扱いされてしまうわけだ。
で、結局、何が言いたいかというとだね、
という事です。以上。
スポーツってなんだかんだで体が大きい人間有利だから日本人はスポーツは不利だしスポーツの日本代表を応援するというのは虚しいことなのかも知れないとラグビーワールドカップでそう思った。そういえば怒り新党でもマツコ・デラックスが弱い種目は応援する気が起きないみたいなことを言ってたような気がする。
体格差なんて技術で補えばいいじゃないかと言ってくる人もいた。確かにそれで一時的にはしのげる。でも体格のいい外国人たちがその技術とやらを覚えたらただでさえ敵わないのが余計敵わなくなるんじゃないか。
日本人有利なスポーツなんてのはやたらルールが複雑かつ難解で得点パターンが無駄に多い野球くらいのもんじゃなかろか。柔道も歴史の長さでどうにかいい位置にいるとは思うけど。
かつて純真だった若者は、あるとき世の中にある『利権構造』というものを教えられたとき、社会の全てのカラクリが解けたような気になる。
それまで、どうして貧富の差が大きいのだろう?どうして政治家は馬鹿なことをしているのだろう?どうして愚かな戦争が起こるのだろう?・・・と、純粋なる心で不思議に思っていた疑問に対して、『カネ』とそれに執着する『悪い人』の存在をベースにした説明は明快で、非常にわかりやすい回答を与える。
そしてそれを知ったとき、世の中の汚さを知り、若者はひとつオトナになる。
---ただ、いつまでたってもそれ以上に考えを進めず、それで自分が賢くなった気でいる"オトナ"があまりに多い。
「それが世の中の全てさ」とそこで思考停止し、シニカルに批判してペシミストを気取る。
それは究極、「みんな『悪い人』が悪いんだ!」と誰かのせいにしているだけである。これが本当にオトナの考え方だろうか?
本当に様々な経験を重ねたオトナなら、一度は、こんな経験をするはずだ。
「誰も何も悪くないのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろう・・・」
正義と正義がぶつかった諍い。善意が招いてしまった失敗。一部でなく全部を満足させようとして結局全部ダメに。
悪人はどこにもいなかったのに、結果的に誰かが酷い目にあってしまう哀しい構図。
---『悪い人』がいなくても、結果として『悪いこと』は起こり得る・・・
それを知ってから、改めて歴史や社会を見直す。すると、かつて「一部の悪い人の利権」をベースとした説明ですっかり理解した(つもりになっていた)『悪いこと』を起こした原因に、『悪い人』は誰もいなかった-無知や誤解や失敗があっただけ-というケースがとても多いこともわかってくる。
だからこそ、我々は、自らの『正しい』行為が意図せず『悪』に転じないように、よく学び、よく考えて、慎重に自戒しながら、生きていかなくちゃいけない・・・。
ところが、残念ながら、そこの段階に進まない人は多い。
進まない人をここでは「第1段階のオトナ」、そこから先に進んだ人を「第2段階のオトナ」と呼ぶことにする。
第1段階のオトナは、前述のような、誰も悪くないのに結果として失敗してしまったような状況で、自分の世界観に合わせて『悪い人』を探し出そうとする。
”私達と逆のことを言う人間は全員、真実がバレたら『都合が悪い』連中で、つまり『利権』を受け取っているに決まっている。
「そうじゃないよ、悪い人のせいじゃないよ」と語るマスコミや知識人はみんなその利権に買収されている御用業者だ。
一般人で彼らを擁護する人達は、みんなオトナの知識(利権構造)を知らないコドモだから、すっかり騙されているんだよね。バカだなあ。”
---と。
そうして、一切を『悪い人』のせいにして、その証拠が無いのは『隠蔽』されてると決めつけて、それに対する反論はすべて陰謀と無知によるものと相手にせず、自分は「騙されない人間」「裏事情通」という"高み"にいるつもりになっているのである。
さて、誤解されてはいけないが、第2段階のオトナは、世の中に『利権』『保身』による悪なんて全く無い、などと言っているわけではない。
第1段階を一度は経ているから、大企業や財界、政界がそれに染まっていることは当然、社会人の常識として知っている。
第2段階のオトナは、利権構造の悪を知りつつ、それを自分とは全く関係ない他者のものとしては捉えない。
我々に出来るのは、「他人のせい」にせず、すべてを自らの問題に布置して考えることだということを知っている。
家族持ちの正社員がある日突然「お前の業務なんてアルバイトで充分だから、明日からバイトの身分になれ」と言われたら、給料・社会保障という『利権』を守るため、正社員の地位を守るため『保身』に必死になるだろう。
あなたが中小企業の社長で、もし最大の取引先から突然「もっと割のいい会社と取引することにしました、サヨウナラ」と言われたら、部下の社員達のために『利権』を守ろうと必死で裏接待でも賄賂でも何でもして、取引先から得ている『既得権益』を守るために必死になるだろう。
それを責められるだろうか?
トップになればなるほど、多数の部下を護る責任は大きくなる。最終的には日本全体に対しての責任が出てくる。
彼らが背負っているのは決して「自分の贅沢」「地位」「名誉」だけじゃないのだ。
そして彼らは、日本代表として不当なほどの『利権』を世界の中で奪ってくれてきた。
結果は、税金などを通して、我々日本国民全員の豊かな暮らしにちゃんと反映されている。
彼らの『利権』に与かってきたのは、誰あろう私たち全員だ。我々は決して、無垢な第三者ではない。
日本はなんだかんだ言いながらちゃんと民主主義国である。制度に問題はあれど、究極は一票一票の積み重ねが、現政府を選んだ。
なのに第1段階のオトナはしばしば、『政府』というものを、どこか自分とは縁のない陰謀世界から派遣された『恐ろしい権力』と考えてるとしか思えない言動をする。
困ったことに知識人とされる人の中にも第1段階のオトナがいて、コドモから第1段階に至ったばかりの人たちを扇動し、居りもしない架空の『闇の勢力』を攻撃することに無駄なエネルギーを注がせている・・・
第2段階のオトナは、利権構造や人間の保身的な行動というものをちゃんと認識しながらも(第1段階)、全てを『悪い人』のせいにして思考停止せず、自分自身の問題に敷衍して全ての情報を考える。
そして意志表明の手段として、選挙に行く。
先日の(はてブも何もしなかったからタイトル忘れた)、女子サッカー優勝の件で、お前ら騒ぎすぎなんだよm9(^Д^)プギャーな人が居たような気がするから書いてみる。
といっても、私が書くわけじゃなくて某所で見た沢選手のインタビュー記事なんだけどな
澤選手のあるコメント
アメリカでは美談として流れているものの
何故か日本では報道や掲載されないのだ
日本語コメントの英訳を再び和訳する事に違和感ながら
日本のマスゴミが報道しない為にあえて和訳する
http://sports.yahoo.com/soccer/news;_ylt=AmArrRdFEVrJjWgo3hlE1WA5nYcB?slug=ro-rogers_japan_win_pay_tribute_tsunami_071711
澤選手のコメント:
“We knew that what we were doing here could be about a little more than just a football tournament. If winning this makes one person, someone who lost something or someone or was hurt or damaged by the events that touched our country, feel better for even one moment, then we have really achieved a most special thing. If it makes everyone happy and joyful and gives them a reason to cheer after such difficult times, then we have been successful. Japan has been hurt and so many lives have been affected. We can not change that but Japan is coming back and this was our chance to represent our nation and show that we never stop working. This is like a dream to us and we hope our country shares it with us.”
「我々のしていることは、ただサッカーをするだけではないことを、意識してきた。我々が勝つことにより、何かを失った人、誰かを失った人、怪我をした人、傷ついた人、彼らの気持ちが一瞬でも楽になってくれたら、私達は真に特別な事を成し遂げた事になる。こんな辛い時期だからこそ、みんなに少しでも元気や喜びを与える事が出来たら、それこそが我々の成功となる。日本は困難に立ち向かい、多くの人々の生活は困窮している。我々は、それ自体を変えることは出来ないものの、日本は今復興を頑張っているのだから、そんな日本の代表として、復興を決して諦めない気持ちをプレイで見せたかった。今日、我々にとってはまさに夢のようで有り、我々の国が我々と一緒に喜んでくれるとしたら幸いです」
http://yanashu.tumblr.com/post/7801129614
サッカーが好きな人が、サッカーで勝つこと以上の何かを望むことは傲慢なのかもしれない。
だけど、私も(日本代表のしたことに比べると些細なものだが)自分の仕事をするとき、この仕事がクライアント、そのお客さん、そのまたお客さん…といった大勢の人に「いいな!」と言ってもらえるものを…と、いつも考えてる。
スポーツで自国の選手が勝った・負けたで一喜一憂するのは、そりゃチームが国ごと編成で戦ってるからで、
ソレを「ナショナリズムどうのこうの!」と不快に感じてしまうなら、国別やめようぜ・とFIFA辺りに送ることができるような提案書・というかアイディアを本気だして考えたら、なかなか面白いかもしれない。
で、表題のとおり、スポーツで「日本代表」の人達が頑張る事を、日本の人が応援したり・喜んだりすることってのは、そんな変なことじゃないと思うんだ。
でも環境っていうのはすごく大事で、女の子がサッカーすること自体珍しい国では世界を目指す!とか、なかなか期待できないだろうし
もっとスポーツのエリート教育ガンガンやってる国だったら逆に、物心ついた頃には既に差はできてて、夢見るレンジも狭まってたかもしれない。
「もしかしたら同級生の●●ちゃん」が、そこで頑張ってるかもしれない事実、
自分と同じ条件下、そういう子達が夢を掴んだ事実、こういうのも「自国を応援する理由」の一つとしてあるんじゃないかなぁと思う。
スポーツで偉業を為した人に自己投影するなよ、って事なんだろうが。
尊敬したり・目標にしたり…彼らの歓びを我がごとのように喜んだり、ってそんなに悪いことなんかいな。
私も「好きなことしてるんだから!」ってバイト掛け持ちしてた下積み期間があった人間なんで、普通に我が事のように嬉しいよ。
つまり何が言いたいのかって言うと、
スポーツ日本代表って、そもそもはまず最初に国内各地でプレイする競技者たちがいて、地域や国内でのスポーツ活動をとりまとめる協会みたいなのが生まれて、
そこから国内にいる強い選手が選出されて代表になって、みたいなボトムアップ的なもんだと思ってたんだけど、違うのかな?
つまり、身びいき感情とか我らが代表となるチームを作るとかそういうモチベーションから成立したというよりも、
海外に行かないとプレイできないってのは競技者にとって不便だしファンも観戦しにくいので国内スポーツ界があり、その頂点たる代表があるんじゃないのかな、と
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20110716/1310803436
結としては、ツールの報道が少なすぎてイラつくのはわかるけど、報道枠の問題と感情移入して応援することとそれを他人にも押し付けることとは区別したほうがいいと思いました、て感じで。
女子サッカーで嬉々として
男叩きをしている奴らが、見苦しすぎる。
そもそも、女子サッカーがここまでこれたこと
に対する甚だしい無知がある。
女子日本代表・永里、男子の選手会をバッサリ(サッカー) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2010/12/31/20.html
スポニチの永里優季「「おまえら何のためにサッカーやってんだ?と思った」協会と対立する男子選手会をバッサリ」」なんて記事があった時に、こんなことが言われていたが
49:名前:名無しさん@恐縮です:2010/12/31(金) 19:38:25 ID:jpxkeXtd0
自分らの活動資金も稼げないくせによく言うわ
こんなことを見ても書いているが
受けて、高待遇で来れたのか。
男子が金銭面で協会と対立しても
金銭面で優遇をした。
男子が金銭面で対立があっても
女子に金銭面で優遇するって
どれだけ女子に対する
そんなことも知らない連中が
女子サッカーで男叩きをしている。
女子サッカーでの男叩きほど
恩を仇で返すのもなかなかない。
男子が金銭面で不満があっても、なお
決勝までいけたことが
分かっているのか?
男叩きするというアホらしいことは出てこない。
恵まれた環境にない。
実力がまだ、全然出ていない。
女子サッカーでの男叩きこそ