はてなキーワード: 世田谷とは
情報を半端につまみ食いした結果脳内に以下のストーリーが展開されてしまい、事実となんにも関係ないのに勝手につらくなっている。
将来はお菓子屋さんになる!って希望に満ち溢れた女児がまずいるわけよ。
実家がまあまあ裕福だったもんで対して勉強もせず大人になって、いつのまにか小さなお店まで開けちゃった。可愛い息子に時々お手伝いしてもらったりしてさ。やったねハッピーエンドだ。
ただ東京でやってるし、裕福な親の人脈つながりで世田谷自然派左翼みたいな知り合いもできる。でもお菓子っておいしいと嬉しいが不可分なもんで、そうそう話聞いて影響を受けるわけにもいかないよね。適当にあしらっとこ。
防疫に慎重な人がみんな出歩かなくなって、自然派ばかり会うようになってどんどん影響を受けていく。ヘルシーにするには甘さ控えめじゃなくちゃ。糖質制限とかしなくちゃ。白砂糖とか不健康とか言ってる。食品添加物とかダメだよね!
自分もコロナにかかって、治ったはずなのに頭がぼんやりして考えがまとまらない。でも世間がコロナ開けたとか言ってるから元気出さなくちゃね。ヘルシーレシピのマフィンできた!
自然派の友達がイベント出展の話持ってきた。出てみたらすごい勢いで売れた。品切れっていうとすごい悲しい顔をされちゃった。
次のイベントなんか出展料高いなあ。品切れもダメだし、たくさん持ち込まないと。
3千個持ち込もう!と思ったけど、とても1日じゃ焼ききれないよ。オーブンにたくさん詰めて、焼き上がったら冷凍庫に、ああいっぱいだ、冷蔵庫に、ああいっぱいだ、エアコンでよく冷やした部屋に置いとくしかないか。おおいな、大変だな、手が痛くなってきたよ。
イベント大変だったな、でもいっぱい売れたよ。
どうしてなの
なんでかわかんないけどみんなおこってるの
ずっとずっとおこってるの
なにいってるかわかんない
あああああああ
毎年3月11日や9月11日を不謹慎だという連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日や11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト
それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
このリストに著作権なんかねぇから、日めくりカレンダーも薄い本もなんだってしてもらってもいいぜ
良い月? そんなものこの世にはない
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る
「お金がなくても作家を喜ばせる方法は図書館にリクエストすることだ」なるツイート(ポスト?)が伸びてたので https://twitter.com/jiro6663/status/1694628008366428193?t=3FxjKDajQYbjtPMwsgkrdw&s=19
現役図書館司書の視点からこの件について図書館的にどうなのか、本当に作家の為になっているのかを考えてみた
念を押しておくと田舎の小さい図書館司書視点なので一般化できるかは怪しい
①リクエストした人が必ず借りてくれるのであれば図書館は嬉しい
の2点になる
まず①から
図書館の予算は大体どこもカツカツで満足に本買えてる図書館の方が少ない
限られた予算の中で利用者が喜ぶ本を選書し、満足度の高い図書館をいかにして作るかというのは司書の腕の見せ所である
大体は児童向けや小説のシリーズ物、健康や生活の知恵に役立つ400〜500番代の本を数冊買い、余ったお金で1〜2冊ほど「これは利用されそうだな」という本をジャンル問わず選定するが、この「利用されそう」というふわっとしたものが難しい
よく動く本の傾向を見たり新聞書評や今ならYouTubeやTikTokでバズったものを選定してみたりするが、それでも買ったのに全然貸出されない本は出てくる
こういう時、誰かがリクエストをかけた本であれば確実に一回の利用は見込めるので選書会議も通りやすいし助かったりする
しかし、リクエストかけた人に借りる意思がない場合はとても困る
実際、みんなに読んでほしいと言う理由でリクエストがかかり購入したが誰も読まず書架の肥やしになっている本はある
(これはその本が悪いのではなく利用者のニーズに合致しなかった、例えば世田谷や目黒といった一等地に農業指南の本を置いて借りる人がいるのか?という話)
実際そういうことが起きたのでうちの図書館ではリクエストした本を必ず借りてもらうルールが作られた
予算もスペースも限られているので、本人が借りる意思の無い布教の為の、最低一回の利用も見込めない本はリクエストされても正直困るな…というのが本音である
作家としても、折角書いた本が誰にも読まれず本棚から動かない状況は売れたとしてもあまり嬉しくはないんじゃないかと思う
②について
図書館の本は必ずしも購入した物ばかりではない
リクエストがかかった本で、どうしても予算が足りず購入が後回しになる本はどうしても出てくる
そういう時、どこからか現れた善意の市民がちょうどリクエストかかった本を寄贈してくれることがある
それを確かめる方法は図書館には無いのて、作者の利益に貢献しているかは不明だ
また、リクエストされたからといって必ず本を購入する訳では無い
相互貸借というサービスが存在し、その図書館に所蔵が無い本にリクエストがかかった時に所蔵のある別の図書館から取り寄せて貸出することもできる
リクエストがかかった本は原則自分の図書館で購入することが勧められている
それはそれとしてどこも予算は無いので出版から時間の経っている本は相互貸借で補い合うケースは多い
よって、図書館にリクエストをかけたからと言って、必ずしも作者への貢献に繋がるとは言えない
最後に
色々書いたが予算だのスペースだの利用率だのそういう小難しい事は司書が考える仕事なのであまり深く考えず読みたい本があれば気軽にリクエストしてみて欲しい
図書館はその街に住む市民の学習や読書環境を整えるのが第一の仕事だと考えているので要望があればやれる限りは応えたい
もちろん本を書いた作家や出版社があってこその図書館なのでそちらへの感謝や還元も適切に行っていく
ただ、やっぱり市民の為にあるのが図書館なので特定の個人が推し作家の応援する為に手当たり次第リクエストかけてまわるのはなんか違うのではと思う
https://anond.hatelabo.jp/20230731103637
電鉄会社は始発駅にデパートを持っているが、この二社はちょっと特別で文化をブランド化している。
両社ともデパートの一部に美術館を持ち、古典よりも現代美術などを扱う傾向が強かった。
また西武はレコード店WAVEや巨大書店LIBROなども併設して文化/流行の発信者的立場であった。更にこれら文化/流行事業がブランドとなってルイヴィトンなどのハイブランドの出店の寄せ水ともなっていた。
現在ヨドバシ西武出店で豊島区がクレーム出しているのはこういう背景があるから。
2.本屋
巨大書店が何棟かあるが、神保町三省堂、池袋LIBRO、池袋ジュンク堂、六本木青山ブックセンター、新宿紀伊国屋などは毛色が違って、売れ線の本を並べるのではなくて「推し」を優先して陳列するという特徴があった。「話題の本」が話題になる前にそこにあるという感じだ。売っているのは本じゃなくて文化文脈という感じか。ヘイト本陳列などで紛糾しているのはこの辺の事を知っていないと理解が出来なかったかと思われる。池袋ジュンク堂以外は退潮傾向。
3.レコード屋
渋谷その他のタワーレコード、西武系列のWAVE各店、CISCO、新宿/下北沢のディスクユニオン、秋葉原の石丸CD館など特徴的なレコード店があり、これらでは売れ線のJPOPなどは余り売っていない。これも流行のアンテナショップ的な感じでマイナーシーンでこれから流行るもの、ここでしか買えないものを揃えていた。
CDの退潮によりこれらも退潮傾向(石丸は大火災)だが、CDにかわりビニール盤(レコード)が復活してきたのでタワレコなどは盛り返しつつある。
広尾、六本木の欧米系、新大久保の韓国人、西川口、池袋の中国人、など外国人が集中して居住する地域があり、彼ら向けの商店など外国の風が吹いてるかの如くの雰囲気がある。またその地域では国内で見かけない外国製品が売られているなどエキゾチック。文化的な対立などの問題も起きるが都会や資本主義というのは異物に包容力があるのでなんとかやっている。外国人との対立問題で刑事事件などが根拠にされる場合があるが根本原因ではない。文化間の接触域では「文化を浴びる」感が日常で起こり、それが浸食されるという不安を産んでいることを忘れている。
東京とその近郊は戦前は軍都でもありそれらが全部占領されたのでその基地や居住地付近は米軍の文化に染まった。
占領解除と基地返還でこれらは忘れられつつあるが、近郊には所沢、横須賀などアメリカテイストが残り、それを維持しようとする住民がおり、ニューイングランド様式の家+アメ車などの組み合わせを見る事がある。東京郊外だが埼玉の入間市には米軍住宅をそのまま残したジョンソンタウンという街がある。
6.裏原宿
原宿は西から原宿駅\竹下通り\明治通り-渋谷川暗渠地域/青山(線の傾きは高低差)となっているが、この渋谷川暗渠に沿って民家改造した古着屋、インポートショップが乱立した。両方とも若い経営者が米国や西欧に行って古着市場や日本に入っていない若手ブランド服を買い付けて一般民家を簡易な改造した店舗で売るというモデル。全国展開しているBEAMSなども裏原出身。今では地方都市やショッピングモール、観光地周辺でも見られる業態だが、わざと「簡易な内装」を作るのは裏原の文脈があるから。若者のスモールビジネスからセレクトショップやアンテナショップ業態に移行しつつある。なお、渋谷川暗渠に密集したのは、暗渠沿いには高いビルが建てられず地下が低かったから。
7.お祭り
地方より東京の方が中間共同体が残っている事が多く、お祭りが維持できているケースが多い。
道路上での演奏は禁止なのだが路上演奏者は多く居て、警察が来るとダッシュで逃げるというのを繰り返している。特に外国人が民族衣装を着て民族音楽を演奏するものなどは人気がある。
単にオタクが好きなアニメの服着てるだけに留まらないレベルの人が結構いる。そういう人は総じて相当な美人/美男であり服の装飾や裁縫レベルも高くて高級感もある。文化文脈の摂取に貪欲で外国に出かけて実際の文化を見て吸収しようとするし写真のレベルも高く、サブカルなのにハイカルチャーの趣きがある。SNSの過去ログを手繰ると、昔から美人だったのではなくて文化の吸収や意識の向上に従って外見が変化している。だとするとそれを生ぜしめたコスプレという行為も文化現象として上等と結論づけるしかない。
クラブ遊びもちゃんとやろうとすると音楽の知識、海外の文化現象の理解などが必要になる。カッコだけの真似だとダサイ、浅いという評価になる。
環状八号線の世田谷地区には外車ディーラーが並ぶ。外車は単に高級品というだけではなく、その国の文化というものを纏っているもので、特に米国、イタリア、フランスがその傾向が強い。故に環八の外車ディーラーが並ぶ風景は車好きには外国の風が吹いているように見えるものである。
「ビルの内装はがして壁も天井も配管も白いペンキ塗っただけ」みたいな小さいギャラリーが多くあり、マイナー作家やマニアックな展覧会が催されている。その辺の敷居の低い部分があるのを利用してお上りさんやオタクつかまえてサブカル絵やラッセンの絵を高額ローン組ませて売りつける商法をしていた連中は万死に値するな。
13.商店街
地方ではすっかり衰退してしまった商店街が東京では幾つか健在で、若者文化を取り込んで混在する下北沢とか吉祥寺とか買い物以外でも面白いところがある。増田のおススメは赤羽で、昭和のマーケット形式の商店、カゴに小銭入れてゴムで吊るしている八百屋とかも健在で、新しい飲食店も沢山あって混在している。更に飲食店にやたらとテラスがあるのが特徴で日本じゃないみたいな感じになっている。小奇麗なカフェから昭和の立ち飲み焼き鳥屋にはしごとか出来る。
14.モグリ
人気講師がいる大学には偽学生のモグリが発生する。在籍していないのに勝手に講義を聴きに来るやつだ。大学によってはそれを止めるつもりもない。更に学外者が立ち入るのが当然のように大学内で展覧会を開催したりする。
15.TV局
テレビ局は働く人が多いので企業城下町的なものを形成していたりする。いけ好かないギョーカイ風でもあるがTVの地位低下とオフィス街と一体になった再開発などによりオフィス街と混じる形になって衰退傾向(例:TBS@赤坂、TV朝日@谷町、六本木)
16.建築
近代建築も多く残り、有名建築家の作品も多い。中に入って素材の質感、施工の程度などを触って確認できる。隈研吾のなんか食傷気味でもういらねぇとか思ったりする。但しザハ・ハディッドのは無い…。
今までも歩行者天国は色々なサブカルチャーを生み出してきた。だが加熱しすぎて警察に禁止されたり通り魔が起きたりと都度潰されるという道を辿ってきた。今ではフェアなどで自治体が大道芸を支援するような動きがある。
18.大学
身も蓋も無いが地方の大学と東京の大学では学生生活の質が違うというのはある。東京で大事なのは同質性の低さで、地方から出てきた者、エスカレータ組、留学生、帰国子女が混在している。特に帰国子女は「似た外見を持った異人」であって同質的な学校空間で育った学生に異化作用を齎す。概ね彼らはその異文化経験によって判断基準を「みんながそう言うから」に置かず、成熟して大人びていている。帰国子女とも留学生とも邂逅しない大学というのは大学と呼べるのか。
ホームレスに日常的に遭遇し、自殺の現場に居合わせるなどの経験(鉄道など)により、落伍への強烈な強迫観念が刷り込まれる。当然これはいいことではない。だが影響を強く受ける文化現象として外せないと思われる。
世田谷も同じような感じ。
会話でちょくちょく東京を馬鹿にするというか、「東京は○○(ネガティブ表現)w」みたいな発言がある。だったらなんで上京してきたんだろうね。なんで上京してきて東京育ちの女に告白してチンコ立ててんだろうね。笑いそうになるわ。
自分が育った土地を愛するのは良いことだと思うけど、それってわざわざ東京と比較しないとダメなのか?一緒に何回か大阪へ行ったけどご飯美味しいし賑やかで楽しいよ。栄えてるし面白い人多いし陽気で良かった。それをわざわざ自分でイメージ悪くしていくの意味わかんね。結局この人は東京を馬鹿にすることで自分のプライドを守ってるんだろうな。普通さ、そこを彼女である私が優しく愛して埋めてあげるべきなんだろうけど、この人は一つ忘れてんだよね。東京だって沢山の人の故郷なんだよ。私の大好きな街なんだよ。別に世田谷出身!港区出身!て訳じゃないよ、23区の普通の住宅街。でも私にとっては郊外も都心も思い出深い愛する地元なわけ。人の大切なものを声高にディスって好かれるわけないでしょ。やんわり注意すると反省するけどそのうちまた「東京は~関東は~」って言いだす。明るくていい人なんだけど最近疲れてきた。気持ちは離れていく一方だよ。
思えば大阪出身、ひいては関西の出身である女性にはこんなあからさまにディスられたことなんてない。いや、腹の内はどう思ってるかはわかんないけど少なくともいきなりこっちの悪口言ってこないよ。でもこれが男性だと、わりかし広い年代の人が「東京は人多すぎて気分悪なる」「デカい声で関西弁話すとビビりよんねん笑」「東京の子ってマウントばっか取って楽しいん?(ダイアナの漫画を真に受けてるっぽい)」「言っとくけど標準語は関東弁やで」等と言ってくる……しかし彼らは不思議なことに自分の意志で東京に来ているのである。転職だろうが、進学だろうが、旅行だろうが、自分の意志で。私の彼氏も100%自分の意志でこっちへ越してきた。
今日もYouTubeで「××な時の関西人と関東人の違い!」みたいな動画見てた。あの手のネタってほぼ関西側の人がやってない?わざわざ関東人のリアクションと比べなくていいよ。その”関東人のリアクション”もなんか的外れだし。