はてなキーワード: 延坪島砲撃事件とは
毎年3月11日や9月11日を不謹慎だという連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日や11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト
それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
このリストに著作権なんかねぇから、日めくりカレンダーも薄い本もなんだってしてもらってもいいぜ
良い月? そんなものこの世にはない
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る
元増田です。
直感だけで書いた記事に、丁寧なご解説下さりありがとうございます。
勉強になりました。
ですが、テロとの戦いで最良の手段は、「無視」なんじゃないかっていう結論な気がしてしまいました。。。
どんな被害が出ようが、どれだけ多数の人が亡くなろうが、無視するという選択を取り続けていれば、テロリズムの価値は無くなっていくのでしょうか?
もちろん、それは現実的には不可能なのかもしれませんが、思考実験として、それは成功可能性大なのではないですか?
たとえば、子育てで、子どもはいたずらをして親や周囲の気を引こうとしているのだから、いたずらを辞めさせたいなら、叱りつけるより無視を続ける方が良いという子育て法と、なんだか似ている気がします。
現実に割と最近取られた戦術として、延坪島砲撃事件後の韓国側の対応が挙げられると思います。
延坪島砲撃事件 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%B6%E5%9D%AA%E5%B3%B6%E7%A0%B2%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6
この事件で、韓国側には「報復」という選択肢はあったはずなのに、「防衛」以上の対応はあえてしなかった。
もし、報復行動をしていたら、全面的な戦争突入も避けられなくなるから、韓国側だけが一方的に被害を受け、民間人の死者まで出ていながら、それ以上の対応をしなかったのだと、思います。
もちろん、この砲撃は一応事前通告されていて、「テロ」とは言えないですし、今も朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国の間は緊張関係にあるのですが、実際の交戦はその後起こっていない。
これって、すごいことだと思います。
当時アメリカは、テロとの戦いを表明することで、自由と民主主義を守る名目を建前にしていながら、逆にその根本的倫理を縛り付け、辱めてしまった。
テロリズムは、自分たちがのし上がるためではなく、相手の地位を失墜させる手段として、実際に功績を挙げてしまったということですよね?
テロを相手に、戦おうとすればするほど、自分で自分の首を絞めていく。。
それがテロリストの目的であるとするならば、無視以外の選択肢など、見当たらないように思えてしまいます。
欧米政府のスタッフは当然この辺りの原則は百も承知の上でやっていると思いますよ。