はてなキーワード: ゾーニングとは
http://anond.hatelabo.jp/20170528113521
http://anond.hatelabo.jp/20170527185142
このへんの腐女子がんばれよ論とか。
今回の騒動はたまたま選出基準のせいでBLの割合が多かっただけで、本質的な問題はそこじゃないと思う。
どっちかと言えばこれは「自分の作品は公のものだろうとなんだろうと使われ方を全部自分で管理したい」と願う作者とそれに立ちはだかる現実の話だ。
BL二次創作の作者にその手の人の割合が多いという意見は分かるが、別に自分の作品を管理したいのはBLもR18も二次も商業も関係ない。
例えば自分の作品がどこで閲覧できるか。自分の作品が何に紹介されるか。自分の作品が誰に楽しまれるか。自分の作品がどんなことに使われるか。
そういったものをとにかく全部自分の思い通り、想定通りにしたいと願う人は創作活動をしている人の中では別に珍しくはない。単にそれが我侭だと理解しているから周囲に要求してないだけで、内心やめてくれと思っている人はいる。
それは別にプロもアマも関係ない。それなりの年のオタクなら「俺が嫌だと行っている」という言葉に覚えのある人もいるだろう。
魚拓やアーカイブはちょっと見つからなかったので、当時の話題のまとめがあるサイトをのせておく。
http://neto10.blog55.fc2.com/blog-entry-12.html
リンク先まで見に行くのが面倒な人向けに簡単に説明すると、あのジャンプに連載していた久保帯人さん(ブリーチの作者の人)が当時私的に書いた絵をファンが喜ぶならとサイトに掲載していたけど、それをDLしてプリントアウト(自分だけで楽しむ、私的利用の範囲でもちろん適法)している人達にやめてくれって言った話。
そうすると当然「私的利用だから別に悪い事でもなんでもない」という反応もあるわけで、そういう正論に対して久保さんが言った(日記に書いた)のが
法律もウェッブルールもクソ喰らえだ。俺が嫌だと言ってる。「プリントアウトしちゃいけない」 理由がそれだけじゃ不充分なんだろうか?
という一文だった。(本当はサイトに乗せた理由についての話とかもあってもっと長いけど今回は前後の文章は関係ないと思うので該当部分だけ抜き出しました)
で、最終的には絵は削除されました。嫌だと言ってもファンからのDLしたいという問い合わせが尽きなかったため、とのこと。
この問題については確かに作者の態度はあまりよくないものだったかもしれないけれど、「確かに適法ですが個人的には嫌なので止めて欲しいです」とお願いをして、そのお願いが聞き入れられなかったので「では公開を止めます」って取り下げたのは別に何も間違ったことではない。それこそ適法。作品の公開を取りやめるのもまた作者の権利なのだから。
当時はまだブリーチは連載していなかったが、ジャンプに別の作品が掲載されたことはあったはず。つまり既にプロだった時の話がこれ。
その世界で金を払って生きている人でも自分の作品は法律とか関係なく自分が思った通りにしか扱ってほしくない、と思うだけでなく口にする人だっている。
そして個人的には後ろ盾を持ってきて権利を主張するんじゃなくてシンプルに「嫌だから止めろ」とだけ宣言する久保さんの態度は、言い方の問題こそあれむしろ変なごまかしをしない正しい姿勢だと思う。
二次創作は、原作者の意向によるけれどもまだまだグレーゾーン(作者が許可を出していないもの)は多い。公式に二次創作を認めたものもかなり増えてきたが、決してそちらの方が主流ということでもない。(とは言え二次創作=全て何もかも違法、みたいな扱いはどうかと思う)
また、原作にそのような要素がないものをBL化する場合、原作からの剥離度はいわゆる「健全」な本と比べたら高くなりやすい。(エロがないのにエロ化する二次創作も剥離度は高くなりやすい。念のため)
そして男性と比べて女性は慣習的に性的なものに触れることをタブー視されている空気はあると思うので、内圧なり外圧なりで、どうしても後ろめたさを感じる人というのが多い。
そうしたどこかうしろめたいものは、やっぱりあまり衆目には晒したくない、と思う人が多い。大勢の人の目に触れると攻撃される、という怯えがある。
結果、周囲から見た時になんだか妙だなと思われてしまうような妙なムラの掟だとかなんだとかが出来上がったりすることもまあよくある。
そういう意味では今回のような騒ぎが起きたときにはNLよりBL界隈の方が問題になりやすいだろうし、男性界隈より女性界隈の方が問題になりやすいだろう。
ただそれはあくまで傾向の話で、男だからセーフ、女だからアウトという話でもないと思う。可能性の大小の話でしかない。
それについて「嫌なら止めろ」ということは簡単だけれど、そもそもその後ろめたさの理由は内圧も多いけれど外圧だって多いのだ。しかもいわれがないタイプのやつ。
外圧が多いなかで必死に調整しながらなんとか隙間を縫ってきたのに腐女子は文句ばっかり、と言われるのは正直納得いかない。
最初に断っておくが、もちろん腐女子の妙なルールについてはおかしな勘違いだとか我侭前回の俺ルールはある。もう間違いない。
けれど全部の問題がが腐女子の中から出てきたわけじゃない。むしろ外部から「腐女子は存在が気持ち悪い」「目の前に出てこない腐だけがいい腐」とか言われたりすることもあるぐらい(今ではそういった声も減ったけど)で、それこそおおっぴらに腐った話をしたわけでなくても腐という属性を持っているだけで人間のクズみたいな扱いをされることだってあった。
それはゾーニングでどうにかできるものじゃなくて、それこそ作品の名前で検索してBLが出てきたらキャプションがあったりタグがついててもどれだけきちんと注意書きしてても叩く。こんなクソを俺の前に見せやがって。視界に入った時点でアウトなんだよ。という論調でこられる。そういう頭のおかしいとしか思えない人が普通にそこらにいた時代があった。
自分たちは嫌なら見るなというくせに、腐の作品は中身が見えなくてもその存在が目に映ったら理不尽に怒られた。そんな時代があった。
元からひっそりやりたい人はもちろんいたけれど、そもそも別にひっそりやりたいという願望があったわけじゃないけど、オープンにやると文句を言われるので仕方ないからひっそりやらないといけなかったという人もいる。そんな中でお前ら本当に我侭だな、みたいに言われると「我侭なのは分かってるけどそうさせた理由の数割はそっちにありますよね?」と思う。
上に上げたなかの腐女子がんばれ論あたりからは「あなたたち男オタクが僻地に追い込んだくせに今更逃げる事情を説明しろって言うんですか?冗談も大概にしてください」と感じてしまう部分もある。もちろんこれを書いた人が追い込んだ人達ではないだろうし、それこそ一部の頭のおかしい過激派と普通の男オタクを一緒くたにするつもりはないけれど、腐女子を雑に腐女子とまとめあげて上記のような論を展開されると私は性格が悪いのでうっかり厨返しとしてクソオタクとまとめて扱いたくなる。
謎ルールを振りかざして外部にだから配慮しろと言うつもりはないし、お前らが理解してしかるべきなんてことは思わない。理由がどうあれやっぱりやっちゃいけないことはいけないことだ。
そして、摩擦を起こさないように腐女子から動くことも時には必要だと思う。けれど外部から攻撃されてきた経験を持つ人もいる腐女子たち(当然そうでない人もいる)に「尊重してあげるからそっちからローカルルールちゃんと形にして掲げておいてよ、頑張れ」みたいな態度を取られると(そのようなつもりはなかったかもしれないけれど私には少なからずそう見えた)なんでお前のためにやらないといけないんだ、と反発されるだけだと思う。
自分で自分の作品はコントロールしたいけど、それは必ずしも叶えられるものじゃない。特にそれがちょっとばかり我侭な類のものだった場合。
そういった時、それこそ商業ベースのものはいくら嫌でもすぐにどうにかなるものではない。お金の問題や、権利の問題が絡んでくる。昨今の作品は個人だけでなくメーカーやらの手が加わってるものも多い。作者一人が嫌だと言ったところでそれに関わる他の人達の意向もあるからじゃあ止めようとはならない。
けれど、それが個人で管理している、それこそ同人作品だったら? 公開非公開を決めるのは自分の一存だ。なんか色々ややこしい商業ベースのものと違ってさくっと公開停止できる。そして消してしまうのは色々楽だ。だってもう問題が増えることはないのだから。
だから同人作品は作者が嫌だと思った次の瞬間公から消え去っている、なんてことがよくある。
それは別に晒されたとかそんなものですらなく、面倒になった、古い作品に耐えられなくなった、なんとなく気分で、そんな雑な理由でも作者が「そう」と決めたらすぐになくなってしまう。
そしてそれは何一つ悪いことじゃない。作者として当然の権利なのだから。
理解していない人も多いだろうけれど、理解した上で、だからこそ自分が管理しきれなくなったら消そう、という人もいると思う。
周囲がなんとなく空気を読んでくれている間はどうにかなるから公開する。周囲が空気を読んでくれる人ばかりでなくなったら管理しきれないから止める。
外から見ると何か起きて初めて公であることに気が付いて公開停止するのと、ついにこの日が来たかと思って公開停止するのと区別がつきにくいが。
ただ、どちらの場合も結局のところやさしく扱ってあげないと消えることに変わりはないので、そこを区別する理由はあまりないのかもしれない。
公に出したものは、法律で条件を満たせば使っていいと決まっている。だから使うことを強制的に止めさせることはできない。
でも「止めてほしい」とお願いすることは出来る。もちろんそのお願いを聞き入れるかどうかは自由なので、我侭で身勝手なお願いを無視することは何も悪くない。
悪くないがお願いすることで聞き入れてくれる人もいるんだから、別に一言お願いしたっていい。寧ろそれで双方が納得するなら円満解決、すばらしいじゃないか。
なんだか法律で認められているだとかそんなことを言うのは我侭だとか言って「お願いすることが非常識」みたいな論調の人が中にはいるけどそうじゃない。むしろ強制することなんて出来ないと分かっている知識ある人だからこそ「お願い」するのである。我侭なのは分かっているけど、できれば勘弁してもらえないか、と。
禁止だなんだとがなるちょっと残念な人達もけっこういるのが哀しいところだけれど。
まあ、個人の自由にすればいいと思う。ただ、当然その行動に見合っただけの結果が帰ってくる。それだけの話だ。
ちょっと気を回すだけで円満に解決するならその方が皆嬉しくてよかったねってことじゃないの、ということだろう。
悪いことしてないんだからヘイト溜める方がおかしいと思うなら、それは高慢だと思う。相手から罵倒してきたり誹謗中傷を投げ掛けてきたりしたらそれは行き過ぎた行為だけど、余計なことをされたせいで安寧が崩れたのなら、そりゃあ不満の一つも抱く。
いくら文句言おうがそれは身勝手な話だから別にどうでもいいと言いきれる鉄人だけが相手の気持ちを無視したらいい。実際身勝手な文句もそこそこ多いので。
感情的に書き殴った本題ではない部分について、ちょっと言葉が足りないところとか大げさに言ったところはあって、いろいろツッコミを受けております。すみませんでした。概ね仰る通りですがいくつか反論したい点もあります。
で、本題に関する部分についてこっちで補足入れると、私がメインで言いたかったのは
というあたりです。
「ネットに上げると嫌なことがあるかもしれないので最初から出しません」というのも一つの正しい手段だけど「ネットに上げると嫌なことがあるかもしれないけどいいこともあるかもしれないので考えた結果上げることにします。ただ、嫌なことが実際に起きたり環境の変化で嫌なことが起こる確率が上がったりするならその時は下げます」っていうのだって正しいですよね。
私の回りにはあの論文に扱いが雑だと怒る人も配慮があってよかったと苦言を呈す人もそういうのはおいといていくら学会発表だからって論文としての出来がアレすぎて「普段私がどれだけ苦労して論文書いてると思ってるんだ論文舐めるんじゃねぇ」と別方面でキレてる人もいますが、あれについて別に法律違反だとかおかしなことを言う人もいなければあの論文を書いた人が悪人だと言う人はいません。
声の大きい人が目立つのはよく分かるんですけど、なんだか嫌なら最初から上げるなよバカだなぁみたいな反応がどうにも目に入ったので(当然そうでない人もたくさんいますけど)そういう人達に「なんで上げちゃいけないんですか? 別に使われたことに文句は言ってないじゃないですか」って言いたかったのです。
ネットに上げて使われたことに文句を言ったりあまつさえ法律違反だとかなんだとかおかしなことを言ってる人は残念だと思います。
id:houyhnhm 剥離はくり→乖離かいり、の方がよくない?
うまくまとまったか自信はないですが書いてみました。
http://anond.hatelabo.jp/20170531012221
id:chibatp9 「覚悟も無しにあげてたの?」みたいなのは研究側というより、むしろ創作側(非二次)の人が言ってるのを見るが。
個人的にはどっちかと言えば創作には携わってない人が言ってて、研究職の人は観測対象がおしゃかになる的な意味で論文側が微妙といった反応のイメージでした。創作側、というのはあまり感じたことがなかったですが、ひょっとしたら批評慣れしている人やタフネスな人が多いのかもしれませんね。
書き方を見てひょっとして誤解を受けてる? と感じたのですが、なんで上げたの的なことを言う人にちょっと物申したかったけど言う人は研究者側だとか捜索側だとかは特に言ってないつもりです。
上の記事などの今回の論文にまつわる意見を読んでいて気になった論点や意見を列挙します。何か思いついたりおもしろいのを見かけたら追記します
pixivの小説の文章を論文に載せている点とpixivの小説を研究対象として解析している点は別の問題点だという意見があるので、それらは別に扱います
だーかーらー、その小説本体には興味はないっての。同じような表現を全くの第三者が偶然思いついて、R-18じゃないWebページとかに書いちゃった時にフィルタリング出来るかどうかを知りたいの。わざわざゾーニングされているところに小説を投稿してくれる人たちばかりじゃないんだからね。無知とかでR-18じゃないところに、小説で使われているような性的表現を書いちゃう人は出てくるかも知れないでしょ。
有害指定については自分が勝手に脳内で付け加えてしまったのかもしれないけれども、
なんの説明もなく「有害」という言葉を使われると有害指定の話かと危惧してしまったのは今回のpixiv ユーザー側の反応も同じじゃないのかな
大学側がそういう相手を研究対象に選んでしまったのだということも踏まえてもらえるとありがたい
の違いが説明されなくても理解できるコミュニティであればこんなに問題にはならなかった
問題になってしまったのはpixivユーザーが悪かったのかもしれないが、そのpixivユーザーを相手に選んでしまったのは大学側でしょう
バカを相手に選んでおいて、そのバカが騒いだからといってバカをバカだと罵っても、そのバカを相手に選んだのは大学側でしょう
上にも書いたように「有害指定されること」を恐れている気持ちがあるからこその自主規制でしょう
自主規制でゾーニングしている範囲内であれば、「有害」であっても存在自体は認めてもらえていると思っている
ゾーニングもせずに公にして有害指定されてしまったら存在自体が認められなくなるのではないかという恐怖がある
書店やコンビニでもゾーニングしていれば成年向けを置くことができているけれども有害指定されてしまえば置けなくなってしまうのと近い感覚とでもいえばいいのかな
いやいやいやいや…実際に、そうした表現を含む小説があって、そうした表現がゾーニングされている、ということが重要。
そうしないと、「研究のために、使われていないわいせつ表現を勝手に作った机上の空論」っていう批判が研究上は、当然出てくる。
人工知能研究者。人工知能学会にも参加したし、件の論文の著者の1人ともご挨拶した。倫理的な問題はあるとは思っているが、色々な批判の中で、次の的外れな批判をよくみる。根本的に、機械学習が理解されていないのだなぁ、と感じる。機械学習は、平たく言えば、人間の判断を機械に真似させる手法の総称だ。まず、人間が判断の模範を示してやって、どれだけ正確に人間の真似が出来たか、が性能評価になる。これだけわかっていれば、下記の2つが的外れであると分かるはず。
ゾーニングは人力でなされている。つまり、そこに、人の判断が入っている。誰かが判断して、これはR-18だね、青少年にはみせちゃいけないね、と判断している。ゾーニングされている小説だからこそ、人間の判断が反映されていると言える。機械にゾーニングすべきかゾーニングするべきでないか判断させるために、人間の真似を機械にさせるのが最終目的なのだから、既にゾーニングすべきと人間が判断した小説を対象にするのは、むしろ当然。
これも、的外れな批判。問題は、「直接的に性的とわからないような表現を機械が識別する事ができるか?」ということ。単位は表現であって、小説の数ではない。10サンプルでも、小説であれば、多数の表現を含む。今回の研究では、表現の例の数が問題であるし、ほとんどの表現について、表現が性的かどうかは、小説の内容にかかわらずに表現だけから判断できる。なので、極端に言えば、表現の多様性さえ確保できれば、1サンプルだって構わない。たとえ1小説の中に含まれる表現の例であったとしても、青少年が見られる場にそうした表現が出てきたら不適切なことにはかわりはない。つまり、この論文は、小説を「性的表現集」として使っているわけだ。小説の内容自体について論じているわけではない。直接的に性的とわからないような表現には、どのような表現があるのかを知り、そうした表現を識別できるかどうかに関心があるわけだ。
問題が、「小説の著者を当てよ」とか、「当該分野の小説の表現の傾向を調べよ」であれば、10サンプルでは少なすぎるという批判は妥当だと思う。けれども、今回の研究は、「表現をうまく識別できたか」だけがポイントなので、多様な、非直接的性的表現が含まれている例として納得できれば、別にサンプル小説数はどうでもいい。
もっとも、サンプル数を増やせば、より多様な表現が得られることは容易に推察できる。より多様な表現を真似させた方が、機械学習の性能は一般的には向上する。しかし、結局、どの表現も検知・除外することが求められるのであれば、10サンプルに含まれる表現も検知・除外できなければならないことにはかわりない。
まず腐女子にもいろいろと派閥というか考え方というか立ち位置があってそれぞれで主義主張は違うことは理解して頂きたい。
ネットにそれなりに詳しくて無断引用禁止とかアイタタなこと言ってる腐を苦く思ってる腐はそれはそれで一定数いる。
というかクソみたいに沸きあがってる人もいるけど、むしろ多くの人達は「現実を正しく理解している」からこそ引用は防げないとか法的に問題ないものから逃げるためにマイピクにしたり非公開にしたりサービス移行を検討したりしていると思ってる。
その上で、別に私は丁寧に扱ってくれるなら別に自分の作品を無断で引用しようが研究に使おうがそれが適法ならどうぞどうぞって思ってるのでPixivから移動するつもりはない。
でもあんなクソみたいな雑な扱い方されたら法的には問題ないですけどこっちとしてはこんなんでも色々とない頭でひねりだした作品なんで考えて下さいませんかねぇって愚痴は零すし必要なら声をあげる。
その結果私の主張が受け入れられるかどうかはまた別の話。受け入れられないならまあそれはそれ。そのかわり明日逃げてても文句は言うなよっていうだけの話。
で、それはそれとしていくつか言われていることについてそれはどーなのと個人的に思ってる話をする。あくまで個人的に思ってる話を。別に全腐女子の代表面したいわけじゃなくて私が考えた(正当性があるかは知らん)話を。
―――――ここから元増田の話とは無関係に今回の事件への数々の反応に対して思ったこと―――――
腐女子のネットリテラシーが低いんじゃなくてネットリテラシーが低い人でもネットが使えるようになって、その中には当然腐女子もそれなりの数いるってだけの話で、腐はバカとか腐は法律が理解できてないとかそういう話じゃないと思う。
そもそも今回論文に出てきた作品にはNL(異性での恋愛を取り扱った作品)もあったわけで。
機械とかそういうの好きな人の割合ってやっぱり男性の方が多いかな、とは思うので「男性より女性の方がネットリテラシーが低い人が多いのでは?」という話についてはまあそうかもしれない(統計取ってるわけじゃなく自分の周囲を見ての感覚)とは思うけど公を閉じた空間と勘違いしてやらかした例なんてそれこそいくらでもあって、だからこそバカッターとか言われたりとかあったりするわけで。
考えるべきは腐女子のネットリテラシーの低さじゃなくて、ネットリテラシーが低くてもネットが扱えてしまうこの状況でどうやって教養の平均値を上げていけばいいかとかそんなことを考えた方がいいと思う。
これも別に腐女子がどうという話でなく法律に関して一般人が疎すぎるという話だとは思うけど、ただ、二次創作という法律に密接に関わってくる活動をしておきながら別にそういう活動をしてない人と同程度の理解度なのはどうなん?って言われると仰る通りです。
とは言えこのあたりは技術の進化のスピードが早過ぎていろいろと整備がおいついてないという話でもあると思う。昔は自分の作品を発表するってすごくハードルが高くて色々と調べないとできなかったけど、今は別に深く調べなくても手軽に作品を発表できるし、そもそも色々なネットサービスが「手軽にあなたの作品を発表できますよ!」って手軽さをウリにして顧客獲得しようとしてるところだってある。
で、企業は勧誘してくるけど別に法律については教えてくれない。個人的にはもうちょっと企業だって社会貢献していいんでねぇのと思うけどまあそれを言ってもどうしようもない。
というか二次創作の中に腐作品があるだけで二次創作全部腐ってわけでもなくて、著作権を知らずに作品を公表してしまうことの危うさはそれこそ社会全体に通じる問題なのでは。
もっとこう、やさしい著作権入門みたいなそういうサイトがあったらいいんだろうなあと思うし昔はそういう話を取り扱っていた個人サイトさんとかあったりしたんだけど、そんな個人の善意に頼んだものだといつか限界が来て終わるだけなのでこのへんはもうそういう組織的な何かをつくらないと難しいのかなあと思ったりする。
「そんな無茶な」としか言えない。腐女子っていうのはあくまでその人の属性でしかなくて、その属性の人が皆同じコミュニティに所属してるわけじゃない。
というか腐女子コミュニティなぞ幻想だと思う。同じ腐女子の間ですら「隠れるべき」という人と「そもそも隠れる必要はない」という主張の人がいたりするわけでして。私は割と「隠れる必要はない派」に近い。
腐女子同士が一定の大きさのコミュニティを作ったり、コミュニティ同士にゆるく繋がりがあったりはするけど男オタクだって別に男オタクコミュニティってでっかいコミュがあってそこに男オタクみんな所属してるわけじゃないじゃん。
もちろん同じ属性を持つ者同士だから集団としての特徴とかはあると思うし、そういったものを研究するのは楽しいと思うし有用だろう。
けど、普通わたしたちが説明できるのは「わたしたちの周囲の極めて小さな集団について」なのだ。
今回仮に私がそれをしたとすると、私の周囲の腐女子コミュニティって元増田の例で言えばだいたいBの考えを持っている人達ばかりなので今沸きあがってる人達がなんで沸きあがってるかって言われても「知らんがな」としか答えられない。
慣習の可視化をするには間違いなく「研究」が必要になる。オタクコミュニティ出身者の方が比較的理解度が高いという観点から腐女子の人に研究者になってほしいなチラチラッ っていう話なら理解はできる。
私はそんなものをしたことはない。「むやみやたらに騒ぎ立てません」とは思っているけれど。
このあたり前述の隠れるべきか隠れる必要はないかという話になってくるのだけれど、二次創作にも公式のガイドラインに沿って作られた真っ白なものと特にガイド出てないのに作られたグレーのものと公式からやめてくれって通達のきちゃった真っ黒なやつと、色々ある。
で、公式が黙認してくれてるタイプのグレーゾーンの二次をやるときは(別に公式ガイドラインに沿って活動してても同じだけどグレーの時はとくに)公式が嫌だなって思ったときには止めてくださいって言えるようにしておくのが公式への一つの礼儀かと考えている私にとっては公式の目に触れないように隠れることについては「ガチで探すことができないくらいに完璧に隠れるならいいけど中途半端に尻尾はみでてる奴はただ自分が可愛いだけなんじゃないの」って思ってる過激派(別にだからってそういう人達を晒したりはしませんよ、もちろん)なので。
もちろんだからって作品が何も知らない人の前にいきなり飛び出てくるような環境はもちろんよろしくないと思う。だからこそPixivという「超大型で探そうと思えばすぐに見つけて探せる場所に、でもゆるーくゾーニングされていてきちんと使えばいきなり何も知らない人の前に公式だと誤解を与えるような形で作品を表示するようなことはないシステム」を有り難く利用させてもらっている。
R18設定は単にするべきゾーニングはするべきってだけの話で「ひっそりやってる」んじゃない。むしろPixivというサイトを「適度にオープンだから」使っている。
が、腐女子の中には確かに「ひっそりやってますという主張のつもりでR18とつけている」人もいるらしい。正直この感覚はさっぱりわからない。分からないけど事実としているようなので仕方ない。
そもそも私はそうは思わない。今回の論文の人が派手にやらかしたのは事実だし、それを足がかりに倫理について研究が進めば皆ハッピーになれるよね、って思うけど、それはあくまで「この人がやらかしたこと」。
だからこそ私は今後もし私の文章を使って何か研究したいって人がいたら別に無断で使うことに文句は言わない。でも雑に扱われたら文句は言う。
というか自分の作品を研究に使われてどう思うかなんて個々人で感覚の違うことに「腐女子内ルールを明文化して下さい」っていうのがそもそもえーっていう。
じゃあ一人一人「私は気にしません」「私は気にします」「腐女子全体ではNGですが私はOKです」とかやるの? 無理でしょ。
私は「配慮して下さい!」なんて言わない。でも雑な扱いに対して怒る自由はある。そして怒った結果受け入れられるかは別の問題。それでおしまい。
それこそが言論の自由ってやつなんじゃないんです?違うの?
今後されるか分からない研究のために予め自分の作品を研究に使うためにはどうしたらいいかガイドラインを作れって言われてもそれこそこっちにそんな労力押しつけられても知らんよ、としか。
そんなクソ面倒なことしないですむように折角法律が引用のルール作ってくれてるのにさあ。
ガイドラインぺっとはっときゃ「これ見て下さい。その上で分からないことがあれば質問して下さい」と言えば説明の手間が省けるからである。
つまり、「ガイドラインがあれば便利だよね」と思えるなら作ろうという動きになるし、「別にそうでもないよね」と思えばそんなものは作らない。
で、今回ガイドライン作ったら面倒が解消されるの?って言われたら、現時点では私はそう思ってない。なぜなら腐女子というなんか大雑把で実態がどこにあるのかよくわからんコミュニティの中に明文化できるほどのルールがあるとは思えず、かと言ってある程度明文化できるくらいの集団に小分けにしたらガイドラインの量が膨大になって作る労力に見合ったリターンがあるとは思えないからである。
「いやそんな大層なもの作っていらんからこれについてだけ教えて貰ったらいいんですよ」って言うならその「これ」っていうのをはっきり教えてもらえたら私ならまあ考える余地はあるかなと思う。
「ガイドラインが存在しないのでもっと大きなルール(法律とか)に従って対処しますね」っていうならそれでいいと思う。
「あなたの作品を研究対象にしてもいいですか?」って聞かれたら何に使いたいか聞いてOKだと思えばOKって言うしNGだと思えばやめてほしいって言う。
断っておくけれど私は間違いなく腐女子だしまあとても大雑把な分け方をすれば腐女子コミュニティに所属すると思うけど、私の考え方が腐女子の平均だとは露ほども思ってない。というか私みたいなやつばっかりだったら今回みたいな騒ぎ起きてませんから。
(でも今回の騒ぎについてはいらんことしてくれたおかげであっちこっち騒ぎは起こるわ筆を折る人も出るわ迷惑なことしてくれたなこの野郎(ビックパンテラおこサンシャインヴィーナスバベルキレキレマスター)くらいには思ってる。思ってるけどそれは私が勝手に怒ってるだけで死人に鞭打つような可愛そうなことはやめとこうと思ってる)
かと言ってこの膨大な腐女子という集団の中には私みたいな奴もそれなりにいるはず(母数が多ければ割合が少なくても数は増える)なので「こういう私みたいな奴もいるんだけどどうやって腐女子のオキテを明文化すりゃいいのよ?」っていう話である。
横だけど、元増田さんが言ってる、ここ
確信を持って、私は味方だと主張したい。
まず情報系学生なんて9割オタクだし(要出典)、業界自主規制のような安全装置としての役目がある。
フィルタリングで子供の触れるコンテンツをコントロールするのは重要で、
pixivR18小説を学習データに使った論文が炎上という形で話題になっているが、
大学時代に全く同様の研究に携わったことのある立場からチラ裏したい。
まず
"ドメインにより意味が変化する単語に着目した猥褻な表現のフィルタリング"
https://kaigi.org/jsai/webprogram/2017/paper-15.html
この手の論文に関してだが、R18サイトと健全なサイトを見分ける分類器を作成するのが目的となる。
子供のさわるPCやスマートデバイスなどに導入するフィルタリングソフトが主な利用箇所だ。
(この辺勘違いしている人もいるようだが、決してpixiv民が研究対象ではない。
そんなものに研究価値はないので自意識過剰もいいところである。)
研究内容や論文自体が法的に問題ないのは既に指摘されまくっているので割愛。
「有害」という言葉に過剰反応している人がいるが、この言葉は論文を書く上での通例、決まり文句のようなものだ。
単純に「フィルタリング対象」くらいの意味しかないのであまり気にしない方が良い。
で、フィルタリング対象は当然研究者が勝手に定義して良いし、その価値を判断するのは研究の利用者だ。
例えば同じR18小説でもBLだけ弾きたい、ってニーズがあればそれにも使えるではないか。
(そうでないとしてもR18指定しておいて「無害」を主張するのってどうなの?自分の子供に見せられるの?)
引用(決して転載ではない)のプライバシー侵害という主張、恥ずかしいのは分からないでもないが、
大衆の目に触れる覚悟もなく公開するってインターネットを何だと思っているのか。ネットリテラシー低すぎて呆れる。
サンプリングについてもランキング上位で悪意のある選抜とも言えない。
サンプル数が少なすぎるのは確かに気になるが、仮に学習データが少なくて同精度の結果が得られるなら優秀な手法と言える。
こういう研究だと利用サイトを記載しても、個別のコンテンツ名や作者を記載することは少ない。
理由としては作者不明とか、数が多すぎて現実的じゃない場合が殆どで、今回はそれらに当たらない。
もちろんちゃんと許可を取って根回しするのが理想的だが、必須ではない。
スパムメールフィルタリングの研究者はスパムメールの作者全てに許可を取っているか?言うまでもない。
完全に私の推測だが、今回のケースはサイトや作者に対するリスペクトもあったのではないかと思う。
そうでないとクソ面倒な論文執筆で余計な情報を書こうとは思わない。あくまでも良心からの記載だと私は信じる。
確信を持って、私は味方だと主張したい。
まず情報系学生なんて9割オタクだし(要出典)、業界自主規制のような安全装置としての役目がある。
フィルタリングで子供の触れるコンテンツをコントロールするのは重要で、
いかに「私は18歳以上です」のようなゾーニングを施しても、そんなものに正直に答える子供はいない。
また、子供に有害だからコンテンツ削除しろってモンペは本当に存在する。
実際問題、研究を叩いているうちにコンテンツ自体をネット上に載せられなくなる時代が来るかもしれない。
本題に入る前に、いくつか検討を行うべき点がある。
社会に流通する特定の表現を具体的に名指しして『有害』と評価する場合、その評価の責任は、そのような評価を下した主体が負うのが一般的である。
例えば、都道府県の定める条例に基づき『未成年者の健全育成に有害である』と評価された特定の出版物を、『有害図書』に指定し流通を差し止める場合があるが、その指定(あるいは指定の基準)の責任は当の都道府県が負う。
実際に、都条例(「東京都青少年の健全な育成に関する条例」)の条文が変更され、近親相姦描写が指定の根拠に加えられた際、またその条文を根拠として実際に書籍が『有害図書』に指定された際に、都を批判する声が少なからずあった。表現を『有害』と評価する主体はその評価について責任を問われる、という社会的通念が如実に現れた実例と言えるだろう。
『有害情報』はインターネット上に流通する表現についての評価であるが、これも評価の主体が責任を問われるという点は『有害図書』の場合と同様である。
例えば、特定のウェブサイトが、検索エンジンサービス・セキュリティソフトウェア・フィルタリングソフトウェア等によって『有害』と評価され、アクセスを妨げられた場合、その評価の責任を当該サービスないしソフトウェアの提供者が負うという点については、広く合意されるところである。
どのような表現を『有害』と評価するか、具体的な線引きについては評価の主体により差はあれど、大別すれば、「援助交際や違法薬物の取引」といった実際の犯罪行為と一体のものと、「(現実・架空の別を問わず)暴力・性行為・犯罪行為の描写」といった未成年者の閲覧に不適切なもの、の2つである。
このうち後者について、評価の主体が行政ないし公的機関の場合、表現の自由や知る権利とのバランスを取る必要から、未成年者による閲覧を抑止する施策(ゾーニング)が講じられていれば表現そのものを禁止はしないという形を取ることが多く、またそのような施策が予め講じられた表現に対して『有害』か否か積極的に評価することは(必要が無く、にもかかわらず上記のような責任を無用に負うことになるので)避ける運用となるのが通例である。
他方で、ゾーニングの必要性の有無を判断するのは表現を発表する側であり、通常これは『有害』評価を下す側とは別であるから、『有害』ギリギリのラインでゾーニングが行われることはない。すなわち、表現を発表する側はより大きな安全マージンを取り(安全側に倒して)ゾーニングを実施することになり、そして上記のとおりゾーニングされた表現については『有害』評価が保留されがちであることから、もし仮にゾーニングされていなかったとしても『有害』とは評価されなかったであろう表現がゾーニングされてしまっている(が、そうとはわからない)という例も珍しくないはずである。
したがって、ある表現がゾーニングされているからといって、その表現が直ちに(例えば行政や公的機関などの評価主体の判断に照らして)『有害』であるとは断言しえない。
業として表現を流通させている者(出版社や小売店、ウェブサービスなど)がゾーニングを実施するのは、上記条例をはじめとする法令を遵守することが第一義的な理由と考えてよい。そしてそれらの業者を介して自身の表現を流通させんとする個々の表現者は、業者との契約や規約に基づく形でゾーニングに同意し、間接的に法令を遵守することとなっている。
このことは、当該法令の理念や目的や基準について、必ずしも表現者は賛同ないし納得はしてないけれども、業者を利用する都合上その定めに従っている、というケースが内包されている可能性を示唆する。より具体的に言えば、表現者自身は「未成年者にとって性的表現は有害ではない」と考えていたり「この程度の性的表現は『有害』にあたらない」と考えていたりした場合でも、業者を利用するため業者が実施するゾーニングの基準に従った結果として(あるいは、閲覧者の利便性を図る手段としてゾーニングを活用する意図で、もしくは、自身の思想と食い違っても「悪法も法なり」という判断の下)法令を遵守している、というケースがありうる。
同時に、上記のとおり行政や公的機関はゾーニング済の表現への『有害』評価を保留するので、動機はどうあれゾーニングに従っている以上、自身の表現が『有害』にあたることはない、という意識が表現者にあったとしても不思議ではない。これは逆に言うと、『有害』評価を下されること=ゾーニングの努力を怠った粗忽者ないし社会に迷惑をかける厄介者のレッテルという意味を包含し、表現者にとってのスティグマとして機能しうる。
著作物の二次利用は原則的に著作権者の許可を要するが、著作権法32条により『引用』であれば無許可に行うことができる。正当な『引用』と認められるには「引用部分とそれ以外の部分の主従が明確であること」「引用する必然性があり、その必要な量のみの利用に留まること」「出典を明記すること」などの要件を満たさなければならない。
第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
しかしながら、著作権法113条6項には、次のような条文がある。
これは上記の『引用』と矛盾するように見えるが、そうではない。無許可で『引用』することはできるが、その結果として著作者の名誉・声望を害したら著作者人格権の侵害とみなされる、という形である。つまり、理論上は、正当な『引用』であっても著作者人格権の侵害になる場合があるとされており、ゆえに「例の論文は『引用』の要件を満たしてるから法的にセーフ」とする主張は、全て誤りである。
このような条文があると、否定的な論評・批評のための引用ができなくなるのではないか、と心配する向きもいるかもしれないが、意見表明による名誉棄損を免責する『公正な論評法理』が、上記条文における「名誉又は声望を害する方法」の当否判断にも準用され、否定的な論評・批評のための引用も内容の公益性や妥当性次第で免責されると考えられている。
例の論文では、R18としてゾーニングされた10作品を標本として利用しているが、ゾーニングされていることをもって直ちに『有害』であるとは言えず、またその作者らが自らの作品の『有害』性を自認していることにもならないため、「この10作品は『有害』である」との評価は自明ではない。
にもかかわらず、論文ではこれら10作品を「『有害情報』のフィルタリングアルゴリズムの学習用データ」と位置付けており、このことはつまりこれら10作品が『有害情報』の代表例であるという評価を下しているに等しい。その際、法令や制度あるいは他者によって定義された『有害』評価に準拠する旨の記載がないため、この『有害』評価は論文著者が主体的に行っているものと解され、その責任は論文著者が負う。
これら10作品が『有害情報』の代表例として紹介されたことは、作者らにとってスティグマとして機能することが懸念され、名誉・声望を害したと言えるのではないか。
整理すると「論文著者が主体となり10作品を名指しで『有害』評価したことが、10作品の作者らの名誉・声望を害したと疑われる」。
論文ではこれら10作品に含まれる性的表現を引用しその意味内容を批評しているとは言えるが、『有害情報』の代表例としてこれら10作品を名指ししたこと自体について十分に論証するだけの記述が割かれ『公正な論評法理』に適う内容になっているか、といえば、議論が分かれるように思う。少なくとも「論ずるまでもなく法的にはセーフ」とは断言できないと考えるが、どうだろうか。
あ、勘違いされたら困るけど
もちろんオタであれば批判されるレベルのセクハラ的なCMを流し
まあセクハラだけじゃなくておっさんのキモさを強調するおっさん差別的な
ゾーニングが求められているのに、こうやって「作品そのものを排除しろと言っているから表現規制だ」的な事にすり替えるのって
やはり「オタクの楽しみとして『ゾーニングしないこと』も含まれている」からだと思うんだな
ちゃんと子供やそれを見たくない人が避けられるようゾーニングし、
それが好きな人も嫌がる人に見せつけたり、こういう女が理想だから女はこれに従えとかいちいち訴えたりしなければね。
実写のものでもそういう事やってる奴はセクハラ野郎として叩かれるだろ。
んでオタにはそういうのが多すぎるだけ。
まあ我ながら最低だと思うけど、今みたいに割とそこら中で目にするからこそ、
仕方なく許容されてる部分ってあると思うんだよね
で、制限しろとか言ってる側が制限だけで納得するかっていうと全然そう見えない
一般の目の届かないところでひっそりとやるようになったらなったで、
「隠れた場所ですごく変なことやってる」ってなって、結局許容なんかしないに決まってるんだよ
「こういうアレなイラストを全然関係ない女にも見せつける楽しみ」を奪われたくないんだろうな、と思う。
他にも女児向けアニメでオタク意識したちょいハードな展開があったりすると「ようじょトラウマwwwwwww」とか大喜びしたり、
そういうのもオタクの楽しみの一つ、と思ってるのが一定数いる。
「スカートめくりして喜んでいる男児」がそのまま大人になった感じだけど、性的知識だけは増えてるからやる事がエグくなってる。
そういうのを冷たい目で見ている層もいるだろうが、いちいち嗜めようとはしないから増長するばかり。
そこが女オタクとの大きな違いでは。
女がそういう事やってると、同じ女オタク仲間から真っ先に叩かれるからね。
それを学級会だの言う人も多いけど、下の方は小学生だっているわけだし
やって良い事と悪い事を教えるという意味では役に立っている。
(そもそも小学生だとバレると「こんな所見るな」と叩かれるけど)
逆に男は、オタクにちょっと興味持った子供の頃から大人たちがそういう事を平気でやってるのを見て育てば、そりゃ常識ないオタクになるよなあ…と。