はてなキーワード: オマージュとは
2024/9/23
ざっと一通り読んだ。東京上空に鎮座するエイリアンの母艦という明らかな異常と、無関心な人々が織りなす愚にもつかない日常とが、アポカリプスへのカウントダウンと共に描かれる。民衆に正確な情報がまるで行き渡らず異変への無関心を助長する様や、敵性エイリアンを前にしても権益拡大に余念のない支配者の描写が生々しく、私自身もこの無関心な人々と同じようにすぐ隣にある異変に気づかない振りをして仮初の日常を維持しようとしているのかもしれない、という不安を喚び起こす。途中までは面白かったが、主人公と周辺人物の行動がエイリアン出現の分岐点であった事が分かり、8巻以降ではタイムトラベルが話の中心になってしまう。ポストアポカリプスの中でも継続される日常を見たかった私は興を削がれたが、ドラえもんのオマージュを含む漫画でもあるのでこの展開も致し方ないとは思った。
別に任天堂が強権発動した訳ではなく、そうせざるを得ない状況になるまで外野が騒いだから訴訟した。ただそれだけ。
それすらもわからん馬鹿向けに懇切丁寧に説明すると、まず事の発端として、パルワールド発売後に株ポケからこんな声明があった。
https://corporate.pokemon.co.jp/media/news/detail/335.html
お客様から、2024年1月に発売された他社ゲームに関して、ポケモンに類似しているというご意見と、弊社が許諾したものかどうかを確認するお問い合わせを多数いただいております。弊社は同ゲームに対して、ポケモンのいかなる利用も許諾しておりません。
そう、あくまで「お客様からの問い合わせ」へのレスポンスなのだ。そうでなければ黙認でもなんでもしただろう。
今回の訴訟に対する非難として、ソウルライクは訴訟されないじゃないかということを言っているが……
そもそもお前らは、ソウルライクが発売されるたびに「このゲームと御社のゲームが類似してるんですが、許可出してますか?」なんて問い合わせるほどバカなのか?しないだろ?そう言うバカも極小数はいるかもしれんが、多数派ではないだろう。問い合わせずとも、オマージュであることが明白だからだ。
スジモンもそうだ。まさかあれに対して、株ポケに「許可取ってますか?」なんて問い合わせたバカはいるのか?いないだろ?
だから黙認されている。だから株ポケも、「お客様から、スジモンがポケモンに類似しているというご意見と、弊社が許諾したものかどうかを確認するお問い合わせを多数いただいております。」なんて声明を出さない。
でもパルワールドはそうじゃなかった。ポケモンのパクリだどうだとSNSで持て囃され、その結果として炎上商法ぎみに売り上げを伸ばしてしまった。そしてSNSは本来は無関係だったはずの株ポケと任天堂を無理矢理パルワールド騒動に巻き込んだ。犯人が誰かと聞かれたら、パクリゲーが評判になることを面白がって騒ぎ立て、株ポケの重い腰を上げさせたバカどもに違いないと答える。
これを一度でも見過ごしてしまったら、世界のゲームデベロッパーは「有名タイトルのパクリ」を自称して知名度を売ればよいことになってしまう。それは業界全体にとって不健全であるとして、今回の訴訟に踏み出したのだ。そして、その引き金を引かせたのは間違いなく、パルワールド発売時に好き勝手騒ぎ散らかしたお前らだろと言いたい。
第一、ポケモンの類似ゲームを任天堂が許容しないスタンスだったら、真っ先に訴えるべきはTemtemだろ。それを差し置いてパルワールドを訴えてるんだから、まずその差分を確認することから始めろよ。それもせずに雑にお気持ち垂れ流して人を不快にしてトラバ集めて承認欲求を満たそうとするなんて、人として恥ずかしくないか?少なくともファンを名乗る資格はないよ。ゲハカスどもの方が己の醜さを弁えているだけまともといえる。
友人に誘われて呪術廻戦展へ行った。デジタル原画と大量のネームを見て一体何をどう楽しめば良かったんだろう……というのが正直な感想。単行本は発売日に買うしアニメも観てるけど、そこまで強い熱量で追ってるファンではないのに行った自分が悪いとは思う。
しばしば作品の説明に「(作品名)がスリーマンセルなので呪術も…」「(作品名)のあのシーンみたいな迫力を出したくて…」というようなことを書いてあったが、あれだけHUNTER×HUNTERをパクりまくっているのに(敢えてこの表現を使います)、私の覚えている限り1〜2点しか触れていないのも不気味だった。最早言わんでも皆わかるだろってこと?
※HUNTER×HUNTERこそ随所で他作品のオマージュしてるだろ!と言われればそうなのだが、呪術とは比べるのもおかしいレベルだと個人的には思う。
まぁチケット代が安かったのが救い。皆もHUNTER×HUNTERを読もう!
https://www.aci-iac.ca/art-books/alex-colville/key-works/pacific/
見てくれましたか?
バチクソカッコよくないですか?
明るい昼の(しかし電気はついてないので薄暗くもある)、海の見える部屋で、上半身裸で窓枠に腕をついて(たぶん)海を眺めている男
部屋は殺風景で窓が大きく、男の他に部屋の中にあるものといったらなにやら目盛のついた机と、その上に無造作に置かれた拳銃だけ……
人も船もいない昼の海の某洋とした静けさと、男のリラックスした立ち姿からただよう穏やかな雰囲気
いちばん手前に置かれた無機質な拳銃から醸される、剣呑な雰囲気
この対比っつうか、対比でもなく、二つが混じり合った感じが、本当にもう、めちゃくちゃカッコいいと思うんですよ
最初に貼ったリンクの解説だと、テーマとしては自殺なのかも、しかし本人は自殺についての絵だとは考えてないと言ってる、的なことをいろいろ書いて、最後には「この絵が描いているものが迷いなのか決意なのか、希望なのか絶望なのかは、鑑賞者によってのみ決められるのだ」みたいなことを言ってる
そうなんだよ
わかんないんだよこの絵がなんなのかって正直
しかし一つ言えるのは、とにかくバチクソカッコいいということだ
絵のことって全然わかんないけど、これはなんというかビビッときた
オーシャンのパシフィックでもあるだろうし、原義としての"太平"でもあるんだろう
パシフィック!なんせ響きがいいよな
もし将来、どこかでアレックス・コルヴィル展が開催され、この絵が来るみたいな話になったら、俺はかなり頑張ってでも行くだろうと思う
逆にたとえば、俺がこの絵をまったく知らなかったとして、何かの偶然でちょうどアレックス・コルヴィル展に入って、そこでこの絵を初めて見たら、確実に絵の前で立ち尽くすことになるだろうと思う
うわっ、かっけ〜……とか言ってさ
わかりますか?この絵のカッコよさ
わかってほしいんだよ
あとこの絵、あまりにカッコよすぎて映画でオマージュされてもいるらしいな
メチャクチャわかる
たとえば俺が漫画家だったら、扉絵でオマージュするもん絶対 でも原作がカッコよすぎるから恥ずかしくなってボツにしかできないかもしれん
とにかくカッコいい
カッコいいと思うんですよ
たしかにアニメは村上隆のものではないが、お前(村上隆批判者)のものでもねーだろ、といつも思う
むしろ村上隆は既存作品の取り込みにはすごく慎重な立場で、漫画やアニメを尊重しているからこそ、下手なオマージュやコラボレーションは行わない姿勢で一貫していると思う
Twitter(X)でもいいけど、TLの雰囲気を悪くしたくないからとりあえずここに吐き出しておく。お披露目から二晩三晩経っても、脳内から感情が消えなくて生活に支障が出だしたので供養の意味も込めてる。割と感情のままに書き殴ったから乱筆乱文。
先に本旨を要約すると、私はポジティブな感情からネガティブな感情に変化し、今は少しずつ前向きになってきている。
雑な言い方をすると、呪術オタが雑考察してフジを腫れ物扱いして燃やしてんのがキツすぎ。作者よりも呪術オタの挙動がフジファンの傷を抉ってる。でもだんだん立ち直ってはきてるしついでにお願いがあるよ。ということ。
【↓↓↓↓↓以下約5,500字↓↓↓↓↓】
8/25の夜、配信でじゅじゅフェスを観ていて、最後に巻頭カラー絵のお披露目があった。人生の半分をフジファブリックにどっぷり浸かって生きた私は、ひと目でアルバム『CHRONICLE』を模していると気付いた。
結論から言うと、好きなバンドと好きな作品が思わぬ形でコラボしたことに驚きと歓喜が止まらなかった。
そのときの感情をTwitterの本垢(フジファブリックはじめ音楽と日常メインにつぶやく)に突発的に書きなぐって投稿した。ひと目見て気付いたこと、そして作者も私の好きなバンドのファンであることが伝わってきたことなど。
そして、呪術廻戦にハマってから作った、漫画アニメだけをつぶやいたり、ファンアートにいいねしたりするアカウントで、ファンたちの感想(じゅじゅフェス)を拾っていった。
そこで私はショックを受けた。呪術廻戦ファンの間でイラストに対して「正気を疑う」「倫理観ない」「不謹慎」「バンドのファンや遺族に失礼」などの言葉が並んでいたからだった。
さらにはひと目見て「犬がいる!かわいい!」と好意的に受け取っていたアカウント主すらも「オマージュ元を知って地獄に落とされた」という主旨の投稿をしていた。
このショックを言語化するのに時間がかかって、友達の力も借りながら受け止めて今に至る。
正直に言うと、これらの呪術廻戦ファンの声を受けて、私は ①悲しみ ②怒り を感じている。
そして今は、これらを踏まえて ③祈り に近い感情も浮かんでいる。
①悲しみ に関して
私の人生をかけて愛したバンドとアルバムの名を用いて作者にヘイトを向けている投稿が散見されること。
フジファブリックという文字、志村正彦の人生の結集といえるアルバム『CHRONICLE』の文字と、「吐きそう」「気持ち悪い」「正気を疑う」「地獄に落とされた」「倫理観おかしい」という強い批判、もとい軽蔑の言葉が並んでいること自体が悲しくて悲しくてたまらない。
彼らにはもっと前向きで明るい言葉が似合うのに。「変態的かつ普遍的な美しさ」「クセになるサウンド」「新境地」「世代を越えて愛される」など、フジファブリックを応援してきたファンやメディアは素敵な言葉を紡いできた。
作者に批判の言葉を向けさえすれ、誰かを不快にさせる行為や言動は行為者の一面に過ぎず、行為者そのものの価値観や人間性を否定するものではないと私は思う。
そして私は同時に五条悟オタでもあり、作中で亡くなったことに悲しんだ経験もある。
ちょうどその話が掲載されてから1年弱経とうとしていることも思い出し、その当時は私の落ち込んでいる様子を見かねた友達や同僚が励ましてくれた。一方で、デリカシーなく「死んじゃったねw」と心のヒビを直接割る言葉をかけてきた人にも遭遇した。
このようなことを、五条悟を愛する人なら、少なからず経験したのではないだろうか。
同じように、五条悟を愛するがあまり、フジファブリックファンの心に残る微かな傷を、その強い言葉でほじくり返しているかもしれないことは考えられないだろうか。
作者はこういうことも勘定に入れて、「諸々の意味を込めて」とあえて濁したコメントしたのではなかろうかと私は思う。
6年半も続く大作を描き上げるにあたって、これだけ出版業界の不況の中、掲載誌の売上を落とさぬよう、耐え難いプレッシャーや責任を感じながら物語を続けていく自身を、軸となるフロントマンを喪って再始動した経歴をもち、過酷なプレッシャーの中それでいて15年も走り続けたバンドと重ねたのかもしれない。
②怒り に関して
こっちのほうがショックの中に占める割合が大きい。
前述した強い軽蔑の言葉にフジファブリックを並べてほしくないという怒りは先立つ。
次に、メンバーのパーソナルな情報が、漫画のファンによる考察(という体裁の下衆の勘繰りと言いたいくらい)の道具として利用されたことに怒りを感じている。
ご存知の通り、志村正彦は2009年12月24日に29歳という若さで突然この世を去った。これは揺るぎない事実である。
しかし本来、生年月日と同じように命日も非常にデリケートな個人情報である。彼がミュージシャンとして世に出ることがなければ、近親者は知れども、世界中の誰もが知り得なかっただろう。
対して創作物の登場人物はどうだろうか。物語において読者は、登場人物の動きを第三者的に、いわば神視点で見守ることができる。キャラクター同士の内緒話だって筒抜けだ。そうした舞台上の人物たちと観客とはいわゆる“恋愛テクニック”のように「秘密の共有」ができる。この恋愛にも似た興奮を私たち読者は楽しんでいる節があると思っている。
フジファブリックはバンドという周縁はコンテンツだとしても、メンバーは実在の人物であるがために、当然プライバシーを尊重されるべきである。実際、ファンやインタビュアーはメンバーの私生活に関して踏み入ったり聞き出そうとしたりしない。
命日や享年というデリケートな情報を持ち出して、その事実を安易に繋げたうえに、尾鰭をつけてありもしないストーリーを勝手に繋げていく行為が、私には他人の家に土足で上がりこむ行為に見えてならない。
曲がりなりにもオタクなら、プライバシー情報とコンテンツたらしめるものを分けて考えてほしい。
例えば、2つの事実にA、B、C、Dの4つの共通点があるとして、AとBとを繋げば万人が心地よく終われるものを、いくら線で結べるからといって、CとDを繋いで、恣意的なストーリーを生み出されては、どちらの側も良い気持ちはしないだろう。
だから、「この位置に五条悟が配置されているから…」「バンドは存続しているから五条悟は死から復活する」など、死去の事実からの逃避や不確かな根拠を並べ立てられるのは、両者のファンとして理解に苦しむ。
Twitter(X)では常日頃からしょーもない話題が炎上しているが、よくある例として「これでは〇〇が可哀想」という構造をしているものがある。
こんな親に育てられて可哀想、こんな飼い主に育てられて可哀想、こんな環境に放り込まれるなんて可哀想…など枚挙に暇がない。
それと同列で、当人の感情を勝手に想像してバンドのファンや家族に対して「嫌がっている」「失礼だ」とレッテルを貼る行為はそれ自体が失礼に値するように思える。
私自身、人生の半分といえど他と比べるとまだまだファン歴は浅いものだと自覚しているが、
曲がりなりにも十数年応援してきた身としては、苦しみや悲しみを押してまで志村正彦の全てを提供してくださっている志村家と地元有志の皆様には感謝してもしきれない。どんなに苦しもうとも、それ以上に彼の生きた証を残したいという使命のもとご尽力くださっている姿を見れば、どんな形であれ、一人でも多くの人に彼の存在が知られることは彼らへの報いではなかろうかと私は考えている。
だからこそ、彼を取り巻く話題は明るいものであってほしいし、そうなるよう関係者もファンも努力している。
それを、「ファンではないけど」「バンドは存じ上げなかったけど」と枕詞を載せて外野から関係者ヅラして物申していることが腹立たしくて仕方ない。許可取り云々の話ではない。無知蒙昧を晒し、それがフジファブリック関係者に届くことこそ最大の無礼ではないのか。
あとイチャモンついでに、現体制の3人のメンバーを「残りのメンバー」って言ってるのは何なんだ。3人は残りものなんかじゃない。言葉尻を捉えるようだが、夫を亡くした妻を未亡人と呼ぶような気味悪さが残る。甚だ不快だ。
個人的に言い得て妙だと思ったのが、志村時代をリアルタイムで知っている先輩ファンの「ファンでもない奴らが騒いでいる」「不謹慎厨じゃねーか!」という発言だった。正直この発言のお陰で少し溜飲が下がった。
フジファブリックはメンバーも関係者もファンも優しい人ばかりだから、強い言葉に対して萎縮する(私もその内の一人)のではと思っていたが、ファンコミュニティで軽蔑ではない言葉で真っ当に怒りを表出できる人の存在に救われた。持つべきものは信頼の置ける先輩ファン。
もちろん、一連の話題にモヤモヤが抑えきれず、私が呆れた呪術廻戦オタクのように作者や作品への痛烈な批判を長文で述べた先輩ファンもいた。
奇しくもこれの執筆最中に更新され、何周も読んだが、確かに納得できる内容で、その視点も勿論いちファンとして持ち合わせている自分を認識できた。
あらゆる表現物すべてにおいて、意味や意図が付随する。それら全てを拾ったとして、特に何を取捨選択するか、とりわけ「何を言わないでおくか」も巷で話題の“教養”とやらに含まれるのではないだろうか(一つ留意しておきたいのが、表現の意図として無意識に語られるもの、特に特定の属性への偏見や差別に関しては無視してはならない)。
少し脱線するが、ネットで語られるような“教養”と“雑学”はしばしば混同されているように感じる。いたずらに知識量を増やし自己のための娯楽として完結するものではなく、悲劇の再来の抑止や自分自身や後進の未来と社会を豊かにするために、蓄えた知識の中から取捨選択し、それらを原動力として行動することを教養と私は呼びたい。
③祈り に関して
簡潔に言えば、こんな言いがかりやイチャモンをつけている暇があったら、問答無用にフジファブリックを聴いてください!ということ。
件の『CHRONICLE』でいえば、志村くんの犬(モジャっていいます)だけが正面を向いていて、それ以外の総くんダイちゃんかとをさんの犬は横を向いています。
対して、巻頭カラー絵は、五条悟と虎杖悠仁の犬が正面を向いています。
この背景には、『CHRONICLE』まで(厳密には志村Vo.時代最後のアルバム『MUSIC』まで)のフジファブリックは、明確に「リーダー志村正彦」という線引きがあって、いわばフジファブリックという物語の主人公をずっと務めてきた事実があります。
そしてリーダー亡き後、3人がパワーバランスを強化しながら調和させ、いわば三位一体の形でそれぞれが主人公になって物語を作っていきました。
これを踏まえて考えてみるとどうでしょう?
映画化も決定した懐玉・玉折編で主人公だった五条悟、そして本編で主人公の虎杖悠仁、両者は同格に物語の主人公であることが示唆されるでしょう。
さらに、アルバムがスウェーデンでメンバーが寝食を共にして制作されたこともあり、寮生活を送る4人とレコーディングに勤しむ4人の仲睦まじさを重ねることができます(詳しくはアルバム同梱のDVDにドキュメンタリー映像が収録されています)。
また、10thシングル及び3rdアルバム収録の「若者のすべて」が現在進行形で大ヒットしたこともあり、そこだけを世間一般に切り取られがちという煮え切らなさをファンは常々抱えています。「五条悟?イケメンだから人気なんでしょ?」にも通ずる消化不良です。
フジファンなら同意してくれるかもしれませんが、志村正彦は変態で捻くれていて一途でお茶目で繊細で孤独な男なんです。
暇つぶしに花屋の女性店員とデートする妄想をしたり(花屋の娘)、酒の力を借りないと甘えられなかったり(ロマネ)、海辺で泣いている女性をお嬢さんと呼ぶ気障ったらしさがあったり(NAGISAにて)、自分を獣に喩えて思いっきり飛び出す大胆さがあったり(モノノケハカランダ)、
それなのに、否定される事が怖かったり(バウムクーヘン)、大切な人を亡くして何年経っても忘れないと覚悟を決められるのに(黒服の人)、相手は自分のことをすぐに忘れてしまうと悩んだり(クロニクル)、そんな卑屈な考えをを誰かに否定してもらいたがったかと思えば(エイプリル)、君がいなくても元気でいられると強がるふりして泣いちゃったり(Bye Bye)、非常に魅力的な人物です。
そんな男の姿も、たった一人の大切な人に素直になれなくて、だけども本当はすごく寂しかった不器用な男の姿も、どこか似ている気がするんです。
ちなみに私の見解としては、志村正彦は相当なハジケリストです。
北欧の熊と太極拳使いの髭面の男性を戦わせたり(熊の惑星)、踊ろうぜと誘っておきながら黙れと言ったり(TAIFU)、走る足音がドラえもんやタラちゃんの比ではない異音だったり(銀河)、かなり尖ってます。
このハジケリズムは3人にも受け継がれ、サルバドール・ダリが発起人となってタコスパーティーをうやむやに開催したり(アンダルシア)、言い間違いから曲を生み出したり(東京)しています。
最後に、現体制の3人のメンバーは言わずもがな、たくさんの名曲を生み出し、私たちを慈しみ寄り添ってくれています。
ツアーラストや周年のホールでも、招待されたフェスのアリーナでも、地方の観客がすし詰めになるような小さいライブハウスでも、必ず「僕たちは誰かの居場所になりたい」「今フジファブリックでい続けられるのは皆さんのお陰」と伝えてくださってます。
Twitterにも書いたのですが、私の本心は、「どんな形であれメンバーが生み出した楽曲を愛してもらいたいし、バンドと共に豊かな人生を送ってほしい。生きていようが亡くなっていようが、その人が存在した事実、バンドの曲が生まれた事実、楽曲が様々な人の人生に関わった事実は消えないので、悲しみも抱えつつ前を向いて生きていく糧になってほしい」ということです。
フジファブリックのお陰で人生が豊かになって、呪術廻戦に生き様を教わったオタクの感想でした。
P.S.それっぽいキーワードを検索したら筆者を特定しやすいように書いたつもりです。もしそれっぽいな〜というアカウントを見つけたら、私事ですが現在就活中ですので、オススメのホワイト企業を教えてください✌️
ドラマがどの程度漫画に忠実かわからないけど、「降り積もれ孤独な死よ」の原作者ゴールデンカムイがめちゃくちゃ好きそうだ。
ちょこちょこオマージュを捧げてる要素が見え隠れしている気がする。
ストーリーや人間関係の要素もだけど父親殺しを報じる新聞が鶴島新聞とかストレートに月島って被虐児童のキャラクタが出てきたりなどする。
今実写になってるもうひとつの某漫画も原作に月島さんちのはじめ(犬)が出てくるんだよな。
好きなお笑い芸人を見た目そのままで作中に出す作家とかもいるし、こういうのって漫画家ならではのオマージュを込めたお遊びという趣だな。
ベタと言われるだろうけど、俺のオススメ百合SFはやっぱり、うえお久光『紫色のクオリア』(電撃文庫、2009年)。
これは本当にすごい。人間がロボットにしか見えない少女という題材からクオリアの問題を扱うほのぼの百合なのでぜひ読んでみてください(にっこり)。古今東西のSFへのオマージュが詰まりまくっていて(クライマックス直前のシーンはまんまグレッグ・イーガンの『万物理論』やんけ! ってなった)、その上にこう友情以上恋人未満の絶妙な百合が描かれていて最高なんですよ(語彙力)。「1/1,000,000,000のキス」、いいよね……あとできれば原作に忠実なコミック版(全3巻)も買ってゆかりからの手紙も読んでほしい~~~~~~~~。
次点が、小川一水『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』(ハヤカワ文庫JA、2020年~)。宇宙で泥をこねあげて漁をするというセンス・オブ・ワンダーあふれる設定から叩きつけられる体格差百合。2巻ではヤンデレな昔の女も登場してきて、ゴリゴリ異性愛主義の権化みたいな作家だった小川一水がついに百合に目覚めたんだなぁという謎の感慨が湧いてくる。
あと、小説じゃなくてアニメだけど、『プリンセス・プリンシパル』(2017年~)は百合スチームパンクの傑作だから見て。壁で分断された煙の街ロンドンで繰り広げられるスパイ&アクションが最高なのよ。メインはスパイなんだけど、ちゃんとスチームパンクもしているのでぜひ。
百合スチームパンクだと、エリザベス・ベア『スチーム・ガール』(創元SF文庫、2017年)も面白かった。都市伝説を扱ったやつだと、宮澤伊織『裏世界ピクニック』(ハヤカワ文庫JA、2017年~)も割と面白い。
だから、引用はやす子のネタを知らない人にも分かるように、オマージュしてる事を示す為だろ
やす子に死んでくれって言うならリプでいいんだよ
なんならDMでいい
なんなら、実際に会ったときでもいいんだよ
逆張りでも何でもなく、状況を客観的に見ればフワちゃんは何も悪いことしてないんだよ
結論から言うと、フワちゃんはやす子に向けてじゃなくて普段自分に向けて誹謗中傷してるやつらに対して言ってるんだよ
そもそもとして
なぜお前らは“フワちゃん”が“やす子”に対して死んでくださーいって言ってると思ってるの?
これに答えられるやつはいないんだよ
けど、状況を考慮すればお前って言うのは、フワちゃんに誹謗中傷を書き込むアンチだってのはすぐ分かる
やす子に死んでくださいって言うなら、リプをつければいいわけであって、全員に向けてポストする必要なんてないだろ
つまりフワちゃんは“普段自分に向けて誹謗中傷してくるアンチ”に対して
お前は偉くないから死んでくれください、予選敗退でーすとやす子のバズってるポストをオマージュして引用ポストしたわけ
こんな簡単なことなんだけど、世間はお前の主語が誰かも理解出来ないぐらいに頭悪過ぎるから炎上してしまった
一度勘違いされると、違うと説明しても言い訳するなと言われて余計炎上するから、説明も出来なくなってる
途中から面白くなると言われて全話観たがガチのマジで一切面白くなかった。箇条書きで書いていく。
・とにかくリアルから遠く遠く離れていた。まずいない筈のベースを鳴らすなクソが。大切な人から貰ったギターを濡らすなクソが。雨でコケる苔むした演出も、エレキを裸で雨の中で落とすとかいう地獄行きの行動が耐えられない。もう二度と音楽に携わるな。いやそれフィクションだから、演出だからと言われてもクソ of クソ
・とにかくキャラが好きになれなかった。特に主人公がクソ。ボーカリストになるまでの説得力が無さすぎるし、いじめた張本人との関係性や家族関係の描写も全て嘘くさい。方言も嘘くさすぎて九州出身の俺は別の意味で鳥肌が立ちまくった。すばるの演技の才能の無さもやばい、もう絶対演技の世界には立ち入らない方がいい
・オタクのおっさん達がおっさん向けのバンド幻想アニメを頑張って作ってる感がきちい。NewJeansを筆頭に完全にKポの時代なんだよ。動員数も、若い子の耳も。おっさんだけだよこんなのに喜んでるの。
・展開に無理がありすぎる。ガラガラだったフェス会場で1曲の間に人が集まってくるとかないから。時間にして1分とかだから。BECKオマージュか知らんけど。フェイクアニメで行くならそれで貫けばいいのに最後は対バンもせずに謎の事務所脱退でクソエンディング。何その底は少しリアルにしました、みたいなしたり顔は?きしょい。前話でライバルバンドの楽曲をフィーチャーした意味が皆無。話の展開が下手すぎ。
モモちゃんとアカネちゃんシリーズは2巻までは長女(モモちゃんのモデル)に自分が赤ちゃんの頃の話をせがまれたから書いて、離婚の話がある3巻以降は次女(アカネちゃんのモデル)に自分に父親がいない理由を続編で書いて欲しいと言われて書かれたらしい。
登場する家族4人は松谷の家庭がモデルで、話を作るきっかけも当時4歳の長女(モモちゃんのモデル)に「自分が赤ちゃんだった頃の話をして」とせがまれた事による。オリジナルシリーズの構成・デザインは元夫の瀬川拓男(パパのモデル)。細かいエピソードや言及の中にも、実在した小さな出来事がオマージュとされているものが多数ある。
6巻あとがきによると当初は2巻で終わる予定だったが、当時まだ5歳だった次女が「モモちゃんのモデルは姉だ。なら続きが出れば、自分に父がいない理由も判る」と気づき、松谷に続編をせがんだことで、(第3巻は)出たという。赤い鳥文学賞受賞。
同作者による大人向けの自叙伝の『棄てていく話』では離婚に至るまでが赤裸々に書いてあったけど結構夫からの仕打ちがすごかった記憶。
ユーフォ12話、あれだけセルフオマージュを混えたのは間違いなく"全て"へのアンサーなんだろうな
ひょっとしたら9年前に想定してた着地点じゃなかったのかもしれないけど、それでも5年かけて絞り出した答えなんだと思う
凄いリアルな絵が飾ってあるだけ。
完成品を見ながらレタッチしてるから加工写真よりも更にリアルっぽく見えるだけ。
館長の個人的な出資の影響が見え隠れする若干気持ちに余裕のある題材の作品が多いだけ。
写実風景画の方向に進んでいる人もいれば、幻想風景画っぽい人もいて、想像よりも作品の幅が広いだけ。
エヴァのコスプレしてる人の写実画とか、子供の遊び風景っぽいのとか、そういう日本的な風景の絵もあって地域密着性みたいのも感じられるだけ。
昔の名画を現地行って別角度から描いたオマージュ作品や、写実を活かした哲学的な問いかけの作品もあって意外と飽きないだけ。
建物自体が一つのアートとして存在しながらも、落ち着いた雰囲気で導線もシンプルな回りやすい建築デザインになっているだけ。
企画展示はスマホサイトと連動していて各作品ごとに作家の細かい解説が見れるだけ。
本当にただそれだけの美術館でしょ。
別にわざわざ行くほどではないと思う。