愛宕神社の賽銭がEdyで払えるようになったそうだ(「ついに楽天Edyで払えるおさい銭箱が登場 → ちゃんと御利益はあるのか神社に聞いてみた」(ねとらぼ))が、それで「ご利益があるの?」とかいう疑問自体が出てくるのがおかしい。そもそも賽銭の趣旨と効果を理解していないのでしょう。
いまのひとたちは、何もわからないままにやっているのでしょうか。いや、どうせ昔から、ほとんどの人が、意味不明なままやっていたのでしょうね。
賽銭だとかの趣旨はまず、御礼であり挨拶でしょう。みなさんは、例えば年賀状や御歳暮に御利益を求めるのでしょうか?
御利益を求めて初詣をするだとか賽銭を払うだとかいうのは、大変に即物的で、罰当たりなことだなあと、私は思っています。
それと、賽銭の効果ですが、それは、氏子・崇敬者の基金としての機能です。例えば災害が起こった時のための基金です。
また、江戸時代だとかには、寺社に消費者金融の機能があって、消費者金融なんていうのはぶっちゃけ返済困難な人が借りるわけですが、寺社に資産が多くしかも寄付金でまかなわれている部分が大きければ、消費者金融でも成り立ちうるものではあります。もちろん、いまの時代は、寺社は金融機関をやってはいませんが。ただ、いくらかの寺社は公益活動はしていますね。
そもそも賽銭が貨幣で支払われる時点で、簡易化したものです。ですが、貨幣のほうが、払う方も受ける方も、正直に言って、便利ですから(笑)。その観点で言えば、やはりもっと進んで、電子マネーだろうがクレジットカード決済だろうが、そういうのでも便利ではあります(ただ、トラブルの不安はありますがね)。Edyどころかクレジットで賽銭を払えるようになる可能性もあります、本来は所有権留保の担保機能が求められてきた信販ですが、いまや食品だろうがサービスだろうがクレジット決済対応が進んでいるくらいですから。数千円の初穂料だとか、ときに数万円以上になることもありうる祈願だとか、現金のみっていうのはむしろ不便じゃないのかって話にもなるでしょうし。
それよりも本当に憂うべきは、いまのひとたちは賽銭だとか布施だとかの意味がわかっていないことでしょう。そのように私は考えています。