合理的思考で慣習や習慣を洗いなおすというのは
批判されるようなことではない。
よくよく考えて「いただきます」が不要という結論が出たなら思考した価値がある。
けれども元増田のは思考ごっこであって、まるっきり掘り下げが足りない。
一体誰に向かって言ってるの?
食事を作ってくれた人への感謝の気持ちならわかる。
だったら作ってくれた人のほうを向いて「ありがとう」っていうのが正しいよね。俺はそうしてる。
例えばその「作ってくれた人」とは誰なのか。
経済の話が好きなようなので、仮に家庭内ではなくすき屋での話だとする。
目の前に運ばれた一杯の牛丼は
仕込みをした人と調理した人と盛り付けをした人と配膳した人が別だ。
更にはメニューを開発した人や食材を仕入れた人や食材を運んだ人、お百姓さん…までが背後にいる。全員宗教と無関係に実在する。
全員だろうか?中の数人だけだろうか。
除外・選別の理由は何だろうか?
きちんと考えつくしているように見えない。
対価を支払って購入した牛丼の筈。
合理的に考えると、誰はばからずにふんぞり返ってかき込んでもよいのではないか?
そうではなく、サービスを受ける時は貨幣的対価を支払う以外に感謝の気持ちが必要なのだろうか?
それは何故?
なぜ直接的な感謝(あいまいな表現だ…)が優先されるべきなのだろうか?
末端にだけ優先的に感謝をするべき理由は?
どの論点も全く掘り進められていない。
自分の狭い視野と貧しい知識でパッと気付ける部分だけを疑い、論理的な発展は全く無い。
ということは、頭の良し悪しもあるにせよ、根本的にはまじめさが足りない。
更に、実はこの程度の話は全て過去に検討されていることも知らない。
同じ論点が先人達によって元増田の幼稚なポエムでは足元にも及ばないほど掘り尽くされているのを知らない。
これも結局、本気で考えよう答えに辿り付こうという真剣さの欠如の表れ。
怠け者の馬鹿が「特別な存在である自分」になりたいなら暴走族が一番迷惑が少ない。