はてなキーワード: 血道とは
15歳のとき、ベル・フックスの「フェミニズムはみんなのもの―情熱の政治学」を読み、それが私のバイブルになった。そこに書いてあったフェミニズムの説明を読んだだけで、それが世界を変えるとわかった。地元の図書館にかろうじてあったフェミニズム書籍コーナーに潜り込むや否や、 牟田一恵や田嶋陽子の世界に浸りこんだ。私が進学先の大学を選んだ理由は、その時すでにTwitterで名を馳せていた北村紗衣先生が教鞭をとっていたからだし、ジェンダー論の授業があるからだった。大学を出て最初についた仕事では社内セクハラの撲滅に従事し、プライベートでもTwitterや消費者運動を通じて、男女差別と戦ってきた。ほぼ十年、このために使った時間は知れない。
何が言いたいかというと、フェミニストを名乗れる人間がいるとしたらそれは自分だということ。九州の田舎で育った孤独なティーンエイジャーにとって、フェミニストの冒険譚を読むのは震えんばかりの興奮だったし、目を見開かされる思いだった。周囲にこんな人は見た事がなかったけれど、ネットを通して自分と似たような人が他にいるとわかって希望が生まれた。大学に通い始めてからは、フェミニストでいることにひねくれたプライドをもつ人を他にも何人か発見した。けれどそれはまだ珍しかったし、社会の主流な考え方からはすっかり外れていた。だから、なぜせっかくそれなりの企業に就職した自分が、社内恋愛の末の寿退社ではなく、男受けの悪い反セクハラ活動に血道を上げているのか、誰も本当にはわかっていなかったし、私はフェミニストだと言うと、ほとんどの人が眉をしかめた。月日を経て、私は同じ志を持つ仲間の輪を少しずつ広げた。職場、教育、そしてマンガアニメなどの趣味の世界。それぞれの世界で活動する私たちを、フェミニズムが互いに引き寄せた。そんな仲間の助けがあったから生き延びる事が出来た。けれど仲間を探すのは難しかった。私たちはまだ、社会の中で傍流だったのだ。
でもこの十年、状況は様変わりした。映画やドラマはフェミニズムに則って制作されるのが当たり前になった。アナ雪や逃げ恥を通じフェミニズムは恥ずかしがらずに誰もが楽しめるものになった。
そして、たぶん一番重要なのは、今やフェミニストはカネを、そして権力や地位をも持っているということだろう。世界で一番大きな、そして一番勢い良く成長している企業は女性に配慮し、女性を雇っている。日本の大企業や省庁も女性差別をやめ敬意を示すようになった。強い女性はかっこいい。私たちは勝ったのだ。
そして、そこに問題がある。私たちは未だに自分達が反乱軍かのように振る舞っているけれど、今やフェミニズムは帝国だ。十年前までは私たちはおおむね正しく、批判は的外れで間違っていた。だから他人に耳を貸さない私たちの習性は深く根付いている。それどころか、フェミニストに向けられた批判をスクラムを組んでやりかえすのが絆を深めるためのちょっとしあ儀式になってすらいる。今までは誰かの批判を攻撃するのも、かつては大したことではなかった。一握りのフェミニズムに親和的な人以外にそうした論考が読まれる事はなったからだ。そんな内なる声も、今や大きな問題になっている。フェミニストが本当の権力を振りかざしているからだ。キズナアイやラブライブのポスターへの攻撃、宇崎ちゃんのポスターにまつわる献血ボイコットは、フェミニストの私にとって恥ずべき出来事だった。けれど恐ろしいのは、その暴力的な振る舞いが、フェミニスト界隈に常在する何かと同じ感じがすることだ。それでいいという空気があることだ。ただ驚くしかない。その空気はあっという間に、誰かが大切に育ててきた営みを、無造作に叩き潰すほどに膨張した。ファミリーマートのような主流の大企業ですら、私たちの突きつけた理不尽な圧力に巻き込まれている。今や私たちは、「自分を反乱軍だと思い込んでる帝国軍」なのだ。
だから「日本は未だ後進的な男性社会で、私たちフェミニストはそれに反抗するレジスタンスであり、いつの日か勝利するだろう」みたいな、フェミニスト界隈の通奏低音はすごく違う感じがする。たしかに私たち女性は、かつては家父長制にいじめられたり、大企業に無視されたりしていた。でもそれは、私たちにカネも力も無かった頃の話だ。今や私たちには権力があり、日本の資本主義社会は私たちを標的にするのではなく仲間とみなすのにやぶさかでない。20年前の男性社会は私たちをお茶くみや家庭に押し込めようとしていたけれど、今や私たちが仕事に学術に家庭に多くの選択肢を持つ一方で、文句も言わずに黙々と経済的な後ろ盾になってくれている。
フェミニズムの愛すべき要素の一つに、共感や連帯を大切にするという価値観がある。誰かが泣いている時、証拠や事実検証は、大抵役に立たない。いの一番に、「私もあなたのために怒りたい」と表明し、それを実行しなければ社会は変わらないのだと、痛い目に遭いながら学んできた。これはフェミニズム界隈を通底するルールだ。誰かが被害を表明すれば、ただちに飛んでいって守り合う。客観的なデータに基づく結論は、提示するのに時間がかかるし決まって歯切れが悪い。だからスピードと攻撃力が高い「お前は差別主義者だ。私は傷ついた」と言い切る思い切りが習慣になる。
なのに、フェミニストが自分たちの共感の埒外にある人々へ示す冷酷さには、思わず目を丸くしてしまう。知りうるほとんど全てのフェミニストが、自分より年収の低い男性や、性的魅力に乏しくオタク文化に逃げている(と見なしている)男性を嘲笑し、あるいはそういった言説を窘めもしない。逆に高学歴、高収入な男性や、容姿に優れるなど性的魅力が豊富なタイプは、あらゆるレトリックを用いて養護し、倫理的なお墨付きを与える。収入、学歴、容姿。共感で駆動するフェミニズムは、これら男性のステータスに対してどこまでもプリミティブな接し方をする界隈だ。フェミニズムが世間を席巻し、プレイヤーの絶対数が増えるにつれ状況は悪くなっている。
解決策を知っているというつもりはない。けれどどこかで何かが間違っていると意識することはできる。現に私より若い世代では、女性たちの間ですらフェミニズムへの忌避感が広がっていると感じている。しかし私たち現役フェミニストは、フェミニズムを忌避する女性に対してどんな態度をとってきただろう?ここで口にするのも憚られる、卑劣な言葉を投げつけては、仲間内での連帯を高めてきたのではないか?こう想像するのはおかしな事だろうか――この深く根付いたクソっぷりが、若い世代を遠ざけているのでは?
あたりを見回すと、私たちが育ててきたフェミニズムが、自由への革命から威圧的な権力へと姿を変えたのがわかる。私たちは確かに素晴らしいものを生み出した。けれど私たちは不注意で、普通の人々を傷つけないための安全策を怠った。私たちは不注意で、未来のフェミニストたる多くの若者たちを成長の各段階で追い出してしまった。私たちは不注意で、世界をアップデートしたとき失うものがある人を気にかけなかった。いい目を見る人のことをだけを考えていた。(だいたい自分達のような人々だ。)
古い世代の連中より高潔でありたいと、いつも願っていた。けれど蓋を開けてみれば、力不足ゆえに無害なだけだった。体に染み付いた被害者意識は、私たちがいじめ行為に至る際の非道な言い訳と成り果てた。
だから言いたい。フェミニズムは終わりにしよう。フェミニズムは素晴らしいことを色々してきたけれど、今のフェミニズムは歪んだ復讐心と暴力衝動に駆り立てられる怪物だ。まともな答えは、これを終わらせてもっと良い何かを作り出すことしかない。
もっと良い何かとはどんなものだろう?私たちが攻撃したラブライブには希望を感じる。私たちが巻き込むのに失敗した若い世代の女性をはじめから取り込んでいるからだ。どんな未来が来るにせよ、私たちは良き人物になることを重視する必要がある。今までよりずっと。
弱さへの憎悪と、強いものへの阿諛追従は終わらせなければいけない。これはフェミニズムとあまりにくっつきすぎている。だからこの星からフェミニズムを消し去るしか、確かな方法はないと思う。
元増田の一念発起と挫折しないための創意工夫には頭が下がったまま上がらない気分になるが、ゴミ出しについて勝手に補足したい。
いつでもゴミを出してもいいマンションに住んでいたら別だが、そうでないなら自治体のゴミ収集日を把握するのは必須。
で検索すれば、トップに役所・役場のゴミ収集日のスケジュールが出てくる。
この辺は性格によるが、Googleカレンダーなどに
のように登録して、前日の晩と当日の朝に知らせてくれるよう設定する。(私はそうしている)
室内にカレンダーがあって見るのなら、紙のカレンダーに一年分を書いておくのも良いと思う。
ゴミの収納ボックスや動物除けネットがあるなら、前日の晩に出すべき。次の朝に寝坊しないという保証などないのだ。
でないと「このゴミは持って行けません」という貼り紙を貼られて、ゴミ捨て場に放置される。
そうすることで、ゴミ出しという習慣を身体に刻み込むことができる。
「ゴミ袋が一杯になったら出そう」とか考えているとゴミ出しの習慣が身に付かない。
ゴミ袋の料金を節約するより、ゴミが溜まらない生活を優先しよう。
たとえばプラゴミに紙や生ゴミが入っていると「このゴミは持って行けません」という貼り紙をされて回収してくれないが、普通ゴミに紙やプラスチックが少々入っていても大目に見てくれる。
この四六時中男叩きに血道上げてそうな感じ
配るよりも、余裕のある人が決められた場所に置いていくようにして、食べ物に困った人がそこから持っていく、という制度の方が恩着せがましくなくていいね。
ドイツかイタリアでそんな制度があったのを今年の冬にニュースで見た記憶があるよ
(マジで返答に値しない、おそらく善良な元増田の目に留まる必要は絶対にないと断言できる、この世の中が永遠に悪意と欺瞞と怨念で埋め尽くされた地獄であり続けなければならないと目を血走らせて、優しい者や努力しようとする者の鼻をへし折ることばかりに血道を上げ、哀れで卑小な性根が染み付いたどうしようもない、そんなクソリプが複数ついてしまったから書き直したよ。元増田が発したような、たとえ単純でも純粋に善良な願いや祈りが多くの人に受け入れられ、様々なアイデアとなって世の中をよくしていく力となることが、この世界に、特にこの時代には必要なことだと俺は信じているんで、元増田もがんばれ。俺も頑張る)
いわゆる更年期ババアなんだけど、更年期なの気付かなかったよね。
家庭環境が夏に激変したから、そのせいかなって漠然と思っていたけど、
やる気のストックが完全になくなっていて、資料を10回くらい見ても全然頭に入らないの。
とにかくやばかった。
んで、久々に生理痛がひどくて、胃の調子も悪すぎていつものは飲みたくなかったから、
漢方系飲むかーって、いわゆる血の道系のやつ買って飲んだのよ。
そしたら、次の日にしびれるようなだるさがちょっと楽になってた。
んで、試しに続けて飲んでみたら、日に日に状態が良くなるのよ。
頭痛は3日でなくなって、やる気は2週間くらいで少しずつ戻ってきた。
薬やばい。
今、1か月くらい経つけど、鏡を見て何かを思う元気が出てきたらしく、
けば立った鶏みたいな自分を見て打ちひしがれている。
美容院を予約する気力すらなかったから、仕方がないといえばそうなのかも。
年かさの女性に対して「更年期だからイライラしているんだよ」って嘲笑の言葉があるけど、
本当にそうだったんだなと実感したわけで。
イライラっていうか、だるくて出社しているのに!みたいな気持ちだけどね。
身の回りのそんな感じの方々に、婦人系漢方薬をお勧めしていきたいけど、
自分更年期良くなったから、あなたもどうぞ!とかいうと、絶対に怒られそうなんだよ。
会社の同期前後の人々、若く見えることに血道をあげている人多いから。自分もそうだけどさ。
更年期って言葉が、「お前はもう年寄りで、社会の主役から外れるんですよ」みたいに感じるから、
どうしようもないんだけどさ。
月々数千円で、体調良くなるよ!
コンテンツメディアは、書籍、新聞、雑誌、映画、ラジオ、テレビ、ビデオ、DVD、インターネットと実に多様化してきてるのだから一つのスタイルに配分される売り上げは相対的に低下する。
マネタイズの手法は様々だが、流通過程においてどの段階がヘゲモニーを握るのかが違って面白い。
音楽に関しては、スティーブジョブズがいなかったならばダウンロード販売もストリーミングも技術としては成立しても産業として主流になりえたかは微妙と思う。
ソニーがコピープロテクトに血道を注いだのは20世紀的には合理的な選択だったのだ。
ジョブズがカリスマと企業力でi-tunesなんてものを世界に無料でばらまくまでは。
結果としてレコード、CD、DVDといったモノに化体したマネタイズは敗北し、作品に支払われる単価は低下してしまった。
普及度でkindleに対抗できるのはPDFフォーマットしかない。
「飲酒運転と違って、ラブドールと犯罪の因果関係については合意がないから、そのたとえでの規制は無理筋」
「そもそも児童を守りたいなら、まず問題にすべきは明らかに児童の『身内』であって、『通りすがりの児童性愛者』などという不確かな存在ではない」
「これを直視できない人は本当の意味での児童の味方などではなく、偏見で誰かをぶっ叩いて気持ちよくなってるだけだよ」
(以下、元の書き込み)
……なるほど、「飲酒運転」だって、それ自体犯罪ではない二つの行為を組み合わせて、予防的に権利を制限する形で成立する犯罪、というわけだ。
でも、「飲酒運転」が犯罪であるのは、「飲酒」は「判断力低下」と確実に結びつき、そして「判断力低下」と「事故」の因果関係は十分高いと言えるからだよね。だから予防的に権利が制限されることに妥当性があるということになる。
ならば、ラブドールを規制する際にも、同様に、「ラブドール」が「実在児童への欲望を高める」ことが確実であり(A)、そして「実在児童への欲望を高める」ことと「実在児童に性的虐待をする」因果関係が十分高いと言える(B)場合、と考えるのがよいということになるよね。
しかし、あなたの貼ったリンク先の「専門家」は、Aについては「研究がない」「100人を見た経験から~(むしろ助長させていると)感じる」としか言ってないし、臨床の精神分析医であり、犯罪や行動分析の専門家ではないため、Bについては確定的には何も言えてないよね。つまり、ラブドールについては、現状で上のA&Bは全く実証されていない。
だとしたら、このケースで予防的に権利を制限するだけの証拠はないと思うんだけど、どうしてそこを強行できるという意見なのだろう。単にあなたの個人的な見解でA&Bが成立している「かのように」思い込んでいるだけなのではないだろうか。
では、実際のところBに関してどうだろうか。ラブドールが規制されていない現在、彼らの多くが犯罪に走る傾向にあると立証できるのだろうか?
ここで、警視庁のデータを見てみよう。(https://www.npa.go.jp/publications/statistics/safetylife/syonen.html)
検挙された人数2024人、うち、「見知らぬ児童性愛者」はどのくらいの割合か。調べてみれば分かるが、57人。残りは「実父(母)、養父(母)、継父(母)、内縁の夫(妻)」等である。つまり、「見知らぬ(キモい)児童性愛者」の犯罪は全体の3%以下だ。しかも、それは一体ラブドールを買ってる人の何パーセントなのか、データはあるのだろうか? そもそも規制派は、ラブドールを規制していたら、この3%に含まれる人のうち何人が減っていたと考えて規制を主張しているのだろう。さらに言えば、でもそれは残り97%の犯罪には何の関係もないのだ。憲法に違反するのではないか、という疑いさえ抱かれる政策を強行しようと言うのに、現実のデータの裏付けはなく、専門家の意見すら十分ではなく、そして97%の犯罪には何の訳にも立たない。どうしてこれに同意が得られると思うのだろう。
こんな不確かなことに血道をあげるより、残り97%からの現実的な危険に晒されている児童をどう救うべきだったかを考えた方がよいのは自明だ。にもかかわらず自分の意見に固執してしまいそうなら、そもそも自分が一体何から目をそらしているのか、もう一度胸に手を当てて考えるべきだと思う。おそらくそれは何かの代償行為であって、決して正義ではない。あなたは本当の問題から目をそらし、目に付いたたたきやすい(殴り返してこない)誰かを腹いせにたたいているだけなのだ。
蝶ネクタイは何をしているでしょうね(^.^;
ダウンロード規制法案を了承 自民部会、海賊版対策で | 2020/2/25 - 共同通信 https://t.co/Y6ydyMrWjF— てつまよしとう∃xist (@godspeedtetsuma) 2020年2月25日
ダウンロード違法化法案については、山田太郎が自分の功績をアッピルしてることもあって、その辺も含めて条文の是非やらなんやらまとめて検討したいが……如何せんリソースが。詳しい人ー!— 広く表現の自由を守るオタク連合 (@hyougenmamoru) 2020年2月25日
この人達、当時文化庁がパブコメを募集していた時、著作権改正なんて無視して話題にもせず、赤十字の宇崎ちゃんポスターのバッシングにひたすら血道を上げていたので、この件に関しては一切何も言えないと思う。
よくやるよ、一度消されたくせにまた上げるとか男叩きに血道上げすぎでしょ
まあでも、この問は意味があるんじゃないのかね。何故盗撮野郎は、女性の履くパンツのクロッチを撮影することに血道をあげ、挙句の果てには人生を棒に振ってしまうのか、という話だよな。
男の哀しい性として「妄想補完機能」とでも言うべきものがあると思う。たとえば、女性の履くパンツを撮影することで、あたかもその女性を掌握したかのような妄想に連結させたり、その画像を蓄積することで、妄想で膨らませた体験を記録、再生できるようにしてしまう。愚かにして哀しい性だが、これがこういう風に機能してしまうのは問題だよな。
そして「行為の目的化」とでもいうような現象。つまり、女性のパンツの画像を収集する筈が、そのプロセスにおけるスリルやプレッシャー、そしてそのプレッシャーからの解放感等も含めて達成感につなげてしまい、その行為でその達成感を得ることが目的にすりかわっていく。
ネットに激増している「幼児の性的虐待」の実態 虐待画像や映像の数は過去最高に https://t.co/hweOtVxygg
「捜査は感情的にも心理的にも非常に負担が大きく、やめる人が後を絶たない」。実在児童への性虐待という地獄と向き合うよりは、二次元萌え絵を叩いて回る方が精神的にずっとラクなんだろうな。— ClaraKeene (@clarakeene) 2019年10月23日
こういう悲惨な現実を無視して、二次元規制に血道を上げてるのが国際児童保護団体という連中の実態なんだよ。特にECPATとかがそう。日本でも散々実在児童保護の邪魔したし、国連に創作物規制をさせようとした。https://t.co/PooQxk9tBB— 高村武義 #WalkAway (@tk_takamura) 2019年10月26日
https://toyokeizai.net/articles/-/309872